第 1 章 はじめに 1.1 研究の背景
日 本 の テ レ ビ 放 送 は 1953 年( 昭 和 28 年 ) NHK 東京テレビジョン局で始まり、2013 年に 60 周年を迎えた。60 年前はテレビ放送の画面はモ ノクロだったが、万国博覧会がはじまった 10 年 後の 1970 年 4 月に日本テレビは夜のゴールデン アワーを完全カラー化し、1971 年には NHK の 全放送時間が完全カラー放送となった。また、50 年前までは NHK・日本テレビと 2 つのチャンネ ルしか無かったのが、今では衛星放送を活用しデ ジタル放送となったため、BS デジタル、CS デジ タルを合わせると数百をも超える多チャンネル時 代を迎えた。
私たちはテレビと共に暮らし「テレビ好きな国 民」と呼べるほど、日本人の生活の中に浸透して いる。視聴者にとってテレビ番組は、真面目な ニュース番組からお茶の間に笑顔を届けるバラエ ティ番組まで様々であるが、番組制作者にとって
「ビジネスの場」なのである。
1.2 研究の目的と構成
本論の目的は「制作者と視聴者にとって視聴率 は魔物化してしまったのか」という問いを考察す ることである。まず、視聴率の定義については次 章で述べることにして、ここでは視聴率の魔物化 という意味について述べていきたい。「視聴率の 魔物化」ということについて、上智大学の碓井広 義は 1998 年の著書で以下のように述べている。
ここ数年「視聴率」はあちこちで批判の対 象とされました。いや、正確には「テレビ批 判」の材料としてよく使われてきました。い わく、テレビをめぐる様々な事件や問題の裏 側には、視聴率戦争があり視聴率至上主義が ある。視聴率を取るために、テレビは何でも
やる。無理、無茶、下品、恥しらず・・・・・・。
まるで魂を悪魔に売り渡したかの如く、とん でもない常識はずれを番組の中でやらかす。
それもこれも視聴率が悪いのだ、と(碓井 1998:127)。
つまり「視聴率の魔物化」とは、視聴率を取る ためには手段を選ばず、結果として高視聴率を叩 き出し人気番組を作り出せる制作者こそが絶対で あるというプロフェッショナルな考え方のことを 意味しているのである。現代のテレビ番組の視聴 率は番組制作者だけに限らず視聴者にとっても馴 染み深いものとなっている。はたしてテレビ番組 は視聴者のために良く考えられた番組作りがなさ れているのか、または視聴率至上主義がより酷く なり高視聴率を取るためであれば良し悪しの区別 をつけない何でもやるようになってしまったのか について、考察していく。
本論では、主に碓井の『テレビが夢を見る日』、
『テレビの教科書』と大場五郎の『韓国でテレビ 番組はどう見られているのか』と、後述するビデ オリサーチのデータをもとに、視聴率は本来どう あるべきなのか、視聴率主義の歴史、日本と外国 のテレビ番組での違いなどについて検証してい く。
第 2 章 視聴率とは 2.1 視聴率の在り方
本章では視聴率の歴史と在り方について論じて いく。まず、視聴率の定義として重要な点は、視 聴率はテレビの番組や CM がどれくらいの世帯 で見られているかを示すひとつの指標であり、視 聴者にとってはポピュラーでありながら、謎に満 ちたパーセンテージの数字というイメージが強 い。では、この視聴率という言葉が一般的になっ
番組制作者と視聴者に及ぼす視聴率の魔物化
蜂谷 和樹
(黒木 雅子ゼミ)
たのは、いつからなのか。それは、80 年代のフ ジテレビ快進撃の時代に「視聴率三冠王」という 表現が生まれた時からであり、視聴率という言葉 が日常的話題となったのが一つのきかっけなので ある。視聴率三冠王とは、午前 6 時から午前 0 時 までの「全日」、午後 7 時から 10 時の「ゴールデ ン」、午後 7 時から 11 時の「プライム」のすべてで、
平均視聴率 1 位を獲得することを視聴率三冠王と 言い、過去には 1978 年に TBS が視聴率三冠王の 第 1 号を達成している。多チャンネル時代になり、
どの放送局も視聴率を獲得することが重要である という考え方は、「視聴率主義」、「視聴率至上主義」
といった言葉でヤリ玉に挙げられ、視聴率三冠王 の称号を獲得するために事件を引き起す原因とも なっていた。
ただ、あくまでも視聴率は放送された番組や CM がどれくらい見られていたかを測定する数値 であり、視聴された量の大小を測る尺度のひとつ なので、視聴率が高いからといって番組の内容に ついて価値や質的評価が良いとは限らないのであ る。更に、月刊誌「サイゾー」、「ビジネスジャー ナル」といった雑誌、デジタルメディアの企画、
制作、運営を行っている株式会社サイゾー(Cyzo inc.)が、2014 年 7 月にオープンした本や雑誌か らニュースを掘り起こす「LITERA」(リテラ)
というサイトでは次のような記事が書かれてい た。
かつては視聴率というものは国民の総意だ と僕らは信じていた。ただ、いわゆる「コン テンツ」という言葉が前面に出始めた頃から、
実はちょっと「……?」ってなってきている ところもある。こんなこと僕が言っちゃいけ ませんけど、果たして今の世帯視聴率は何を 表しているものなんだろう……?と。少なく ともコンテンツそのものの本当の価値、総合 力を表しているとは素直に思えないのが正直 なところです。
この記事は 2014 年の 5 月に発売された『メディ アの苦悩 28 人の証言』(光文社)という著書の 中で、視聴率調査についてフジテレビ現社長の亀 山千広が語った一文だ。亀山千広といえば 90 年
代には「ロングバケーション」「踊る大捜査線」
などの人気ドラマをプロデュースし、2003 年に 映画事業局へ移った後は 2005 年に邦画の興行収 入約 30%がフジの映画事業が占めるなど、大き な成果を出す日本のテレビプロデューサーでもあ る。その亀山が視聴率に対してこのようなことを 語ったのは何故なのか。次に、視聴率があるのは 何故かについて論じていく。
2.2 視聴率がある目的
まだ、視聴率が私たちにとってポピュラーなも のではなかった時、すべての人の意見や意思を尊 重して、テレビが視聴された量の大小を測り、番 組の質を向上させることが視聴率を取ることの最 大の目的であった。しかし筆者は、テレビが多チャ ンネル時代になったことで、どの放送局も視聴率 至上主義になり、本来の目的を忘れかけているの ではないか、と疑問に思う。現代における視聴率 を取ることへの目的とは何なのか。視聴率の種類 について論じていく。
まず、視聴率には 2 つの種類がある。それは「個 人視聴率」と「世帯視聴率」の 2 つに分けられて おり、前者は後者よりも注目を集めている。個人 視聴率が注目を集めている理由は、一般的に視聴 率という言葉が使われる時は自動的に「視聴率=
世帯視聴率」と見られる中で個人視聴率を出すこ とで、より正確な視聴率が測れるということがあ るからだ。
では、個人視聴率と世帯視聴率はどのように違 うのだろうか。まず、世帯視聴率とはテレビ所有 世帯のうち、どのくらいの世帯がテレビをつけて いたかを示す割合である。一般的に使われる「視 聴率」とは、この世帯視聴率のことを言う。つまり、
世帯視聴率では一世帯にテレビがついていたら、
その世帯はテレビを見ているとみなし、視聴率と して扱うのである。では、もうひとつの個人視聴 率はどういうものなのか。個人視聴率とは世帯内 の 4 歳以上の家族全員の中で、誰がどれくらいテ レビを視聴したかを示す割合のことをいう。視聴 者を、性別・年齢別・職業別などに分けて、どれ くらい見られていたかを知りたいときに利用され ており、世帯視聴率のように一世帯をまとめて視 聴率を測るよりも、もっと詳しく調べることが出
来るので、番組の企画・制作をする際に役立って いる。この 2 種類の視聴率の強み・目的を知るた めにも、次は視聴率調査のことについて知る必要 がある。
視聴率調査が行われるにはそれなりの理由があ る。テレビ放送開始の初期の頃は、各テレビ局、
広告会社によってさまざまな手法の視聴状況調査 が行なわれていたが、次第に業界共通のデータに 対するニーズが高まった。1961 年、そこでアメ リカの視聴率調査会社ニールセンが機械による視 聴率調査をスタートしたのに続き、「日本版の視 聴率調査会社」の要望に応えて 1962 年 9 月にテ レビ局、広告会社が中心となり第三者機関として ビデオリサーチが設立され、日本の視聴率調査は 活発化したのである。現代の調査方法は、オンラ インメーターによる世帯視聴率調査、日記式アン ケートによる個人視聴率調査、PM(ピープルメー ター)による世帯視聴率と個人視聴率の両方を計 測出来る 3 つの調査方法があるが、この 3 つの調 査方法と毎分視聴率をもとに視聴率計算を行うこ とで、世帯視聴率と個人視聴率それぞれの強みが 生かせるようになった。
では、世帯視聴率を詳しく見ていこう。世帯視 聴率はメディアで取り上げられることの多い「視 聴率」を表しており、視聴率を集計する際の計算 は毎分視聴率をもとにして行われる。世帯視聴率 というのはテレビが何台あろうと、1台でもテレ ビがついていれば視聴率が何パーセントとカウン トをされ、ここでの毎分視聴率の最小単位は 1 分 である。この視聴率の特徴は、放送局の視聴率を もとに占拠率を計算できるのはもちろん、各局の 視聴率がどれだけ占拠されているのかを計算でき てしまうことである。
筆者は現代における世帯視聴率の目的につい て、次のように考える。番組制作者にとって放送 局や番組の宣伝、スポンサーへのアピールといっ たビジネスの一つであり、視聴者にとっては、番 組内容の良し悪しにかかわらず視聴率で番組を選 ぶようになり、ポピュラーなものにしていくこと なのである。
では、視聴者にとってはあまり馴染みのない個 人視聴率の目的はどういうものなのかについて論 じていく。個人視聴率は世帯視聴率のように 1 世
帯と大きな括りで調査・集計を行うのではなく、
1 世帯の中でどのような人がどれくらいテレビを 視聴したかということを調査し、集計は毎分視聴 率を 5 分刻みで日記式という形で行われる。個人 視聴率は、特定の人の中でどれくらい視聴してい るのかが知りたいときは性・年齢別の計算方法を 用いて、さまざまな角度から分析できる。個人視 聴率の目的とは、業界内のマーケティングデータ として、番組の編成や制作の現場をより良い環境 に整えることを目的として集計されているのであ る。
フジテレビ現社長である亀山は、視聴率という のは国民の総意だと私たちは信じていたと語って いる。しかし今の視聴率というのは番組の価値を 高めるための良し悪しを決める判断基準であり、
放送局の価値を高めるだけの視聴率という名前の 道具にしか過ぎないのが現実である。私たちはテ レビ好きな国民だからこそ、放送局にとって視聴 率が大切だというのであれば、これからもずっと テレビを見てくれる視聴者のことを大切にし、番 組を制作することが高視聴率を取ることの目的に 繋がるのでないだろうか。
第 3 章 視聴率主義の問題 3.1 視聴率主義の元祖
上智大学の碓井広義は 2003 年の著書で、視聴 率は送り手側におけるビジネス・ルーツの一つに すぎなかったのが、現在のように一般の視聴者 の間でもポピュラーになったのは 80 年代にテレ ビ界を独走していたフジテレビが元になっている と、語っている。ゴールデンタイム、プライムタ イム、全日と主に三つある視聴率のことを視聴率 三冠王と呼び始めたのはフジテレビが最初であ る。制作者にとって視聴率というのは視聴者や企 業に対して番組はこれだけ見られているという宣 伝の一つであり、内部スタッフを鼓舞するための 檄でもある(碓井 2003:96 − 7)。
そして視聴率という魔物が生み出した視聴率至 上主義、このような考え方が始まったのは日常的 に新聞や雑誌で高視聴率番組が紹介され、低視聴 率番組が存続の危機にあることが書かれるよう になったことが始まり、と碓井は語る(碓井
2003:97)。高い平均視聴率を獲得することがテ レビ局間の競争の最大目標でもある。しかしこの 視聴率重視の風潮では、番組の継続や打切りが番 組の質よりも視聴率を指標として決められてしま う。
視聴率調査の標本数が少なくて信用できないと いう点でも視聴率批判・視聴率至上主義批判がな されてきた。では、高い平均視聴率を獲得のため の視聴率至上主義への批判にはどのようなものが あったのか、視聴率主義の始まりとそれへの批判 の経緯をもとにして論じていくことにしよう。
日本の視聴率調査は、1953 年のテレビ放送開 始の翌年に NHK が実地した調査に始まる。調査 方法の手法として専属の調査員が直接視聴者の家 を訪問して見た番組を聞き取りする「訪問面接法」
が実施され、この方法は今も NHK の契約、集金 という形で実施されている。一方 1955 年から始 まった広告代理店の電通調査は配布した調査票に どの番組を視聴したかを記入してもらう日記式の
「配布・回収法」で実施されていた。この方法は 前日のテレビ視聴を問うもので、人の記憶による 制約や、調査結果が 1 ヵ月かかるので問題の多い 調査方法であった(藤平 2007:134)。
日本のテレビが普及したのは 1961 年だが、米 国では株式会社ニールセンが 1949 年から視聴率 調査を開始している。1960 年ニールセン社で新 開発のオーディ・メーターという測定器による調 査と日記式を併用することによって、全米規模で の個人視聴率、世帯視聴率調査を実現し、市場を 席巻していった。このオーディ・メーターを使っ た調査方法の仕組みは、今のビデオリサーチによ る調査にも多大な影響を与え、人の記憶による制 約や、調査結果が 1 ヵ月かかるという日本での調 査方法の問題を米国は上手く解決した(藤平 2007:135)。
米国で視聴率調査の技術が向上していく中、日 本では電通がかねてより研究、開発していた視聴 率調査測定機が完成したので、ニールセン社に対 抗し、1962 年、全国の有力民間放送 18 社と電通、
東芝の出資により純国産の視聴率調査会社・ビデ オリサーチが設立された。当時の測定機は、1 週 間分の視聴データを週に一度まとめて回収し、報 告する「オフライン」の方式で行われていたが、
1977 年を皮切りに「オンラインメーター」によ る調査をスタートさせ、視聴率データの利用を拡 大した(藤平 2007:135)。今、日本での視聴率 調査はビデオリサーチ一社による独占状態が続い ている中で、視聴率から見たテレビ批判、視聴率 批判はどのように移り変わっていくのかについて 論じていく。
まず、テレビ批判をすることは視聴率批判をし ていることと同じであるという前提のもとで論じ ていく。視聴率調査はテレビの普及と歩みを第一 に考え進展してきた。1975 年にはテレビの広告 費は新聞のそれを抜き、押しも押されもせぬ「ナ ンバーワン・メディア」と呼ばれるほどにまで成 長した。新聞やラジオなどで視聴率、聴視率が話 題となることも多くなり、私たちの日常生活の中 に急速に溶け込んでいったことが、視聴率至上主 義を作る根源となった(藤平 2007:136)。
テレビ放送開始時から、テレビ批判の中で視聴 率が取り上げられることが多くなり、番組批判や テレビ局がらみの不祥事が発覚すると、必ずと いっていいほど視聴率への言及がある。視聴者と 番組制作者の関係は、「視聴率至上主義が生み出 した俗悪番組」、「視聴率偏重の番組作り」などの 表現が各種報道や批評で、枕詞のように使われる ようになった。その中で番組批評の先駆をつけた のは、評論家の大宅壮一である。日本テレビの バラエティ番組「ほろにがショー何でもやりま ショー」の中での「やらせ」事件が発端であっ た。1956 年秋、神宮球場で行われた早慶戦の最中、
慶大生に扮した男に、早稲田大学側のダグアウト の上で慶応大学の三色旗を振らせ、その男がつま み出されるまでの一部始終が放送された後、東京 六大学野球連盟ならびに早稲田大学側の怒りを買 い、番組批判が起こった。大宅の書いた番組を批 判した記事は瞬く間に「一億総白痴化」という流 行語で有名になり、劣悪なテレビ番組を批評する 際にはいつも決まって、この流行語が使われてい た(藤平 2007:136)。
バラエティ番組の「やらせ」事件が起こった 1969 年には、東大紛争、空母エンタープライズ 寄港反対闘争などで不安な世情の中、日本視聴者 会議という市民団体が「不良番組対策協議会」を 開き、会員アンケートをもとにテレビ番組ワース
ト 5 を発表した。その当時、俗悪番組として批判 されていたのは、「女子プロレス」や実力派の司 会者に大橋巨泉、高田純次、関根勤が出演する深 夜のワイドショー番組「11PM」である(藤平 2007:137)。
1980 年代前半までのテレビ批判=視聴率批判 は、視聴率がテレビ番組作りの一因となっている と何度も繰り返し主張されたが、このような俗悪 番組を批判する火付け役となったのは紛れもなく 評論家の大宅である。大宅がテレビ批判をするの は、視聴率では番組の視聴の質はわからないとし て視聴率主義がもたらすとして番組内容と視聴率 のズレを指摘した。そして、大宅のテレビ批判に 対する考えは筆者も同感である。次節で視聴率と 番組内容のズレが番組制作者だけでなく受け手で ある視聴者にどう影響したのか検証していく。
3.2 視聴率と番組のズレ
テレビ番組には多くの種類がある。報道、情報、
スポーツ、娯楽、教育、ドラマ、アニメと、番組 の種類は内容と対象などの性質によって細かく番 組を一つの分類としてカテゴライズするような形 で分けることが出来る。番組の種類は内容によっ て変わってしまうものもあるため、視聴者の求め る番組内容にも多少のズレはあり、視聴率を取る ためなら手段を選ばず、結果として高視聴率を叩 き出し人気番組を作りだすという視聴率主義な考 え方を持っている番組制作者が番組を作れば高視 聴率は取れてもテレビ批判が起こり現代ではイン ターネットで視聴者から叩かれるのは当然なので ある。では、視聴者はテレビをどう見ているのだ ろうか。
視聴率を見る上で重要になってくるのは視聴率 変動である。例えば報道番組ではよく取り上げら れる事件、事故のニュースは特に視聴率変動が激 しく、その要因が「非日常性」である。視聴率は 非日常的なことが起きると視聴者が興味深い内容 に反応して鋭く変化する。また、事件のニュース だけではなく地震、台風、津波、洪水、土砂崩れ などといった「天災」のニュースにもテレビに 情報を求めてチャンネルを合わせてくる。特に 2014 年は台風の影響による事故や豪雨による広 島市の土砂災害、そして御嶽山の噴火など、非日
常的な出来事は私たちに衝撃を与える。
次に視聴率変動の要因は、「ビック・イベント」
である。例えば 2002 年サッカー FIFA ワールド カップでは日韓大会の日本対ロシア戦は 66.1%、
決勝のドイツ対ブラジルは 65.6%をあげ、「NHK 紅白歌合戦」の 47.3%を抜き、その年の高視聴率 番組ランキングの 1 位と 2 位を独占した。2014 年で見ると冬季ソチオリンピックがあったが、こ れだけ大きなスポーツイベントであっても実は期 待したほど視聴率は上がらない。スポーツ番組の 視聴率を左右するのは日本選手の活躍が大きく、
活躍が少なければ視聴率は下がり、多ければ上が る。スポーツ番組は感動を視聴者に与えることが 大事なので、テレビ批判が少なく、視聴者からの 評価の表れとして平均視聴率も高いのである。そ れに対して報道番組は視聴者に正確な情報を提供 することが重要であり、誤報が許されないのでテ レビ批判は少ない。
次はドラマの視聴率をみていこう。まず、ドラ マで重要になってくるのはキャストである。ドラ マの中で注目を浴びる俳優、女優は「スター」と 呼ばれ、ドラマの中では視聴率が取れるので「視 聴率男」、「視聴率女」と言われることも多い。次 に日本で活躍する二人の俳優を例にあげていこ う。
木村拓哉は、SMAP という国民的アイドルで もありながら俳優としてドラマに出演する際には 必ず視聴率を取り、誰もが一度は憧れる理想の男 性として見られる。2000 年「ビューティフルラ イフ」(TBS 系)では 31.8%、2001 年「HERO」
(フジ系)の 33.4%、2002 年「空から降る一億の 星」(同)の 25.7%、2204 年「プライド」(同)
の 28.0% 2007 年「華麗なる一族」(TBS 系)の 27.2%と高視聴率を出している。2001 年に放送さ れた「HERO」に関しては特別編、完結版も人気 だったため 2014 年「HERO」の第 2 期が 7 月に 放送され平均視聴率は 21,3%と 2014 年の民放連 続ドラマで 1 位を記録した。一人の俳優、アイド ルとして女性ファンからの支持や男性からの憧れ のまととして、人気がなければドラマでこれほど の高視聴率を出すことは無理であろう。
堺雅人は、2011 年『武士の家計簿』で第 35 回 日本アカデミー賞 優秀主演男優賞を獲った時か
ら俳優としての人気、知名度を高めていった。
2013 年にはドラマ「リーガルハイ」、「半沢直樹」
で第 30 回新語・流行語大賞 年間大賞、第 40 回 放送文化基金賞 演技賞、2014 年には東京ドラマ アウォード 主演男優賞も受賞している。今や映 画・ドラマだけではなく CM にも引っ張りだこ の堺雅人の魅力とは何なのか。
これは、堺雅人だけに限らず他の女優、俳優に も言えることがある。ある一つのドラマにキャス ティングされたヒーローやヒロイン、脇役などを 視聴者が見ることで、ドラマを見た時に自然とそ の世界観に入ってしまうほどの「演技力」が魅力 的なのである。ドラマは、内容で見るよりも自分 の好きな俳優、女優が出演しているという理由で 視聴をする人や、視聴率の高低で視聴者は評価を することが多くなった。しかし視聴率はあくまで テレビの番組や CM がどれくらいの世帯で見ら れているかを示すひとつの指標ではないだろう か。
今の視聴率は制作者にとって自分達の番組が人 気だと広報するための一つの手段として使われ、
ネットが普及してからはより顕著に視聴者に内容 の良し悪しに限らず高視聴率番組こそが素晴らし いと示したいようだ。視聴者も視聴率が良いと知 れば、その番組にチャンネルを合わせてしまうの かもしれない。
3.3 視聴率から見る人気番組の始まりと終わり 2014 年、タモリこと森田一義が司会を務める 番組「笑っていいとも」(フジ系)が 3 月 31 日を もって 32 年の放送を終了した。しかし、幅広い 世代から愛され、32 年間も続いたお昼の人気バ ラエティ番組は何が原因で急遽終わりを迎えるこ とになったのか。人気番組になっていくまでの過 程を論じることで、第 3 章の結論を出していく。
この番組の始まりは、1980 年 10 月 1 日から 1982 年 10 月 1 日まで生放送されていた前番組
「笑ってる場合ですよ !」の後継番組として、1982 年 10 月 4 日より始まった。1980 年代当時は人気 漫才タレントが勢揃いしていたバラエティ番組で あった。その後を受けて、当時深夜色の強いお笑 いタレントであった森田一義を総合司会に起用し たことから、前番組に比べて視聴率的に苦戦する
と予想されていた。
番組放送開始から半年も経たないうちに視聴率 が上昇し、関東地区における同時間帯(12 時台)
の年間平均視聴率では、1989 年の統計開始から 2014 年までの 25 年連続で、民放放送横並び首位 を獲得して、人気長寿番組帯・バラエティ番組へ と発展した。また、「笑っていいとも」は 2014 年 3 月 31 日の最終回をもって放送開始通算 8054 回 という放送回数により、生放送バラエティ番組 単独司会最多記録 8001 回を 53 回も上回りギネス 世界記録にも認定されている。
お昼のバラエティ番組として、その番組を仕切 る森田一義という一人の司会者は人気を通り越し て伝説といっても過言ではない。多くの芸能人だ けではなく番組を見ている視聴者も、もっと続け て放送してほしかったという思いが強いなかで番 組が終了したのは何故なのか。その終了の背景に は二つの報道が関連していた。
その中でも注目するべきポイントが視聴率の低 迷という報道である。お昼の時間帯としては異例 ともいえる 20%台後半の視聴率を記録した番組 の視聴率が数%台に落ち込み低迷していった原因 は、裏番組との視聴率差が年々縮小し、時には裏 番組に負ける回が増加していたことがあった。た だ昼の時間帯は平均視聴率が 10%を超えれば大 ヒットであるため、致命的というほどの低迷では なかった。それにもかかわらず、フジテレビがリ スクを取ってまで新しい番組に変える必要があっ たのかには疑問の声がある。
テレビ番組をはじめとする多くのコンテンツに は三つのタイプがある。一つ目は最初のターゲッ トとなる視聴者層(読者層)が変わらず、人が入 れ替わるタイプ、二つ目が視聴者は同じで、その まま年齢層が持ち上がってくるタイプ、三つ目は すべての年齢層をカバーしており、常にあらゆる 人が見続ける番組がある。その中でも「笑ってい いとも」の視聴者の年齢層は 20 代~ 50 代で比較 的広いと考えられるが、どちらかというと、初期 の視聴者層がそのまま持ち上がるタイプとなって いた。昔から見ているという視聴者層が番組を見 続けてくれるかもしれないが、新しく入ってくる 若い層はそれほど多くないと考えられ、年齢層が 上がっていくコンテンツ(オールド・メディア)
ではこれからの視聴率競争に勝っていけないと考 えたようだ。
4 月 1 日フジテレビは新しく若い視聴者層を集 めるための新番組を始めたが、他の局に視聴率を 取られ人気番組とはならなかった。どの番組もあ まり満足のいく視聴率を獲得することが出来な かったフジテレビは、10 月 19 日「ヨルタモリ」(フ ジ系)という森田一義の冠番組を始めることで、
番組の平均視聴率は深夜にして 10.0%(ビデオリ サーチ調べ、関東地区)を記録した。番組制作者 もテレビの作り手として刺激を受けてしまうほど に森田一義の存在を再評価するようになったよう だ。
視聴率主義は始まった頃よりも番組制作を左右 するようになった。これからもずっと続いていく と思われていた人気番組は視聴率の低迷と森田一 義という一人の司会者の意向によって終了となっ た。番組制作者というのは視聴者のことを考えて 良い番組を作っているように見えるが、実際には 視聴率を取るためにオールド・メディアも捨て さってしまうというのが悲しい現実である。
テレビはアナログからデジタルへと変わり、α ボタンを押すことで新たな情報の取得が可能に なった。番組内で行われるプレゼント企画といっ た楽しいサービスを届けることで平均視聴率を保 つための一つの戦法として大変活躍している。し かし、視聴率だけにとらわれることなく視聴者を 尊重したオールド・メディアと呼ばれる人気番組 も時には必要ではないだろうか。
第 4 章 韓国から見る日本のテレビ番組 4.1 韓国のテレビ番組のニーズ
現在、日本のテレビ番組は視聴率主義の考え方 によって制作されているものが多くなってきてい る。では、海外のテレビ番組では視聴率や番組の 内容についてどのような考え方を持っているの か、主に大場吾郎の著書『韓国で日本のテレビ番 組はどう見られているのか』をもとに論じていく。
まず、大場は日本、外国を問わずどのような番 組であれ、高視聴率へつながる可能性が高いと考 えられる法則のようなものは存在せず、放送局が 放送番組を決定する上で必要条件として常に重要
視してきたことがある、と述べている。それはド ラマであれ、ドキュメンタリーであれ、バラエ ティ番組であれ、あるいはスポーツ中継であって も、その内容を視聴者が理解し、共感や感情移入 が出来るかどうかという点だと語っている(大場 2012:87)。
大場によると、視聴者が番組内容を理解したう えで共感を得るためには、大衆文化製品がポイン トになる、という。大衆文化製品とは大衆を担い 手とする文化の中で生活水準の向上、教育の普及、
マスコミの発達などを基盤にして形成され、大量 生産や大量消費を前提とするために文化の商品 化、画一化、低俗化のことである。
テレビ番組の価値は、番組が表す意味を視聴者 がどのように理解し、認識するかによって決まる ところが大きい。そして作者の考え、作者の想像 力、出演者の解釈といった文化的背景に影響され、
全てを反映し制作しているものが日本製テレビ番 組である。しかし外国製のテレビ番組の場合、日 本製テレビ番組で見られる表現方法、価値観、行 動様式、信念、慣例に視聴者が共鳴しにくい場合 があり、その国にしかない特定の文化に根差し、
その文化環境でのみ魅力的な番組は、異文化空間 では番組が本来持っている価値が低下する(大場 2012:88)。なぜ、異文化空間の中では番組が 本来持っている価値を低下させるのか。それは、
大衆文化製品の内容に文化的近以性を求め、自国 製品か、それに似たような文化を持つ国の製品を 好む傾向が原因の一つだと考えられている。わか りやすく説明すると、日本で制作された人気番組 を外国で放送をする際には、その国に合った形で 放送をしないと番組自体の価値を下げてしまうと いうことだ。
ただ、日本の文化と外国の文化は表現方法や価 値観、行動様式など近似性がないにもかかわらず、
1990 年代中盤には日本のドラマが台湾や香港で 人気を集め、2000 年代には韓国ドラマが日本で 受けいれられる場合がある。この要因について大 場は次のように語っている。
例えば韓国ドラマの日本での受容に関して 言えば、そこに描かれる家族関係や恋愛関係 に親近感や懐かしさを覚える、あるいは舞台
となる都市での生活様式に似通った社会環境 を感じるという声が聞かれた(大場 2012:
89)。
テレビ番組の国際流通は、文化的要因だけで決 まると断定出来るわけではない。しかし日本と韓 国の視聴者が番組を見て泣いたり笑ったりする傾 向があるということは、視聴者が番組の内容を理 解し、共感を得るためには文化が非常に重要な役 割を果たしているのは事実である。
現在はテレビ番組に限らず音楽や食に関しても 文化的近以性を感じることで、より日本人は外国 の文化を知り、お互いが共感し合える関係になっ てきた。では実際に外国人視聴者は日本テレビ番 組についてどう評価しているのだろうか。
4.2 韓国人視聴者が見る日本のドラマ
2004 年、日本ドラマが韓国のケーブルテレビ で放送が開始されるのに先がけて、韓国放送映像 産業振興院が日本のドラマの特徴をまとめてい る。韓国人視聴者が日本のドラマをどのように見 ているのか見ていこう。
まず、内容面で見た時に韓国ドラマでは家族を 中心に、愛と葛藤を素材にした作品が大部分であ る。一方、日本ドラマは若者視聴者をターゲット に恋愛モノや、ミステリー、サスペンス的要素を 加えた作品など、ドラマの素材の幅が多様ではあ るものの、勧善懲悪、ハッピーエンド、純愛など の展開を好んで使うわけではない。番組の制作方 法にも日本と韓国での違いはあり、その違いは作 品にも影響を与える。日本ドラマは立体的な照明 を重視するが、韓国ドラマでは音楽や効果音を頻 繁に挿入することはあまり見られないが、ストー リー展開が早く、カットの長さが短いものが多い。
ドラマを制作するにあたって日本では演技力がな くても人気があればキャスティングされるケース が多いため、日本人俳優の演技力は韓国人俳優よ り劣っている場合もある(大場 2012:90)。
日本のドラマは複雑すぎるという声があり、現 実的で細かい内容が視聴者を疲れさせることがあ る。韓国ドラマにおいてはまるで童話のように現 実離れした内容となっており、台詞の中には差別 的、暴力的な言葉が含まれているものもあるが、
最終的には心が和み、癒され共感を得るのだ(大 場 2012:91)。韓国人視聴者は、多少リアリティ に欠けていても純愛的な要素が組み込まれていれ ば好む傾向にあり、中には日本ドラマに見られる リアル感や細かさを、肯定的に捉えている視聴者 もいる。韓国コンテンツ振興院日本事務局の金永 徳所長は日本ドラマについてこのように語ってい る。
日本ドラマは韓国ドラマよりもストーリー が短く、コンパクトにまとまっているが、
それと同時に、日常のディテールと専門職 を繊細かつ巧妙に描いている(大場 2012:
91)。
また、韓国では 10 代から 30 代までの日本ドラ マ視聴者 19 人へのインタビュー調査を行い、そ の報告書の一部が紹介されている。
日本ドラマは韓国ドラマよりもジャンルが 多様で、様々なテーマを緻密に扱っている点、
そして、日常をミクロ的に描きながら都市的、
個人的、現代的生き方を良く表現している点 が、その魅力として強調されている(大場 2012:92)。
番組制作者も視聴者も番組を見るうえで大切に しなければいけないものがある。それは、ドラマ であれ、ドキュメンタリーであれ、バラエティ番 組であれ、あるいはスポーツ中継であっても、視 聴率が取れているから素晴らしい番組なのではな く、お互いが番組の内容を理解し、共感や感情移 入が出来るかどうかである。
韓国から日本のテレビ番組どう見られているか について主に日本と韓国ドラマを例にあげたが、
韓国人視聴者は、日本で制作されている番組の内 容の良さや番組制作で見られる技術の高さを評価 していることが分かった。テレビ番組というのは 文化を尊重し合うことで、どの国の人が見ても理 解し、共感や感情移入が出来る作品を制作するこ とが大事であると考えられる。
第 5 章 おわりに
本論では「制作者・視聴者にとって視聴率は魔 物化してしまったのか」という問題提起のもとで 第 2 章では視聴率が持つ本来の目的について述 べ、第 3 章では視聴率主義が今のテレビ番組、制 作者、視聴者にどのような影響与えたのかについ て論じた。第 4 章では韓国から見る日本のテレビ 番組を検証し、改めて視聴率ではなく内容を理解 し、共感し合える番組こそが大事だと考えられる。
碓井は視聴率に対して次のように述べている。
視聴率のためなら何をしたって構わないと言い切 るテレビマンはそういないだろうが、彼らはたく さんの人に楽しい番組を見てもらいたいと思って おり、番組は先に視聴率ありきではないと碓井は 語っている(碓井 1998:128)。
今の番組制作者や放送局で働く人達にとって、
視聴率を放送局や番組の知名度を上げるために広 報の一つとして扱うことが増えた。つまり、番組 の内容よりも視聴率を取れるか取れないかという 視聴率主義な考え方が強まったことで制作者には 視聴率が一番重要なものとなってしまった。筆者 はラジオ番組の制作に 4 年以上関わってきた経験 から、視聴率が大事であるかと問われれば、高視 聴率を取るということは多くの視聴者に番組を見 てもらい高評価を得ているという意味では否定は 出来ない。しかし、視聴率を取り人気を勝ち取る ために番組制作者としての魂を悪魔に売り渡した かの如く、常識はずれな番組を放送をしてしまう ことは、制作者にとって視聴率は魔物化してし まったと言える。
では、視聴者にとって視聴率は魔物化している だろうか。視聴者がどういう時にテレビ番組を見 るのかという視聴意向・視聴行動について関西学 院大学の八塩圭子が 2008 年に書いた論文で以下 のように述べている。
2008 年テレビ番組が 1007 番組もあった頃、視 聴者がテレビを見るときに求めていることは、番 組に対する満足度と再視聴であるということがテ レビ視聴実態調査で分かった。そして、視聴者に 見られる視聴行動には三つの特徴がある、という。
まず一つ目の特徴は、視聴者はテレビ局が好き であればあるほど、その局に見たい番組が多くあ
り、実際にその局の番組を視聴していることであ る。二つ目に視聴者は番組を見たいという意向を 抱いていて、それに合わせてテレビを視聴してい ることがある。そして、最後の三つ目の特徴が視 聴者は、見た番組への満足度が高いほどその番組 をもう一度見たいという気持ちを抱くことがある ということだ(八塩 2008:10)。これら三つの 特徴から見られる視聴行動の共通点は、視聴者が 番組を選ぶ時の基準として、インターネットやビ デオリサーチで見られる高視聴率という言葉や放 送局の宣伝に惑わされることなく自分の中でもう 一度あの番組が見たいと思える満足度の高い作品 を選んでいるということだ。
私たちは時に高視聴率という言葉を目で見て耳 で聞くことにより番組を見ることもあるだろう が、視聴者が視聴率に囚われることなく自分の好 きな番組を選んで視聴し、テレビ番組に満足して いるという視聴行動・視聴意向があるようだ。
以上、本論では「制作者と視聴者にとって視聴 率は魔物化してしまったのか」という問いをたて、
考察してきた。その結果、視聴率は制作者にとっ て魔物化しているようだが、視聴者にとっては魔 物化したとまでは言い切れなかった。
参考文献
藤平広義 2003『テレビの教科書』PHP 研究所。
大場吾郎 2012『韓国で日本のテレビ番組はどう見 られているのか』人文書院。
碓井広義 1998『テレビが夢を見る日』集英社。
———. 2007『視聴率の正しい使い方』朝日新聞 社。
八塩圭子 2008「テレビ視聴における態度形成と チャンネル選択行動 −店舗内購買行動との概 念比較」『マーケティング・ジャーナル』111 号:
44 − 61、(2014 年 12 月 27 日 www.j-mac.
or.jp/mj/download.php?file_id=284)