1
「イラク戦争後」の米欧関係(1)「過渡期」のイラク情勢
本稿は「イラク戦争後」の米欧関係を歴史的な構造枠組みを想定しながら考察すること を目的とする。
周知のようにイラクでは連日のように自爆テロが行なわれている。イラクの治安は安定 するどころか、むしろ中東各地域への飛び火の懸念すらある。本当の意味で、イラク戦争 はまだ終わっていない。筆者は、真の意味でのイラク戦争の終わり(イラク戦争後)とは、
イラク戦争の成否をアメリカ自身が明確に認めた後であると思う。イラクの治安が回復し、
この春に成立したイラク正統政権が治安の安定化に成功し、民主的な統治を平和的に推し 進めていく目途が立ったときか、それともイラクが本格的な内戦状態に入ってブッシュ政 権のイラク戦争と大中東構想の意図が失敗したことが自他共に明らかになったときである と考える(1)。イラクの将来が平和で安定的なものか、それともカオスの状態なのか。その結 果次第で「イラク戦争後」の世界の方向と米欧関係のあり方は大いに異なる。
その意味では、世界は厳密には「イラク戦争後」に本当には踏み出してはいない。むし ろその「過渡期」にあると言ったほうが適切である。したがって、米欧関係の現状もひと つの過渡期である。その意味では、本稿での議論は過渡期のなかで米欧関係の基本構造を 理解し、「イラク戦争後」の米欧関係の論点を検討することにある。
(2)「イラク戦争後」の混沌と小康状態
そこで本稿では、便宜上「イラク戦争後」とは2003年
5
月ブッシュ大統領がイラクでの攻 勢を背景に、「主たる戦闘」の終結を宣言してから今日までの時期を意味することにする。その場合に、米欧関係を軸にみると、「イラク戦争後」には
3
つの節目があったと筆者は考 える。そしてそれぞれの段階で妥協のプロセスが進められ、一見米欧関係は旧に復してい くかにみえる。紙幅の都合上詳述はできないが(2)、その第1は、2003年
8
月19日バクダッドの国際連合施 設が標的となった自爆テロ事件だった。この事件をきっかけにしてドイツ、フランスのア メリカへの反発が再び高まった。将来の事務局長候補でもあったデメロ国連代表を含む22 人もの死者を出したこの事件は、同年5月の国連安全保障理事会決議1483を根拠にそれまで 米英主導で進められていたイラク復興活動への国際社会の介入を促す契機ともなった。国連決議を得ずに開戦に踏み切ったアメリカを非難する国際世論が勢いを増すなかで、10月
15日になって、戦後復興・再建への国連の重要な役割とそれに対する協力の意思を明らか
にしたイラク新決議1511が採択された。そして、連合国暫定当局(CPA)の権限をできるだ け早くイラク国民に移譲すること、同年7
月に成立したイラク統治評議会は12月25
日まで に憲法起草と選挙実施の日程表を安保理に提出することが定められた。第2に、2004年
6
月、米欧の和解が演出された時期である。イラク情勢は03
年12
月にフ セイン前大統領が拘束された後も自爆テロが相次ぎ、大きな変化はなかった。治安が不安 定ななかで、6月28日、CPAは国連決議の期限を2
日前倒しにしてアラウィ = イラク暫定政 府への主権の移譲を行なった。6月に行なわれた一連の行事―ブッシュ大統領の訪仏を伴 ったノルマンディー上陸作戦60周年記念式典、主要国首脳会議
(G8サミット)、イラクへの 主権移譲の条件を定めた国連安保理決議1546の採択、米・欧州連合(EU)首脳会議、イス タンブールで開催された北大西洋条約機構(NATO)首脳会議―において、米欧は和解を 世界にアピールした。ブッシュ大統領の訪仏に際して米仏首脳はお互いに食事の招待を行ない、聴衆の前での 両首脳のスピーチは両国を相互に称えあうものだった。一連の会議においてイニシアティ ブを発揮し、米欧和解を演出したのはアメリカだった。そのためにアメリカは多くの点で 妥協した。他方で、フランス、ドイツなどのヨーロッパ諸国も、イラク復興のプロセスを 遅らせるのは得策ではないという立場から対立が深まるのを回避し、協力の枠組み作りを 承認していった。
そうした一方で、イラク暫定政府への主権移譲の式典は、ブレーマー文民行政官やヤウ ル大統領らわずか
6人の出席者によるたった 5
分間のあっけないものだった。事務的な手続 きはほぼ終わっていたとはいえ、当初式典が予定されていた30日にテロ攻撃が発生する懸 念が大きくなっていたため日程は前倒しとなったのである。しかし、主権移譲と言っても イラクの治安が回復したからというわけではなかった。第3の時期は、2005年
1
月末に国民議会選挙が行なわれてから今日までの時期で、米欧間 に基本的な立場の違いはあるが、表立った対立はみられない時期である。同年2月にブッシ ュ大統領は訪欧し、ライス国務長官はブッシュ第2
期政権が「外交」=平和手段を重視する ことを言明した。ブッシュ大統領は、ブラッセルのアメリカ大使公邸にシラク大統領を招 待して両首脳の親密さを強調した。とくにハリリ前首相暗殺事件後のレバノンからのシリ ア軍撤退について共同声明を発表した。米仏は前年9月、シリア軍の撤退を「即時かつ完全 に履行すること」を定めた国連安保理決議1559を成立させていた。このブッシュ大統領訪
仏は、両国の協力を内外にアピールするのに絶好の機会と両首脳は考えたのである。年内 にシラク大統領が訪米することも決定した。ブッシュ大統領の訪欧の際のドイツ、フランス、イギリスなど各国元首との会談では、
イラクに対する国際支援の促進・協調のための国際支援会合の共同開催を提唱したが、ア メリカが最も強調したのは、イラン核疑惑問題への対応で米欧間が一致した点であった。
アメリカはイランを国連の安保理に提訴することを当面見合わせ、英独仏による和平的解
決のための「外交交渉」を尊重することにしたのである。同時に米独間で確認されたよう に、イランが核兵器を保有することを阻止するという共通の目的をもつことでも合意した。
その後、イラク人の移行政府は暫定憲法であるイラク基本法に定められた日程に従って 憲法案を提案し、それは国民投票で承認された。そして同年12月に、国民議会選挙が行な われた後、2006年春には難航の末、正統なイラク人政府が選出された。イラク情勢が不安 定ななか、米欧関係は表面上イラク戦争をめぐるあの激しい対立は遠い過去の出来事のよ うである。
今となっては、アメリカに反対してイラク戦争後の復興が容易ではないことを説いた独 仏の主張が正しかったことは明らかであるが、独仏はその点でアメリカを強く批判するこ とは避けている。実際には、撤兵したイタリアやスペイン、イラク国内でイラク軍隊の訓 練を支援しないと言明した独仏を含む西欧諸国は、イラクにおいて積極的な協力を行なわ ない方針を貫いている。
しかし、それ以外の面では米欧関係は落ち着きを取り戻しているようにみえる。日米の 強い要請を尊重してEUは対中武器禁輸緩和措置には踏み切っていない。イラン核開発問題 ではアメリカは
EUの対話姿勢を尊重している。先ごろのレバノン南部へのイスラエル軍の
介入の際に事態の収拾に積極的にイニシアティブを発揮したのは米仏両国であった。その 後フランスが当初の派兵数を大幅に減らすことを言明し、国際的な批判を浴びたときに、フランスを最も擁護したのはブッシュ大統領だった(3)。
(3) 覇権的協力下の「協力と自立」の共存
それでは、米欧関係はイラク戦争をめぐる対立論争を克服したのであろうか。筆者はそ うではないと考える。先に述べたように、米欧関係はイラク戦争後の過渡期の期間にある。
小康状態と言ったほうがよい。
対立の芽は払拭されたわけではない。しかし、米欧関係には一蓮托生のようなところが ある。かつてドイッチェが米欧関係を指して「不戦共同体」と呼んだが、それはアメリカ 優位の構造の下での協力関係だった。それはいわば「覇権的協力関係」(4)である。あるいは
「権威的同盟」(5)とも呼ぶべきであり、価値観を共有する一種の共同体である(6)。米欧同盟 の歴史は協力の歴史と考えられているが、ここで言う「共同体」とは、「協力」の一方で
「自立」や「競争」のモーメントを併せ持つ。米欧関係はいわばある種の「ジレンマの構造」
を内包しているのである。
米ソ冷戦を背景にして、アメリカは西側の砦として欧州統合を強く支援した。しかし、
西欧諸国が戦後復興を果たした1960年代以後、米欧間にはいわば恒常的に経済摩擦が存在 する。70年代「豊かな社会」を形成し、ソ連との和解に成功した西欧諸国にとってデタン トの果実は捨て去り難く、ソ連軍のアフガニスタン侵攻を口火とする「新しい冷戦」とい う見方に西欧諸国は次第に倦んでいった。80年代半ば、ヨーロッパは、欧州域内市場統合 を追い風にゴルバチョフ政権と接近していくなかで冷戦の終結を導いていった。その意味 で、冷戦の終結は西欧型の先進資本主義の発達と緊張緩和から導き出された必然的結果で あった。西欧諸国にとって、とりわけアメリカ的価値観の勝利というわけではなかった。
しかし、こうした違いの一方で、大西洋の双方の側で分かち合っている2つの共通認識が ある。それは米欧間で共有する価値観や認識を基礎とする安全保障観と世界秩序形成国と しての責任感である。
第1に、共通の価値観は歴史・文化を米欧が共有してきた揺るがし難い現実がもたらした ものである。米欧同盟は、いわば「共同体感覚」に支えられた広範な制度と慣習化された 仕組みであると言える。相互の立場の尊重と共通の利益をめぐるアイデンティティーを基 盤とした予測可能性の高い互恵的な関係である。「われわれ感覚(we-feeling)」とでも言うべ き共通意識がある。
第2に、世界秩序の形成とその維持に対して責任を負っているという共有意識がある。そ の意味で米欧間の「競争」とは世界政治のリーダーシップを共有しているが故の争いとい うことになる。言い換えれば、そのほかの諸国とは一線を画しているという自負心と責任 感がある。「差異化」の論理である。米欧関係は世界にとって最も影響力をもつ国家群であ るが、自らもそれを意識し、その地位を守ろうとしてきたのである。その限りにおいて米 欧は「協力」し、「対立」する。
この2つの共有認識は大西洋同盟の本質である。イラク戦争後の小康状態は、まさしく後 者の世界秩序形成の共同責任者として米欧の共有認識と自覚が対立を回避させているので あって、本当の意味で、世界観や国際秩序認識、そしてその実現手段をめぐる角逐が克服 されたわけではないと筆者は考える。
2
冷戦終結後の米欧対立の構図(1) 冷戦終結後のアメリカの単独行動主義
冷戦終結後、米欧間の共有意識は希薄となった。とくに冷戦に勝ち残った唯一の超大国 を自負するアメリカ外交のほうにそれは顕著だった。ブッシュ大統領の外交にその自負は 結晶化していったと言ってもよい。フランスの元外相ヴェドリーヌは、冷戦後のアメリカ を「ハイパー・パワー」と呼んだが(7)、国際社会における「力の配分の不均衡」(アメリカへ の一極集中)という現実が独善的な外交を導き出すのは、ある意味では当然でもあった。
冷戦の終結によって共通の敵であるソ連の脅威が消滅したために、米欧はお互いの必要 性を低下させた。冷戦時代、ソ連との対立関係を背景にして米欧関係は、ヨーロッパ以外 の地域ではしばしば齟齬をきたしたが(朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、スエズ動乱、キューバ・
ミサイル危機、レバノン、リビアなど)、ヨーロッパ地域に関する問題で対立することはあま りなかった。しかし、旧ユーゴ紛争をめぐる対応にみられたように、冷戦終結後米欧は齟齬 をきたし始めたのである(8)。そうしたなかでアメリカは、その優位を誇大に認識するように なっていった。詳細は省くが、冷戦終結直前から直後に著されたフランシス・フクヤマの
『歴史の終わり』とハンチントンの『文明の衝突』は、アメリカの冷戦勝利のマニフェスト であった。それはまたアメリカ的価値観の勝利の凱歌でもあった。
ブッシュ父大統領は湾岸戦争の際にクウェートの解放にとどまり、フセイン政権の打倒 には至らなかった。アメリカの世界へのコミットの程度を量りかねていたのである。その
後クリントン時代のアメリカ外交は中途半端な形にとどまっていたかのようにみえたが、
実際にはアメリカは、このクリントン時代、好景気が雇用を吸収し、ハイテクの先鋒を走 り、軍事力の突出は他を寄せ付けなかった。そして、外交課題であったアメリカのヨーロ ッパでの存在感、ロシアとの友好関係、北米自由貿易協定(NAFTA)やアジア太平洋経済協 力会議(APEC)などの成功は、自由貿易経済のリーダーとしてのアメリカの経済的役割を 内外に誇示するものだった。
冷戦直後、フランスのジャン・マリ・ゲーノやアルフレード・ヴァラダンらが示したよ うに、平和的で平等で民主的関係を基礎とする世界秩序への期待があった(9)。しかしその後
10年たつと、アメリカを「中華帝国」と批判したフランスのムランドリやヴァイスが指摘
したように、冷戦後のアメリカには、①戦略的慎み深さの放棄、②単独行動主義(ユニラテ ラリズム)、③多国間主義的(マルチラテラル)な国際機関・国際法に対する無関心、④制度 化された協力の拒絶、⑤多国間協調主義の後退という
5つの兆候は明らかだった
(10)。それは イラク戦争に向かうブッシュ大統領政権の外交そのものでもあった。(2) 単独行動主義
vs 多国間協調主義
それは、一極体制か多極体制かという世界観ないし国際社会構造に関する認識の対立、
そしてその実現手段としての単独行動主義
ユ ニ ラ テ ラ リ ズ ム
と多国間協調主義
マ ル チ ラ テ ラ リ ズ ム
という対立軸となって現われ ている(11)。この議論はわが国ではイラク戦争の間近に少し盛り上がったが、その後は大きく 取り上げられないままである(12)。しかし、米欧間での多くの議論はこの対立軸をめぐるもの であり、その決着はまだついていない。筆者はこの対立の構図はきわめて重要だと考えて いるが、その認識はわが国では希薄である(米欧研究者が参加する国際会議などでこうした主 張はよく聞かれる)。この論争が少なくとも21世紀第1四半期の間の世界構造を論じる際の重 要な軸であり続けることは疑いない(13)。
実は、イラク戦争の際に議論となった世界構造の議論について、日本はもちろん国際的 にも理論的な考察は十分に行なわれてきたとは言いがたい。この種の議論は、形式的には
「一極化
vs 多極化」と「単独行動主義 vs 多国間協調」という 2
つの選択肢のマトリクスの形で分類・概念整理することができる(下図参照)。
それぞれ「国際システムのパーセプション」をめぐる対立軸(図の横軸)、「選好された政 策」をめぐる対立軸(図の縦軸)と呼ぶことができるが、筆者は前者の対立軸を世界観・国 際認識の対立、後者の対立をその実現手段・方法論の対立と性格づけている(14)。
このようなマトリクスで考えると、一極世界は必ずしも単独行動主義と同義ではない。
極と外交政策―アメリカの視点
選好された政策(政策実現手段・方法)
単独行動(ユニラテラル)
多国間協調(マルチラテラル)
国際システムのパーセプション(世界観・国際認識)
一極 多極
①一極体制・単独行動
②一極体制・多国間協調
③多極体制・単独行動
④多極体制・多国間協調
(出所) John Van Oudenaren, Unipolar Versus Unilateral, Policy Review, 2004, April.
一極主義ユ ニ ポ ー ラ ー
と単独行動主義ユ ニ ラ テ ラ リ ズ ム
は同義語のように扱われることもしばしばである。しかし一極世 界であっても多国間主義の政策をとることは可能である。国連や多国間自由貿易の国際秩 序などは本来アメリカの主張によるものである。アメリカ帝国論を議論する際にしばしば 指摘される「良い帝国」とは、言い換えれば「多国間主義による一極支配」である。
では、アメリカ外交はどのようにあるべきなのか。1990年代末にハンチントンは、「単―
多極時代(uni-multipolar system)」という有名なヴィジョンを提示し、あらゆる分野で支配的 な優位性をもつ唯一の大国アメリカが単独主義的に振る舞うことは無謀である、と指摘し た。そしてアメリカは「穏やかな覇権国」として一部の大国との協調を軸に対外政策を展 開していくべきだと論じたのである(15)。
イラク戦争の議論の前に、アメリカではそうした議論はすでに出ていた。アイケンベリ ーは、勢力均衡的な世界におけるアメリカの「自己抑制」を説いた(16)。ウォルフォースは コストの面から同盟国の対米政策はバンドワゴン(勝ち馬のり)の立場をとるほうが現実的 であるが、アメリカは潜在的な対抗勢力を挑発してはならないと指摘した。カプチャンは、
アメリカの単独優位は
EUの躍進によって妨げられ、多極化への回帰は不可避であると指摘
した(17)。ヘンリー・ナウの議論は、リアリストとコンストラクティビストの議論を結びつ けた議論であった(18)。アメリカのナショナルアイデンティーがヨーロッパ大陸とかけ離れ ているという自己イメージを形成している危険を説き、成熟した他のデモクラシー諸国と のより親密なアイデンティティーの確立が必要である、とナウは指摘した(19)。(3) 唯一の超大国の行動と論理
アメリカ外交の行動規範をめぐるさまざまな議論には共通の目標がある。つまり、アメ リカの優位性を維持すること、少なくともその優位性を減退させないということが大前提 である。そして、そのためにどうするのか。単純化して言えば、アメリカにとって、①そ の力の優位がどれだけ維持でき、自ら望む国際秩序の形成が可能なのか、②その力の優位 の下にどの程度「行動の自由」が確保できるか、そのためには強力な対抗勢力=対抗的な 同盟の形成をどのようにして阻止していくのか、ということが重要になる。つまり、外交 目標としての「一極優位体制維持」と「対抗勢力の構築阻止」である。それには、「強いリ ーダーシップ」を発揮すべきなのか、「協調的」であるべきなのか、あるいは「慈悲深さ」
をもつべきなのか。さまざまな表現で語られるが、それはトーンの違いを意味しているに すぎない(20)。
実は、こうした議論はまったく異なった文脈ではあったが、すでに議論されてきたこと だった。スタンレー・ホフマンは『ガリバーの困難トラブル』のなかで、1960年代末の核抑止体制 の下、超大国でありながら身動きがとれないアメリカの苛立ちと苦悩をどのようにして回 避するのかという問いに答えようとした(21)。70年代にはモデルスキーに代表される覇権サ イクル論が提案されたが、それはドル没落とヴェトナム戦争の失敗によってアメリカが世 界でナンバーワンの地位を脅かされていたからである(22)。冷戦終結後、アメリカは当時とは まったく反対の立場から、今度は自信に満ちた立場から、自分が首位の地位を滑ることを 心配するようになる(23)。
こうしたなかから、リアリストが指摘するように、超大国に反発するよりむしろ協力す る姿勢をとって利益を共有したほうがよい、という考え方、すなわち「バンドワゴン」の 論理が生まれるのももっともである(24)。筆者はこの論法をまったく否定するつもりはない。
それはある意味で理に適った自然の摂理としてひとつの選択肢である。しかしそれはあく までも手段であって、それ自体が目的化してはいけないものである。イラク戦争前にわが 国でアメリカのイラク戦争支持か否かという議論が「国益」論争として行なわれた。それ は最後にはバンドワゴンが「得か否か」という、反論の余地のない問いをめぐる論争とな った。しかし、それは国際社会全体が目指すビジョンや目的と真に結びつけた形での議論 ではなかった。米欧が激しく対立したのは、戦争の正当性をめぐる議論だったからである。
(4) ヨーロッパの多極化の世界観と多国間協調主義の限界
こうしたアメリカ優位論に対して、ドイツ、フランスを中心とする西欧諸国は、強いユ ーロに象徴的な経済的な極としてのEU=ヨーロッパの自立による多極化の世界観を主張す る。米仏間の国際秩序認識はそもそも議論の出発点から異なっている。
フランスの著名な国際戦略研究家ボニファスは、この多極化社会の構造には悪いところ もあるが、「支配的意思を持たず、かといって大国の『忠実な下僕』になる意思も持たない 国にとっては好ましい解決方法である」と主張した(25)。「中級国家」にすぎなくなったかつ ての大国フランスの現実である。
しかし同時に、こうした多極主義的な国際社会が成立するためには、ヨーロッパが
「多国間主義
マ ル チ ラ テ ラ リ ズ ム
」の一翼を担うことも不可欠である。周知のように、多国間主義の理論の第一 人者であるラギーの多国間主義の理解では、平等で民主的な国際機関が念頭に置かれてい た(26)。つまり民主的な価値規範の共有に基づく国際社会の協調体制が整備されていなけれ ば、結局は多極化構造の実現は困難である(27)。その意味では、多極というのはヨーロッパが 目指すアメリカ一極主義に対抗すべき実態であるが、多国間主義マ ル チ ラ テ ラ リ ズ ム
はその実現のための論法 と手段として不可欠だということになる。
しかし、ドイツとフランスがイラク戦争をめぐって多国間協調主義を唱えた背景にはヨ ーロッパ統合の発展という現実があった。今日では「多次元マルチ・レベルガバナンス」と呼ばれる段階 にまで至っている民主主義的統合の発展が背景にある。それはヨーロッパの自信を物語っ ていた。力による真っ向勝負という世界観とは、これはまったく異なる。力と力の対決が 近代までの歴史であるなら、こうしたある種「ポストモダン」の世界観がヨーロッパには ある(28)。
アメリカは、しばしばこうしたヨーロッパ側の言い分を、以下のような理由で特殊なも のと指摘する。第1に、国際的な「規範(ノーム)」を決定するときに、ヨーロッパは数の力 で圧力をかけてくる。この多国間主義は結局アメリカに対抗する勢力を形成し、アメリカ の孤立を導く手段となっている。第2に、EUは域内では多国間主義的な決定を行なってい るが、域外の決定様式や論理を受け入れようとはしない。EUの主張する多国間主義マ ル チ ラ テ ラ リ ズ ム
という のは域外諸国を排除する論理にすぎない。そして第3に、多国間主義マルチラテラリズムといっても国際機関や 国際条約にみられるように、例外が大変多く、実際には一部の国の利害を反映した恣意的
なものになりがちである。現実には多国間主義マルチラテラリズムは「機能不全」を起こす傾向が強い(29)。 また、こうしたヨーロッパ側の多国間主義マ ル チ ラ テ ラ リ ズ ム
アプローチは、論理的に突き詰めていくと、
多極化の世界と矛盾する。詳しく述べる余裕はないが、ヨーロッパにおいて多極化を考え るとき、「ウェストファリア体制」とも言うべき勢力均衡的な国際システムがモデルとなっ ている。しかしそれは基本的にヨーロッパ大国間の安定のためのシステムを意味する。多 極化は極の間での対等な関係=多国間(多角的)協調主義であるが、小国をアクターとして 考慮しているわけではない。その意味では、多極的な国際秩序は大国中心的な世界観に基 づいており、多国間協調主義の本質である民主的で平等な関係が前提となっているわけで はない。これは、先に述べたヨーロッパのなかでの多次元カバナンスはあくまでもEUとい う極のなかでの話であって、ヨーロッパ以外の世界を含む地球規模では通用しないという アメリカ側からの指摘に通じている(30)。
フランスの著名な国際政治学者デファルジュの指摘では、多極構造は契約によってすべ ての国を包括的かつ平等に網羅する制度ではない。多国間主義が民主主義を基礎とする体 系であるとするなら、多極構造とはアリストクラシー(貴族制度)という上下関係を前提に した体制であると言えよう(31)。こうしてみると、独仏の「多国間主義マルチラテラリズム」の主張は自己正当化 の議論でしかないということになる。アメリカにとって、自らの影響力行使に立ちはだか る対抗勢力を形成するための議論と映るのである。
3
イラク戦争後の米欧関係―妥協の模索と議論の混乱(1) イラク後のヨーロッパの安全保障政策の模索
―ソラナ報告から人間の安全保障ドクトリンへ向かうEU(32)
しかし、ヨーロッパの多国間主義はイラク戦争後にいっそう明確にされた。イラクの不 安定な情勢を背景に、単独主義への批判はいっそう強くなった。それは、2003年
12
月に、ソラナ
EU共通外交安全保障政策
(CFSP)上級代表が発表した『より善い世界における安全なヨーロッパ―ヨーロッパ安全保障戦略』(ソラナ報告)(33)だった。これは
EU
が発表した 初めての独自の安全保障戦略でもあった。ソラナは、EUが「世界における戦略的なパートナー」の役割を果たすべきことが大切で あるとともに、ヨーロッパの安保戦略をマルチラテラリズムの枠組みのなかで位置付けて いくことの重要性を説いた。そして、テロリズム、大量破壊兵器の拡散、世界各地での地 域紛争、組織犯罪など広範かつグローバルな範囲の脅威に備えて、「予 防
プリベンティブ
外交」を強調 した。加えて、報告は、「早期の迅速な、そして必要な場合には強硬な介入を押し進める
《戦略文化》を発達させる必要がある」と説き、ヨーロッパの安全保障面での熱意・責任 意識の向上にまで言及した。
ここに対立と協力が並存する米欧関係の本質がある。アメリカの単独行動や一極支配と いう表現は本報告では一言も出てこないが、国連中心の「多国間主義マ ル チ ラ テ ラ リ ズ ム
」という表現を用い ることによって、EUはそれを受け入れないことを明確にした。しかし同時に、アメリカと の協力関係を維持し、グローバルな戦略的パートナーとして協力する意思も明確にしたの
である。
アメリカ・ネオコン(ブッシュ政権中枢を占める新保守主義)のロバート・ケーガンは『ネ オコンの論理』(34)のなかで、ヨーロッパは経済的に安定し、テロの脅威もない平和な「カ ント的な」世界に生きており、テロの脅威に怯えて「ホッブス的な」弱肉強食の世界に生 きているアメリカの立場を本気で理解しようはしないと厳しく論じた。ここでは、世界の 安全保障について本気で乗り出そうとしないヨーロッパ諸国の姿勢を無責任としたのであ る。報告にある《戦略文化》を高揚させたいという意向は、そうした批判に応えたEUの心 構えを物語ったものであるように思われる。
2004年 9
月、EUは、保護・停戦監視・武装解除のための軍事兵力と安全確保・人権監視・国際的な文民組織のプレゼンスを目的とする高度に専門的であり、相互に綿密に調整 され、統合された
1
万5000
人規模の軍民組織(警察、法律家、人権監視員、税専門家、医師、看護士などを含む)の派遣を含む「人間の安全保障」ドクトリンを発表した。これは、先の 予防外交やマルチラテラリズムを強調したソラナ報告の具体策として打ち出された新たな 方向性である。純粋な軍事機構ではなく、文民活動の比重を重んじた平和維持活動と軍事 介入の中間的なものと考えられている。人道支援、実効的な警察力、文民による危機管理、
広範な政治経済支援を特徴としている(35)。
重要な点は、米欧関係という地域的な同盟関係がきわめて不透明な時期において、こう した試みが改めて確認されたことである。つまり、新たな取り組みとしてのEUの「人間の 安全保障」政策は、米欧同盟内で軍備では圧倒的に劣勢にあるヨーロッパ側からの同盟協 力体制再構築のイニシアティブの一端とも考えられよう。米欧関係における「協力と対立」
(軍事部門での角逐と文民協力での相互依存関係)の構図を背景としたヨーロッパ側のアプロー チである。EUが米欧関係において非軍事的役割強化を強調することで、米欧安全保障体制 そのものの意義・役割を変えていこうという試みとも考えられる。アメリカが「戦闘」を 請け負い、ヨーロッパは交渉や復興支援などに限定された外交・非軍事面での責任を負う という、ある種の「棲み分け」でもある。
その背景には、多極化世界の一極としてのヨーロッパ独自の地位の確立という目論見が ある。このドクトリンはアメリカに対するEUの政治外交戦略上の意味をもつと同時に、米 欧同盟の相互補完的協力の質的変容の可能性を孕んでいる。
(2) アメリカにおける力の行使の正当化をめぐる議論―リベラリズムと現実主義の折衷
他方で、イラクの治安回復が実現しないために、アメリカ言論界の動揺は大きい。とく にイラク戦争に及んだ行為に対する道徳的かつ制度的な正当性が改めて問われている。2004 年春に行なわれたシンポジウムで、シュレジンジャーは「主権移譲」という報告で「われ われはイラク国民にわれわれの意図が何かということを伝えることに失敗したか、それを 伝えるのが遅かったのだ」(36)と語った。その頃から保守派のなかにはイラク戦争前後の猛々 しい論調をトーン・ダウンさせ、論理を修正する傾向がみられるようになった。
ネオコンはもはや保守派の主流となったという見方はあったが(37)、その一方で保守派の 動揺が認められる。ナウのようにネオコンの独断専行を戒めて保守派の分裂を救い、保守
派が本来の主張の下にまとまることを力説する風潮も出てきた(38)。
イラクにおける現実を反映した保守派の動揺は、イラク戦争をめぐって対立した二人の ネオコンの論客、クラウトハマーとフクヤマの論争に代表的だったが(39)、一言で言えば、
アメリカ優位(一極体制)の外交行動の「正当化」を現実主義とリベラリズムの折衷のなか に見出そうという議論であると言える。そして多国間主義の表われである国際機構・制度 をアメリカ外交のなかでどう位置づけていくのかという議論でもある。アメリカにとって 国連改革はそうした文脈のなかにある。イラク戦争に反対であったフクヤマによると(40)、第
1にクラウトハマーの議論は行き過ぎた現実主義である。アメリカ的価値を基礎にしたメシ
ア的普遍主義の行き過ぎである。イラクを短期間に西欧型の民主主義に移行させ、大中東 の民主化を図るなどという主張は誰が考えても非現実的である。フクヤマはそうしたクラ ウトハマーの主張を「民主主義的グローバリズム」と呼び、イラク戦争が正当な理由の下 に行なわれたか否かという議論を巧みに避けていると指摘した。このフクヤマの批判に対して、その後クラウトハマーは反論した(41)。この論文の冒頭で、
クラウトハマーはフクヤマの出世作『歴史の終わり』を厳しく批判した。クラウトハマー は、イスラム原理主義はナチズム以上に世界的な広がりをもつ脅威であると指摘した。フ クヤマは宗教の影響力と現代のテクノロジー(生物・化学兵器)をみくびっていると言う。
そしてクラウトハマー自身は自らを民主的現実主義者であると言う。デモクラシーの普及 には努力すべきであるが、軍事介入の際に人道的理由から際限なく介入することは避ける べきである。介入は選択されるべきであると言う。
その意味では、彼は普遍主義的な発想を捨てて、「選択的民主的現実主義デモクラティック・リアリズム
」を主張する。
それは理想主義・人道主義に囚われることのない、あくまでも戦略的な要請からきたもの である(42)。不安定なイラク情勢に対する反省とアメリカのイラク攻撃の正当化が混在した論 文である。そこに、現在のアメリカが中東で置かれた苦衷をみることができる。しかし同 時に、依然としてその超大国のプレゼンスを誇示する姿勢は明らかである(43)。
これに対してフクヤマは、『岐路に立つアメリカ』(44)のなかで「現実的ウィルソン主義」
という自らの立場を明らかにした。これはパワーだけを重んじた伝統的現実主義ともネオ コンとも違った立場である。この現実的ウィルソン主義は国際機関など多国間主義を尊重 し、リベラルな立場(国際機構論の立場からの理想主義)をあわせもつ。国連安保理決議をス キップして始まったイラク戦争への反省があった。国家は法の統治を強化するためのパワ ーの源泉であると主張する現実主義をフクヤマは支持するが、行動の正当化には国際的な
「レベルの高い制度化」(高次の国際機関による決定)は不可欠であると指摘する。リアリス トを自称するフクヤマがグローバル・ガバナンスという表現まで用いるのである(45)。
イラク戦争前から、少なくともこのタイミングでの戦争に反対の立場をとっていたアイ ケンベリーは、2004年半ば以後その立場を理論的に明確にした。従来現実主義の立場をと ってきたアイケンベリーの姿勢は、ネオコンに反対しつつも、この間その立場には微妙な 揺れがみられたが、「リベラル現実主義」という言葉でその立場を表現した。フクヤマの現 実的ウィルソン主義に近い立場である。それはまたクラウトハマーの「民主的現実主義」
に対抗する意味をもっていた(46)。
アイケンベリーは、アメリカの優位が安定した国際社会の階等的秩序
ハ イ ア ラ ー キ ー
を構築することは ないが、だからと言ってそれは不確かなバランスに支えられた国際システムよりはましだ と主張する。その意味ではアイケンベリーもアメリカの優位という言葉を用いて実際には アメリカの一極支配を肯定的に捉えている。ただ、アメリカが世界の安定を単独で実現す ることは不可能であり、いかにしてアメリカはその優位を維持しつつ、世界の安定に貢献 できるのか、という点が最大の関心事となっている。
そのためには、他国との協調は不可欠であり、単独行動主義による行動のコストは多国 間でコンセンサスを求めるコストよりもはるかに高くつく。そしてアメリカの非軍事的レ ベルでの影響力の可能性にも目を向ける。この点はナイとの共通点でもある。アイケンベ リーの立場は、多国間主義や規範的秩序に注目する点で「リベラル」である。しかし、理 想主義ではなくパワーの評価や用い方を綿密に計算し、ユニラテラルなパワーの行使を最 終的に否定してはいないという点では現実主義でもある。
しかし、アイケンベリーはアメリカの力の行使のためのツールとして国際ルールや制度 を大切にする。ネオコンは多々国際制度をアメリカの自由の束縛と考えるが、それはむし ろ逆で、アメリカの政策に従わせるための圧力や強制力よりも国際ルール・制度による多 国間協力体制のほうがアメリカにとってはるかにコストはかからない。コアリション(有志 同盟)はその意味ではルールや規範による拘束力はなく、その時々の合意であるから同盟と しては脆く、コスト高である。アメリカを積極的に支持しながら、国内事情の変化に伴っ てイラクからの撤兵を決めたスペインやオランダ、フィリピンなどの例にそれは明らかで ある。拘束力がないことは、アメリカにとって両刃の剣となった。
アイケンベリーの議論は、多国間主義や国際規範を重んじる面が強調されて評価される 傾向があるが、アイケンベリー自身がリアリストを標榜する以上、その主張の根底にはア メリカの優位の維持という前提は常に存在する。ただ、合意形成プロセスにおける民主的 な議論や共同行動を育んでいくなかで共通価値や規範を構築していくことは可能となるだ ろう。こうした方法論とアメリカ的価値の誇示を抑えた「控えめな」ソフトパワーの融合 がアメリカの世界戦略の成否の大きな鍵となるだろうことは明らかである。
周知のようにナイは軍事力ではなくて文化に代表される「ソフトパワー」を提唱した(47)。 ナイによると、アメリカ優位の攻撃的で傲慢な戦略は何としても避けるべきであり、共通 のグローバルな利益を可能なかぎり追求できる多国間主義的な機構を通して他の国々と協 力することが良策であるということになる。結局アメリカの狭量な心や他国への無関心が アメリカの影響力を失わせる原因となるのである。
結びに変えて―国際安全保障共同体
イラク戦争後の国際秩序の具体的ビジョンは、米欧いずれの側からも必ずしも明確では ない。しかし、論点は単独行動主義への批判とアメリカの外交行動の正当化の方法を求め た議論に代表される。
グネソトEU安全保障研究所所長は、今後の米欧関係の障害を
3
つ指摘している(48)。第1
は、アメリカがヨーロッパ同盟諸国を真に恒久的なパートナーとみなしているのか、それ とも一時的な便宜的協力者としてしかみていないのか、という西欧諸国にとって米欧同盟 に関する本質的な問いであり、不信である。第2に、政府レベルでの表向きの協力関係とは 裏腹に、世論のレベルではアメリカに対する反感は高まっていることである。世論の反米 意識は根強い。第3に、米欧間に国際システムをめぐる合意が存在しないことである。多国
間(多角)的な組織に対する合意は曖昧なままである。こうした困難をどのように克服していくのか。その際の共通な認識のひとつは、多国間 主義的な価値共有の共同体作りという発想である。
フランスの政治・戦略思想家ライディは、かつての「デモクラティック・ピース」(民主 主義諸国間では平和な関係が維持される)をベースに、コンストラクティビズム(構成主義)
のアプローチを取り入れてフランスの多極主義マルチポラリズム外交を支持する(49)。つまり、米欧関係はフラ ンス流に言えば「共和主義」=民主主義精神という価値を共有して、共同体的な関係となる べきである。このアプローチは、共通規範ノ ー ムや価値観を基礎とするレジームやガバナンスに 基づいた平和的手段による秩序形成というリベラリスト的なアプローチでもある。規則や ルールは「公共精神」や「市民の徳」によって不文律のうちに維持されるのである。
フクヤマは、先に述べたように新しい具体的なビジョンを提示するまでには至っていな いようにみえる。しかし、決定には正当化の論理が必要であることを強調する。それはイ ラク戦争の反省からである。単独行動主義に対する批判をかわし、アメリカの優位を維持 し、対抗的勢力の強化を抑えていくためにもそれは必要である。それには、しかし、イラ ク戦争の時の国連に代表される伝統的な国際機関の非効率・機能的欠陥は改革されねばな らない。そこで新しい国際機関を模索するために、フクヤマは、正当性と効率性のバラン スという評価基準を設定する(50)。国連や世界銀行に代表される機関は公的性格をもち、透明 性が高く、合法的で正当性の高い主権国家を基礎とする機関であるが、硬直化し、しばし ば機能不全を起こし、効率性が低い。これに対して、衣料生産業者と労働組合・非政府団 体などの間で交渉される法人規定などは、国際法や公式の制度に基礎をおかない、当事者 の直接交渉による組織である。これは、逆に柔軟で、臨機応変な機能をもつ。多様な非政 府組織でもある。
フクヤマは国連に代表される従来の国際機関に代わって、こうした機構に希望を見出し ている。「国際標準機構」(ISO)や「名称・番号登録インターネット機関」(ICANN)のよう に自発的な国際機関にそのモデルを模索する。こうした技術的な機関の成功した原理をい かにして安全保障共同体の分野に応用していくのかが問題となるが、その点についてはフ クヤマも明確な回答はない。フクヤマは
2000年クリントン政権時にワルシャワで設立され
た「民主主義国共同体」などの例を挙げて、民主主義という価値を共有する共同体的発想 を強調するにとどまっている。アメリカの優位の維持を前提とする限り、新しい道の模索 は苦衷を伴うであろう。こうした従来の国際機関と異なった合法性の弱い、しかし柔軟で 効率性の高い多様な新しい国際機関を重視する立場を、フクヤマは「多角的多国間主義(Multi-Multilateralism)」として今後の目標とする。
多国間主義による国際的な共同体の形成という発想はもともとリベラリストの発想であ るが、イラク戦争後にはアメリカの現実主義者や保守派の議論のなかにもしばしばみられ るようになった。この点は重要である。それはアメリカの主意主義的な傾向が強いリンド バークの議論にもみられる(51)。
他方で、その具体的な安全保障共同体のなかでの米欧の役割が問題である。米欧はあら かじめ「棲み分け」をしていくのか。つまり軍事的戦闘活動はアメリカが負担し、非軍事 的活動はヨーロッパが負担するという構図である。この問題はまだ曖昧である。ソラナ報 告にみられたようにヨーロッパ側は、自らの平和的な役割・責任分担のための姿勢をある 程度示している。それはEUの共通防衛政策の推進のなかで追求できる。しかし、それでは、
米欧間の軍事力と意識の格差は埋まらない。明確な「棲み分け」については、スローンな どアメリカの議論は否定的である。アメリカの軍事的優位が国際社会で利用され、アメリ カはその犠牲だけを強いられるという懸念からである(52)。
「一極か、多極か」という世界秩序認識を前提にして単独主義の限界が露呈していくなか で共同体的な発想が不可欠であるということに多くの人たちは気がついている。問題はど のような形で多国間主義を実現していくのか、ということにある。しかしそれをめぐる米 欧間の温度差は大きい。その実現のイニシアティブの行方はイラク戦争の本当の意味での 最終評価にかかわっているだろう。
(1) 戦闘がほぼ止んだ2003年4月11日付の『ワシントンポスト』紙によると、「アメリカがイラクで の時間と金のかかる泥沼に入っていくのではないかと懸念する」意見は62%、「今後困難な戦いが 待っている。戦争は終わってはいない」という意見は77%だった。現在では(2006年夏)、「イラ ク攻撃は間違っていた」とするアメリカ人は60%以上に上っている。
(2) 2006年初めまでのイラク戦争の展開の詳細については、渡邊啓貴『ポスト帝国―二つの普遍 主義の衝突』、駿河台出版社、2006年、第1章「アメリカの戦争」、第3章「米欧対立」、第7章「イ ラク戦争後の国際秩序の模索と安全保障共同体としての同盟」を参照。ほかに、H. Vernet, et T.
Cantaloube, Chirac contre Bush, JCLattès, 2004; I. Ramonet, Irak, historia de un désastre, Galilèe, 2005.
(3) 渡邊啓貴「米欧関係の展開―ヨーロッパでの覇権の喪失と漂流」、五十嵐武士編著『アメリカ 外交と二十一世紀の世界』、昭和堂、2006年;渡邊「米欧関係に見る21世紀の同盟」『外交フォー ラム』1999年8月、参照。
(4) 米欧関係のコンストラクティビストの議論として、T. Risse-Kappen, Cooperation among Democracies:
the European Influence on US Foreign Policy, Princeton University Press, 1995;渡邊啓貴「米欧関係の歴 史・理論的考察」『グローバリゼーション(世界化)と国民国家の再編』、東京外国語大学海外事情 研究所、1998年。
(5) Ted Hopf, “Dissipating Hegemony: US Unilateralism and European counter-Hegemony,” in Matthew Evangelista and Vittorio E. Parsi(eds), Partners or Rivals? Vita e Pensiero, 2005, pp. 39―60.
(6) このような立場からのNATO研究は、多々コンストラクティビストのものに多い。
(7) Hubert Védrine, Face à l’hyperpuissance, Fayard, 2003.
(8) R. Haass, Trans-Atlantic Tensions: The United States, Europe, and Problem Countries, Brookings, 1999,
pp. 1―5. 米欧関係の枠組みについては、渡邊、前掲「米欧関係の歴史・理論的考察」。冷戦後のア
メリカ外交については、五十嵐武士『覇権国アメリカの再編―冷戦後の変革と政治的伝統』、東 京大学出版会、2001年;佐々木卓也編『戦後アメリカ外交史』、有斐閣、2002年;ウィリアム・ハ イランド(堀本武功・塚田洋訳)『冷戦後のアメリカ外交―クリントン外交はなぜ破綻したのか』、 明石書店、2005年。
(9) ジャン・マリ・ゲーノ(舛添要一訳)『民主主義の終わり』、講談社、1994年;アルフレード・
ヴァラダン(伊藤剛ほか訳)『自由の帝国―アメリカン・システムの世紀』、NTT出版、2000年
(原著は1994年出版)。
(10) P. Melandri & J. Vaisse, L’Empire du Milieu, Edition Odle Jacob, 2001, pp. 444―453.
(11) 渡邊、前掲『ポスト帝国』、第2章「イメージとしての『アメリカ帝国』」、第4章「多極世界の構 造と多国間協調主義外交」に詳しい。なお、こうした冷戦終結後のアメリカの国際政治の理論に ついてまとまった研究は少ないが、山本吉宣「冷戦後のアメリカ国際政治論―アメリカの自己 イメージを中心として」『国際法外交雑誌』第103号第4巻(2004年)は孤立主義―国際主義、現 実主義―リベラリズム、単独主義―多角主義という3つの次元での対抗軸によって整理している。
(12) 渡邊啓貴「イラク戦争と米欧対立」『国際問題』第519号(2003年6月);渡邊「多極構造の世界 秩序」、藤原帰一・寺島実郎・小杉泰編『イラク戦争―検証と展望』、岩波書店、2003年;渡邊
「イラク主権移譲―〈対立と協力〉に見る米欧の論争軸」『エコノミスト』2004年7月20日号;渡 邊「ぶつかる二つの普遍主義」『論座』2005年1月号。
(13) 米欧関係の権威であるジョンズ・ホプキンス国際戦略高等研究大学院(SAIS)カレオ教授の指 摘。David Calleo, “The Geopolitics and the Broken West,” International Symposium, Transatlantic Relations and Euroasia, Shanghai, September 3―4, 2004.
(14) このような枠組みの考えをもっている研究者は筆者も含めてかなりいると思うが、ウーデネレ ン = アメリカ議会図書館ヨーロッパ部長によると、①の区分に入るのはケーガンやクラウトハマー などのいわゆるネオコン系のオピニオンリーダーである。②に該当するのがナイやアイケンベリ ーらレアリスト的リベラリスト、③が伝統的な現実主義者ブキャナン、ミアシャイマー、ラブキ ン、④がカプチャン、リンド、カレオなど親欧的な協調主義者である。
(15) Samuel Huntington, “The Lonely Superpower,” Foreign Affairs, March/April 1999(邦訳=「孤独な超大国」
『論座』1999年6月号)。
(16) John Ikenbery, “Democracy, Institutions, and American Restraint,” in John Ikenbery(ed.), America unrivaled;
The Future of the Balance of Power, Cornell University Press, 2002, pp. 213―238.
(17) チャールズ・カプチャン『アメリカ時代の終わり』(上下)、NHKブックス、2003年。
(18) Henry Nau, At Home Abroad: Identity and Power in American Foreign Policy, Cornell University Press, 2002.
(19) これらの議論については、渡邊、前掲『ポスト帝国』、2005年、第2章。
(20) Charles Krauthammer, “The Unipolar Moment,” Foreign Affairs–America and the World, 1990/91.ネオコン の論客クラウトハマーのイラク戦争前の一連の主張は、イラク戦争の現状に直面して「思いやり」
や「慈悲深さ」を伴なった「新しいユニラテラリズム」へのトーンダウンがみられたが、基本的 には一極的で単独主義的な姿勢は変わらない。
(21) 渡邊啓貴「スタンレー・ホフマンの国際政治観」『法学研究』第56巻第3号(1983年3月); Stanley Hoffmann, Gulliver’s Trouble, McGraw-Hill, 1968.
(22)G・モデルスキー(浦野起央・信夫隆司訳)『世界システムの動態―世界政治の長期サイクル』、
晃洋書房、1991年;田中明彦『世界システム』、東京大学出版会、1989年。
(23) Colin Dueck, “New Perspectives on American Grand Strategy,” International Security, Vol. 28, No. 4, Spring 2004, pp. 197―216. このなかでデュエックは、さまざまな議論はアメリカの優越性をいかに維持して いくか、という点こそ焦点であると述べている。デュエックは、「これまでの多くのヘゲモン(覇 権国)の辿った自滅的行動に陥ることなく、アメリカはどのようにしたらその利益と価値を増進
していくことができるのか」という問いかけがその意味であるとする。そのために、アメリカは 国際協調路線ないし多国間協調主義か、さもなければ強硬路線ないし単独行動主義という2つの選 択肢がある。いずれの立場でも、ここで重要なのは、「アメリカに対抗しうる相殺的な勢力(パワ ー)の出現を防ぐにはどうすればよいのか」ということである。
(24) William Wohlforth, “The Stability of a Unipolar World,” International Security, Vol. 24, No.1, Summer 1999, pp. 5―41.
(25) Pascal Boniface, La France contre l’empire, Robert Laffont, 2003, pp. 23―25.
(26) John Ruggie, “Multilateralism at Century’s End,” in Constructing the World Polity, Routledge, 1998, p. 109.
(27) ここでは、多国間主義については詳しく触れないが、コヘインによると、多国間主義マ ル チ ラ テ ラ リ ズ ム
は、「公 式・非公式な恒常的で結合的なルールのセットとしての制度」と定義される。最も簡単に定義す ると、多国間主義マ ル チ ラ テ ラ リ ズ ム
とは「制度」という名詞を形容詞化したものということになる。つまり制度化 そのもの、具体的には国際機構自体ということになる。ラギーは、多国間主義マ ル チ ラ テ ラ リ ズ ム
を「一般化された 行動原則を基礎にして3ヵ国以上の国々の間の関係を調整する制度的形態」と定義する。ラギーを 中心とする多国間主義マ ル チ ラ テ ラ リ ズ ム
論者の議論は、①「不可分性」=国際協力、②行動の一般原則、③相互作用
(互恵主義)の拡大という3つの特徴をもっていると言われる。そして、組織原理としての多国間 主義は「活動は少なくとも《適正な》グループにとって(たとえばデモクラシーのような)普遍 的基礎の上に組織化されるべきであるという信念」を構築している。多国間主義
マ ル チ ラ テ ラ リ ズ ム
は構成国に対し て当面の利益を放棄させ、その利益を国家利益の下に狭く定義することを拒むのである。John
Ruggie, op. cit. 邦文では、さしあたり、竹田いさみ「多国間主義の検証」『国際政治』第133号「多
国間主義の検証」、2003年8月。アメリカの多国間主義についての整理と新たな展望については、
滝田賢治「多国間主義の再定義とアメリカ外交」、同前。ほかに、James Caporaso, “International Relations Theory and Multilateralism: The Search for Foundation,” in J. Ruggie(ed), Multilateralism Matters:
The Theory and Praxis of an Institutional Form, Clumbia University Press, 1993, pp. 53―56.
(28) EUの理論について、その歴史的説明から始まって浩瀚な解説をしたものとしては、Ben Rosamond, Theories of European Integration, Palgrave, 2000.
(29) John Van Oudenaren, “What is ‘Multilateral’?” Policy Review, No. 117, February 2003.
(30) フランスの外交を中心にこの問題を分析したものとして、渡邊啓貴「ポスト冷戦時代のフランス 外交の歴史的・理論的背景」『早稲田政治経済学雑誌』(早稲田大学政経学会)第362号、2006年1 月。また、渡邊、前掲『ポスト帝国』、第4章に詳しく論じた。
(31) Philippe Defarge, “Le Multilatéralisme et la fin de l’Histoire,” Politique étrangère, automne 2004, pp. 582―
583.
(32) 渡邊啓貴「ヨーロッパのダイナミズムと米欧関係の綾」『平成十六年外務省委託研究:欧州情勢 の現状と今後の見通し』、財団法人平和安全保障研究所、2005年3月。
(33) European Council, A Secure European in a Better World: European Security Strategy, December 12th, 2003.
渡邊啓貴「『欧州共通防衛政策』対パックスアメリカーナ―二つの普遍主義の衝突」『エコノミス ト』2004年2月10日。
(34) ロバート・ケーガン(山岡洋一訳)『ネオコンの論理―アメリカ新保守主義の世界戦略』、光文 社、2003年。
(35) EUでは2000年春、リスボン欧州理事会が危機管理のための文民委員会の創設を検討したが、従
来米欧安全保障協力は軍事面での相互補完的な協力をいかに進めていくのかという点が焦点であ った。これに対して「人間の安全保障」に関する活動はもっぱら国連や欧州安全保障協力機構
(OSCE)など普遍的な集団安全保障体制の枠組みにおける試みとして考えられてきた。このEUの 新たな提案は、地域同盟の枠組みのなかで「人間の安全保障」=文民協力の機能や役割を重視し ていこうというところにある。
(36) “Iraq at the Turn,” The National Interest, Summer 2004, pp. 5―54.
(37) Zachary Selden, “Neoconservatives and the American Mainstream,” Policy Review, April 2004.
(38) Henry Nau, “No Enemie on the Right,” The National Interest, December 2004, pp. 19―28. ナウによると、
保守派の共通原則には、①個人と国民の自由は集団的・普遍的平等に勝ること、②競争は国際協 力よりも優れた変革の牽引車であり、自由の保護者である、③軍事力は経済・外交・ソフトパワ ーよりも優先される、④正当性は、その多くの構成国が非民主的な国際機関からではなく、民主 体制へのコミットメントを源泉とする、という4つである。この諸原則の下に、ネオコンとの対立 を解消して保守派の団結が重要であることが説かれる。
(39) C. Krauthammer, Democratic Realism: An American Foreign Policy for A Unipolar World, The 2004 Irving Kristol Lecture, The American Enterprise Institute, February 12, 2004. 2004年2月。ネオコンの牙城である アメリカン・エンタープライズ研究所での講演「束の間の一極の時期は一極時代となった」とい うアメリカの絶対的な優位を標榜するクラウトハマーの議論をめぐる論争である。
(40) Francis Fukuyama, “The Neoconservative Moment,” The National Interest, Summer 2004, pp. 57―68.
(41) Charles Krauthammer, “In Defense of Democratic Realism,” The National Interest, Fall 2004, pp. 15―25.
(42) Robert Cooper, “Imperial Liberalism,” The National Interest, Spring 2005, pp. 25―34.
(43) Ibid. クーパーの議論も同じような立場からの議論。力の行使をある程度認めた「帝国主義的自由
主義」という主張を行なう。
(44) Francis Fukuyama, America at the Crossroads: Democracy, Power and the Neoconservative Legacy, Yale University Press, 2006.
(45) フクヤマとクラウトハマーの議論については、渡邊、前掲『ポスト帝国』、第7章;中岡望「フ ランシス・フクヤマがネオコンに突きつけた挑戦状」『中央公論』2006年6月号。
(46) John Ikenberry and Charles Kupchan, “Liberal Realism,” The National Interest, Fall 2004, pp. 38―49.
(47) Joseph Nye, Soft Power: The Means to Success in World Politics, The Sagalyn Literary Agency(邦訳=ジョ セフ・ナイ〔山岡洋一訳〕『ソフト・パワー―21世紀国際政治を制する見えざる力』、日本経済 新聞社、2004年)。
(48) Nicole Gnesotto, “Le challenge, c’est le réel,” in Marcin Zaborowski(ed.), Friends again? EU–US relations after the crisis(Transatlantic book 2006), EU Institute for Security Studies, 2006, pp. 11―28.
(49) Zaki Laïdi, “Vers un monde multipolaire?” Etude, octobre 2003; Zaki Laïdi, La grande perturbation, Flammarion, 2004.
(50) Francis Fukuyama, “The Paradox of International Action,” The American Interest, Vol. 1, No. 3, Spring 2006, pp. 7―18.
(51) Cooper, op. cit., pp. 25―34.
(52) Stanley Sloan, NATO, The European Union, and the Atlantic community, Oxford, 2005, pp. 236―239.
わたなべ・ひろたか 東京外国語大学教授