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化学と生物 Vol. 51, No. 6, 2013
巻頭言
Top Column蓼食う虫も好きずきを科学する
伏木 亨
京都大学大学院農学研究科Top Column
人の好みを科学で扱うことは難しい.十 人十色,蓼食う虫も好きずきと言う.人の 好みは人間性の最たるもので科学が安易に 手を出せるものではないと思う人も多い.
普遍性のある根拠を積み重ねてきた科学 に,はたして嗜好性などという曖昧模糊が 許されてよいものかといぶかる声もあろ う.
学術からは異端視されてきた感のある嗜 好の科学であるが,一方で,好きな食と,
好きな音楽,好きなファッションなど,嗜 好は現代社会を彩る要素でもある.関連業 界の企画や営業の場では,何が消費者に最 も好まれるのかを客観的に示せという難題 に頭を抱えている.「人それぞれ」に潜む 法則を解明する切り口を見つけるのは,実 は現代学術の重要な課題ではないかと思 う.本誌読者にも,食品の開発にかかわっ て同様の課題を抱えている人は多い.
人間の嗜好の研究は「科学的」とは見え ない.人の嗜好は多次元で複雑すぎる.答 えの形すらわからない.しかし,グルメも ミュージックも絵画もいわゆる生物の栄養 や生殖にかかわる行動のための諸感覚が人 間的に特化したものにすぎない.それらの プロセスに共通する好ましさの法則を探索 することは必ずしも荒唐無稽ではない.
好ましさは,ジャンルを問わず,体験し ている人間の脳のなかに現れるバーチャル な感覚である.その場かぎりで脆弱な感覚 でもある.横にいる他人は全く別の判断を する場合もある.したがって,嗜好性は,
それらと体験している人との間の関係のな かだけに生じる脆弱ながらも実在する感覚 であると言えよう.
音楽や絵画・ファッションや食を,人間 はどのように味わい,評価するか.そのよ りどころは何か.好ましさはどのような構 造をしているのか.いつかは真正面から立 ち向かわねばならない壁のようだ.特に食
嗜好の理論は欧米の科学の伝統にはない,
新しいチャレンジでないかと思う.
少し粗っぽいくくり方をお許しいただけ れば,生理的な受諾性,子どもの頃からの 経験の蓄積,さらに,作者の名声やブラン ドや市場価値や流行の影響,最後に,心地 よいものに触れたい,いい気持ちになりた いという快感の誘い.つまり,生理,体 験,情報,快楽の4つはジャンルを超えて 好き嫌いに共通する重要な要素ではないか と思う.私事で恐縮ながら,私はジャズが 好きだ.疲れているときと元気なときでは 曲の好みが変わる.聞き慣れた懐かしいフ レーズや日本の音楽がアレンジされている とつい聞き入ってしまう.いわゆる評判の 名盤には胸が躍る.そして何よりも,心地 よさの快が重要である.これは,食嗜好の 構造と酷似している.
人間の嗜好は,感覚ごとの特徴はあるも のの,俯瞰すればこのような構造になって いるのではないかと感じる.それぞれの要 素のなかでは,実は確固たる判断がなされ ており,素早く統合して,私たちはもの選 びをしているのではないか.曖昧模糊な感 覚も,ある程度は説明可能で普遍化も可能 な科学として取り扱えるものなのではない か.
味覚と嗅覚は動物的で低位と決めつけた 古代ギリシャの哲学者のおかげで,食の感 覚はどうでもいいものという烙印まで押さ れてきた.音楽や絵画は理論化も進み,立 派な学術や文化であるが,食の学術はまだ 進化途中だ.
人間と動物の距離を際だたせる西洋の科 学に対して,人間も動物も自然の一部とす る東洋の常識のほうが,食の嗜好の科学に 挑むハードルが低いに違いない.欧米発で はない科学があってもいいのではないかと 思う.