730 化学と生物 Vol. 55, No. 11, 2017
酵母細胞の増殖 ・ 老化と培地成分̶制限要因としての培地 pH
培地の窒素源の違いがもたらす「晩発効果」
出芽酵母(パン酵母) は,単
細胞のモデル真核生物として分子細胞生物学の多様な研 究領域に用いられている.老化研究もその例に漏れず,
出芽酵母の分裂の非対称性に由来する母細胞の分裂回数 の有限性(分裂老化)および定常期以降の細胞の生存能 低下過程(経時老化)は,それぞれ分裂細胞,非分裂細 胞の老化過程のモデルとして古くから解析されている
(図1).両老化過程は,活性酸素種(ROS)の増加を介 したプログラム細胞死が起きるという点では共通性があ るが,老化の原因には違いがあるとされている(1).
経時老化は,液体培地の栄養源を使い果たすまで増殖 した細胞が分裂を停止し,その後徐々に生存能を失って いく過程である.ペプトン,酵母エキスを含む複合培地
(YPD培地)中では,出芽酵母細胞は2カ月程度10%以 上の生存率を保つが,最小(合成)培地(SD培地)で 同様に培養した場合は,20日以内に生存率10%以下と なる(2).このことから,経時老化の速度は,定常期以降 の培地中で不足する成分が決定していると考えられる.
実験室で使われている出芽酵母系統の多くは栄養要求性 変異をもつため,自身で合成できないアミノ酸,核酸塩 基などは長期培養の過程で不足するはずである.実際,
増殖に必須なアミノ酸の合成培地への添加量の多寡は,
経時老化の速度に影響を与える(3).では,必須アミノ酸
と自身で合成可能な非必須アミノ酸とで,経時老化に与 える影響は同じなのだろうか? また,経時老化に影響 を与えるとされている遺伝子は,どのような遺伝的背景 でも同じ効果をもつのだろうか? これらの疑問を解く べく,網羅的遺伝子破壊株の遺伝的バックグラウンドと して使われている出芽酵母BY系統から,アミノ酸要求 性変異を正常に戻した原栄養株を作成し,経時老化に対 するアミノ酸の効果が検討された.その結果,合成培地 にアミノ酸を添加すると原栄養株の経時寿命が伸びるこ と,その効果は特定のアミノ酸の量に依存するというよ りも,アミノ酸の総量に依存することが示された(4).
では,非必須アミノ酸の投与は細胞にどのような変化 を起こしているのだろうか.30 Cでの培養では,合成培 地に含まれる炭素源としてのグルコース(初濃度20 g/L)
はアミノ酸添加の有無にかかわらず3日目までに完全に 消費され,その時点で細胞は最大収量の9割程度の濃度 にまで増殖している.一方,窒素源として加えられてい る硫酸アンモニウム由来のアンモニウムイオン(初濃度 0.2 g/L)は,これ以外に窒素源を含まないアミノ酸不含 合成培地での培養でも7割程度が残存している一方,ア ミノ酸含有培地に添加されたアミノ酸(総量で初濃度 1.2 g/L)は3日までに培地から消失する(図2).その後 の培地交換実験などから,アミノ酸添加の有無による経 時老化速度の差は,定常期の培地状態の違い,具体的に
図1■出芽酵母の分裂老化と経時老化 図2■出芽酵母を合成培地で培養した際の成分の経時変化
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は最終的なpHの違いに起因することが明らかとなっ た.すなわち,アミノ酸を窒素源として利用する条件で は培養液のpH低下が抑制され,アミノ酸不含培養にお いても,定常期の培地pHをアミノ酸含有培養時の定常 期pHと同等に調整するだけで,アミノ酸添加による経 時老化遅延効果が再現されることが示された(4).
酵母の液体培養中に培地が酸性化していくことは以前 より知られており,酸性環境ではミトコンドリアが障害 を受け,その結果細胞死の原因となるROSが産生され ることが報告されている(5).このことから,経時老化速 度に培地のpHの低下が関係することに不思議はない.
筆者らが作成した原要求株では,アミノ酸不含合成培地 では培養開始時のpH 4.0から,3日までにpH 2.0付近に まで低下する(アミノ酸含有培地では2.5付近で落ち着 く).ここまでのpHの低下は細胞の増殖に対して有害 なレベルであり,培地のpHをNaOHを用いて3.0にま で戻すと,いったん停止した細胞の増殖が再開し,細胞 数がさらに増加する.このことは,窒素源としてアンモ ニウムイオンのみを含む培地においては,特定の栄養源 の枯渇よりも先に,外部環境の悪化(培地pHの低下)
が原栄養株の増殖の制限要因となっていることを示して いる.一方,栄養要求性株を用いると,培地の必須アミ ノ酸量が制限となって増殖が早期に止まり,その結果培 地pHの低下が抑えられる.このとき,経時寿命は原要 求株よりも長くなる場合が多い.すなわち,原栄養株は 栄養要求性株よりもよく増殖できるため周囲の環境をよ り汚染してしまい,それが最終的に自分の首を絞めると いう皮肉な事態が起きていることになる.
培養により培地が酸性化する原因としては,細胞外へ と放出される有機酸,細胞膜を介した二次能動輸送を駆 動するために汲み出される水素イオンが挙げられてい る.アミノ酸含有培地での培養中,培地のアミノ酸は速 やかに消費される一方でアンモニウムイオンの量はむし ろ増加する(4)ことから,酵母は取り込んだアミノ酸の一 部をアンモニウムイオンの形で培地に放出することで,
少なくとも部分的に培地の酸性化を抑制しているようで ある.実際,窒素源としてアミノ酸のみを含む合成培地 を用いると,培地に元々含まれていなかったアンモニウ ムイオンが培養液に蓄積されていく現象が観察される
(この際培養に伴ってpHはむしろ上昇する).細胞が放 出するアンモニウムイオンが,固形培地上のコロニー内 の細胞間のシグナルとしてはたらいているとの報告もあ ることから(6),液体培地で見られるアンモニウム放出の 本来の生理的意義も別のところにあるのかもしれない.
こうして考えてくると,われわれが経時老化と呼んで いる現象が,硫酸アンモニウムという安価な窒素源の利 用により生じた,自然環境下では起き得ない特殊な現象 である可能性を,多少は覚悟しておく必要があるかもし れない.ただ,pHが低下しない培養条件であっても,
ゆっくりではあるが経時的な細胞死は明らかに起きてお り,その際の細胞の老化と今回紹介した培地pH低下環 境での「早期の経時老化」との共通点はあると思われ る.注意は必要ではあるが,酵母の経時老化は今後も老 化を研究する優れた実験系であり続けるであろう.
1) P. Laun, M. Rinnerthaler, E. Bogengruber, G. Heeren &
M. Breitenbach: , 41, 1208 (2006).
2) M. MacLean, N. Harris & P. W. Piper: , 18, 499 (2001).
3) P. Gomes, B. Sampaio-Marques, P. Ludovico, F. Rodrigues
& C. Leao: , 128, 383 (2007).
4) Y. Maruyama, T. Ito, H. Kodama & A. Matsuura:
, 11, e0151894 (2016).
5) N. Guaragnella, M. Zdralevic, L. Antonacci, S. Passarella, E. Marra & S. Giannattasio: , 2, 70 (2012).
6) L. Vachova & Z. Palkova: , 169, 711 (2005).
(松浦 彰,千葉大学大学院理学研究院)
プロフィール
松 浦 彰(Akira MATSUURA)
<略歴>1988年東京大学理学部生物学科 卒業/1993年同大学大学院理学系研究科 博士課程修了/同年日本学術振興会特別研 究員/1994年東京工業大学生命理工学部 助手/2000年国立長寿医療研究センター 室長/2006年千葉大学理学部教授/2007 年同大学院融合科学研究科教授/2017年 同大学院理学研究院教授,現在に至る<研 究テーマと抱負>細胞の分裂・成長の共役 機構とその破綻がもたらす分子病態<趣 味>鉄道旅行,散歩,野球観戦
Copyright © 2017 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.55.730
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