歴史資料保全活動の3年、そして未来
阿 部 浩 一
は じ め に
東日本大震災から丸3年を迎えた2013年3月11日、『福島民報』は震災3 年の連載特集として文化財の問題を大々的に取り上げた。その約1週間前、
『福島民友』も歴史資料保全に関する福島大と東北大との共同プロジェクト研 究報告書を目にとめ、取材記事を掲載した。震災以後、志を同じくする学内外 の仲間たちとともに歴史資料保全活動に精力を注ぎ、その思いを『ふくしま再 生と歴史・文化遺産』(山川出版社刊)というかたちで世に送り出す役割をは たした者としては、マスコミがようやく文化財や歴史資料の保全に本格的に目 を向けてくれるようになったかと思うと、感慨も一入であった。
ただ、こうした状況を手放しで喜べるほど、現状は決して楽観できるもので はない。否、むしろ事態はより深刻さを増していると言った方が正しいだろ う。警戒区域の再編にともない、帰還に向けて除染・解体事業が本格的に始 まった地区では、家屋の解体にともなってさまざまな歴史資料が日の目を見な いまま廃棄されてしまう可能性が日に日に高まっているのである。
また、県内での報道が相次いだわりには、地域住民の中から地元の歴史資料 を護ろうという主体的動きがなかなか表立って見えてこない。本来ならば、旧
を護ることによってどんな意味があるのかを理解してもらうことは、決して容 易なことではない。歴史資料となりうるものは意外と身近なところにあるのだ が、大方にとっては何代も続く名家に大事に保管されているものだというイ メージが強いため、自分の家にもあるのだという意識に乏しい。土蔵の奥深く にしまわれてしまうと存在そのものが忘れられ、たまたま目に留まっても、墨 で読めない字で書かれた埃まみれの古臭い紙の束にしか見えないため、被災す れば瓦礫とともに廃棄されてしまう。もっといえば、被災の有無にかかわら ず、世代交代によって次第に関心が薄れ、遺品の整理や家屋の改築が行われる 際などに、不用品とともに廃棄されることも珍しくない。
それが1軒、2軒というのなら、日本全国どこにでも日常的に起きうること である。問題は、被災によって地域から丸ごと歴史資料が消滅する危険性が目 の前で生じていることである。このまま何もせず手をこまねいていていいの か。しかし、自分にはたして何ができるのだろうか。焦燥感に駆られながら も、自問自答する日々が続いている。
さて、五味文彦氏は鴨長明の『方丈記』を引き合いに「被災を受けた人々、
それを実感した人々が絶えずメッセージを発信する。発信して、新しい問題を 提起していくということが大事になる。」と述べている(1)。本号の「震災3年 特集」の企画の報に接し、まがりなりにも福島県の歴史資料保全活動に関わっ てきた者の一人として、自らの経験をもとにこの3年間の足跡を書き記してお くことも、決して無意味ではないと感じ、筆をとった次第である。これまでも 類似の駄文をさんざん書き散らした末に、なお屋上屋を重ねるのかとの謗りも あろうが、それは甘んじて受けることにしよう。あわせて、未来に向けて何か しらの展望を開ければと思う。
福島県における歴史資料保全活動と福島大学
歴史研究者による歴史資料保全活動は、1995年の阪神・淡路大震災での神 戸大学・奥村弘氏を中心とする歴史資料保全ネットワークの活動を嚆矢とす る(2)。特に1990年代以降、列島規模での相次ぐ大規模地震、また昨今の異常 気象とりわけ夏の集中豪雨のような自然災害を受けて、被災地の大学や博物館 などを中心に構成されるネットワークが組織され、被災した歴史資料を保全す る活動が各地で展開されていった。
そうした流れの中から、災害時の緊急対応を契機とするものばかりでなく、
来るべき災害に備える「予防型ネットワーク」も次第に組織されるようになっ た。福島県の場合はこの範疇に分類されるが、ネットワーク設立の動きは大学 から提唱されたものではなく、福島県の文化事業を担う外郭団体である㈶福島 県文化振興事業団(現在は公益財団法人福島県文化振興財団)から始まったも のであった。2006年のふくしま文化遺産保存ネットワーク設立がそれにあた る。その発展的解消により2010年に発足したのが現在のふくしま歴史資料保 存ネットワークである。
ふくしま歴史資料保存ネットワークの特色は、従来の大学・博物館・資料館 など専門家を主体とするものではなく、自治体や地元住民の広範な参加に基づ く市民ネットワークを標榜した点に求められる。ネットワーク設立の動きが大 学から始まったものではなかったことや、福島大学の活動の担い手としての基 盤の弱さも大いに関係していたことであろう。東日本大震災の広範かつ未曾有 の被害を鑑みても、大学や博物館・資料館だけでは到底カバーしうるものでは なく、市民ネットワーク型を追求するという姿勢は正しかったといえる。
導型にならざるをえなかった。特に福島県の場合は、県土の広さに比して大 学・博物館・資料館および専門家の数があまりにも少ないことに加え、関係者 全員が活動に参加できたわけでもない。そうなると、福島大学の歴史系教員に 求められる役割は自ずと大きいものとなってくる。
かくして、東日本大震災後には福島大学に事務局が置かれ、菊地芳朗氏に続 いて2012年7月からは筆者が代表をつとめることになる。結果として、ふく しま歴史資料保存ネットワークは大学主導型となり、漸次市民ネットワーク型 への移行をめざすこととなった。
ところで、平川新氏によれば、2012年段階で23県に資料ネットワークある いはそれに比した組織が設立されているという(3)。そのほとんどが地元の大 学(特に国立)を中心とするものである。今や大学の研究者による歴史資料保 全活動は全国各地で定着しつつあるといえよう。
それはすなわち、歴史資料保全活動が大学による新たな地域貢献のモデルと なりうることを示唆している。たとえば、神戸大学の文部科学省採択特別プロ ジェクト「地域歴史遺産保全活用教育研究を基軸とした地域歴史文化育成拠点 の整備」は、大学が歴史資料保全活動を通じて地域の歴史遺産を保全するだけ でなく、それらを生かして地域の歴史文化の育成を支援する役割を有している ことを、豊富な実例報告を通じて明らかにしている。
これまでの大学の歴史系教員の社会的役割といえば、自治体史の編纂が代表 的であった。福島大学でも、日本中世史の故小林清治氏(教育学部)がその大 半を手掛けてきたことで名高い。また、筆者の前任である伊藤喜良氏も自治体 史編さんにとどまらず、日本史教科書の執筆や文化財保護審議員などで多大な 社会貢献をはたしてきた。福島大学の日本中世史研究の名だたる前任者たちの 後を継ぐという重圧を抱えながら、地域貢献を旗印に特色ある教育・社会活動 を展開してきた行政政策学類の一員としてこれから何をすべきか、それが着任 当初の自分に突き付けられた課題でもあった。
幸いにして伊藤先生と半年間研究室を隣にして(今思えば)気ままな日々を
送ったのち、伊藤先生が特任教授の任を終えられ、そろそろ真面目に自分の役 割を考え始めなければと思っていた矢先の出来事であった。忘れもしない3月 11日を境に、突然、歴史資料保全活動の現場に放り出されることになったの である(余談ながら、翌12日には伊藤先生を囲んでのおつかれさま会が予定 されていた)。
かくして3年余、振り返る間もなく歴史資料保全活動に邁進してきたわけだ が、偶然にしては奇妙な巡り会わせである。ある先学から「阿部さん、これは 運命だよ。」と言われたことがあるが、あたかも福島で歴史資料保全活動を担 うために本学に着任したかのようなタイミングのよさ(?)である。もし本学 への着任が半年前倒しされることなく、2011年4月であったなら、福島県の 歴史資料保全活動はいったいどうなっていたことであろうか。そう考えると、
自分が福島大学に来てはたすべき役割は何なのか、その答えは端から用意され ていたのかもしれないと思うようになった。震災があろうがなかろうが、歴史 資料保全活動はいずれどの地方大学でも必須の活動になる。それが東日本大震 災によって有無を言わさず背中を押されたのだとするならば、不謹慎に聞こえ るかもしれないが、「災い転じて福となす」ととらえなおし、前任者たちとは 異なる「歴史資料保全活動」という新たな歴史系教員の地域貢献のあり方を模 索していくことが、自らに課せられた使命だということなのであろう。
ところで、震災後の神戸で設立された「人と防災未来センター」には震災関 連の資料を収集・保存し公開するための資料室が設置され、新潟大学災害・復 興科学研究所では危機管理・災害復興分野において、災害時の資料保全研究を 基礎とする文化復興のための地域歴史研究の方法が明確に位置づけられてい る。東日本大震災後に新設された東北大学災害科学国際研究所でも、人間・社 会対応研究部門に歴史資料保存研究分野が設置されている。今や災害復興支援
その時流に従えば、福島大学うつくしまふくしま未来センター(FURE)に 歴史資料担当が設置されたのもきわめて自然なことであった。しかし、震災直 後に復興を支援するセンター設立の構想がもちあがった当初は、歴史資料保全 に関わる担当部門を設置しようなどという発想は端から欠落していた。福島県 の復旧・復興支援に直接つながる分野がセンターの機能に盛り込まれるのは当 然だとしても、地域と人々を結ぶ「心のよりどころ」となる歴史・文化の保全 というものは、大学という学問の府だからこそできる支援活動ではないか、そ う信じて疑わなかった私は、柄にもなく歴史資料保全担当の設置を求める意見 書を一気にまとめあげ、当時の学類長を通じて全学にはたらきかけてもらっ た。その後、幸いにして関係者の理解が得られたことにより、福島大学うつく しまふくしま未来支援センターに「歴史資料担当」(現在は歴史資料保全支援 担当)が設置されることになった。大方にとっては、産業支援や放射能対応、
子ども支援といった、誰しもが必要性を感じる、緊急性・実用性の高い部門が 並び立つ中で、歴史資料担当の存在に違和感があるかもしれない。しかし、大 学だからこそできる復興支援の中で、歴史資料の保全や震災記録の収集・記録 整理というのは当り前のものとなっていることは、繰り返しになるが強調して おきたい。
これまでの活動と今後
ふくしま歴史資料保存ネットワークの活動は、震災直後の文化財レスキュー から、被災資料の記録撮影へと展開していった。一方、町内に博物館等の施設 を有し、文化財レスキューへの支援を要請していた双葉町・大熊町・富岡町に ついては、国の被災文化財等救援委員会(2013年3月で解散)と福島県被災 文化財等救援本部によって警戒区域外の一時保管場所への搬出が行われた。福 島大学はFURE歴史資料担当所属教員と行政政策学類生・地域政策科学研究科 生を担い手とするため、警戒区域外の一時保管場所で搬出作業にあたるボラン
ティア活動に徹した。そのことが評価され、2013年3月には福島大学うつく しまふくしま未来支援センターとふくしま史料ネットがともに文化庁長官より 感謝状を授与されることとなった(4)。
行政政策学類としては、震災直後から資料保全に関わっている国見町と連携 し、文化史・地域史ゼミ生を中心に、被災状況調査から所在調査へと活動の幅 を広げている。また、古文書学実習でもFUREを舞台に、学内外の一般向けに も開放するかたちで被災資料の記録整理を開始している(5)。
こうした種々の活動は、先行する資料ネットの取り組みに多くを学んでい る。とりわけ、宮城歴史資料保全ネットワークが展開している、所在確認に赴 いた調査宅で資料全点をデジタルカメラで記録撮影し、中性紙封筒に入れて保 全をはかる「一軒型」保全活動には示唆を得るところ大である。
また、茨城文化財・歴史資料救済・保全ネットワークは、歴史資料継承機構
(東京)の支援を得て、茨城大学で定期的に歴史資料の記録整理を続けている。
浜通りは地理的条件もあって茨城との緊密な関係があり、いわき市での歴史資 料保全活動は茨城ネットに協力するかたちで進められている。行政社会学部卒 業生の小林貴宏氏が事務局をつとめる山形文化遺産防災ネットワークも、米沢 女子短期大学にて宮城・岩手の被災資料をクリーニングして返却する活動を定 期的に続けており、その活動の舞台は山形大学・東北芸術工科大学・東北公益 大学へと広がりを見せている。本学類の教員・学生がたびたび米沢に足を運ん で活動の輪に加わっていることは、行政有志ブログの記事等を通じて紹介して いる。
こうした隣接県の活動に刺激を受けつつ、協力関係も結びながら活動の幅を 広げているのが現状である。
では、今後に向けての展望を述べて締め括りとしよう。喫緊の課題として
事を押し付けられるだけだと受け取られてしまっては元も子もない。仮に担当 者の理解が得られても、個人情報の壁、所蔵者を初めとする住民の理解、担い 手となる人材の確保など、課題をあげだしたらきりがない。正直いえば、支援 する立場にある大学教員も教育と研究、学内行政を本業とする以上、どうして も片手間にならざるを得ず、時間も労力もぎりぎりのところでやっているのが 現状である。自分が背負わなければならない役割や責任も日に日に大きくなり つつある。それでもやはり、手をこまねいて何もしないでいるわけにはいかな い。東北大学災害科学国際研究所との共同プロジェクトの成果や、2013年度 地域志向研究教育経費に採択されて取り組んだ事業「旧警戒区域を中心とする 歴史・文化遺産の総合的調査研究」が足掛かりとなって、地域連携の実があげ られることを願うばかりである。
将来的には、県内の主要都市、たとえば福島・郡山・白河・相馬・いわき・
会津若松あたりで活動を支える担い手と場所が確保できれば、歴史資料保全活 動は飛躍的に進展するに違いない。しかし、現実には担い手となる人材が絶対 的に不足している。まとまった数の歴史系教員がいるのが福島大学ぐらいとい う現状はあまりにも厳しい。その意味でも人材の育成は長期的な課題である が、その一つとして、本学類で歴史資料保全活動を経験した多くの学生たちが 社会人となったのちも、各地で地域の歴史・文化を支える人材となってもらえ るよう、ささやかな期待を寄せたい。
このまま福島大学教員としての任期を全うすることになれば、あと20年ほ どは福島県の歴史資料保全活動に関わっていくことになるであろう。福島大学 を離れる時になってこの駄文を読み返した時に、事態はどうなっているのだろ うか。相変わらず何も変わっていないのか、少しでも追い求める理想の姿に近 づいているのか。期待と不安を抱えつつ、擱筆することにしたい。
注
(1) 五味文彦「歴史資料の魅力と活用」(阿部浩一・福島大学うつくしまふくし ま未来支援センター編『ふくしま再生と歴史・文化遺産』山川出版社、2013年)
(2) 奥村弘『大震災と歴史資料保存』(吉川弘文館、2012年)
(3) 平川新「災害と史料保存」(保立道久・成田龍一監修『津波、噴火…日本列 島 地震2000年史』、朝日新聞出版、2013年)
(4) 2014年6月22日、文化財保存全国協議会第45回奈良大会において、ふくし ま史料ネットが第15回和島誠一賞(団体賞)の表彰を受けた。
(5) 『福島民友』2014年4月23日付文化面、『河北新報』2014年5月18日付ワ イド東北面にて、活動を紹介する記事が掲載された。
〔追記〕 2014年5月25日に駒澤大学にて開催された歴史学研究会2014年度大会に て、特設部会「資料保全から歴史研究へ-いま、歴史研究に何ができるか-」
が開催された。東北大学、茨城大学、神戸大学での被災歴史資料保全活動への 取り組みが地域連携から研究・教育へと結実していく姿が、豊富な事例紹介と ともに報告された。秋には大会報告の増刊号として刊行されることになってお り、ご一読をお勧めする。
また、2014年6月24日に公表された、日本学術会議 史学委員会 文化財の保 護と活用に関する分科会の提言「文化財の次世代への確かな継承-災害を前提 とした保護対策の構築をめざして-」では、福島大学ならびにうつくしまふく しま未来支援センター、ふくしま歴史資料保存ネットワークの活動が高く評価 されている。こちらもご一読いただければ幸いである。
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-t193-6.pdf