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私の専門は「スピントロニクス」と呼ばれる「電子工学(エレクトロニクス)」から派生した「物理工学」の研究分野です。素粒子の一つである電子は、流れることによって電流を発生させる(電荷)性質を持ち、私たちの暮らしには欠かすことのできない粒子です。また、電子は「スピン(自転)」という性質も併せ持っており、スピンによって磁石としての性質が生まれます。
皆さんの家の冷蔵庫にも張りついていると思いますが、「永久磁石」というものをスピントロニクス的に言い換えると「電子スピンが平行に並んだ塊」ということになります。このスピンを自在に制御して、役に立つ技術にしようというのがスピントロニクスの基本的な考え方です。
例えば何の変哲もない冷蔵庫の磁石を、すごく薄い2次元の「膜」にすることを想像してみてください。その膜は円盤上に、1ナノメートルほどの薄さで塗りつけられています(磁気ディスク)。この磁気ディスクを高速で回転させ、膜の中の電子スピンの方向を、特殊な「ヘッド」を用いて変化させ、また、その方向を読み出すことで、2種類の情報すなわちゼロとイチ(ビット)の書き込みと読み出しを行います。これがパソコンおなじみの記録装置「ハードディスク」の基本動作原理です。
このように、電子スピ ンを効率よく制御し、情報記録媒体(MRAMなど)をはじめとした、有用な機能を実現する研究分野がスピントロニクスなのです。 スピントロニクスをはじめとする物理工学は、先人が発見したさまざまな法則を使って、社会にとって有用なものをつくり出す研究分野です。私は先人が生み出した法則をつかって、自身にとって有用なものをつくったのが高校生の頃、それはテレビゲームでした。 私の親は教育の方針上、テレビゲームを買い与えてくれませんでした。当時はインターネットの黎明期。プログラミングに興味を持ち、同じくゲームを買ってもらえない友人が周囲に何人かいました。同じ境遇の私たちは「買ってもらえないなら、自分でつくってやろう」とパソコンでゲームのプログラミングを始めました。 例えば『スーパーマリオブラザーズ』のような、横スクロール型のアクションゲームで、マリオをジャンプさせるとします。このとき、よりリアルにジャンプさせようと思うと、先人の法則が必要になるのです。ニュートンの「万有引力の法則」による計算を導入することで、あたかも現実のような放物線を描くジャンプをさせることができるのです。 実際の物理学の研究においても、物体の動きをコンピュータでシミュレ ーションする場合は、ゲームのプログラミングと同じです。 こうして自分自身にとって有用なものをつくるうちに物理学に興味を持ち、身近で役立つものをつくることにもやりがいを覚えたことから、大学以降の進路では物理工学を選択するようになったのです。 【魔法の新物質マルチフェロイクス】 物理工学の中でもどんなテーマをやるべきかと考えていた学部時代に出会ったのが私の師匠である十倉好紀先生の研究でした。十倉先生が情熱を持って話してくれたのが、電気を使って磁石を制御するための新しい物質「マルチフェロイクス」の研究でした。 マルチフェロイクスというものは、「磁気秩序」と「誘電秩序」を併せ持つ、電気にも磁気にも応答する「電気磁気効果」を持つ絶縁体物質のことです。一般的な考え方では、物質の電気的な性質である「分極」を制御するには電場を、磁気的な性質である「磁化」を制御するには磁場を使います。しかしマルチフェロイクスは、電場によって磁化を、磁場によって分極を制御することが可能で、従来は交わることのなかった性質を組み合わせて制御することができる、魔法のような物質なのです。 なぜこれらの特性を組み合わせる必要があるのか。それは、従来のエレクトロニクスを革新する可能性がそこにあるから です。 現在のいわゆる電化製品では、電流によって磁化を制御しようとします。電流による制御は非常にやりやすい。代表的な例はコイルを鉄芯に巻きつけて電流を流すことによって生じる「電磁石」などがそうです。しかし電流による制御はエネルギー損失が大きいという欠点があります。金属の中を流れる電流は、電流の二乗に比例した発熱「ジュール損失」が不可避であり、これがエネルギー損失全体の
90%を占
めます。
ここにマルチフェロイクスを用いれば、電流を流すことなく、電場で磁化を制御できるため理論上はジュール損失をゼロにできます。現在は世界中で盛んに研究されており、マルチフェロイクス をメモリに使えないかと考える研究者は非常に多い。また、機械学習などの「ニューロモーフィック・コンピューティング」の研究においても、マルチフェロイクスを採用しようとする動きがあります。 私はこの野心的な探求にのめり込み、十倉先生のもとで博士課程まで進み、研究に励みました。【二つの顔を持つスキルミオン】 現在進めている研究は「創発エレクトロニクス・スピントロニクス」です。これは「トポロジー」や「対称性」と呼ばれる、物質の幾何学的な性質に着目して面白い物質を探索し、デバイスに加工して役に立つ機能を引き出そうというアプローチで す。 「〝創発"現象」というのは、電子などの粒子が相互作用し、大きな集団として振る舞うときに、個々の振る舞いからは想像できない新しい性質が引き出される現象を言います(図1)。例えば私たちのような生命現象もそうです。私の体内の細胞一つを取り出して顕微鏡で見てみても、まさかそれが何十兆個集まると創発現象についておもむろに語り始める知性を持つことが想像できないのと同じことです。 私が電子の創発現象で注目して研究しているのが「スキルミオン」です(図2)。スキルミオンとは、磁石の性質を持つ金属などの物質内部において、多くの電子が集まってつくりだす、台風のような渦巻状のスピン構造 のことです。スキルミオンには二つの顔があり、2次元的には粒子として振る舞い、3次元的にはひも状の振る舞いをする(図3)。現在はこうしたスキルミオンの機能を解明し、工学的な応用可能性を探っています。 まず2次元型ですが、スキルミオンはトポロジー的に安定したスピン構造を持ち、非常にサイズが小さいために次世代の情報担体として期待されています。応用が可能になれば、従来品とは比べ物にならないほどの容量を持つ磁気記憶媒体が実現するでしょう。 記憶媒体として使う場合、重要なのはスキルミオンの密度を上げることです。高密度であるほど記憶できる情報量が増えるためです。そこで私たちの研究室では、世界最小の高密度なスキルミオン粒子の作成を行いました。
私たちが見直したのは、スキルミオンの設計でした。従来は、反転対称性の破れた結晶構造を持つ物質がスキルミオンの発現に有利だとされていました。しかしその設計方法では、つくれても数十から数百ナノメートル程度です。私たちはより小さなスキルミオンを求め、金属の中を動き回る電子「遍歴電子」を生じさせる物質を探索しました。結果として「GdRu2Si2」という金属物質に生じるスキルミオンが、渦巻の直径が
程度と低いため、今後改 温度がマイナス230度 ました。まだ現在は動作 ンだということがわかり う過去最小のスキルミオ 1.9ナノメートルとい
日本の若手研究者
電 子 を 制 御 せ よ ス ピ ン ト ロ ニ ク ス
ゲ ー ム に 始 ま っ た 物 理 工 学 の 道
魔 法 の 新 物 質 マ ル チ フ ェ ロ イ ク ス 二 つ の 顔 を 持 つ ス キ ル ミ オ ン
Shinichiro Seki 高 校 生 の た め の 特 別 講 義
次世代の情報 機器の礎と なる!
受 賞 歴 略 歴
関 真一郎 先生
生年月日:1983年生(37歳)
専門分野:物理工学 東京大学大学院工学系
研究科物理工学専攻
Profile
准教授*フロンティアサロンについて
フロンティアサロンは、日本の未来を拓く若手研究者の先生方を支援す るため、東進ハイスクール・東進衛星予備校を運営する株式会社ナガ セが中心となり、2010年に設立されました。フロンティアサロン財団の 選考委員から推薦のあった若手研究者に定期的にご講演いただき、毎 年フロンティアサロン永瀬賞を選出し、「将来のノーベル賞候補」を発 掘する取り組みを行っています。
2012年 井上研究奨励賞 2014年 科学技術分野の
文部科学大臣表彰 若手科学者賞 2014年 日本物理学会若手奨励賞 2018年 IUPAP Young Scientist Prize in Magnetism
2006年 東京大学工学部物理工学科 卒業
2008年 東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻修士課程 修了 2008年 日本学術振興会 特別研究員(DC1)
2010年 東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻博士課程 修了 2010年 東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻量子相
エレクトロニクス研究センター 特任助教 2012年 東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻量子相 エレクトロニクス研究センター 特任講師
2012年 科学技術振興機構 さきかげ 「新物質科学と元素戦略」研究者
2012年 科学技術振興機構さきがけ 「トポロジカル材料科学と革新的機能創出」研究者 2013年 理化学研究所創発物性科学研究センター ユニットリーダー
2019年 東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻総合研究機構 准教授
創 発 現 象
創発現象とスピントロニクス
電 子
高温超伝導 量子ホール効果
相互作用する集団は 全く新しい性質を示す
スピントロニクス
MRAM HDD の読出ヘッド
スピンの自由度を積極的に 活用する電子技術
μ
電子 スピン 電荷
※従来の半導体 エレクトロニクス →電荷の自由度のみを利用
量子力学や相対論が支配する、非常に小さな世界における相互作用によって生み出される、
新しい効果・現象のことを「創発現象」という。電子のスピンにおける創発現象を工学的に応用して いく分野こそが現代のスピントロニクスである。ハードディスクの「磁気読み出しヘッド(GMRヘッ ド)」はスピントロニクスの金字塔であるとされ、1988年に発見された「巨大磁気抵抗効果(GMR)」
によって実現されている。発見者であるアルベール・フェール博士(フランス)とペーター・グリュ ンベルク博士(ドイツ)には、ノーベル物理学賞(2007年)が贈られている。
図1
20世紀を物理学の世界から見てみれば、それは 量子力学の世紀だったと言える。マックス・プランクの
「量子仮説」、アインシュタインによる「光量子仮説」
など、多くの発見が相次いだ。21世紀はこれら現代 物理学の礎の上に、実際のイノベーション、つまり
「世紀の発明」を実現していく世紀と言えるだろう。そ のとき重要になる研究分野こそが「物理工学」だ。東 京大学大学院工学系研究科物理工学専攻および 総合研究機構に研究室を構える関真一郎准教授 は、スピントロニクスの分野で世紀の発明を手掛ける。
その最前線の研究に迫る。
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良を進め、室温でも動作可能なものにしたいと考えています。この成果は論文誌『Nature Nanotech-nology』に掲載されました。
また3次元型の「スキルミオンひも」は、情報伝送路としての応用が可能になれば、電子回路の概念を一変させます。従来の電化製品に用いられている電子回路は、固定された構造を持っています。つまり一度つくってしまうと、書き換えることはできない。しかしスキルミオンひもで電子回路をつくることができれば、それはスピンの並び替えによってできる情報伝送路であるため、つくった後でも書き換え可能なフレキシブルさを兼ね備えることができる。
私たちは理論的に予測されていたスキルミオンひもの3つの「固有振動モード」を実験で観測し、応用可能性への道を拓きました。スキルミオンひもは書き換え可能でフレキシブル・強靭な情報伝送路になるうえ、ジュール損失がほぼゼロの究極の省エネ設計も可能にします。こちらの成果も論文誌『Nature Communications』に掲載されています。
【平凡と平凡の間に非凡をみつけよう】
マルチフェロイクスやスキルミオンというものは、既存のテクノロジーを大きく変革する可能性を秘めています。それゆえに、世界中の研究者たちがしのぎを削っている分野でもあります。私たちのような規模の小さな研究室が大規模な研究機 関とまともに張り合っても勝ち目はありません。 ではどうすれば世界に対しインパクトのある成果を出すことができるのか。私が尊敬する川﨑雅司先生(東京大学工学系研究科物理工学専攻・量子相エレクトロニクス研究センター)はある時こんなことを教えてくれました。「真に新しいことをゼロからつくるのは非常に難しい。でも、ありふれたことであっても、二つ組み合わせると新しいものになる」 ぱっとしない、ありふれた発想でも、二つくっつけると新しいものになる。 先に紹介した私たちの成果も、ありふれた研究を、新たな発想と組み合わせることで達成したものです。最小のスキルミオン粒子は、それまでの アプローチとは異なる設計指針を見つけたことによる成功でした。スキルミオンひもは、二次元から三次元に発想を転換することによって見出すことができました。 類まれな天才は、新しいことをゼロからつくれるのかもしれない。でも、研究は、サイエンスはそ んな天才ばかりによってなされてきたわけではない。大切なことは、常にまわりを観察し、平凡なアイデアでも気になったらとにかく二つくっつけてみること。 そうした平凡と平凡の間に、非凡はあるのだと信じて、今日も研究を続けています。
世界が注目 ! !
スピントロニクスで、
世紀の
発明をしよう
F R O N T I E R S A L O N
今 月 の 講 義
す る
Q1.
A1.
いつから研究者になろうと考えていたのですか?
「研究者になりたい」とまでは絞り込んでいませんでした が、高校生の頃から研究者志向だったのだと思います。
高校生の頃はプログラミングの他に「競技ディベート」
にものめり込んでいました。特定のテーマについて議論 を戦わせる競技です。原子力発電についてよく議論し、
長所短所を自分なりに分析しながら、世の中に有用な ものをつくりたいと考えることが多かったです。
Q2.
A2.
研究分野を絞り込むときはどうやっていきましたか?
先生との出会いが大きかったです。物理工学に方向性は 定めながらも分野の絞り込みは難しかったため、学部時代 は片っ端から研究室を見て回りました。私の師匠の十倉 先生は当時、つくばに研究施設を持っていました。アポを とって遊びに行くと、半日くらいかけて非常にフレンドリーに 接してくださった。この出会いがマルチフェロイクス、そして スピントロニクスに絞り込みをしていくきっかけになりました。
Q3.
A3.
研究室にはどんな学生が入ってきますか?
スキルミオンの現象そのもの、つまり基礎科学的なアプ ローチに興味がある学生と、デバイスの開発などの応 用科学的なアプローチに関心がある学生が混在してい ます。これは物理学における工学を扱う研究室ならでは の面白い特徴だと感じます。どちらの興味から入ってきて も、結果的には両方の素養を備えていくことになるので、
両者ともに自分の特性とは異なる成長が期待できます。
Q4.
A4.
スキルミオンの研究の現場はどんな様子ですか?
世界中のトップ大学・トップ企業の研究室が競合なので非 常に熾烈です。面白いテーマを見つけ、抜かれないように 日々目を光らせる必要があります。とはいえ、長く研究してい ると、次は何をやるべきかはだいたいわかってくる。そしてス ピードと量の勝負では大きな研究グループに負けてしまうの で、他のグループが思いつかないような切り口、アイデアで 勝負しています。
Q5.
A5.
どうすれば新しいアイデアや コンセプトが生み出せるのでしょうか?
私が知りたいです(笑)。大切なことはアイデアの不連続 性にあると思っています。同じ分野で競争をしている同士 は、だいたい同じ考え方を持っていますし、堅実な方法を模 索するとだいたい同じようなアイデア・コンセプトになります。
ここに少し意図的に、惰性では考え出されないような要素 を入れていくことが、新しさに繋がるのだと思います。
私の研究はエレ クトロニクス産業 に深く結びつく、
応用分野です
関 先 生 へ 質 問
ハイ!質問 です
磁気スキルミオンとは?
粒子としての性質 + ナノスケールのサイズ
=磁気記憶素子のための次世代の情報担体?
cf. レーストラックメモリ、バブルメモリ(Intel, IBM, SHARP etc...)
1〜100nm
「粒子」としての性質を伴った トポロジカルに安定なスピン構造
“スキルミオン数”
平 凡 と 平 凡 の 間 に 非 凡 を 見 つ け よ う
スキルミオンは1960年代、理論的に存在が明らかにされた。英国の物理学者トニー・スカー ムにちなんで名づけられたもの。また、もともと素粒子論で提唱された仮想粒子である。「バリオン」や
「メソン」などに代表される、強い相互作用によって結合した複合粒子である「ハドロン」を適切に記述 するために用いられる「Skyrmeモデル」によって、磁石の中のスピンの並び方も記述できることがわか り、これが「磁気スキルミオン」と呼ばれるようになった。
図2
二つの顔を持つスキルミオンは、台風のような構造として捉えられる。台風は真上から 見ると渦状の粒子のような系として把握できる。また、横から見ればそれは竜巻のような構造体で あることがわかる。二次元型、三次元型のスキルミオンにもこれと似たような構造を見出すことが できる。
図3
スキルミオン粒子とスキルミオンひも
スキルミオン粒子
情報ビット 情報の伝送ライン?
スキルミオンひも
二次元系 三次元系