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2018年2月10日
大航海時代における
ポルトガル「インド航路」における海上保険と日本の投銀の接点
(レジュメ)
神戸大学海事科学部 非常勤講師 若土正史 1.はじめに
今回の本報告では、インド航路の「海上保険」に関する研究調査の過程で見出だした契 約者と日本で行われた「投銀」の契約者(兼債務者)とに、同一と思われる人物が存在し ていることが判明した。このポルトガル商人が東アジアのマーケットで活躍した足跡を国 内外の一次史料や文献から追跡し照らし合わせ、当時のこの地域の商人たちの交易活動の 実態と海上リスクに対しどう対策を講じていたのかを検証した。その検証結果から同航路 と日本航路(マカオ-長崎間)の代表的な海上リスク対策の選択に関して筆者なりの仮説 を描いてみた。
2.ポルトガル「インド航路」について
ここではポルトガルのインド航路における派遣実績や当時の海難事故原因の変遷につい て分析し、この航路の特徴を取り挙げ次の海上保険の実態に繋げ議論していくことにする。
(1)派遣実績
本報告の事例で取り上げた16世紀半ばから17世紀半ばにかけての約100年間では、こ の航路に毎年5隻前後の船舶を定期的に派遣していた。
(2)海難事故の変化
この航路での海難事故原因を派遣当初から約150年間を50年間タームで分析すると、
その150年間でその原因は大きく変化し、それが海上保険の保険料率にそのまま反映して いることが分かった。
3.インド航路における海上保険の実態
(1)何故スペインの史料を使うのか
インド航路の海上保険に関連した契約事例の一次史料は、ある事情のためにポルトガル 国内では殆ど見つからず、当時隣国スペイン北部のブルゴスに有力な海上保険市場があっ たため、ポルトガルを含め当時の保険証券約1万件が「ブルゴス古文書館」に現存されて いることが判った。
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(2)海上保険の事例(スペイン・ポルトガルの一次史料から)
スペイン・ブルゴス古文書館で現在判明しているインド航路の引受件数は、全部で32 件と数は少ないが、もともと同航路の現存する史料自体が不足している中極めて貴重であ る。今回の報告ではブルゴス古文書館とポルトガル・アジュダ古文書館所蔵の一次史料を 取り挙げ検証する。
a.事例①
この事例はブルゴス古文書館で収集した一次史料である。この史料から得られた当時の 海上保険に関する重要な情報は、①保険料前払いの緩和規定②他人のための契約③lost or
not lost ④遡及契約 の4点でこれに関して議論する。
b.事例②
この事例はポルトガル・アジュダ古文書館に保存されている一次史料である。ポルトガ ルの古文書館では商業取引に関して言及した史料は珍しく、特に海上保険に関してのこの 情報は極めて貴重である。この中で保険契約者の中に、日本で投銀を利用した人物と共通 する名前を発見した。今回の報告で最も重要なポイントとなる部分に触れている。
4.日本の投銀(抛銀)について
現在投銀証文に関する文書は国内に37点保存され、ポルトガルにも関連文書が幾つか 散見される。日本における当時の投銀の利用目的は海上保険の海上リスク機能よりも、む しろポルトガル本国からの資金送金が難しくなった商人たちに対する資金調達手段として 活用されていたようである。
(1)投銀(抛銀)の利用実態
ここではポルトガルの古文書館と日本の博物館に保存されている2つの一次史料の事例 を取り挙げ、当時の投銀に関する様相を検証し、いかなる人物たちがこの投銀取引に関わ っていたかを分析していく。
a.事例①
この史料は長崎・博多の日本人有力商人7名連名による、投銀利用の制限政策の緩和を マカオ市当局に訴えた「抗議書」である。オリジナル史料はポルトガル・エヴォラ古文書 館に現存されている。
b.事例②
この史料は債務者であるフランシスコ・カルバリョというマカオ市在住の老商人が約束 の返済ができず、債権者である嶋井権平に対し、3人の保証人を付し返済方法を記した
「確認書兼誓約書」である。なおこのフランシスコ・カルバリョは、前述のポルトガル史 料a事例②にも登場している。
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(2)ポルトガル商人と日本の海上リスク対策上の接点
今回先のポルトガルの海上保険の事例②と日本の投銀の事例②の二つに、海上保険契約 者と投銀契約者として共通して登場するポルトガルの商人Francisco Tinoco de Carvalhoと いう人物に焦点を当て新たに国内外の文献や史料を検証した。この人物や一族の東アジア における活動から海上保険や投銀の利用実態の分析を試みてみた。
5.むすび
まだまだ不明な点が多いもののこれまでの検証結果を踏まえ、筆者はこの段階で大航海 時代のポルトガルのインド航路・日本航路における海上リスク対策がどう採用されていた のかについて仮説を掲げ、インド航路では「海上保険」を、中国航路・日本航路では「投 銀(もしくはそれに類した制度)」を利用していたのではないかという結論に至った。
国内外の史料や文献を横断的に検証し照合した結果、海上リスクをカバーする両制度を 上手く使い分け契約していたポルトガル商人の存在を発見したことで、先行研究では余り 取り組まれてこなかった大航海時代のポルトガルのインド航路における海上保険の実態と、
その先にある日本航路の投銀との「選択と連接」についてその一端を解明することができ たものと考える。