遠藤 章博士によるスタチンの発明は,人類史上はじめてコレステロール合成の本格的な制御を可能にし,肝臓や マクロファージをはじめとするヒトの細胞におけるコレステロール代謝の解析が大きく進み,メガスタディによ る動脈硬化の予防の実証を可能にした.そのインパクトは20世紀の世界の医薬品開発と臨床医学を大きく変えた.
年1兆円以上のブロックバスターを生み出し,グローバルなメガファーマの成立をうながした.だが,スタチンの 影響はそれにとどまらない.コレステロールのメガスタディの評価は新たな論争を生み出し,単純化した標準治 療や,コレステロールをはじめとする脂肪制限の栄養学には大きな批判も生まれている.スタチンの多面的作用 の検討から,人体内の神経,血管,骨免疫系などにおける膜脂質とベシクル輸送におけるコレステロールのシグ ナル分子としての役割を明らかになりつつある.遠藤章博士のスタチンの発見は,医学薬学のパンドラの箱をあ け,21世紀の生命情報科学の創成をうながしている.
動脈硬化の成因をめぐる議論とコレステロール(図1) ヒトは血管とともに老いるといわれ,高齢化社会とと もに脳血管障害,虚血性心疾患,末梢動脈疾患などにか かわる動脈硬化の治療法の確立は医学薬学の中心的課題 である.歴史的には,19世紀から,動脈硬化の成因を めぐってはコレステロールなど脂質の蓄積を原因とする
「脂質説」,血小板の凝集や血栓の形成を原因とみる「血 栓説」,白血球の浸潤など「炎症説」がとなえられ,長 年にわたり論争が繰り広げられてきた.コレステロール の重要性を決定付けたのは,皮肉なことに1950年代の 朝鮮戦争で死亡したアメリカ軍兵士の若者の三分の二に plaqueが形成され,三分の一が狭窄を伴う動脈硬化病 変を形成していたというJAMAの病理解剖の文献で あった.この論文は,一見健康に見える若い兵隊がコレ ステロールの蓄積を伴うアテローム性の病変を若年期か ら形成していることを証明し,コレステロール治療の必 要性を医学薬学界に印象付けたといえる(1).
遠藤章博士は,1957年,三共へ入社後,りんごやぶど うのペクチンを分解し,果汁を採取しやすくするペクチ ナーゼの研究に従事され,それが一段落したあと,1963 年ごろからコレステロールの合成経路を明らかにしつつ あったコンラード・ブロックの業績と誠実な人柄にひか れ,コレステロールに興味をもつようになる.しかし,
ブロック,バジェロスと時期的におりあいがつかず,
1968年,ニューヨークのアルバートアインシュタイン大
学のホレッカー研究室に留学される.大腸菌のリポポリ サッカライド(LPS)の糖転移酵素の従事しながら指導 にあたった臨床医出身のロスフィールド博士から心臓病 や高コレステロール血症について話され,コレステロー ルの低下薬のない問題を初めて知られた.留学中に,コ レステロール合成経路から低下薬へ関心が移られた.
遠藤博士によるコンパクチン発見と臨床効果の証明 筆者が臨床に携わり始めた1970年代には,コレステ ロールを低下させるのに実践的に有効派薬はほとんどな かった.ビタミンB群の一つであるニコチン酸は,欠乏 するとペラグラと呼ばれる皮膚,消化器,神経の病気と なる.その治療に,ニコチン酸を投与するとき,大量に 投与すると血中の中性脂肪とコレステロールが低下する ことが知られ,臨床への使用が試みられていた.ニコチ ン酸は血液中の脂質では中性脂肪の多いVLDL(超低比 重リポタンパク質)は減らすが,コレステロール輸送の 中心であるLDL(低比重リポタンパク質)は弱く,ま
2017
年ガードナー国際賞受賞記念特集世界の基礎医学と臨床医学をかえたスタチン
児玉龍彦
Tatsuhiko KODAMA, 東京大学先端科学技術研究センター
図1■動脈硬化の成因の3つの考え方
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た顔面の紅潮,消化器症状が強く長期の使用はなかなか 困難であった.植物ステロールやさまざまな治療薬が試 みられたが,安定した効果を得るのは難しく,動脈硬化 の予防にはとてもたどりつけなかった.中性脂肪には,
農薬から発見され後にPPARの活性化剤と判明した フィブレートが用いられるようになっていた.脂質の吸 収抑制に,イオン交換樹脂のコレスチラミンが胆汁酸の 排泄を促進し,コレステロールの一定の降下には有効で あると確認されたが1日の投与量が15〜30 gと多く,な かなか持続服用は一般化しにくかった.
遠藤博士は,1968年,微生物から外敵に対しコレステ ロール合成を阻害する抗生物質が精製されるのではない かという戦略的な視点で,HMG-CoA還元酵素の阻害物 質を系統的に探索を進められ,ML236Bコンパクチンの 発見,精製に成功される.筆者は東大第三内科の板倉弘 重博士のもとで高脂質血症外来に加わりコンパクチンの 治験の解析に加わった.遠藤博士は1979年で三共を退職 され,農工大に移動され,農工大の研究室を訪れて,東 大病院での患者検体からのカビの収集を依頼された.
山本章博士の最初の臨床使用は1979年の日本動脈硬 化学会,1980年にはミラノで開かれたDALM(Drug Affecting Lipid Metabolism)ミーティングで,コンパク チンは患者さんでコレステロール値を急速に低下させ,
黄色種を退縮させるが,過量となると筋肉障害を生み出 すことが報告され,臨床量の設定が鍵と考えられた.コ ンパクチンは家族性高コレステロール血症の改善に著効 を上げ,特にコレスチラミンとの併用によりLDLコレス テロールの50%もの低下をもたらす画期的な効果を生み 出すことが,金沢大の馬渕博士により
誌に報告されたが(2),1980年,三共は開発を中止する.
三共からは明確な学術的な資料の提供はないままに,コ ンパクチンには発ガン性があるという噂が流され,特に イヌの実験で腸に異常細胞,悪性リンパ腫の発生が疑わ れるという情報を多方面から聞かされた.
筆者は当時,三共の幹部にコンパクチンの開発継続を 切望するが拒否された.その席に,のちにメバロチン開 発にかかわる中村和男氏が同席され,何とかされたいと 述べていただいたことが印象に残っている.
中止前後,会議で,治験の中心的な医師から,「特異な 遺伝性疾患である家族性高コレステロール血症でなく栄 養過剰の普通の患者さんに効くかが重要」という発言に 極めて大きな違和感をもった.遺伝学の常識からすれば,
コレステロールのレベルには既知のものだけでなく未知の ものも含め,遺伝的素因は大きな影響を与えるものである こと,遺伝的素因のわかっているものこそ薬のメカニズム
解明につながること,という学問的常識が通用しない議論 に,歯がゆい思いがした.筆者自身は,コンパクチン開発 中止後,東京大崎駅近くの三共発酵研の辻田博士のもと でHMG-CoA還元酵素のアッセイ方法を習いながら,スカ ベンジャー受容体のクローニングを志し,京都大学の北 徹博士の紹介と,農工大に移られた遠藤章先生の推薦で MITのクリーガー博士の研究室へ留学することになる.
スタチンで肝臓とマクロファージのコレステロール の制御経路が明らかとなった(図2)
筆者のMIT留学中にメルク社でロバスタチンの治験 が始まる.1985年10月,LDL受容体の発見者のジョセ フ・ゴールドシュタイン博士と,マイケル・ブラウン博 士がMITを訪問され,スカベンジャー受容体の精製な どの進捗を話した.翌朝,研究室へいくと大騒ぎになっ ており,ブラウンとゴールドシュタイン両博士がノーベ ル賞受賞を通知されたことを教えられ,彼らの記者会見 の場所の準備に追われた.すぐダラスへ帰ることになっ た彼らが車に乗るとすぐスカベンジャー受容体の精製の 話に戻ったことが大きな印象となっている.
ブラウン博士とゴールドシュタイン博士の発見は人体 内でのコレステロール代謝とその制御の原理の解明であ る.コレステロールの合成は,細胞のコレステロールを 感知するフィードバックのしくみによりHMG-CoA還元 酵素の遺伝子発現が精密に制御されている(図2).
スタチンを投与すると,肝臓の細胞内のコレステロー ルの濃度を感知して,HMG-CoA還元酵素の遺伝子発現 が誘導され,細胞内のコレステロールレベルは元に戻 る.だがそのとき,肝臓に血液中からコレステロールを 取り込むLDL受容体の遺伝子も誘導され,血液中の LDLコレステロールも低下する.LDLが血液中に滞留 すると,血管壁に沈着し,変性する.マクロファージは 血管壁に変性LDLが蓄積すると内皮細胞の下に潜り込 み,スカベンジャー受容体を介してコレステロールを取 り込み,泡沫細胞に変化する.LDL受容体が遺伝的二 欠損する家族性高コレステロール血症では,血管壁への LDLの沈着とマクロファージの泡沫細胞化によるプ ラーク形成が顕著に進み虚血性心疾患が30歳代から統 計的に有意に増加する.LDL受容体欠損のホモ接合体 にはスタチンはLDL受容体を誘導できないため,有効 でないが,ヘテロ患者や部分的欠損には有効である.ま た食事で多量のコレステロールを摂取している一般の人 でも,コレステロールの内因性の合成を抑え,スタチン は肝臓のLDL受容体を誘導し,血液中のLDLコレステ ロールを低下させ,動脈硬化の予防につながる.筆者は
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1990年のウシのマクロファージからスカベンジャー受 容体を精製し,遺伝子クローニングに成功し,彼らの予 言を証明した(4).
遠藤博士は1979年2月,モナスカス・ルーバー株か ら,新しいスタチンモナコリンKを発見し特許化した.
これはロバスタチンと同じ物質であり,メルク社のアル フレッド・アルバーツは,ロバスタチン特許を1979年6 月に出願して開発を進めていた.
三共がコンパクチンの開発中止を決めた当時のメルク 社長は,ワシントン大学教授から転じたロイ・バジェロ ス博士であり,彼は国際ビジネス責任者のバリー・コー エンとともに来日し,三共に情報提供を求めるが,三共 は断る.そこで,ブラウン博士とゴールドスタイン博士 は,遠藤博士に対してコンパクチンのイヌでの腫瘍発生 との情報への意見を求めた.遠藤博士は,コンパクチン の腫瘍催奇性は考えにくいことを述べた.彼らはスタチ ンを用いて培養細胞で実験を進め,スタチンを多量に投 与するとHMG-CoA還元酵素,HMG-CoA合成酵素のタ ンパク質が多量に蓄積することを発見し,そこからHMG- CoA還元酵素の精製と遺伝子クローニングにも成功した.
三共が腫瘍と見間違えた染色される物質は,HMG-CoA 還元酵素とHMG-CoA合成酵素を多量に発現した細胞内 小器官をと考え,ロバスタチンの開発を進めた.
メルク社は1987年にロバスタチンの医薬品としての 承認をFDAから得て発売を開始し,世界42カ国で発売 され,同社は世界一の製薬企業に押し上がった.
ブロックバスターとグローバルメガファーマを成立 させたスタチン
スタチンは血液中のコレステロールを低下させ,特に
LDLコレステロールを低下させる.スタチンの効果が LDL受容体遺伝子の発現を亢進させることは,血液中 のHDLコレステロールが増加することも類推された.
コレステロール合成を阻害する薬はHDLコレステロー ルを低下させる場合が多かったからである.
スタチンの売り上げは,世界中で劇的に増加し,日本 でも遠藤博士のもとで開発を進めていた辻田博士らによ り三共から1980年,プラバスタチンが特許出願され,
中村氏らにより開発が進められ1989年にメバロチンと して販売が開始される.メルクもロバスタチンに加えて シンバスタチンを,ワーナーランバート(のちにファイ ザーに買収される)がアトロバスタチンを開発する.ア トロバスタチンは,年間売り上げが100億ドル(1兆円)
を超えた最初の薬剤となり,売り上げトップのスタチン を開発した企業が,世界のトップ製薬企業になる状態が 1990年代から21世初頭まで続いた.スタチンの2004年 から2012年の世界での年間売り上げ総計は,2兆5千億 円を超え,グローバルなメガファーマの成立を促した.
生活習慣病に本格的に効果が期待されるスタチンの巨 大な売り上げは,スタチンが本当に動脈硬化性疾患に有 効かを問う数千人から数万人規模の臨床追跡試験,メガ スタディが求められる契機となった.
メガスタディデータの次元圧縮の諸問題(図3) LDLコレステロールが高いと虚血性心疾患の発症が 高い相関があるのはよく知られるが,LDLコレステ ロールを低下させれば虚血性心疾患の発症を低下させら れるか,その効果はスタチンの費用に見合ったものか,
メガスタディは医療経済上の要請からも求められるよう になった.
1994年に発表されたシンバスタチンの4Sスタディは,
4,444人の狭心症または心筋構想の既往のある患者を,
シンバスタチン投与群とプラセボ群で生存率,発症率に 有意差のでることを報告している(5).
意外なことにスタチン使用群での心疾患発症率は,従 来の臨床統計のLDLコレステロールの低下で予測され る低下よりも大きく,スタチンにはコレステロール低下 以上の多面的な血管疾患予防のpleiotropic effect多面的 効果があると提唱されるようになった(6).
比較を二重盲検法でやることなどさまざまな工夫が試 みられ,その後も疾患のある患者の二次予防に対して,
まだ顕著な心疾患などのない患者への一次予防を試みる メガスタディなどさまざまな試験が行われ,メガスタ ディは,臨床のエビデンスとして最も高いものと考えら 図2■LDL受容体とスカベンジャー受容体とスタチンの効果
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れ,メガスタディの結果得られたスタチンの使用法は
「標準治療」として推奨される.
だが,スタチンのメガスタディのデータの評価には慎 重さが求められる.そもそもスタチンのように明確な LDLコレステロール低下作用をもつ薬ではプラセボと の二重盲検が意味をなさない.LDLコレステロールが 低下すればスタチン,しなければプラセボであることは 患者にもすぐ自明となるからである.
スタチンには筋肉,糖尿病,神経系の副作用が報告さ れているが,メガスタディでは副作用の集計は主たる目 標ではなく解析困難である.こうした症状は,スタチン の継続中止となるからである(7).メガスタディの実際の 比較は,スタチンの長期使用で脱落しなかった症例と,
プラセボの長期投与で脱落しなかった症例の比較であ り,脱落例の解析がないと評価となりえない.
さらに問題が多いのは,こうした個々の患者データの 少ないメガスタディで患者数だけ増やした結果でてきた
「stronger is better:強ければ強いほどいい」という理 論的根拠の希薄なスタチンの推奨である.LDLコレス テロールの上昇のない患者でもLDLコレステロールを 最大限低下させることの推奨とも見られる.場合によっ ては致命的ともなる横紋筋融解症を伴うことのあるスタ チンの使用法としては,単純化のあまり,極めて危険な 方法といえる.
スタチンの効果は,年齢,性別,高脂血症のタイプと 原因により大きく異なり,また遺伝子や食生活,運動量 により大きく異なる.こうした多次元の配慮が求められ る投薬の適応決定を,コレステロールやいくつかの数値
だけに圧縮して,時間経過を伴う制御の動きの解析もぬ きに,コレステロール値を見るだけで,スタチンで解決 できるように勧める標準治療の本質は,「次元の圧縮」
である.次元の圧縮は事態を単純化して捉えるのには強 力な手段であるが,多次元の現実に介入するときは恣意 的にならない注意が求められる.
栄養学では,一時のコレステロール制限食には批判的 データが増えてきて,糖質制限論による脂質制限論の攻 撃という転換を迎えている.
メガスタディのデザインは,ある国や地域におけるス タチンの費用対効果を検討する資料としての形式であっ て,医学上の仮説を検証できるかたちではない.だが,
費用対効果の検証に限っていっても,脱落問題を考える とバイアスのかかる製薬企業主導の通院患者の集計では なく,ある地域の全数調査が必須である.これはHDLと LDLの動脈硬化への異なる作用といった基本的な事実自 体が,フラミンガムスタディのような地域密着のフォロー アップスタディで得られてきたという歴史が重要である.
21世紀になり疫学においても電子カルテや情報技術 を駆使した,より緻密なフォローアップ型のデータサイ エンスとしてのスタディが可能となりつつあり,遺伝子 型,食事量,運動量,複数の薬物使用などの総合的な評 価の可能性が生まれつつあるといえよう.
生体膜のベシクル輸送とシグナル伝達を変化させる コレステロールの機能(図4)
スタチンは,HMG-CoA還元酵素の確実な阻害実験を 可能にし,ファルネシル系の脂質修飾の生物学的意味の 解明と,コレステロールの細胞膜ドメイン形成とシグナ ル伝達における重要性の解明の2点で細胞生物学に大き な変化をもたらした.
HMG-CoAは,ファルネシル,ゲラニルゲラニルなど のタンパク質の修飾に重要な分子の原料であり,それら の低下はRasなどの細胞の増速のシグナルから発がんに かかわるGタンパク質の機能も大きく低下させる.この 効果は炎症シグナルにかかわり,スタチンのpleiotropic effectのメカニズムにかかわるとも考えられ,また,イ ンスリン分泌シグナルに影響を与え糖尿病への影響が懸 念される一方,がん予防にも期待される.
一方,スタチンを添加した細胞で小胞体におけるコレ ステロールセンシングの役割は大きく解明された(図 4).小胞体膜のコレステロール量を感知してINSIG1と いうインスリンで制御されるタンパク質が乖離し,転写 因子のSREBP2は,制御因子のSCAPとともにゴルジへ 移動し,ゴルジで切断されて,核に移行し,内因性のコ 図3■4Sスタディにおけるスタチン使用による生存率の改善
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レステロール合成酵素の遺伝子と,血液中のコレステ ロールを取りこむLDL受容体の遺伝子を活性化する.
最近,細胞の情報統合センターとして小胞体の役割が 注目されている.小胞体が栄養やシグナルを担うコレス テロールの濃度を一定に保ち,ゴルジ体への分子移動の スイッチをいれるメカニズムはそのモデルとして重要で ある.コレステロール濃度による制御はラフトなどのシ グナリングにも重要であることがスタチンを用いた研究 から次々明らかにされてきた.エンドゾームと小胞体の コレステロールの位相はニーマンピックC型の発症の原 因と考えられ,スタチンの使用はアルツハイマー病にお ける神経保護への作用も期待されている.
われわれはスタチンの使用が血管内皮細胞で,KLF2 とKLF4の転写誘導をもたらし,それは,KLF4の染色 体構造を変えるMEK5-ERK5を介したMEF2A, C, Dの リダンダントな転写を制御するクロマチンの3次元構造 の変化によることを報告している.スタチン作用の全体 像の把握はまだ端緒に着いたばかりである(7).
スタチンの理解への生命情報科学
コレステロールという分子は数多くの化学者,生物学 者,医学者を魅了してきたが,遠藤博士の微生物からの HMG-CoA還元酵素阻害剤スタチンの発見により製薬業 界も激変させる巨大なインパクトをもたらした.
そのインパクトは基礎生物学においても小胞体におけ るコレステロールの合成,異化,代謝,センシングの研 究を大きく進展させている.コレステロールは食事から摂
取されるとともに,HMG-CoA還元酵素を律速酵素として 合成される.しかし,生体膜におけるコレステロールの 役割は,小胞体,ゴルジ体,エンドゾームの間のシグナ ルにかかわり,21世紀の細胞生物学の課題となっている.
スタチンの発見はコレステロールの役割とpleiotropic effectという謎を広げ,一方で画期的なLDLコレステ ロール低下作用と動脈硬化の予防への成功から,製薬業 界の在り方まで変えてしまった.驚くべき薬の誕生で あった.また副作用である筋肉障害がなぜ起こるか,そ のメカニズムもわかっていない.
20世紀の生物学では,血液中のリポタンパク質の成分 としてのコレステロールが取り上げられ,栄養学の観点か ら考えられることが多かった.だが,人体内ではコレステ ロール環は分解されてエネルギーとして使われることは少 なく,むしろ細胞のオルガネラの膜のシグナル分子として のコレステロールの理解に焦点が移りつつある.複雑な脂 質膜の中でのコレステロールの役割とタンパク質,核酸と の相互作用は,実験による複雑な実態の解明は難しく,近 年のカープラスのノーベル賞に見られる分子動力学から脂 質膜のシミュレーションが鍵となるだろう.生命情報科学 の新しい時代の幕開けがスタチンから始まりつつある.
文献
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プロフィール
児玉 龍彦(Tatsuhiko KODAMA)
<略歴>1977年東大医学部卒業,内科医師,システム生物学/東 京大学先端科学技術研究センター教授,東京大学アイソトープ総 合センター長(兼任)<研究テーマと抱負>生活習慣病とがんの治 療薬開発.細胞質が遺伝子を制御するメカニズムの解明
Copyright © 2018 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.56.156 図4■コレステロール濃度のセンシング
小胞体でコレステロール濃度が低下すると転写因子SREBPはゴル ジ体へ輸送されそこで切断されて核に移行し,コレステロールの 合成と取り込みの遺伝子を活性化する.
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