• Tidak ada hasil yang ditemukan

1」と呼ぶのに対して、

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2023

Membagikan "1」と呼ぶのに対して、"

Copied!
13
0
0

Teks penuh

(1)

はじめに

戦後に独立を達成した近代化途上の若い諸国が多く、国家(政府)が政治、経済、社会生 活において大きな力を有しているアジアにおいても、近年、「トッラク2」(官民混合の協議 体)の活動が活発になっている。政治や経済の課題を先取りし、それに対処するための政策 アイディアを政治過程に注入し、国際社会の合意形成を牽引しようという動きが近年台頭 している。政治的民主化に伴って政策決定の説明性(accountability)を高めなければならない という政府の事情が、こうした動きをいっそう促進している。

そうした活動を先導するグループを国際関係の学者たちは「エピステミック・コミュニ ティー」(政策志向型の専門家集団)と呼び(1)、彼らの協議・合意形成の過程を、政府間協議 を「トラック

1」と呼ぶのに対して、

「トラック

2

(あるいはセカンド・トラック)」プロセス と呼んでいる(2)

「トラック

2」プロセスには、公的なプロセス

(トラック1)を補って、相互の利益を確認 し信頼を醸成するためのコミュニケーションを円滑にし、新しい政策アイディアを学習し、

地域の最大公約数の所在を確認し、地域協力の意義を確認できるという利点があると言わ れる。また、地域協力のあり方をめぐって政府関係者が、公式の立場にとらわれることな く、実質的な「交渉」を行なうこともできる(3)

本稿の目的は、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国の外交政策研究機関からなる戦略国際 問題研究所連合(ASEAN-ISIS)の活動を通じて、トラック2の機能を検討することにある(4)

ASEAN-ISIS

に関しては、さまざまな評価がある。一方で、ASEAN-ISISの活動を、アジア太 平洋におけるセカンド・トラックの先鞭であると高く評価する声がある(5)。確かに、トラッ ク2という言葉が今日のように一般的に使用される以前から、ASEAN-ISISはトラック

2

外交 を実質的に行なってきたのであり、その最初の事例であるとも言える(6)。他方で、ASEAN 各国の利害と国内政治の強い影響を受け、その政治的利害を擁護する役割を担うという政 治的限界を抱えているとの見方もある。また、ASEAN-ISISが東南アジアと世界との交流を 独占した結果、東南アジアと世界との幅広い交流を阻害しているとの評価もある。

本稿はASEAN-ISISの活動を検討するにあたって、「政策ネットワーク」の側面に着目し たい。トラック2の活動を評価する際に、「アイディア」「ネットワーク」「リーダーシップ」

という三つの側面に着目するのが一般的であるが、ASEAN-ISISの活動の特徴は、ASEANの

(2)

将来にとって重要と思われる事象を先取りし、関係諸団体を糾合し、政府関係者との間の 協議の場を設定し、新しい政策形成のための議論を促す「政策ネットワーク」としての機 能にあると思われる。ASEAN-ISISの機能は、広範な政策ネットワークを活用して東南アジ アやアジア太平洋の課題を巧みにつかみ、官民の議論を誘発し、政策形成過程にアイディ アを吹き込む、アイディア伝達役(policy entrepreneur)のそれであろう(7)。ただし、ASEAN-

ISIS

のそうした活動の多くはアドホックであり、政策形成への影響力も、一般に考えられて いる以上に限定的である。

ASEAN-ISISは独自の斬新な政策構想を共同して打ち出す組織ではない。政策構想力を支

える調査研究能力という点では、ASEAN-ISISは脆弱である。加盟研究機関の多くは財政的 にも人的にも小規模であり、独自に調査研究を行なう力を有しない。その機能は、斬新な アイディアを自ら創出して政治過程を動かすというよりは、すでに他の地域(多くは先進諸 国)で提起された新しいアイディアを地域に根付かすうえでの「ローカル化」という側面で あろう。一般に新しいアイディアを地域の国際関係や国内政治に導入する際に、それを地 域や国家固有の慣行や社会的伝統と融合させる作業が必要な場合がある。植民地から独立 してまだ日の浅い東南アジア諸国においては、とりわけ先進諸国で生まれたアイディアが 地域に根ざすにはそうした手続きが重要である(8)

本稿は以上を念頭において、ASEAN-ISISのこれまでの活動の主たるテーマであった二つ の問題領域、すなわちASEAN協力の推進とアジア太平洋協力のなかでの

ASEAN

の役割と いう喫緊の問題にどのように取り組んできたのかを素描し、最後にトラック

2外交という観

点からASEAN-ISISの機能を評価し、今後の課題を検討してみたい(9)

1

東南アジア、アジア太平洋の国際関係のなかの

ASEAN-ISIS

1

ASEAN-ISIS

の組織構造

ASEAN-ISISとは、1987年に発足した ASEAN

の各国に基盤を置く国際問題や戦略問題を 専門とする研究所の連合体である。事務局はジャカルタの戦略国際問題研究所(CSIS)のな かに置かれている。ASEAN-ISISは設立に際して憲章に署名しているが、基本的には緩やか な組織であり、その活動は各国の関係者の人的な繋がりに多くを依存している。また、

ASEAN

各国の戦略国際問題研究所は、ナショナルな性格を強く帯びている。これは、

ASEAN-ISIS

ASEAN

の発展に貢献しようとする限り、それぞれの国の個別の事情を十分 に反映していることが必要であったという事情によるものであろう。

ASEAN-ISIS

はトラック2の先駆けと言われるが、ISISメンバーの組織形態は多様である。

ベトナムのIIR(国際関係研究所)のような外務省傘下の組織もある。マレーシアのISIS(戦 略国際問題研究所)はその運営資金の多くを政府に依存し、政府から職員の派遣も受けてい る。フィリピンのISDS(戦略開発問題研究所)のように、組織的にも資金的にも政府から完 全に独立している組織もある。インドネシアのCSISは、当初は政府との関係がきわめて深 かったが、近年独立機関としての性格を強めている。シンガポールのSIIA(シンガポール国 際問題研究所)も、政府からの支援はあるものの、基本的には自ら資金を集め、自主的に運

(3)

営されている。

ジャカルタのCSISなどを除くと研究機関としてはいずれも脆弱である。メンバーの多く は財政基盤の弱い、数人程度の小規模なスタッフのみで運営している組織であり、しかも 財源の多くを外部の(特に欧米、日本、カナダ、オーストラリアの)政府や財団の援助に依存 している(10)。また、自前の活動資金をもたず、したがってASEAN-ISISのメンバーであるこ とに伴うコスト(会費など)は発生しない。金銭的な自己負担の少ない連合体である。例え ば、ASEAN-ISISの会合の費用等は、通常は各国の自己負担か域外の政府や財団の支援を受 ける。ASEAN-ISISの組織構造はきわめて緩やかなものであり、また

ASEAN-ISIS

の内部に は、国家間の多様性を反映した政策選好の違い、メンバー間の軋轢、政府との距離感の違 いもある。

こうした組織的な脆弱性を抱えているにもかかわらず、ASEAN-ISISに対する国際的な認 知度は高い。これはなぜなのか。一つは、ASEAN-ISISが内部の違いを乗り越えて、東南ア ジアおよびアジア太平洋の政策コミュニティーのなかで、ASEANの政策研究連合体として の一体性を保ち、特に域外諸国との政策対話の中心的位置を占めてきたことにある。

ASEAN-ISISの関与する政策対話のネットワークは世界全体に拡大しており、日本や韓国、

中国、米国、カナダ、オーストラリアなどのアジア太平洋地域の研究機関のみならず、欧 州のそれとも幅広い対話のネットワークを構築している。また、政治的に機微な台湾との 間でも定期的な安全保障協議の場をもっている。こうした政策ネットワークを通じて

ASEAN-ISISは、太平洋経済協力会議

(PECC)やアジア太平洋安全保障会議(CSCAP)の設 立など、アジア太平洋のセカンド・トラックの制度形成に中心的役割を果たしてきた。

第二は、ASEAN-ISISという地域連合体を背景に行なっているいくつかの活動を通じて、

国際問題に関する

ASEAN

を代表する連合体であるとの内外の評価を勝ち得たことである。

ASEAN-ISISの活動は間歇的であり、恒常的に共同プロジェクト実施しているわけではない

が、ASEANが直面する主要な問題について時宜にかなったメモランダム(11)を作成し、それ らを各国政府に伝達し、官民の議論を喚起することによって、ASEANの進むべき方向に一 定の影響力を行使した事例があり、その結果ASEANを代表する研究団体連合であるとの評 価を得た。また、「アジア太平洋ラウンドテーブル」(1980年代からマレーシアで毎年開催され ている安全保障の会合)、ASEAN諸国の市民社会運動を促進するための各国の非政府組織

(NGO)を糾合して開催される「ASEAN市民集会(ASEAN Peoples Assembly)」など

ASEAN-

ISISが運営の責任を負う主要な事業は、ASEAN

の行方を占う貴重な機会であると域外諸国

の関係者に認識されていることであろう。

第三に、ASEAN-ISISの活動を支える人的ネットワークの広がりと厚みである。人的にも 財政的にも脆弱なASEAN-ISISを支え、その評価を高めてきたのは、人的なネットワークの 強さと広がりである。ASEAN-ISIS内部に築かれた少数の人々からなる「コア・グループ」

の結束と彼らの国際的ネットワークがASEAN-ISISを支えてきた。域外諸国の政府や財団の 資金援助に活動の多くを依存してきたASEAN-ISISであるが、そうした資金調達を可能にし たのも、「コア・グループ」の世界に広がる人的ネットワークである。

(4)

2)「コア・グループ」の形成と政策ネットワーク

ASEAN-ISISの設立以降の動きをみると、この「コア・グループ」の重要性が理解できよ

う。東南アジアで政治・安全保障問題を研究する研究機関が設立されたのは比較的近年の ことである。権威主義体制のもとで政府が政策案件をほぼ独占してきたという事情がその 背景にある。しかし、経済成長に伴い国際社会との関係が拡大し、政府の取り組むべき地 域的・国際的課題が複雑化するに伴い、政策立案のための公的機関が十分に育っていなか った政府の側においても民間シンクタンクの研究や調査、政策勧告に対する需要が高まる。

この結果、1980年代に入ると、ASEAN各国に国際関係や安全保障問題を研究する機関が設 立されることになる。

これらの研究機関は、濃淡はあるもののいずれも政府との関係を重視してきた(12)。研究 機関相互の関係は当初は希薄であったが、ASEANが有力な地域組織として国際社会におい て注目を浴びるのと並行して、研究機関の間の相互提携も強化されることになる。

ASEAN-ISIS

は地域の連合体であるが、各国の研究機関の力には大きな格差があり、実

質的な中心は、インドネシア、フィリピン、マレーシアなどである。そして、活動の中心 にいるのがジャカルタの戦略国際問題研究所(CSIS)のユスフ・ワナンディ(Jusuf Wanandi)

である。1980年代、90年代とASEANの経済発展に伴って

ASEANの国際的立場は急速に強

化される。これに付随して、ASEAN-ISISも東南アジアを代表する知識人のグループとし て、東南アジアはもとより広くアジア太平洋、あるいは国際場裡でその影響力を高める が、そうした実績はワナンディの巧みな組織運営なしにはおそらく不可能であったであろ う(13)

あらゆる活動がそうであるように、地域諸国の多様な意見を集約し、合意点を探し、合 意に基づいて具体的な活動を推進する政策プロモーターの存在が不可欠である。ASEAN-

ISISにおいてこの役割を演じてきたのはユスフ・ワナンディである。1971

年の

CSIS

の設立 に参画したワナンディは、対立の激しい

ASEAN諸国の意見をまとめ、ASEAN

の連帯と結束 を演出し、主要大国の対立に分け入ってASEANの利益の促進を図った。その間に形成され た人的ネットワークは巨大なものである。

1984

年8月、ワナンディの呼びかけで、バリ島に

ASEAN

の戦略国際問題研究所の代表が 集まる。参加したのはジャカルタのCSIS、ノルディン・ソピー(Noordin Sopiee)率いるマレ ーシアの戦略国際問題研究所(ISIS)、クスマ・スニットウォン(Kusuma Snitwongse)らのタイ のチュラロンコン大学付設の安全保障国際関係研究所(ISIS)関係者、ラオ・テクスン(Lau

Teik Soon)

らシンガポール国際問題研究所(SIIA)の

5

機関の代表およびフィリピンからカ

ロリーナ・ヘルナンデス(Carolina Hernandez)らが参加した。ハディ・スサストロ(Hadi

Soesastro)

、クララ・ジョワノ(Clara Jowono)らの

CSIS

関係者がワナンディを補佐した。

その後会合を重ねて、

1987

年のシンガポールでの第4回会合において

ASEAN-ISIS

設立の 文書に署名、ASEANの戦略国際問題研究所連合(ASEAN-ISIS)として正式に発足すること になる。その後、1991年にマニラに戦略開発問題研究所(ISDS)が設立され、ASEAN-ISIS の正規のメンバーに加わる(14)。そして、設立に関与した東南アジア諸国の国際関係研究所の

(5)

関係者の間に緊密な個人的関係が築かれることになる。彼らがその後ASEAN-ISISのコア・

グループを結成することになる。今日、ノルディン・ソピーが鬼籍に入るなどコア・グル ープは縮小しつつあるが、ワナンディ、ハディ・スサストロ、カロリーナ・ヘルナンデス、

ジャワール・ハッサン(Jawhar Hassan、マレーシア)などが引き続きコア・グループを構成し、

ASEAN-ISISを率いている。

ISISグループは ASEAN

のインドシナ拡大を視野に入れて、新規加盟国の国際問題研究機 関との提携を深め、ASEAN Wayと呼ばれる

ASEAN

の戦略外交文化の浸透を図った。1995 年にはベトナムのASEAN加盟を念頭においてハノイの国際関係研究所(IIR、外務省付属の 研究・研修機関)が加わる。また

1997

年にはカンボジア協力平和研究所(CICP)が

7

番目の 加盟研究機関となる。ラオスに関しては、1999年5月にラオス外交政策研究所がメンバーに 加わる。ASEAN議長国がそうであるように、ASEAN-ISISの議長は

1年ごとに各研究所の代

表の持ち回りであったが、近年この方式は破棄され、メリット・ベースで選ばれるように なっている。なお、ミャンマーに関しては、ミャンマーのASEAN加盟の前後に

ASEAN- ISIS

のカウンターパートを設立すべくミャンマー政府と協議を行なったが、今日に至るまで ミャンマーの正式加盟は実現していない。

コア・グループの人的ネットワークを通じて、ASEAN-ISISと政府との関係も制度化され る。ASEAN各国政府への献策を重視する

ISIS

にとって、政府との公式の関係を築くことは 重要であった。ASEAN-ISISと地域組織としての

ASEAN

との関係は、1993年に大きく変わ る。同年4月、ASEAN-ISISは

ASEAN

の高級事務レベル協議(ASEAN-SOM)の場に招かれ、

意見具申を求められることになる。これ以降、ASEAN-SOMとASEAN-ISISとの間に正式の 協議関係が確立されることになり、それまで

ASEAN-ISIS

作成のメモランダムを通じての

ASEAN

の事務レベル協議への意見具申や、各メンバーを通じてそれぞれの政府に対してな

されていた政策アプローチは、その後ASEAN-SOMとの制度的な枠組みのなかで行なわれ ることになる。ASEAN地域フォーラム(ARF)においても毎年開催されるARF-SOMに先立 ってASEANの

SOM

が開催されるが、ASEAN-ISIS代表がこの席に招かれ定期的に協議を行 なっている。

こうしたコア・グループの活動を支えるのが国際的に広がる政策ネットワークである。

コア・グループが各国の政府関係者、研究機関、専門家との間に築いた幅広いネットワー クがASEAN-ISISの活動に動員された。ASEAN-ISISは

1991年以来、ASEAN

が直面する課題 について数多くのメモランダムを作成してきたが、それらの文書類はASEANの研究機関の 総意として、各国の政策当局や

ASEAN

での協議の場に提示された。その最初の文書である

“A Time for Initiative”

(1991年)はARF設立に大きな影響を及ぼしたと言われるが、そこには

ASEAN-ISISの活動への日本政府関係者などの関与と支援があった

(15)。また、そうした幅広 い政策ネットワークを有していることが、ASEAN諸国の政府の間に

ASEAN-ISIS

への期待 と信頼を醸成してきた。

(6)

2

アジア太平洋の地域協力と

ASEAN-ISIS

1

ASEAN

共同体と

ASEAN-ISIS

ASEAN-ISISの活動の中心は大きく分けて二つある。一つは東南アジア諸国の直面する政

治・経済・安全保障問題について、関係各国政府への政策提言や官民対話の場を提供する ことを通じての、東南アジアの相互理解の促進と地域の結束の強化への寄与である。

ASEAN

という地域制度の強化を通じて東南アジア諸国の政治・経済的基盤を強化し、あわ

せて

ASEANという地域組織の強化を図ってきた。

ASEAN-ISIS

がこれまで重視してきたのは、政策アイディアを通じての

ASEAN

政府の意 思決定過程への影響力の行使であった。ASEAN事務局の調査活動を支援し、ASEAN-SOM との制度的な協議の枠組みを作り、政策勧告を政治過程に注入することに大きな努力を払 ってきた。

近年では、ASEAN諸国が直面する国内の諸問題への地域共通の取り組みを唱導し、

ASEAN

の拡大に伴う加盟諸国間の政治・経済・社会的な格差を是正するための方策の検討

と政府への政策助言が主要な活動になっている。

ASEAN

は近年、ASEAN共同体の設立を共通の目標に掲げている。これに呼応して

ASEAN-ISISにおいても共同体構築への献策がその活動のなかで重視されている。そして、

東南アジア諸国の政治的民主化がASEAN-ISISのそうした活動の余地を広げている。

ASEAN共同体に向けての ASEAN-ISIS

の近年の活動で特徴的なのは、市民社会の関与の 拡大を強調していることであろう。ASEAN-ISISは近年、ガヴァナンスや市民社会の問題に 関心を示し、この分野での活動を強化している。その背景には、通貨危機によって露呈し た東南アジア諸国の政治・経済・社会的な脆弱性に対する深刻な認識があるのは言うまで もない。ASEAN-ISISは東南アジアのエリートの集団であるが、「ASEANは結局のところ政 府のフォーラムであり、そこに『市民』は存在しなかった」という認識がASEAN-ISIS関係 者の間で共有されているようである(16)。ASEANが東南アジアの「諸国民」の組織ではなく、

「政府」のそれであったとの反省にたち、例えば1999年以来定期的に開催している「ASEAN 市民集会」の試みなどは、ASEAN-ISISの最近の関心を知るうえで興味深い。このフォーラ ムは、東南アジアで活動しているさまざまなNGOの参加を得て開催されているが、そのテ ーマは人権から環境、エイズ、児童労働など多岐にわたる。これらの活動は、市民社会の 多様な集団の声をASEAN協力のなかに組み入れることによって、それぞれの国の社会的強 靱性とASEAN協力の社会的基盤を強化しようという試みである。

ASEAN-ISISが会議のプログラムを決定している「アジア太平洋ラウンドテーブル」にお

いても、共通テーマこそ毎年変わらないものの(アジア太平洋の紛争と信頼醸成)、近年その 中身は大きく変化しており、伝統的な軍事・安全保障問題よりも、市民社会の形成に伴う 諸問題(国際関係における市民社会の意義、女性と紛争、人身売買や環境などの国境を越えた諸 問題など)、「人間の安全保障」などが重視される傾向にある。これは、市民社会の強化こそ がASEANを強靭にする道であるとの認識によるものであろう。

(7)

そして、こうした動きに呼応するように、ASEAN-ISISのメンバーである研究機関の研究 体制や研究課題にも変化がみられる。かつて中心を占めてきた伝統的な政治・安全保障に 取り組む専門家の数は減り、代わって「良き統治」「市民社会のネットワーク」「非伝統的安 全保障」などの専門家や、それらの課題に取り組むプロジェクトが急速に拡大している。

もとよりこうしたテーマについてのASEAN各国参加者の意見は多様であり、共通の認識が 形成されるには時間が必要である。しかし、そうした困難な努力を始めたことにASEANの 市民社会形成への胎動をみることができよう(17)

2) 民主化と研究機関の役割―インドネシアの事例

東南アジアの主要メンバー、とりわけインドネシアの政治的民主化がこうしたテーマへ の取り組みを促している。インドネシアの変化は、CSISの活動を活発にしている。スハル ト政権を支える研究機関として発足したCSISも、同政権末期には政権との関係が緊張する が、同国の政治的民主化の進展とともに、再びその影響力を回復しつつあるかにみえる。

1997年のアジア通貨危機を契機にインドネシアは劇的な政治・経済的変化を経験し、そ

の混乱はまだ終息していないが、そうした政治的変化を受けて、インドネシア政府のなか にも、また民間研究機関のなかにも、国際社会や地域においてインドネシアの意義ある役 割を模索する動きが顕在化しつつある。「インドネシアは国内政治・経済の混乱への対処で 忙殺されている」という一般的な評価とは裏腹に、政治的民主化に自信を深めたインドネ シアの政府・政治家・研究者の間に、生まれ変わったインドネシアの新しい外交を印象付 ける、国際関係の分野で意義ある役割を果たしたいとの強い願望が生まれている。朝鮮民 主主義人民共和国(北朝鮮)の核問題解決のための役割を模索し、ASEAN憲章の制定で

「改革案」を主導し、イスラムと欧米社会との対話と相互理解を促進するための外交努力を 行なうなど、近年インドネシアの外交は活発化している。最近では、インドネシア外務省 が主導して、各国関係者を集めた「民主主義フォーラム」も設立された。スハルトの権威主 義体制から脱却し、民主化の道を歩み始めたインドネシアの経験を他の

ASEAN諸国に伝え、

東南アジアの政治の近代化に貢献したいとの願望がインドネシアの官民に等しくみられる。

民主主義や人権の擁護をASEAN共通の規範にしようとの声は、インドネシア政府や議会 のなかに台頭している。例えば、インドネシアの議会には「ミャンマー・コーカス」と呼 ばれるミャンマーの人権や民主主義に関心を有する若い議員のグループがあり、彼らは政 府に対してより強いミャンマー政策を求めて圧力を加えている。この一つの事例は、国際 連合安全保障理事会に英米が提案したミャンマー非難決議への対応である。インドネシア 政府は当初これに反対する意向であったが、議員の声に押されて最終的に棄権を選択した と言われる。そして、こうした議論に背後から圧力をかけているのが、民主化後に数多く 生まれた人権NGOである。CSISの関係者もこうした動きに積極的に関与している。

政府の側でもこれに呼応した動きがみられる。民主化以降、政府は外部の専門家の声を 政策決定過程に反映させるべく、さまざまな措置を講ずる。ハッサン・ユダユラ外相は

「外交政策朝食会」を設け、外部の専門家の声を聞く機会を増やし、外務省も専門家ラウン ドテーブル会合を開催し、外部の大学や研究機関の声を聞くとともに、政府の政策の説明

(8)

の機会を増やす。また、インドネシア政府、議会関係者のなかには、国際社会のなかでイ ンドネシアが意義ある役割を果たすための新しい外交構想と戦略を渇望する人たちがいる。

改革された議会は従来よりもはるかに外交政策の形成に影響力を有するようになった。そ して、議会には民主化に自信を深めた若い世代の政治家たちが急速に台頭しつつある。こ うした人たちが助言を求めるのが、インドネシアの研究機関の関係者である。こうして、

インドネシアにおいては、政治家や政府関係者と民間研究者との交流は急速に拡大しつつ ある。

以下では、ASEAN安全保障共同体構想がインドネシアの公式の提案となるまでの過程を、

政府と研究機関、特にCSISの研究者との関係を中心に概観してみたい。

ASEAN

安全保障共同体構想をインドネシア政府が提案するに当たって大きな役割を果た

したのはCSISのリザール・スクマ(Rizal Sukma)である。彼と外務省の関係者の間で、2003 年7月にインドネシアが

ASEAN議長国になることから、ASEAN協力を深化させるための新

たな構想が必要であるとの認識が生まれた。その際に、考慮すべき要因は二つあった。一 つはASEANがすでに取り組んでいる

ASEAN

経済共同体構想に対応して、政治・安全保障 の分野での協力を強化することで、ASEAN協力を均衡がとれ、かつ包括的なものに進化さ せる必要があるということ。もう一つは、ASEAN協力を、より広い地域協力の観点から見 直すことである。特に、政治・安全保障の分野では、1994年に発足した

ARFがさまざまな

批判にさらされており、ASEAN協力を実質的に前進させ、ASEANという組織に対する信頼 性を回復する必要があった(18)

リザール・スクマによれば、こうした問題意識をもった外務省関係者とCSISの研究者と の協議は2002年初めに始まったという。その際、リザールと外務省中堅幹部との人的な繋 がりが双方の意見交換を緊密なものにした。そして早くも

2002

5月ごろには、ASEAN

安 全保障共同体の構想を提起することが外務省関係者の間で固まる。2002年末、安全保障共 同体の構想を協議するためにリザールは外務大臣や関係局長との会合に臨む。それを受け て共同体構想を起案するが、インドネシア外務省はほぼその内容を政府案として採用した という(19)

2002年末以降、インドネシア外務省は ASEAN

安全保障共同体構想を関係諸国に打診する が、リザールらもこれに呼応してこの構想の採択を目指してASEANメンバー国の関係者と 協議を進める。そうした協議を通じてリザールがこの構想を対外的に打ち出したのが、2003 年6月のニューヨークでのセミナーにおいてである(20)

ASEAN

首脳会議でASEAN安全保障共同体構想を盛ったASEANコンコード

II

が採択され る。その後、次のASEAN首脳会議が開催されるビエンチャンでの行動計画作りが争点にな る。構想倒れにしないためにも、具体的な行動計画の策定が重要であった。

そして、東南アジア諸国の政府機構がいまだ脆弱で、新しい問題への効果的な取り組み ができない状況にあったことが、こうした民間研究機関に大きな活動の場を提供すること になった。また、政府の側においても、ASEAN-ISISを通じて、広くアジア太平洋や世界に

ASEANの声を伝達できるという利点もあったと言えよう

(21)

(9)

3) アジア太平洋協力・地域制度形成と

ASEAN-ISIS

ASEAN-ISISのもう一つの活動領域は、域外諸国の研究機関との提携の強化である。東南

アジアの政治・経済環境は、国際政治や国際経済の動きに大きく影響を受ける。したがっ て、ASEAN協力を推進する際にも、域外との関係に目配りをしなければならない。特に

1980年代以降、アジア太平洋や東アジアの協力をめぐる動きが活発になり、新しい地域制

度が構築されることになる。そうした地域協力組織の態様と動態はASEANの将来にも大き な影響を及ぼすものであり、それらが

ASEAN

諸国の利害に反しないよう、地域制度のあり 方をめぐる議論に積極的に関与し、その意向を反映させる必要があった。

そして、日米中ソ(ロ)という世界の主要大国が関与するというアジア太平洋の戦略環境 は、大国同士が相互に牽制しあう結果、地域の問題についての議論の行方や地域制度のあ り方(組織論)をめぐって、ASEANにイニシアティブ行使の余地を生むことになった。

ASEAN-ISIS

の活動は、こうしたアジア太平洋の戦略状況を背景に行なわれてきた。そして、

それぞれの国における

ASEAN-ISISの指導者たちの影響力

(政策決定者との緊密な関係などを 通じて行使される)が、ASEAN-ISISの国内・地域・国際的な立場を強化してきた。

ここではアジア太平洋のトラック2プロセスの一例であるCSCAP設立と

ASEAN-ISIS

の関 与についてみてみよう。PECCなどの経済協力の分野でのトラック2の協議プロセスが進展 するに伴い、安全保障の分野でも地域共通の問題を幅広く議論するためのフォーラム設立 の動きが始まる。1991年、92年の両年、アジア太平洋の研究機関の間で地域の安全保障協 力に関する一連の会合が開催された。参加したのは

ASEAN-ISIS

のほか、日本国際問題研究 所、ソウル国際フォーラム、パシフィック・フォーラム/CSISなどの東南アジア、北東アジ ア、北米の研究機関である。1992年

12

月にソウルにおいて最終会合を開催するが、この際 にアジア太平洋の安全保障や安全保障協力の問題を協議するための常設のトラック2メカニ ズム(CSCAP: Council for Security Cooperation in the Asia-Pacific)を設立する構想が検討された。

冷戦終結後のアジア太平洋の戦略状況の不透明性・流動性の増大がもたらす危険への懸念 が安全保障の専門家たちの間で共有され、安全保障分野においても制度化されたトラック2 メカニズムを構築する必要性が認識されるようになる。

なお、この会合に参加した人々に特徴的なのは、その多くが1980年代の

PECCの設立とそ

の後の活動に深く関与していたことである。したがって、アジア太平洋の安全保障を議論 するための常設フォーラムの設立を協議するにあたって、PECCでの経験が反映されること になる。

ソウル会合ではPECCの安全保障版を設立することで合意、その旨を記した「ソウル宣言」

が採択されるが、その後設立されるフォーラムの組織論をめぐって議論は紛糾し、合意形 成に多くの時間を要した。争点のいくつかは以下のとおりである。①参加メンバーの問題。

「アジア太平洋」とは地理的にどこまでを包含するのか。②議長の選任。誰が議長を務める のか。③他のフォーラム、とくにASEAN-ISISが中心になって開催している「アジア太平洋 ラウンドテーブル」との関係。このなかで、「ラウンドテーブル」との関係は最も大きな争 点であり、その背景には新しいフォーラムの主導権をめぐって、ASEANのイニシアティブ

(10)

を重視するASEAN-ISISと、ASEAN色を極力薄めたい非

ASEAN諸国の思惑の違いがあった。

ソウル会合では、「ラウンドテーブル」を発展的に解消し、「ラウンドテーブル」が担ってき たアジア太平洋の安全保障対話の機能をCSCAPが今後担うとの了解があったが、「ラウンド テーブル」をそれまで支援してきたマレーシア外務省がこの改組案に強く反発、この構想 は挫折することになる。

ASEAN-ISISの側では、CSCAP

が設立され、広くアジア太平洋の安全保障を議論するフォ ーラムとして発展することになると、「ラウンドテーブル」の存在意義が希薄化することへ の懸念が表面化、これを避ける手段として、CSCAPと「ラウンドテーブル」を密接に関連 付けた構想が生まれる。「ラウンドテーブル」を事実上の

CSCAP

の年次総会とし、また「ラ ウンドテーブル」の事務局を担ってきたマレーシアのISISを

CSCAPの事務局として事実上

両者を一体化して

ASEAN

の主導権を維持しようという案である。しかしこの構想に非

ASEAN

諸国から強い反対が表明される。とりわけ韓国の韓昇洲教授は反対派の急先鋒であ

った。これには背景がある。韓教授は1980年代中ごろからアジアの安全保障を議論するフ ォーラム作りを進め、1984年ソウル、86年マニラで会合を重ねていた。しかしこのフォー ラムは、第

3

回会合をマレーシアで開催して以降、「アジア太平洋ラウンドテーブル」とし て事実上マレーシア・プロジェクトに変質していた。こうした経験は韓教授をして、

CSCAPが再び ASEAN

に「乗っ取られる」との懸念を強くもたせることになった。韓教授は マレーシアISISが

CSCAPの事務局を担うことにも強く反発した。

こうして

CSCAP設立案は、とりわけ「ラウンドテーブル」との関係をめぐって紛糾が続

いた。最終的にCSCAPと「ラウンドテーブル」は別個のものとして活動し、相互に組織的 な関連はもたないこと、しかしマレーシアISISが「ラウンドテーブル」の運営を通じて多国 間のフォーラムの運営に経験を有していることから、暫定的に

2

年間に限り同研究所が

CSCAPの事務局を努めることで合意、また議長に関しては ARF

との関連を重視して

ASEAN

の立場を尊重しつつも、ASEAN主導を警戒する関係者の意向を取り入れ、ASEAN、非

ASEANからそれぞれ 1

名を指名するという共同議長制を採用することで決着する。もっと

も、CSCAP総会の場所と方式などをめぐって

CSCAP

と「ラウンドテーブル」との関係はそ の後も浮上し、CSCAP内部にさまざまな議論を誘発することになる。

CSCAPの組織運営は、議長の輪番制、個別テーマを扱う作業部会を中心とした活動、定

期的な総会の開催、産官学から幅広い人材を集めた国内委員会の設立、政府関係者の参加 の慫慂、政府間組織との緊密な連携、対話の慣行作りと制度化、相互に関心ある分野での 機能的協力、コンセンサス決定、信頼醸成の重要性、積み上げ方式、漸進主義、メモラン ダムの作成など、PECCの組織論を色濃く反映するものである。

3

結  び

ASEAN-ISISはアジア太平洋のトラック 2

の先駆け、あるいはエピステミック・コミュニ ティーの一つの事例であると言われる。そもそもトラック2やエピステミック・コミュニテ ィーとはどのようなものなのであろうか。一般にトラック2には二つの見方がある。一つは、

(11)

政府の別働隊であるとの見方である。つまり政府間の交渉や協議では得られない「国益」

をトラック2のプロセスを通じて獲得しようという試みの一環であり、政府に従属している との見方である。もう一つは、トラック2の目的の一つは、狭義の国益を超えた、国境を越 えた共通の利益の追求とコミュニティーの形成にあるとする見方である。つまり、トラッ ク2が取り組むのは、「政府」ではなく「統治」であるという見方である。ASEAN-ISISの

20

年をみると、この二つのあり方の間の対立と調整の過程であったとも言える。狭義の国益 に制約されながらも国境を越えた地域の統治のあり方を模索する試みであったと言えよう。

一方、エピステミック・コミュニティーとは、特定の問題領域(例えば地球の温暖化)に 関して、問題意識と知識を共有する一連の国境を越えた専門家集団であり、そうした問題 意識と知識を政治過程に注入し、当該問題領域での事態の改善(例えば温暖化防止のための 具体的な措置)を図るべく、関連政府や機関に当該問題分野に取り組むことの意義を理解さ せるべく多様な活動を展開する政策志向型の集団である。

ASEAN-ISIS

をエピステミック・コミュニティーの事例であるとみることも可能だが、

ISIS

の関係者の間に共通の世界認識が共有されているわけではないし、共通の専門的な知識 が協力の基盤にあるわけではない。それぞれの研究機関が異なる課題と政策選好・利害を もち、しかしそうした違いのなかで共通の立場を探すべく努力をしてきたというのが実態 である。ASEAN-ISISにとって、共通の知識や専門的な理解をもつことが重要なのではなく、

したがって共通の理解や認識の基盤となる共同の調査や研究は

ISIS

では重要視されていな い。ASEAN-ISISが斬新なアイディアを打ち出したこともない。エピステミック・コミュニ ティーの教科書的定義に

ASEAN-ISISはなじまない。

本稿で検討してきたように、ASEAN-ISISの特筆すべき点は、「政策ネットワーク」および

「アイディア伝達役」としてのそれであろう。ユスフ・ワナンディやハディ・スサストロな どを中心に構成されたコア・グループが、ASEANが直面する喫緊の外交政策上の課題を見 据え、それに対応するための官民の幅広い対話の場を提供し、国際的なネットワークを通 じて獲得した知識とアイディアをこの過程に注入し、議論をリードし、政策合意を促す触 媒としての機能である。ASEAN-ISISが実際の政策決定過程に及ぼした影響力は必ずしも大 きくはないが、政策ネットワークを通じての官民の議論を喚起し、新しいASEANやアジア 太平洋の構想作りに触媒としての役割を果たしてきたことは特筆されてよい。それは

ASEANという地域組織を外に開かれたものにするうえで一定の役割を果たしたと言えよう。

ASEAN-ISISは、それぞれの研究機関の関係者の個人的な関係に基礎を置いた緩やかな連

合体である。トラック2としてのその成果は大きいものがあるが、それを可能にしたのは、

ワナンディを中心とする少数のコア・グループである。ASEAN-ISISの活動を支えているの は、その中核を構成する数少ない人々の個人的なネットワークである。このネットワーク なしにはASEAN-ISISは存在しないと言えるほどに、ワナンディ、ヘルナンデス、スサスト ロらの個人の力に多くを依存している。彼らの「外交技術」にASEAN-ISISの成功は依存し ていたと言ってよい。ASEAN加盟国の拡大に伴って

ASEAN-ISIS

は内部に多様性を抱える ことになるが、そうした多様性から生ずる相違や対立を調整し、ISISとしての一体性を何と

(12)

か維持できたのも、ワナンディを中心にしたコア・グループの結束である。しかしそうし た人々も、多くがいまや引退の時期に入りつつある。

ジャカルタのCSISは、ワナンディ自身が後継者の育成に熱心であり、自分が去った後の 活動を支える財政基盤の強化に余念がない。また、リザール・スクマという優れた後継者 を育て世代交代を準備してきた。ただ、CSISの事例は例外的である。マレーシア、フィリ ピン、タイなど若い世代が生まれつつあるものの、第一世代の力とネットワークと比べる とその限界は明らかである。

活動のための安定的な資金の確保も課題である。ASEAN-ISISの活動を支えてきたのは日 米欧加豪などの政府と財団からの支援である。このため、活動に当たっては外部の政府や 財団の優先事項を考慮せざるをえない。「良き統治」、「市民社会の育成」、「非伝統的安全保 障」などの領域での近年の

ASEAN-ISIS

の取り組みは、政治変動を経験し、市民社会を

ASEAN

協力に関与させる必要があるとの認識が育ってきたことの証左であるが、同時に先

進諸国の政府や財団資金支援に依存せざるをえず、したがってそれらの組織の優先するテ ーマを考慮しなければならないという事情も反映していると言えよう。

ASEAN-ISIS

については、ASEAN域内はもとより、ASEANと域外諸国との政治・経済・

安全保障対話のチャネルを独占しており、ASEANの多様性を反映していないとの批判があ るが、ASEANに層の厚い市民社会が形成されるにしたがって、チャネルは自然に多様化・

多層化するはずである。かつて東南アジアの国際関係、安全保障問題で他の追随を許さな い力を有していたASEAN-ISISも、競合する研究機関との激しい競争に直面している。数多 くの研究機関が設立され、また域外諸国の間にも、ASEANとのネットワークを

ASEAN-ISIS

を超えて拡大し、広く

ASEAN

の研究団体とのネットワークを作ろうという動きもある。そ の意味でASEAN-ISISの活動は、東南アジアが権威主義体制からより開かれた自由で民主的 な市民社会へと変容する過程において、ASEAN諸国の間と

ASEANとアジア太平洋を結ぶ協

議のチャネルとして、大きな意義を有していたと言えよう。逆説的だが、ASEAN-ISISの役 割が相対化されるときこそ、東南アジア諸国が真の意味で「自由化」「民主化」されたとき と言えるのかもしれない。

1) 政策志向型専門家集団(epistemic community)の役割については以下を参照。Peter M. Haas,

“Introduction: epistemic communities and international policy coordination,” International Organization, Vol.

46, No. 1, 1992, pp. 1–36.

2) 一般に「トラック2」は純然たる民間専門家だけではなく、政府関係者も「個人の資格で」参加 するフォーラムを指す。

3) 太平洋協力での民間フォーラムの機能と役割については以下を参照。菊池努『APEC―アジア 太平洋新秩序の模索』、日本国際問題研究所、1995年。

4) 筆者は1980年代半ば以来、PECCやCSCAPの活動に関与し、ASEANの研究機関関係者とのさま ざまな活動にかかわった。本稿はそうした活動を通じて筆者が得た印象も交えて記述したい。

5 Desmond Ball and Brendan Taylor, “Reflections on the Track Two Process in the Asia-Pacific Region,” Hadi Soesastro et al. eds., Twenty Years of ASEAN ISIS, Jakarta: CSIS, 2006, p. 105.

6 Brian Job, “Track 2 Diplomacy: Ideational Contribution to the Evolving Asia Security Order,” Mutiah

(13)

Alagappa ed., Asian Security Practices, Palo Altoc: Stanford University Press, 2002, pp. 241–242.

7 Oran Young, “Political Leadership and Regime Formation: On the Development of Institutions in International Society,” International Organization, Vol. 45, No. 3, 1991, pp. 281–308.

8) ただし、そうした「輸入概念」が東南アジアの独特の環境のなかで批判を受けることもしばしば ある。Chap Sotharit, “Challenges and Prospects of ASEAN-ISIS: Perspective from a New Member,” Hadi Soesastro et.al eds., Twenty Years of ASEAN ISIS, p. 119.

9 ASEAN-ISISの20年の活動の歴史については以下を参照。Hadi Soesastro et. al. eds., Twenty Years of ASEAN ISIS.

(10) 外部の財団、特に欧米や日本などの財団の支援はASEAN-ISISの活動にとって不可欠である。「良 き統治」「人権」「民主主義」「市民社会」などのテーマが選ばれている背景には、東南アジア諸国 がこうした課題に取り組む必要があるという事情もあるが、同時に先進諸国の財団が近年こうし たテーマに優先的に助成しているという事情も影響しているとの意見もある。

(11) メモランダムのテーマは安全保障から環境、人権、カンボジア問題、CSBM(信頼・安全醸成措 置)、ASEAN Vision 2020の実施など多岐にわたる。またミャンマーのASEAN加盟にあたって

ASEAN-ISISのメンバー団体は、同国の人権状況を踏まえ、同国の加盟に懸念を表明する文書をそ

れぞれの政府に送付し、再検討を求めた。

(12) ASEAN-ISISの一部には政府の支援のもとに設立され、資金的にも政府に多くを依存し、事実上

「政府の別働隊」に近い活動をしている組織もある。

(13) ワナンディの活動および国際的なネットワークの広がりについては、ワナンディの70歳の誕生 日を記念して公刊された以下の書物がその一端を教えてくれる。Hadi Soesastro and Clara Joewano eds., The Inclusive Regionalist: A Festchrift dedicated to Jusuf Wanandi, Jakarta: CSIS, 2008.

(14) Carolina G. Hernandez, “Governments and NGOs in the Search for Peace: The ASEAN-ISIS and CSCAP Experience,” paper prepared for the Alternative Security Systems Conference, Focus on Global South, Bangkok, Thailand, March 1997.

(15) 菊池努『APEC―アジア太平洋新秩序の模索』、第7章。

(16) 例えば以下を参照。Hadi Soesastro, “Civil Society and Development: The Missing Link,” Policy, Spring 1999, pp. 10–14.

(17) 最近のASEAN-ISISの関心を知るうえで以下の書物は有意義である。Simon Tay, Jesus Estanislao and Hadi Soesastro eds., A New ASEAN in A New Millennium, Jakarta: CSIS, 2000.

(18) リザール・スクマとの面談。2008年7月16日。

(19) Rizal Sukma, “ASEAN ISIS and Political-Security Cooperation in Asia-Pacific,” Hadi Soesastro et. al. eds., Twenty Years of ASEAN ISIS, p. 93.

(20) Rizal Sukma, “The Future of ASEAN: Towards a Security Community,” paper presented at A Seminar on

“ASEAN Cooperation: Challenges and Prospects in the Current International Situation,” New York, June 3 2003.

(21) リザールの構想は政府に取り上げられることになるが、その後のASEAN加盟国間の交渉は政府 によって担われ、リザールらの関与は限定的なものにとどまったという。リザールとの面談。2008 年7月16日。

きくち・つとむ 青山学院大学教授/日本国際問題研究所客員研究員 [email protected]

Referensi

Dokumen terkait

[r]

在宅介護を希望する理由は, 図11のように, 「家族に迷惑をかけたくないから」 30% 4人, 「自分の家が安心できるから」 31% 4人, 「無 回答」 23% 3人, 「お金がかかるから」 8% 1人, 「介護施設が嫌だから」 8% 1人 で あった。 図11 在宅介護を希望する理由 在宅介護を希望しない理由は, 図12のように,

○取組3:日本語教育シンポジウムの開催 (1) 体制整備に向けた取組の目標 地域住民に日本語教室の周知および理解促進を図る。 (2) 取組内容 (3) 対象者 地域住民、日本語教室関係者、行政担当者、教育関係者 (4) 参加者の総数 75人 (出身・国籍別内訳 ) 日本 66人,中国 2人,韓国 2人、イギリス2人、フィリピン2人、アメリカ1人 (5)

い。国家間の懸案は交渉によって解決すべきものであり、裁判等に訴えるのは非友 好的ないし敵対的な態度だという見方である。20世紀後半、日本と米国の間には常 に懸案があったが、裁判によって処理するという発想はなかった。現在では日本は 米国を相手どってWTO紛争解決手続にしばしば提訴しているが、その前身である関

[r]

「人を対象とする研究」計画等の審査についての申し合わせ 1.(目的) この申し合わせは、大阪樟蔭女子大学研究倫理委員会(以下「委員会」という)規程第11条に定める、 「人を対象とする研究」計画等の審査に係る研究計画審査会(以下「審査会」という)の運営等について定め

要約 2003年から施行される教育基礎を先取りして数学学習 における数学史利用の実践例を提示し、生徒が数学観 を再構築し、「数学を文化」であると捉えるような授業 の可能性を考察する。今回は方程式の解の公式を教材 とし、「数学を文化として捉える事」の下位課題として 「数学が身近なこと」、「数学の多様性」、「数学の創造