微 生 物 か ら 高 等 生 物 ま で 広 く 存 在 す る「 -ア セ チ ル ト ラ ン ス フ ェ ラ ー ゼ」 は,さ ま ざ ま な 基 質 を ア セ チ ル 化 す る こ と で,多 く の 重 要 な 細 胞 機 能 の 制 御 に 関 与 し て い る.筆 者 ら は,環状の二級アミンであるプロリンアナログ(L-アゼチジ ン-2-カルボン酸,シス-4-ヒドロキシ-L-プロリン)を基質と する新規の -アセチルトランスフェラーゼMpr1を酵母
に見いだした.また,Mpr1がアルギ ニン合成を亢進することで一酸化窒素の生成を誘導し,酵母 の 酸 化 ス ト レ ス 耐 性 に 寄 与 す る 新 し い タ イ プ の「抗 酸 化 酵 素」であることを明らかにした.さらに,X線結晶構造解析 により,Mpr1のユニークな立体構造と反応機構の解明にも 成功した.本稿では,Mpr1の分子構造と生理的役割につい て概説する.また,Mpr1の酵素特性や生理機能に基づく応 用研究の成果も紹介する.
はじめに
-アセチルトランスフェラーゼ(EC 2.3.1.-)は,基 質のアミノ基にアセチルCoAのアセチル基を転移させ
る酵素である.これまでにタンパク質やアミノ酸,ポリ アミン,アミノグリコシド系抗生物質などさまざまな物 質を基質とする -アセチルトランスフェラーゼが発見 されており,その生理機能も多岐にわたっている(1).特 に,真核生物の多くのタンパク質では,本酵素が翻訳と 同時にアミノ末端のアミノ酸のアセチル化を行うと考え られており,その生物学的意義が注目されている.ま た,本酵素はヒストンやチューブリンのアミノ末端また は特定部位のリジン残基をアセチル化することで,遺伝 子発現の活性化,微小管の寿命などに関与しており,対 応する脱アセチル化酵素(デアセチラーゼ)とともに細 胞機能の制御に重要な役割を担っている(2).
筆者らは,酵母 におけるプ
ロリンの生理機能を解析する過程で,プロリンの毒性ア ナログとして知られ,環状の二級アミンであるL-アゼチ ジン-2-カルボン酸(AZC)を基質とする新規の -アセ チルトランスフェラーゼ(Mpr1)を偶然見いだした.
また,その後の研究でMpr1が酵母の細胞内において,
酸化ストレス下でアルギニン合成を亢進することで一酸 化窒素(NO)の生成を誘導し,最終的には酵母の新規 な酸化ストレス耐性機構に寄与していることを明らかに
【解説】
A Novel Antioxidative Enzyme “ -Acetyltransferase Mpr1”
Found in Yeast
Hiroshi TAKAGI, Ryo NASUNO, 奈良先端科学技術大学院大学バ イオサイエンス研究科
酵母に見いだした新規な抗酸化酵素
「 -アセチルトランスフェラーゼMpr1」
高木博史,那須野 亮
した.さらに最近,X線結晶構造解析と速度論的解析に より,Mpr1の立体構造と反応機構を解明することに成 功した.本稿では,酵母に見いだしたMpr1の分子特性 と生理的役割,特にMpr1がアルギニン合成を介して関 与する新しい抗酸化機構について概説する.また,
Mpr1の立体構造ならびに反応機構の特徴,既知の -ア セチルトランスフェラーゼとの類似点・相違点などを解 説する.さらに,Mpr1の酵素特性や生理機能に基づ く,産業酵母の育種,有用物質の生産,バイオテクノロ ジーへの応用についても紹介する.
Mpr1は環状二級アミンを基質とする新規な -アセ チルトランスフェラーゼである
酵母 は,真核生物のモデルとして基礎科 学への多大なる貢献だけでなく,製パンや各種アルコー ル飲料,バイオエタノールなどの生産に用いられ,発 酵・醸造産業上において極めて有用な微生物である.酵 母の発酵生産過程は細胞にとってストレス環境であり,
エタノール,高温,冷凍,乾燥,浸透圧,酸など多様な ストレスにさらされている.このようなストレスを連続 的または複合的に受けると,タンパク質など生体高分子 の変性・失活とともに,ミトコンドリア膜の損傷に起因 する活性酸素種(ROS)の生成・蓄積によって,生育阻 害や細胞死が引き起こされ,酵母の有用機能(エタノー ル,炭酸ガス,味・風味成分の生成)が制限されてしま う(3).したがって,発酵生産性の向上には,酵母に優れ たストレス耐性,特に強い抗酸化能を付与することが重 要である.
筆者らは,植物や細菌において浸透圧調節物質(適合 溶質)として知られているアミノ酸のプロリンが(4),ト レハロースやグリセロールと同様に,冷凍後の酵母の細 胞生存率の低下を防ぐことを見いだした(5).そこで,ス トレス下におけるプロリンの生理機能を解析する目的 で,プロリンの毒性アナログであるAZCに対する耐性 を指標に,プロリン蓄積変異株のスクリーニングを行っ た.その結果,変異が入ったプロリン合成系の遺伝子(6) とは別に, Σ1278b株由来のゲノムから細 胞にAZC耐性を付与する遺伝子 (sigma 1278b gene for L-proline analogue resistance)を単離した(7). 興味深いことに, の発現はAZC耐性には関与す るが,細胞内のプロリン含量に影響はなかった.
は推定アミノ酸配列から -アセチルトランスフェラー ゼをコードしていると考えられ,実際にAZCを基質と して 産物(Mpr1)の活性を測定したところ,明 確なアセチル化活性が得られた(8).AZCはプロリンと
競合して新生ポリペプチド鎖に取り込まれると,タンパ ク質は正しいフォールディングを形成できずに変性・凝 集し,細胞毒性を引き起こすと考えられている(9, 10). Mpr1はAZCのアミノ基にアセチル基を転移し,タンパ ク質への取り込みを防ぐことで,細胞にAZC耐性を付 与していると考えられた(図1).
はΣ1278b株の14番染色体のサブテロメア付近 に存在するが,10番染色体のサブテロメア付近にも1コ ピー存在する( ).両者のDNA配列は1塩基だけ 異なり,その結果85番目のアミノ酸残基に違いがある が(Mpr1: Gly, Mpr2: Glu),機能的な差異は観察されて 図1■AZCの毒性発現機序とMpr1によるAZCの解毒 AZCはタンパク質合成の際,プロリンと競合して新生タンパク質 に取り込まれ,異常タンパク質の蓄積により細胞毒性を発揮する.
Mpr1はAZCのアミノ基をアセチル化することで,タンパク質へ の取り込みを妨げていると考えられる.
図2■Mpr1(上段)と既知のGNATスーパーファミリー酵素
(下段)の基質特異性
いない(7).Mpr1はそのアミノ酸配列から,Gcn5-related -acetyltransferase (GNAT)スーパーファミリーに属す ると考えられた(7).GNATスーパーファミリーには,ヒ ストンタンパク質やポリアミン,アミノ酸,セロトニ ン,アミノグリコシド系抗生物質などさまざまな化合物 を基質とするタンパク質が含まれるが(11),これらの基 質のほとんどは一級アミンであり,環状の二級アミンを 基質とする -アセチルトランスフェラーゼはこれまで 報告がない.一方 での解析から,Mpr1はAZC と同様に環状二級アミンであるプロリンアナログのシ ス-4-ヒドロキシ-L-プロリン(CHOP)を基質にすること も判明した(12).以上の結果は,Mpr1が極めて珍しい基 質特異性を有する新規な -アセチルトランスフェラー ゼであることを示している(図2).
Mpr1はアルギニン合成を亢進し,新規な酸化スト レス耐性機構に関与する
AZCは,自然界ではスズランなど一部の植物に存在 するだけで,酵母の細胞内には検出されていない(13, 14). では,Mpr1の細胞内基質および生理機能とは一体何 か? 筆者らは Σ1278bの野生型株( / 保持)と / の破壊株をさまざまな培養条件で比 較したところ, / 破壊株が過酸化水素や高温処 理などの酸化ストレスに対して感受性になることを見い だした(15) (図3A).また,冷凍やエタノールなどのスト レスに対してもMpr1が細胞保護効果を示すことがわ
かった(16, 17).その後の遺伝学的解析から,酵母が酸化
ストレスの一種である高温にさらされると,Mpr1依存 的に合成されるアルギニンが細胞のストレス耐性に関与 することを見いだした(18).さらに最近では,アルギニ ンからジフラビンタンパク質Tah18依存的にNOが発生
すること,またNOがシグナル分子として酸化ストレス 耐性に寄与するメカニズムを明らかにした(19).酵母に おいてアルギニン合成を介した抗酸化機構はこれまで報 告がなく,Mpr1は新規な抗酸化機構の鍵酵素とも言え る.
Mpr1の細胞内基質については,まだ同定されていな いが,遺伝学的な解析からアルギニン合成系の中間代謝 物である -アセチルグルタミン酸, -アセチルグルタ ミルリン酸, -アセチルグルタミン酸-
γ
-セミアルデヒド のいずれかを,Mpr1が直接的または間接的に生成する ことが明らかとなっている(18) (図3B, C).Arg2 ( -ア セチルグルタミン酸シンターゼ)とArg6 ( -アセチル グルタミン酸キナーゼ)は最終産物のアルギニンにより 強いフィードバック阻害を受けるが(20), の解析 からMpr1の酵素活性はアルギニンによる阻害を受けな いことがわかっている.Mpr1がArg6,もしくはその 下流の酵素と同様の生成物を供給する場合,Mpr1依存 的なアルギニン合成経路はアルギニンによるフィード バック阻害を受けないと考えられる.細胞が酸化ストレ ス条件に置かれた場合,アルギニン欠乏でないにもかか わらず,細胞保護のためにアルギニンを合成する必要が ある.このような状況では,フィードバック阻害を受け ないMpr1を介してアルギニンを合成することで,スト レス耐性を獲得するのではないか? つまり,既知のア ルギニン合成系は通常時に,Mpr1依存的なアルギニン 合成系はストレス応答時に,それぞれ目的別に機能して いるのではないか? そうだとすると,この機構は細胞 の生存戦略として合理的であると言える.一方,Mpr1 の生成物が上記のいずれであったとしても,Arg2や Arg6, Arg5などのアルギニン合成系の酵素はミトコン ドリアに局在すると報告されているため(21),Mpr1もミ図3■Mpr1依存的な抗酸化作用とそのメカ ニズム
( A ) 野生型株( W T ) と / 破 壊株
(Δ )の生育.(B) , , 各遺伝子の破壊株の生育.各株を最少培地に て培養した.(C)Mpr1依存的なアルギニン 合成と抗酸化機構.Mpr1は, -アセチルグ ルタミン酸, -アセチルグルタミルリン酸,
-アセチルグルタミン酸-γ-セミアルデヒドの いずれかを供給し,アルギニン合成に寄与す る.Glu:グルタミン酸,GP:グルタミルリ ン酸,GSA:グルタミン酸-γ-セミアルデヒ ド,Orn:オルニチン,Arg:アルギニン.
トコンドリアへの局在が予想された.GFPを用いた細 胞内局在の観察を行ったところ,Mpr1は細胞質以外に ミトコンドリアにも存在することが示された(18).Mpr1 の一次構造には明確なミトコンドリア移行シグナルは存 在しない.また,GFPをMpr1のアミノ末端に融合する とAZC耐性を示さず,液胞に局在したことから,アミ ノ末端側は酵素機能の発現や細胞内局在に関与すると考 えられる.最初に基質として同定したAZCは,培地か ら細胞内に取り込まれた後,細胞質のMpr1がアセチル 化し,解毒するのであろうが,酸化ストレスなどの生理 的条件では,Mpr1はミトコンドリア内のアルギニン合 成系酵素との相互作用も含め,その機能や局在が厳密に 制御されている可能性がある.
興味深いことに,Mpr1は同じ の中でも,
ゲノム解析が行われたS288C系統株や清酒酵母にはオ ルソログ遺伝子が存在しないが,近縁種の
(Spa Mpr1)や分裂酵母
(Ppr1)には保存されており,AZCアセ チル化活性を有している(22, 23).また,
, , な ど
多くの酵母やカビのゲノム上には と相同性の高 いDNA配列が存在しており,これらの菌ではAZCアセ チル化活性も検出された(24, 25).したがって, は 共通の祖先遺伝子に由来しており,このようなMpr1依 存的な酸化ストレス耐性機構は真菌類に広く保存されて いる可能性がある.酵母においてMpr1は,既知の抗酸 化酵素のようにROSに直接作用するのではなく,プロ リンやアルギニン代謝に関与することでROSレベルを 制御していることから,既存の抗酸化システムのバック アップとして機能しているのかもしれない.
Mpr1はユニークな立体構造と反応機構を有してい る
上述したように,Mpr1はユニークな基質特異性を有 している.また,Mpr1にはGNATスーパーファミリー に保存される配列モチーフは存在するものの(11, 25),一 次構造全長にわたって相同性があり,かつ立体構造が明 らかなタンパク質は報告されていない.したがって,
Mpr1は新規な立体構造を有するタンパク質であり,特 に基質認識部位の構造や認識様式は独特なものであると 予想された.実際に,X線結晶構造解析によりMpr1の 構造決定を試みたところ,基質フリーの構造を1.9 Åの 分解能で,また基質の一つであるCHOPとの複合体構 造を2.3 Åの分解能で,それぞれ決定することに成功し た(26).Mpr1は8本の
β
-ストランドと6本のα
-へリックスから成り,既知のGNATスーパーファミリーのタンパ ク質のフォールディングとよく似た構造であった.超遠 心分離により溶液中での会合状態を解析したところ,
Mpr1は溶液中で二量体を形成しており,これもほかの GNATタンパク質と類似していた.Daliサーバー(27)を 用いて,立体構造の類似性が高いタンパク質を探索する と,Mpr1は真核生物よりも細菌由来の -アセチルトラ ンスフェラーゼに類似していることが明らかになった.
複合体構造中のCHOPは隣接した2本の
β
-ストランド の間の領域に結合しており,Asn135の側鎖アミド,お よびAsn125とLeu173の主鎖アミドとCHOPのカルボ キシル基が結合していた(図4A).またPhe138の主鎖 アミドは,水分子を介してCHOPのアミノ基と相互作 用していた.Asn135Ala変異体は基質に対する m値が 約20倍上昇し,Asn135Asp変異体では酵素活性が検出 できなくなったこと,さらに反応溶液のpHを酸性側に シフトさせることで基質に対する m値が上昇したこと から,Mpr1はAsn135とそれを含む領域により,基質 のカルボキレートアニオンを認識・結合していると考え られた(図5A).一方,CHOPのγ
炭素原子とTyr75の 疎水性側鎖がファンデルワールス相互作用していること図4■Mpr1の立体構造
(A) Mpr1-CHOP-アセチルCoA三者複合体モデルの活性中心.い くつかのアミノ酸残基とアセチルCoA, CHOPをスティックモデ ルで示す.(B)Mpr1および既知GNATタンパク質 (ribosomal protein acetyltransferase (2CNS), aminoglycoside -acetyltrans- ferase (1M4Iおよび1B87), serotonin -acetyltransferase (1CJW), glucosamine-6-phosphate -acetyltransferase (1I1D), histone acetyltransferase (1FY7), mycothiol synthase (1OZP),推定 acetyltransferase (4H89)) のβ-バルジ構造.Mpr1のPhe138を含 むβ-ストランド(緑),推定acetyltransferase(4H89)のβ-ストラ ンド(赤),およびその他のGNATタンパク質のβ-ストランド(黒)
に相当する領域をそれぞれリボンモデルで示す.(C) Phe65残基 の周辺構造.Phe65および周辺の疎水性残基をスティックモデル で示す.
も示唆された.予想に反することではあるが,これらの ことはMpr1による基質の環状構造の認識はそれほど厳 密なものではなく,むしろカルボキシル基の認識が基質 結合により重要であることを示している.
つづいて,Mpr1のアセチルCoA結合部位を予測する
ため, 由来のアミノグリコシド
6′- -アセチルトランスフェラーゼの立体構造(PDB ID code: 1B87)(28)とMpr1の構造を重ね合わせて,Mpr1- CHOP-アセチルCoAの三者複合体モデルを構築した.
1B87はアセチルCoAとの複合体構造が決定されている タンパク質の中でMpr1と構造が最も類似しており,会 合状態もMpr1と同様に二量体である(29).Mpr1-CHOP 複合体におけるCHOP周辺の領域,7本の
β
-ストランド と4本のα
-へリックスを含むこの領域は,1B87における 相当する領域と重なっており,特にアセチルCoA周辺 の構造は一致の程度が高い.GNATタンパク質にはモ チーフAからDまでの配列が保存されており,そのう ちモチーフAはアセチルCoAのピロリン酸部分と相互 作用することでアセチルCoAとの結合に寄与すると考 えられている.構築した三者複合体の構造では,アセチ ルCoAのピロリン酸部分がMpr1のモチーフAと相互 作用すると予測されたことから,三者複合体モデルはお おむね正しい構造であると考えられた(図4A).三者複合体モデルから,Phe138の主鎖,Asn178と Trp185の側鎖はアセチルCoAのカルボニル基と相互作 用可能な距離にある.多くのGNATタンパク質では,
活性中心にある疎水性残基(Mpr1ではPhe138)の主鎖 ア ミ ド とTyr残 基(Mpr1で はTyrで は な くTrp185)
が触媒残基として機能している(図5B) (11).すなわち,
疎水性側鎖の主鎖アミドは,
β
-ストランド中にβ
-バルジ と呼ばれる隆起構造を形成し,この構造を中心としたオ キシアニオンホールと呼ばれるポケットにより,アセチ ル化反応の正四面中間体の酸素原子の負電荷を安定化し,反応を触媒する.一方,Tyr残基は側鎖の水酸基が 反応生成物であるCoAチオレートアニオンをプロトン 化することで反応を触媒する.これらのことから,
Mpr1でもPhe138とTrp185が触媒として機能している 可能性があった.三者複合体モデルから,Phe138の主 鎖アミドはアセチルCoAのカルボニル酸素原子との相 互作用が予測され,触媒として機能すると考えられた が,興味深いことにこの領域は
β
-バルジ構造を形成して いなかった(図4B).Trp185はMpr1ホモログ間で保存 されておらず,p a値からTrp側鎖のインドール基がチ オレートをプロトン化することは困難であるため,Trp185は 触 媒 残 基 で は な い と 考 え ら れ た.一 方,
Phe138, Trp185と同様に,アセチルCoAのカルボニル 基近傍に位置していたAsn178はMpr1ホモログ間で完 全に保存されていた.さらに,Asn178Ala変異体は cat
値が著しく低下したこと,Asn178Asp変異体では酵素 活性が検出できなくなったことから,Asn178は反応生 成物であるCoAチオレートアニオンの安定化により反 応を触媒していると結論づけた(図5A).
筆者らは以上の考察に基づき,Mpr1の触媒反応機構 を提唱した(26) (図5A).まず,Asn172とLeu173の主鎖 アミド,およびAsn135の側鎖アミドにより,基質のカ ルボキシル基が認識・結合される.基質がアセチル CoAのカルボニル炭素に求核攻撃し,生成した正四面 中間体がPhe138の主鎖アミド窒素原子によって安定化 される.中間体の分解後に生成するCoAチオレートア ニオンはAsn178の側鎖アミドにより安定化され,最終 的に水分子によりプロトン化されて反応が完了する.
Asn残基を触媒として用いる -アセチルトランスフェ ラーゼはこれまで報告がなく,Mpr1は新規の反応機構 を有していると言える.
Mpr1と既知のGNATタンパク質を反応機構という点 で比較すると,環状二級アミンを基質とするために,
Mpr1が基質認識そのものではなく,触媒機構を進化・
最適化させてきた可能性が見えてくる.一般に,二級ア ミンは一級アミンよりも求核性が高い.さらに,環状の 二級アミンでは鎖状の二級アミンと比べて嵩高い置換基 が固定されるため,求核性を示す非共有電子対周辺の立 体障害が少ない.つまり,環状二級アミンは一級アミン に比べて極めて高い求核性を有していると考えられる.
Mpr1の触媒機構は既知のGNATタンパク質に比べて,
効率が良くないようにも思える.CoAチオレートのプ ロトン化ではなく,安定化という間接的な方法を採用 し,また
β
-バルジ構造の欠落により,オキシアニオン ホールの形成,つまりは正四面中間体の安定化による触 図5■Mpr1(A)および既知のGNATタンパク質(B)の反応機構
点線は水素結合を,矢印は電子移動をそれぞれ示す.
媒能も低下している可能性がある.これは求核性の高い 基質を扱ううえで,生体内で機能を発揮するため適度に 調節された反応速度を維持するために,あえて効率の悪 い触媒機構を採用するという進化の結果ではないだろう か?
Mpr1は産業酵母のストレス耐性を向上させる Mpr1はバイオテクノロジーの面でも興味深い酵素で ある.筆者らは清酒酵母やパン酵母でMpr1を発現させ ると,エタノール,高温乾燥などのストレス耐性が向上 することを見いだしており(30, 31),各種の発酵生産(パ ン類,酒類,バイオエタノールなど)に用いる産業酵母 のストレス耐性向上への応用が期待される.たとえば,
パン酵母は製パン過程において,冷凍,乾燥,高濃度 ショ糖などの細胞内のROSレベルが上昇する酸化スト レス環境にさらされており,発酵能(炭酸ガスの発生)
が制限されている.したがって,パン酵母に高度な酸化 ストレス耐性を付与することにより,有用な菌株の開発 が可能になる(32).
これまでにゲノミックPCRの結果から,国内で製造 されているほとんどのパン酵母は に相同性のある DNA断片を有していることが判明している(未発表). また,パン酵母の10番染色体に を1コピー保持し て お り,そ の 塩 基 配 列 は Σ1278b株 の と一致していた(31).ドライイーストの製造には 優れた高温乾燥耐性を備えたパン酵母が必要である.そ こで,高温乾燥条件下における 産物(Mpr2)の
役割を解析するために,各菌株の細胞生存率と細胞内 ROSレベルを測定した(図6A, B).その結果,パン酵 母の 破壊株(Δ )は,親株よりも高温乾燥 処理後の生存率が約30%低下し,ROSレベルは親株よ りも約40%高かった(31).さらに,Mpr2の製パン過程に おける役割を調べる目的で,高温乾燥処理後の酵母を用 いて調製したパン生地の発酵力(炭酸ガス発生量)を測 定した(図6C).その結果,高温乾燥処理後のΔ 株は発酵力が親株の約65%にまで低下していたことか ら,Mpr2は高温乾燥処理などの酸化ストレス下で細胞 内のROSレベルの上昇を防ぐことで,パン酵母を高温 乾燥処理から保護しているものと考えられた(31).
筆者らはMpr1の構造を決定する以前から,エラープ ローンPCRを用いた へのランダム変異導入によ り,野生型酵素よりも過酸化水素やエタノール処理後の ROSレベルを低下させ,生存率を向上させるMpr1変異 体(Lys63Arg, Phe65Leu) を 取 得 し て お り(30),特 に Phe65Leu変異体では温度安定性が著しく向上してい た.Phe65は疎水性の領域に埋まっており,Phe65Leu では側鎖サイズの変化によりこの領域でのパッキングが より強固なものとなり,結果的に熱安定性が向上したと 考えられた(26) (図4C).次に,各Mpr1変異体を発現す るパン酵母を「セルフクローニング法」で作製し,その 特性を解析した(31).実用パン酵母(2倍体株)から分離 した各1倍体株の染色体上に存在する野生型 を相 同組換えにより変異型 (Lys63ArgまたはPhe- 65Leu)に置換した.各1倍体を接合して作製した2倍 体は予想どおりAZC耐性が向上していた.各菌株の高 温乾燥処理後の生存率を測定したところ,各変異体発現 株は野生型株に比べて約40〜80%増加していた(図 6A).さらに,高温乾燥処理後の菌株を用いてパン生地 を調製し,その発酵力を測定した(図6D).Mpr1変異 体発現株では,高温乾燥処理後の発酵力が野生型株の 1.5〜1.8倍に増加しており,特に安定性の向上したPhe- 65Leu変異体を発現する株が高い発酵力を示した.以上 の結果から,Mpr1変異体をパン酵母で発現させること で,高温乾燥耐性が著しく向上し,パン生地中の発酵力 も増加することが示された.今後,構造情報に基づいた 分子設計とランダム変異の組み合わせにより,酵素機能
(活性,安定性)がさらに向上したMpr1変異体を創製 し,発現させることで,パン酵母のみならずさまざまな 産業酵母のストレス耐性の向上が期待できる.
図6■野生型および変異型Mpr1がパン酵母に及ぼす影響 高温乾燥後(37 C,4時間)の細胞生存率(A),細胞内ROSレベ ル(B),野生型株(WT)の値を100%としたときの相対発酵力
(C, D).Δ : 破 壊 株,K63R:Lys63Arg変 異 型Mpr1 発現株,F65L:Phe65Leu変異型Mpr1発現株.
おわりに
Mpr1は,上記で述べた産業酵母の育種への応用以外 にも,さまざまなバイオテクノロジーへの展開が可能で ある.Mpr1は転写因子や膜タンパク質ではなく,ユ ニークな基質特異性を有する可溶性酵素であるため,ほ かの酵母(33)や微生物,高等生物の細胞内でも機能する と考えられる. とAZCを組み合わせることで,
酵母や植物の形質転換系における新しい選択マーカーシ ステムとして利用できることも判明した(34〜36).また,
Mpr1の基質CHOPに関しても,独創的な試みを行って いる.抗腫瘍剤や香粧品の原料として期待されている CHOPの安定性と溶解性を改善し,プロドラッグとして の有用性を評価する目的で,土壌細菌のL-プロリン - 4-ヒドロキシラーゼとMpr1を大腸菌内で共過剰発現さ せ,培地に添加したプロリンからCHOPを経由して
「 -アセチルCHOP」を生産させることに成功した(37). さらに,酵母とヒトの遺伝子や生命現象には共通点が多 いため,Mpr1はヒトにおける酸化ストレスと病気(炎 症,動脈硬化,糖尿病,免疫疾患,がんなど)との関連 性を調べる研究に貢献できるかもしれない.
筆者の一人(高木)とMpr1との出会いはまさに偶然 であった.AZC耐性クローンの中から 遺伝子を 発見したとき,また酵母の細胞抽出液にAZCアセチル 化活性を検出したときの興奮は今も鮮明に覚えている.
最近では,プロリンからアルギニン,NOと新たな代謝 系への関与と生理機能が明らかになるとともに,もう一 人の筆者(那須野)の頑張りもあり,困難を極めた立体 構造を決定することができ,「化学と生物」の醍醐味を 味 わ っ て い る.Mpr1は 研 究 に 大 切 な「オ リ ジ ナ リ ティー」と「セレンディピティ」を兼ね備えた酵素であ り,今後も基礎科学・産業利用の両面での貢献を目指し た研究を進めていきたい.
謝辞:本研究は福井県立大学生物資源学部,奈良先端科学技術大学院大 学バイオサイエンス研究科で行われたものであり,文献に記載した研究 室の教員スタッフ,博士研究員,研究技術員,大学院生,学部生の皆様 に深く感謝いたします.また,共同研究者として,Mpr1の立体構造解 析でご指導いただいた福井県立大学生物資源学部の日竎隆雄教授・伊藤 貴文助教,奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科の箱嶋 敏雄教授・平野良憲助教,パン酵母の生地発酵試験を行っていただいた 京都大学微生物科学寄附研究部門の島 純教授(現・龍谷大学法学部お よび農学研究所教授), -アセチルCHOPを合成いただいた慶応大学先 端生命科学研究所の松尾 剛特任講師,L-プロリン -4-ヒドロキシラー ゼ遺伝子を分与いただいた早稲田大学先進理工学部の木野邦器教授にそ れぞれ御礼申し上げます.本研究は,科学研究費補助金(基盤 (C)
12660084,基盤 (B) 15380076,基盤 (B) 18380062,基盤 (B) 22380061,
基盤 (A) 25252065, 挑戦的萌芽25660058),生物系特定産業技術研究支 援センター「新技術・新分野創出のための基礎研究推進事業」「イノベー ション創出基礎的研究推進事業」,および長瀬科学技術振興財団,エリザ ベス・アーノルド富士財団などの助成を受けましたことを記して深謝い たします.
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プロフィル
高木 博史(Hiroshi TAKAGI)
<略歴>1980年静岡大学農学部農芸化学 科卒業/1982年名古屋大学大学院農学研 究科生化学制御専攻博士前期課程修了/同 年味の素株式会社中央研究所研究員/1994 年同社食品総合研究所主任研究員(この 間,1986年米国ニューヨーク州立大学ス トーニーブルック校客員研究員/1988年 農学博士(東京大学))/1995年福井県立 大 学 生 物 資 源 学 部 助 教 授/2001年 同 教 授/2006年奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス研究科教授,現在に至る
<研究テーマと抱負>微生物機能の発見,
解析とその応用に広く取り組んでいるが,
特に「環境(酸化)ストレスに対する細胞 の応答・適応・耐性機構」「細胞内のアミ ノ酸とタンパク質の生理機能,代謝・活性 制御機構」をキーワードに,基礎と応用の バランスを意識して研究を進めている<趣 味>アメリカ野球,ゴルフ
那須野 亮(Ryo NASUNO)
<略歴>2006年昭和大学薬学部薬学科卒 業/同年住友精化株式会社機能樹脂研究 所/2010年奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス研究科博士前期課程修 了/2013年同博士後期課程単位取得(バ イオサイエンス博士)/同年同博士研究員,
現在に至る<研究テーマと抱負>一酸化窒 素シグナルの解析,特に関連する酵素やタ ンパク質の探索・同定・解析<趣味>お酒 を飲む,漫画を読む,歌を歌う,娘と遊ぶ Copyright © 2015 公益社団法人日本農芸化学会