【 研究ノート 】
花之安著『自西徂東』ノート(2)
──清末西洋人宣教師の中国国民性批判──
手代木 有 児
目 次
1. 『自西徂東』について 2. 『自西徂東』ノート (1) 「自序」(全訳)
(2) 巻1「仁集」(第1章〜第13章)要約 第1章 あまねく貧民を救え(周済窮民)
第2章 よく疾病を治せ(善治疾病)
第3章 老人を扶養せよ(贍養老人)
第4章 孤児を撫教せよ(撫教孤子)
第5章 精神病患者を優遇せよ(優待癲狂)
第6章 旅人を忘れるなかれ(無忘賓旅)
第7章 刑罰を省け(省刑罰)
第8章 獄囚に同情せよ(体恤獄囚)
第9章 戦争を調停せよ(解息戦争)
第10章 雇主・家主を論ず(論家主財東法則)
第11章 遠人を懐柔せよ(懐柔遠人)
第12章 仇敵を愛憐せよ(愛憐仇敵)
第13章 仁を禽獣に及ぼせ(仁及禽獣)
以上,第88巻第3号 (3) 巻2「義集」(第14章〜第29章)要約
第14章 国財を慎理せよ(慎理国財)
第15章 善人を守れ(保護善良)
第16章 地方の鎮定を論ず(論綏靖地方)
第17章 道路整備を論ず(論修治道途)
第18章 関税整理を論ず(論整飭関税)
第19章 利息を軽くせよ(論利貴相通)
第20章 奢侈を戒めよ(懲戒奢侈)
第21章 賭博を禁じよ(勧禁賭博)
第22章 アヘンの悪習を一掃せよ(清除鴉片流弊総論)
第23章 奴婢の売買を厳禁せよ(厳禁買売奴婢)
第24章 民盛んならば国強し(論民盛則国強)
第25章 溺女を禁じよ(禁溺女児)
第26章 広く恕道を行なえ (広行恕道)
第27章 道義と権力を識別せよ(明正道権)
第28章 臣道について(臣道総論)
第29章 万国公法について(万国公法総論)
以上,本号
2. 『自西徂東』ノート(続)
(3) 巻2「義集」(第14章〜第29章)要約
第14章 国財を慎理せよ(慎理国財)
古の中国では(『尚書』の)禹貢篇に慎財の典,(『尚書』の)周官篇に理財の書があるように,
国家の財政管理が重視され,国家に必要な財物が不足することはなかった。今日では太平天国の反 乱以来,民間は困窮,国庫は枯渇し,財政管理の再建が国家の急務となっている。
財を生む方法は,自然の利によるもの,人力・機械の利によるもの,人事権衡の利によるものが ある。自然の利によるものには,鉱物,綿花・茶,農作物,牧畜物,水産物など。人力・機械の利 によるものには,汽船・汽車・電線による時間短縮,機械化による増産,荒地の開拓による税収増,
食糧増。人事権衡の利によるものには,財産運用による利殖がある。
民から財を徴収するには義に依るべきだ。想うに中国では太平天国鎮圧の開始以来,捐納が行な われ厘局が置かれ,捐官がはびこり人材は減少し,愚劣な官吏が国庫を欠損し,公金を侵して私腹 を肥やしている(蓋自中国軍興以来,開捐納之門,設抽厘之廠,致使捐納愈多人才愈少,所以愚劣 之徒,毎至虧空国庫,侵蝕公項,以充嚢橐)。国家のために財が必要なら,民間の金持ちに借金し,
利息を払って期限に返却すれば,金持ちは進んで金を貸し,為政者が公のために尽力し法を守り搾 取しなければ,民は進んで寄付に応じるだろう。財の使い方についえいえば,今日朝廷の諸経費や 各省の科挙試験会場,老人院,育嬰堂等の費用は膨大だが民には実恵がない。また民間の衣服は華 美を競い,婚姻葬祭は貴賤となく外観を立派にして浪費する。風俗が奢侈であることはこの通りで あり,為政者はまさにどうやって質朴にもどせようか(風俗之奢靡如此,在上者将何以返朴還醇耶)。
朝廷から民間まで費用を節約すべきである。
西洋では財政管理にすぐれ財を生む方法は多岐にわたる(泰西理財有道,其生財之法亦甚宏多)。
気候は寒冷だが自然環境に応じて農耕・畜産が盛んで,また道具・器物の生産は機械化され,鉱山 開発も活発である。国財の徴収についていえば,毎年国家の歳出歳入と残余金を周知して公平を期 す。財が足りず再徴収する時は,上下議会に提案し再度議論して決定し国民の合意形成に努める。
軍備,公共事業には民間や外国から必要額を借りる。民から寄付を募れば民もまた進んで財物を寄 付しないことはない。思うに為政者の政治が平素から民の信頼を得ているからである(勧捐于民,
而民亦無不楽于捐輸。蓋上之所為,平日民皆信服故也)。およそ官吏はあえて国家の公金を使い込 もうとはしない(凡為官者,国家公項不敢虧空侵蝕)。利国利民の事業には国財を惜しまず,民も 進んで協力する。国財の支出についていえば,泰西は国は頗る富強を遂げているが奢侈を認めず,
君臣の費用には定額があり公金は君主も軽々しく使用できない(至用財之道,泰西国頗富強,不事 奢侈,君臣用度,大小既有定額,庫項所存,人君亦不能軽用)。国家の各種事業のための支出には 国財を用い,支出は莫大だが財政管理が適切だから,欠乏することはない。(中国のように)守銭 奴は財を抱え込み,豪侠は財を浪費し,欲張りは不正によって財を求めるならば,どうして国財を 管理する一部の為政者の努力だけで国家の貧窮を救えようか。
イエスの道理は,自分の余財をもって貧苦の人を救済させるので,人々はその財を善用して世の ために役立てる。だから為政者は一国の財を万民に均霑し財政管理を正しく行えるのだ。
第15章 善人を守れ(保護善良)
古の中国では,刑の運用は公平誠実で故なく咎めることはせず,無実の罪を避け善良な者を守っ た。後世は苛酷な法が多く,罪の真偽を問わず,しばしば無実の罪で刑を受けるようになった。無 知の貧民が誤って法に触れても一族・友人まで波及させる。悪事を犯した土豪はすでに発覚しても 父兄の権勢,親戚の名声を借りて,庇われて事なきを得る(作悪土豪既経敗露,而借父兄之権勢,
親戚之声名,亦可袒庇無事)。貧民は僅かな罪でも重罰を受け(若貧窮子弟稍有微罪,必遭厳刑重罰),
無実を訴えても受け入れられず(冤情赴訴,曲直未見分明),獄吏は善良な者を食い物にして際限 がない(魚肉善良,靡有底止)。例えば,海洋を巡邏する官吏は手柄を立てようと良民を盗人にし たて,強引に無実の罪を自供させ役人に引き渡し,審問に当たる役人も情実にほだされ細かく審査 をせず,無罪となることはない。貪欲な地方の有力者が勝手に村里でもめ事を取りさばき,あるい は凶暴な地方の義勇兵が市街をほしいままにしても,地方役人はそれと気脈を通じ悪事をはたらき,
目下の者に罪を転嫁する。犯人にされた者は法廷に出ても役人に脅され何も言えず,冤罪を負わさ れても訴えられない。
泰西ではこの理を深く理解するので,善人に役人はみだりに権威を振るわず保護する(泰西深明 此理,是以善良之士,有司非惟不妄加威福,而更以保護為功)。また罪人も本人が受刑するのみで,
親族の連座はない。役人は細心に審問し拷問を乱用しない。かつて西洋でも冤罪や連座の弊害があっ たが,キリスト教を得てより上帝の公義に従い人の善悪を見て賞罰を定め,証拠があって初めて告 発し,犯罪者だけに刑罰を与えるようになった。泰西では官長は必ず法に依拠しなければならず,
違法に私利を求めることはできない。だから善人は中国のように虐待されることはない。法は善良 の心と一体になることで,上下とも齟齬なく公正無私に行われる。イエスの至理によって人心が善 良となれば,法は完全なものとなる。中国に善良の心を広めるにはイエスの道で民を教化すべきで ある。
第16章 地方の鎮定を論ず(論綏靖地方)
古の中国の盛世には,地方に幸福がもたらされた。後世,民は陰険になり風習は軽薄となり,地 方は不安定化した。地方の不安は干ばつ・水害,火災,盗賊より甚だしいものはない(地方之患,
莫甚于水火盗賊)。地方を安定させるにはまず河川を整え内外に周通させ,畜水を十分に行い,干 ばつ・水害に備えねばならない。郷林近山には墳墓などで汚染された不潔な水が多く疫病が起こる ので,民を静僻の地に移住させ清潔な水を確保して疫病を防ぐべきである。火災の延焼を防ぐには,
多く水龍を備え,店には燃えやすい燃料などは多くは置かず,市街の軒が密過ぎれば冬には撤去す るなどすべきである。盗賊が略奪をはたらきまた貧民の喧嘩に加勢するのを防ぐには,盗賊の潜伏 する市街や郷村に保甲を組織して取り締まるべきである。省城の娼寮,賭館はもとより盗賊をかく まい,また客寓や科挙の受験生の宿泊所もその隠れ家となりやすい(如省城娼寮賭館,固属納垢蔵 汚,其余客寓,試館亦易蔵匪)。そもそも賭博は盗賊の源であり,男は賭博に負けると多くは盗賊 になるしかなく,女は賭博に負けると多くは死ぬか貞操を失うに甘んじ娼妓となるしかない(夫賭 者盗之源也,男賭而輸,無計可思,多至為盗,女賭而輸,無計可思,多至喪命,或甘失身,流為娼 妓)。為政者が懸賞をかけて盗賊を逮捕すれば万民のためになる。また地方の民生においては飢餓 への備えが要務である。ことに山多水少の地の救援は,電線を用い信息を伝え,汽車を用いて米粮 を運ぶことが不可欠である。民を害する深山大澤の毒物・猛獣,あるいは邪説を唱えて民衆を惑わ す者,精神を患い他人の凶事喜事にたかる輩への対策も求められる。
泰西の政治は,地方を害する者がいれば力を尽くしてこれを除き(泰西為政,小有害于地方者,
無不尽心竭力以除之),庶民を衛り暴徒を戒め,国法は地方にまで行きわたっている(衛百姓警凶頑,
国法必伸,不以遠僻或遺)。民は多くは正業に就き略奪は少なく,また水路は輪船,陸路には汽車 が往来し,軍兵は集まり易く,盗賊の蛮行を防ぎ,小盗も役人は厳しく取り締る(民多務正業,劫 掠亦鮮,兼之水路則有輪船巡緝,陸路則有火車往来,軍兵易集,早有以戢盗賊之鴟張,雖鼠窃狗偸,
有司亦無不厳拿懲辦)。よく水害・火災を予防し,住居は清潔を重んじ疫病は少ない。これは為政 者が善政に努め害を除き利を興しているためだが,ただ法で民に非行を禁じるだけでは盗賊はなく ならない。ただ聖道をもって民を教え善を行わせることが,地方を安定させる善法である。中国の 為政者が己を正し人を正し人心を善に向かわせ,民が為政者を喜んで上に戴くようにさせることを 願う。
第17章 道路を整備することを論ず(論修治道途)
古の中国では,天下の道路は整備され大通りは平坦で車馬は自由に通行できた。高山は切開かれ 長河は架橋され交通の便宜が図られた。今中国の運送は,内河に由り人力を用いるため甚だ不便で ある(今中国漕運皆由内河,倶用人力,甚為不便)。また緊急時にすぐに進軍できない。運送を改 善し国を富ませ民に利するには,汽車・汽船の整備が不可欠。今日都市の街道は多くはかろうじて 五尺あるほどで,狭いものは五尺に足りずかつ不潔で,疫病が生じやすい(今城市街道多有僅容五 尺者,其逼小者不够五尺,且穢汚満地,易生疫病)。省城の水路はいつも多くは泥で塞がり,大雨 が降るたびに街道のくぼんだ所はすぐに雨水が道のうえまで溢れ往来を妨げる(街渠毎多淤塞,一 遇大雨,其街道之低陥者即泛溢于道上,阻碍往来)。河川は浅かったり狭かったりすると舟行を阻
害するので,浅ければ両側の堤防を高くし,狭ければ両側を広げ,舟行に便宜を図るべきだ。山地 は資源は多いが運搬が困難であるので,道路を開き山地と都市を結んで物流を盛んにすべきである。
また山地は居民が少ないので,都市の民を移住させ機器を生産すれば,民家の邪魔にならず物流も 盛んになり山地の民の利益にもなる。
泰西では水陸の交通が発達している。凡そ道路を通す必要があれば,山は開削し河は架橋してこ れを通じさせる(凡道路必須相通者,山則開鑿,水則架橋,務使之相通而後快)。陸には鉄道,外 洋には汽船,小河には浮橋を架し,交通・物流が発達し,水害や干ばつへの救援も容易である。泰 西から中国に至るには,かつてはスエズから紅海まで陸路を使ったが,今は運河ができ貨物の運搬 による利益は倍増した。さらに緊急の情報は電信により瞬時に伝達される。都市の街道は広く清潔 で車馬が自由に行き交う。イエスの教えが伝わる国は皆そうである。イエスの道が伝われば人心に 障害なく,中国のように風水説に惑わず,開くべき道路は開かれ,電信・汽車も官民の協力により 設置されている。中国も電信と汽車の設置,都市の街道の整備に尽力すべきである。
第18章 関税を整理するを論ず(論整飭関税)
富は民が蔵する方が,為政者が蔵するより利益は広がる。民から財をとっても義をはかりとして,
民生を苦しめないようにすべきである。だから古の中国の為政者が関所を設けたのは,あやしい言 葉や身なりを察し旅人を保護し庶民を安んずるためで,税を取るためではなかった。後世になって,
人心はずる賢くなり利益を独占しようと思うようになり,関所で税を取るようになった。今日関税 はなくせないが,為政者は関税を整理して国財が欠乏せず民財が満ちるようにすべきだ。関税はルー ルに基づき運用し,漁利を得て商人に恐れられないようにすべきでる。ここにおいて考えるに,立 法のはじめは,課税すべきものにはその精粗を問わず一律に課税し,また課税は輸入を重くし輸出 を軽くし,外国に利益が流れず外国から財が得られるようにした。しかし外国からの穀物や必需品 は,税を重くすると民を苦しめることになる。だから税務は公平を尊び,偏重すべきでない。どこ の国に販運するかを問わず,従うべき定例があれば品物の行き来は絶えず,貿易は益々盛んになり 利益は益々増える。自国のみを利するため商人の活動を妨げてはならず,輸入は重くし輸出は軽く してもうまくいかない。今日中国の関税は,各税関がそれぞれの利益のみ求め万民の苦労を考えな い(各処税廠只顧一己之私嚢,不計万民之受累也)。太平天国の乱以来,厘金の徴収が日増しに増え,
税関が櫛の歯のように立ち並び,交易する商人は貨物を運ぶのに日に何度も税を取られ(慨自軍興 以来,厘務日増,卡廠密如櫛比,以致貿易商民,往来貨物,毎行程一日而数報其税),さらに貪欲 な役人たちは貨物検査の名目で中間に立って強奪する(更有一等貪酷委員,借験貨以為名,従中勒 索)。民の便宜を図るための関税が,その本旨を逸脱し民を損なっており,その被害は計り知れない。
為政者が,関税を大いに整頓し厘金の徴収を廃止すれば,民はそれぞれ本業に専念でき国に利し民 に便ずるだろう。
泰西は税務に精通している。税務に携わる役人は皇室が選任し,役人には一定の俸給があり,不 正があれば免職となるか罰金が科される。およそ税は品物の価値により定められ少しも増減できな いので(凡税項視貨物之貴賤,立為定例,不能稍有加増),税関は多く設ける必要はなく,重税を 取り立てないようにする(関廠不用多設,而務不至横徴)。西国は相互に税務について公平に取り
決め,また時に応じで適宜処理する。人に有益な日用の必需品は税を軽くしなければならず(惟物 之有益于人,而為日用所必需者,当従其軽),納税後は再課税しない。だから民間の収入は不足す ることはない。贅沢品の税は重くして,財を浪費する品物を減らし,財を生み出す品物を増やして,
国家と民が利益を得ることを期している。西国の中でも関税についての規定が最善なのは,イギリ ス,アメリカ,ドイツの三国であり,三国は皆キリスト教の国である。イエスが立教した当時,関 税の弊害は甚だしかったが,イエスの徒となった税吏は行いを改め,以後イエスに従う国では関税 の弊はなくなった。中国は西人の善法に学び,関税を整理すべきである。
第19章 利息を軽くせよ(論利貴相通)
天下の物産はみな利を含んでいるが,義に適っていてこそ,すなわち自己を利しかつ人を利して こそ,利の追求は可能となる。もし自己を利するのみで人を損なえば,利を得ることはできない。
例えば,船舶を借りなければ移動できないから,船舶は人を利するものであるが,船舶を建造し運 行するには元手が必要だから,その手間賃を削ってはならない。同様に家屋・田地を借り,貨物を 買い,金銭を借りる者は,自分の利だけ求めて人の利を減じてはならず,ともに利するのでなけれ ばならない。天下の大利は衆人が利してこそその利は広がるのであり,一人だけ利を得ても利は広 大にならない。金銭を人に貸与し経営させれば,利息が得られ人も利を得るから,利はますます広 がる。人に金銭を貸す場合,信頼できる人なら大金を貸しても帰ってくる。信頼関係が重要である。
だが中国人は,多くは高利をしぼり取ることを好み,自分が肥え太ることのみ知り,人を害するこ とを顧みない(中国之人多好取重利,徒知肥己,不顧害人)。だから貧民がしばしば失業して生計 が立たなくなるのはもっともだ。泰西では,金銭貸借の利息は,百元当たり年4,5元せいぜい6 元をこえず甚だ軽いので,貧者は借りやすく金持ちは利息を回収しやすい。期限を過ぎて返済しな いと,貸借を監督する役所に訴えて負債者に弁償させる。ただ3年を超えても貸主が請求せず借金 が多くて返済できなければ,負債者の心を陥れることになるので,役人に訴えても対応しない。貧 民でも普段信頼を得ていれば,金持ちは利息が重くなくとも貸与するが,信頼がなければ貸さない。
西国では,民が道理を有すれば貧しくとも権勢を恐れない。借金しても店が損をして返せない場合,
不幸にして損をしたなら役所は店中の余物をもって支払える分だけを返済させる。店の損が不正に よる場合は罰せられる。店の利息は百元につき8元。西国の財は中国より多くないが,ただ西国の 金持ちは進んで人に財を貸し付け,中国人が財を貯め込んでいても,ただ私腹を肥やすのみで,他 人が切迫しても同情しないのとは異なる(西国之財,非多于中国也,第西国有財者肯施放与人,不 同中国之人雖有財蓄積,但私一己,徒視人之急而莫之顧恤)。西国の工人の賃金は中国より多いので,
西国で雇用される中国人は益々多い。また西国の金持ちは,相手を信用すれば借金の利息を軽くし,
あるいは取らない。西国の金持ちは,友人を信用すれば借金に進んで応じ,急場を助けてやり,ま た人の善心を興すことを喜んで行い,よく財を用い,財を以て自分の善性を養い,いたずらに利を 貪り自分の私欲をほしいままにしない。思うに財は上帝が我々に与えたものであることを知ってい るから,よく借金に応じて人に利を得させ,それによって上帝の恩に報いるのだ。中国の金持ちは よく財を用いるべきであり,自分に利するのみならずまた人に利すれば,義に合致しないことはな い。そうすれば風俗はいよいよ厚く,政治はいよいよ盛んになるだろう。
第20章 奢侈を戒めよ(懲戒奢侈)
人生の失徳は一つに止まらないが,国を喪い家を亡ぼす原因に,奢侈に過ぎるものはなく,夏の 桀王,殷の紂王以来,その明証には事欠かない。天下の君臣は奢侈を戒めるべきである。いかんせ ん奢侈を好む者は多く質実を崇ぶ者は少ない(無如世俗好奢侈者多,崇実者鮮)。官吏や地方の名 士は競って繁華を好み,田舎の貧民までも朴素に甘んじず,衣服の美麗を争い珍奇な食物を求める
(無論官紳,競好繁華,即閭里小民亦往往不甘朴素,衣必以綺縠争妍,食必以珍肴錯雑)。どうして 古人は功徳がある者,高貴な者でなければ衣食を華美にできなかったことを知ろうか。さらに不可 解なのは,中国人が常に有用の財を無用の地に浪費することである(更不可解者,中国之人毎以有 用之財,置諸無用之地,浪為費耗)。長年の習慣は風俗となり民間の貧困をもたらしている。鬼神 を崇信し偶像を拝し,神々を祀り道士の祈祷を行い,さらには酬神の芝居を行うのに大金をかけて 幸福を求めるが,幸福になる前に財が尽きてしまう。妓館・酒楼は奢侈を競い,賭場や人を騙す計 略は無くなってもまたあらわれ,それらにより散財するのを好む者は数知れない。中国人が金持ち でも貧乏になりやすいのはこのためである。僧尼・道士は神仏に托して人心を惑わし,廟祝・覡巫 は神棍を振り回して衆志をたぶらかし,さらには星士,堪輿,卜筮,択日など役立たない占いの輩 に,貧民だけでなく金持ちや読書人までが莫大な財をつぎ込んでいる。国が奢侈ならば為政者は倹 約を指示して,奢侈の風を去り純朴の世に返すべきであり,中国が日々貧弱になっている今日にお いては,なおさらである。西国の富強は中土にまさり,中国はその土地の肥美さ,物産の豊饒さ,
機器の精巧さに及ばないと言う者がいるが,そうではない。中国は富強となる条件を持ちながら,
ただ西国が財を生むのにすぐれ,財の用い方がしっかりしているのに及ばないだけなのだ(第不如 西国生財有道而用財有方耳)。
思うに泰西のイエスを信仰する国は,だた上帝にのみ頼り,上帝に求める者はただ真誠をもって し,偶像を除き,供物を捨て去り,礼儀の形式を尊ばず,際限のない浪費を省くことができる(蓋 泰西信従耶蘇之国,独倚頼一上帝,求之者以真以誠,除去虚假鬼神仙佛之偶像,屏去祭物,不尚儀 文,已可省却無窮之浪用)。聖書を刊行し福音堂を建て,義学を設け医院を開くなどに資財を費や すが,上帝の心を体するので用財を惜しまないが節度がある。用財はその用途の如何を重視し,欲 を満たすのに用いれば奢侈だが,地方の利を興し地方の害を除くなら奢侈ではない。およそ用財は 熟慮の上で行われる。西人は貿易や商売をするのに巧みに考えよく運び,機器を創造するのに優れ た腕前と決まった方法があり,苦労を辞せず日夜努力する。大金持ちになっても,衣食は質素で過 度の奢侈をすることはない。人生において重んずべきは才徳であり,外観を耀かすことではない。
西国の制度では,皇帝からすべての官吏まで毎年の給与は決められたており奢侈はできず,中国で は給与の制限がなく浪費が多いのとは違う。中国の為政者が,人々を導き外飾を去り本来の姿に返 すことができれば,用財は浪費に至らず庶民が生財の道を広げることができる。どうして西洋の富 強に負けようか。
第21章 賭博を禁じよ(勧禁賭博)
今日賭博の禍は激しく,為政者は賭博の禁止を実行しないわけにはいかない。そもそも賭博の原 因は人性の貪欲,人心の怠惰により,正業の苦難を避け楽に財を得ようとして行うものである(夫
推賭博之原,実由人性貪婪,人心懶惰,故畏正業之艱難,欲由捷径以獲資財)。愚昧の人は静坐深 思して究極を見極めようとしないので,目覚めることができない。中国の唐虞三代においては,上 位の者は潔白かつ正直で自制し,下位の者も廉恥をもってよく働き,士農工商それぞれ本業を有し,
暇を見つけて賭博をする者はなかった。いかんせん世風は次第に悪くなり,賭博が盛んなこと天下 第一であるのは中国である。実力で禁じなければ,その禍はどこまで広がるか分からない(無如世 風日下,賭風之盛,甲于天下,則以中国為最。倘非実力禁止,其禍将不知伊于胡底)。大清律例に は賭博への罰もあるが,役人は賭博を見て見ぬふりをする。賭博の風潮を断つには,賭博の源を清 めなければならない。長官が清廉公正な態度で部下を率いれば,文武各官も品行方正で少しも賂を 受けず,賭匪は人を取り込めず賭博はなくなる。怠惰な遊民には一芸を身につけさせるか,厳しく 罰して羞恥心を植えつけよ。四民の余暇に遊歴する者には園囿や書院を設け,書画,玩器,鳥獣を 集めて観賞させれば賭場に赴くことはない。賭博は中国だけでなく西国にも呂宋票,競馬,球技な ど賭博があるという者がいるが,呂宋票は金銭の出入りが多く,西国人もすでに非難している。競 馬,球技は元来身体をリラックスさせるためのもので賭博ではない。貪財の心があって初めて賭博 というのであり,戯に似ていても人の身に益があり財を貪るのでなければ,賭博とはいえない。だ から「魯の人が猟較[かりくらべ]をすれば,孔子もまた猟較をした」(『孟子』万章下篇)という のである。中国の弓術・馬術や投壺,西国の競馬,球技の類もこれと同じであろう。
もし真心からイエスに従う者であれば,心清らかで欲情なく,貪鄙のことはみな捨てて行わない。
どうしてみずから賭場に足を踏み入れ卑汚の輩となるひまがあろうか(若夫真心従耶蘇之教者,清 心寡欲,挙凡貪鄙之事,皆棄而不為,奚暇自踏于賭博之場,以流為卑汚之輩)。余暇を楽しむにも 心性に有益な娯楽を選び,或いは己業と符合することをする。キリスト教徒は賭博をすることはで きず,賭博を止めるよう説得されても聞かなければ破門され,よく悔い改め賭博を止めればまた入 教を許される。教内では常に正理をもって,賭けごとをせず,家族を養うのに精を出し,常に善を 行って上帝に順わせるのである。余暇に遊びに出れば,西国には大花園があり,そこでは鳥獣,器 物を観賞し豊富な書籍を閲覧することができ人々を楽しませ,中国人が暇さえあれば賭博を楽しみ とするのとは異なる。古の中国の文王は園林に獣を飼って民の観賞に供した。西国は文王の意を手 本とするので,賭博を禁ずることは容易である。中国の国法はつとに賭博を禁じているが,為政者 が至善の政教を行わねば,実効は得られない。
第22章 アヘンの悪習を一掃せよ(清除鴉片流弊総論)
古の先王の制度以来,上は公侯,将軍宰相,下は士農工商まで職業を持たぬ者はなく,遊惰の風 潮が生じることはなかった。しかしアヘンの害はいよいよ深くなるにおよび,資財は散逸し事業は 廃れ,倫理は失われ風俗は乱れ,その害は計り知れない(迨鴉片流毒日深,資財耗散,事業廃弛,
敗倫滅紀,壊俗傷風,其為害指不勝屈)。アヘンは初めインドに産し,英人が痛み止めなどの薬と して販売し,乾隆年間に中国でも薬用として流入するようになったが,その後煮詰めて吸引するの を嗜好するようになった。中国全体についていえば,米穀以外ではアヘンの出費が最も大きく,そ の財を浪費すること計り知れない(以中国之大而論,除穀米之外,用度無有多于此者,其破耗貲財,
不知伊于胡底)。アヘン吸引は,文書に疲れた時に元気をつけたり,身体の衰弱を補填したり,科
挙の失敗のうさを晴らしたり,仕事の辛さを紛らわすのに用いられるが,その弊害は甚大である。
アヘンが流入する以前,安定した暮らしのできる者は,学問に専心し国家のために有用の才を蓄え られたが,今はアヘンに惑わされ覇気を失い,非凡な志を持つ者でも中毒患者となっている。アヘ ンは民を損なうのみでなく国家をも病んでいる。役所では吸引者が増えるほど私利を貪る不正が横 行し,早くアヘンを禁じなければ法を守り公事に励む者はいなくなってしまう。また国家が養った 軍隊は無用のものとなり,君臣,父子,兄弟,夫婦,朋友間の人として守るべき道も失われる。
今日のアヘンの害毒はにわかに除去できぬもので,徐々に積習を除くしかない。アヘンの害毒を 除去するには,英国が持ち込むのを禁ずるより,中国人がアヘンを吸飲しないようにすることだ。
それには外来と国産のアヘンおよび吸飲の道具に重税をかけ,その上で法で禁じて上から下へ徹底 していけばよい。
京内各官,外省群吏はアヘン吸飲禁止の発令から1年以内に徹底的に断たせ,なおやめられない 者は免職にする。庶民の吸飲者は一族から排除し,雇用人は解雇し,商売をする者はこれと取引を しない。また保甲にアヘン民籍を設け他と区別し,毎年検査して吸飲を止めなければアヘン民籍を 継続し更生を促す。
キリスト教会はアヘン吸飲者の入会を許さず排除する。救世主に頼り,外誘の私を去り物欲にま よわず,快楽を貪り上帝から離れないように求めるからである。まして万物は上帝から賜わった人 を養うための道具であり,物を玩び志を失ってならない。アヘンに陥溺する者は人が万物の霊であ ることが分からないから物に縛られる。役人が禁ずることができるのは外見だけで,内心は禁じら れない。上帝を離れれば欲は除きにくい。救世主により上帝に通じ,物に縛られず上帝に賜ったも のを上帝に帰栄すれば,役人が禁じなくても民自ら禁ずる。中国人がキリスト教会の良規に遵い無 益をなさず有益を害さぬことを望む。
第23章 奴婢の売買を厳禁せよ(厳禁買売奴婢)
古の中国には奴婢はいなかった。草昧未開の世には民は純朴で人情厚く,父兄には子弟が,舅姑 には子婦が仕え,公事を務めるのは属吏であり,奴婢など必要なかった。その後人心は軽薄,世道 は薄情になり,人倫が滅び聖人の教えが絶え,奴婢が使われるようになった。今日にいたり中国の 金持ちはいたずらに華やかさを誇り,およそ人を使う者はもっぱら健奴を用い,接待する者は美婢 を選び,権勢ある家がらか名家かを問わず多額の費用を惜しまず手をつくして奴婢を購入し(迄今 中国豪強徒誇富麗,挙凡指使者専用健奴,服待者遴選美婢,無論巨室巨家,不惜重資以多方購買),
貧民は利欲に志を失い子女を売り渡し(貧民利令志昏,因而販鬻子女),盗賊はいいがかりをつけ て不正を行ない,ついに利を手放せば奇貨とみなし,幼児を誘拐しては売りさばき,平民を略奪し ては売りとばす(匪徒藉端作弊,遂放利而視為奇貨之可居,或拐誘小児而出売,或虜掠平民而遠沽)。
身を売られた者が怒りを抑えて誠実に服役する様子は同情にたえない。奴婢は用いるべきでなく,
その売買を禁ずべきであることは明らかである。
だから泰西ではおよそイエスに従う国には(奴婢売買の)厳禁のさだめがあり,買う者も売る者 も一律に罰せられる(泰西凡従耶蘇之国者,皆有厳禁之例,無論買者売者,均同一律坐刑)。民は 皆自由であるべきであり,下僕が人の思い通りにされるのと同じでない(斯群黎皆可得而自主,不
同隷役之受制于人)。
イエスの聖道が行われる以前,奴隷売買の風習は金持ちの贅沢のために今より甚だしく,容易に 改善されなかったが,英国が国費を費やして,黒人奴隷を自由にし(買贖黒奴,使得自主),アメ リカもこれに続いた。今日西洋では奴隷の風習は一切消滅し,たとえ官吏・紳士の名家でもあえて 使用しない(今泰西諸国奴婢之風概行泯絶,即在搢紳大家亦不敢用)。海外で働く中国人は雇用さ れているのであり買われたのではない。またアメリカ,アジアやメルボルンなどの開港場で働くの であり,欧州に来る者は少ない。中国は土地が狭く人口が多いので食べていくのは難しく,また海 外は中国より給与が多いので中国人は争って海外に赴くのだ。朝廷が海外に公使や領事を置き中国 人を管理すれば,相互のいざこざを避けられよう。中国人は今サンフランシスコにおいてもまた西 人に軽視され苦しんでいる。その理由は思うにまた二つある。一つは中国人が自重することを知ら ず廉恥心がないからであり,もう一つは中国人は労働が安価で現地人を圧迫するからである(雖華 人今在旧金山,亦有為西人所軽視而与以為難者。然其故蓋亦有二,一縁華人不知自重,罔顧廉恥,
一縁華人工賎,占薄土人)。
中国で奴隷を禁止するのは難しくない。西国がかつて行ったように,国費を出して費用を帳消し にすればできる。我々西人が中国において奴隷を買って使役する必要はない。生活の道を求める貧 民は多く,金持ちが彼らを雇って働かせれば双方に利益がある。中国人が上帝の一切の人と物を広 く愛する心を体し,贅沢の風俗を改め,奴隷を用いず雇用人を召使いにすれば,奴隷売買は禁じず しておのずから絶える。
第24章 民盛んならば国強し(論民盛則国強)
『書經』(五子之歌)に「民はこれ邦の本,本固ければ邦寧し」とあるように,国の富強は民の盛 んなことに在り,民が盛んであるのは君が聡明で善政を行うにある。生活が安定し人口が多く,民 が礼儀廉恥を知り,平時は能く父母や目上の人に仕え,有事には国家を護れば,民が盛んなことこ れ以上のことはない。為政者は民に対して,権威で怖れさせるのでなく,誠実さによって愛される ようにし,威勢を振るうのでなく,裏切らない心を持つべきだ。今天下に強国が林立する中,中国 ははたしてどうやって民を生かして道徳をもたせ,養って財物をもたせ,教えて素養をもたせ,上 下一体となって義に向かわせ,国家を安定させるのか。為政者は一時の安逸を求めず,つねに恐れ 慎み発奮自強して民にその居に安んじて仕事を楽しませ,民が多いだけでなく健強となるよう努め ることが,富強の基である。中国では結婚が早すぎ,男女とも幼弱で身体を損ないやすく,ややも すれば寿命を縮め,子を虚弱にする(婚配太早,男女幼弱,易于傷身,往往促其年寿,生子多致孱 弱)。だから中国人は軟弱な者が多く強壮な者は少ない(所以中国人民,軟弱者多而強壮者少)。古 人が三十歳で結婚したのに倣い,西人の一夫一婦に倣い,酒,タバコを控え,纏足を禁じれば,生 まれる子は強壮となろう。また子育ては甘やかし過ぎても,厳し過ぎてもならず,学習する時は適 度の休憩が必要である。また民を養うにはその職業を安定させ,生財の方法を増やし遠方に移住し なくても生きていけるようにすべきである。
西洋では,イギリスの石炭や鉄鋼,アメリカの棉花はどこでも売買され利益は莫大である。この やり方に倣えばどんな物産でも利益をあげて民を養える。ただ為政者が利益をあげる方法を示さな
いと民は仕事をせず生活は困難となる。中国では太平天国の乱以来混乱が続き養民の道は失われ,
民は生計の道を求め海外に移住するか,さもなければ廉恥を捨てて強者は盗賊,弱者は乞食となる。
今日必要なのは,まず若者の教育である。聡明な者は知識人として実学を学ばせ,それに次ぐ者は 農民・商人としての技能を磨き生計を立てさせることだ。あわせて上帝を畏敬することを教えれば,
人は悪をなさず善に向かう。民を教育する方法を得ようとすれば,必ず西人のように学校を多数設 置し,男女とも幼児から教育するのがよい(然則欲得教民之法,必如西人之多設学校,無論男女皆 従幼時教之,此乃為善耳)。また沿海と山村の人口のバラつきの問題がある。水陸交通を疎通させ,
商業農業を興せば,貨物は流通し,民は沿海山村とも繁昌するだろう。さらに中国には盗賊の反乱 や災害により被害者が多い。それはあらかじめ準備して未然に予防することができず,汽車が往来 して救済することがないためであり,それ故に民生は甚だ困難をきたしている。これはみな教養の 道が失われたからである(縁不能先事綢繆,預防于未然,而無火車往来救済,故致民生甚困,此皆 教養之失其道也)。
泰西は民が国とつながることを知り,それ故に民を生かすのに本性に順応させ,民を養うのに職 業を安定させ,民を教えるのに理を明らかにし学につとめさせ,さらに民の利を興し民の害を除く など委曲を尽しており,ただ機器が民に利するだけではない(泰西知民与国相維系,所以使民生也 遂其性,民之養也安其業,民之教也明其理而務其学,而興民之利,除民之害,必委曲備至焉,不特 機器之便民已也)。
上帝は民に性善を与え万民皆善に帰することを欲するが,民が欲に従いその性を失うことを恐れ る。それ故に為政者はよく民を治めその性を回復させるのである。これが救世主イエスが人を導く に行善をもってする意味である。中国の為政者もこのように誠意を尽くして民を治めれば,民は盛 んで国は強くなり,どうして外国から侮られるのを憂えることがあろうか。
第25章 溺女を禁じよ(禁溺女児)
小さな産物であってもみなその生命を保つことを知っている。だから仁者はそれらを大切にする 気持ちを持ち,損なうに忍びない。まして人命であればなおさらである。しかし愚民は義に明らか でなく,女児を生むとそれを溺殺する者がいる(而愚夫愚婦不明斯義,竟有生女即溺殺之者)。赤 子に罪はなく,溺女は禽獣に及ばぬ行ないである。また女児が生まれたのは,天がこれを生まんと 欲したからであり,溺女は天に違う行ないである。さらに女子は家を継ぐことはできないが,どう して父母に背こうか。古の太姒[よく徽音をつぐ。有莘氏の女,周文王の妻。詩,大雅,思斉],
周姜[よく内治を賛す。即ち大姜。周太王妃,文王の祖母,姓姜。詩,大雅,思斉]以来,その明 証は事欠かない。しかし貧民のみならず金持ちも嫁入りの出費を恐れて毒手を下す。溺女のほか薬 で堕胎する者もいるが,子を産むのが嫌なら性欲を絶つべきで,役人は薬の売買を厳禁すべきだ。
西洋では,イエスの人を救う心を体して溺女を聞けば必ずやめさせる(泰西体耶蘇救人之心,豈 聞溺女之残虐,而不出一言以勧止乎)。堕胎の薬は厳禁されており,使えば死刑になる。西国では 子女は同様に養育,教育する(西国人生子女,皆一体養育教訓)。ドイツの場合,7,8歳で皆学塾 に入れる。入れなければ父母は罰せられる。女子の教育は,将来母として子供を教育し家事を治め,
外で働く夫を内助するために重要である。だからイエスの道理は男女を同様に扱い区別しない。何
故なら男女とも上帝が人となることを許したのだから。今日西国では女子にも教師,医者や宣教師 の助手を務める者がいる。
またおよそ西国では,結婚は男女の合意によりはじめて成立し,父母は強制できない(凡西国合 婚,務必男女意無齟齬,方為夫婦,若有一不允,即父母亦不能相強)。法律では,妻は夫を夫は妻 を訴えることができ夫婦に上下の区別はない。ただ道理に適っているかどうかが問われるだけであ る。また女子は弱く虐待されやすいので,官府はこれを保護しなければならない。さらに女子は嫁 入りしても父母の財産を兄弟と均分することができ,寡婦は子があっても家業を処理する権利を持 つ。なお西国にも娼婦はおり,官吏はこれを禁絶しがたいが,イエスの道理は最も廉恥を尊ぶので,
昔に比べればすでに減少している。また西国の貧民は,金持ちに子女を養子に出しても,心では耐 えられないのであり,溺女など決してない。溺女という風習は,父母は怠惰で勤苦に耐えず,男子 は賭博や酒やアヘンに溺れ,無慈悲にもこの良心にもとる行為に及ぶのである(彼溺女者,必其父 母懶惰,不耐勤苦,男子或賭銭好酒吹烟,故忍心而為此昧良之事耳)。西人はみな技芸を有し生計 を図るからありえない。中国の朝廷は溺女や堕胎も殺人と同等に厳禁すべきである。
第26章 広く恕道を行なえ (広行恕道)
人は恕道を外れなければ,何をしてもみなうまくいく。すなわち人に接するには公平で偏せず,
己を捨てて人に従うよう心掛け,行動においては公正につとめ,人に難しいことを強いるべきでは ない。こうした恕道は生涯行うべきものである。しかし,後世この道理は明白ではなくなり,自ら の私を守ることのみを知り,己に固執して人を追い詰めるようになり,今日においては恕を論ずる ことはさらに難しくなった。
中国の祭祀は大変煩雑であり,神を祭るには必ず多くの供物が必要だとして人にそれを強いる。
西洋でも偏見に固執してそれを人に強いるイスラム教や天主教は,恕道の意味を知らない教えとい えるが,中国の祭祀もそれらと異ならない。ほかにも中国では器量・見識の狭隘な輩による恕道に 反する行いは,秦始皇の焚書坑儒をはじめ,梁武帝の道教排斥,唐玄宗らの道教強制など少なくな い。しかし国家の立法もまた人の正しい行いを見てその賞罰を定めるように,何教であっても善で あればこれを賞し,悪であればこれを罰し,義をもって恕を行うべきである。だから朝廷もまた儒 仏道三教のうち本心から善を行うものを選んで奨励し,風俗を強いて廃止することはできないのは,
恕道に適っている。今日においては,宗教は儒仏道だけではなく,理を論じて各々完全なもの欠点 のあるものがあり,ただその道理の完全なものを究めて帰依すべきであり,人に強いて己教に従わ せなくてよい(即以今日而論,立教不僅儒釈道,而論理各純疵,但当究其道理之純全者為依帰,不 必強人以従己教)。他教を取り上げ己教を明らかにするのはよいが,議論は冷静であるべきで憤激 して言い争うべきではない。だから救主イエスは広く聖教を行い,世に処すること至公であり,そ れによって民が恕道を行うこと万世にわたり変わらないのだ。そのためイエスの従う者は,国政は 国に,民事は民に帰しそれらに信仰を持ち込まず,教会の行う儀礼はみな教長が主持し,役人が口 出しすることはできない。もし中国が儒教を崇拝しても,他教に菩薩(?)を拝するよう強いるこ とはできない。それは西国がイエスを崇拝しても,他教に上帝を拝するよう強いることができない のと同じである。儒教,仏教,道教とも人が自ら帰依するに任せるべきで,人が自教に従うことを
強いるべきではない。今西国の人士は,己の欲する所を推して他人の欲する所を知り,天下の人に 他教に比して聖教が独真であることを知らせようとしている(今西国人士宣伝福音,亦欲将其道理 講明,以曉諭愚蒙,使天下之人知微言奥義,比各教為独真))。だから教会人が中国に至れば地方官 は匪賊から保護すべきであり,これは中国人が外国に行っても同じである(是以教会人到中国,地 方官固須保護,以免匪類之欺凌,即中国人往外邦亦皆然矣)。中国の為政者がこの意を体して実行 することを願う。
第27章 道義と権力を識別せよ(明正道権)
古の中国の帝王は,権術を用いることに拘らず,熱心に大道に帰着させようとした。だから道が 行われることによって万民は養育を担い,権が用いられることによって世界には迫害の恐れがなく なった。しかし,後世においてはただ権術にのみ恃み,道義を深く理解しないので,権が発動され るとしばしば義に反するようになった。今中国は西国の兵器を用い,ただ権を伸ばそうとし道に合 することを求めようとしない。だから兵器は一日も欠くことはできないが,人を心から服従させ,
勇気と道義を兼ね備えさせなければ,必ずたちまち敗北する。何故なら,仁義をもって心を治め,
忠勇をもって気風を作ることがないからである。古の聖王は公正の道を行い,あえてことごとく威 権に恃むことがなかったのは,このことを知っていたからである。時折論じたように,中国の君主 は権を最も重んじ,生殺与奪や人材任免を掌握するようになり(間嘗論之,中国之君其権最重,操 生殺黜陟之柄,主栄辱富貴之階),人心は服さず災禍をつくり出すことになった(而人心不服,釀 成災変)。その原因は,まことに一人でその権を私し,臣下とともにその権を公にせず,道に合致 しないからである(此其故,実由一人私其権,不与臣下公其権,而未合乎道也)。また同様に父母 の子への権,夫の妻への権も,まず父子の恩,夫婦の愛があってこそ恃むべきものであり,そうで なければ災禍は免れない。
西国のキリスト教を伝える者は権を用いること当を得ており(泰西伝耶蘇教者,用権務合乎中正),
人心を心服させ世人に非難されない(服乎人心,而不為世人所訾議)。だから人君は高貴でないも のはなく,威権をもって群臣を強圧することはできず,百官は顕貴でないものはなく,権勢をもっ て百姓を強迫することはできない(故人君未嘗不尊貴,而不得恃威厳以強圧群臣,百官未嘗不顕貴,
而不得恃権勢以凌逼百姓)。故に西国の貧民は為政者の権威を恐れず,民間の清議を恐れる。道理 があれば人はあえて刑罰を加えることがないからである。
むかし西国の為政者は大権を持ち威令を公布し民はみな従ったが,それは為政者が立派な君主で あってこそ可能であったのであり,そうでなければ国家の被害は甚大であった。だから今日君主は 行おうとすることが道理に合わなければ,あえて民に強制せず,さらに敢えて軽々しく殺戮を加え はしない(所以今日君上之欲行者,有不合理,亦不敢強民,更不敢軽加殺戮)。
例えば,罪への刑罰は刑官が法を執行し,君主の権によって行うことはできない。もし罪人が悔 い改めなければ,君主が赦しても刑官は法を曲げない。思うに大小の官吏は国政に参与するに当然 法を執行し,私情にとらわれず,君主の怒りにふれても断じて法を曲げて君にしたがわない(蓋大 小臣工賛襄国政,自当執法,不敢徇情,雖触君怒,断不骪法以従君)。君主に有私の疑惑があれば,
役人に取り調べさせることができ,役人はそれによって免職されることはない。もし敵国の外患が
あり国王が戦争をしようとすれば,兵糧は民間から徴収するが,民が応じなければ徴収できない(倘 有敵国外患,国王欲戦,則兵餉取諸民間,若民不允,亦不可行)。西国の律例は君王が定めるが,
議会の議員が議論のうえ応諾了承してはじめて可否を決定できる(西国律例雖為君王所定,然議政 国会臣工,首先辯論允協,方能定奪)。議会は上堂,下堂に分かれ,上堂は朝廷の官吏が議員となり,
下堂は庶民が公挙し数年で改選する。下堂で応諾了承され上堂でも了承されれば,君主に進上し決 定し実施する。上堂は大事がない限り成法を執行し変更しないが,下堂はいつでも変更できる。ま た下堂の意見が上堂と合わず君主が下堂の意見を退ければ,民間は再度別の議員を公挙して再び議 論させることができる。下堂が再び同じ結論になれば,上堂は敢えて反対しない。もし上下堂とも 承諾しても君主が反対すれば,法規を定めることはできないが,そうした事例ははなはだ少ない。
また君主が行おうとする政事はまず内閣の大臣らに相談させ,施行に当たってはさらに枢密院大臣 に署名を求め,署名がなければ施行できない。このように慎重であるので失政は少ない。アメリカ の大統領の場合は,衆民に公挙されるが数年で退位する。
西国の父母は子女を言葉で叱り,鞭打つにしても節度がなくてはならない。傷つけることがあれ ば役人に罰せられる。子女がひどく教命に従わなければ遠方に追い払ってもよい。子女は七,八歳 で必ず塾に入れねばならず,子女が成人すれば,その収入を父母が軽々に奪うことはできない(凡 子女至七八歳,必須送入塾,及子女成人,所得之貲財,父母不可軽于取奪)。また子女は,父母に 対し天寿を全うさせるまで,誠実に世話をしなければならず,父母もまたその権を用いすぎてはな らない。また嫁は翁姑に細やかで従順に仕えるべきだが,翁姑も冷酷であってはならない。
夫婦は人倫の首,治化の源であり,西国ではさらに重んじる(若夫夫婦為人倫之首,治化之源,
西国更重)。たとえ妻に非礼の戒めるべきものがあっても,役人に任せて処罰してもらうことがで きる。思うに夫が激怒の下にしばしば妻を傷つけるのを恐れるからである(即或婦有非礼之当懲,
亦可交有司以処治,蓋恐人盛怒之下,多致傷人)。中国では夫が権力を握り,妻に夫の意向に合わ ないことがあれば,苛酷に拘束するのとは異なる(不同中国丈夫可操其権,婦有不合夫意,刻薄以 縄之也)。また雇用主は工人を叱るには,言葉をもってすべきであり暴力をもってしてはならない。
法は至公にして思いやりのあるものであり,小人に寛大にだが,実は君子には責任を持たせるから である。イエスの道理は,職の貴賤を問わず,徳は賞し悪は罰す。上帝の前では人主も庶民に等し く,役所,長官,父母,雇用主も権に恃んでみだりに行ってはならない。だからイエスは人に教え るのに己を推して人に及ぼし,人を愛するに己を愛する如くすることを尊ぶのである。中国人が真 心からこれに倣うことを願う。
第28章 臣道について(臣道総論)
国家に官職が設けられたのは,地広く民多く,人君には日々政務があり,力があまねく行き届か ないので,官吏を任用し補佐させたのである。だから官吏となる者は君主に忠義を尽くし過失を正 し,官吏の心得を守り,謗られないようにすべきであり,それでこそ臣道に恥じないのである。古 の中国では,賢才が民間から君主に見出されて高官に登用されたが,後世において官吏は賢才を選 抜するのでなく世襲となり,賢才は出仕を嫌って隠居し,有能な人材を求めるのは困難となった。
その後専ら文章により人材を選ぶことで,有能かつ清廉な人材が登用され,この方法が維持されて
人は皆読書によって仕官を求め,教化は広まった。だが捐班や保挙により金銭や情実で官位を得る ようになり,さらに富豪の子弟は科挙試験場での替え玉受験を依頼し,カンニングぺーパーを持込 み,幕友に内通し,試験官に賄賂を贈り,甚だしくは試験場に行かずに合格する者もいる。このよ うに凡才が僥倖をえて賢能は抑圧され,仕官の途は閉塞し憂いを残すこと甚大である(似此庸愚幸 進,賢能抑屈,仕途擁塞,貽患必深)。
泰西はそうではない。およそ人材を登用するには必ず実学を求め,中国がうわべの体裁を重視す るのとは違う。だから仕官して献身し忠誠をつくす者が多い(泰西則不然。凡任用人才必求実学,
非若中国之徒事虚文。故策名委質,共励忠貞者多)。これは立法が優れているからである。西国の 文官人材の育成は,まず仕学院で学んで合格すれば太学院に進み,そこで本国の法律のほか,古代 各王朝の法律,外国の法律,さらに古今の政教・法律・時勢の推移などを学ぶ。太学院で合格すれ ば役所に入り3年間官吏の規則を教えられ,そこで合格すれば欠員となった官に任命され,1,2 年の見習いの任務に堪えられれば,はじめて実職を与えられる。西洋の官吏は,その地位を問わず みな朝廷の職を受けるものであり,上司の命に従うべきであるが,それが道理に悖れば従うべきで はない。疑わしい点があれば部下はその利害を説明しなければならず,そのうえで上司がそれを実 行すると決定し,後日失敗すれば部下は責められない。また官吏は国家の俸給を受けているから,
商売を営めば罰せられる。官長は民の手本であり,品行が端正でなければ必ず軽蔑される。さらに 官吏は過失がなくとも,人から贈り物を受けてはならない。地方官がこっそり贈り物を受けたり,
人を無実の罪で捕まえたり,拷問したり,与えるべき刑罰を与えなかったりすれば,投獄や苦役が 課せられる。役所の文書の不正,公金の誤用があればやはり投獄される。なお官吏以外の牧師,医 者,薬剤師,船長,機関士なども試験に合格しなければならない。このように西国で官吏になるの は難しく,多年の訓練をへて初めて職が得られるのだが,重要なことは,上帝を敬愛し,常に上帝 が見ていることを畏れ,君主に忠義をつくし誠実に職務にあたる人が最も貴ばれるということであ り,人材の育成・任用のあり方は中国のようにいい加減ではないのだ。
第29章 万国公法について(万国公法総論)
古は中国の天子が衆国を統御し,その威令は遠近に行われており,また中国の外は野人であり万 国公法などなかった。まして列国の時代には,各国がそれぞれ君主を立て法を持ち,周の天子の法 に従わなくなり,公法などあり得なかった。今日世界の各国は権をほしいままにし,公法がなけれ ば平和を維持するのは困難で容易に戦争が起こる。法は権力者が慎重に妥当な方向を考え,人心に 本づき人事にかない人が悦んで遵守するようにさせるものである。人心に本づき人事にかなうので なければ,その法は無理に使うことはできない。かつ公法とは衆国がともに行うべく,その効力は 遠くまで届き一隅に限られないものである。それゆえに,公法は万国に帰し,各国は必ずこれに依 拠し違反できなくなるのである。
西国でも昔は数国がそれぞれ法を行ない,共同することができず,また強大な国がその法に小国 を従わせる状況があった。イエスの教えが興ってから,万国を一家,外邦を兄弟と見なし,外邦と 交際するには仁義に帰することを貴び,はじめて衆国が心をよく調和させるようになった(自有耶 蘇之教,視万国猶一家,視外邦猶兄弟,与外邦相交必貴帰于仁義,方能協衆国之心)。自由の国は各々
自ら法を立て,衆国が友好関係を結び,熟慮のうえ公法が考案された(夫自主之国,自立其法,若 衆国交好,裁酌以出此公法)。道理に通じた為政者が公平な態度で執筆し,これを万国に伝えると 広く歓迎されたのである。すなわち,公法とは平和で戦争を少なくするよう論ずるものである(乃 為公法者,和平而鮮争論者也)。やむを得ず戦争になっても,必ず善法に依拠して行い道理に背く ことはできない(即出于不得已,両国戦争,亦必依善法而行,不能悖理)。平時互いの間に対立が なくても,各国の国交には公法が不可欠である(夫平日相和無事,各国邦交爾来我往,不得不需公 法)。だから国交上の規律,隣国との事務は欽差大臣(公使)を置いて管理し,民情の処理は領事 官を置いて行う。領事官は本国の法律に照らして民情を処理し,処理できない大事は本国の総理衙 門に連絡する。だから外国人が中国で不法行為をすれば本国領事に引き渡し処罰するのを許す。外 国人の裁判も領事によって本国の官長とともに公平な裁きをさせる。西洋人が他国に行く場合,泰 西の国であればその国の法に従うが(夫泰西人往他国,亦属泰西之地,則服其国之法),泰西以外 の国に行く場合は,その国に領事官を(派遣する)和約があれば,本国の法に従い必ずしも外国の 法に従わない。法が泰西と大いに異なるからである(若往別処之国,有領事官和約者,則服本国之 法,不必服外国之法,以法度与泰西大不相同也)。
貿易・課税について通商条約を結べば軽々しく改めず,それを破れば公法によって条約を遵守さ せる。万国公法によれば商売のための往来も伝教のための往来も許され,阻止すれば違法である。
外国の教えに従う者をその国が監禁したり非難したりすれば,従教者をいじめるもので公法に反す る。領事官と教会はキリスト教に従う者を保護し,公法は最もこれを保護する。公法によれば,陸 地では外国の民は領事の管轄下にある。海上での航行は制限されることはないが,ただ海港から約 30里以内は当該税関に統括され,海賊の略奪があれば当該税関が取り締まり行船を保護する。ま た海洋上では各国軍艦が互いに見張り助け合い盗賊の横行を防ぐ。また公法は船舶の航行について も,詳しく沈没船救助の義務,行船時の手旗信号など規定している。公法は義を尊び,権を尊ばな い。だから各国公使,領事は行き来して儀礼を行い,特に接待の際は厚く礼遇しなければならない。
両国が対立した時は 他国の公使・領事によって公平な判断を示し,対立が災いをもたらさないよ うにする。戦争になれば,兵士には制服を着せ,庶民と区別して民間の営みを破壊しないようにし,
兵士でない者が戦闘に加わることは許されない。一方が白旗を挙げて降服すれば,決して威勢をほ しいままにしてその地を平定してはならない。兵士は敵地に侵入しても民命を損なってはならず,
捕虜に刑害を加えてはならず,両国が各々捕虜を得れば同数を交換して帰還させる。また戦争に大 勝しても敵国を滅ぼし示威してはならない。両国の戦争時は,海洋上の敵国船は奪取してよいが,
民間貿易に従事する両国の船は,隣国の証書を準用し隣国の旗を立てれば通行できる。敵国の領事 は第三国または隣国の領事の管理下に置き,危害を加えられないようにする。随軍医師の駐屯所に は白旗と赤十字の印を立て,敵国が攻撃できないようにする。負傷者は敵国兵も治療し,全治の後,
敵地に護送する。講和交渉のため戦時でも書信の往来,使者の派遣を行う。
公法を万国が共有しそれに依拠すれば,力を合わせられる。それには法が理を備えているのに及 ばない。上帝の宏恩により心の偏見を教化すれば,各国は天理の公を慕っておのずから人欲の私を 去ることができる。どうして大同の世を回復できないだろうか。
巻2「義集」終