「省察」を生かした知的障害特別支援学校の授業づくりⅡ
1 はじめに
知的障害特別支援教育においては,児童生徒一人一 人に学習が成立することが基本であり,児童生徒一人 一人に対する教師の確かな指導力が求められている。
そのため知的障害特別支援学校においては児童生徒一 人一人の実態を明らかにし個に応じた授業を行うこと が強く求められている。それは障害の特性からくる子 どもの理解,教師のかかわり方,教材教具の作成など 全ての面で求められるものでもある。個を把握するた めにアセスメント(実態把握と評価)を行うが,それ に加えて教師の子どもの見方,教師の教育観・指導観 が個を把握する(個を確立する)大きな要因となる。
とするならば教師は子どもの実態を正しく把握し個に 応じたかかわりが具体的な形でできるようにしていか なければならない。至極当然のことであるが,特別支 援学校では個に応じた指導をと強調されており,特別 支援教育こそが本当の意味で個を大切にしなければな らない教育の場であると言える。「個に応じた」「個々 の児童の実態に応じた指導」を行うためには実態の把 握が必要である。
附属特別支援学校では,アセスメント(実態把握)
を「児童生徒を取り巻く人や環境,教師の省察によ る,心理的発達的アセスメント(各種の検査調査)の 内容をチームアプローチの視点から省察した,多面的 総合的な実態把握」と考えて行っている。これは個に 応じたかかわりをすることが児童の育ちを保証するこ とができるという考えのもと,平成17年度から3カ年 にかけて行った実践研究から得られた点である。この 中にあって「省察」の視点は大切にしているところで ある。⑴
本稿にあたってはこのことを基本に据えながら,附 属特別支援学校の教育実践から考えられた,「省察」
を生かした授業づくりを考えていくことをねらいとす る。また「省察」をより有効に働かせるためには,教 師の同僚性を働かせることが必要であることを論じて いく。
2 特別支援学校学習指導要領告示
特別支援学校学習指導要領⑵が平成21年3月告示さ れた。それによると,知的な障害のある児童生徒に対 する教育を行う特別支援教育の場合,特別支援学校小 学部・中学部学習指導要領第1章総則第2内容等の取 扱いに関する共通的事項7においては「〜〜各教科,
道徳,特別活動及び自立活動の全部又は一部を合わせ て指導を行う場合には,各教科,道徳,特別活動及び 自立活動に示す内容を基に,児童又は生徒の知的障害 の状態や経験等に応じて,具体的に指導内容を設定す るものとする。」と明記されている。また,指導計画 の作成等に当たって配慮すべき事項2⑴では「学校の 教育活動全体を通じて,個に応じた指導を充実するた め,個別の指導計画に基づき指導方法や指導内容の工 夫改善に努めること。その際,児童又は生徒の障害の 状態や学習の進度等を考慮して,個別指導を重視する とともに〜〜。」と明記されている。さらに第2章各 教科第1節小学部第2款第2指導計画の作成と各教科 全体にわたる内容の取扱いにおいて,「指導計画の作 成に当たっては個々の児童の知的障害の状態や経験等 を考慮しながら指導する内容を選定し配列して具体的 に指導内容を設定するものとする」,「個々の児童の実 態に即して生活に結びついた効率的な指導を行うとと 津守氏の省察論を基に知的障害特別支援学校における授業のあり方を考察してきた。その考察を
支えるものとして佐藤氏と秋田氏の論を参考にした。知的障害特別支援学校においては小人数の集 団で子どもと教師の濃密な人間関係の中で授業が展開される。しかしながらその関係を作ることは たやすいことではないため,教師が子どもとの関係の中で日々省察を繰り返すことの大切さを明ら かにした。一方,省察は一人で行うよりは同僚の持っている指導力専門性を加味することにより,
より深まりのある適切な省察が行われることも明らかにした。この考えを基にこれまでの実践研究 において,附属特別支援学校の授業づくりの大枠を「二つのP・D・C・Aのサイクルによる授業 づくり」として整理し,授業づくりの方法を活用しながら授業実践を進め,授業の修正・改善が図 られるようになってきた。
〔キーワード〕知的障害特別支援学校 授業づくり 省察 関係性 同僚性
山 﨑 壽 克*
a土 屋 千 春*
b*a:福島市立福島養護学校 *b:福島大学附属特別支援学校
もに児童が見通しをもって意欲的に学習活動に取り組 むことができるように配慮するものとする」,「児童の 実態に即して学習環境を整えるなど安全に留意するも のとする」,「児童の知的障害の状態や経験等に応じて,
教材・教具や補助用具などを工夫し指導の効果を高め るようにする」などがあげられている。
このように個を強調しているのは,一人一人に対し て個に応じた指導を意識させるねらいがあると考えら れ,この考えこそが特別支援教育の底流となる考え方 ということができる。
3 津守氏の「省察」の考え方
省察という言葉の辞書的な意味は,「自らかえりみ て考えること」とされている。津守⑶はその著書の中 で,「省察とは反省に考察を加える作業である。(中略)
保育の実践の最中に子どもとの間で体感として直接に 体験された,最初の記憶に立ち戻ることは省察の作業 の原点である。」と述べている。
この考えは,私たちの教育実践の根幹を成す考え方 でもある。子どもとの教育活動は,そのときそのとき の行動の流れの連続であり,教師は子どもの言動を追 いながら,その内面にある心情・情動を瞬時に把握し てかかわり,やりとりをしていくことになる。この営 みが子どもを育てていくわけであるが,果たしてその ときそのときの判断が正しかったのかどうか不安にな るときもある。また,明日へのかかわりをどのように していったらよいのか,教材はどのようなものがよい のか,どんな言葉で話しかければよいのかなど考えな ければならないことは多い。子どもとの活動を終えた 後,具体的なかかわりを思い出して振り返ることによ り,かかわり方がより明確に理解され,行動に意味づ けがなされると考えることができ,大事にしている視 点である。
津守は省察をする際の共通項として,1)実践の最 中の生きた体験へ立ち戻ること 2)多面的に想像力 を開放して考察すること 3)現実に生きる自分自身 として実存的に問い直すこと 4)共同性のなかで自 分自身の独自な理解を深めることをあげている。この 視点を大事にして知的障害特別支援学校に当てはめる と次のように考えられる。
⑴ 実践の最中の生きた体験へ立ち戻ること 授業を行っているとき,授業者は子どもと向き合い 夢中で授業をしている。子どもとの調整をつけ授業に 参加する意欲をもたせたらよいのか,どのような教材 を作りどのように提示するのか,そのときの話しこと ばはどんなのがよいのか,視覚刺激がよいのか聴覚刺 激がよいのかなど,授業を組み立て授業を行う作業が まさに教師の思考過程そのものであり,またその思考 過程を具現するための過程である。
夢中で授業を行っていると後から振り返ることは難
しい。「あの時のことはよく覚えていない」という人 がいる。それはきっとその人が夢中になって事に当 たっているときであり,自分が体験したことを意識の 上に取り出す作業は難しいことが多い。しかしその中 で印象的な活動については断片的にでも思い出すこと ができる。それは授業者が子どもと対峙したとき子ど もの言動を感じ取りこのようなかかわりはどうだった のかと思う場面である。
それは授業という流れの中で絶えず繰り返されるこ とであるが,その中で断片的に思い起こすことができ ることは授業者にとってきっと授業のポイントなのだ ろうと考えている。そしてこの断片的な振り返りこそ がその授業の本質をついているところなのではないか と考えている。
授業者が思い起こした場面をどのように記録するか
(切り取るか)はいくつか考えられる。授業のはじめ から終わりまで時系列的に記録する方法もあるし,場 面を切り取って前後のかかわりやりとりを付け足す方 法もある。また記録の方法としては,事実を明らかに するので文字として起こしていく記録やVTR記録を 視聴する方法が考えられる。これらの作業はなかなか 難儀で時間を要するが,この作業こそが教師力をつけ る最も大事な方法ではないかと考えている。
⑵ 多面的に想像力を開放して考察すること 文字に起こされたものを読み返すと事実とは違うの ではないかと感じることやもっと細かく事実を書き足 すことがある。このようなときにはもう一度事実に立 ち戻り事実を確認する作業が求められる。その活動が おおむね収まったときから,授業者はそのことについ て「ああではないのか」「こうではないのか」と考え をめぐらすことになる。授業者の視点から考えること もあれば子どもの視点から考えることもある。
特別支援学校の授業は個に応じた指導が原則であ り,子どもの視点に立ち返って考えることが大事な視 点となる。
子どもの視点に立ち戻り事実を確認していくこと は,授業者が子どもの日ごろの言動をどのように理解 し授業に関連づけたかが問われてくる。子どもの言動 を授業と切り離したところでしか考えられないのであ れば,授業の中で子どもの思いや願いを想起すること は難しい作業になる。
特別支援学校の子どもたちは生活それ自体が学習で ある。登校し着替えをする,身支度を整え朝の活動に 入る,それらはすべて学習であり,教師の側からすれ ば指導(授業)である。子どもの活動は連続しており,
一つひとつの場面が単独で成り立っているのではなく 教師の目線も連続した目線で子どもの事実をとらえる ことが大事になる。
このように授業者が授業者の見方と子どもの見方が できるようになったとき,子どもの言動に表現されて
いた子どもの内面的な世界やその行動を産むにあたっ た授業者と子どもとの応答関係を改めて見つめ直すこ とができるようになると考えている。
授業者が子どもの内面の理解を進めるには,授業者 が持っている価値基準と子どもが持っている価値基準 を整理して冷静に見つける目をもたなければならな い。授業者は,授業計画を作りその計画に従って授業 を展開し,一時間の目標を設定しその目標の達成のた めに授業を展開する。しかしこれら一連の活動が子ど もにとって適合しているものなのかどうかは吟味しな ければならない。授業者は授業者と子どもとの間が乖 離しないように意図的に計画して授業を進めるのであ るが,ときとしてそうでない授業を参観することがあ る。子どもの表情を無視して一方的に話している教師,
子どもが聞き取れない内容の話しことばで話す教師,
教材教具を使わない教師などである。このような対応 をされれば子どももどのように対応したらよいのかと まどうのは当然であり,その行動が教師にとっては理 解のできない行動と写る。理解不明な問題行動と言わ れる背景はこのようなときに起こるのではないだろう か。
それは教師の持っている価値基準に子どもを合わせ るという発想から来ていると考えられ,教師と子ども の関係が築かれているとは言えない,子どものニーズ に応じる指導とは異なる視点であると言える。
子どもの世界は未分化な世界である。感覚的・本能 的・感性的といった感覚の世界である。大人がこの世 界に共感できるようになるには,大人の価値観・価値 基準を離れなければならない。たとえそうなったとし ても大人は子どもにはなれないのであるが,ただ,大 人自身が子ども時代を振り返り子どもの側にたった見 方ができれば,子どもの思考・判断に近づくことがで きるようになると考える。個のニーズを判断するとき にもこのような呼び戻しは役に立つと思われる。
大人が価値を判断する基準は,その人の育ちにある と考えられる。人は一人では生きていけない社会的な 生き物であり,そこで体験したこと教えられたことは 一生自分からは切れないものである。自分を育てたの は自分の親であり祖父母である。その影響が自分を作 り育てあげ,他の人を見る基準になっていくと考えて いる。
⑶ 現実に生きる自分自身として実存的に問い直す こと
互いに異質な人間が共同の世界を作るうえで,子ど もも大人も同じ人間同士として,関係を結ぶことが大 前提になる。子どもの行動を自分の身に置き換えて子 どもの行動を理解しようとすることが求められる。
実践したことを事実に即して記述していくこと,そ れも子どもたちのわずかな表情や動きを見逃さずに把
握していくことが第1番目の活動とすれば,その事実 を集めて子どもたちの行動を考えていくことが第2番 目の活動となる。この活動を行いながら子どもたちの 活動を再び現実の世界(教育の場,授業の場)へ引き 戻すことが大事である。なぜならば子どもたちが生き ている現実の世界がそこにあるからである。
省察をしようと思った場面に立ちもどることで,省 察は次の活動の指針となっていく。そこには教師と子 どもとの主体的行為による現実の世界があると言え る。子どもには子どもの主体的な活動があり,子ども は主体的な存在である。また教師は教師で主体的な大 人であり,教育の職に携わっている大人である。教師 であるが故に,教育観・指導観を確立した一個の大人 が,主体的な存在である子どもにかかわるのである。
子どもの行動の事実を大人がどのように見て判断し どのような行動に出るのかは,まさしく教師の省察の 在り方にかかっている。子どもの行動をどのように理 解していくのかは,大人である教師の育ちが大きいこ とは前述したとおりである。しかも教師自身が育てら れた育ちに加え主体的な人間になろうとして得た知識 や理解,体験などが教師を形作っていく。
省察はまさにそれらの総合的な教師の姿が表れたも のとして考えることもできる。まさに主体的に生きて いる人間同士の触れ合い(ぶつかり合い)と考えるこ とができる。教師側の価値観や規準が先にあって子ど もとかかわるのでなく,日々生きている子どもの事実 から主体的に生きる現実の状況に立ちもどることが大 切なのである。
⑷ 共同性のなかで自分自身の独自な理解を深める こと
私=自分の中の私は,私です。私は〜〜したい。私 は〜〜です。と私を第一人称で表現することはよくあ ることである。そこには自分がいて他人とは違うこと を明らかにする意味がある。津守⑷は私という考え方 は,どの人にでもあるということを強調している。自 分の中の私はもちろんのこと,子ども一人一人の中に も私が存在して,自分の中の私は,彼,彼女の中の私 と交わっているとする。それは,私と私との関係であ り,そこには大人と子どもや教師と児童,障害のある 者と障害の無い者との関係ではない。一人の人間と一 人の人間との関係を強く意識している。それは,人間 が主体的な生き物であり,人間の社会を構成していく のに,人間一人一人はかけがえのない存在なのだと言 うことを訴えているように考えられる。
私という人間が主体性を持って主体性を有する子ど もにかかわっている。そこには,年齢的な上下の関係 や社会的な立場の関係などはない。あくまでも一人の 人間としての関係である。そこに関わる者はすべてに 主体的な私であって,いつどのようなときでもこの関
係は崩れない。逆に言えば主体的なかかわりを持ち得 ていない大人は主体的な子どもと対等にかかわること ができないと言うことができる。
私たちは子どもの世界を理解するのに,自分の体験 を元にしながら振り返り思い起こすことがしばしばで ある。しかし津守は第一義的には,「子どもの私」と 交わる体験の必要性を説いている。目の前にいる子ど もとの交わりの中で感じたこと考えたことが子どもの 世界に入っていくスタートラインと考えている。自分 の世界を振り返ることは大人としての物の見方考え方 が先行してしまうと考えているようである。子どもと 交わる体験をとおして大人の私の世界と子どもの私の 世界に共通的なものがあることを理解できるとしてい る。しかしながらこの共通項を見いだすのは容易では ない。なぜなら大人の私の価値観と子どもの私の価値 観が同一な物か否かは議論の分かれるところである。
私の経験からして子どもの行動をどう理解していく のかが精一杯であり,私と共通的な世界があるとの理 解は難しい。津守はそのことを,実践における理解と 省察における理解を通して,自分の世界が開かれてい くのが必要と述べている。この作業は時間がかかる作 業である。どのぐらい時間がかかるのかはどこまでや れば理解が進むのかは,私がどれだけ主体的な人間で,
人間的な体験を積み重ねているかに因るであろうし,
子どもとのかかわりを深く省察することができるのか にかかっていると考えられる。
教師が子どもと生活を共にする時間は朝の8時過ぎ から午後3時ごろまでである。その時間は教師と子ど もの世界となる。教師の体験は子どもの体験でありそ の世界には誰も入り込めない世界とも言える。授業は 一対一の関係だけで成立するものではないが,子ども にとっては担任教師が一番信頼のおける存在であると いえる。それは教師にも言えることで,担任となると 自分の子どものように思ってしまうものである。そこ には校長が入り込めない関係が産まれてくる。逆に校 長などが関わろうとするとその関係を壊してしまうか かわりにしかならないことが多い。
担任と子どものかかわりはお互いの体験を共有する ことでお互いを理解し信頼の置ける関係になる。そこ には,担任の主体性と子どもの主体性がぶつかり合い
(重なり合い・混じり合い),その行為をとおして担任 は反省と考察を深める時間をもつようになる。
そのかかわりの中で得られた主観的なものが,省察 を繰り返していく中で,客観的なものに変化していく。
担任教師と子どもとの間で行われていた共同性が,省 察を通して深められていく中で子どもの姿が明らかに なっていく。一人の教師が発する子どもとのかかわり について教師を取り巻く教師集団が同じ目線で子ども をとらえ,切り口角度を変えて子どもの姿を省察する ようになったとき一人の教師の主観が複数人の教師の
主観となりその集合体の中から子どもの真の姿を明ら かにすることができ,教師の深まりは同じ教師集団の 深まりとなっていく。
4 佐藤氏の論より
知的障害特別支援学校においては児童生徒の一人一 人の実態に応じた授業を行うことが強く求められてい る。それは障害の特性からくる子どもの理解,教師の かかわり方,教材教具の作成などの全ての面で求めら れるものでもある。特別支援教育においては個に成立 することが基本であり児童生徒一人一人に対する教師 の指導力授業力が求められる。また特別支援教育にお いては,子どもの状況から教師と子どもの濃密な人間 関係を築くことが求められるが,それは教師と子ども の関係が教師と子ども一対一という枠内に収まること ではなく,逆に子どもの状況を考慮すれば教師個人の 力では対応することができないことが多々あり組織的 に子どもや学校にかかわらなければならないと考えて いる。
この点は佐藤⑷が「今日の教師は,スペシャリスト としての狭さから脱却して,幅広い教養にもとづいて 子ども一人一人が抱える複合的な問題に対処し,具体 的な状況に身をおいて複雑な課題と対峙しながら,質 の高い学びを誘発し組織する活動を要請されている」
と述べていることと考え方が近い。またこのような教 師像を「反省的実践家(reflective practitioner)」と 呼び「技術的熟練者」と対比している。佐藤は「技術 的熟練者としての教師は,科学技術の合理的適用を原 理として授業を展開しているのに対し反省的実践家と しての教師は,活動過程における省察(reflection in action)を原理として,教室のできごとを省察し意味 とかかわりを構成しながら子どもの学びを触発し促進 する実践を遂行している」と述べている。
特別支援教育の授業づくりを振り返ると,単元(題 材)の計画が始めから終わりまで変わらずにあるとい う実践は少ない。目標を決めた段階で単元(題材)の アウトラインは描くが,日々の実践と授業の修正・改 善を繰り返しながら次の時間の計画を考えて授業づく りが行われている。それが特別支援教育の対象である 知的に遅れのある子どもたちの実態であり,実態に応 じて指導方法が模索されているからである。それゆえ 子どもの言動を正しく把握し省察しその背景となる出 来事について意味づけをしながら次の学習を構成する という授業が展開されるのである。このことは子ども と教師のかかわりについても同じである。教師のかか わりによって子どもはどのように受け止め,行動した のかを省察することにより次のかかわりが考えられて くるのである。
教育活動はこの繰り返しと言うことができるし,質 を高めていくのは教師個人の力も必要であるが同僚と
のコミュニケーションである。この営みを特別支援教 育の世界に重ね合わせてみると,生得的な障害のある 子どもたちの教育は,その障害ゆえにさらに障害を取 り囲んでいる環境から複合的な課題を抱えている。特 別支援教育に携わる教師は,具体的な活動場面に身を おき真正面から課題に取り組んでいかなければならな い。そこにあるのは科学的な原理と合理的な技術を適 用して子どもにかかわる教師ではなく,省察を原理と して意味とかかわりを構成していく力を使える教師の 存在である。授業づくりには欠かせない視点である。
5 秋田氏の論
日々の授業を行う中で,授業についての修正改善を 加えていくことが,授業における省察では大切な視点 と考えている。その理由は,
1)対象としている子どもたちの発達が未分化であ り,既存の指導内容や指導方法では対応できない。
2)子ども一人一人の実態を正しく見極め実態に応じ たかかわりが強く求められている。
3)対象としている子どもを複数人の教師で指導にあ たることが多いことによる。
津守⑶は「保育の実践を通して,一回ごとに違う状 況の中で毎回繰り返される共通の視点を取り出してみ ることを試み,そのかかわり方を出会う,交わる,現 在を形成する,省察するという語で整理している。」
この視点は,附属特別支援学校で取り組んでいる試み に似ている。
子ども一人一人の発達の仕方が様々な知的障害のあ る子どもたちとのかかわりは,そのときどきの出会い が一回一回新たな出会いである。その状況の中から以 前このような出会いはなかったのか,そのときどのよ うにかかわったのか,そしてその結果はどうだったの かを思い出すことが求められる。この繰り返しで子ど もの指導が形作られていくのである。
秋田⑸は,同僚とのさまざまな省察が教師の成長と 実践の創造に大きな意義を果たしていることを示して きた。そこでの省察を実際に教師たちが行ってきた実 践の検討から教師の成長を支える省察の枠組みの検討 を行っている。秋田の検討は,教師養成の視点から「教 師自らと子どもたちを取り巻く学びの環境を捉え,そ の主体的意味を問い確かめ合うこと」と述べているが,
私たちの子どもとのかかわりの大事な視点である。
特別支援教育においては,個のニーズを大切にしな がら子どもの育ちを考えていくことを大切にしてい る。それはまさに,障害があることによる学びの障壁 を取り除き学ぶ環境を作っていくことであるし,子 どもが自主的に学べる環境を作っていくことであり,
日々主体的な子どもと主体的な教師との関係性を捉え 直し作っていくことが求められているのであり,秋田 の言うとおりその主体的意味を問い確かめ合っている
のである。
秋田の省察の枠組みを授業における省察の仕方にあ てはめて整理すると次のようになると考えている。
1 省察をする時期
・授業中に(授業者自身:個人)
・授業後に(授業者自身,またはTT,学部教員 インフォーマルな会話)
・学部会で(学部教員フォーマルな会話)
2 省察をする人 ・授業者 ・授業者とTT ・授業者と学部教員 3 省察の内容
・担任している子どものこと
(時間,場所,かかわり手)(話しことば,サイ ン言語等)(行動,表情)(気持ち)
・子どもを取り巻く背景
(本人の障害内容・程度)(保護者のかかわり方,
保護者の障害受容の状況)(本人を取り巻く家 族関係)
・教師との関係
(「かかわり」「かかわり合い」「やりとり」の状況)
4 省察の質 ・授業者の経験
・授業者の視点のあてどころ ・子どもとかかわっている期間 (複数年,1年単位)
また秋田は,教師としての<私>を語ることの大切 さを説いている。秋田は「一人の教師が自分が教師と して行った営みを語ることは実践を語るのと表裏一体 の関係で教師としての全貌を同僚に語ることになる。
また自己を語ると同時に他者が自分を語ってくれるこ と,また同僚が他の教師について語るのを聞くことは,
一時間の授業の見直しといった視点とは異なり,教師 としての自己存在の省察となる。」と述べている。
授業を計画する段階でお互いの悩みや問題について 話題にして授業の在り方や,教師のあり方を学ぶこと は大切なことと体験的には知られていることである。
また授業を行うことを通して自己を育てていく,授業 を提供することによって同僚からの意見を受ける,授 業の記録を文字化して自分を振り返ることなどは自分 を高めていくのに必要な活動といえる。そこでは,事 実を語ること(文字として残すこと)とそこから得ら れた考え<省察>を残すことの二つが考えられる。今 までの授業実践記録は,事実を書くことで実践の記録 としてきたが,省察を大事にし事実の背景を探る教師 の思考の織りなしと子どもたちとの関係を構築してい く記録はより有効な手立てであると考える。
子どもと対峙したとき子どもとのかかわりを考える 以前に,その子どもの存在をとらえその行動を的確に つかみどのような手立てを講じたらよいのかを瞬時に 判断しなければならない。そのときそのときの判断が,
又次の判断への手掛かり足がかりとなるわけである。
子どもとかかわっているときは,そのかかわりを振り 返ることは難しいが,少し時間をおいた後子どもとの 活動を振り返ることは大切な意味を持っている。その ときは,よくできたよくできなかったという視点では なく,自分はこのように場をとらえ,このように考え,
こうしようと判断したという省察であり,それについ ての考えを整理し,次にどのような手立てをとったら よいのかという考えを整理することが大切である。そ れも誰かの言葉を借りてくるのではなく,自分の言葉 でそれを表現することが望ましい。目の前の子どもの 言動についての理解は,教師側の観る,聴く,感じる という実体が伴わなければできるはずがない。自分の 言葉で行うことが,省察の大事な点であると考える。
6 附属特別支援学校の授業づくり
附属特別支援学校では,平成18年度から20年度まで の3年間,研究主題を「アセスメントを生かした個の ニーズに応える授業づくり」と設定し,研究に取り組 んできた。⑴この研究主題は,平成17年度より実施し た「個別の教育支援計画」の作成に伴い,「児童生徒 の将来に目を向けて今を考える」,「児童・生徒をとり まく人や環境を含めた生活全般を把握する」という新 たな視点を加えた,多面的・総合的な実態把握(以下:
アセスメント)を行う必要があるのではないか。また,
このアセスメントによって導き出された,「個のニー ズ」に応えるための授業づくりはどうあればよいか,
ということを明らかにするために設定した。この研究 により,附属特別支援学校のアセスメントは以下の通 り整理され,「個のニーズ」を導く過程を明らかにす ることができた。
授業づくりについては,「個別の教育支援計画・個 別の指導計画・教育計画におけるP・D・C・Aのサイ クル」(以下:大きなサイクル)と「授業におけるP・D・
C・Aのサイクル」(以下:小さなサイクル),この二 つのP・D・C・Aのサイクルを機能的に循環させるこ とで,「個のニーズ」に応えるための授業づくりがで きることを教員間で共有できた。そして,これを実現 させるために授業の評価や修正・改善の方法を具体的 にしたり,授業の評価を「個別の教育支援計画」・「個 別の指導計画」に反映させたりすることができた。
これまでの研究において,本校の授業づくりの大枠 を「二つのP・D・C・Aのサイクルによる授業づく り」として整理することができた。この授業づくりの 方法を活用しながら授業実践を進めることができ,授 業の修正・改善が図られるようになってきた。
これまでの三年間の研究の成果を基盤として研究を 進めるために研究主題を新たに「アセスメントを生か した個のニーズに応える授業づくりⅡ」と設定し,授 業実践を重ねて授業づくりの方法をさらに具体化する ことを考えている。
「授業におけるアセスメント」とは,授業で取り上 げられる内容や授業を展開する上で配慮すべき事柄を アセスメントすることである。これまでの授業研究に おいて,単元(題材)の目標設定や本時の目標設定が 適切でなかったり,具体的でなかったりすることが あった。このことについて協議を重ねた結果,授業に おけるアセスメントが不十分だったのではないかとい う反省が出された。これまでの研究において,「個の ニーズを導くためのアセスメント」については,その 過程を整理し教員間で共有してきた。しかし,「授業 におけるアセスメント」については,その方法を整理 してきていない。そこでこの研究では,教員一人一人 が授業実践を通して行ってきているアセスメントの経 過を記録整理し,具体的な目標設定をし,指導内容や 方法もより具体的にすることをねらいとし,実践を進 めていくことを考えている。
特別支援教育の授業づくりは,児童生徒一人一人の 実態や特性を見極めた上で単元(題材)を構築し指導 にあたることが求められる。指導にあたっては,個に 応じた指導内容や方法が考えられなければならず,単 元(題材)の計画や展開,教材教具の開発や活用に試 行錯誤している教員は多いと思われる。「授業におけ るアセスメント」の考えを基にした授業実践を通して 作成された,単元(題材)の計画及び指導内容や方法 をまとめたり,それに付随する教材教具を整理したり することにより,授業づくりの手掛かりを提供するこ とができると考えている。
また,実践例や教材教具を整理する仕組みを構築す ることが必要であり,その仕組みを「授業づくりのサ ポートシステム」と呼び,その方法を明らかにして共 有していくことにより,授業の実践例が年々増え,教 材教具の活用も図れるのではないかと考えている。
7 授業づくりにおける省察
⑴ 授業観察記録と省察
特別支援教育においては,児童生徒の実態把握を基 点にしていくことは常々語られているが,実態把握の 方法を一つとっても教員によって様々である。児童生 徒の行動を観察すると言っても,児童生徒の動きを具 体的に記述していく方法もあれば,教師の思いにたっ た大事だと考えられた動きを記述していく方法もあ る。また,行動の記録だけでなく本人の行動や特徴を 検査や調査を行って把握する方法もある。前者は日常 の生活場面の中での活動であり,後者はある限定され た場面での活動である。実際児童生徒が行うものもあ
れば,教師(検査者)や保護者の目を通したものもあ る。授業者はこれらの要素を選択して実態把握を行う のである。
行動を記述している場面であればそのときそのとき に省察する行為をいれることは難しい。なぜなら記録 をすることで精一杯であるからである。記録をしてい るとき(子どもの声,表情,動き,教師の声,表情,
かかわり方等)には生でしか伝わらないものがあり,
それは伝わってくる。それが省察のきっかけになるこ とはよくあることである。授業の記録をしているとき 教師の息づかいは伝わり,子どもの表情や言動は感じ 取ることができ,文字の上に書き表される。そこにい る者にしか伝わらないことである。
授業研究会の中で,教師や児童生徒の動き等もよく とらえられていた発言があるが,「観察者」という視 点であり,同一の視点で授業の中に入っているとは違 うように思われる。子どもへのかかわりを重視するの であれば,子どもの行動と教師のかかわりの中に身を 任せることは大切なことであり,子どもの側に立ち教 師の発問や板書,話しことば,教材提示の仕方を見れ ば教師の授業力も見えてくる。その雰囲気が授業後の 省察に生かされてくる。
授業の中で考えたこと感じたことは授業づくりの本 質的な内容を含み,事実に立ち返り背景を考え,もう 一度事実を再構築し,手立てを考え授業の修正改善を 加えて授業をするという一連の流れになっていく。授 業は流れていて一時も留まることはない,同じように 子どもの思考過程や表現過程は一連の流れで出てくる ものであり,単にそこだけの切り取りではすまないの である。
以上のことから授業観察における記録は,観察者が 授業のねらいに迫るために同一の視点で観察記録をす ることが大事であり,集団としての同僚性の高まりを 育てるには必要な作業と考える。
⑵ 授業づくりにおける実態把握
主に行動観察と諸検査調査からなる。大切なことは,
どちらか一方だけで子どもの実態を把握するのではな く,お互いを活用できるような関係が望ましいという ことである。子どもの実態把握については,どこまで やれば完全に理解できるということはない。子どもは 絶えず育っているのであり,立ち止まる存在ではなく 行動観察も諸検査調査もそのときその時点での実態を 表しているに過ぎない。その実態を受け止めることは 大切なことであるが,それに修正改善を絶えず加えて いきながら子ども理解を進めていくことが求められて いる。
知的障害特別支援学校においては,指導内容は授業 者の創意にまかされていることが多い。子どもの生活 上の課題から学習内容を組織していくならば,当然児 童生徒の実態把握と指導事項との二軸で大まかな単元
の指導内容が絞り出され,それに個人の実態(ニーズ)
が加味されていくのが一般的である。個のニーズを尊 重しつつも集団としての機能維持を保とうとすれば,
限られた時間,人,物,金を考慮して考えなければな らないのであるから個のニーズが前面に出てくること はあり得ないのかも知れない。
割り出すときには実態把握は欠くことができず,指 導内容を組み立て指導が始まったときから修正改善
(PDCAサイクル)が始まり,その結果を受けてま た実態把握をしなければならないことが生じてくる。
この繰り返しこそが授業づくりであり,省察の繰り返 しにより省察の質の高まりが起こってくるのである。
この作業は授業者一人で行うものではなく,チームで 行うことにより授業者一人では見切れなかった子ども の様子をより的確に把握することができる。同僚の力 を意図的組織的に生かしていくことが必要となる。
⑶ 授業づくりにおける省察の議論
議論は次の3点である。1点目は,授業中(授業者 の心の動きと授業者の働きかけ)は,授業者は子ども の言動を瞬時に判断して子どもとのかかわり方を考え ているわけであるが,文章に起こす段階では時間差が 生じるため目の前で起こったことを正確に表現できな いことがある。2点目は,授業のねらいは授業者が立 てた授業計画から割り出されたねらいではあるが,児 童生徒の行動は様々な要因によって動かされており,
授業の流れは教師が予想したものでないことがある。
3点目は,授業を考え授業を深く考察していくと,教 師と児童生徒とのかかわり(関係性)の中で培われて いく授業において,教師が変わらなければ授業が変わ ることなく,教師が変わることは形式的なかかわりが 変わることではなく,教師の内面心情にかかわる部分 が変容しなければ,授業の質的改善は期待できない。
という点である。
子どもとのかかわりにおいて事実があり,その背景 を探り,その子から見いだされる子どもの姿を明確に し,かかわり,手立てを考えていく授業づくりが望ま れるが,「今日の授業のポイントの場面」をあげ,<そ のときの自分の心情>を洗い出し{振り返り}(後日 その場面を振り返る)という活動で,授業者の心情を 理解する作業を繰り返し行い授業を作っていくことは 意味のあることと思われる。
この作業は授業者一人で行うには膨大な手間と時間 を必要とする。子どもが帰った後,授業の省察を行う わけであるが,教師一人の省察では不十分なことがあ るためチームで省察することが望ましい。また,省察 の視点を明らかにし同僚の指導力,専門性を最大に活 用して省察をすることが,議論の質を高め次の授業へ 反映されるものと考える。
8 終わりに
津守氏の省察論を基に知的障害特別支援学校におけ る授業のあり方を考察してきた。その考察を支えるも のとして佐藤氏と秋田氏の論を参考にした。
知的障害特別支援学校においては小人数の集団で子 どもと教師の濃密な人間関係の中で授業が展開され る。しかしながらその関係を作ることはたやすいこと ではなく,子どもとの関係の中で教師は日々省察を繰 り返さなければならない。
一方で省察は一人で行うよりは同僚の持っている指 導力専門性を加味することにより,より深まりのある 適切な省察が行われることがはっきりしてきた。
今後はこの視点を実際の授業現場で実践し,授業の 質を高める試みを行うことが求められる。
参考・引用文献
⑴ 片野一,山﨑壽克 今後の特別支援学校の展望と課題 福島大学総合教育研究センター紀要第4号 PP1-7
⑵ 文部科学省 特別支援学校教育要領・学習指導要領 2009
⑶ 津守真 子どもの世界をどう見るか PP183-193 日 本放送協会 1987
⑷ 佐藤学 教師像の再構築 PP18-21 岩波書店 1998
⑸ 秋田喜代美 教師像の再構築 PP252-256 岩波書店 1998