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化学と生物 Vol. 53, No. 11, 2015
マウス全脳 ・ 全身を透明化し 1 細胞解像度で観察する新技術を開発
アミノアルコールを含む化合物カクテルと高速イメージング ・ 画像解析を組み合わせた「 CUBIC 」技術を実現
生物としての構造と機能の最小単位は細胞である.分 子生物学の発展により細胞内システムの解析は広く研究 対象とされているが,主な対象は分離された細胞の解析 であり,臓器・個体内の細胞の位置情報を保持した状態 で細胞を網羅的に解析することは困難であった.われわ れは高効率な組織透明化手法・高速な3次元イメージン グ・画像解析を組み合わせたプラットフォームである CUBIC(Clear, Unobstructed Brain/Body Imaging Cocktails and Computational analysis)(1, 2)を開発し,全 臓器を1細胞単位で観察することを可能にした.本技術 の開発経緯と現在までの研究を紹介し,今後の展望を議 論したい.
組織を観察する手法としては,切片を作りスライドガ ラスに貼付し,色素染色や免疫組織化学染色を行い,標 本を作製することが一般的である.組織切片を作製する ことで細胞単位での観察が可能となり,組織学・病理学 は組織切片により確立したと言っても過言ではない.し かし,臓器を薄切りにして組織切片を作製することで臓 器内の細胞の3次元的位置情報は失われる.このため,
たとえば神経細胞間のつながりを同定することや,悪性 腫瘍の浸潤経路を描出することは極めて困難である.こ れまでにも臓器を数百〜数千枚の連続切片とし,コン ピューター上で位置や角度を調整して重ね合わせて3次
元画像を再構成する方法が開発されてきたが,かなりの 時間・労力・コストが必要となる.一方で,たとえばマ ウスを数時間ごとにサンプリングし,全脳の神経活動の 24時間リズムを1細胞解像度で観察するような実験で は,マウス全脳数十個を短期間で再現よく観察できる技 術が必要である.
そこでわれわれは,組織を丸ごと観察可能な シート 照明顕微鏡 (3)と 組織透明化 を組み合わせたイメー ジング技術に注目した.シート照明顕微鏡とは,シート 上のレーザー光を試料の両側面から照射し,上方に備え たカメラで撮影することで試料内の1平面を一度で撮像 できる顕微鏡である(図1).しかし,シート照明顕微 鏡にて試料を観察するためには対象物が極めて透明に近 い必要があるため,不透明な臓器を観察するに当たって 組織透明化技術が不可欠である.
組織透明化は生体内の主な光散乱体である脂質を除く こと,および生体組織と溶媒の屈折率差をなくすことに より,組織の内部・表面で可視光線が透過することで実 現できる(図2).既存の組織透明化試薬としては1914 年にSpalteholz博士がベンジルアルコールとサリチル酸 メチルを用いた透明化手法を開発(4)して以来,それを改 良したBABB(ベンジルアルコールと安息香酸ベンジル を1 : 2の容量比で混合した溶液)(5)が汎用されており,組
図1■シート照明顕微鏡
(A)サンプルに対して左右両側面からシー ト上のレーザーを照射することでイメージ を 得 る シ ー ト 照 明 顕 微 鏡(LaVision Bio- Tec),(B)シート照明顕微鏡を用いた全脳 3次元イメージングの模式図.
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織の水成分を屈折率の高い有機溶剤に置換することで透 明化することができる.しかし,有機溶剤による透明化 では観察したい蛍光シグナルが消失してしまうという問 題があった.2011年に発表されたSca/e(6),また2013年 に発表されたSeeDB(7)はそれぞれ尿素および果糖を主成 分とした水溶性の透明化試薬で,蛍光タンパク質の褪色 が起こらない.しかし,シート照明顕微鏡を成獣マウス 全脳で適用できるだけの透明度が得られないという難点 があった.そこでわれわれは蛍光シグナルを保存しつ つ,複数のサンプルを簡単に短期間で透明化できる新期 透明化手法の開発に取り組んだ.
われわれは独自のスクリーニング系をもとにSca/e試 薬の各化合物に類似する化合物を検索した.その中で Sca/eの主成分である尿素に加え,新たにアミノアル コールが組織をより高度に透明化することを発見し,こ れを加えた試薬をSca/eCUBIC-1(Reagent-1)と命名 した.さらに,SeeDBで報告された原理を適用し,高 濃度の糖に尿素とアミノアルコールを加えた屈折率調整 試 薬 を 開 発 し,Sca/eCUBIC-2(Reagent-2) と し た.
Reagent-1およびReagent-2を用いることで,マウスの 全脳が10日以内にほぼ完全に透明になる.またCUBIC 試薬は蛍光タンパク質の褪色をほとんど引き起こさない ため,これまでに作製されてきたさまざまなレポーター マウスにも適応可能である.CUBICの例では,上述の シート照明顕微鏡を用いることにより,透明化したマウ ス全脳を1色1方向あたり30分〜1時間程度で撮像でき るため,1日に10全脳イメージ以上の取得が可能であ 図2■組織透明化の原理
生体組織は脂質などの散乱体が豊富に存在し,かつ屈折率が不均 一な物質により構成されているため,通常は光が散乱し不透明で ある.散乱体の除去や,組織成分と屈折率を合わせた溶剤に置換 することで光は透過し,透明にできる.CUBICにより透明化した マウス全脳を例に示す.
図3■全脳イメージの多サンプル比較解析
(A)複数サンプルを定量的に比較するため に核染色を行い,脳全体の構造情報を得た.
①構造情報の3次元画像を,標準脳に投射 し,標本の形や位置をそろえるための式を 算出した.この算出式を用いて②機能的な 蛍光シグナルのイメージを標準化した.①,
②により,異なる標本間で蛍光シグナルが 観察される領域やシグナル強度を比較する ことが可能となった.(B)神経活動を蛍光 タンパクによってラベルできるArc-dVenus トランスジェニックマウスを用いて,光刺 激あり・なしの②条件で脳全体の光刺激に よる神経活動の差分を検出した.その結果,
大脳皮質視覚野で神経活動の上昇が検出で きた(矢頭部位).
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る(1)(図3).
さらに,われわれはCUBIC試薬中に含まれるアミノ アルコールが生体臓器に豊富に含まれているヘモグロビ ン中のヘムを溶出する性質をもっていることを発見し,
CUBIC試薬の脱色作用を利用して,マウスの各臓器お よび個体全体をまるごと透明化することに成功した(2). これにより各臓器の解剖学的構造を1細胞解像度で描出 でき,心臓の脈管系や肺の気管支系などを3次元で観察 することが可能となった.また,臓器の1細胞解像度イ
メージデータを用いた病理学的解析への応用を目指し,
ストレプトゾトシン誘導性糖尿病モデルマウスを作製し て膵臓の3次元病理解析を試みた.その結果,糖尿病モ デルマウスにおいてランゲルハンス島の体積・個数が減 少していることを定量的に検証することが可能となった
(図4).このように,CUBICは脳神経系だけでなく各臓 器・個体スケールで解剖学および病理学研究に応用可能 な技術である.
以上,CUBICによる組織透明化とシート照明顕微鏡 を用い,1細胞解像度で臓器・個体を包括的に観察する 新たな研究手法を紹介した.CUBICなどの組織透明化 技術とシート照明顕微鏡により,従来では不可能であっ た各臓器内における細胞の3次元的位置情報を保持した 状態での1細胞解析が可能になった.今後の展望とし て,全脳スケールの活動性のモニタリングや悪性腫瘍の 転移・播種の進展様式の可視化,免疫細胞の遊走の追跡 など,個体レベルでの細胞動態や少数細胞が重要な意味 をもつ生命現象の解明に向けて有力な技術となるだろ う.かつ,CUBICはマウス以外にも霊長類の生体組織
(サル脳)にも適応できるため,将来的にヒト組織への 適応が確立すれば,病理診断といった医療への応用も期 待できる.CUBICの利用と発展により,全身・全組織 を対象とした「全細胞解析(Cellomics)」が新たな研究 領域を開拓することを期待している.
1) E. A. Susaki, K. Tainaka, D. Perrin, F. Kishino, T.
Tawara, T. M. Watanabe, C. Yokoyama, H. Onoe, M.
Eguchi, S. Yamaguchi, T. Abe, H. Kiyonari, Y. Shimizu, A. Miyawaki, H. Yokota, H. R. Ueda: , 157, 726 (2014).
2) K. Tainaka, S. I. Kubota, T. Q. Suyama, E. A. Susaki, D.
Perrin, M. Ukai-Tadenuma, H. Ukai & H. R. Ueda: , 159, 911 (2014).
3) P. Osten & T. W. Margrie: , 10, 515 (2013).
4) W. Spalteholz: “Über das Durchsichtigmachen von men- schlichen und tierischen Präparaten,” S. Hirzel, Leipzig, 1914.
5) J. A. Dent, A. G. Polson & M. W. Klymkowsky:
, 105, 61 (1989).
6) H. Hama, H. Kurokawa, H. Kawano, R. Ando, T. Shimo- gori, H. Noda, K. Fukami, A. Sakaue-Sawano & A. Miya- waki: , 14, 1481 (2011).
7) M. T. Ke, S. Fujimoto & T. Imai: , 16, 1154 (2013).
(久野朗広*1,2,3,洲崎悦生*3,4,田井中一貴*3,4,上田泰 己*3,4,*1 筑波大学グローバル教育員ヒューマンバイオ ロジー学位プログラム,*2 筑波大学大学院医学医療系 解剖学・発生学研究室,*3 東京大学大学院医学系研究 科システムズ薬理学教室,*4 理化学研究所生命システ ム研究センター細胞デザインコア)
図4■臓器・個体スケールにおける1細胞解像度3次元解剖学・
病理学
(A)幼若マウス全身の3次元イメージング.EGFP(黄色)を発 現している生後1日目のマウス全身を核染色剤(紫色:Propidium Iodide)で染色し,個体全体の3次元イメージングを行った.(B)
細胞核の密度や各種蛍光タンパク質の発現パターンの違いから,
臓器に特異的な構造を抽出できる.心臓・肺の管腔構造を1細胞 解像度で描出した.(C)糖尿病モデルマウスの膵臓を核染色剤
(黄色)で染色し,細胞核の密度の違いを利用してランゲルハンス 島(青)や膵管(紫)の3次元分布を抽出した.
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久野 朗広(Akihiro KUNO)
<略歴>2013年筑波大学医学群医学類卒 業/同年同大学グローバル教育員ヒューマ ンバイオロジー学位プログラム入学/2014 年同大学医学医療系解剖学・発生学教室/
同年東京大学大学院医学系研究科システム ズ薬理学教室特別研究学生<研究テーマと 抱負>組織透明化を用いた新規1細胞解析 技術の開発<趣味>読書,デスク周りの快 適化<所属研究室ホームページ>http://
www.md.tsukuba.ac.jp/basic-med/anato- my/embryology/, http://sys-pharm.m.u- tokyo.ac.jp/
洲崎 悦生(Etsuo A. SUSAKI)
<略歴>九州大学医学部大学院医学系学府 出身,医学博士/2010年理研CDB在籍/
2013年東京大学大学院医学系研究科シス テムズ薬理学教室助教<研究テーマと抱 負>「個体レベルのシステム生物学」実現 のための技術開発
田井中 一貴(Kazuki TAINAKA)
<略歴>2006年京都大学大学院工学研究 科博士課程修了/同年理化学研究所岡本独 立主幹研究ユニットのユニット研究員/
2007年大阪大学産業科学研究所研究員/
2008年京都大学エネルギー研究所助教/
2010年理化学研究所生命システム研究セ ンター研究員/2013年東京大学大学院医 学系研究科システムズ薬理学教室講師<研 究テーマと抱負>全身透明化技術の開発と 透明化原理の理解
上田 泰己(Hiroki R. UEDA)
<略 歴>2000年 東 京 大 学 医 学 部 卒 業/
2003年 理 化 学 研 究 所 チ ー ム リ ー ダ ー/
2004年東京大学大学院医学系研究科修 了/2011年理化学研究所グループディレ クター/2014年東京大学大学院医学系研 究科システムズ薬理学教室教授<研究テー マと抱負>専門はシステム生物学・合成生 物学.概日時計などをテーマに生命の時 間・空間・情報の解明に取り組む
Copyright © 2015 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.53.737