【 研究ノート 】
花之安著『自西徂東』ノート(1)
── 清末西洋人宣教師の中国国民性批判 ──
手代木 有 児
1. 『自西徂東』について
(1) 『自西徂東』の概要
本稿は,清末中国で活動したドイツ人プロテスタント宣教師エルンスト・ファーバー(Ernest Faber 1839-99,中国名は花之安)(1)の漢文著作『自西徂東』(1884年刊,英文タイトルはCiviliza- tion, China and Christion)(2)全5巻72章のうち,西洋の社会団体を紹介する第5巻の11章を除く 61章の内容を章ごとに日本語で要約して示し,分かり易い形で読者に提供しようとするものであ る。はじめに『自西徂東』の概要と本稿でとりあげる理由について述べておく。
ファーバーは1858年,ドイツにおける中国へのプロテスタント布教のための組織である礼賢会
(Rhenish Missionary Society)に参加し,65年4月に香港に至り,66年広東の東莞で中国での布教 活動を開始した。1880年に礼賢会を離脱したのち,84年には上海に移り同善会(Weimar Mission)
に参加して活動を続けた。1898年にドイツが青島を占領すると,青島に移るが翌99年死去した。
中国滞在は34年に及んだ。漢学研究に優れ「19世紀最高の漢学家」とも称される。儒教思想への 豊富な知識を駆使した多くの著作を通じて布教に従事した。
『自西徂東』は,『万国公報』に1879年10月-83年に掲載(3)された論文をまとめて5集72章とし,
馮勉齋と循環日報館の洪士偉による潤色を経て84年香港の中華印務総局から正式出版された。
ファーバーは『自西徂東』において10年をこえる中国での観察をもとに中西文化を政治,経済,
宗教,軍事,社会,道徳,風俗,礼儀祭祀,教育,学術,科学技術など多方面にわたり比較検討し,
中国の衰弱と西洋の富強の根底にある中国人と西洋人の国民性の違いを指摘する。その上で西洋文 化の背景にあるキリスト教の受容により中国人の国民性を改造し中国の改革を推進すべきことを強 調している。
清末中国では1870年代半ばから90年代にかけて,一部の西洋人プロテスタント宣教師(以下,
宣教師),特にのちに広学会(1887年設立)に結集する宣教師たちによって,中西文化およびその 根底にある中西国民性を比較し中国国民性を批判する漢文著作が『万国公報』などにさかんに掲載 された。それらに多くは単行本化され広学会による精力的な普及活動によって中国の改革を志向し た先進的な中央・地方の知識人に広まり,洋務運動期中国人が西洋を深く理解し西洋中心の世界秩 序の中で自己認識を確立する上で最大の情報源となった。そうした漢文著作の中でも,中西文化と
中西国民性について多岐にわたる比較を展開し,当時の知識人に最も豊富な情報を提供したのがほ かならぬ『自西徂東』だった。
中西国民性について論じた宣教師の代表的漢文著作としては,『自西徂東』以前にヤング・アレ ンの『中西関係略論』(1876)があるが,『自西徂東』には『中西関係略論』とは異なる特徴が指摘 できる。第一に,中西文化に関する情報量の膨大さである。日清戦争以前,同時代の西洋がいかに 中国の優位にあるかを最も多面的かつ詳細に論じた著作の一つであり,清末中国人が中国と西洋の 違いを知る上での代表的な情報源だった。第二に,多様な角度から中国国民性批判が展開されてい ることである。『中西関係略論』が19世紀西洋人の中国国民性認識から,中国改革の最も大きな障 害と目されるものを摘出して示したのに対し,『自西徂東』は19世紀西洋人の中国国民性認識の多 面的な蓄積を反映するものといえる。第三に,キリスト教への抵抗感を緩和するための周到な配慮 が見られることである。題名「自西徂東」(西から東へ)は『詩経』大雅,桑柔からとられ,また 全五巻の巻名は三綱五常の五常にちなみ仁,義,礼,智,信とされ,それぞれに関わる内容の論文 を各巻に収めている。さらに各章でしばしば儒教経典を引用するなど,漢学者ファーバーの素養が 遺憾なく発揮されている。
(2) 『自西徂東』を取り上げる理由
それでは筆者はどのような問題意識から『自西徂東』を取り上げるのか。筆者の当面の問題意識 は,清末中国における中国文明を唯一普遍の文明と見る文明観から,西洋文明が中国文明の優位に あるとする新たな文明観への転換に際して,中国人はいかにして,又いかなるものとして自己(中 国)認識を形成していったのかということにある。この問題は清末中国の変法論や革命論を研究す る上での大前提でありながら,実は十分な研究がなされてきたとはいえない。
従来この自己認識に関する研究は,主として所謂「国民性」認識の研究として1980年代以降中 国で本格的に進められてきた。そこでは日清戦争後の戊戌変法期から五四運動期にいたる民族存亡 への危機意識の高揚の中で提出された厳復,梁啓超,陳独秀,李大釗,魯迅らをはじめとする知識 人の国民性批判の言説が,主要な研究の対象とされてきた(4)。またそこでは魯迅が注目したことで 知られるアメリカ人宣教師アーサー・スミスのChinese Characteristics(1890)の影響がしばしば 論じられてきた。だがスミスを除けば,中国変革の局外者たる西洋人の中国認識の影響はほとんど 重視されてこなかった。
しかし,その一方で1980年代から洋務運動期における上海など開港場での宣教師による出版教 育等を通じての西洋情報の普及活動や,知識人とりわけ出使・留学経験者など先進的な人々の世界 像の変動に関する研究が活発化し,1990年代以降その成果の刊行が進んだ。その結果,上記のよ うな日清戦争後の知識人における国民性批判の隆盛に先駆けて,1870年代半ば以降,漢文雑誌『万 国公報』を中心にのちに広学会(1887年設立)に参加する宣教師たちにより,中国人と西洋人の 国民性の比較を通じて中国人の国民性を批判し中国の変革を提唱する論文が発表され,その盛んな 単行本化や普及活動によって知識人が少なからぬ影響を受けていたことが知られるようになった(5)。 また洋務運動期に新式学校で宣教師に外国語を学びその後出使を経験した知識人が70年代後半か ら80年代に書いた著作には,すでに日清戦争後の厳復や梁啓超らに見られるのと同様の中国国民
性批判が見出せることが知られるようになった(6)。
こうした中で清末中国における国民性認識の形成過程を解明するには,日清戦争以降を主な対象 とするのでなく洋務運動期にさかのぼって検討する必要があることが明らかになってきた。また知 識人の国民性批判を対象とするだけでなく『万国公報』を中心に展開された宣教師の中国国民性批 判と清末知識人の国民性認識に関する比較検討が不可欠であることが認識されるようになった。前 述の通り1980年代以来の宣教師研究は,宣教師の中国国民性批判が知識人の国民性認識にも影響 を与えたことを指摘した。しかしそれは宣教師の出版物の知識人への普及や,宣教師の中国国民性 批判と知識人の国民性認識の類似についてのごく断片的な指摘であり,宣教師と知識人それぞれの 著作を突き合わせて,宣教師の中国国民性批判が知識人の国民性認識にどう影響したかについて実 証的に検討したものとはいえない。清末中国の国民性認識の形成過程をより深く理解するには,そ うした実証的検討を通じて清末知識人の国民性認識が宣教師の中国国民性批判のどのような内容を どのように受容あるいは排除し,新たにどのような内容をつけ加えていったのかを明かにすること が求められる(7)。
こうした状況と関連して注目されるのは,サイードの『オリエンタリズム』の影響を受けて構想 された近年における周寧の研究である。周寧の大著『天朝遙遠』(2006)は,西洋近代が創出した 文明・進歩の西洋に対する野蛮・堕落の中国という中国認識は,啓蒙期の世界観念秩序下でモンテ スキューからヘルダーを経てヘーゲルにおいて完成されたことを克明に解明するとともに,それが 帝国主義による西洋の拡張を合理化する効能をもち,宣教師の中国国民性批判とも深く結びついて いたことを指摘した(8)。このように周寧の研究によって宣教師の中国国民性批判が西洋近代におけ る中国認識の伝統を色濃く継承することが明らかにされたことは,それが清末中国の国民性認識に 与えた影響への関心を一層惹起することになった。
以上をふまえて宣教師の中国国民性批判と清末知識人の国民性認識の比較検討を行うには,まず 主要な宣教師の中国国民性批判について,その内容を詳細に把握することが必要である。1980年 代以来の宣教師研究においては中国国民性批判の代表的著作として,特にアレンの『中西関係略論』
(1875-76年に『万国公報』に掲載後,76年単行本刊行),フェーバーの『自西徂東』,リチャード の『生利分利之別』(1893年4 月『万国公報』掲載後,97年単行本刊行),およびアレンの『中東 戦記本末』(1895-96年『万国公報』掲載後,96年単行本刊行)が注目されてきた(9)。とりわけ『自 西徂東』は,『中東戦記本末』とともに広学会が最も重視し知識人への普及に努めたことで知られ,
また前述のように日清戦争前において中西文化と中西国民性に関し多岐にわたる比較を展開し,当 時の知識人にそれらに関するもっとも豊富な情報を提供した著作であった(10)。
筆者はこの間,宣教師の中国国民性批判と清末知識人の国民性認識の比較検討を行うための準備 作業の一環として,さしあたり『自西徂東』を閲読しその内容の把握を進めてきた。そこで本稿で はその成果をふまえ,『自西徂東』全72章(総字数約21万字)のうち61章の内容を章ごとに日本 語で要約して示し,広く読者にその大意を紹介する。『自西徂東』各章での中西文化比較は,ファー バーの10年をこえる詳細な中国観察をふまえたもので,中国社会の実態についての具体的事例に 富むのに加え,読者のキリスト教への反発を緩和すべく儒教経典とキリスト教教義の類似性にしば
しば言及する。このため内容は多岐にわたり,また繰り返しが多く冗長であることも否定できない。
以下本稿では,はじめにファーバーの「自序」の全訳を示した上で,各章の内容についてその論旨 と議論の展開を十分把握しうる程度に圧縮(おおむね3分の1程度)した日本語の要約を示した。
また各章における中西文化や中西国民性に関するキーワードを含む記述については,できるだけ原 文に忠実な訳文を示し,( )で原文を付した。
【注】
(1) ファーバーに関する主な研究としては ① 張碩『漢学家花之安思想研究』知識産権出版社,
2013年。② 顧長声『従馬礼遜到司徒雷登』上海人民出版社,1985年,257-261頁,③ 吉田寅『中 国プロテスタント伝道史研究』汲古書院,1997年,第8章「近代教育の導入と中国語著作」な どがある。①は著者の博士論文(北京大学,2007年)であり現在のところもっともまとまった 研究書である。③はファーバーの中国語著作のうち中国の教育制度改革を意図して執筆した『大 徳国学校論略』,『教化議』,及び『自西徂東』を,中国教育史上も注目すべきものとして紹介し ている。
(2) 『自西徂東』に言及した研究としては,張碩の研究のほか熊月之『西学東漸与晩清社会』上海 人民出版社,1994年,第9章400-409頁,第13章561-564頁。王林『西学与変法─「万国公報」
研究』齊魯書社,2004年,第5章,181頁など。1884年香港の中華印務総局から出版された刊 本は『近代中国史料叢刊三編』第80輯(台湾,文海出版社,1996年)に収録され,2002年に は上海書店出版社『近代文献叢刊』の一冊として同刊本を底本する(徳)花之安著『自西徂東』
が出版された。この『近代文献叢刊』本刊行後,中国で研究論文が量産されている。本稿では『近 代文献叢刊』本を使用した。
(3) 『近代文献叢刊』所収の『自西徂東』「点校説明」1頁。なお王林『西学与変法─「万国公報」
研究』は,掲載時期を第636巻(1881年4月23日)から第750巻(1883年7月28日)の間(第 636〜647巻,第672〜694巻,第702〜750巻),および1889年2月の復刊『万国公報』第1冊(「西 家准縄」)とする(同書176頁)。
(4) 袁洪亮「中国近代国民性改造思潮研究総述」『史学月刊』2000年第6期,のちに摩羅・楊帆 編選『人性的復蘇─国民性批判的起源与反思』復旦大学出版社,2011年所収。
(5) 梁元生『林楽知在華事業与「万国公報」』香港中文大学出版社,1978年,第7章,137-143頁,
熊月之『西学東漸与晩清社会』第9章401-409頁,第13章561-564頁,第16章620-632頁。王 立新『美国伝教士与晩清中国現代化』天津人民出版社,1997年,第3章,200頁,王林『西学与 変法─「万国公報」研究』第5章,181頁など。なお先駆的業績として王樹槐『外人与戊戌変法』
台湾中央研究院近代史研究所集刊,1965年がある。
(6) 手代木『清末中国の西洋体験と文明観』汲古書院,2013年。
(7) 宣教師の中国国民性批判の知識人への影響に関する筆者の研究には,手代木「清末中国の文 明観転換と自己認識」『史林』第102巻第1号,2019年がある。なお従来日清戦争後の国民性認 識への研究においてしばしばその影響が論じられてきた前述のスミスのChinese Characteristics
(初版1890)は,西洋近代の中国認識の伝統を色濃く継承する点で『万国公報』を中心に展開さ
れた宣教師の中国国民性批判と共通点が少なくない。ただしアレン,ファーバー,リチャードら 宣教師の中国国民性批判が,中国人向けに漢文で書いたものであり,中西文化を比較し西洋人の 国民性との対比で中国人の国民性を批判したのに対して,同書はもともと中国人向けに書かれた ものではなく,もっぱら西洋人向けに中国人の国民性を論じたものであり,当然西洋文化の優位 性を前提にしてはいたが西洋文化についての情報を提供するものではなかった。また同書が中国 の知識人に注目されたのは,日清戦争後,1896年に渋沢保による日本語訳が刊行され,さらに 1903年に下田歌子と日本留学生戢翼翬が上海に設立した作新社から中国語訳が出されてからの ことであった。スミスの中国国民性批判の中国近代における影響の広がりは,宣教師の漢文著作 による中国国民性批判の普及という一定の土台の上にはじめて生まれたものだったと考えるべき であろう。Chinese Characteristicsについては,近年刊行された邦訳,石井宗晧,岩崎菜子訳『中 国人的性格』(中央公論新社,2015年)および同書所収の「訳者解説」を参照。作新社刊の中国 語訳は,2006年に中華書局から『中国人的気質』(美)明恩溥著,佚名訳,黄興濤校注(黄興濤・
楊念群主編『西方的中国形象叢書』所収)として刊行されている。また作新社刊中国語訳に関す る研究としては,同書所収の黄興濤の論文「美国伝教士明恩溥及其『中国人的気質』─一部“他者”
之書的伝授史与清末民国的“民族性改造”話語」およびリディア・リウの著作Translingual Practice : Literature, National Culture, and Translated Modernity. China, 1900-1937, Stanford Univer-
sity Press, 1995の第2章(邦訳は中里見敬・清水賢一郎訳「国民性を翻訳する─魯迅とアーサー・
スミス」九州大学『言語文化論究』第23号,2008年)が参考になる。
(8) 周寧『天朝遙遠─西方的中国形象研究』(上・下巻)北京大学出版社,2006年,特に第6編。
(9) 熊月之『西学東漸与晩清社会』第13章561頁。
(10) 熊月之『西学東漸与晩清社会』第9章408-409頁,王林『西学与変法─「万国公報」研究』
第7章,251頁,手代木「清末中国の文明観転換と自己認識」。
2. 『自西徂東』ノート
(1) 「自序」(全訳)
『自西徂東』の書をなぜかいたのか。それは中国人を覚醒させようとしたからである。ああ,中 国の大勢はすでに焦眉の危機に瀕している。今日往来は賑やかで太平の世のようであるが,しかし また強大な隣国にとりまかれており,はたしてそれらを手なづけることができるであろうか。そも そも当今の時勢において,外国の多くは日々富強を遂げており,中国がよく古いものをすて新しい ものにかえ,旧習にとらわれず勇ましく奮い立てば,またともに強盛にいたり天下を安定した状態 におくことは不可能ではない。ただそれをどのように行うのかである。今中国は外国と通商してす でに久しく,ただ外国人が中国に来ることを免れがたいのみでなく,中国人が外国に行くこともき わめて多い。そこで第一の要計は,列国が平和で意見の衝突を起こさせないことを貴び,また列国 の人物を弁別し混同しないようにすべきことである。そうすれば交際を通じて列国の好みを知り,
その名声,人民と物産,政教を考察することができる。ところが今日中国人は外国人をごちゃまぜ
にしてすべて外夷と見なしており,どうして友邦に応対する仕方であろうか。しかし,中国には人 材がいないといってはならない。中国人にもまた賢くて悟りが早く,注意深く有為であり,勤勉で 西国の学問を学ぶ者はいる。ただその学問は要点を失い,ただ西学の表面だけを得てその精深の理 を獲得していない。学問といっても甚だ益のないものである。いわんや中国人が学ぶのは,ただ技 芸を精密にして自分に利益を得ようとするのみで,学ぶことで人に利益を与えることはできない。
どうして仁愛の大道を得て天下一家を実現し,遠人を悦んで服従させることができようか。
かつて中国の官員が外国に游歴した際,西国の立法が優れていることを知り,中国に帰ってこれ を実行しようとしながらついに実現しなかったのは,甚だ惜しむべきことだ。中国の為政者にも,
兵士に西国の大砲や小銃を学ばせる者がおり,西国の気船・電報などを学ぶ者がおり,また汽船を 用い航海して商売をし,鉱山を採掘するのに西国の方法を用いる者もいる。これらはよいことでは あるが結局は西国の至善の道を得ることはできない。こういう学問は,例えば樹木に寄生するもの があれば,外側はよく見え内側に弊害があっても多くの人には分からないようなものだ。なぜかと いえば,寄生は樹根によって生きるのでなくほんとうに根本がなく,日々樹木の精汁をむしばみ久 しくこれをむしばめば,その樹木は必ず枯れる。思うに中国人は至精の学問を有し自分の智慧によっ て各種の技芸を生み出すのではなく,いたずらに人に頼っている。これは根本のない学問であり,
寄生してもしばらく外見はよく見えるが日がたてば必ずその樹木を害するのと同じである。このこ とから根本のない学問は必ずその国を害することが分かる。
中国に来て約二十年,私は中国を一本の至美の果樹のように見てきた。かつてはよく枝葉が繁茂 し甘い実をつけることができたが,今は雑葉雑枝が生え枯枝も多くなった。この果樹を栽培する者 は,必ず樹木の成長を妨げる原因を知ることを貴び,雑枝雑葉や枯枝があれば取り除く。必ず立派 で甘く樹木の原質にかなう果実を求め,これに接木してよくその根本を培養し後日必ずよく繁茂し,
以前に勝るようになる。果樹の原質をできるだけ立派で甘いものに変えることも決して難しくはな い。それは接木が甘い実をつけることによる。そうするのでなくただその樹木の外見がよくみえる ことだけを欲して寄生を残し,根本のありかを求めて根本の培養を適宜に行わず,かつ接木がこと ごとく甘い実をつけるものでなければ,その果樹は成長しても味は必ず酸っぱくまた渋く,またお そらくその樹木は結局枯れてしまう。これは人力を尽くさないことによる咎めであり,どうして大 いに惜しむべきではないであろうか。以上は,私が中国人が西国の書を詳しく読んで大いに覚醒し,
他人の斧斤にその樹木を損なわせその寄生を除きその根本を傷つけるに至らないよう欲する所以で ある。
そうであれば中国が西国の素晴らしいものを求めようと欲するならば,それは根本より出てくる ことを知るべきである。その道理は何から得られるのだろうか。イエスの道理に従うのでなければ,
どうやってこれを得られようか。思うに西国はイエスの道理に従うので,一本の完全無欠な生命力 をもつ樹木のようであり,質は甚だ強壮,根は甚だ深く,もとより損なわれるのを憂えることはな い。イエスの道理はまことに生命力をもちいたるところに貫通している。中国がもしその道理を得
れば,まことに一本の完全無欠の樹木であり,生命力が貫通しどこにでもあり,どうして頽廃の心 配があろうか。ただ惜しいことにイエスの道理の奥深さは,ただ中国人が理解することが少ないだ けでなく,たとえ西国の博士でもまた理解しがたいところがある。思うに嗜欲の心が勝るために,
おのずからイエスの理と合致しないのである。思うにイエスの道理は真誠に帰するにほかならず,
人がまことにイエスの理に従うことができれば,その心は自然に真誠となり,あたかも一本の最も 美しい樹木が,しっかり根を張り枝葉を生い茂らせ尽きることなきがごとくである。人心がこの真 誠をそなえると,千変万化の理はみなこの心から生み出される。故に万物の道理に通じ事を処理し 成功することができ,天下のきわめて精妙な物も作れないことはない。ある人は「西国の各種の技 芸の立派さはただ智慧に頼って成就したのであり,イエスの道理とどういう関係があろうか」とい うが,どうして各種の美種を肥沃な土地に播いてもこれを日が温め雨が潤すことがなければ,美種 は発育し成熟することはできないことを知ろうか。イエスの理はすなわち天上の日と雨である。人 は智慧があってもイエスの道理によってその聡明さを感発されなければ,どうして精妙の物をつく れるだろうか。試みにキリスト教に従わない国をみれば,イスラム教,太陽教などが絶えて精妙な 技芸をもたないのは,詳細にこれを考察すればその理由は明らかである。今各国の見識の浅く狭い 人は各種の新巧の器具を得ることをもっとも喜ぶが,もし彼らと道理を議論すれば,彼らの議論は 味気なく眠気をもようすものだろう。これらの人はただ物を愛し物を慕うことを知ること異端の楊 朱の如くであり,彼らは物は身を養うべきであり,物は欲にささげるべきであると考える。故に物 を追いかけて其の理を失い,実に自分もまた一物であり,物を以て物を養うにすぎない。人が楊朱 に従いただ己のために物を愛すれば,必ず欲をほしいままにして人倫を損なうにいたることを知る べきである。今中国人は多く孔子を拝むがその言を行なわず,ただ楊朱が物を愛するのに従う。故 に多くは欲をほしいままにしておきてを破る。このようなことはただ中国人だけがそうであるので なく,西国の博士もまたもっぱら広く書物を見ることに務め物の中に追い求めついに心性の理を忘 れるのであり,楊朱が物に溺れるのと同様である。そしてまた理の真実でないものを見て墨翟の教 に従いただ人を利することを欲する者がおり,考えが浅薄な者がこれを見れば,甚だ善であり楊朱 に勝るとするが,それが人を利することができず実は害をもたらすことを知らない。それは何故か。
今日中国が西国の汽船・大砲を用いてただちに外に威勢を示そうとするがごときは,見識のない者 が見れば,中国の威厳はいまだ減じていないと考える。どうしてただ物をもって中国を利するよう 欲するだけで,イエスの道をもって民を教化することができなければ,民は心を離れ徳を離れるこ とを知ろうか。孟子の所謂「兵革は堅利ならざるにあらざるも,すててにぐるあり」(公孫丑篇下)
という(仁義の道徳を重んずる立場からの)指摘をふまえれば,ただ船砲を中国に与えることがこ とごとく中国を利するのではないのは,人を愛するに徳をもってするのでないためであると知るべ きである。そうであれば人が墨子に従いただ人を利することだけを欲しても,実は危険がそこには 存在する。それは墨子は人を利することを欲するといえども,実は人の欲に従い理をもって人を教 化せず,人を利するもかえって人を害するのであり,まさにイエスが理をもって人を愛し人が欲に 従うのを戒めるのには及ばないことに由るのである。思うに人は楊朱の為己に従えば仁を失い,人 が墨翟の為人に従えば義をうしなう。孟子はそれ故にどちらも斥けたのである。もしイエスの道理 によって行えば道理は純全であって異端の弊はない。そもそも儒教の理は天命の性に帰し,イエス
の道理は上帝の命令に帰し,仁義はいずれにもそろっている。万物を用いるといっても,物を追う のではなく,物をもってわれの心性を養えば,物の精妙さは背くことはできない。このことはイエ スの道理がまことに儒教の理と相通じて一貫するものである。イエスの理はそなわらざるところな く包まざるところなく,上天の奥旨,人間の倫紀,地中の万物をその中に統括しないことはない。
今中国は富強を図り振興をもたらそうとしているが,なおいまだイエスの真理に従うことができず,
宣教師が中国を助けようとしても不可能な状況にあり,互いに食い違ってしっくりしない。もし中 国の君子が一致協力してともに西国へ行き真心からイエスの理を求め,故見にとらわれず些細なこ とにこだわらず,西人の格物,数学,天文諸学の奥義に精通し,これによって妙義を生み出し,器 物を発明し広く用い,必ずしも他人の手を借りなければ,永久に壊れることはない。それはまこと に立派な樹木は根を深く張り葉を繁らせ,その接木はみな素晴らしいものであるのと同様であり,
ただ寄生するものが外見だけよく見えるのと同じではない。そうであれば西国の書には必ず真理が そなわっている。世の君子の本書を閲覧する者は,詳細に読み冷静に考え,偏った見解に固執しな ければ,その中の妙理は必ず得られるものがある。くれぐれも文章の粗末さをもって軽視すること なかれ。
大徳国花之安自序。
(2) 巻1「仁集」(第1章〜第13章)要約
第1章 あまねく貧民を救え(周済窮民)
天下には英雄・壮士をも悲しませることがある。それは貧窮である。仁者はこれを救うことがで きなければ,その憂いは想像にたえない。だから古の周の文王は政治を行うのに必ず貧民・無告を 先にし,宋の張載は文章を構想するのに老衰した者・廃疾者を忘れなかった。今日中国では貧民が 人に救われるのを待つ気持ちは甚だ切迫しているが,貧民の数は膨大であり仁者が広く貧民を救う ことは困難である。乞食となった貧民たちが,老人や子供を引き連れて街頭にあふれ頻りに施しを 求め(其窮之流為乞丐者,或則扶老携幼,或則匍匐街辺,頻呼施舎),その惨状は形容に堪えない。
中国では各省に養済院があり孤独で身寄りのない人たちを収容している。しかし彼らを養っても仕 事をすることを教えて不足を補わないので,国費が浪費されている(然養之而不教之作工,以帮補 其不足,則国賦亦属虚糜)。貧しい読書人の多くは風水・星占い・運命占いで金を稼ぐので精一杯 である。中国に貧民が多いのは土地が痩せているからだという者がいるが,実は中国の土地は西国 よりも豊かである。西国は土地が寒冷で生産は困難だが,豊かになることができた。とすればこの 中国の貧窮と西国の富強の違いには,必ず識別できる原因があるはずである。
中国に貧窮をもたらした原因は,一つは奢侈を好むことである(夫中国致窮之故,一由于好奢)。
奢侈を好む人はただ自己の快楽のみを知り他人の困窮を考えず,奢侈の度を過ごして後日自らが赤 貧に陥る。もう一つは虚偽を好むことである(一由于好假)。世間の酬神・祈祷・芝居・読経法事・
拝斗や一切の虚偽の事はみな銭財を費やし困窮を致す。かつ商人は商品を多く売るために偽って悪 賢く立ち回り,信義を顧みないため商品は滞る。とすれば中国人が困窮するのは仁義礼智信がない ためでないであろうか。大抵民の貧窮は,天災によるのでなければ,遊び好き(好閑)で安逸むさ
ぼり(偸懶),女郎買い・賭博・飲吹などに財を費やして自ら招いたもので,いずれも貧窮の救済 には官民合力が不可欠である。
故に泰西の各都市では,貧民を救済する施設や組織を設け(故泰西毎城,或設恤窮之局,或聯恤 窮之会),公正で清廉な名士を選び総理としその富裕な隣人を挙げて副総理として,何事もみな公 平に扱い穏当に処理する。貧民がここに救済を求めれば,貧民に仕事があればその雇主を責め,親 類があればその親類を責め,技芸があれば推薦状を書き旅費を与えて生計を立てさせる。孤独で身 寄りのない者は,各施設に収容し,衣食を与え不足がないようにし,能力に応じて仕事を教え施設 で働かせ,国費を浪費することはない(惟鰥寡孤独廃疾,無人倚頼則発帰各院,給以衣食,無少欠 缺,又因材器使,教之作工,以帮補院中所,庶不至国用空耗)。自ら貧窮を招いた者については,
少壮であれば救済せず前非を徹底的に改めさせる。もし過ちを改めなければ役人はこれを捕えさせ 監禁し働かせるので,羞恥を知る者は二度と乞食になろうとはしない。地方では,有力者に命令し て飲食をともにし金銭を融通し,身寄りのない者・廃疾者が生活できるようにさせる。泰西の貧民 を救済する善法はこのようなものである。ドイツでは初めは民間で貧民を救済していたが,今では 君民ともに救済にあたる。貧民は庶民に累を及ぼすのみならず国運にも関わるので貧民救済の新法 を設け,貧民には生活に必要な物は皆役人が分け与えている。これをこえる法があるであろうか。
こうした救済はみなキリスト教に基づくものであり,キリスト教が人に甚だ有益であることを知る べきである。中国人士が一日も早くキリスト教を信仰し善法を設けて貧民を救済し,風俗が大いに 変じ国家が治まって安らかであることを謹んで望む。
第2章 よく疾病を治せ(善治疾病)
疾病の苦を除くには,その原因を明らかにして病を未然に防ぐとともに,発病した時はそれを治 癒してこそ万全である。以下,疾病を防ぐための留意点を列挙する。
身体・衣服を清潔にせよ(潔身衣)。『礼記』(儒行篇)に儒士は浴身を浴徳とともにとなえると 言い,『詩経』(周南,葛覃)に后妃は薄衣と薄私をならびに重んずると言う。これは外見を立派に するためだけでなく,疾病を防ぐためである。身体・衣服を清潔にするのを怠れば,疾病はしばし ばこれによって生じる。西人のように週に1度入浴と洗濯をすれば,身体・衣服の清潔を保つこと ができる。
飲食を精良にせよ(精飲食)。飲食は人を養うに足るものであるが,時に人を病気にする。だか ら『論語』郷党篇では孔子の飲食時における節度ある態度を詳述している。中国の市中では死蓄の 肉,腐った物が多売され,河水や井戸水が汚水や排水によって汚染されている。西洋に倣って死蓄 の肉,腐った物を売ることを厳禁して人々を害さないようにし,清水を引いて人々に提供すべきで ある。
家屋を広げよ(広屋宇)。かつて聖人は家屋を立て乾湿や寒暑を避け快適な生活をもたらしたが,
今日の家屋は狭く粗末で厨房は寝室と連なり窓や戸口はなく風気を分散しないので,病気を払うど ころか伝染させる。西人の家屋には快適に暮らすために一定の建て方があり,また貧者に住居を提 供するなど配慮があり,これにより心身の健康が保たれ病気にかかることはない。
仕事を選べ(選工芸)。士農工商はそれぞれ技芸を有し生命を養っているが,技芸には疾病をも
たらすものがある。西洋では鋼器職人が短命なのは鋼塵が肺を腐らせるためであることを解明し,
鋼塵を遮る器具を作りその害を防いだ。仕事の害は多く,仕事は宜しく選択すべきである。
嗜欲を禁じよ(禁嗜欲)。中国では酒色・鴉片・械闘などの嗜好が国や民をひどく病んでいる。
役人は方法を講じてこれを禁じるべきである。
伝染を防げ(防伝染)。西洋では,清潔を重んじ小児に種痘するなど病気伝染を予防し,病気を 発症した者には人を近づけないよう努める。
猛獣毒虫の害を除け(除狼毒)。獣虫は人や作物を害するので,すみやかに除去すべきである。『周 礼』に除獣虫の職があるのはこのためである。英領インドでは獣虫を退治してその害は一掃された。
医院を設けよ(設医院)。中国には医者は多いが医院はわずかで,病人が街に溢れている。西洋 は都市毎に数所から十数所の医院があり,治療に十分な設備があり,貧民にも手厚いので,市街に 病人を見ることは稀である。
以上に加えてさらに重要なことは,疾病は罪があることによって生ずるということである。疾病 を治すにはまず罪を除かねばならない。罪を除こうとすればキリスト教でなければ効果はない。聖 なる道を篤信し贖罪を求めて本源の性を回復してこそ,将来に永遠の幸福を享受できるのだ。
第3章 老人を扶養せよ(贍養老人)
古の中国では,上級下級の官吏の退職者も庶民の老人も扶養する養老の制度(『礼記』王制篇)
が歴代踏襲された。先王が養老を民に教えたのは,それによって忠を勧め孝を教えようとしたので ある。
だが老人は多く,もしすべて国家が扶養するならば,遺漏が多くなることは免れない。国朝にお いては,古の養老の制度はほとんど衰退してしまった。思うに今日国家の出費は多く,養老を遍く 行き渡らせることは不可能である(蓋国家所出帑項為款既多,不能泛応而曲当)。かつ戦乱により 軍事費は不足し,老人の食糧は不急のものとされ,定期に必要分が支給できない状況である。
西洋の養老の法は中国とは異なる。国家に仕えて退いた者は国家が扶養し,庶民の老人は民間で 扶養するので,国家だけの力では養老しきれないということにはならない(至我泰西養老之法則有 異,国老帰国,庶老帰民,不至国家独力難顧)。だから国家に仕えた者には,高級下級官吏から兵士,
水夫まで定俸があるから民を搾取しない。国家の恩恵がこのように手厚いので,心を尽くし国に報 いない者はまれである。これこそ三代において国老を扶養した理由であろう。寡婦については,国 家が養うことはない。寡婦になった場合の保険があり掛け金に応じて生活費を受け取る。保険に加 入していないものは,他人に頼らず生活しなければならない。それ以外の民間の老人は,本籍地の 官民がそれぞれ設備の整った老人院を設けて養う。そこでは十分な衣食が与えられ面倒を見る人が いるので苦労はなく,適性に応じて些細な工芸を教えて,小遣いを稼がせるとともに,血の巡りを よくして病気を防がせる(衣食豊足,服役有人,不令有労苦愁嘆之状,第各視其人之強壮,及平日 之所長,教作些小工芸,不独能帮補外費,亦可使血脈流通,免生疾病)。災害に遭えば医師が治療し,
礼拝日には宣教師が福音聖道を説教する。年間の費用は民間の寄付で賄い,不足があれば国家が公 金を支出して援助する。このように民間の養老の手厚さは,わが三代における庶民の老人への養老 と異ならない。
中国もわが教会内のようにイエスの道にならえば,養老の方法はどこにも劣らないであろう。ど うして唐虞三代の隆盛に匹敵しないであろうか。
第4章 孤児を撫教せよ(撫教孤子)
古の中国においては,『礼記』月令篇にあるように,孤児をあわれみ,ことに撫教すること,す なわち養育するとともに教育することが重んじられた。養育は目前の安定を目指すが,教育は終身 の生き方に関わり,養育するだけで教育しなければ,ほとんど禽獣に等しく,ましてや恵まれない 孤児にはそれらが不可欠だからである。だが後世は教育が急務であることを忘れ,ただ養育だけを 重んじるようになり(惜後世罔知訓誨為急務,只以鞠育為要図),ことに孤児の場合それは顕著となっ た。孤児は終生の安危にかかわる教育を人に頼らざるを得ず,教育を受けられなければ生きていけ ない。いかんせん世の気風はいよいよ悪化し,教育が欠如するだけでなくい養育も有名無実となっ ている(無如世風日降,匪第教幼之方既属缺如,即収養之条亦只有名無実)。
わが泰西は中国と異なる。泰西では役人が孤児の遺産や親戚の有無に応じて撫教する者を決める。
引取り手のない孤児は各都市の孤児院に収容し撫教する。孤児院は男女各院に分けられる。日中の 勉学・仕事・飲食・休息・就寝には一定の規律があり,男女とも同様であるが,男子の多くは工芸 を,女子は裁縫や調理を習う(男子多習工芸一道,女子亦加縫紉烹飪之工)。14,5歳になると性 質や能力に応じて生涯の職業を紹介し出院させ,その後も親戚や雇用主に虐待されないよう状況を 見守り,また悪事を働かないよう指導する。孤児院の年間の費用は,みな各都市の公金から支出さ れ,養育と教育をともに重視していることがわかる(若夫年中費用,倶由本城公項所支,可見既養 加教,化育幷行)。
これらは国家により行われるが,辺鄙な田舎では聖会教士が孤児院を設立している。そのうち著 名な孤児院では経書・技芸のみならず,ことに人格を完成させ品徳を磨くことを貴び,将来の生計 の本とする。あわせて常に上帝を敬い仕え,欲を去り誠を存し,福音の道を守ることを教え,将来 において永福を享ける基となし,救主イエスの贖罪の苦心に背かないようこいねがうのである。
このように泰西では教育を重んじ,ただ養育して終わりにするのではない。蓋し孤児の得失は国 家の盛衰にかかわり,孤児を一人多く教育すれば善人を一人多く得られるのである。我ら(イエス の)道を信じる士は,上帝の子,天国の民である人々を撫教して,充分に各々その所を得させるこ とを願うのである。
江蘇蘇松兵備道の応敏斎観察は自ら俸給を寄付して撫教局を設けるよう提議し,都市内外の乞食 を収容しこれを撫教し,将来の生計の術を授けたという。各地でこの意を推し広げ孤児を撫教すれ ば,孤児にとって幸甚であるばかりでなく,我々外国人にとっても幸甚である。
第5章 精神病患者を優遇せよ(優待癲狂)
中国では古の聖王の時,老弱者・廃疾者には医者の治療が施された。だから『周官』はとくに疾 医を設け,万民の疾病を掌らせた。病人の中でももっとも救援すべきものは精神病患者である。蓋 し彼らは知識が全くなく,思考には幻想が多く,猜疑し恐れ惑い,親族も区別がない。本性を喪失 し心志は昏迷し,仁人がこれを見れば救おうと思わない者はいない。また症状が最も重い病気であ
るから,治療の方法も最も優れたものでなければならない。しかし今日世の気風は衰退し,そのた め精神病患者への対応は優先されないばかりか,なおざりにされることが多い(故其待癲狂,不為 不能加優,而且多忽略)。そのため禽獣を扱うように厳重に監禁するので,患者の苦痛は増し死に 至る者もいる(由是禁錮森厳儼籠禽獣,適増其痛苦,而奄々致毙者有之)。ああ,精神病患者への 対応は何と薄情なことか。
わが泰西では医道が振興し,およそ疾病があれば入念に調べ,精神病については特に注意して研 究し,病気の原因を深く解明できた(我泰西医道振興,靡不精心考究,至癲狂一症,尤為加意講求,
故能深悉其致病之因)。精神病の症状は,知恵が失われ累が脳体に及ぶもの,及び脳体の欠損によ り知恵を乱すものがあり,前者は失望・憂欝・悲哀・妄想や父母のでたらめな育て方により,後者 は過度の酒色,病後の失調,先天的な欠陥,外物との衝突などによる。もし病因が脳体であれば,
薬品の効用を借りつつ修養の力に頼れば,脳体は堅固になり知恵も回復する。もし病因が知恵であ れば,手を尽くして勧導し,情欲が精神を蔽うことを知らせ,誤った方向に固執して持病にならな いようにすれば,救われる。
今日泰西各都市の官商士庶は寄付によって精神病院を設けており,治療法はあまねく備わり,昔 とははるかに異なる(今則毎城官商士庶,捐設癲狂之院,治法周備,迥非昔比)。自殺しないよう に部屋は厚棉でおおい,思うように行動できるように手足は自由にし,花草樹木を植え音楽を流し て耳目を悦ばすなど,配慮は周到である。ただ重症の患者はやむを得ず手をしばり室内に閉じ込め,
ゆっくり治療できるようにする。治癒が見込めない者は院中に安居させ余生を全うさせる。毎年の 費用は患者が払う。富者からは多く取るが,貧者からは少なく取り,取らないこともある。
人の知恵は内から情欲に牽かれ外から貨利に誘われ,それらが精神病の原因となる。それが積み 重なると精神病にならない者は少ない。そこでイエスの道を宣伝し聖神による感化の功を借りて欲 望にうち勝ち礼を守り,天国の幸福を慕えば,どうしておのずから精神病が生成するであろうか。
華人が情欲を除きよくイエスの愛人の心を体し,精神病を未然に治し,かつ己を推して人に及ぼす ことができるように願う。
第6章 旅人を忘れるなかれ(無忘賓旅)
古の中国では,『礼記』射義篇にいうように,男子が生まれると天地四方に矢を射て,将来四方 に雄飛することを祈った。この故事にうかがえるように,天子から庶民まで異郷に寄遇し旅人とな ることが重視された。そのため十里ごとに廬があり,三十里ごとの宿,五十里ごとに市があり,廬 に飲食,宿には客舎,市には候館が置かれ,旅人の便宜を図った。
今日においては,国家は藩国の貢使を接待するときに国都の賓館を修理するだけで,国都以外の 状況はわからない。広州のシャム貢館についていえば,荒廃して賓客を接待するに堪えない。金持 ちが異郷に出游すれば必ず接待する者がいるが,庶民は自分で寄寓する場所をさがさねばならない。
省都には旅館はあるが,適当なものは少なく,たとえ泊まろうとしても長く泊まれない。田舎には 旅館は全くなく,旅行者は常に慌ただしく旅立ち,休息する場所もない(雖省会墟場亦有客寓歇店,
然妥適者少,即欲逗留,実有不能久居之嘆。至于郷曲之区,客舎全無,行旅之出于其間者,常見匆 匆行色,税駕無従)。世道は薄情で人情は偽りが多く,農家に宿を借りようとしても,あえてこれ
を招き入れる者はいない(世道軽薄,人情欺瞞,即欲借宿田家,亦無敢招納之者)。
泰西では,近年汽車や汽船により地球を3か月で周遊できるようになり,国君から庶民まで,常 に他国を遊歴して,多様な旅客がみな客寓に宿泊する(泰西近今因火車輪車之便,周遊地球只須三 月,故常有国君大夫,与及工商士庶,游歴他邦,種々不一其人而皆至客寓安居)。客寓は建物を高 く広々と構え,装飾は華やかにし,服装や車馬の精奇さ,飲食の美味しさで心を悦ばす(故屋宇必 構其高昿,鋪陳必極其華贍,与夫服御之精奇,飲食之甘美,固能暢志悦心)。電報・郵便局も内部 にあり,汽船・汽車・車馬や通訳・使用人などは備わらざるはなく,呼べばすぐ応じる。隣国の君 主や欽差大臣が外交のために来訪すれば,国家はその費用を提供する定例がある。講和条約を結ぶ 際には相手国の欽差は費用を自弁し,国家は賓館を設けない。こうした客寓はひとり首都や都市に あるだけでなく,田舎の酒楼も客を宿泊させる。
ただはやらない客寓の中には,妓女を誘い,アヘンを売り,賭博を開くなどして,旅人を落ちぶ れさせるものもある。教会の人々はこうした状況に心を痛め,旅人を守るために資金を出し合って 教会客寓を設けている。そこには多数の善書や新聞を置き,善心を啓発し見聞を広げさせ,また朝 夕客を集めて聖経を講読して上帝に祈り,悪事を行なわないようにさせる。こうした客寓は大変有 益であり,旅人は争ってこれに赴く。中国の善士がこの意に倣い各地に客寓を設けるよう提唱する ことを願う。
第7章 刑罰を省け(省刑罰)
古の中国は民俗が善美で,政治に務める者は徳礼を重視し,もともと刑罰に恃むことはなかった が,刑罰が煩瑣になり民は安心して生活できなくなった。国法があれば,咎めを受けるべき時に,
法律によって罰を科すのは当然である。しかし死者は生き返らず,刑を執行した者は贖えない。過 ちを改めて生まれ変わろうとしても方法がない。だから刑罰のあり方として,およそ残酷な刑,度 を過ごす刑は戒めるべきである。
中国の刑罰には歴代変更が加えられ,隋代に笞,杖,徒,流,死の五刑が定められ,古の墨,劓,
剕,宮,大辟に較べて少しく軽減された。だが五刑の執行の仕方のうち刺配[入れ墨をして追放す る],凌遅[手足をばらばらにし喉を切って殺す],戮尸[死骸を辱める],碎骨[体を粉々にする],
縁坐[連座]は,頗る残忍であり,もともと議論すべきものであった(但刺配,凌遅,戮尸,碎骨,
縁坐諸律,頗近惨刻,固有可議者)。これらの酷刑は,甚だ残忍であり速やかにこれを廃止すべき である(以上数等酷刑,甚残忍,則省之宜亟亟)。
また取り調べに無理に様々な拷問を用いて人に自白を迫り,その暴虐さは極まりない(至于審訊 強用拷打,逼人招認,尤為暴虐已極)。たとえ拷問で死ななくても,良民は目前の苦痛を逃れよう として,後日の咎めを計らずやむを得ず自白し,役所もすでにおとなしくして抗弁しないので断じ て無実の罪ではないと思う(即幸而未死,而彼良民生平未慣受此痛楚,不計日後之誅,不得已勉強 招認,官府亦以為既已俯首無辞,断非冤屈)。無実の罪を着せられる者が多く,真実が得られない ことは怪しむに足りない。
国家が人命を重んじて,役人に酷刑を軽々しく用いないよう戒めても,役人はひとたび罪人が出 廷すれば詳しく取り調べないうちに責め道具を使う。かつ監獄の看守は新たに獄に入る者が賄路を
払わねばすぐに不当な刑罰を行なう。また地方の役所はこそ泥を捕まえてもすぐ護送せず,鞭で打 つなど随意に懲らしめ法廷の罰と異ならない。刑罰が残酷で度を過ごしていること,今日のような 状況はかつてなかった(則刑罰之酷而且濫,未有如今日者)。
古の聖王が刑罰を制したのは,もともと徳礼を助けて政治を行うためであった。今は刑罰が残酷 で度を過ごすこと愈々甚だしく,人が悪事をなし法を犯すことがますます多い。これを見れば大事 なのは,徳であって刑ではないことは明らかである。
かつて泰西の刑罰も中国と異ならなかった。今日は新法が行なわれ以来,酷刑はすでに廃止され,
取り調べに厳しい拷問を用いないが,犯罪事件に隠し事はできない(今自行新法之後,酷刑俱已省 除,故審事不用厳刑拷打,而案亦無遁情)。泰西の法では,取り調べの時に刑官のほかに陪審員が おり,かつ国家の弁護士,民間の名士が法廷に赴き,罪人の口述を記録し証拠を収集し,是非を公 平に判断する。だから役人は賄賂を受け取ることなく,民は無実の罪を着せられることはない(其 法,凡審訊之期,刑官之外叧有陪審人員,且国家状師,民間紳耆,倶得赴案備録口供,采訪証拠,
公断是非。如此官無受賄之弊,民無枉屈之冤)。
西国の刑罰は,罰鍰・坐獄・徒刑・死刑の四刑のみである。罰鍰は罰金刑で,最も軽い犯罪への 刑罰である。中国のように流刑や死刑に当たる大罪も金持ちは罰金で済ますのは大きな誤りである。
坐獄は罪の程度によって数段階に分かれる。徒刑は遠方で道路や都市を修理する。この二者は,心 身を労して悔い改めさせ,後日の生計のための技能を与えるものである。西国では故意の殺人を死 罪とし,誤殺は軽く量刑する。死罪は民間では絞殺,軍隊では銃殺であり,ともに死を早め苦痛が 激しくはない方法である。近年,死罪廃止の条文があり坐獄,徒刑になりやすいのは,アメリカ,
ロシア,オーストリア,イタリア,オランダ,スイス等の諸国である。その後死罪を犯す者は以前 より減少しており,これは刑罰は省くべきであることの明証である。
ある人は,華人は性情が狡詐で酷刑を用いないと罪を認めず,西人が賦性が忠直で廉恥を知り,
軽刑を用いるべきであるのと同じでない,という。(或曰,華人性情狡詐,不用厳刑則不招認,不 同西人賦性忠道,且知廉恥,可以用軽刑也)。だが西人は強壮で動を好み,華人が柔軟で静を好む のに比べて治めにくい(西人強壮好動,比較華人柔弱好静更為難治)。どうして西人には軽刑を用 いるべきだが,華人には用いるべきでないということになろうか。
思うに泰西はイエスの聖教によって民を教化するので,人はみな廉恥礼儀をとうとび,ほしいま まに法を犯したりしない。また刑罰は民が罪を恐れ悪を改め善に向うことを欲するのであり,民を 守るものであって民を損なうものではない。だから西国は酷刑を廃止し,人民の犯罪が道義上刑を 用いるべきであっても必ず仁愛をもって行う(故西国除去惨酷之刑,雖下民犯罪義当用刑,而必以 仁愛行之)。中国の為政者が,仁愛を心とし努めて徳礼で民を教化し,酷刑を廃止し,下級役人を 厳しく戒め軽々しく責め道具を使うことを許さぬよう,謹んで願う。
第8章 獄囚に同情せよ(体恤獄囚)
天下には法にとっては許しがたく,情からすれば憐れむに足るものがある。それは獄囚である。
獄囚には人には告げがたい様々な苦況がある。法を犯せば投獄されるのは当然だが小民は無知で落 とし穴が多い。まず父師の教育がなければ為善の資質は少なく,次いで財産や技芸がなければ生き
て行くてだてがない。飢寒が迫れば知らぬ間に非為に陥り,一旦誤って法を犯せば如何ともしがた い。かくして世には冤罪を負う者が何と多いことか。だから「周官」[『書経』の篇名]に挙げれら た「司圜」は仕事に励まぬ民に仕事を教え,よく改めれば罪を軽減したのである。
今日の中国では獄囚の扱いは甚だ酷虐でありその弊害は数えきれない(今査中国辦理獄囚,甚為 酷虐,其弊不可勝言)。訴訟はずるずる引き延ばされ決着せず,獄囚を調べただすに及んで軽重は 真実とずれている(雖聴訟獄,或遷延而不決,及審獄囚,又軽重而失真)。罪の大小にかかわらず 過度の監禁がなされ,甚だしくは微細な過失のために長く拘留される(罪名無論大小,概行濫禁,
甚且有因些微眚薄愆亦被日久羈留)。監獄は風気は通じず陽が差さず,じめじめして虫がわき遺骸 が放置されて臭気が漂う。獄囚の身体や衣服は不潔で汚損が積み重なり疫病にかかり易く,息絶え 絶えとなる者がでることを免れない(身衣無従浣濯,以至汚悪漸積,癘疫繁生,竟不免有奄奄一息 者),しかも役人や看守は獄囚に冷酷である(況獄官禁卒,刻薄犯囚)。こうした虐待のために獄死 しない者はまれである。だが最も驚くべきは役人や看守が言いがかりをつけて獄囚の財物をまきあ げ,応じなければ虐待をほしいままにすることである。たとえ事の真相が明白となり釈放されても,
才芸のない者には生計の術はなく,同じ罪を繰り返して再び拘禁されることになる。
泰西における訴訟の審理は,役人は公に尽力して法を守り,罪人の身になって考えるよう志す(泰 西治獄,官吏皆奉公守法,体恤為懐)。訴訟があれば役人はすぐに取り調べを行ない,小民が仕事 を失い家族を養えなくならないよう配慮する(凡有獄訟,有司即行審訊,恐小民廃時失業,無以贍 養家室故也)。罪が決まれば法律によって年月を限り,能力や罪の軽重により働かせ,懶惰で一定 の仕事をこなせない者には時に催促を加え,勤勉で通常以上の仕事をした者にはその分に利息を付 けて出獄の日に返してやる。もし年少者が誤って罪悪を犯した場合は,工芸を教えるほかに,三綱 五常,敬上愛下の道及び読書・写字・絵画・算法などを教え,将来出獄した時に習得した技芸で職 を得られかつ生涯学び続けるための蓄積を与えるのである。このように為政者は応分に処罰すると ともに,改心するためのもとでを与えるのである(則在上者既治以応得之罪,又予以遷善之資)。
監獄は広く大きく清潔で,獄囚はそれぞれ一室に入り,日に三食が与えられる(至于監獄則高広闊 大,虔潔干爽,犯各一室,日食三餐)。医者が毎日巡視して病人がいれば治療し,宣教師が常に獄 囚を慰めて悔い改めるよう導く。親類や友人は男女とも常に訪問できる。土曜日には部屋の掃除,
衣服の洗濯がなされ,人がこれを見れば獄囚には見えない。日曜日は仕事を休み堂上に集まり宣教 師の説教を聞き,賛美歌を歌う。
罪人を監獄に入れるのは義として当になすべきことであるが,義は仁で救うことによりはじめて 十分なものとなる。西人がこのように獄囚をいつくしむのは,上帝の愛人の心,救主の代贖の徳を 体し,己を推して人に及ぼし,義が仁によってますます彰かであるからである。もし中国がこれに 倣えば,監獄は清潔になり訴訟は減少し,世を挙げてめでたく睦まじく,民は知らぬうちに日々善 に向かうであろう。中国の為政者がこのことを図るよう願う。
第9章 戦争を調停せよ(解息戦争)
国家が戦争をすれば,武勇が足りなければ全軍が潰滅することは免れない。幸いに勝利できても 庶民を無傷に保つことは難しい。戦争は誠に君子が慎しむことであり,仁人が憎むことである。だ
から中国の古の先王は文教を興し戦争を止め,武力を尚ばず文徳を大いに広めたので,上下は自ず と心を合わせ遠近は互いにいざこざがなかった。如何せん後世においてはそれを察せず,智勇を互 いに誇り修徳につとめず,競ってあくまで争おうとするようになった(無如後世不察,動以智勇相 矜,不務修徳,競欲力争)。貪欲な心が日々戦争を引き起こし,互いに殺し合うのである(由貪得 之心,以致日尋干戈,互相残賊耳)。戦争を終息させようとすれば,度量を大きくして恨み合うの をやめてこそ可能となるであろう。
中国には英国が香港を占領しポルトガルが澳門を占領したことを,他国の領土を貪るものだとい う者がいる。だが中国ももともと外国に属した台湾,西蔵,新疆等を,清朝以降版図に入れたので あり,辺境を開拓することはどこの国にもあることである。
またさらいいえば,中国では為政者が調停しないので盗賊の内紛や豪族の闘争が外国より多く,
また民財を強奪し人民を困窮させるので反乱が起きるのである。
泰西諸国は,戦争をすべて避けることはできないとはいえ,法律を厳粛公正にさだめており,た とえ一旦にわかに戦争が起きても,必ずまず理をもって諭し,双方が屈伏してともに平和を享受す るよう期す(泰西諸国,戦争之事雖不能尽免,然其法律厳明,不尚詭譎。即一旦猝爾興師,必先喩 之以理,務期各甘屈服,共享太平)。開戦する場合は,宣戦布告書で期日を定めねばならず,一般 人や第三国に累を及ぼしてはならない。将兵を捕えても仁愛をもって扱わねばならない。兵士は敵 地に入っても財物を略奪し人民を殺戮するなど蛮行を働いてはならず,これに違反すれば軍法で処 理される。両軍が対峙していても,白旗を挙げるか赤十字を書いた白布を腕に巻いた者を見れば,
直ちに保護しなければならない。戦争とはいえこのように情け深い(夫以戦争之事,其恩明誼美猶 如此)。しかし,戦争をするだけの名目があっても,(戦争をすれば)民命を損なうことは免れない。
だから仁人は戦争を終息させようと思うのである(雖師出有名,究不免傷残民命。此仁人所以有解 息戦争之思)。数年前,英国のある大臣が国会で調停による戦争の終息について,次のような提案 した。すなわち他国による不道な侵略を受けた国は,討伐の出兵をするよりも諸大国に調停を求め 和解を望むべきであり,和解できない時に出兵しても遅くはないというのである。この提案は大臣,
名士らの賛同を博し,各国で戦争の惨禍を終結させるものと称賛された。もしこの心を推し広げイ エスの意を体すれば,どうして戦争を終息させることは難しいであろうか。
イエスは上帝の子であり,その命を奉じて生まれ人の霊魂を救うのである。だからイエスを信じ る君主は天上の永福を貴び人世の繁栄を貴ばず,従って土地を貪らず,貨財を重んじず,権勢を争 わず,怨みを抱かない。世の中の戦争を好む者は,上帝の好生の徳を体し貪心をほろぼし尽く仁愛 に帰して,みだりに武力を用いて互いに攻めることをやめるべきである。そうすれば戦争の終息は 期待できる。
第10章 雇主・家主を論ず(論家主財東法則)
大功を成すには必ず人の助けを借りなくてはならない。だから中国の古の帝舜は天下の功を立て るのに補佐役に頼ったのである。当時は工人を使う者は仁愛を行なうことを貴び,同情(体恤)の 念を持たねばならなかった。
工人はみな筋力・心思・技芸などをもって各々その能力を発揮し,その家族の生活を雇主に頼る
が,もし雇主が仁愛を重んじ工人を待するのに義をもってするのでなければ,上下が心を同じくし 力を合わせて事業を成功させることはできない。
また家主は妻子・使用人を率いるのに,義をもってせずに懶惰をほしいままにさせて家業をつぶ してはならない。懶惰は万悪のもとである。家主はよろしく家中の人々にふさわしい仕事を与え,
それに従事させねばならない。そうすれば懶惰から悪が生じることはない。家主は仕事がないとき も,家人に花や野菜を植えさせたり,歌や曲を作らせたりして心を和ませ,若者には将来に備えて 読書や作画をさせ,技芸を学ばせるべきである。男女とも工芸を習得すれば,都会でも田舎でもそ れを生かせる仕事があり,その仕事に励めばみな己にとっても人にとっても有益であるから,家主 は家人に微細なものでも工芸を習わせるのがよい。
また雇主は工人が過度の勤労によって身体を損なわないように,休息を取らせたり読書をさせた りして気分を和らげさせねばならない。もし病気があれば医者に治療させ出費を惜しんではならず,
財政が苦しくても年少者の得た賃金を自分で使ってはならない。また雇主は工人が貯蓄して将来に 役立てるよう勧めるべきである。まして工人の多くは愚かで頑固であるから,失礼な行いがあって も度量を大きく持って努めて寛大に応じ争うべきではない。もし工人が淫らな言葉を唱え淫らな書 物を読めば,己の心掛けを損なうだけでなく人の心掛けをも損なうことになるから,雇主はすぐに 禁止すべきである。また暇で仕事がなければ,善書を読むよう勧め心根を清らかにさせるのは甚だ 有益である。工人の日用の衣類や器具は整理して混乱しないようにさせ,また身体や住居は努めて 清潔にして健康を増進させなくてはならない。以上はみな雇主が仁心をもって工人に配慮すべきこ とである。常に工人を教え導き覚醒させれば,仕事に努めるだけでなく行ないや気立ても磨かれる のである。
古の中国では,人々は純朴で貧者と富者は混じり合い,雇主は工人を分け隔てなく扱い卑しめる ことはなかった。しかし今日の富者は苛酷かつ薄情で工人への扱いは犬馬と同様であり(今日之富 者,居心刻薄,待工人如犬馬如草芥),工人と雇主の間に紛争が起こり,大いに雇主の利益を損なっ ており,西国でもこうしたことは起こっている(嘗有禍衅起于蕭墻,大非富東之益者,即西国亦有 之)。
こうした雇主の損害を防ぐ方策は二つある。工人に教え諭すこと及びその身になって同情するこ とにほかならない(不外教訓体恤之而已)。だから今日西国では,雇主が宣教師を招き工人に心を 平静にし己の本分を守ることを教えさせる(故今泰西請教士与工人聚集,教其収心養性,守己安分 之道)。またおよそ工人が疾病を予防するには,雇主がまず工人を入会させ,病にかかれば会にお いて医者にこれを治療させる(再者,凡工人予防其疾病,東家先使之入会,遇有病則会中請医治之)。
もし工人に急な出費の必要があれば金を出してやり,後日賃金から差し引く。工人が同僚より仕事 に勤勉であれば賃金を増やし昇任させてやる気を引き出し,住宅を建てて妻子ある工人に提供し,
必要な日用品は工人に代わって先に購入してやり,賃金は早めに支給する。このように雇主が恩義 をもってするので工人は恩義に報いようとするのである。
またキリスト教を信仰する雇主は,工人を休息させ元気を回復させるだけでなく,礼拝堂に集め て道理を説き善事を行なわせる。朝夕工人のために祈り,その労苦を慰め励ます。工人に善会があ れば雇主はこれを助成する。夜間に暇があれば工人に絵を学ばせ,技芸を習わせ,道理の書や新聞