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がいかず︑先生に反発してしまう︒私も中高時代︑先生とは意見が合わず反発しましたね︵笑︶︒そもそも先生の言うことを聞く子が〝良い子〟とされること自体︑おかしいと思っていましたからね︒
たとえば中学時代は小学校の復習をしながらみんなに追いつく必要がありました︒在籍学年の授業とは関係のない基礎からの勉強もしなければなりません︒復習しながら学ぶことで友達に説明をする︑そういう経緯から私の説明がわかりやすかったようで︑友だちから﹁教えて﹂と言われると︑席を立って教えてあげたりしていました︒いろいろ言うことを聞かないことで先生から注意され︑私はそれに反論してと︑しょっちゅう言い合いながら﹁自分がもし教師になったら︑こうはならないぞ﹂と思ったのを覚えています︒ 啓明学園で芽生えた子供を助けたいという想い
専門である数学を指導することになったのは︑啓明学園中学校高等学校です︒ここにはアメリカを始め様々な国からの帰国生が在籍するグローバルな環境が広がっていました︒また日本国内で学ぶところがなく︑各地を転々としている子︑なかにはすがる思いで啓明学園に来ている子もいました︒そういう実情を目の当たりにし︑そして︑三井先生ご夫妻の熱心で信念あふれる指導にふれるうちに︑﹁ここで頑張ろう!﹂と思うようになり︑そのご縁から今では理事長を務めさせていただいています︒
世間で〝悪い子〟とされている子は︑本当は悪いことが少なく︑反対にピュアであることが多いのです︒ピュアだからこそ理不尽なことに納得 いつか丈夫になったら困った人を助けたい
4人兄弟の次女の私は︑長女や三女︑弟は元気なのですが︑身体が弱く︑小学校も休みがちでした︒クラスでもたまに〝学校に来る子〟という存在で︑当然︑勉強にも遅れが出ます︒気を遣ってくれた家族は﹁無理に勉強しなくていい﹂と言ってくれたのですが︑その反面︑寂しい思いもありました︒
父が船員だったため家にはお手伝いさんがいて︑その女性が私の身の回りのことを 海外にルーツを持つ生徒が約3割と︑多様性に富む啓明学園中学校高等学校︵東京・昭島市︶︒現在︑理事長を務める北原都美子さんは大学を卒業後︑啓明学園に奉職されました︒当時めずらしかった外国人生徒と多く接し︑また長く教員を続けるなかで︑どのようなことを感じてこられたのか︒教育の真髄をお聞きしました︒
30 〜 99 人の事業所の平均給与は 412 万円で 18 年比で約 5% 減少。10 〜 29 人は 404 万円で約 3.9% 減、10 人未満は 340 万円で約 4.9% 減少した。一方、100 人以上の企業では増加しており 5 千人以上の大企業は 516 万円と約 0.9% 増となった。
◆民間企業で働く人が 2019 年の 1 年間で得た給与は平均 436 万円で、18 年に比べ約 1%(4 万 3 千円)減り、7 年ぶりにマ イナスとなったことが 9 月 29 日、国税庁の民間給与実態統計調査で分かった。事業所の規模別に平均給与を見ると、従業員が →
→ 2020 November
未之知也
話し手・北原都美子/聞き手・山田未知之
めるのではない︑こういう生き方もあるのだ﹂と︑子供ながらに感じました︒それを理解するようになってからは︑﹁いつか私も丈夫になったら︑困った人を助けたい!﹂と思うようになりました︒
ひょんなきっかけで教育の道へ
中学になると体調もよくなり通学できるようになったのですが︑勉強についていけません︒たとえば分数 は︑1/5×5=1を解けるのがやっとといった状態︒しかし︑なんとか遅れを取り戻し︑高校︑大学と進学しました︒ 教員になるつもりは全然なかったのですが︑進学した東京理科大学で数学の松尾吉知先生のお手伝いをしていると︑啓明学園を創設された三井高維先生がお見えになって﹁数学の教員を探してほしい﹂とお困りのことでした︒現在︑幼稚園から高校まである啓明学園は︑イギリスに留学していた高維先生が帰国にあたり 帰国子女や外国籍の子どもを受け入れる学校として創設されました︒ 松尾先生と一緒に三井先生が求められたスキルを持つ教員を探したのですが見つからず︑しまいには高維先生に﹁あなたに手伝ってほしい﹂と言われました︒同時に︑松尾先生からも﹁3カ月間だけ手伝ってほしい﹂と頼まれた上︑もともと子供が大好きということもあり︑引き受けることにしました︒また︑高維先生や奥様である英子先生の熱心さも︑私の背中を押しました︒
人生︑焦る必要なんかない
当時︑啓明中学校高等学校の国際学級には数学の教員が1人しかいなかったため︑とにかく授業が途切れないよう心がけました︒幼い子を抱えている私は︑毛布に子供をくるみ授業をしたこともあります︒
また学園で﹁国際生﹂と呼んでいる帰国生や外国籍の生徒︑ダブル︵=ハーフ︶の子は︑寮で生活をしている子もいました︒寮生のなかには数学がかなり苦手な子がおりました︒週2回︑
19時から
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時までボランティアで教えたこともあります︒こうした活動を自然にできたのは︑やはり父からの影響が大きかったといえるでしょう︒
三井先生は当時から︑﹁国際生のような海外にルーツを持つ人と︑協働しなければならない時代が絶対に来る﹂
東京理科大学専攻科卒業。 啓明学園数学科教諭、他校の校長・
副校長を経て、啓明学園理事長・学園長に就任。現在に至る。
国際理解教育と理数教育のエキスパート。世界数学教育国 際会議、第一回東アジア数学教育国際会議にて成果発表を 行う。東京理科大学数学教育研究会副会長、東京都立高等 学校数学教育研究会副会長、全日本高等学校オーケストラ 連盟会長を歴任。東京都教育功労表彰を受賞。
未之知也 第
回 89
とおっしゃっていました︒私もそれに共感し︑生徒たちを大事に育ててきたつもりです︒
そのなかで︑世の中捨てたものではないと感じることも多くありました︒国際生の調子悪い時は︑近所に彼らを診てくれるお医者さんがいましたし︑私自身︑生徒を預かることもあったため夕食の食材を買いに行くと︑それを汲んだ肉屋さんがおまけをしてくれたり⁝︒周りが助けてくれました︒
私が教員を経験してきた中で大切だと思うことは︑﹁教えること﹂ではなく︑﹁子供のことを心から好きかどうか﹂です︒子供の心を察しながら︑何をしてあげられるか︒それに尽きると思います︒そして私も小さい時は苦労しましたので︑人生︑焦る必要ないと考えていま 世話してくれていました︒ある夜︑母との会話から︑この人は家族ではないのだと気づき︑家にこもりがちだった私が世の中の仕組みを知り︑1つ大人になった印象深い出来事で︑今でも思い出に残っています︒
家にはお手伝いさんのほかに︑戦争孤児の方がいました︒過去に医者として活躍していましたが︑その人も実の兄だと思っていました︒後から分かったことですが︑父が困った人を支援していたのです︒﹁自分たちの生活の豊かさだけ追い求
北原 都美子(きたはら・とみこ)
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す︒勉強でもスポーツでも︑自分が気づいた時に始めればいい︒そう思います︒