152 化学と生物 Vol. 56, No. 3, 2018 遠藤 章先生によって発見された世界最初の本格的抗コレステロール薬(コンパクチン,ML-236B)を,世界で初 め て 難 治 性 重 症 高 コ レ ス テ ロ ー ル 血 症 の 患 者 さ ん に 使 わ せ て い た だ く 光 栄 に 浴 し た も の と し て,先 生 の ガ ー ド ナー国際賞受賞を心からお祝い申し上げます.現在,高脂血症治療の第一選択薬として広く使われている数種の スタチンは,すべてML-236Bを雛型として開発されたものであり,先生のML-236B開発にかけたひたむきな努力 と,苦難と挫折を何度か乗り越えてこられた忍耐の賜物であります.私と先生の付き合いはすべてこのスタチン とともにあり,ここでは当初の臨床開発の軌跡をたどることによって治療にかけた情熱を皆様と分かち合いたい と思います.
私が遠藤先生と懇意にしていただくようになったの は,私が阪大から国立循環器病センターに移る少し前,
先生が「医学の歩み」と「生化学」に寄せられたLDL レセプターについてのGoldstein, Brown両博士の仕事の 解 説 を 読 み,ま た 日 本 脂 質 生 化 学 研 究 会 で 先 生 の ML236Bについてのお話を伺ったのが始まりでした.当 時(1976〜1977年頃),私は阪大・付属病院の内科で肥 満と高脂血症の専門外来を担当していたのですが,家族 性高コレステロール血症という代謝異常症,しかもホモ 接合体で,血清コレステロール値が1,000 mg/dLもある 若い患者さんを前にして,治療に難渋していたところで した.当時17歳の高校生はコレステロールを多量に蓄 えたマクロファージの集簇のため,アキレス腱が肥厚 し,皮膚には肘や膝などに黄色腫ができていました.
本人はまだ美容上のことが気になる少女でしたが,す でに狭心症発作が始まっていて,いつ致命的な心筋梗塞 が起こってもおかしくない危険な状態にありました.し かし,当時の主要な抗高脂血症薬はatromid-Sという,
主にトリグリセライドを下げるフィブラート系の元祖薬 だけで,この患者さんのようにコレステロールだけが高 い場合には無効であり,コレステロールに効くコレスチ
ラミンという薬も,当時の日本では胆汁性肝硬変という 特殊な疾患を対象とした治験が始まったばかりでした.
しかも,文献によれば,この薬もヘテロ接合体では効く ものの,コレステロール値が600を超えるホモ接合体の 場合は無効,あるいは,逆に高くなると記載されていま した.間もなくクリニックにはもう一人2歳の子どもさ んも受診され,皮膚の線維芽細胞を使った診断1)をお願 いするため,当時の三共の古い発酵研究所の遠藤先生の 研究室を訪ねることにしました.
治療法を模索するうちに,当時阪大の小児外科の主任 であった岡田 正講師(後に教授)から,「経口摂取を やめて完全持続静脈栄養を行うとコレステロール値が下 がる」という耳寄りな話を聞き,早速行ってみました.
アメリカ人向けのやり方(栄養量)ではうまくいきませ んでしたが,カロリーを体重が減らないぎりぎりの線ま で絞り込むと効果が表れ,500 mg/dLを少し切るくらい までコレステロール値を下げることに成功し,さらに 十二指腸にカテーテルを入れ,ここからの持続点滴を行 うことによってもほぼ同じ効果が得られることがわかり ました1).しかし,1日24時間にわたって栄養液を注入 し続けることは,当時の器具では,患者さんにとっては 動きがとれない状態を生むことになり,しかもコレステ ロール値が半分に下がったといっても,まだ500近くあ
2017
年ガードナー国際賞受賞記念特集元祖スタチン(コンパクチン : ML-236B)
の初期臨床開発(回想録)
山本 章
Akira YAMAMOTO, 国立循環器病研究センター研究所名誉所員
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り,粥状動脈硬化の進展抑制には至らず,ましてや治癒 に導くことは不可能でした.当時,門脈を下大静脈に吻 合して,腸管から肝臓に流入する栄養素とインスリンを 減らすことも試みられていたのですが,毒素であるアン モニアが体循環に入って脳症を起こす副作用を避けられ ず,また肝臓移植も,免疫抑制療法が確立されていない 当時では,すぐに応用できる状態にはありませんでし た.後に,この患者さんをはじめ,多くのホモ接合体の 方々は,わが国で飛躍的に発達したアフェレーシス療法 によって救われることになるのですが,それはまだ数年 先のことでした.
決定的な治療法のない状態の下で,遠藤先生のML236B の話は,われわれにとって,降って湧いた贈り物だった のです.先生からいろいろな情報をいただくことで,動 物 実 験での安全 性もほぼ 確保できていると判断し,
「ML236Bを緊急にこの患者さんに使わせてください」
と申し出たのは1977年8月のことでした.当時,私は阪 大の講師であったとは言え,長老が多くおられる内科の 世界ではまだまだ若輩者で,顔を利かせるような立場に はなく,遠藤先生がML-236Bを臨床開発に乗せるうえ でさまざまな抵抗や苦渋を味わっておられたことや,当 時の会社(三共)とメルクの関係,またGoldsteinと Brown両博士からML-236Bを彼らの患者への使用の申 し入れがあったことなど,全く知りませんでした.
高コレステロール血症に対する決定的な治療法のない ままに,少女は阪大心臓外科の同期生川島康生講師とそ の後輩の北村惣一郎助手(いずれも後に国立循環器病セ ンター総長)による冠状動脈閉塞に対するバイパス手術 を受け,一応成功したものの,何時また再発するかもし れず,当時の私どもにとっては,ML-236Bのできるだ け早い使用が頼みの綱だったのです.翌1978年の初め,
一時はあきらめかかっていた矢先に,思わぬ朗報がもた らされました.遠藤先生から直々に薬をいただけること になったのです.開発の顧問をしておられる日本動脈硬 化学会の重鎮の一人から,「アメリカに渡すより日本で やらせてみては」という話があったとか.一部の動物実 験で得られた肝細胞の病理学的異常所見のために開発が 一時危機的状態に陥りかけたという話も後から聞いたの ですが,研究所の有馬所長も危機打開のために苦渋の決 断をされたようです.
遠藤先生との打ち合わせで,LDLレセプターが欠損 しているためにコレステロール合成はかなり上がってい ると推測し,用量はイヌとサルの実験結果から算出した 推定有効用量の10倍量の高め(250 mg×2回/日)で処 方することにしました.2週後の血液検査の結果は上々
でした.コレステロール値は薬物治療前(食事療法後)
の850から680 mg/dLに20%も下降したのです.早速,
遠藤先生に電話して喜んでいただいたのですが,数日後 に,結果は暗転しました.2〜3日の脱力感の後,少女 はベッドに上がれず,さらには歩けなくなったのです.
まさに,躯幹に近い四肢筋肉が麻痺する筋ジストロ フィーの症状で,血液化学検査でも筋肉の酵素(CKと GOT)が著しく増えていました.これはスタチンによ る横紋筋融解症の発症の世界で最初の経験でした.
2日後大阪に来て実情をご覧になった遠藤先生は落胆 の色を隠せませんでした.しかし私は,少し違っていま した.頸部に聴診器を当てて動脈硬化による心雑音を何 時ものように聴診したとき,その音が非常に弱くなって いることに気づいたのです.薬を中止した後,少女の筋 肉の麻痺は間もなく回復し,数日後にはベッドにも上が れるようになりましたが,その間に私が見たのは,皮膚 の黄色腫の退縮でした.医師としてすべき基本的な診察 の結果は,私を落胆から立ち直らせ,すぐにML236Bを 用いた次の治験に進む勇気を与えてくれました.主任の 西川教授は「この薬は使えないね」と一度はおっしゃっ たものの,私の「用量を減らせば使えるはずです」の言 葉に反論はせず,任せていただくことになりました.
私は,アメリカ留学から帰って間もなく(1968年頃)
に,ある心臓薬(商品名:コラルジル:化学名diethyl- aminoethoxyhexesterol)の副作用に出会いました.丁 度,私どものグループが研究対象としていた脂質代謝異 常が主たる症状になっていたので,われわれの内科の共 同作業によって早期に原因が解明され,厚生省と製薬会 社への対応も早く適切に行われたために,スモン,サリ ドマイドほど大きな社会問題にならずに収束させること ができました.それでも,すべての解決に数年を要し,
薬の作用・副作用についてかなりの勉強が必要でした.
最も単純な事項を挙げると,その薬はラットやマウスに は効いたのですが,人はそれを代謝する能力が低く,プ ロドラッグの形で蓄積したのです.薬物代謝の動物種属 間の違いは本当にデリケートなものです.こうした経験 が,今回のML-236Bの効果の判断に役立ったのみなら ず,主任の西川教授,厚生省,ならびに学会の関係者の 信頼を得るのに大きく役立ちました.
今回の治験を始める前に,私は厚生省の薬務局や医務 局を訪れ,「医師は危機的な状態にある患者のためにな ると判断したときは,無認可の薬でも使用してもかまわ ない(もちろん医師個人の責任のもとで行う)」ことを 確認していました.当時,われわれの教室では,カネミ オイル事件で有名になった化学物質を副腎腫瘍の治療に
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使うために輸入したこともあったと聞いています.予測 していなかった副作用が起こったとはいえ,薬を止める ことで数日の間に症状が消失したことからML-236Bの 治験継続を決断したのですが,血管雑音の減弱と黄色腫 の退縮は私の気持ちを強く後押してくれました.
私は,グループが診ていたもう一人の少女の患者さん
(前出)のお父さんに事情を話し,ML-236Bを服用して もらうことにしました.250 mg×2回/日の10日間で血 清コレステロール値は320から180 m/dLに低下,以後,
動物実験の結果から得られた推定有効用量の50 mg/日 まで減量して,血清コレステロール値は250 mg/dL程 度に安定しました.続いて,この方以外で家族性高コレ ステロール血症ヘテロ接合体と確診された患者さん3人 と,コレステロールとともにトリグリセライドも高い複 合型高脂血症タイプの4人に薬を投与し,すべてに有効
(50〜100 mg/日でコレステロールが23〜31%低下)の 結果を得ました.また,もう一人のホモ接合体の3歳の 少女には150 mg/日の用量を長期投与した結果,コレス
テロール値は14%低下し,この間,これらの症例すべ てで筋肉の副作用は見られませんでした.なお,ML- 236Bを用いた早期治験の間,薬剤の分包は遠藤先生自 らの手によって,研究所内にある小型分包機を使って行 われたと聞いていましたし,先生の著書「自然からの贈 り物」にも記載されています.
ついでのことながら,ヘテロ接合体への投与を始めた 際,私自身も200 mg/日の用量でML-236Bを2週間服用 してみました.この間,異常事象として,たまたま風邪 をひいていたとき,帰宅の車中で脳貧血状態となり,隣 り合わせた人に助けてもらったことを1回,町を歩いて いて突然すごい空腹感に襲われ,近くの蕎麦屋に飛び込 んだことを1回,経験しました.後日,プラバスタチン の治験中に,同僚の都島基夫医師から「空腹感を訴える 患者さんが数人いた」という話を聞いたことがあり,薬 の副作用ではないかと今も興味をもっています.
これらの初期臨床成績の結果は1979年11月の第5回 国際動脈硬化シンポジウム(ヒューストン)で発表,翌 年にはヨーロッパ動脈硬化学会の機関紙( , 1980年)に掲載されたのですが2),学会での聴衆は少な く,論文の方も大きな反響は見られませんでした.スタ チンが一般社会での脚光を浴びるようになったのは,日 本で正式の治験が始まり,馬淵 宏先生の家族性高コレ ステロール血症に対する効果の論文( , 1981年) がNew York Times紙 上 に 紹 介 さ れ,Gold- stein, Brown両博士によって「遠藤先生のコンパクチン の発見はペニシリンの発見につぐ快挙といえるだろう」
と指摘されてからのことです.
この間,遠藤先生を悩まし続けた「肝細胞内のコレス テロール結晶の発生」問題もどうやら片付き,三共本社 の新薬開発部門は,遠藤先生の所属している発酵研究所 を含む研究所の各部門とともに次期新薬開発に舵をと り,1978年9月,慶応大学の五島教授の元に正式の第1 図1■コ レ ス テ ロ ー ル 合 成 阻 害 剤(MC- 236B)の大量投与による皮膚黄色腫の退縮
(19歳女子,アキレス腱部)
山本 章,首藤弘史:脈管学,21, pp. 815‒
817 © 1981 一般社団法人日本脈管学会より 転載.
図2■図1と同一症例におけるアキレス腱のレントゲン像 山本 章,首藤弘史:脈管学,21, pp. 815‒817 © 1981 一般社団法 人日本脈管学会より転載.
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相試験,1979年3月に軽症患者を対象とする用量決定試 験に続いて,8月に国内10数施設による前期第II相臨床 試験が始まり,期待された通りの効果が確認されまし た.ところがこの結果が1980年5月ミラノで開催された DALM国際シンポジウムで発表されて僅か3カ月後,
突如として三共は開発中止を発表.理由はイヌを使った 長期毒性試験で腸管にホジキン病様のリンパ腫ができた ということでしたが,用量が100〜200 mg/kg/日とい う高濃度で,果たして発がん性として取り上げてよいか どうか,いまだに謎に包まれています.
これでML-236Bの「正式の薬」としての誕生はなく なったのですが,その後,三共は分子に水酸基を導入し て,より安全な薬(プラバスタチン)を開発,またメル クも一旦は開発を諦めかけたものの,新しくシンバスタ チンを開発,その後,ファイザーとアストラゼネカの間 に有名なスタチン戦争を生むなどスタチン花盛りの時代 を迎えたのです3).
ML-236Bによる治療の最初の対象となった若い女性 患者の後日談ですが,横紋筋融解症の副作用から回復し た後,200 mg/日の投与を6カ月にわたって続けること により,血清コレステロール値は徐々に下って620 mg/
dLまで低下,皮膚の黄色種が顕著に退縮しただけでな く,アキレス腱の肥厚も縮小しました4).しかし,それ でも狭心症発作が再発し,北村教授による再度のバイパ ス術を受けましたが,幸いにして,その頃には確立され ていたLDLアフェレーシス療法を続けて受けることが でき,以後,冠状動脈の狭窄部の進展なく,結婚して 1児をもうけることができました5).
家族性高コレステロール血症ホモ接合体の最大の特徴 は,大動脈起始部と大動脈弁に強い変化があることと,
一旦障害を受けた(粥腫による異常)内膜の病変は少し くらいコレステロール値を下げても治らないことです.
これはLDLレセプターを欠いたマクロファージあるい は平滑筋細胞・線維芽細胞が無秩序なコレステロール合 成と増殖を起こすためと考えられます.これを治すため には副作用が出るくらいの強力なコレステロール合成の 抑制が必要なことも今回のML-236Bを用いた治験でわ かったことですが,真の解決にはやはり遺伝子レベルで のアプローチが必要です.
今回の早期治験では,動物実験で見られなかった横紋 筋融解症という重大な副作用のあることもわかりまし た.薬物の開発にマウスやラットを使った動物実験が不 可欠という時代は終わろうとしていますが,それでも毒 性試験は欠くことができません.薬物開発には,医療と 同様に,広い視野に基づく観測と深い経験に基づく解釈 が不可欠です.必要に迫られての薬の治験が多くの有意 義な結果を与えてくれたことに感謝しながら,そしてこ のような機会を与えていただいた遠藤先生,有馬所長を はじめ,当時の三共発酵研究所のグループの方々に感謝 しながら,この回想録を締めくくりたいと思います.
文献
1) A. Yamamoto, A. Endo, Y. Kitano, A. Okada, K. Ishikawa, T. Kuroshima & I. Kaneko: , 17, 230 (1978).
2) A. Yamamoto, H. Sudo & A. Endo: , 35, 259 (1980).
3) 山本 章.コレステロールを下げる.中外医学社,2008年.
4) 山本 章,首藤弘史:脈管学,21, 815 (1981).
5) A. Yamamoto, S. Kojima, M. Harada-Shiba, Y. Toyota, M.
Takamiya, M. Tsushima, B. Kishino, N. Koga & R. Tata- mi: , 748, 429, discussion, 439 (1995).
プロフィール
山 本 章(Akira YAMAMOTO)
<略 歴>1955年 大 阪 大 学 医 学 部 卒 業/
1960年同大学大学院医学研究科修了,医 学博士/大阪大学医学部附属病院第二内科 学教室で脂肪肝の成因,ならびに,脂肪酸 種の違いに伴うリン脂質代謝経路の多様性 についての研究.1963年「肥満外来」を 開 始.1964〜1967年 カ リ フ ォ ル ニ ア 州 City of Hope Medical Center の George Rouser博士のもとで脂質分析の開発研究.
1967年に大阪大学に復帰して「高脂血症 外来」を開設.1979年国立循環器病セン ター研究所病因部長,平成元年同研究所副 所長となり,「動脈硬化に関連した血漿リ ポ蛋白異常の遺伝素因と栄養の関連につい ての研究」を推進.1996年から箕面市立 介護老人保健施設施設長,2009年4月から 尼崎介護老人保健施設ブルーベリーの管理 医師・施設長を勤める
Copyright © 2018 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.56.152
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