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後藤 雅尭

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Academic year: 2023

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外国語学部  中国語学科 

 3年後藤雅尭

浙江大学とは?

  浙江省杭州市に位置するその広大な町は、日々大勢の人でにぎわっている。そこには、中国の国家AAAAA級旅行景区に指定されている『西湖』、中国十大銘茶の一つ『西湖龍井茶』の発祥地として、有名である。しかし、その中でもとりわけ代表的なのが、中国国内トップ

たというのは、今後日常生活では得られない機会だ その学生と中国語で会話をし、中国の知識を得られく違う国へと、自分の中で変貌を遂げた。 江大学は中国国内でも優秀な学生がそろっており、も増え、環境にも慣れた中国は初めの頃と比べ、全 しては、非常に貴重な経験といえる。なぜなら、浙スの多い毎日だった。しかし、授業も始まり、友達 もあってか、浙江大学の中国人学生と出会える場と行くにも人が多い毎日、そんな生活が続き、ストレ は数に限りがある。ただ、住居が大学内ということが、実際は、古く汚い宿舎、脂っこい食事、どこへ なく、自分で探しても、留学生が参加できるものに学前は華々しい留学生活が送れるかと想像していた リキュラム、課外活動、交流の場、という機会も少いう留学生が多い地で留学生活をスタートした。留 な環境でできたとは言い難いものだった。授業のカキャンパスの三つがある。私は、玉泉キャンパスと   浙江大学の留学生に対しての授業は、あまり快適には、玉泉キャンパス、西溪キャンパス、紫金港 上と国際交流を胸に浙江の地へと訪れた。浙江大学 一年間という区切られた期間で留学をし、語学力向 洋のケンブリッジ』と言われたほどである。私は、だといえる。 である。中国の主要な研究機関であり、かつては『東業ではなく、中国人との交流から多くの知識を学ん 3の一つである『浙江大学』なるものだった。ゆえに、この大学での日常では授 とって、今後の中国語学習に生かすための発奮材と 識の多くを中国人学生から多く学んだ。それは私に る部分が多い等々。私は知らない知識や興味深い知 る、モンゴル語の文法や発音は日本語と関連してい いる中国語の中には日本から派生しているものがあ と感じた。例えば、現在、中国国内で流行とされて

図1 浙江大学玉泉キャンパス地図

図2 2019.9.1 浙江大学玉泉キャンパス校門前

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第1部  学生たちが見た世界 ●

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汉语角(chinesecorner)」

  次は私が普段参加していた活動についての紹介である。私が後期から毎週のように通っていたのが、「汉语角(ChineseCorner)」という外国人を対象とした討論会。毎週  火曜日に西溪キャンパスで、外国人留学生、外国人本科生、外国人研究生などが一つのテーマに対して「中国語」で自分の意見や自分の国と比較した感想など発表する場所である。例えば、中国の労働では「996」という言葉があり、これは「朝九時から夜九時までの労働を週六日間」という意味だが、この中国の労働について、自分の国と比較してどうかなど。この活動は、テーマは主に中国と自国の比較が多く、討論をすることで他国の文化を知ることができ、かつ中国語運用能力を向上する場として、最適だと感じた。 杭州文化体験

  私は

を体験した。例えば、左上の写真(図 1年間の留学生活の中で、様々な杭州文化

いうような文化を体験した(図 半紙を被せると昔の杭州の都市が浮かぶ上がると 場である。私は版木に筆で墨を塗り、その上から 社会などを文献、資料、映像を通じて学ぶできる る。ここでは、まず杭州の歴史、経済、自然、文化、 化を学ぶ授業で杭州博物館に行った時の写真であ 5)は杭州文 ない時間だと感じた。 機会は今後も得られ とともに学習できる ような文化を外国人 なものである。この ゆる活版印刷のよう 4)。これは、いわ

日中交流会

  前学期も終わり、日本は桜が咲き、新学期の準備を始める頃、中国も「さくら」を通じて、日中交流を行っていた。私が参加した日中交流会は、日中文化を「伝える」のではなく、「共感する」ことに近いと感じた。具体的に言うと、日本人・中国人グループがアイドルの曲でダンスをしたり、日本のじゃんけん列車をみんなで遊んだり、中国古来のゲームをしたりし、文化を共有することで、友好関係を深めていった。参加人数は約100人程で、一人ひとりにお菓子やジュースが設けられた。この機会を通して、中国人と仲を深められたのは、非常に貴重な経験であったと言える。 異国文化の毎日

  私が留学していたキャンパスには、アフリカ、南米、欧州、アジアの各国の学生、華僑、ハーフなど人種も国も違う学生が所属していた。ルームメイトはドイツ人で、初めて出会ったときは、自分が英語を話せないこともあり、中国語で会話していた。しかし、お互いの会話があまり噛み合わず、会話の少ない日常生活を送っていた。コミュニケーションは言葉がすべてではなかったが、『言葉』が通じないというのは、重要なコミュニケーションの大半伝わってないというのは、留学中に何度も痛感した。しかし、言葉が通じるからと言って文化の衝突がないかというとそうではなかった。私はある韓国人の友人に放った冗談で喧嘩になってしまったことがある。日本では、通じるジョークも外国人にはストレスになることもある。それは時間が経つにつれて、お互いの理解というのは増していった。私はこの留学を通して、日本と各国との関係を知れただけでなく、「何気ない日常」の文化を知れたことが大きな収穫なのではないかと感じている。また外国人留学生とともに中国をお互いの国と比較して知れたのは、貴重な経験だったと感じた。

図3 chinese cornerの討論

図4 版木、半紙、墨

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図5 杭州の文化体験

図6 2019.3.24 浙江大学日中交流花見大会

Referensi

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要旨 現在、中国における本語学習者数は、海外第一位となっている(国際交流基金 2015)。この うち、中国の高等教育の日本語学習者は 679,336 人で、中国の日本語学習者全体の七割を占め ている(国際交流基金,2012)。また、田中(2003)は中国の大学の日本語教育の中で、日本