天然物創薬研究が衰退しつつある今日,このたびの遠藤先生のガードナー国際賞ご受賞は「天然物スクリーニン グから創薬へ」を再認識させ,これが天然物創薬研究の再活性化につながることになることを期待する.天然物 スクリーニングは創薬研究だけでなく,ケミカルバイオロジー研究を展開するうえでのバイオプローブの探索で も非常に有効な手段である.ここでは,話題提供として,われわれの「創薬に至らなかった天然物スクリーニン グとケミカルバイオロジーへの展開」を紹介する.
はじめに
1982年,筆者は当時勤務していた会社から微生物化 学研究所(微化研)に出向となった.担当したテーマ は,すでに微化研に出向していた会社の上司が発見した 新規なアンスラサイクリン類の単離精製および構造解析 であり,ここで初めて「物取り研究」というものを知っ た.最初は言われるがまま物取りを行う,まさに「労 働」そのものだったが,しだいに原理がわかってくると いろいろと工夫することで物取り研究の楽しさを知ると ころとなった.その時に上司に言われて印象深かったの が「自分でスクリーニング系を考案して,そのスクリー ニング系で新規物質を発見するのが物取り研究の醍醐味 だ」であった.この言葉を聞いた瞬間から「何か新しい スクリーニング系はないか?」と,そればかりを考える ようになった.
折しもその当時は,がん遺伝子が相次いで同定され,
がん遺伝子およびその関連分子による細胞応答の制御異 常によってがんが悪性化していくことが示され始めた時 期であった.筆者はこのがん遺伝子に着目し,がん遺伝 子が有するチロシンキナーゼを標的とする阻害剤の探索 系を考案し,微生物培養液を用いてチロシンキナーゼ阻 害剤の探索を行った.なかなかスクリーニングでヒット が見つからず苦しい日々を過ごしたが,かといってせっ かく自分で構築したスクリーニング系を放棄する気はさ らさらなく,その甲斐あってついに新規化合物アーブス タチンを発見することができた(1).アーブスタチンは世 界で最初に報告された天然物由来チロシンキナーゼ阻害 物質であり,さまざまなチロシンキナーゼに有効なスペ
クトルの広い阻害剤であった.その後,アーブスタチン をモデルに世界中で特定のチロシンキナーゼに対する阻 害剤が開発され,2000年代になってグリベックやイ レッサなどのチロシンキナーゼ阻害剤が臨床応用され多 くの患者を救済している.
筆者はこのアーブスタチンの発見を皮切りに,いくつ かの創薬を意識したスクリーニング系を考案し,多様な 作用を有する新規化合物を発見した.残念ながらこれら は創薬シードとしては製薬企業から見向きもされず,し かし,これらはいずれもユニークな活性を有していたこ とから,これらの化合物をバイオプローブとして,がん 細胞の細胞応答機構を解析するケミカルバイオロジーへ と研究をシフトさせた.以下,筆者らの行った実際の天 然物ケミカルバイオロジー研究の一端を概説する.
がん転移抑制剤を志向した天然物スクリーニングか らケミカルバイオロジーへの展開
1. がん細胞遊走阻害物質モベラスチンの発見
がん転移は現在,がん治療における最大の障壁である.
がん転移は原発巣からがん細胞が離脱して血液循環系,
リンパ循環系に侵入し,新たな組織に転移巣を形成する,
という複雑な段階を経て成立する現象である.がん転移 が生じた場合に予後が著しく悪くなる原因として,原発巣 から離脱したがん細胞が抗がん剤耐性を獲得しているこ とが挙げられる.したがって,がんの転移を阻害する薬剤 はこれまでにない制がん剤となることが期待できる.で は,どのようにしてがんの転移を阻害する薬剤を探索すれ ば良いか? そこで注目したのが,細胞遊走と呼ばれる細 胞が能動的に移動する現象である.細胞遊走は,細胞の 形態の変化によって起きる現象であり,形態学的には(1)
細胞の極性化,(2)細胞膜の伸展と接着,(3)細胞体の 2017年ガードナー国際賞受賞記念特集
天然物スクリーニングとケミカルバイオロジーへの展開
井本正哉
Masaya IMOTO, 慶應義塾大学理工学部
日本農芸化学会
● 化学 と 生物
収縮,(4)尾部の接着の解離と退縮という4つの段階の繰 り返しによって生じている(2).この細胞遊走は近接血管へ の侵入および管外遊出後の浸潤が生じる際に必須のステッ プである.そこで,遊走活性の高いヒト食道がんEC17細 胞を用いて遊走阻害する物質を微生物二次代謝産物より探 索した.その結果,カビの1株が生産する新規化合物モベ ラスチンA(Moverastin A)(図1)を発見した(3).その作 用機 序を解 析したところ,ファルネシルピロリン酸
(FPP)をH-Rasに付加(ファルネシル化)するファルネ シル転移酵素(FTase)をモベラスチンA(図1)が
および細胞内で阻害することを見いだした.H-Rasは さまざまな細胞内情報伝達経路を活性化することが知ら れているが,モベラスチンAはH-Rasの下流シグナル伝達 経路の一つであるPI3K/Akt経路の活性化を抑制すること を見いだした.これらのことから,EC17細胞の高い細胞 遊走活性はFTase/H-Ras/PI3K/Akt経路の活性化を介し て引き起こされることが明らかとなった(3).
2. モベラスチンからUTKO1へ
ここで重大な問題が生じた.保存していたモベラスチ ンA生産菌がモベラスチンAを生産しなくなったので ある.そうなるともうモベラスチンAが手に入らなく なり,それ以降の研究はストップすることになる.そこ で,東京大学の渡邉秀典教授に有機合成によるモベラス チンAの全合成をお願いした.渡邉教授はモベラスチ ンAそのものだけでなく,20種類程度の誘導体も合成
された.そのうちUTKO1(図1)というモベラスチン 誘導体がモベラスチンAよりも約10倍程度強く細胞遊 走を阻害することがわかった.しかも興味深いことに,
UTKO1にはFTaseの阻害活性が見いだせなかったので ある(4).このことは,UTKO1はモベラスチンAと構造 が類似しているにもかかわらず,モベラスチンAとは 異なったメカニズムで細胞遊走を阻害していることを示 唆している.そこで,UTKO1をプローブとし,ヒト上 皮細胞がんA431細胞における作用機序を解明すること で細胞遊走の制御メカニズムに迫った.
3. UTKO1の標的分子同定
UTKO化合物の構造活性相関の結果を基に合成され たUTKO1ビオチン標識体を用いてUTKO1結合タンパ ク質を探索した結果,結合タンパク質として14-3-3ζを 図1■がん細胞遊走阻害物質の構造
日本農芸化学会
● 化学 と 生物
日本においては,がんは死亡順位第一位の病気であ り3人に1人ががんで死亡しています.また,高齢化 に伴って神経変性疾患患者の数も増加しています.
それにもかかわらず,このがんや神経変性疾患に十分 に有効な治療薬はまだ存在しません.その上,これら の病気の発症のメカニズムも不明なままです.私た ちはがんや神経変性疾患の治療薬の開発と発症メカ ニズム解明に向けて研究を行っています.
ではこれら疾患の治療薬はどこから探せばよいの でしょうか? 私たちは微生物が生産する化合物の 中から探索しています.地球上には100万種以上の微 生物が生息しており,それらはそれぞれ人知の及ばな い多様な構造を有した化合物を生産しています.実 際に微生物が生産する化合物の中には感染症に対す る抗生物質,高脂血症治療薬,免疫抑制剤などとし てさまざまな疾患治療に使用されているものが多い です.したがって,多様な構造と多彩な活性を有す る微生物の生産物の中にこそ,がんや神経変性に有効 な治療薬が存在していると考えています.
では次に,どのようにして治療薬になるような化合 物を探すのでしょうか?
そのためには まず細胞を使ってこれらの病気のモ
デル系を構築します.たとえばがんや神経変性疾患 の患者さんで見られる変異遺伝子を導入した細胞を 構築する,また最近は患者さん由来のiPS細胞を使う ことで細胞モデル系を構築し,そこに微生物の生産 する化合物を作用させます.化合物を作用させるこ とで疾患に効くと思える変化を検出して治療薬の候 補化合物を探しています.これはまさに「宝さがし」
です.次に,そこで見いだされた治療薬の候補化合物が
どのようなメカニズムでがんや神経変性疾患のモデ ル細胞に効果を発揮するのかを検討します.そのた めにはまず化合物が細胞内のどのようなタンパク質 を標的とするかを調べます.さらに,そのタンパク 質をノックダウンするなどして,その機能を明らか にすることで疾患にかかわるメカニズムに迫るだけ でなく,なぜその薬が効果を発揮するのかを知るこ とができます.これはまさに「謎解き」です.
このように,私たちは化合物によって疾患の治療 を目指すだけでなく,化合物を用いて生命現象を解 明しようとしています.このような研究分野はケミ
カルバイオロジーと呼ばれています.「宝さがし」と
「謎解き」のケミカルバイオロジーは医療への貢献度 が高いだけでなく,学問としてもとてもエキサイ ティングです.
コ ラ ム
同定した.14-3-3ζはアプタータンパク質である14-3-3 ファミリーの一つで,実際にsiRNAを用いて14-3-3ζを ノックダウンすると細胞遊走が阻害された.このことか ら細胞遊走に14-3-3ζが密接に関与することが示唆され た.さらに,UTKO1処理した細胞では細胞遊走にかか わることが知られているRac1の活性化が阻害されてお り,この解析から,Rac1は14-3-3ζがTiam1と結合する ことで活性化され,UTKO1は14-3-3ζに結合することで 14-3-3ζとTiam1の結合を阻害し,その結果,Rac1の活 性化→遊走が阻害されることが明らかとなった(5).
4. ケミカルバイオロジーによるがん細胞遊走阻害機構 解析
では,Tiam1の発現はどのように制御されているの か? この答えは富山県立大学の五十嵐康弘教授との共 同研究から偶然にもたらされた.五十嵐教授らは放線菌 から5-リポキシゲナーゼ(5-LOX)の阻害剤としてBU- 4664 L(図1)を単離されていた(6).筆者らは,五十嵐 教授からBU-4664 Lをいただいて細胞遊走阻害活性を有 することを見いだしていたので,一か八かBU-4664 Lが Tiam1の発現を阻害するかどうか検討した.その結果,
BU-4664 LはTiam1の発現を阻害し,そのことで遊走を 阻害することを見いだした.このことは,5-LOXが Tiam1の発現を制御していることを意味する.細胞に お い て5-LOXは ロ イ コ ト リ エ ンB4(Leukotriene B4) とロイコトリエンC4の生産を触媒するが,BU-4664 Lに よる遊走阻害とTiam1の発現阻害はロイコトリエンC4
(LTC4)の添加によって回復することから,LTC4が脂 質メディエーターとしてTiam1の発現を制御している こ と が わ か っ た.さ ら に,LTC4の 受 容 体 で あ る CysLT1の阻害剤MK-571およびモンテルカストも遊走 阻害とTiam1の発現阻害を誘導し,さらにCysLT1の ノックダウンによりTiam1の発現が転写レベルで阻害 されたことから5-LOX/LTC4/CysLT1シグナリングが Tiam1の発現を抑制し,その結果,Rac1の活性化が阻 害され遊走阻害が誘導されることを明らかにした(7).こ のように化合物を用いることでがん細胞の遊走メカニズ ムが図2のように明らかになった.
5. がん細胞遊走機構の個別解析から網羅的解析へ それでは図2に示したがん細胞の遊走機構は,ほかのが ん細胞でも共通するメカニズムなのか? それともあの 細胞に特有の現象なのであろうか? がん細胞の遊走制 御機構は,由来組織や変異遺伝子の違いによって,「すべ てのがんに存在する普遍的な機構」と「特定のがんにの
み存在する多様性を担う機構」が存在すると考えられる.
そこでがん細胞の遊走制御機構の普遍性および多様性を 担う分子群を明らかにするため,標的タンパク質が異な る34種類の低分子化合物をそれぞれ10種類のがん細胞に 作用させて,その遊走阻害活性を定量的に評価し,化合 物の遊走阻害プロファイルに対して階層的クラスタリン グを行った(図3).クラスタリングの結果,JNK阻害剤 はすべての細胞株の遊走を抑制したが,ROCK, GSK-3, p38の阻害剤などは,一部の細胞株の遊走のみを抑制する ことを示した.このことから細胞遊走に対する共通な機 構にかかわる分子群(JNKなど)と細胞型特異的な分子 群(ROCK, GSK-3, p38など)の一端を明らかにし,分類 することに成功した(8).次に,ケミカルゲノミクス研究で 明らかになった細胞遊走制御機構の普遍性および多様性 を担う分子群のパスウェイ関係を解析し,MAPK経路や JNK経路などが共通な遊走制御パスウェイであること,
CysLT1やGSK-3下流のパスウェイが各細胞において異な ることを情報伝達分子の変動データを用いたケミカルシ ステムバイオロジーによって明らかにした(9).
オートファジー制御物質の天然物スクリーニングと ケミカルバイオロジーへの展開
1. オートファジー阻害物質キサントフモールの再発見 一昨年,大隈博士のノーベル賞受賞で「オートファ ジー」は一躍脚光を浴びたが,オートファジーとは細胞 内のタンパク質や細胞小器官を分解し,アミノ酸などの 代謝物質として再利用する分解機構である.またオート ファジーは細胞内の不良タンパク質や損傷した細胞小器 官を掃除することで,細胞機能の恒常性を維持する重要 な役割をも果たしている.オートファジーでは,まず細 胞質に隔離膜と呼ばれる扁平な膜構造が現れる.その 後,隔離膜が細胞質成分を包み込むように伸長および湾 図2■遊走阻害剤が明らかにした細胞遊走制御機構
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曲し,最後に末端同士が融合してオートファゴソームと 呼ばれる二重膜構造が形成される(10).つづいて,オー トファゴソームはリソソームと融合して,一重膜構造で あるオートリソソームになり,リソソームに含まれてい た加水分解酵素が隔離された細胞内小器官などを分解す る(11).上記の段階を経て生じたアミノ酸やそのほかの 分解物は,細胞質に取り込まれてリサイクルされる.近 年,オートファジーはがんや神経変性疾患の発症に深く 関与していることが報告されており注目されている細胞 応答の一つであるが,その制御メカニズムは不明な点が 多い.そこで,オートファジー制御メカニズムをより深 く理解するために微生物培養液からオートファジー制御 化合物の探索を行った.その結果,ホップ由来成分とし て知られているキサントフモール(Xanthohumol)が オートファジーを阻害していることがわかった(図4).
2. キサントフモールの標的分子同定
次に,キサントフモールがどのような機構でオート ファジーを阻害するかを検討した.またキサントフモー ルの標的タンパク質の同定を試みた.理化学研究所の長 田裕之博士らによって作製された光親和型キサントフ モール・アフィニティービーズを用いて,A431細胞抽 出液からキサントフモールの標的タンパク質を探索し た.その結果,キサントフモールはvalosin-containing protein(VCP)に特異的に結合することが示された.
VCPはATPases associated with diverse cellular activi- ties(AAA-ATPase)の一つであり,そのN末端ドメイ ンにさまざまなコファクターが結合することでオート ファゴソームがオートリソソームへ成熟する過程に関与 している.筆者らの解析から,キサントフモールは
VCPのN末端ドメインを介してVCPに結合してその機 能を抑制し,オートリソソームの形成を阻害することが 示唆された(12)(図5).
キサントフモールは1913年にホップ成分から発見され た化合物であり,これまでに,小胞体ストレス誘導(13)や NF-κB阻害(14)など多彩な活性が報告されている.しかし,
キサントフモールがどのような機構でそのような活性を 発揮するかは不明であった.VCPは小胞体内のタンパク 質分解(15)やIκBの分解(16)にかかわることが報告されてい たことから,キサントフモールの小胞体ストレス誘導や NF-κB阻害作用はVCPを介して引き起こされていること が示唆された.このように既知化合物であってもその標 的タンパク質を同定することで,これまで不明であった 生理活性物質の作用発現機構が解明できるのである.
3. キサントフモールの制がん効果
一方,VCPは近年,がん細胞で過剰発現していると の報告がされている.そこで次にキサントフモールによ る抗がん活性を検討した.キサントフモールに対して高 い感受性を示すがん細胞と感受性の低いがん細胞が存在 することを見いだし,高い感受性を示したがん細胞では キサントフモール処理によって抗アポトーシスタンパク 質サバイビンの発現減少が誘導されることを見いだし た.キサントフモールの動物実験での制がん効果は徳島 大学の片桐豊雅教授に依頼して評価していただいた.大 腸がん細胞HCT116細胞やSW480細胞を移植したヌー ドマウスにキサントフモールを投与したところ,それぞ 図4■キサントフモールの構造
図5■キサントフモールによるオートリソソーム形成阻害機構 図3■阻害剤による各種がん細胞の遊走阻害の遊走阻害パターン
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れのがん細胞の増殖を濃度依存的に抑制し, で も制がん効果を示した(17).さらにキサントフモールが 示す制がん効果で鍵となる因子を見いだす目的で,東京 医科歯科大学の石川俊平教授との共同研究で,shRNA スクリーニングによってキサントフモールの感受性を増 強させる遺伝子を探索した.27,500種類のshRNA感染 ウイルスをHCT116細胞に感染させ,キサントフモール の存在下と非存在下で3日間培養した.その後,それぞ れの細胞からshRNAを回収したところ,キサントフ モール存在下で非存在下に比べて5倍以上回収量が少な いshRNAが138種 類 あ っ た.こ の こ と は,こ れ ら shRNAに対応する138遺伝子をノックダウンするとキ サントフモールの制がん効果が高まる可能性を示してい る.次にこの138遺伝子の役割をバイオインフォマティ クスで解析したところ,アデニル酸シクラーゼ/プロテ インキナーゼAシグナル伝達経路がキサントフモール の合成致死作用に関連することを示唆する結果が得られ た.この知見をもとに細胞を用いたウエット実験を行っ たところ,アデニル酸シクラーゼ/プロテインキナーゼ Aシグナル伝達経路がサバイビンの発現制御を介してキ サントフモールの抗がん活性を抑制的に制御しているこ とを見いだし,プロテインキナーゼAの阻害剤はキサ ントフモールによってVCPが阻害された細胞に合成致 死活性を誘導することを見いだした(17).
アポトーシス耐性克服物質の天然物スクリーニング とケミカルバイオロジーへの展開
1. インセドニンの発見
多くのヒト腫瘍においてアポトーシス抑制タンパク質 Bcl-2やそのホモログであるBcl-xLの過剰発現が見られ る.Bcl-2/Bcl-xLの過剰発現は細胞の正常なターンオー バーを妨げ,がん化やがん悪性化に関与するだけでな く,既存の抗がん剤に対して抵抗性を示し,薬剤耐性化 の一因になる.そこで,Bcl-2/Bcl-xL過剰発現ヒト腫瘍 に対する治療薬シードを開発することを目的に,Bcl-2/
Bcl-xLの機能を阻害する物質を探索した.Bcl-xLを過 剰発現したヒト小細胞肺がんMs-1細胞(Ms-1/Bcl-xL)
は種々の抗がん剤に耐性を示すことから,抗がん剤と同 時に添加したときにのみ細胞死を誘導する物質を微生物 代謝産物より探索した.その結果, sp.
694-90F3株の培養液中に新規物質インセドニン(Inced- nine)を発見した(18).インセドニンは非常に不安定な物 質であり,その単離精製は困難を極めたが,遠心液々分 配クロマトグラフィーとMSクロマトグラフィーを駆使 することで単離に成功した.インセドニンの構造は各種
NMRスペクトル解析,コンピュータモデリングにより 平面および相対立体構造を決定し,改良型Mosher法,
X線構造解析によりその立体絶対配置を決定した.すな わち,インセドニンは,そのアグリコンに天然物には珍 しい骨格(エノールエーテル-アミド)を有する新規24 員環マクロラクタム配糖体であった(図6).
2. バイオインフォマティクスを用いたインセドニンの 標的分子同定
Bcl-xLを過剰発現させたヒト小細胞肺がんMs-1細胞は アドリアマイシンなどの抗がん剤に耐性を示すがインセ ドニン処理することによりその耐性を克服した.またイ ンセドニンはBaxの過剰発現によって誘導されるアポ トーシスに対するBcl-xLの抑制機能をキャンセルした.
しかし,インセドニンはBcl-xLとBaxとの結合を阻害す ることはなかった.このことからインセドニンは既存の Bcl-2阻害剤とは異なるメカニズムで作用していることが 示唆された.そこでわれわれはまず,インセドニンのア フィニティービーズを合成し,インセドニンビーズに結 合したタンパク質をSDS-PAGEで分離し,CBBで染色さ れたバンドをゲルから切り出してそれぞれをLC-MS/MS 解析を行うことでタンパク質を同定した.その結果,53 種類のインセドニン結合タンパク質が同定された.その うちeIF4A3, PDI, HSP70,およびPP2Aは細胞の生存と 関係するという報告があったことから,この中にインセ ドニンのBcl-2/Bcl-xL機能抑制活性の機能的標的タンパ ク質がある可能性が考えられた.しかし,これらのタン パク質機能をsiRNAや阻害剤で阻害してもBcl-2/Bcl-xL による細胞死抑制活性をキャンセルしなかったことから,
これらはインセドニンの機能的標的タンパク質ではない ことがわかった.そこで次に慶應義塾大学理工学部の榊 原康文教授が開発されたCOPICATを用いてインセドニ ンの結合タンパク質を予測した.まずすでにアフィニ ティービーズ法で得られていた53種類のインセドニン結 合タンパク質をSVM学習モデルで学習させた.24,245個 のヒトのタンパク質の中で182個のタンパク質が新たに インセドニンと結合する可能性のあるタンパク質として 予測された.この182個のタンパク質から,タンパク質 の特徴ベクトル(199次元)に基づいて11個のクラス 図6■インセドニンの構造
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ターが形成された.その11個のそれぞれのクラスターか ら文献を参照に検証実験可能と思われるタンパク質を一 つもしくは2つずつ選び,3種類の負例候補を含めた合計 16種類のタンパク質についてビオチン標識インセドニン とそれぞれのタンパク質の特異抗体を用いて実際の結合 を 検 証 し た.そ の 結 果,結 合 が 予 測 さ れ たPIK3CG, ACA CAおよび負例候補であったPARP1の3種類のタン パク質が実際にインセドニンに結合することが明らかと なった.これら3種類のタンパク質はいずれも細胞死と の関連が報告されているタンパク質である.この中でわ れわれはACA CA(acetyl-CoA carboxylase-α)に注目し た.ACA CAは長鎖脂肪酸合成過程でアセチルCoAから マロニルCoAを合成する律速酵素であり,エネルギー生 産と脂質合成に重要な役割を演じている.がん細胞の増 殖や生存は脂肪酸合成に依存しており,ACA CAは多く の が ん 細 胞 で 高 い 発 現 が 観 察 さ れ て い る こ と か ら,
ACA CAがBcl-xL過剰発現細胞の生存に深くかかわって いることは大いにありうる.実際に,ACA CAの阻害剤 TOFA(5-tetradecyloxy-2-furoic acid)はインセドニン 同様Bcl-xL過剰発現細胞での制がん剤耐性を克服した.
これらのことからACA CAがインセドニンの機能的標的 分子であると示唆された(19)(図7).
前立腺がん治療薬シード化合物の天然物ケミカルバ イオロジー
1. アンタルライドの発見
前立腺がんは,男性ホルモン(アンドロゲン)がアン ドロゲン受容体(AR)に結合し転写因子として働くこと で悪性化する.そこで,アンドロゲンとARの結合を阻 害するARアンタゴニストが治療薬の一つとして用いら れている.しかし,現在臨床で用いられている第1世代 のARアンタゴニストは,長期使用により耐性を示す変 異体ARの出現が問題視されてきた.さらに近年,第1世 代の耐性を克服した第2世代のARアンタゴニスト(エン ザルタミド)が登場したが,すでに耐性を示す変異体AR
が報告されている.この耐性が獲得される原因の一つと して,既存のARアンタゴニストの構造の類似性が指摘 されている.このことから,既存のARアンタゴニスト とは異なる構造を有する化合物は新しい前立腺がん治療 薬シードになりうると考えられる.そこで,構造多様性 に富んだ化合物を多数含有する放線菌代謝産物からその 探索を行った.その結果,富山県立大学の五十嵐教授か ら分与された放線菌BB47株の培養液に目的の活性が見ら れた.しかし,活性物質は光に対して非常に不安定で あったことから,活性物質の精製の過程はすべて遮光条 件下で行い,遠心液々分配クロマトグラフィーや液体ク ロマトグラフィーなどの精製法を駆使し,活性物質の単 離精製に成功した.NMRによる構造解析の結果,本活性 物質は類縁物質の存在しない新規化合物であり,新規22 員環マクロライドであるアンタルライドA-Fを発見し,
その平面構造を明らかにした(20)(図8).さらに,アンタ ルライドAに対しNMRスペクトル解析や各種化学変換 反応を駆使することでその絶対立体構造を決定した(20).
2. 第3世代ARアンタゴニストのシード化合物として
のアンタルライド
アンタルライド類は既存のARアンタゴニストである フルタミドよりも強くAR-DHTの結合を阻害する活性を 有していた.さらに,女性ホルモンであるエストロゲン 受容体に対する結合能もなく,AR非依存的な前立腺がん 細胞に対しての毒性も示さなかった.また,前立腺がん 細胞にアンタルライドA〜Fを作用させると,いずれのア ンタルライドもアンドロゲンにより誘導される前立腺が んマーカー遺伝子PSA mRNAの発現および細胞増殖を抑 制した.第1世代および第2世代のARアンタゴニストに 対して耐性を示す変異体ARに対するアンタゴニスト活性 を評価した結果,アンタルライド類は既存のARアンタゴ ニストに対する耐性を克服した.このことは,アンタル ライド類は第3世代のARアンタゴニスト候補化合物とし てのポテンシャルを秘めていることを意味している.
一方,筆者らは,その後,22員環のアンタルライド を生産する放線菌BB47株から,20員環マクロライド構 造を有するアンタルライドファミリーのアンタルライド GおよびHを発見した(21)(図8).通常,放線菌が生産 するマクロライド環の形成部位はポリケタイド合成酵素 により厳密に制御されている. したがって,放線菌 BB47株のポリケタイド合成酵素では基質認識の揺らぎ が生じている可能性が示唆された.この知見は,放線菌 が生産するマクロライド系化合物の生合成の観点からも 非常に興味深いものである.
図7■COPICATによるインセドニン標的化合物同定の流れ
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おわりに
微生物培養液などを用いた天然物スクリーニングから の創薬研究は,特に製薬企業などを中心に縮小傾向にあ る.それは,天然化合物のもつ「構造多様性」が大きな 魅力であるにもかかわらず,合成化合物に比べて誘導体 展開が困難であることや,近年は新規骨格を有する新規 化合物の取得が困難であることが原因と考えられる.こ の問題を克服するために微生物のゲノム情報を利用して 休眠遺伝子の覚醒技術の開発や生合成遺伝子の改変技術 による新規化合物の取得を目指す研究が精力的に展開さ れている.これらの技術の進展に伴い,創薬を志向する 天然物スクリーニングの再興が期待される.創薬という 観点からだけでなく,天然物スクリーニングは,細胞応 答機構解析のためのバオプローブ探索という観点からも 非常に有効な手段であり,実際に有用なバイオプローブ の多くは天然化合物である.細胞応答機構解析研究を展 開するうえで用いるバイオプローブは,標的に対する特 異性に優れているのであれば必ずしも新規物質である必 要はない.細胞生物学の観点から見ると制御機構が不明 な細胞応答は山ほどある.そう考えるとバイオプローブ を用いた細胞応答機構解析研究(=ケミカルバイオロ ジー研究)を加速するためにも,天然物スクリーニング は縮小されるべきではない.
文献
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プロフィール
井本 正哉(Masaya IMOTO)
<略歴>1978年山口大学農学部農芸化学 科卒業/1980年同大学大学院農学研究科 修士課程修了/同年キリンビール株式会 社/1989年慶應義塾大学理工学部応用化 学科助手/1991年専任講師/1996年助教 授/2002年より現職.この間,1988年農 学博士(東京大学)<研究テーマと抱負>
疾患にかかわる細胞応答機構の解析,ユ ニークなケミカルバイオロジー<趣味>
ロードバイク,ギター,推理小説
Copyright © 2018 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.56.203 図8■アンタルライドの構造
日本農芸化学会