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◆ 入社後すぐに出向に ◆
̶̶ はじめにご経歴をお聞かせください.
中井 1986年に大阪大学大学院理学研究科の有機化学 専攻を修了しました.学生のときの研究テーマは抗菌性 ペプチドの全合成でした.その縁もあって,当時の鐘淵 化学(現カネカ)に入社しました.実はカネカという会 社を知らないまま入社したのですが,2カ月ほど工場で 3交代実習をした後,今の研究所の前身である生物化学 研究所に配属になりました.当時はバイオ医薬品の第 1期ブームで,インターフェロンやTNFのようなサイ トカインをCHO細胞で生産する研究チームに入りまし た.化学系の研究室出身なので,ポリマーなど材料系の 研究所に配属されるのかなと思っていたのですが,ペプ チドをやっていたということでバイオ系の配属になった のだと思います.
細胞培養とタンパク質精製の研究に従事していました が,2カ月ほどで蛋白質工学研究所という国のプロジェ クトに出向することになりました.プロテインエンジニ アリングという言葉が1983年ぐらいに出て,それで国 のプロジェクトができたんですね.当時の通産省が7 割,カネカを含む民間企業18社が3割出資して設立さ
れ,そこに行きなさいということで,新入社員にもかか わらず出向を命ぜられました.それから6年余り帰って こないという,今では考えられない経験をしました
(笑).
大学で合成をやり,少し細胞培養をかじって,行った 先は計算科学が研究テーマ.タンパク質の設計をやりな さいということで,現在阪大・蛋白質工学研究所所長を されている中村春木先生と一緒に,タンパク質のシミュ レーションや立体構造決定,いわゆるstructural biolo- gyやバイオインフォマティクスの走りを研究すること になりました.2013年にノーベル化学賞を受賞された マーティン・カープラス先生のプログラムなどを使いな がら,タンパク質の分子動力学計算やバイオインフォマ ティクスでタンパク質を安定化する変異設計,そして
聞き手
由里本博也
京都大学大学院農学研究科
石黒澄衞
名古屋大学大学院生命農学研究科株式会社カネカ
バイオテクノロジー開発研究所所長 中井孝尚 氏
株 式 会 社 カ ネ カ は,化 成 品,樹 脂,食 品,ラ イ フ サ イ エ ン ス,合成繊維など幅広い分野の製品製造・技術開発を行って おり,特にバイオテクノロジー関連事業では農芸化学会との 関連も深い.今回は,兵庫県高砂市にある高砂工業所内のバ イオテクノロジー開発研究所にて,ご自身のご経験から若手 研究者・学生へのメッセージも含めて忌憚なくお話いただき ました.
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NMR法による立体構造決定の両方をやりながら6年を 過ごしました.その後,ゼロから作ったNMR法による 立体構造決定プログラムとその応用で阪大の京極先生の ところで学位をいただきました.学生時代は有機化学専 攻だったのに,物理化学専攻での学位取得ということに なりました.
̶̶ 当時日本では計算科学分野の方は多くなかったの ではないでしょうか? ご自身で勉強されたのでしょう か?
中井 蛋白質工学研究所がそういう部門をあえて作り,
各社の若い人たち,つまり私と同じように新入社員で出 向した人たちを集めて,中村春木先生や,郷 信広先 生,郷 通子先生などの,当時の計算科学の著名な先生 方が毎週講義をされていました.素人を教育する人材作 りから始めるという優雅な時代でしたね.プログラミン グは自分で勉強しましたが,中村先生はその分野のプロ だったので教わることも多く,まるで大学の研究室にも う1回入ったみたいな感じでした.私がいたのは中村先 生がトップの第2研究部で,10人ぐらいの出向社員と,
大学を辞めて専属の研究員になられたプロパー社員が5 名ぐらいおられ,共同研究の学生さんも頻繁に出入りさ れていました.当時お世話になった人たちの多くが,今 アカデミアの計算科学分野で教授をされています.そう いう面でいうと,いい時代でしたね.
当時はプロテインエンジニアリングという技術でタン パク質を自由自在に設計,合成できて,人間の思いどお りの立体構造を造ったり,機能をもたせることができる んだ,みたいな夢を語っていた時代でした.そんなこと が本当にできるんだと当時は思って分子設計の世界にい ましたが,今でもまだ自由自在とはいきませんね.
一緒に研究をしていた他社からの出向メンバーの中に は,会社を辞めて大学の先生になった方もかなりおられ ますが,私は1992年にカネカへ戻りました.大学と変 わらない研究生活のあと,会社に戻ってきたら,昔やっ ていたバイオ医薬の研究はなくなっていて,計算科学を 活かしてドラッグデザインでもやろうかなと思ってもこ の分野の研究もありませんでした.そこで,身近にあっ た工業用酵素の改変をやろうと思い,立体構造も決まっ てない組換え酵素(アミダーゼ類)の結晶化,構造解析 から始め,その構造を使った熱安定化のデザインや計算 に関する仕事をしました.出向時代も遺伝子組換えで研 究に使うタンパク質を作ったことはありましたが,実際 に事業に役立つ酵素の仕事にかかわって,初めて会社に 貢献する仕事をしたと感じました.その後も酸化還元酵 素の改変や,医療機器のリガンド用ペプチドの設計な
ど,いろいろなテーマでほかの研究グループとコラボ レーションしながら,企業で計算科学を活かす,根付か せるという思いで研究を進めてきました.一方で,もの づくりのメーカーにいるのに本格的な製造を経験するこ となく,ずっと基盤的な研究をやってきて,それで今所 長になっているので,自分でも,研究所長がこのキャリ アでいいのかなという思いも片隅にありますが(笑).
そうこうして,40歳ぐらいのときに転機があり,本 社事業部の開発に異動しました.そこでは,新しいサプ リメント素材の市場開発やバイオ医薬品関連の事業企画 などの新規事業テーマ探索,立上げにかかわりました.
バイオ医薬品企業のユーロジェンテック(Eurogentec)
社や,今も非常勤で取締役を務めているジーンフロン ティアというバイオベンチャーのM&Aなど新しい領域 に踏み出すチャレンジ的な仕事をしながら3年半ぐらい 本社勤務を経験しました.その後の組織改訂で設立され たフロンティアバイオ・メディカル研究所に研究テーマ 企画室長として戻り,新しい研究テーマの探索,立上げ という企画畑の仕事をずっと歩んできて今を迎えていま す.
◆ エビデンスと安全性 ◆
̶̶ 会社として作りたいものが先にあるのか,外から のニーズに応えるものを作るのか,どちらが多いので しょうか?
中井 カネカ全体としては,たとえばポリマーなど材料 系だとこういうスペックの樹脂が欲しいとか,お客さま に言われて作る場合が多いようです.ライフサイエンス の場合も医薬中間体はそうですね.製薬メーカーが「こ ういうキラルな化合物が欲しい.その製法も含めて開発 してほしい.」と要求してきます.それが不斉触媒を使 う化学反応でも,酵素を使うバイオトランスフォーメー ションでも構わないということであれば,われわれの研 究者が合成ルートを考えて,ここはバイオ反応のほうが いいとか,バイオを使ったほうが大幅にコストダウンで きるとかいう検討をしてプロセス開発,製造までやりま す.一方,全くのシーズからやるということもあります が,この場合は事業化が遠いというか,売れるかどうか わからないという面で事業部門や経営陣からは,「いつ になったらもうかるのか,市場(顧客)を本当に見てい るのか」などかなり厳しいことを言われます.当然,企 業の場合は,事業にして売上を出して初めて意味のある 研究なので,売りにつながるまで長い時間がかかるテー マはなかなかマネジメントが難しいですね.特にライフ サイエンス分野の研究は時間のかかるものが多いので,
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経営陣に理解していただきながら適切に人やお金を入れ ていく,その辺りのマネジメントに日々苦労していま す.医薬中間体のような既存事業では,作るものは決 まっていて競合がいるのが前提なので,新しい技術でコ スト競争に勝つという技術開発をやることになります が,新しい事業領域での研究はシーズ志向が強いかもし れません.
̶̶ ホームページを拝見しますと,たとえば機能性食 品でもいろいろな種類のものがありますが,こんなに多 岐にわたるものをどうやって製品化までもってこられる のでしょうか?
中井 機能性食品に関しては,コエンザイムQ10は特別 で,日本ではもともとは薬でした.それがアメリカでブ レイクして,日本は2001年の食薬区分の改訂で食品と して使ってもいいということになって逆輸入でブレイク しました.この追い風に乗って,新しい素材も出そうと いうことで取り組みましたが,このときはシーズ志向で した.生活習慣病に注目し,これにターゲッティングし て,膨大なスクリーニングから効果のある素材,成分を 見つけていきました.またどういう現象,どういうメカ ニズムで効くのかについても,大学の先生方とも一緒に 研究しました.カネカは,やはり科学的なエビデンスを 大事にし,なかでも一番に安全性ということを大事にし て研究してきました.当社は重い過去があって安全性に は非常に慎重なスタンスなので,自然の素材から,しか もエビデンスがきちんと出るものを開発する方針で大真 面目に研究しました.生活習慣病をターゲットにした新 しいサプリメントを世に出したいという研究者の強い思 いがあって,今のいろいろな製品が生まれました.もっ ともっと売れてくれると嬉しいです(笑).
̶̶ そういう自由な発想というか,どんどん提案でき る雰囲気が常にあるということでしょうか?
中井 そうですね.カネカ全体は社風に「自由闊達」を 掲げていますので,ボトムアップというか,下からの提 案は結構あります.そういうものがくみ上げられてきた という歴史も積み重ねてきています.私の研究所でも,
必ず年に何回かはアイデア提案会やテーマ提案会をやっ ています.もちろんそんな簡単にテーマが出てきたり,
これが事業にできたら面白いねというアイデアがたくさ ん出てくるわけではないですが,普段からそういう活動 をやっていないと研究所の高いアクティビティを持続で きないと思います.それはアカデミアでも同じで,次の 研究ネタをどうするかというのを常に考えておられるの だと思います.今のご時世オリジナルというのは相当難 しいですが,人の真似をしても仕方がないので,そうい
う取り組みはずっと続けてきましたし,これからも続け たいと思っています.
̶̶ 提案されてきたものの中からでも,やってみない とわからないですよね.
中井 当社の研究所がすべて同じかはわからないです が,私の研究所の研究テーマ企画室では机上の調査や企 画だけではなく,面白そうだったらフィージビリティの ために実験もやってみるという期間は作っています.
触ってみないと想像力,直感も湧きませんからね.たと えば「この微生物は面白いよ」とか「たくさん物を作る よ」と聞いても,本当に自分たちが納得できるレベルで 作るのかどうかわからないですから.納得すれば次のス テージの共同研究契約を結んだり,コラボレーションに 進んだりとか,いろいろな形を試しています.それなり のお金や人を使い出すと,ちゃんと研究テーマにしなさ いと言われますし,私もそれを言う立場にあるので,
「遊んでばっかりいずに,そろそろ見極めろ」というこ とになります.道筋はいろいろあっても会社のルールに 従って認められる研究テーマにしていくプロセスが大事 ですし,苦労もあります.もちろん事業部門から「これ をやってくれ」と降ってくるテーマもたくさんありま す.お客さまから,「これは急ぎだから,いつまでに開 発しないといけない.何とかしてくれ.」という要望も 当然ありますので,優先順位をつけることになります.
どうしてもステージの若いテーマのウエイトがついつい 下がってしまうということも多いのですが,提案した研 究者の思いも大事にしてあげたいので,その辺りはバラ ンスを見ながらマネジメントしているつもりです.
◆ T型よりπ型 ◆
̶̶ いい人材を採用するポイントはどんなところで しょうか?
中井 やはり資質というのはありますよね.思っていて もなかなか言えない,アイデアをたくさんもっていてよ く考えているんだけど言えない(出せない)メンバーは 評価が難しいです.ですから採用のときには,積極的に 自分から提案できる人かどうかを一生懸命見るようにし ています.単に調子がいいだけでは困りますので,当然 ですが専門性の裏づけとそれなりの見識をもっているう えでということになります.最近は大人しい真面目な学 生さんが多いですよね.その中から,やはり芯があっ て,ちゃんと言うべきところで,ものが言える学生さん を一生懸命見極めたいと思っていますが,所詮,人間が 見ますから(笑),わからない,見抜けないことのほう が多いですね.確かにずけずけ言いたいことを言う人は
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少ないですね.いい意味でも悪い意味でも非常にバラン ス感覚がいいということなのでしょうか.
̶̶ 言われたことはやるけれども,なかなか自分で新 しいことをできないという人が多いということはないで しょうか?
中井 そうかもしれませんね.研究所の朝礼や飲み会の 機会で,「研究者とは何ぞや」との問答や「研究所で働 くことと研究者であることは違うんだ」というメッセー ジを特に若い人に投げかけているつもりです.やはり研 究者って,自分がこれをやりたいとか,こう考えている ということを,自分の意見,考えにして発信できて,そ れでディスカッション,ディベートできて,初めて一人 前の研究者だと私は思っています.言われたことをやっ ているだけならテクニシャンになってしまう.会社に 入ってしまうとそれは学歴とはあまり関係なくて,修士 卒でもドクター卒でも関係なく研究マインドがあるかど う か が 大 事 で す.私 の 研 究 所 で は 管 理 職 も 含 め て Ph.D.は二十数名います.ドクター卒で新入社員として 入ってくる人も最近はかなりたくさんいますが,ドク ター卒はそれなりの訓練(修羅場経験も)を受けてき て,発言を求められる立場にいたという点では,面接の ときは修士卒とは明らかに違うように見えます.でも,
会社の中に入ってきてどうかというと意外に大人しく なったりするので(笑),「もうちょっと元気に」とハッ パをかけることもありますね.
̶̶ 今,学位のお話が出ましたが,やはり学位をもっ ていたほうが研究者としてはいいというお考えでしょう か?
中井 日本で研究している分には,基本的にはあまり関 係ないと思います.海外に出たときは,研究でも事業部 門の開発担当でもPh.D.の名刺があるのとないのではか なり違いますね.研究者として海外に行くときは,
Ph.D.をもってないと一人前の研究者とは見られません.
私も開発担当のときにアメリカなど海外に何度も行きま したが,Ph.D.をもっているのでそれなりにリスペクト してもらえました.当社もそうですが,研究活動のグ ローバル化がどんどん進む時代には学位はもっているほ うがいいと思います.私は修士を出て会社から出向した ときの仕事で学位を取らせてもらいましたし,会社の仕 事で博士を取っている研究者もたくさんいます.私は,
会社に入った後にドクターを取るというのを妨げるつも りはないですし,逆に推奨しているつもりです,カネカ のほかの研究所もそうだと思います.取れるものなら 取ったらいいということを,若い人には常に言っていま すが,積極的に自分で動く人はあまり多くないかもしれ
ません.最近はもって入ってくる人のほうが多いです ね.
̶̶ たとえばドクターの場合は,学生のときに会社で の研究に近いことをやっていたほうがいいということは ありますか?
中井 特定の研究テーマで即戦力が欲しいという場合 は,ドクターの新卒やキャリア採用者を当てることはよ くあります.一般的には,ドクターだからといってその 専門領域をそのまま会社で研究するということはまずあ りません.基本的にはライフサイエンスという大きな領 域の中でテーマも変わりつつ新たなことにも取り組んで いくという感じです.大学で一生懸命勉強してきて,た とえば博士課程で5年,6年研究をやってきたなら,そ れは自分の一つの専門になる.そこから会社に入って,
企業での研究生活が十数年続くのであれば,その研究の 中で2つ目の専門を作って欲しいと思います.ずっと一 つの専門性で生きていけるほど甘い世界でもない.よく 世間で言うπ型ですね.T型で一つを極めているのもい いですが,会社に入って企業研究に身を投じるなら,も う一つぐらい専門をもてないと.新入社員や若い人に は,修士,ドクター関係なく,これからの仕事を通じて もう一つこだわる分野,専門を作ってくれと言っていま す.
̶̶ 大学でどういうことを勉強していたらよいとお考 えでしょうか?
中井 基礎教育はもちろんですが,研究者を目指すなら ば,まず一つとして,大学で自分が選んだ専門は徹底的 に.大学のときはいくつもできないでしょうから,一つ を徹底的に鍛えてもらうことですね.それから,自分自 身の反省で言うと,専門とは別に,やはり社会科学,リ ベラルアーツとか,若いときは私も全然興味がなかった のですが,いわゆる教養というのが年を取るといろんな 場面で結構利いてきますよね.私はなくて恥ずかしい思 いをすることもよくあります(笑).今の日本の大学は 教養や文系の学部を減らすみたいなことになっています が,逆にこれはよくないんじゃないかなと思いますね.
いい歳になっても研修などを受けたりしますが,リベラ ルアーツとかを勉強し教養を積むと,会社の外に出たと きに外の人といろいろな話題でお話しできますよね.英 語で仕事の話はできても,世界の歴史を知らなかったら 普段の会話が弾まないし,人間関係が深まらないんです よね.いろんな意味で教養というのは大切,大学の間は 時間があるのだから,サイエンス以外で興味がもてる分 野で何か一つ真剣に深く勉強しておけばいいと思いま す.たとえば宗教とか若いときに少しでも基礎的なとこ
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ろを勉強していればよかったなと思います.今はなかな か脳に染み込んでこないので.
会社で仕事を始めると時間がなくなります.大学のほ うが,隣の研究室や隣の建物,あとセミナーでもいろい ろなものに参加するチャンスがはるかにたくさんあっ て,全然違うものが周りにいっぱいあるわけですよね.
何でもいいので,無理にでもそういうところに自分で 行ってみる,触れることで目線を振る,違うものを見る ことをやってほしいなと思いますね.
たとえばカネカの中でも,樹脂などの材料系や医療器 系などとの異分野の融合研究,業際領域での研究があ り,仕事も一緒にすることになります.その分野の知識 はどうするかというと,もちろん仕事の中で勉強すれば いいのだけど,もっと大事なことは,異分野に抵抗な く,すっと入れるかどうかだと思います.大学でそうい う練習,経験をしていれば,そんなのがあるんだ,面白 いからやってみようという,違うものに前向きに触れる メンタリティというか,行動パターンのようなものにつ ながると思っています.大学の場合はそういうチャンス がいくらでも周りにあるんですよね.農芸化学の学生さ んに求めるとすれば,月に一度でも,空いている時間で もいいから自分の専門と違うどこか,たとえば理学部や 工学部の話をちょっと聞きに行ってみるとか,化学工学 の人に少しでも触れてみるとか.自分が一番興味をもて そうなところにちょっと行く,そういうのをやっておい てほしいなと思いますね.
̶̶ 今はどこでもそうだと思いますが,海外で活躍で きるような人,グローバルな人材というのが望まれるの でしょうか?
中井 すべてがそうである必要はないと思いますが….
私もあまり話せないですが海外に行かないといけない場 面も多いので,そこで拒絶反応を起こすようだと結構つ らいですね.そこは開き直って,受け入れてやる,チャ レンジするというマインドとか,やってもいいよという オープンな気持ちになるかどうかだけだと思います.今 はやはりグローバルを強く求められるので,少なくとも その覚悟はマストですね.私も面接のときには,必ず
「海外での仕事は大丈夫か」と聞きます.みんな,「大丈 夫です,やってみたいです」って答えてくれますが,
入ってきたら意外に,「いや,ちょっと困ります」とか
(笑)になってしまう人も中にはいます.われわれの研 究でもすでにベルギーのバイオ医薬品関連の子会社と一 緒に進めているテーマもあります.テレビ会議も最初始 めた頃はみんなたいへんでしたが,最近はだんだん慣れ てきて,それなりにできていますね.
◆ キャリアデザインが重要 ◆
̶̶ ポスドクを含めたキャリア採用についてはいかが でしょうか?
中井 ポスドクだったとか他社から転職してきた人も研 究所にはかなりいます.ある領域の研究開発やマーケ ティングで,その道のプロが欲しいというときにキャリ ア採用しています.キャリアで来た人たちには,生え抜 きの人と自分たちは違うんだという意識が少しあるよう ですが,個人的には特に意識せずに接しています.当社 は,キャリア採用組の定着率が比較的高いそうです.ポ スドクから入社した人もいますし,意外に就職のときの 門戸は広いのかなと思っています.
̶̶ いわゆるポスドク問題についてはいかがでしょう か?
中井 これはポスドク問題というより,研究者個々人の キャリアデザインの問題だと思います.研究者としての 自分のキャリアをどう考えるかだと思いますね.それは 会社でも同じで,会社の中で研究者としてやっていける のは何歳までかの議論があります.全員定年まで研究所 に勤められることはありません.私の場合は研究所長と して今も研究の現場にいられるので,企業研究者のキャ リアとしては,恵まれていると思っています.実際には 40歳を超えても研究リーダーになれないということは よくあるケースです.じゃあそのまま研究所に居られる のかというと,若い人が毎年入ってくるので当然誰かが どこかへ出ていかないといけない.そういうときに自分 がどういうキャリアを積んでいくのかを普段からどれだ け真剣に考えているかが重要で,この問題の本質ですよ ね.
企業の研究所だと40歳前後になったら,その後の キャリアを意識させられる状況になります.そのとき に,自分はどんな仕事がしたい,それができるのか,次 は開発に行くのか,製造に行くのか,もっと跳んで営業 に行くのか,などいろいろなキャリアを考えることにな ります.考えてなくても,転勤というのもありますが.
大学のポスドクの人たちにとっても,自分は大学の先生 になるのか,なれなかったらどういうキャリアを描くの か,自分の職をどのようにして選んでいく,獲得してい くかという,個々人のキャリアデザインへの意識の問題 が大きく絡んでいると思います.だからポスドクも,35 歳ぐらいになったら企業に出るとか,海外で職を得るこ とも含めて,自分がどこに行くんだという明確なビジョ ンをもつことが大事で,そういうこともある程度は教育 すべきだと思います.つまり大学の教育として,ドク
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ターへ行く学生さんにはキャリアデザイン教育というの をやらないといけない.少し前にどこかの学会で聞きま したが,アメリカの大学にはそういうプログラムがある そうです.たとえばアメリカならベンチャーを起業する とかも含めて,キャリアデザインを考えるようなプログ ラムを大学としてやっている.日本の大学もそういう教 育をやらないといけないのではと思いますね.それを学 会が支援するのもいいかもしれません.
̶̶ キャリアデザインというのは一つだけではなく て,いろいろな選択肢をもつということなんですね.
中井 そうです.そのときに自分がどういう風にどのタ イミングで決めるか.もうこれしかないと思っていて幸 運にもそこへ行ければいいですが,そこに枠がないから 誰か作ってくれと言っても誰も作ってくれるわけではあ りません.それは自分で描くしかないですね.いろんな 選択肢があるんだということを知らないといけないし,
キャリアを考えることそのものを大学,特に博士課程で 教育あるいは研修したほうがいいと思います.そのまま 大学の先生になるのか,違う道を選ぶのか,いろいろな 考え方ができるようになると思うんです.ドクターを出 た学生が企業に就職するつもりになればそれなりにポジ ションはあると思います.逆に,企業からアカデミアに 戻る道もあり得ますし,そのような事例は当社でもかな りあります.
◆ これからの農芸化学に望むこと ◆
̶̶ 最後に農芸化学に望むことは何かありますでしょ うか?
中井 当社はメーカーですのでもの作りが基本で自信も ありますが,たくさん作るときには,スケールアップと かプロセス工学的なところで苦労することがよくあるの も現実なんです.最初のラボ実験はいいけど,たとえば 坂口フラスコの2 Lはうまく培養できるが,そこから先 500 L, 1,000 Lを同じように培養できるかと言うと,そん なに簡単ではない.基本的に技術やノウハウが全然違う んですね.農芸化学の研究室を出ても,大学ではそうい う経験はしていない.大学の先生方にプロセス開発的な 研究をお願いしたいと思っても,論文を書けないし…み たいな話になります.農芸化学は生物と化学の両方がか
かわって領域は広いのだけれども,研究の道具立てがや はりバイオ,生物信奉が強いのかなという気がします.
そこにプロセス工学のような工学の視点を融合できた ら,もっとすごいことができると思います.是非,工学 的な視点をミックスされた研究をお願いしたいと思いま す.私は生物物理学会に入っていますが,生物物理とい うのは異分野融合,交流の色彩が強い学会です.農芸化 学にも物理学的な視点も融合できたら面白いのかなとも 思います.メーカーの立場から言うと,物理や工学的な 考え方とか,そういう学会とのコラボレーション,融合 で新領域を開拓していただきたいなと思います.あとは もう一つ,すごく抽象的ですが,私が若かったころは遺 伝子組換えやバイオの技術,たとえばPCRなどエポッ クメイキングな大きな技術ブレイクスルーがありまし た.最近だとゲノム編集がそうなっていくのでしょう か.農芸化学でも次世代のバイオテクノロジーのコア技術 といえるものを生み出していただきたいし,学会としてバ イオテクノロジーの将来に向けた大きな方向性,ビジョン みたいなものを見せていただけたらなと思いますね.
̶̶ 本日は興味深いお話をどうもありがとうございま した.
プロフィール
中井 孝尚(Takahisa NAKAI)
<略歴>1984年大阪大学理学部化学科卒 業/1986年同大学大学院理学研究科修士 課程修了/同年鐘淵化学工業(株)(現(株)
カネカ)入社/同年蛋白工学研究所研究員
(出向休職)/1992年鐘淵化学工業(株)復 職/1994年大阪大学大学院理学研究科博 士(理学)取得/2000年鐘淵化学工業(株)
高砂研究所基幹研究員/2004年(株)カネ カ 精 密 化 学 品 事 業 部 企 画 担 当/2008年
(株)カネカフロンティアバイオ・メディカ ル 研 究 所 研 究 テ ー マ 企 画 室 長/2013年
(株)カネカバイオテクノロジー開発研究所 長,現在に至る<研究テーマと抱負>微生 物による有用物質生産およびバイオ医薬品 関連の研究開発,専門分野は生体高分子の 計算科学・分子設計<趣味>登山,ゴル フ,PC
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.605
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