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優 婆 塞 と の 関 わ り か ら

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論文

語 』 に お け る

「 俗 聖 」 の 造 語 性

― 優 婆 塞 と の 関 わ り か ら ―

森木 三穂

『源 氏物 語』 俗聖 優婆 塞 じめ に 異母 兄弟 であ る八 の宮 は「 世に 数ま へら れた まは ぬ古 宮」 とし て『 源氏 巻に 登場 する

。弘 徽殿 大后 が当 時の 東宮 であ った 冷泉 院を 廃し よう と画 宮と して この 八の 宮を 担ぎ 出し たが 失敗 に終 わっ た。 その よう な政 権争 まれ た上 に、 都の 屋敷 を火 事で 失っ た八 の宮 は宇 治の 山荘 に逃 れる

。そ た阿 闍梨 を法 の師 と仰 ぎ、 在俗 のま ま仏 道修 行に 励む

「俗 聖」 とし て呼 る。 姫巻 から 夢浮 橋巻 にか けて のい わゆ る宇 治十 帖の 主要 な登 場人 物で あり

、 源氏 と女 三宮 の子 ども であ るが

、自 己の 出生 に対 して 疑問 持つ 薫は

、若 心を 強く 抱い てい た。 薫は 八の 宮と 出会 うこ とで

「俗 聖」 とい う生 き方 自身 もそ う生 きる こと を願 う。 阿闍 梨は

、冷 泉院 にも 親し くさ ぶら ひて

、御 経な ど教 へき こゆ る人 り。 京に 出で たる つい でに 参り て、 例の

、さ るべ き文 など 御覧 じて たま ふこ とも ある つい でに

、「 八の 宮の

、い とか しこ く、 内教 の御 才 もの した まひ ける かな

。さ るべ きに て生 まれ たま へる 人に やも のし らん

。心 深く 思ひ すま した まへ るほ ど、 まこ との 聖の 掟に なん 見え

」と 聞こ ゆ。

「い まだ かた ちは 変へ たま はず や。 俗聖 とか

、こ の若 き つけ たな る、 あは れな るこ とな り」 など のた まは す。 中将 も、 御前 にさ ぶら ひた まひ て、 我こ そ、 世の 中を ばい とす さま ひ知 りな がら

、行 ひな ど人 に目 とど めら るば かり は勤 めず

、口 惜し ぐし 来れ と人 知れ ず思 ひつ つ、 俗な がら 聖に なり たま ふ心 の掟 やい と耳 にと どめ 聞き たま ふ。

(橋 姫巻 一二 八頁

) 宮の 現状 につ いて 阿闍 梨と 冷泉 院と 薫( 宰相 中将

)が 語る 場面 であ る。

八の 宮の 生き 方を 表現 した

「俗 聖」 とい う語 は『 源氏 物語

』に おい て右 の一 例し か ない

。し かし 一語 とい う用 例数 では ある もの の、 八の 宮と 薫の 人物 造型

、そ して 宇 治十 帖を 読み 解く 上で

「俗 聖」 は重 要な 要素 であ ると 考え られ てき た。 特に 薫に つ いて の「 俗聖

」と いう 観点 から の研 究は

、薫 が「 俗聖

」を 憧憬 した とい うこ とか ら も盛 んに 行わ れて いる

。 厚い 研究 史の 中で も注 目す べき は三 谷邦 明氏 の「 源氏 物語 第三 部の 方法

―中 心の 喪失 ある いは 不在 の物 語―

」( 注①

)で あろ う。 三谷 氏は 宇治 十帖 の主 題を

、薫 の 理想 像で ある

「俗 なが ら聖

」の 意味 の「 俗聖

」で ある とし てい る。

「俗 聖」 を八 の宮 や薫 を造 型す る一 要素 とし てだ けで はな く、 宇治 十帖 の根 幹に 関わ ると 説く 三谷 氏 の意 見は 評価 すべ きも ので ある

。ま た、

「俗 聖」 をと りま く人 物た ちの 関係 性に つ いて

、原 岡文 子氏 は阿 闍梨 を介 して 作ら れた 薫と 八の 宮の 関係 を「 一つ の錯 誤の 上 に築 かれ た空 中楼 閣」

(注

②) であ ると する

。こ の見 方を 受け 原陽 子氏 は、 薫は 阿 闍梨 と八 の宮

、冷 泉院 と八 の宮 の関 係を

「模 倣し 追体 験す る形 で薫 の八 の宮 との 関 係が 形作 られ てい くの であ り、

「俗 聖」 とい う語 をめ ぐる 認識 が三 者に おい てず れ てい たこ とが

、逆 に薫 の後 の体 験の 必然 性を 支え てい く」

(注

③) と述 べ、 辻和 良 氏は 冷泉 院と 薫が 鏡像 を通 して 自己 形成 をは かる とい う関 係、

「無 意識 の内 に成 立 した 鏡像 関係 にあ る」

(注

④) とし てい る。 これ らの 先行 研究 から もわ かる よう に、 薫、 阿闍 梨、 八の 宮、 冷泉 院の 四者 の関 係に は「 俗聖

」と いう 語が 大き く影 響し て いる

。そ して

、各 氏が 指摘 する よう に「 俗聖

」に 対す る四 者の 認識 には ずれ があ る。 各々 が「 俗聖

」を どの よう に捉 えて いる のか

。そ のず れが どの よう なも ので

、そ の ずれ が物 語に いか に作 用し てい るか を読 み解 くこ とは 宇治 十帖 の主 題を 考察 する 上で も重 要で ある

。 しか し、 そも そも

「俗 聖」 とは どの よう な意 味で

、人 々に どの よう に認 識さ れて いた 語な のだ ろう か。

『源 氏物 語』 以前 の作 品に おい て「 俗聖

」と いう 語は 管見 の 限り 用い られ たこ とが ない

。( 注⑤

)同 じよ うに

、『 源氏 物語

』以 前の 作品 には 見ら れず

、『 源氏 物語

』に おい て初 めて 用い られ たと いう 語は

「紫 のゆ かり

」や

「夢 浮 橋」 など 様々 ある

。( 注⑥

)と いう こと は、

「俗 聖」 とい う語 は『 源氏 物語

』宇 治十 帖の 主題 とし て機 能す るた めに 意図 的に 作ら れた 語、 つま り造 語で あっ た可 能性 が ある ので はな いだ ろう か。 私は

「俗 聖」 とい う語 が『 源氏 物語

』宇 治十 帖の 根幹 に 関わ り、 主題 とし ての 役割 を担 う重 要な 語で ある と考 えて おり

、前 掲の 三谷 氏の 論 を支 持す る。 その ひと つの 理由 が「 俗聖

」と いう 語の 用例 数の 少な さに ある

。し か し三 谷氏 は「 俗聖

」の 特異 性へ の言 及や

、よ り詳 細な 考察 を施 され ては いな い。 そ こで 本稿 では

「俗 聖」 が『 源氏 物語

』宇 治十 帖の 主題 とし て機 能し てい るこ とを 示

(2)

す第 一歩 とし て、

「俗 聖」 の造 語性 につ いて 諸注 釈で 同義 とさ れて いる

「優 婆塞

」 との 関わ りか ら考 察を 行う こと とす る。 二.

「俗 聖」 の解 釈に つい て

― 古注 釈の 問題

― これ まで

「俗 聖」 はど のよ うに 解釈 され てき たの だろ うか

。鎌 倉時 代に 素寂 によ って 著さ れた

『紫 明抄

』に おい て「 そく ひし り」 は 俗聖 人 優婆 塞 在家 受持 五戒 人也

(注

⑦) とあ り、

「俗 聖」 は「 優婆 塞」 と同 義で ある と解 釈さ れた

。そ して これ 以降 の古 注 釈も 現代 の注 釈書 もこ れに 倣っ てい る。 また

、同 じく

『紫 明抄

』は 八の 宮に つい て、 宇治 八の 宮 号優 婆塞 宮 母左 大臣 女 桐壺 帝第 八親 王な り( 注⑦

) と記 し、 八の 宮を

「優 婆塞 の宮

」と 呼ん でい るこ とが わか る。 しか し『 源氏 物語

』 本文 にお いて 八の 宮が

「優 婆塞 の宮

」と 呼ば れる 箇所 はな い。 おそ らく 思ひ しや うに

、優 婆塞 なが ら行 ふ山 の深 き心

、法 文な ど、 わざ とさ かし げに は あら で、 いと よく のた まひ 知ら す。

(橋 姫巻 一三 三頁

) とい う八 の宮 の仏 道修 行の 様子 を表 すこ の本 文か ら古 注釈 の呼 称「 優婆 塞の 宮」 が 生ま れた のだ ろう

。 また

、藤 原定 家に よる

『奥 入』 には 興味 深い 記述 があ る。 それ は巻 名で ある 橋姫 巻に

「一 の名 うは そく

」( 注⑧

)と 記さ れて いる 点で ある

。こ れに つい て清 水婦 久子 氏は 橋姫 巻の 次巻 であ る椎 本巻 との 関わ りか ら、 うば そこ がお こな ふ山 の椎 が本 あな そば そば しと こよ しあ らね ば とい う神 楽歌 から 巻名 が名 付け られ たと する

。そ して

「優 婆塞

」で ある 八の 宮が 亡く なっ たあ との 物語 が以 後の 主題 とな り、

「む な しき 床」 とな った

「椎 本」 を巻 名と した ので あろ う。

「優 婆塞

」と いう 巻名 は、 橋姫 巻の 異名 とい うよ りも

、椎 本巻 の物 語が 作ら れる 段階 にお ける 題の 一候 補 であ った とも 考え られ る。

(注

⑨) と述 べる

。つ まり

、巻 名と いう 視点 から 見る と、

「優 婆塞 であ る八 の宮

」で ある こ とが 次巻 へつ なが るた めの 不可 欠な 要素 なの だ。 この よう に、 八の 宮の 呼称 や巻 名の 例か ら、 八の 宮は

「俗 聖」 では なく

「優 婆塞

」 であ ると 認識 され てい たこ とが わか る。 また 古注 釈の 段階 から

「俗 聖」 とは

「優 婆 塞」 と同 義で ある と解 釈さ れ、 その 解釈 が現 在ま で受 け継 がれ てき た。

「俗 聖」 と

いう 語が それ まで 用い られ てこ なか った とい う特 異性 に言 及さ れな いま ま。 そし て、 これ まで の薫 や八 の宮 につ いて の様 々な 考察 は、

「俗 聖」 とは 優婆 塞、 つま り在 俗 の仏 徒で ある とい う解 釈を 前提 とし て繰 り広 げら れて きた ので ある

。「 俗聖

」と い う語 が持 つ本 質的 な意 味、 意図 的に 与え られ た意 味を 踏ま えて みる と、 これ まで の 考察 に揺 らぎ が生 じる 可能 性も 十分 にあ るだ ろう

。 三. 優婆 塞と の関 わり

『源 氏物 語』 の時 代、

「優 婆塞

」と は一 体ど のよ うな 位置 づけ

、評 価を なさ れた のだ ろう か。

『時 代別 国語 大辞 典( 上代 編)

』( 注⑩

)よ ると

「優 婆塞

」と は

梵語

upasaka

の音 訳。 在家 で仏 門に 入り

、三 期五 戒を 受け 男子

。 であ ると いう

。ま た『 皇大 神宮 儀式 帳』 に「 優婆 塞云 角

波須

とい う忌 詞が 記さ れて いる こと も示 され てい る。

(注

⑪)

「優 婆塞

」は 仏教 用語 であ ると いう 認識 があ った ため に忌 詞と して 扱わ れた ので あろ う。 また

、魚 尾孝 久氏 によ ると

、仏 道修 行者 とは 出家 者と 在家 の者 の双 方を 指し

、修 行の 深浅 の程 度で 区分 され ると いう

。ま た、 仏弟 子の 七衆 は比 丘、 比丘 尼、 式叉 摩 那、 沙弥

、沙 弥尼

、優 婆塞

、優 婆夷 の呼 称が あり

、優 婆塞

、優 婆夷 が在 俗で ある

。 優婆 塞、 優婆 夷は 在俗 にい なが ら三 帰五 戒を 受持 し、 得度 出家 し沙 弥戒 を受 ける と 沙弥

、沙 弥尼 とな る、 とい う。

(注

⑫) これ に関 して

『徒 然草

』の 第百 六段

・高 野證 空上 人が 上京 する とき に起 こっ た話 が興 味深 い。 旅の 途中 道で 女と すれ 違う 際、 馬の 口を 引い てい た男 が上 人の 馬を 堀 へ落 とし てし まっ た。 それ に腹 を立 てた 上人 がこ う言 うの であ る。 こは 希有 の狼 藉哉

・四 部の 弟子 はよ な比 丘よ りは 比丘 尼は をと り・ 比丘 尼よ り 優婆 塞は をと り・ 優婆 塞よ り優 婆夷 はを とれ り・ かの ごと くの 優婆 夷な どの 身 にて

・比 丘を 堀へ 蹴入 さす る未 曾有 の悪 行な り

(一 七五 頁) 話中 で「 聖」 と称 され た上 人の 言葉 から は、 前掲 の仏 弟子 七衆 の中 でも 身分 の区 別 意識 は明 確で あっ たこ とが わか る。 この よう な優 婆塞 の在 り方 につ いて の記 録は

、 古く は『 優婆 塞戒 経』 があ り、

『三 宝絵 詞』 にも その 書名 の記 述が ある

。 この よう な「 優婆 塞」 が「 俗聖

」と 同義 であ ると する なら ば、 なぜ

『源 氏物 語』 は従 来使 われ てい た「 優婆 塞」 では なく

「俗 聖」 とい う語 を使 った のか

。古 くか ら 用い られ

、そ の存 在を 認識 され てい た「 優婆 塞」 では なく

、そ れま でに なか った

「俗 聖」 とい う語 句を 生み 出し た意 味は いっ たい 何な のか

。そ の意 図を 探る ため

、「 優

- 12 -

(3)

婆塞

」が どの よう に使 われ てい たの かを

『源 氏物 語』

、平 安時 代の 仏教 説話 集『 日 本国 現報 善悪 霊異 記』

(以 下『 日本 霊異 記』

)、

『今 昔物 語集

』か ら分 析し たい

。 三ー 一.

『源 氏物 語』 まず

『源 氏物 語』 にお ける

「優 婆塞

」を 考え る。

「優 婆塞

」の 用例 は二 例で

、前 掲 の橋 姫巻 の用 例と

、夕 顔巻 の次 の例 であ る。

「か れ聞 きた まへ

。こ の世 との みは 思は ざり けり

」と あは れが りた まひ て、 優婆 塞が 行ふ 道を しる べに て来 む世 も深 き契 りた がふ な 長生 殿の 古き 例は ゆゆ しく て、 翼を かは さむ とは ひき かへ て、 弥勒 の世 をか ね たま ふ。 行く 先の 御頼 めい とこ ちた し。

(夕 顔巻 一五 八頁

) 八月 十五 夜に 光源 氏が 夕顔 宅に 行き

、明 け方 近く に近 所か ら御 岳精 進を する よう な 声が 聞こ えた のを 受け て、 光源 氏が 詠ん だ歌 であ る。 これ は『 宇津 保物 語』 菊の 宴 の和 歌の 引用 であ ると の指 摘が ある

。( 注⑬

)夕 顔の 邸宅 は五 条大 路で あり

、そ こ で御 岳精 進す る声 を優 婆塞 の声 であ ると とら えて おり

、俗 世間 にお いて 仏道 修行 を する 優婆 塞の 姿が 描か れる

。古 注釈

『源 氏物 語提 要』 には 次の よう な記 述が ある

。 歌の こゝ ろは

、う はそ くは 俗な から 仏弟 子に 成た るを いふ 也、 契り は此 世の み なら す、 うは そく も来 世ま て祈 る心 同し きと 也。 そも 〱わ か朝 に、 山伏 とい ふ は、 文武 天皇 の御 宇に

、役 優婆 塞と いふ もの 有、 此人 は加 茂氏

、名 は小 角と 云 り、 大和 国か つら き郡 の人 也。

(中 略) 此人

、俗 なか らお こな ふゆ へに

、此 な かれ をく む人 を山 伏と いへ り。

(注

⑭)

『日 本霊 異記

』の 項目 で後 述す るが

、役 優婆 塞に つい ては 古く は『 続日 本紀

』や

『日 本霊 異記

』に 登場 する

。優 婆塞 や山 伏が 同一 線上 にあ るも ので あり

、「 俗な から お こな ふ」 とい う点 が判 断基 準で ある とと れる

。 次に

、『 源氏 物語

』に おけ る「 優婆 塞」 の用 例二 つ目 は前 掲し た橋 姫巻 であ る。 この 例で は、 八の 宮が 宇治 で俗 体の まま 仏道 修行 に励 む点 を優 婆塞 とと らえ てい る。 思ひ しや うに

、優 婆塞 なが ら行 ふ山 の深 き心

、法 文な ど、 わざ とさ かし げに は あら で、 いと よく のた まひ 知ら す。

(橋 姫巻 一三 三頁

「俗 体」 とい う点 が優 婆塞 とし て認 識さ れる 大き な要 因で ある が、 この 用例 は八 の 宮を 優婆 塞の よう だと 例え てい るの であ って

、夕 顔巻 の用 法と 同一 視で きな い。 橋 姫巻 の優 婆塞 はあ くま でも 例え であ って

、そ の範 疇を 出な い。 つま り、

「八 の宮

= 優婆 塞」 とい うと らえ 方は でき ない ので はな いか

また

、宇 治と いう 場所 が気 にか かる

。夕 顔巻 と橋 姫巻

、そ れぞ れ洛 中、 洛外 とい う違 いを どう 考え るか

。『 源氏 物語

』に おけ る優 婆塞 はた った 二例 であ るが

、各 々 の意 味合 いは 場所 の問 題と 結び つい て異 なる 様相 を持 つと 考え る。 ただ し、 場所 の 問題 は別 稿で 述べ たい

。 三ー 二.

『日 本霊 異記

』 次に

『源 氏物 語』 以前

、『 日本 霊異 記』 にお ける 優婆 塞に つい て考 えた い。 益田 勝実 氏が

『日 本霊 異記

』を

「私 度僧 の文 学と して 定義 され ねば なら ない

」( 注⑮

) と述 べて いる

。確 かに

『日 本霊 異記

』は 薬師 寺僧

・景 戒に よる もの で、 下・ 第三 八 縁に は自 ら私 度の 僧で ある こと を語 って いた り、 長ら く在 俗の 生活 をし てい た様 子 も記 述さ れて いる

。ま た、 半僧 半俗 の生 活を して いた 人物 の記 述も あり

、「 俗聖

」 に繋 がる 用例 とし て興 味深 い。

『日 本霊 異記

』に は「 優婆 塞」 が一 四話 で三 五例 ある

。『 日本 霊異 記』 にお ける 優婆 塞に つい ては

、関 口一 十三 氏の 論考 が詳 しい

。関 口氏 は用 例の 分析 から

、「

『霊 異記

』に おけ る優 婆塞 は、 山林 修行 者と して の像 が強 い」 と述 べる

。ま た、

『日 本 霊異 記』 は私 度僧 の文 学で ある とい う前 掲の 益田 氏の 論を 受け

、私 度僧 の中 でも 沙 弥と の比 較か ら、 優婆 塞の 特徴 を 優婆 塞は

、求 道者 とし て行 者に 繋が る可 能も 持ち なが らも

、同 時に

、在 家の 人 と仏 教を 結ぶ 架け 橋の よう な役 割も 同時 に担 って いる

(注

⑯) とす る。 確か に、 優婆 塞は 在俗 であ りな がら 仏道 修行 に励 む存 在と して

、俗 と聖 の 間に 位置 する

。仏 教を 普及 させ るに あた って

、架 け橋 的役 割を 果た す存 在と して そ の価 値を 得た のだ ろう か。 関口 氏の 指摘 以外 にも

、『 日本 霊異 記』 の優 婆塞 は祈 祷の 際に 禅師 と共 に招 集さ れる とい う点 にそ の特 徴が ある

。例 えば

「上 巻・ 慇懃 に観 音に 帰信 し、 福分 を願 ひ て、 以て 現に 大福 徳を 得し 縁第 三一

」で は 其の 娘女

、広 瀬の 家に して 忽然 に病 を得 て、 忩々 痛み 苦し び差 ゆる に由 无し

。 粟田 の卿

、使 を八 方に 遣は して

、禅 師・ 優婆 塞を 問ひ 求め しめ しと きに

(一

〇二 頁) のよ うに

、病 を治 す祈 祷師 とし て禅 師と 優婆 塞を 呼び 寄せ る。 また

、「 下巻

・非 理 を強 ヒて 以て 債ヲ 徴り

、多 の倍 を取 りて

、現 に悪 死の 報を 得し 縁第 二六

」で は 夢の 状を 伝へ 語り

、即 日死 に亡 す。 七日 を逕 るま で、 焼か ずし て置 き、 禅師

・ 優婆 塞三 十二 人を 請け 集め

、九 日の 頃、 願を 発し て福 を修 せり

( 。 三一 六頁

(4)

とあ り、 葬儀 の際 にも 召集 され てい たこ とが わか る。 これ 以外 にも 下巻

・第 三六 話 にも 病気 の祈 祷に 呼び 寄せ られ る優 婆塞 が登 場す る。 また

、「 上巻

・聖 徳太 子の 異し き表 を示 した まひ し縁 第四

」に は「 藉法 師の 弟子 円勢 師」 が登 場す るが

、そ の「 円勢 師の 弟子 の優 婆塞

」と して 優婆 塞も 登場 する

「上 巻・ 電の 憙を 得て

、生 まし めし 子の 強力 在り し縁 第三

」は 雷の 好意 によ って 授 けら れた 童子 が怪 力の 持ち 主と なり

、神 童と して 成長 する 話だ が、 その 童子 は後 に

「優 婆塞 と作 りて

、猶 し元 興寺 に住 み」

、そ の優 婆塞 の怪 力に より 寺の 田が 守ら れ たこ とか ら、

「寺 の衆 僧聴 して 得度 し、 出家 せし め、 名は 道場 法師 と号 く。

」と いう よう に、 在家 から 段階 を経 て出 家す るこ とが でき た。 また

、中 巻・ 第二 一話 には 金 鷲優 婆塞 と呼 ばれ る東 大寺 に居 る優 婆塞 が、 下巻

・第 二八 話に は貴 志寺 に居 る優 婆 塞が それ ぞれ 登場 する

。こ のよ うに

『日 本霊 異記

』に 描か れた 優婆 塞は 祈祷 の場 面 に欠 かせ ない 存在 であ り、 不思 議な 力を 持つ 存在 であ った

。そ の居 場所 は寺 であ り、 禅師 と行 動を 共に する よう であ る。

「下 巻・ 千手 の咒 を憶 持す る者 を拍 ちて

、以 て現 に悪 死の 報を 得し 縁第 一四

」に は優 婆塞 とな った 京戸 小野 朝臣 庭麿 が登 場す る。 庭麿 は修 行中 に役 人に どの 国の 者 かと 尋ね られ こう 答え る。

「我 は修 行者 にて

、俗 人に 非ぬ なり

」と

。優 婆塞 は在 俗 の仏 道修 行者 であ るか ら見 た目 は俗 人に 変わ りは 無い ので あろ う。 しか し,

、当 の本 人は 在家 であ ろう とも 俗と は切 り離 され た位 置に 居る と自 認し てい る。 しか もそ の 認識 は自 己認 識に 留ま らず

、周 囲も 禅師 と共 に扱 い、 寺に 置く など

、優 婆塞 を俗 側 では なく 限り なく 仏の 世界

、聖 側の 存在 とし て認 識し てい るこ とが

『日 本霊 異記

』 の先 の用 例か ら窺 えよ う。 また

、前 掲の 役優 婆塞 につ いて は「 上巻

・孔 雀王 の咒 法を 修持 して 異し き験 力を 得、 以て 現に 仙と 作り て天 を飛 びし 縁第 二八

」に その 記述 があ る。 これ は修 験道 行 者の 祖・ 小角 説話 の現 存で 最も 古い もの であ り、 史料 は『 続日 本紀

』文 武三 年五 月 二四 日の 条に ある

。『 日本 霊異 記』 に描 かれ てい るの は役 優婆 塞が 賢く 博学 で、 そ の力 量の 素晴 らし さを 称え る内 容で ある

。し かし

、『 続日 本紀

』で は呪 術を 使い

、 妖術 で人 を惑 わす よう な人 物と して 紹介 され

、『 日本 霊異 記』 の賞 賛と はそ の描 か れ方 の違 いが 大き い。 これ につ いて

、久 保田 展弘 氏は

「『 続紀

』と

『霊 異記

』と の編 纂の

、二 十数 年か ら三 十年 にお よぶ 時代 差が

、こ こで は役 小角 への 評価 のな かに

、 密教 の初 期か ら、 その 顕在 化へ の経 緯と して 語ら れて いる

」と 述べ

、宗 教活 動に 関 わる

「景 戒の

『霊 異記

』編 纂の 意図 を象 徴し てい る」 と言 う。

(注

⑰) 布教 活動 との 関わ りの 中で 優婆 塞に 対す る評 価や 認識 が大 きく 変化 した

、そ のよ うな 時期 が『 日 本霊 異記

』前 後で あっ たと 言え よう

三ー 三.

『今 昔物 語集

』 次に

『今 昔物 語集

』に おけ る優 婆塞 につ いて 確認 する

。『 今昔 物語 集』 は『 日本 霊異 記』 の影 響を 受け つつ

、他 には ない 多様 で膨 大な 量の 説話 を集 めて いる 点が 大 きな 特徴 であ ろう

。説 話を 語る 者と して

、池 上洵 一氏 は 浄土 教の 隆盛

、既 成教 団の 俗化 と硬 直化 は、 本寺 を離 れ別 所を 営み

、山 林で 修 業し

、各 地の 霊場 を巡 歴し

、ま たす すん で衆 庶の 強化 にむ かう 聖を 輩出 させ た。 とい う。

(注

⑱) 仏道 の普 及が 進み

、庶 民の 間に 浸透 すれ ばす るほ どに その 修行 の 場は 拡大 して いっ たの だろ う。

『今 昔物 語集

』で は優 婆塞 とい う語 は三 一例 あり

、そ の内 訳は 天竺 部が 七話 で一 六例

、本 朝部 が二 話で 一五 例で ある

。ま ず、 本朝 部の 二話 につ いて 見て いく

「巻 第一 一・ 役優 婆塞 誦持 呪駈 鬼神 語第 三」 には

「役 優婆 塞ト 申ス 聖人 御ケ リ。

」 とあ り、

「山 林苦 修の 呪術 的行 者の 象徴

」が 登場 する

。そ の優 婆塞 は鬼 神を 召使 い 働か せる

。あ る時

、鬼 神が 意見 を述 べる と、 それ に怒 った 役優 婆塞 は「 嗔テ

、呪 ヲ 以テ 神ヲ 縛テ

、谷 ノ底 ニ置 ツ。

」と いう よう に呪 術を 使っ て縛 り上 げる とい う残 忍 なこ とを する

。そ れを 取り 締ま るた めに 天皇 は動 くの だが

、役 優婆 塞は 逃亡 して し まう

。そ こで

「優 婆塞 母ノ 被捕 ヌル ヲ見 テ、 母ニ 替ラ ムガ 為ニ

、心 ニ態 ト出 来テ

、 被捕 ヌ。

」と いう よう に、 身代 わり とし て役 優婆 塞の 母が 捕ら えら れる

。そ れを 見 た役 優婆 塞は 母を 助け るた めに 舞い 戻り

、自 身が 捕ら えら れる こと とな る。 この 説 話は 後半 が欠 落し てお り結 末が どの よう にな った かは わか らな い。 しか し、 聖人 と 呼ば れ、

「御 ケリ

」と 敬語 表現 を用 いら れて いる 人物 にし ては 呪術 で鬼 神を 操っ た り、 母と いう 存在 と離 れら れず

、修 行者 にあ るま じき 俗世 への 執着 が見 て取 れる

。 敢え て敬 語表 現や

「聖 人」 とい う呼 称を 与え るこ とで

、後 半の 俗性 が際 立つ ので は ない だろ うか

。 もう 一話

、「 巻第 一七

・金 就優 婆塞 修行 執金 剛神 語第 四九

」に 注目 する

。こ の金 就優 婆塞 は山 寺を 作り

、そ の山 寺に 住ん でい た。 そこ では

「出 家シ テ仏 道ヲ 修行 セ ム」 と思 い修 行に 勤し んで いた

。そ のよ うな 話を 耳に した 天皇 は出 家を 許し 得度 さ せ、 金就 優婆 塞は 望み 通り

「比 丘」 とな った

。こ こで 冒頭 で確 認し た七 衆と その 得 度の 段階 を思 い出 して 欲し い。 優婆 塞は 得度 を受 ける こと で「 沙弥

」と なる はず で ある

。し かし 今回 はそ れを 飛び 越え て「 比丘

」と なっ た。 第四 九話 の話 末に は「 古 ヘハ 出家 ヲモ

、天 皇ノ 許サ レ無 クテ ハ、 輒ク 為ル 事無 カリ ケレ バ」 とあ り、 天皇 が 出家 に対 して 大き な力 を持 って いた こと が窺 える

。ま た、 沙弥 を飛 び越 え比 丘と な った こと も天 皇の 力が 関係 して いる ので はな いだ ろう か。 天皇 が感 銘を 受け

、天 皇

- 14 -

(5)

自身 の許 しに よる 得度

。そ の天 皇の 影響 力を 示す ため にも この 飛び 級は 必要 だっ た のだ ろう

。 では 天竺 部は どう だろ うか

。ま ず、 巻第 二・ 仏、 報病 比丘 恩給 語第 三は

「聊 ニ公 物ヲ 犯」 した 優婆 塞が 登場 する

。伍 百と いう 人物 はそ の罪 を犯 した 優婆 塞を 罰し よ うと する が、 優婆 塞が 善行 する 人物 であ ると 聞き

、罰 する こと をや めた

。こ れは 昔 の出 来事 で、 現在 その 優婆 塞は 仏と なっ てい るこ とが 話末 で判 明す る。 そし てち ょ うど 仏が 助け よう とし て いた 比丘 こそ が昔 自分 を助 けて くれ た伍 百で ある と仏 は 打ち 明け るの であ る。 優婆 塞が 仏に まで なり

、昔 の恩 を忘 れな い徳 の高 い姿 が描 か れて いよ う。 次に 巻第 三・ 羅漢 比丘

、為 感報 在獄 語第 一七 を見 てみ よう

。こ こに は「 深キ 山ニ 入テ 仏道 ヲ修 行シ テ、 終ニ 羅漢 果ヲ 得タ

」比 丘と

、郷 にい る優 婆塞 が登 場す る。 そ の優 婆塞 が、 比丘 が自 分の 牛を 盗ん だと 国王 に申 告し たこ とか ら比 丘の 人生 は大 き く変 わる

。獄 に入 れら れた 比丘 は 早ク

、此 ノ比 丘十 二年 ノ間

、頭 ヲ不 剃ザ リケ レバ 長髪 ニ成 テ自 然ニ 還俗 シ給 ニ ケリ

(二 四四 頁) とい うよ うに 髪を 剃ら ない こと でい つの まに か還 俗し てし まっ たこ とが 描か れる

。 しか しそ の姿 を俗 人と は言 わず

、『 今昔 物語 集』 は「 優婆 塞」 と呼 んで いる

。こ の 元比 丘の 優婆 塞は 獄門 を出 ると 光を 放っ て虚 空に 昇っ てい った とい う。 実は この 人 物は 現世 では 羅漢 を得 るほ どに なっ たも のの

、前 世の 不実 の罪 を負 って いた ため に 果報 を得 るこ とが でき なか った とい う。 この 話か らは 出家 をし

、得 度を 得て 悟り を 開く こと の難 しさ と還 俗へ の堕 落の しや すさ が窺 える

。 そし て、 同じ く巻 第三

・仏

、入 涅槃 給時

、受 純陁 供養 給語 第二 九は

「仏

、涅 槃ニ イリ 給ハ ムト 為ル 時ニ

、其 ノ座 ニ一 人ノ 優婆 塞有 ケリ

」と いう

、仏 が涅 槃に 入る 際、 優婆 塞を 傍に いて 供養 す るこ とを 許さ れた 話で ある

。優 婆塞 の仏 に対 する 思い を

「汝 ハ此 レ実 ノ仏 子也

」と 褒め 称え られ るほ どで あっ た。 また 第二 十九 話で は比 丘 を「 御弟 子」 と呼 んで いる

。 これ らの

『今 昔物 語集

』の 用例 を分 析す ると

、天 竺部 にお ける 優婆 塞は 同じ 在家 の出 家者 であ って も比 丘と は区 別し てお り、 そこ に大 きな 差異 を付 けて 表現 して い る。 そし て、 より 俗に 近い 存在 とし て描 かれ てい る。 特に 還俗 する こと

、堕 落す る こと のた やす さは 巻第 三・ 第一 七話 が描 いて おり

、そ の姿 を優 婆塞 だと 表し てい る こと は優 婆塞 の俗 性の 表れ でも あろ う。 本朝 部で は二 人だ けで はあ るが

、同 じ優 婆 塞と 呼ば れて いて もそ の二 人の 本質 には 大き な違 いが ある

。呪 術を 使い 鬼神 を操 る

姿。 そこ まで 力を 得た にも 関わ らず 母に 対す る執 着を 捨て きれ ない 姿。 一方 では 山 寺で 修行 に勤 しみ

、比 丘に まで 飛び 級す るほ どの 真摯 な姿

。一 見真 逆な 優婆 塞の 姿 では ある が、 根本 は悟 りを 開く こと の難 しさ と真 面目 に修 行す るこ との 重要 性を 説 くた めに 設定 され たの であ って

、実 際に 優婆 塞も 揺れ に揺 れ、 悩み を抱 える 存在 な ので ある こと が窺 える

『今 昔物 語集

』を 考察 する に当 たっ て欠 いて はな らな いも のが ある

。そ れは 出典 との 関わ りで あろ う。

『今 昔物 語集

』で は「 俗」 と表 記さ れて いる が、 出典 では

「優 婆塞

」と なっ てい る例 があ る。 例え ば『 今昔 物語 集』 巻第 一二

・僧 死後 舌残 在山 誦 法花 語第 三一 では

「俗 二人 ヲ副 ヘテ 共モ ニ遣 テ令 送ム

。」 とあ る「 俗」 の部 分が

、 出典 の『 日本 霊異 記』 は「 優婆 塞二 人を 共に 副へ

、使 に遣 りて 見送 らし めた まふ

。」

(下 巻・ 第一

・一 三〇

)と あり

、「 優婆 塞」 であ るこ とが わか る。 また 同様 に『 今昔 物語 集』 巻第 一三

・摂 津国 多々 院持 経者 語第 六で は「 而ニ

、其 ノ傍 ニ一 人ノ 俗有 リ。

」 が、 出典 であ る『 大日 本法 華経 験記

』は

「優 婆塞 あり

。」

(巻 上・ 第三 二・ 九一

)と

、 先の

『日 本霊 異記

』の 用例 と同 じく

「俗

」が

「優 婆塞

」と され てい る。 そし て『 今昔 物語 集』 が「 俗」 と変 更し た『 日本 霊異 記』 の「 優婆 塞」 の話 で、 多く 議題 に上 るも のが

『日 本霊 異記

』中 巻・ 愛欲 を生 して 吉祥 天女 の像 に恋 ひ、 感 応し て奇 しき 表を 示し し縁 第一 三で ある

。こ れは

『今 昔物 語集

』巻 第一 七・ 吉祥 天 女摂 像奉 犯人 語第 四五 が該 当す る。 聖武 天皇 の御 世に 信濃 の優 婆塞 が和 泉の 国の 血渟 上山 寺に 住み

、そ こに あっ た吉 祥天 女の 像に 愛欲 の念 を起 こし て「 天女 の如 き容 好き 女を 我に 賜へ

」と 祈り 願っ た。 する とあ る夜

、天 女の 像と 交接 する 夢を 見る

。天 女の 像の 裳の 腰の 辺り が不 浄の 染 みで 汚れ てい た。 その 事を 優婆 塞は 恥じ 誰に も言 わな かっ たが

、弟 子が どこ から か その 話を 耳に し里 に触 れ回 って しま った たた めに 正直 に優 婆塞 は話 した

、と いう 話 であ り、

「深 く信 ずれ ば、 感の 応え ぬと いふ こと 旡き こと を。

」説 く説 話で ある

。益 田勝 実氏 は前 掲書 の中 で 有髪 の人 とは いえ

、優 婆塞 は仏 道に 志し た人 であ る。 かれ は愛 欲の 妄執 にと ら われ てい る。 天女 の像 を恋 し、 愛欲 の念 を抱 くよ うに なっ たの だ。 とこ ろが

、 吉祥 天女 は、 かれ の心 を潔 め、 かれ の心 に深 い信 仰を 起こ させ ない ばか りか

、 自ら 現じ て、 かれ と交 わり を結 ぶ。 仏の 方便 によ る済 度と いう こと があ る。 し かし

、こ れは かれ の恋 情を カタ ルシ スへ 向か わせ るべ きも ので あろ うか

。方 便 とい いき れな い方 便。 が、 この 話を 話し 伝え る人 々は

、そ のと もに 迷い

、と も に淫 欲に 沈み たま う天 女に 救い を感 じる ので ある

。現 報― 景戒 もい う、

「ま こ とに 委る

。深 く信 くれ ば、 感の 応ぜ ざる なき こと を」 と。 これ はみ 仏の 教え に

(6)

かな って いる のだ ろう か。 この 話の 話し 手・ 聞き 手た ちに はそ の反 省は 必要 な いの であ る。 彼ら は人 間ら しい もの を求 めて いる

。求 めて やま ない

。( 注⑮

) と言 い、

「垢 まみ れの 信仰 の道

」の 様子 を伝 える 話だ とし てい る。 また

、『 今昔 物語 集』 が「 優婆 塞」 を「 俗」 に変 えた 点に つい ては 竹村 信治 氏が

結果

、後 段の 暴露 者(

「弟 子」

)の 存在 との 齟齬 をき たし

、( 中略

)〝 性愛 への 情動

〟を 反仏 教的 な〝 愛欲

〟と みな して 断罪 する 仏教 言説 の秩 序観 を徹 底さ せよ うと する とこ ろに 出来 した もの であ ろう

。つ まり

、そ こに ある のは 仏教 言 説に よる 生活 世界 の〝 翻訳

〟の

、全 き遂 行者

、す なわ ち『 霊異 記』 言語 主体 か ら〝 たゆ たい

〟〝 とま どい

〟を 差し 引い た、 仏教 言説 をも って 生活 世界 の〝 性

〟を 抑圧 し、 自ら の〝 性〟 をも 呪縛 して いる 主体 の姿 であ る。

(注

⑲) と述 べて おり

、『 今昔 物語 集』 は『 日本 霊異 記』 を書 き換 える こと でよ り仏 教の 秩 序を 徹底 させ るこ とが 目的 であ った とい う。 民衆 への 仏教 信仰 の浸 透を 図っ てい た

『今 昔物 語集

』に おい ては 少々 差異 をつ け、 誇張 する 必要 もあ った ので あろ う。

『今 昔物 語集

』の 優婆 塞の 用例 が九 話な のに 対し

、出 典の 優婆 塞を 俗と 変更 した 用例 は四 話で ある

。し かも その 四話 は全 て本 朝部 に属 し、 先に 分析 した 本朝 部の 優 婆塞 も限 りな く俗 に近 い存 在で あっ た。

『今 昔物 語集

』は

「仏 教言 説の 秩序 間の 徹 底」 を遂 行す るた めに 在俗 と出 家者 の区 別を も徹 底し たの では ない だろ うか

。出 典 は在 俗と は云 えど 修行 の身 であ るも のを 聖と 俗の 狭間 に位 置づ け「 優婆 塞」 とし て いる のに 対し

、『 今昔 物語 集』 は完 全な る出 家の 状態 とそ れ以 前を はっ きり と区 別 して いる

。聖 と俗 の狭 間に は大 きな 隔た り、 壁が 存在 する ので ある

。仏 教の 立場 か らは

「優 婆塞

」と いえ ど俗 世界 のも ので ある こと に変 わり は無 く、 悟り を開 いた 出 家者 とは 大き な隔 たり があ るこ とが 考え られ よう

。ま た悟 りを 開く こと がい かに 困 難で あっ たか を窺 うこ とが 出来 る。 三ー 三 まと め 以上

『源 氏物 語』 と『 日本 霊異 記』

、『 今昔 物語 集』 の優 婆塞 がど のよ うに 描か れ てい るの かを みて きた

。こ こか らは 仏教 説話 集で ある

『日 本霊 異記

』と

『今 昔物 語 集』 を』 比較 した とき

、優 婆塞 の位 置づ けが 変化 して いる こと がわ かる

。『 日本 霊 異記

』で は霊 験を 持ち

、修 行熱 心な 高徳 な姿 を取 り上 げた り、 禅師 と共 に祈 祷の 場 に呼 ぶ様 など を描 くこ とで 優婆 塞が 限り なく 聖の 側で ある こと を示 して いる

。祈 祷 の場 面に 関し て言 えば

、『 源氏 物語

』に 優婆 塞が 祈祷 師と して 登場 する こと はな い。 祈祷 には 僧が 登場 する

。『 日本 霊異 記』 が優 婆塞 を賞 賛す る形 で描 くの は布 教活 動 との 関わ りが 大き い。 語弊 を恐 れず に言 えば

、『 日本 霊異 記』 が意 図的 に操 作し た

価値 とも 言え るの では ない だろ うか

。そ の一 方で

『今 昔物 語集

』は 優婆 塞を 限り な く俗 の側 の存 在で ある とし て描 き、 出家 の難 しさ を説 く。 それ もま た『 今昔 物語 集』 の意 図に よっ て操 作さ れた 価値 と言 える

。 この よう に、 優婆 塞と いう 一つ の存 在を とっ ても その 時代 によ って 評価 が異 なり

、 また その 目的 意識 によ って もそ の価 値は 揺ら ぐ。 これ らの 作品 の成 立年 代を 考慮 す ると

、こ の『 日本 霊異 記』 から

『今 昔物 語集

』の 間の 優婆 塞の 位置 づけ が変 化す る その 間に

『源 氏物 語』 があ る。 その ため この 変化 の影 響を

、そ の揺 らぎ を『 源氏 物 語』 も受 けて いる 可能 性が ある ので はな いだ ろう か。 四. おわ りに ここ で本 来の 問題 であ った

、な ぜ「 俗聖

」で なけ れば なら なか った のか につ いて 考え てみ よう

。宇 治の 八の 宮は 在俗 にい なが らに して 道心 深く

、阿 闍梨 も「 まこ と の聖

」と 言う ほど に仏 道修 行に 熱心 であ った

。宇 治と いう 都か ら離 れた 山里 での 修 行を し、 表面 上は 優婆 塞と 何等 変わ りは ない であ ろう

。確 実に 出家 をす るた めに は 娘達 との 縁を 切り

、山 寺に 籠も り、 得度 を受 ける 必要 があ った

。し かし

『今 昔物 語 集』 の例 から もわ かる よう に、 優婆 塞と は限 りな く俗 に近 い存 在で あり

、そ の得 度 にた どり 着く には 長い 道の りを 経、 様々 なも のを 断ち 切ら ねば なら ない

。そ れが 八 の宮 には 出来 なか った から こそ

「優 婆塞 なが ら」 であ った ので あろ う。 娘た ちと の 縁を 切る こと が出 来ず

、絆 にと らわ れる 姿は まさ に「 垢ま みれ の信 仰の 道」 にほ か なら ない

。ま た、 八の 宮の 修行 に対 する 姿勢 や環 境と いう 表面 だけ を見 れば 優婆 塞 の宮 で事 足り る。 実態 とい う観 点か ら見 れば

、八 の宮 は優 婆塞 であ り、 実態 は「 俗 聖」 も優 婆塞 と同 じな ので ある

。 しか し「 俗聖

」で なけ れば なら なか った

。 それ は、 聖俗 の狭 間に 位置 し、 たゆ たう 物語

・人 物・ 風景 とい った もの を造 型す る上 で「 俗聖

」で あっ たの だろ う。 つま り、

『源 氏物 語』 が本 質的 に抱 える 問題 意 識ゆ えに

「俗 聖」 とい う語 は生 まれ たの であ り、

「俗 聖」 とい う言 葉に は優 婆塞

、 在家 の仏 道修 行者 とい う意 味だ けで はな い、 より 大き な深 い意 味が 込め られ てい る ので はな いだ ろう か。 その 実態 性だ けで はな く、

「俗 聖」 とい う言 葉に 課せ られ た 問題 は優 婆塞 の位 置づ けの 変化 から も窺 える よう に、 出家 や仏 道に 対す る問 題意 識 の投 影で もあ るの では ない だろ うか

。「 俗聖

」は

「俗

」対

「聖

」と いう 単純 な二 項対 立の 図式 を意 味す る語 では なく

、「 俗聖

」と いう 一塊 の語 ゆえ の理 由が ある はず で ある

。今 後、

「俗 聖」 と『 源氏 物語

』宇 治十 帖の 構造 の関 係性 につ いて

、別 稿に 記し たい

- 16 -

(7)

(注

) 本稿 中の 引用 本文 は次 の通 りで ある

『日 本霊 異記

』 新編 日本 古典 文学 全集 一〇 中田 祝夫 一九 九五 年五 月一

〇日 小学 館

『源 氏物 語①

~⑥

』 新編 日本 古典 文学 全集 二〇

~二 五 阿部 秋生 秋山 虔 今井 源衛 鈴木 日出 男 一九 九四 年三 月一 日~ 一九 九八 年四 月一 日 小学 館

『今 昔物 語集

①~

④』 新編 日本 古典 文学 全集 三五

~三 八 馬淵 和夫 国東 文麿 稲垣 泰一 一九 九九 年四 月二

〇日

~二

〇〇 二年 六月 二〇 日 小学 館

『今 昔物 語集 一』 新日 本古 典文 学大 系三 三 今野 達 一九 九九 年七 月二 八日 岩波 書店

『徒 然草

』 日本 古典 文学 全集 二七 神田 秀夫 永積 安明 安良 岡康 作 一九 七一 年八 月一

〇日 小学 館

①三 谷邦 明著

「物 語文 学の 方法Ⅱ

」一 九八 九年 六月 一〇 日 有精 堂

(第 一七 章「 源氏 物語 第三 部の 方法

―中 心の 喪失 ある いは 不在 の物 語―

」)

②原 岡文 子著

「源 氏物 語 両義 の糸

―人 物・ 表現 をめ ぐっ て―

」一 九九 一年 一月 二五 日 有精 堂

(九 宇治 の阿 闍梨 と八 の宮 二一 一頁

③原 陽子

「薫 にと って の匂 宮―

「俗 聖」 薫を 支え るも の―

(早 稲田 大学 大学 院中 古文 学研 究会 編「 源氏 物語 と平 安文 学 第三 巻」 一九 九一 年 五月 二五 日 早大 出版 部 四二 頁)

④辻 和良

「「 俗/ 聖」 八の 宮 恋と 道心 と中 心の 無効 化」

(関 根健 司編

「源 氏物 語 宇治 十帖 の企 て」 二〇

〇五 年一 二月 一一 日 おう ふう 四一 頁)

⑤平 安時 代以 前に おけ る「 俗聖

」の 用例 は管 見の 限り 見当 たら ず、 同時 代の 作品 と して

、『 赤染 衛門 集』 流布 本系 統の 詞書 に見 られ る。 花見 に俗 ひし りの たう のに はに

、花 いみ しう ちり つも りて

、人 かけ も見 えす

、 ひし りの はら ひつ くろ ひし 思出 きて

声を 聞し ぬし なき 宿の には 桜ち りつ もる とも たれ かは らは ん( 四一 八番

) しか し、 異本 系統 には

ひし りの たう の庭 に、 花い みし く ちり つも りて

、人 かけ もみ えす

、ひ しり の あり

時は

、つ くろ ひし

、お もひ いて られ て うへ をき しぬ しな きや との 花桜 ちり つも ると もた れか きよ めん

(二 一三 番) とあ り、 流布 本と 異本 では 詞書 が異 なっ てい る。

『赤 染衛 門集

』の 成立 につ いて

「流 布本 と異 本の 成立 の先 後関 係は

、恐 らく

、雑 纂の 流布 本が

、先 に、 赤染 の自 撰と し て成 り、 後に 異本 が、 赤染 自身 か又 は他 人に よっ て精 撰類 纂さ れた ので あろ う。

」 とあ るが

、現 状で は「 俗ひ しり

」と

「ひ しり

」に 明確 な区 別が あっ て用 いら れて い ると は言 えな い。 この よう に「 俗聖

」と いう 言葉 の用 例は 少な く、

『源 氏物 語』 が 書か れた 当時

「俗 聖」 が流 布し てい た言 葉で ある とは 言え ない ので はな いだ ろう か。 また

『源 氏物 語』 にお いて も「 俗聖

」は

「こ の若 き人 々の つけ たな る」 呼称 であ り、

『源 氏物 語』 独自 の意 味を 考え なけ れば なら ない

『私 家集 大成

』第 二巻 中古Ⅱ

和歌 史研 究会 編 一九 七五 年五 月二

〇日 明治 書院

⑥「 紫の ゆか り」 につ いて は、 櫛井 亜依

「『 源氏 物語

』「 紫の ゆか り」 考

―歌 語と して の「 紫」 を視 座に

―」

(「 同志 社国 文学

」七

〇号 二〇

〇九 年三 月二

〇日

)が 詳 しい

⑦田 坂憲 二編

「源 氏物 語古 注集 成 第一 八巻 紫明 抄」

(お うふ う 二〇 一四 年五 月二 五日

⑧『 源氏 物語 奥入

』九 曜文 庫 早稲 田大 学図 書館 古典 典籍 総合 デー タベ ース

http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko30/bunko30_a0076/index.html

⑨清 水婦 久子 著

「源 氏物 語の 巻名 と和 歌― 物語 生成 論へ

―」

(和 泉書 院 二〇 一四 年三 月一

〇日

⑩「 時代 別国 語大 辞典 上代 編」 上代 語辞 典編 修委 員会

(三 省堂 一九 六七 年一 二月 一〇 日)

⑪『 皇太 神宮 儀式 帳』 京都 大学 附属 図書 館所 蔵 平松 文庫

(京 都大 学電 子図 書館

http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/h248/image/01/h248s0001.html

⑫魚 尾孝 久「 日本 霊異 記に おけ る優 婆塞

(夷

)の 位置

」(

「國 文學 試論

」第 十号 一

(8)

九八 五年 三月

⑬テ キス ト頭 注

⑭稲 賀敬 二編

「源 氏物 語古 注集 成 第二 巻 今川 範政 源氏 物語 提要

」( 桜楓 社 一九 七八 年一 一月 二〇 日)

⑮益 田勝 実著

「古 典と その 時代Ⅴ

説話 文学 と絵 巻」 一九 六〇 年二 月二 一日 三一 書房

(説 話文 学の 方法

(一

)・ 三『 日本 霊異 記』 の方 法 八二 頁)

⑯関 口一 十三

「日 本霊 異記 の優 婆塞 像」

(『 上代 文学

』九 八巻 二〇

〇七 年四 月三

〇 日)

⑰『 新編 日本 古典 文学 全集 一〇

』中 田祝 夫 一九 九五 年五 月一

〇日 小学 館 月報 一八

(一 九九 五年 八月

⑱秋 山虔 編「 王朝 文学 史」

(東 京大 学出 版会 一九 八四 年六 月三

〇日

⑲竹 村信 治「 吉祥 天像 に魅 せら れた 優婆 塞―

『日 本霊 異記

』か ら『 今昔 物語 集』 へ の展 開」

(「 国文 学解 釈と 鑑賞

」第 六九 巻一 二号 二〇

〇四 年一 二月

- 18 -

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