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記念シンポジウム縁品展示で見る鈴木梅太郎先生の偉業

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ビタミン B1発見 100 周年 祝典・記念シンポジウム

鈴木梅太郎博士  

記念シンポジウム

はじめに

鈴木梅太郎先生は,東京帝国大学農科大學(現:東京 大学農学部)を全卒業生の総代として卒業した.そし て,26歳で同大学助教授となり,その後5年間ドイツに 留学した.帰国後,盛岡高等農林学校(現:岩手大学)

に赴任して研究を始めたが,すぐに東京帝国大学の助教 授として戻り,その一年後には33歳で教授となられて いる.そして,44歳のときから理化学研究所を兼務し,

60歳で東京帝国大学教授を辞したあと,東京農業大学 で研究を行った.記念シンポジウムでは,東京大学,理 化学研究所,東京農業大学に残る鈴木先生の縁品を展示 した.展示リストは表1のとおりである.

東京大学所蔵展示物について

鈴木先生が東大でご活躍されたのは,農学部が駒場に あった時代である.そのせいか,鈴木先生ゆかりの書物 はあまり残っていないが,農学部図書館に,鈴木先生が 寄贈したご愛用の洋書が約50冊ほど保管されている

(写真1

また,鈴木先生に関する雑誌や書物の原版で,個人的 に収集されているものが多数あり,今回,それらをお借

りして,生物化学研究室所蔵物とともに,東京大学所蔵 物の一部という形で展示させていただいた(写真2

実験器具に関して,鈴木梅太郎先生がお使いになって いたものは,残念ながら東大にも理研にもほとんど残っ ていない.唯一,松井正直先生(元 有機化学研究室教 授)伝来の「鈴木先生ご愛用の白金耳」が残っている

(写真3.今回は展示をしなかったが,岩手大学の農業 教育資料館には,盛岡高等農林卒業生でもある大嶽 了 助手が,鈴木先生のもとでビタミン結晶化に使用したと される実験器具が残っている.

鈴木先生が使っていたとされるオフィス机は,2つ現 存する.1つは,駒込時代の理研で使用されていたもの が,いったん農芸化学会事務室へ移され,その後,和光 市の理研の史料室に移動されたものである.当時,農芸 化学会庶務理事だった長澤寛道先生が,「化学と生物」

2005年6月号(347頁)で経緯を詳細に記載している.2 つ目は,東京大学農科大学時代に鈴木先生が駒場で使用 しており,その後,歴代生物化学研究室の教授が本郷で 使用しつづけたとされるものである.記念シンポジウム 当日は,後者が展示され,その机の上には,鈴木先生が 開発した合成酒「利久」が鎮座した(写真4

また,今回の記念シンポのために作製したレリーフの 隣に,佐橋佳一先生(第4代生物化学研究室教授)寄贈

農芸化学の伝統と先端生命科学の進展

記念シンポジウム縁品展示で見る鈴木梅太郎先生の偉業

東原和成 *

1

,吉田 稔 *

2

,吉川博文 *

3

*1東京大学大学院農学生命科学研究科,*2理化学研究所基幹研究所,*3東京農業大学応用生物科学部

(2)

の「鈴木先生の碑文の拓本」(多摩霊園にある碑)が展 示された.拓本は掛け軸となっており,3メートルほど ある立派なものであるが,劣化が激しかったので,今回 の展示のために,修復した.碑文の最後には,門下生一 同という記述がある(写真5

そのほか,展示された縁品のなかには,第三回化学遺 産にも登録されたサンプル群などがあるが,「化学と生 物」2012年4月号(302 〜 307頁)で紹介されているの で参照されたい.

さて,今回の展示のために東大内を探したが,どうし ても見つからなかったものがある.『鈴木梅太郎先生伝』

表1鈴木梅太郎記念シンポジウム陳列品リスト 東京大学農学部所蔵

鈴木梅太郎先生から寄贈されたご愛用図書(洋書など約50冊)

東京帝国大学農学部農芸化学科卒業記念アルバム 大正5

(1916)年

東京帝国大学農学部農芸化学科卒業記念アルバム 昭和6

(1931)年

治療薬報第131号(大正5年)「小児の栄養に及ぼすオリザニン の効果に就いて」

科学知識(大正10年)「白米中毒説」

明有薬剤誌190号(昭和10年)「最近のビタミン説」

科学主義工業(昭和12年)「鈴木梅太郎先生を憶ふ」櫻井芳人

「鈴木先生とさなぎ」私家版,薮田先生への贈呈品 三化会誌(昭和12年)昭和初期の農芸化学同窓会の会誌 三化会誌(昭和18年)昭和初期の農芸化学同窓会の会誌 東京帝国大学農学部便覧(昭和6年)

紫友会会員名簿(昭和16年)

食糧研究(昭和4年)「ホルモン及びビタミン化学のシンポ」

科学朝日(昭和16年)或る日の科学者鈴木梅太郎博士 鈴木梅太郎 農芸化学者 没後50年切手シート 鈴木梅太郎 記念メダル

東京大学生物化学研究室所蔵

日本化學会誌(明治39年)鈴木梅太郎先生らの原著論文  日本化學会誌(大正3年)鈴木梅太郎先生らの原著論文 日本化學会誌(大正4年)鈴木梅太郎先生らの原著論文 東京帝国大学五十年史 鈴木梅太郎教授就任の開講記録 明治 40年9月21日農芸化学科化学第二講座(現:生物化学研究室)

鈴木梅太郎著「御講書始御進講の要旨」

鈴木梅太郎著「ヴィタミンに就て」昭和2年御進講

東京帝國大學農科大學紀要(大正2年) 鈴木梅太郎先生らの独 文論文

東京帝国大学農学部農芸化学科卒業記念アルバム 明治44

(1911)年 表に皇紀2571年と記載されている

東京帝国大学農学部農芸化学科卒業記念写真 大正元(1912)

鈴木梅太郎先生が写っている料亭での写真(年代不明)

鈴木梅太郎先生十三回忌法要記念写真(昭和30年)

オリザニン等の試料箱 皇室およびドイツ学士院献上箱と同一 セット

鈴木梅太郎先生碑文の拓本(佐橋佳一先生寄贈)

鈴木梅太郎先生ご愛用机(東京大学農学部にて使用)

東京大学有機化学研究室所蔵 鈴木梅太郎先生ご愛用の白金耳

理化学研究所所蔵

鈴木梅太郎研究室アルバム(研究成果について伏見宮博恭王殿 下に説明をしている鈴木梅太郎先生の写真など)

鈴木梅太郎先生直筆ノート 財団法人理化学研究所設立経過概要

鈴木梅太郎研究室研究項目と研究者(昭和10年)

鈴木梅太郎先生直筆履歴書

清酒代用飲料(合成酒)製造方法の直筆特許願及び明細書

(1920年)

利久 合成酒現物(一升瓶)

理研酒「利久」の製法

酒工場の一部の写真(財団法人理化学研究所内(駒込))

「栄養学上の発明」講演草稿直筆

「食糧問題と化学」雑誌原稿直筆 直筆原稿(研究業績並びに研究室業績)

鈴木梅太郎先生直筆特許出願草稿(米糠中の一成分アベリ酸製 法)

三十年後に於ける畜産食料品の需給に就て(鈴木梅太郎先生講 演要旨)

アストン教授来所写真1936年 財団法人理化学研究所(駒込)

2号館屋上にて 薬瓶 ヴィタミンB 東京農業大学所蔵

卒業アルバム

 明治44年 東京高等農学校本科卒業記念写真帖  明治45年 東京農業大学高等科第一回卒業記念写真帖  大正5年 東京農業大学卒業記念写真帖

 昭和2年 専門部農芸化学科卒業記念アルバム 東京農業大学百年史 資料編

目でみる東京農大百年

日本農藝化學会誌 第一号 大正13,14年 私立東京農業大学一覧 大正7年12月 東京農業大学開講五十年記念 農友 特別号 東京農業大学農友会会員名簿 明治38年〜大正3年

鈴木梅太郎著作 全20点 栄養学講話,ビタミン乃其試験法,

動物飼育試験法,研究の回顧,ビタミンと臨床,ビタミン,植 物生理の研究,植物生理化学,ホルモン,栄養読本,栄養学論,

栄養化学,南方有用植物図説,鈴木梅太郎先生伝,食料工業,

栄養学概論,簡易植物栄養論,最近煙草論,研究の回顧 農大新聞(鈴木先生の記事のみコピー)

オリザニン等のバイアル入り試料箱2点

写真1東大農学部図書館地下に眠る鈴木先生ご愛用の洋書

(3)

(鈴木梅太郎博士顕彰会他,朝倉書店,1967)に,「鈴木 先生は,明治29年7月(農科大學の)卒業生総代として 答辞を送った.その現物が東大の安田講堂の階下にある 東京大学庶務課に保管されている」とある.そこで,安 田講堂の東京大学史史料室と本部庶務課に出向いていっ て聞いたが,残念ながら,現在どこにいってしまったか は不明だということである.おそらく,学園紛争のとき に行方不明になってしまったのだろう.

理化学研究所所蔵展示物について

理研における鈴木先生の活躍は,1917(大正6)年の 財団理研設立と同時に化学部に迎えられ,研究員を兼務 されたところから始まる.鈴木先生は理研設立に貢献が あり,その概略は「財団法人理化学研究所設立経過概 要」(展示品)に見ることができる.また,大正6年当 時の直筆履歴書が残っている(展示品).1921年から第

3代所長に就任した大河内正敏は部制を廃止して主任研 究員制度を開始した.鈴木先生は東大教授と同時に主任 研究員として当時駒込にあった理研で研究され,東大定 年退官後も1943(昭和18)年に亡くなるまで主任研究 員として研究を続けられることとなる.設立当初から財 写真2鈴木先生に関する論文,雑誌,書物などの当日の展示風景

写真3鈴木先生ご愛用の白金耳

写真4展示された鈴木先生ご愛用の机の上に合成酒「利久」

が鎮座する

(4)

団理研は伏見宮殿下を総裁として戴いており,鈴木梅太 郎研究室アルバムには伏見宮博恭王殿下に研究成果をご 説明になる姿が残っている(写真6.特に貴重な展示 品としては,鈴木梅太郎先生直筆ノート(写真7)とビ タミン発見時に書かれた鈴木梅太郎先生直筆特許出願草 稿「米糠中の一成分アベリ酸製法」(写真8)が挙げら れる.いずれも2012年3月に化学遺産に認定された.

すでに小川智也氏が本誌に報告されたように鈴木先生 は理研において大きな成果をいくつも上げられたが,最 もユニークなのが前述の合成酒「利久」であろう(写真 4).食糧難,特に米不足の時代背景から清酒醸造用の米

を節約するため,日本酒に含まれる成分を同定し,それ を元に清酒代用飲料(合成酒)を発明したのである.こ のときの直筆特許願および明細書が残っており(展示 品),「白米の消費節約により国家経済上有益な発明」と の記述がある.1923(大正12)年に合成酒の製造販売 を目的に設立された大和醸造株式会社より「新進」「如 写真5展示された鈴木先生の碑文の拓本.向こうに今回製作

したレリーフが見える.

写真6研究成果について伏見宮博恭王殿下に説明をしている 鈴木梅太郎先生

写真7直筆ノート

写真8直筆特許出願草稿

写真9「農友」開校十五年記念号と鈴木先生の記事

(5)

楓」の名称で発売され,後に「祖国」「利久」の名で昭 和3年に理化学興業株式会社より発売された.以降の日 中戦争や太平洋戦争など戦局拡大により,米を使わない 酒の需要は拡大し,理研との特許使用契約により昭和 18年には47社52工場にも及んだという.産業,とりわ け国民の栄養に資する研究に取り組んだ鈴木梅太郎先生

の真骨頂とも言える実用研究成果の一つと言えよう.こ の栄養学と化学によって食糧問題へ取り組む一貫した姿 勢は,発明協会主催の講演における「栄養学上の発明」

や「食糧問題と化学」の直筆原稿のなかでも見ることが できる(展示品).

東京農業大学所蔵展示物について

鈴木先生は,東京農業大学生物応用化学科(旧農芸化 学科)の前身である東京肥料分析講習所の所長として 1909(明治42)年5月1日に就任された.その後,1914

(大正3)年1月には,東京農業大学開校15年を記念し て農友会が発行した「農友」の特別号に,鈴木梅太郎先 生自身が「農芸化学の変遷」と題し,5ページにわたり 寄稿していただいたものが掲載されている(写真9 先生は,「余は來るべき十五年間には私立の農藝化學即 ち人民の農藝化學を建設し化學の知識を應用して事業を 経営する人民が澤山に輩出せんことを希望するのであ る.是までは百姓に教える人,勤める人ばかりであっ た.今後は學問を充分に振りまはし得る人民が多くなら なければ到底富國の目的は達せられないのである.其の 如き見地から余は我農業大學が率先して私學の農藝化學 を建設普及する様に尽力せられんことを望むものであ る」と東京農業大学に対する将来への期待と希望を述べ ておられる.

歴史を隔てた現在でも東京農業大学には,鈴木梅太郎 先生直門下の佐橋佳一先生が寄贈されたオリザニンをは じめ,数々のビタミン類の天然抽出物・合成サンプル

(写真10)が,図書館農業資料室に大切に保存されてい る.また,理化学研究所時代の鈴木梅太郎先生研究室所 蔵の貴重な図書の一部も前田博士のご厚意により農大に 寄贈され,蔵書として図書館に保存されている(写真 11.蔵書の中に1924(大正13)年に出版された日本農 藝化学会誌創刊号がある.創刊号の巻頭論文は,鈴木先 生と同じく日本農藝化学会会長を務められた薮田貞治郎 先生の「麹菌により生産される麹酸(γ-ピロン誘導体)

の構造について」であり,この研究が稲馬鹿苗病菌の生 産するジベレリン発見の基となったことはあまりにも有 名である(写真12

上記『鈴木梅太郎先生伝』によると,昭和11年当時,

鈴木先生のご好意で,駒場(東京帝国大学農学部)のオ リザニンにゆかりの木造平屋実験室であった旧鈴木梅太 郎研究室の建物を払い受けて渋谷常盤松の東京農業大学 に寄付,移築していただいたお陰で東京農業大学にもよ うやく関根秀三郎先生と住江金之先生が入る研究室体制 写真10オリザニンなどの合成試料

写真11寄贈書のうち鈴木先生執筆の図書類

写真12日本農芸化学会誌第一巻目次

藪田,鈴木先生ほか,佐橋佳一,高橋偵造,坂口謹一郎などの名 もある.

(6)

ができたとの記述がある.残念なことに当時の研究室 は,東京大空襲により渋谷常盤松農大校舎とともに灰と 帰してしまった(このセクションの内容については鈴木 先生後継の研究室主任を務められた田所忠弘名誉教授の ご尽力によるものである).

おわりに

「せっかくですから鈴木先生の縁品を少し展示でもし ますか」という軽い感じで始まった企画も,ふたを開け てみれば,前例のないくらいの数の鈴木先生に関する縁 品が集まった.それにもかかわらず,ビタミンB1発見 100周年が前年であったということもあり,マスコミが まったく来なかったのは残念である.鈴木先生のご実家 のある静岡県牧之原市では,以前から記念館の設立の話

はあるというが,まだ実現していない.そういう意味で は,今回の展示は,それを後押しできるようなものに なったとともに,鈴木先生の,研究者としてだけでな く,教育者として,そして実業家としてのカリスマ性 を,肌で感じることのできたものではないかと思う.鈴 木先生は,現在,多くの国家政府関係者とともに多摩霊 園に眠っている.

注:今回展示されたもので,理化学研究所所有のものは史料室で 公開されている.東京大学所蔵のものは現在一般公開していない.

東京農業大学所蔵のものは,蔵書類は図書館の大学史料室に保管 されており(一般公開には手続き必要),オリザニンなどの試料に ついては大学付属「食と農」の博物館にて一般公開(入場無料)

している.なお,岩手大学の農学教育資料館にも鈴木先生関連資 料が多数展示されている.最後に,今回の展示にあたって,縁品 を貸していただくなど,ご協力・ご尽力いただいた関係者に厚く 御礼を申し上げます.

Referensi

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1 社会学部学生のための 卒業論文執筆の手引き この「手引き」は、社会学部の皆さんが学生として最もその本領を 発揮すべき「卒業論文」の作成を援助するためのものです。したがっ て、卒業論文を執筆しようとする人は、この「手引き」をはじめによ く読んでください。 ただし、ここに示してあるのは、あくまでも論文の標準的な書き方