今日の話題
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化学と生物 Vol. 51, No. 12, 2013
タンパク質栄養に起因する生活習慣病発症機序
胎児期から新生児期に刻まれる栄養の記憶
低出生体重児が成人後に心血管系疾患で死亡する割合 が高くなることから(1),英国の D. Barker 博士らに よ っ て「Fetal Origins of Adult Disease ; FOAD」 説
(成人病胎児期発症説)が提唱された(2).その後のさま ざまな研究から,FOADの考え方や概念は拡大し,胎 児期だけでなく乳幼児期も含めた発達期に栄養不良,過 栄養,そしてストレスや化学物質などに暴露されると疾 病の発症素因がプログラムされ,成長後の負の環境要因
(過栄養や運動不足など)との相互作用により疾病が発 症 す る と い う DOHaD (Developmental Origins of Health and Disease) 説の概念に発展した(3).胎児期の 栄養環境が次世代の疾病発症と関連していることを動物 実験で初めて報告したのは,Langley-Evansらである.
これは,妊娠中の母ラットにタンパク質含量(6 〜18%
タンパク質食)の異なる飼料を給餌すると,生まれた仔 ラットの血圧は母ラットの摂取したタンパク質含量が低 いほど高くなるというものである(4).これ以後,妊娠中 のタンパク質栄養と次世代の血圧や血管内皮機能との関 連についての研究が盛んに行われてきた.そのほかの系 においても,ラット,マウス,ヒツジ,ブタなどを用い た研究により,妊娠中の栄養制限食や高脂肪食と次世代 の血圧,糖代謝,肥満などとの関連についての知見が蓄 積している.胎児期や授乳期の栄養環境は胎児に何らか の形で記憶されて(メタボリックメモリーもしくはメタ ボリックプログラミングと呼ばれている),さらに成長 後に加わる負の要因(過栄養や運動不足など)との相互 作用により,高血圧症や糖尿病などの疾病が発症すると 考えられている.その記憶システムにエピジェネティク スが関与していると考えられている.
妊娠中に低タンパク質食を摂取した母から生まれた仔 ラットの血圧は,対照群に比べ高くなるが,その機序と してアンジオテンシン・アルドステロン系 (RAAS) の 亢進や,グルココルチコイドに対する感受性の亢進など が報告されている(5〜7).筆者らの研究でも,高血圧・脳 卒中のモデルラットであるSHRSPで,妊娠中に低タン パク質食を摂取した母から生まれた仔ラットは,成長後 の食塩負荷により血圧上昇が増強し,寿命もより短くな ることを見いだしている(8).このモデルにおいても腎臓
や副腎におけるアンジオテンシン受容体 type2 (AT2)
の発現量が低下し(9),同遺伝子プロモーター領域におけ る特定の位置のメチル化の割合が影響を受けることを示 唆する結果も得ている.また,正常血圧ラットにおいて 低タンパク質食を摂取した母から生まれた仔ラットで,
副腎でのアンジオテンシン受容体 type1 (AT1b) 遺伝 子(5),肝 臓 で の グ ル コ コ ル チ コ イ ド 受 容 体 お よ び PPAR
α
遺伝子(6, 10) のプロモーター領域におけるメチル 化の割合が低下していたことが報告されている.一方,低タンパク質食に葉酸,もしくはグリシンを添加すると 仔ラットで観察された影響がキャンセルされるという報
告もある(7, 11, 12).DNAやヒストンなどへのメチル基の
供与に重要な役割を果たしているのが,葉酸・メチオニ ン代謝である.補酵素としてテトラヒドロ葉酸 (THF)
やビタミン B12, B6 を要し,セリン,グリシン,ヒスチ ジンなどのアミノ酸やグリシンから生じたギ酸をメチル 基の供給源とするもので,メチオニンから生成される - アデノシルメチオニン (SAM) が直接のメチル基供与体 である.この際,細胞内のSAMと -アデノシルホモシ ステイン (SAH) の比がメチル化やヒストン修飾の調節 において重要であることが明らかになってきた(13, 14). SAM : SAHの比にスレオニンなどのアミノ酸代謝が重 要な役割をもつことも示唆されている(14).一方で,妊 娠中に低タンパク質食を給餌した母から生まれた仔ラッ トやマウスで,血圧や血糖値への影響が認められないこ ともあり(15),これらの結果の違いは低タンパク質食の 飼料組成が研究機関ごとに異なることが影響している可 能性もある.低タンパク質の飼料組成はタンパク質源の カゼイン含量を減らすが,カゼインに補足される含硫ア ミノ酸(AIN76組成;メチオニン,AIN93組成;シス チン)は対照群と同量にする場合と,カゼイン含量とこ れらの添加量の両方を減らす場合がある(16).前者の低 タンパク質食は含硫アミノ酸含量が多い組成となり,血 中のホモシステイン濃度が上昇する(17).ホモシステイ ンを再メチル化するために5-メチルテトラヒドロ葉酸が 消費され,SAMへのメチル基供与が低下する結果,メ チル化の割合が低下するのではないかと考えられてい る.この組成にグリシンを添加すると,胎児期低タンパ
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ク質暴露の影響がキャンセルされる(11).加えて,メチ ル基供与に作用する葉酸,メチオニン,グリシン,トレ オニン,ベタイン,ビタミンB12などの摂取が胎内メタ
ボリックプログラミングに影響することもしだいに明ら かになってきており,妊娠中の母獣の摂取するタンパク 質の量と質,そしてメチル基供与体の摂取バランスがメ
食事
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図2■葉酸・メチオニンの代謝経路
略称:B6, ビタミンB6;B12, ビタミンB12;BHMT ベタイン・ホモシステイン- -メチル基転移酵素;CBS, シスタチオニン β 合成酵素;Cys, システイン;DHF, ジヒドロ葉酸;DNMT, DNAメチルトランスフェラーゼ;DMG, ジメチルグリシン;Gly, グリシン;Hcy, ホモシステ イン;HDM, ヒストン脱メチル化酵素;HMT, ヒストンメチルトランスフェラーゼ;MAT, S-メチオニンアデノシルトランスフェラーゼ;
Met, メチオニン;MTHFR, メチレンテトラヒドロ葉酸還元酵素;MT, メチル基転移酵素;MTR, メチオニンアデノシルトランスフェラー ゼ;SAM, -アデノシルメチオニン;SAH, -アデノシルホモシステイン;SAHase, アデノシルホモシステイン加水分解酵素;Sar, サルコ シン;Ser, セリン;SHMT, セリンヒドロキシメチルトランスフェラーゼ;THF, テトラヒドロ葉酸;5-CH3-THF, 5-メチルテトラヒドロ葉 酸;5,10-CH2-THF;5,10-メチレンテトラヒドロ葉酸
*酵素は四角で,補酵素は丸で表記した.
図1■妊娠中に低タンパク質食を摂 取した母から生まれたSHRSPに食 塩水を与えたときの血圧 (A) と寿 命の推移 (B)(8)
脳卒中のモデルのSHRSPで,妊娠中 に 穏 や か な タ ン パ ク 質 制 限(9%- casein食)を受けた母親から生まれ た仔は,十分なタンパク質を摂取し た母(20%casein食)の仔と比べて,
成長後の食塩負荷による血圧上昇が 著しく,寿命が劇的に短縮した.11 週齢時から1%食塩水で飼育した.
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タボリックプログラミングに重要な役割をもつと考えら れている.
エピジェネティックな変化において胎児期から新生児 期は特に重要な時期と考えられている.この時期は,
critical window(臨界期)と呼ばれ,受精後にゲノム全 体のメチル化量がいったん大きく低下したのち,あるレ ベルまで上昇して分化・発達の各ステージ特異的なメチ ル化パターンが生じる.「オランダの飢餓の冬」事件を 妊娠期ごとに追跡調査した結果で,妊娠初期に暴露され た場合は心血管系疾患や認知症を,中期では腎機能や肺 機能の低下が,そして後期では,インスリン抵抗性や2 型糖尿病を発症しやすくなることが報告されている(18). この場合,飢餓状態に暴露された時期だけでなく,その 程度や暴露期間が異なるため,妊娠中のどの時期のどの ような刺激が成長後の疾病発症とかかわるかについて は,より詳細な疫学調査や動物実験の結果が待たれてい る.
一方,胎児期や新生児期以外の時期でもエピジェネ ティックな変化は生じる.この場合のエピジェネティッ クな制御による表現型の変化には,一般に長い期間を要 する.一卵性双生児の比較でも,加齢に伴う細胞のメチ ル化パターンやヒストン修飾に差異が認められる(19). こうした観察からも,個体を取り巻く栄養,運動など環 境がエピゲノムを変化させる要因として重要であること がわかる.高脂肪食,カロリー制限食を長期間給餌する と,microRNA-143の発現(20) や,ヒストン脱アセチル 化酵素 (HDAC) の活性(21) が変化することが報告され ている.また,加齢によりゲノム全体のDNAのメチル 化が低下することと,それががんや動脈硬化,神経変性 疾患に関係している可能性が示唆されている(22, 23).カ ロリー制限は,加齢に伴うDNAの低メチル化やHDAC 活性増加に抑制的に作用することも示唆されている(24). 栄養や加齢によってエピジェネティックな変化が生じる のは,細胞内のシグナル伝達に重要な役割をもつSAM, フラビンアデニンジヌレオチド (FAD),
α
-ケトグルタル 酸,NAD+ の濃度によるところが大きい.これらの変 化は,メチオニンをSAMに変換する -メチオニンアデ ノシルトランスフェラーゼ (MAT), ヒストン脱アセチ ル化酵素,メチル化DNA酸化酵素活性を変化させ,DNAのメチル化やヒストン修飾を変化させることがわ かってきた.タンパク質,脂質,糖質の摂取バランスに よりSAM, FAD,
α
-ケトグルタル酸,NAD+ の濃度が変化し,代謝システムが変動していることがしだいに明ら かとなってきた(25).母体の食事,低タンパク質食や低 栄養食,高脂肪食によって胎児期に形成された影響は直 接成熟後に子の表現型を変化させる場合もあるが,胎児 期の暴露により出生した子の高脂肪食や高食塩食に対す る感受性が変化し,肥満や高血糖,高血圧症を発症する 場合もある(8, 26).DOHaD説においても胎児期から新生 児期に形成されたメタボリックメモリーと,成長後の過 栄養やストレス,運動不足などの負の環境要因の2段階 の刺激で高血糖,肥満,高血圧などを発症すると考えら れている.このようなことから,胎児期から新生児期に 形成されるメタボリックメモリーは成長後の環境要因に 対する感受性を変化させるのかもしれない.
成人期の栄養の影響は単に摂取カロリーが多ければ体 重は増加し,摂取したカロリーを減らせば体重は減少す るなど,可逆的な部分が多い.一方,胎児期の栄養環境 の影響は不可逆的とも言える影響を及ぼす場合もあり,
成長後の生活習慣病の発症要因となる.胎児期から乳幼 児期の栄養環境により形成されるエピゲノムの変化の詳 細が明らかになることにより,生活習慣病の発症機序の 解明や有効な予防につながることが期待される.
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(大谷りら*1,村上哲男*2,加藤久典*1,*1東京大学 総括プロジェクト機構,*2近畿大学農学部食品栄養 学科)
プロフィル
大谷 りら(Lila OTANI)
<略歴>2004年近畿大学大学院農学研究 科応用生命化学専攻博士後期課程満期退 学/2005年同大学農学部食品栄養学科研 究員/2008年東京大学大学院農学生命科 学研究科応用生命化学専攻栄養化学研究室 特任研究員/2009年同大学総括プロジェ クト機構特任研究員,現在に至る<研究 テーマと抱負>タンパク質およびアミノ酸 栄養に起因する生活習慣病発症機序の解明
<趣味>乗馬
村上 哲男(Tetsuo MURAKAMI)
<略歴>1966年近畿大学農学部農芸化学 科卒業/同年同大学薬学部助手/1983年 同大学食品科学研究所講師/1987年同大 学 農 学 部 助 教 授/1989 〜 1990年 米 国 バ ンダービルト大学医学部客員研究員(留 学)/同年医学博士(近畿大学)/1997年 近畿大学農学部教授・大学院農学研究科応 用生命化学専攻教授/2010年同大学特任 教授/2012年同大学名誉教授,帝塚山大 学客員教授<研究テーマと抱負>胎生期栄 養環境 (DOHaD) と循環器疾患の発症と その是正<趣味>ゴルフ
加藤 久典(Hisanori KATO)
<略歴>1988年東京大学大学院農学系研 究科博士課程中退/同年同大学助手/1990 年農学博士(東京大学)/1991年米国NIH 客員研究員/1993年宇都宮大学農学部助 教授/1999年東京大学大学院農学生命科 学研究科助教授/2009年同大学総括プロ ジェクト機構特任教授<研究テーマと抱 負>さまざまなオミクス解析を組み合わせ たニュートリゲノミクスを推進させること
<趣味>スカッシュ,スキー