「1999年度 上智大学経済学部経営学科 網倉ゼミナール 卒業論文」
新宿百貨店戦争にみるデパート勝ち組の法則
A9642221 栗林 容子 平成12年1月11日
前書き
百貨店は構造不況業種だと言われて久しい。百貨店に未来は無いとも言う。
百貨店に未来があるのかないのかは分らない。ただ、今現在百貨店という業態が存在し、日々 業務をこなす従業員がおり、商品を納入する業者がおり、そして店に足を運ぶ客がある限り、
百貨店は生き残るべく戦わなければならない。
百貨店が戦わなければならない最も強力な相手は自らが抱える様々な問題である。これらの 問題を解決したら生き残ることが出来るのかさえも分らない。しかし、もし21世紀に生き残 る百貨店があるとすれば、その百貨店はどう問題を解決し、この未曾有の消費不況をどう乗り 切ったのか、知っておきたいと思う。
目次
● 百貨店業界の現状
1、バブル経済崩壊以降現在までの百貨店の状況 2、百貨店業界が抱える問題
● 新宿という街について 2、 街としての新宿
2、 タカシマヤ・タイムズスクエア進出後の新宿 ● 新宿百貨店戦争
2、 タカシマヤ・タイムズスクエアが既存の百貨店に及ぼした影響 2、 新宿百貨店戦争の結論
2、 伊勢丹と高島屋 2、 伊勢丹1人勝ちの理由
● 自主マーチャンダイジングとは何か 2、 百貨店におけるマーチャンダイジング 2、 自主MDの経済性
2、 自主MDの問題点
● 伊勢丹のマーチャンダイジング
2、 マーチャンダイジングのバックボーン 2、 伊勢丹のマーチャンダイジングの例
● 伊勢丹の商品管理システム
2、 現在の百貨店におけるPOSシステムとクイックレスポンス 2、 伊勢丹のQRへのアプローチ
● 伊勢丹の顧客管理システム 2、 顧客分類の必要性 2、 伊勢丹の顧客分類 2、 アイカード戦略
● 結論
百貨店業界の現状
1、バブル経済崩壊以降現在までの百貨店の状況
バブル経済の崩壊が百貨店の売上に影を落とし始めたのは91年のことである。美術・宝 飾品から売上が鈍化し、地域によっては前年を割る月が出てきた。現在も続く百貨店苦悩の 時代の幕開けである。92年2月になると全国百貨店売上高がマイナスを喫した。以来44 ヶ月マイナス成長が続き、95年11月に45ヶ月振りに前年を上回り、96年には5年振 りにプラス成長(3.4%増)に転じたのも束の間、97年4月から実施された消費税率の引 き上げなどが影響し、97年0.8%減、98年には5.0%減と低迷し現在に至っている(表 1)。99年はどうかというと1月から9月まで前年比でプラスの月は皆無である。実数で示 すと98年の百貨店売上高9兆1773億円はピークであった91年(10兆1625億円)
と比較すると約1兆円も減少しているということになる。次に小売業年間販売額における百 貨店の占有率であるが、表2で分るように、全国小売業売上高における百貨店のシェアは1 988年に8.32%であったのに、1994年には7.69%になり、97年には7.5 1%にまで落ち込んでいる。この間、百貨店業界は各地で新店舗を作り、既存店をリニュー アルし、売場面積を拡大してきた。それを考えると1兆円減という数字がどれほど深刻なも のか、百貨店業界が現在、どれほど厳しい戦いを余儀なくされているかが分る。
2、百貨店業界が抱える問題
バブル経済崩壊以降、売上高が減少を続けるなか、百貨店の危機が叫ばれ、百貨店という 業態そのものの存在が危ぶまれて約10年になる。違う言い方をすれば、10年かかっても 完全に解決できない問題を百貨店業界は抱えているということになる。
今、百貨店が抱える問題は大きく分けると4つに分類される。
ⅰ 業態構造の問題
ⅱ 価格の問題
ⅲ 立地の問題
ⅳ 商品戦略の問題
ⅰの業態構造の問題は百貨店の極端な低収益体質に起因する問題である。表3、4で分る ように、百貨店の収益力は極端に低い。表4から4つの業態を比較すると専門店の営業利益 率が最も高く、これに次いで食品スーパー、総合スーパー、最後に百貨店の順番となってい る。表中の百貨店の中で営業利益率が1%を上回っているのは9社中4社で他の業態には1%
を割る企業はないにもかかわらず、残りの5社は1%を割っている。また表3の粗利率(売 上高総利益率)だが、大手百貨店の粗利率は企業によってばらつきはあるものの、平均して 25%前後であり、大手総合スーパーとほとんど差がない。商品に品質的な差がない日用品 を扱い、価格を下げれば下げるほど売れるスーパーとは違い、百貨店は低価格が商品購入の 決め手になる比重の小さい、付加価値の高い高級品を扱っている。つまり百貨店はスーパー に比べ単価あたりの利益率が高く、単価も高い。ゆえに利益の絶対額も大きく、利益率では スーパーを上回っていなければならないのに、考えられない数値を呈しているということに なる。事実ヨーロッパの百貨店では粗利率は30%を上回り、アメリカの百貨店に至っては 40%以上となっている。この利益率の低さの原因として百貨店の高コスト体質が挙げられ る。都心の一等地という立地条件、何万平米もの売場面積という小売業としての競争力を持 ちながら百貨店は設備費・人件費など営業コストの高さに悩まされている。大手百貨店5社(大 丸、東急百貨店、三越、高島屋、松坂屋)の1坪あたりの設備費を大手スーパー6社(ダイエ ー、イトーヨーカ堂、ジャスコ、ユニー、マイカル、西友)のそれと比較してみると(93年 から97年にかけて)、百貨店5社の平均は約45万円、スーパー6社の平均は約27万円で ある。また同様に一人あたりの人件費は百貨店が大体600万から650万円、スーパーが 370万から390万円である。人件費については百貨店の方が社員の平均年齢がスーパー に比べて高いこと、パート社員の比率が低いことが主な原因であると考えられるが、明らか
に百貨店が他の小売業態と比較して高コスト体質であることが分る。
ⅱは流通業界の価格を軸とした構造変化に百貨店が対応していけるだろうかという問題で ある。経済企画庁が99年2月から3月にかけて実施した「店舗形態別価格調査」によれば、
百貨店、スーパー、ディスカウントストアといった店舗形態による価格差は2年前の調査時 より小さくなっている。流通経路の短縮やローコスト運営によって低価格を実現した業態の 登場が百貨店を刺激し、百貨店が多少は価格競争力の強化に努めた結果といえるだろう。し かし、消費者に対する1番のサービスは価格を引き下げることであるという現実 (表5)に定 価販売が基本である百貨店がこれ以降どう対応していくのか、大きな課題である。
ⅲは百貨店の大都市立地が限界にきているという問題である。ダウンタウンや駅前に店舗 を構えるのが通常であった百貨店が郊外または超郊外に進出し始めたのは今に始まったこと ではない。その理由として郊外のほうが出店・運営に関するコストが都心に比べかなり低い こと、車社会への対応、そして百貨店が都市構造変化のなかでランドマーク性を喪失してし まったこと、都市の地盤沈下が挙げられる。その是非はともかく、百貨店の脱市街地中心主 義は立地に関して百貨店が様々な問題を抱えていることを示している。
ⅳは戦後から現在までの百貨店における流通システムの基本である委託取引制度がコンシ ューマーフロントであるという百貨店の優位性を喪失させてしまったという問題である。ま ず委託取引制度についての説明だが、日本の百貨店取引に委託制度が導入されたのは昭和2 5年以降のことである。当時、シーズンが終わるごとに百貨店から返品される大量の在庫を 抱えて苦しんでいたオンワード樫山(当時は樫山)など百貨店アパレルが生き残りをかけて次 のような方法を開発したのが委託取引制度の始まりである。
● 百貨店に商品を納入した時点で売上を計上することをやめ、店頭で売れた時点で計上 する
● シーズン初めに全着作り上げておくのではなくシーズン中にも企画・生産をする期中 生産の実施
● 積極的に優秀な販売員を派遣し、その日報によって売上と売れ筋情報を手に入れる
● 法律上は百貨店所有の店頭在庫もあくまでも自社在庫と考えアイテム別数量管理を実 施
● 残品は徹底的に価格を落として販売し、在庫処分を徹底させる
以上のような制度の実行により戦後から現在にかけて百貨店とアパレルメーカーの力関係が 逆転した。それによってどのような弊害が百貨店側に起こったかというと、まず商品の価格
決定権と値入率(売上高に対するメーカーと百貨店の取り分の比率)の決定権をアパレルメー カー側に握られるという事態が発生した。ⅰで述べた百貨店の粗利率の極端な低さもこれに 原因がある。そして忘れてはならない弊害としてアパレルメーカーからの派遣社員制度によ って、百貨店は小売業であるにもかかわらず、顧客動向、売れ筋商品は何かといった売場か らの情報を全く受け取れなくなってしまったのである。アパレルメーカーから派遣された販 売員達は売場で掴んだ情報を百貨店には流さず、自分の属するメーカーに直接流した。特に 流行の移り変わりが速く、裾の1センチ長い、短いが売れ筋、死に筋を分ける婦人服の分野 ではこういった情報を持つのと持たないのでは商品企画力に大きな差が出てくる。結果的に アパレルメーカーはこのような組織的なマーケティングで魅力的な商品を作り、自社のブラ ンドに付加価値をつけることに成功したが、反対に百貨店はコンシューマーフロントとして の優位性を失い、顧客戦略、商品戦略において動きが取れなくなり、どこの百貨店に行って も同じという結果になってしまった。これが商品戦略の問題である。
ここまで百貨店の抱える問題を分析したが、1つだけ確実なことが言えるとしたら、21 世紀に百貨店という業態が生き残るとしたら、百貨店が以上の問題を解決したという証拠で あろうし、以上の問題を1つでも早く、多く解決した百貨店が生き残るということだろう。
では現在勝ち組といわれている百貨店はなぜ勝ち組なのだろうか、本当に問題を解決して生 き残れるのだろうか。
新宿という街について
百貨店における勝ち組、負け組について考える時、調査の対象とする地域を1つに絞らね ばならない。例えば銀座の三越と渋谷の西武百貨店ではターゲットとする客層が全く異なるし、
ゆえにそれぞれの百貨店が採らねばならない商品戦略も違ってくる。また銀座と渋谷では百貨 店以外の集客力のある商業施設の在り方も異なり、買い物客の行動パターンも異なると思われ る。つまり小売業、そのなかでも特に百貨店はいわゆる土地柄に大変影響されやすい業態であ り、異なる土地柄を持った地域の百貨店どうしを比較することは非常に難しく、結論を導びき にくい。
以上の理由から調査の対象とする地域を選定しなければならないのだが、年間1兆円とい う日本最大の商圏であること、タカシマヤ・タイムズスクエア進出後、百貨店どうしの競争が 注目を集めているという理由で新宿を選んだ。
1、街としての新宿
新宿駅にはJR、小田急、京王帝都、西武、営団地下鉄、都営地下鉄の各線が乗り入れてお り、1日の乗降客は約300万人、周辺の昼間人口は約80万人と言われ、年間約1兆円の 日本最大の商業集積地である。街は東口(東口と中央東口)、西口(西口と中央西口)、南口(南 口、新南口、ルミネ口)といったJRの出入口ごとに繁華街が形成されており、それぞれの出 入口とそれに連なる繁華街の個性も様々である。東口は日本最大の歓楽街、歌舞伎町へ通じ、
商業施設としては三越新宿店、伊勢丹本店、丸井などがある。小田急線と京王線の両私鉄タ ーミナルと隣接している西口は東京都庁を始めとする新宿超高層ビル街への窓口となってい る。また西口にはヨドバシカメラやさくらやといった家電量販店やパソコンショップの激戦 地もあり、比較的サラリーマンの多い出入口である。他に西口の商業施設としては小田急百 貨店と京王百貨店がある。(南口については2で述べる。)
2、タカシマヤ・タイムズスクエア進出後の新宿
タカシマヤ・タイムズスクエアがオープンしたのは1996年10月である。それまで南 口は場外馬券売場ウインズの利用客が使う出入口という印象が強かった。しかしタイムズス クエア進出後はそれまであまり南口では見られなかった若者やファミリー層で賑わうように なった。こうした南口の客層の変化にはタイムズスクエア進出後にオープンしたサザンテラ スやフラッグスの影響も無視できない。
商業施設としては今世紀最後のビッグプロジェクトであるタカシマヤ・タイムズスクエア の進出が新宿という街に及ぼした影響は2つである。1つはタイムズスクエアの進出によっ て新宿が地区全体の集客力を増し、渋谷、池袋といった他の主な繁華街に力量的に大きな差 をつけたことであり、もう1つは新宿を歩く買い物客の流れを大幅に変えたことである。そ れまで日本最大の歓楽街歌舞伎町と伊勢丹や丸井など商業施設で賑わう東口とオフィス、ホ テルなどが集まっている西口を行き来する人は少数で、新宿の人の流れは線路で分断されて いたといえるが、タイムズスクエアがオープンして以来、東口と南口、西口と南口、さらに は東口と西口を南口を経て結ぶ人の流れが出来たのである。以上のことを考えると、タカシ マヤ・タイムズスクエアが新宿に及ぼした影響は非常に大きいと言わざるを得ない。そして、
当然タイムズスクエアが新宿に及ぼした影響は、そのまま既存の商業施設、特に百貨店に跳 ね返った。
新宿百貨店戦争
1、タカシマヤ・タイムズスクエアの進出が既存の百貨店に及ぼした影響
タカシマヤ・タイムズスクエアのプロジェクトがスタートしたのはバブル絶頂期の199 1年のことである。日本国有鉄道清算事業団の所有する新宿貨物駅の再開発として計画され たのが始まりである。高島屋は計画当初、日本一の百貨店を目指し、全敷地(8万平方メート
ル)を自社の売場として使用するつもりだった。しかしその後バブルが崩壊し、百貨店業界も リストラが進む中、プロジェクトも軌道修正を余儀なくされた。最終的には売場面積5万5 千平方メートルで落ち着いたわけだが、これは百貨店に伝統的に存在する赤字部門(ベビー 用品、趣味雑貨、家庭用品など)を意図的に切り捨て、専門店に任せた結果である。こうし て趣味・家庭雑貨の東急ハンズ、書籍の紀伊国屋、そして21世紀型娯楽施設のセガ・アミ ューズメントパーク「新宿ジョイポリス」などと共存共栄を目指したタカシマヤ・タイムズス クエアが誕生した。
なお、5万5千平方メートルの売場面積は新宿地区では伊勢丹本店の6万2千平方メート ルに次ぐ規模で、小田急百貨店と同程度である。(表6)
高島屋新宿店はオープン初日(1996年10月4日)、25万人の来店客を集め10億円 を売り上げた。周辺の百貨店、伊勢丹、三越、京王、小田急はそれぞれ5割、8割、3割強 ずつ来店客を増やした。ちなみに高島屋新宿店出店の打撃を一番受けるのではないかと言わ れていた伊勢丹は、来店客数初日4日150%、5日130%、6日120%で、売上で4 日120%、5日115%、6日125%という数字である。また高島屋新宿店を除いた4 店の対前年比の売上高を見ると、96年10月105.1%、11月102.3%、12月 98.0%、1月98.1%、2月98.0%、3月118.8%となっている。タイムズ スクエアが新宿に及ぼした1つめの影響がここに現れていると言えるだろう。しかしこの高 島屋新宿店開店の相乗効果をどの既存店も永遠に受け得るのかについては分らない。実際、
1997年消費税率が5%に上がった4月以降、三越新宿店と、小田急百貨店は売上高の対 前年比率がほぼ毎月2ケタのマイナスになっている。増えたパイをまた奪い合う、新宿百貨 店戦争である。
2、新宿百貨店戦争の結論
高島屋新宿店の出店は新宿に百貨店戦争をもたらし、結果的に地域における百貨店の勝ち 組、負け組を分けるボーダーラインを明確にした。勝ち組は伊勢丹新宿店、高島屋新宿店、
京王百貨店であり、負け組は三越新宿店、小田急百貨店である。既存店ではタイムズスクエ アオープンに際し高島屋対策を事前に実行した店舗が勝ち組に、そうでない店舗が負け組に なっている。伊勢丹新宿店は高島屋出店に先立って「ファッションの伊勢丹」という個性をよ り明確に打ち出したリニューアルを行っている。また京王百貨店は伊勢丹、高島屋との直接 対決を避ける形で、「新・大衆百貨店」を標榜し、ターゲットをより中高年層にシフトさせた。
一方負け組である三越、小田急百貨店は静観した形になり、タイムズスクエア相乗効果を吸 収出来ずに終わった。
進出した側の高島屋は出店の際、既存店、特に伊勢丹のリニューアルプランを徹底的に研 究、結果最大のターゲットである女性客を重視した店作りを行った。具体的なターゲットは 新宿の地域特性を踏まえヤングキャリア、店作りとしては1階から6階までをすべて婦人服、
婦人雑貨に振り分けた形となった。また新宿初のブランド、日本初上陸の海外ブランドなど、
数々のブランドが高島屋新宿店に登場した。高島屋は初年度売上高目標800億円をクリア し、最終的には約850億円を売り上げた。高島屋新宿店は数値的には伊勢丹新宿店、京王 百貨店と共に勝ち組に入る。
3、伊勢丹と高島屋(疑問)
高島屋新宿店は本当に新宿百貨店戦争の勝ち組なのだろうか。高島屋新宿店の総売場面積 は5万5千平方メートル、伊勢丹新宿本店は6万2千平方メートルであり、百貨店の売場面 積としては高島屋は伊勢丹より小規模である。しかし、高島屋新宿店には東急ハンズ、紀伊 国屋、HMVといった単体でも強い集客力を持つテナントが併設されており、これらのテナ ントが高島屋にもたらす恩恵は伊勢丹との売場面積の格差を補って余りあるはずである。に
もかかわらず、高島屋新宿店の売上高は今一つ迫力に欠ける。初年度こそ832億円と80 0億円の目標額を4.1%上回ったものの、2年目(97年)は755億円に留まった。伊勢 丹新宿店の売上は97年で2543億円である。もし同じ販売効率であるとしたら売場面積 から言っても高島屋は2000億円を売上げていなければならない。もちろん両店では立地 条件、歴史的背景が違い、販売手法も違うから一概には言えない。しかし高島屋新宿店を新 宿百貨店戦争の勝ち組と素直に言い切るには材料不足の感を拭い去れない。勝ち組とも負け 組とも言い切れない、微妙な位置に高島屋は存在している。なぜか。その理由は高島屋が新 宿百貨店戦争に負けたのではなく、伊勢丹が勝ったからである。
4、伊勢丹一人勝ちの理由(仮説)
買い物客が特定の百貨店を目指して繁華街を歩いている。何を求めて足を運ぼうとしてい るのか、と問われれば、買い物客はその百貨店にテナントとして入っているブランドの商品 と答える可能性が高い。現在の百貨店において、客を集めるために最も有効な方法は人気の ある(集客力のある)ブランドをテナントとして誘致することである。特にシャネル、グッチ、
ルイ・ヴィトンなどの欧米の高級ブランドは、消費不況の日本にあっても着実に売上高を伸 ばしており、百貨店にとってこれらのいわゆるスーパーブランドを誘致出来るか否かは、そ の店の売上を大きく左右する非常に大きな問題となっている。実際、高島屋新宿店出店に際 し、伊勢丹は自社が擁するブランドの囲い込みに走り、その結果高島屋はグッチとシャネル の誘致に失敗した。客を呼べるスーパーブランドの動向はそのまま百貨店の勢力地図を変え るだけの影響力を持つだけに、出店、リーニューアルに際し百貨店側は誘致交渉、囲い込み に必死なのが現状である。海外のスーパーブランドはもちろん、国内のアパレルメーカーの ブランドに関しても、より人気のある、集客力の高いものを誘致することは百貨店の勝ち組 になるために欠かせない条件である。
仮説1:伊勢丹は海外、国内アパレルメーカーとのパイプが太く、ブランド誘致戦略に優れ ているのではないか。
伊勢丹とアパレルメーカーのパイプの太さは伊勢丹の株主を見れば明らかである。伊勢丹 の株主は持ち株数が多い順に、東京生命、東京三菱銀行、三菱信託銀行、オンワード樫山で、
それぞれ5.7%、4.9%、4.2%、3.6%を所有している。国内のアパレルメーカ ーが金融機関と共に株主に名を連ねている百貨店は伊勢丹だけである(他に東京スタイルが2.
5%を所有している)。
表7は海外、国内のブランドのうち、ファッション雑誌(nonno、JJ、With、
CLASSY、ミセス、婦人画報の98年1月号から99年12月号まで、なおnonno については1日発売の号)に掲載された回数の多い上位30ブランドがどこの百貨店に入っ ているかを調べたものである。伊勢丹に入っているのは30ブランド中17ブランドで、新 宿に店舗を構える百貨店でトップである。
伊勢丹がアパレルメーカーと太い繋がりを持ち、ブランド誘致戦略に優れているというこ とは明らかである。また実際、新宿の百貨店では伊勢丹にしかないスーパーブランドのプラ ダやグッチは伊勢丹の集客力に大きな貢献をしている。しかし、たとえそれが最もイージー に数字を出せる方法だとしても、集客力のあるブランドを集めてくるだけでは、百貨店の未 来は見えて来ない。それだけでは百貨店人の能力が問われる場はアパレルメーカーとの交渉 会議の席のみということになり、百貨店は一生独自の個性を持たない場所貸しで終わってし まうからだ。また、委託取引制度の慣行を持つアパレルメーカーのブランドに依存しきった 店舗運営をしていたのでは、利益率の改善は不可能であり、百貨店が抱える業態構造におけ る問題を解決することは出来ない。百貨店が本当の意味で回復軌道を歩むためには、自主編 集売場で出来る限り売上を伸ばし、粗利率を上げることが不可欠である。
以上のことを踏まえて、百貨店業界では独自のマーチャンダイジングで自主編集売場を活
性化させることにより、売場に個性を持たせると共に、利益率の向上を図る動きが続いてい る。アパレルメーカーに支配されることの弊害に気付いた百貨店が、業態として生き残るた めに、そして勝ち組に入るために取った最初の手段といえる。
仮説2:伊勢丹はマーチャンダイジング力に優れているのではないか?
表3、4で伊勢丹の粗利率、利益率は共に高い数値を示している。また伊勢丹は他の百貨店 よりアパレルメーカーとの繋がりが強いと述べたが、メーカーとのパイプが太いということは、
言い換えればそれだけメーカーに支配されているということである。伊勢丹が他社より先に危 機感を持ち、マーチャンダイジング力を研ぎ澄ますことの重要性に気付いていても不思議では ない。
定量的なデータではないが、伊勢丹と負け組である小田急百貨店の平日の客層を比較して みた。
小田急百貨店 ・中高年層が多く若者はほとんどいない
・ 2、3人で連れだっている主婦が多い
・ 荷物の大きな人が多い 伊勢丹 ・若者も中高年層もいる
・ 母娘2人連れが多い ・一人で来ている人が多い
小田急百貨店と伊勢丹のターゲットとする客層は同じであるにもかかわらず、以上のよう な違いがある。小田急百貨店に来店していた2、3人で連れだっている主婦は買い物そのもの より、食事をしたり、友人同士の会話を楽しんだりすることが目的のように思われた。これは 私見であるが、人は本当に物を買いたい時、または買わなければならない時、無意識に決断に 集中しようとするため1人で店に向かうものではないだろうか。
また、伊勢丹には小田急百貨店ではあまり見られなかった母娘の2人連れが多く来店してい る。商品知識はないが経済力のある母親と、逆に経済力はないが商品知識がある娘はお互いを 補い合い、大きな購買力を持つ。百貨店にとって母娘の1セットはまたとない顧客であるが、
とりわけ伊勢丹は彼女達を取り込むことに成功している。母と娘が買い物をする際、どこの店 舗にまず行くのかを決定するのは商品について知識のある娘の方である。伊勢丹と小田急百貨 店は共にヤング層にターゲットを絞っているにもかかわらず、伊勢丹は娘を取り込むことに成 功し、小田急は失敗している。
伊勢丹は本当に買い物をする客を惹きつけ、商品知識の豊富な (つまり選別眼の厳しい)年 齢層を惹きつけているのである。
自主マーチャンダイジングとは何か
1、百貨店におけるマーチャンダイジング
一般的にマーチャンダイジングとは需要動向に合せて、適切な商品を適切な条件(場所、時 間、価格など)で販売するための一切の活動をのことを言う。百貨店の自主編集売場における マーチャンダイジング(以下自主MD)には大きく分けて3つのカテゴリーがある。1つ目は バイヤーが海外で直接買い付けしたり開発した直輸入品(海外買付商品)を扱うカテゴリーで、
2つ目はデザイナーとの契約で開発したり独占販売権を有した商品(ライセンス商品)、3つ 目が独自の企画、編集を通じて開発した商品(自主企画商品)のカテゴリーである。百貨店の 自主編集売場は主にこの3つの商品で成り立っており、自主MDとはこれらの商品の企画か ら販売までを管理する企業活動である。
2、自主MDの経済性
アパレルメーカーと百貨店の伝統的な商慣行、委託取引制度と自主MDの最も大きな相違 は、商品が売れ残った場合に委託取引制度では百貨店からメーカーへ返品可能であるのに対し、
自主MDは完全な買取仕入であり、返品不可能であるということである。委託取引制度におい ては、百貨店側は商品が売れ残っても返品可能なことで投資リスクを回避することが出来るが、
メーカー側も最初から返品リスク分を考慮した高めの原価を設定しているため、仕入原価が高 くなり、仕入差益率も低くなる。反対に自主MDでは返品をしない代りに仕入原価を低く交渉 することが出来、リスクを負担する見返りとして、より高率の仕入差益率がもたらされるので ある。
3、自主MDの問題点
自主MDでは商品の価格を低く設定し、商品自体の販売力を上げることは出来るが、その代 わり委託取引制度ではアパレルメーカーに頼っていた宣伝費や人件費を百貨店側が負担しなけ ればならない。このような問題を始め、自主MDは依然数々の課題を残しているのが現状であ る。日経流通新聞が97年7月に全国の百貨店32社のバイヤー132人に対して実施したア ンケートによると、回答したバイヤーの75.7%が「現在の自主MD売場の比率は全体の10%
未満」と答え、「全体の半分程度」は3.8%、「30%程度」は5.3%にすぎなかった。また現 在の自主編集売場運営の評価として、「自主化はうまく行き、十分利益を上げている」としたバ イヤーは全体の13.4%にすぎない。41.8%のバイヤーは「解決すべき課題が多いことが 判明した」と回答した。なぜ自主MDが苦戦を強いられるのかについては、「販売力が伴わず売 れ残りが出来る」との回答がトップで、売場の販売力が不足しているという意識が強く、「商品 企画を立てようにもバイヤー側の能力がない」とバイヤーの能力自体を疑問視する回答を上回っ た。しかし、これらの不利な点を認識した上で、各社とも自主MDの比率を拡大する方針であ り、「今後全体の20%程度にするのが望ましい」というバイヤーは41.7%、「半分程度が 望ましい」とする意見も11.4%を占めている。
仕入から販売までアパレルメーカーに依存してきたため、百貨店はいきなり自主MD化を進 めても充分利益を上げられずにいる。とはいえ百貨店の多くが、今後自主MDを強化し、売場 での比率を拡大することを目標に掲げているのも事実である。委託取引制度から脱却し、自主 MDを成功させるには企画・仕入から販売までのラインに携わる人全てが変わらなくてはなら ない。従来の委託取引では、売れ筋のテナントやブランドをいかに獲得、管理するかがバイヤ ーの仕事だったが、自主MDでは、取引先の選定から、サイズ別、色別の細かな商品仕入れ、
利益管理までがバイヤーの仕事になる。また、商品は全て百貨店の買い取りになるため、売れ 残っても返品することが出来ない自主MDでは、一旦売場に並んだ商品をいかに売り切るかが 重要な課題であり、販売員は今以上に売上に対して責任感を持たなければならない。自主MD は全社を挙げた試みであり、それだけ百貨店にとっては危険な賭けとも言える。しかし自主M Dの導入、強化によってもたらされる商品の個性化、社員の意識の向上は、粗利益率の改善と いうレベルを超えたところで、今後各百貨店の体力差となって現れてくるだろう。
伊勢丹のマーチャンダイジング
1、マーチャンダイジングのバックボーン
1994年に制定された伊勢丹企業理念の基本は「お客さま第一」である。あらゆる小売業、
サービス業で使われる聞き飽きた言葉のようだが、これを本当に日常レベルで実践すること が伊勢丹の企業としての基本姿勢である。こうしたコンセプトを明確にするため、伊勢丹は 1996年4月から「売場」を顧客の立場から見た「お買場」に呼称変更するお買場革命を実 施した。顧客第一の視点から販売サービスを見直し、顧客満足度の向上を目指すことが目的 である。このような土台をもとに、マーチャンダイジングにおいて伊勢丹は、全社員がお客 さまの要望やニーズを売場での綿密なコミュニケーションによって受信し、それを商品戦略 に反映出来る枠組を整えようとしている。その取り組みの1つに「ウォントスリップ」がある。
販売員は日々「こんな商品はないか」、「こういったサービスはないのか」といった買い物客の 声に接している。このような売場で拾った客の不満や要望をメモという形で、バイヤーや商
品企画担当者に伝える仕組みがウォントスリップである。例えば婦人ヤングのパンツの場合、
お直しのデータや試着時の反応から股下が短いサイズも用意することを販売員が思いつき、
早速実行してみたところ修理率を大幅に減らすことが出来た。ウォントスリップは販売員、
引いてはバイヤー、商品企画担当者に顧客と商品に対する関心を持つことを促し、お客さま 第一というコンセプトを小売業の基本である売場から実践するための取り組みである。伊勢 丹は自らの仕事を顧客の代表として商品の選定から仕入までの様々な活動を行う購買代理業 と考えているのである。
2、伊勢丹のマーチャンダイジングの例
百貨店の自主MDには海外買付商品、ライセンス商品、自主企画商品の3つのカテゴリー がある。伊勢丹の海外買付商品群の代表は1階の77平方メートルのスペースで展開する「解 放区」である。期間限定で8人の新進デザイナーの作品が販売される売場で、1994年に 始まった。大手アパレルメーカーや商社を通せないため作品を世に出せないでいる、才能あ るデザイナーにチャンスを提供しようという発想から生まれた解放区だけに、素材や色にこ だわった商品群は予想を遥かに上回るヒットとなった。94年2月下旬から6月中旬までの 第1弾ではオープン100日で売上目標の5000万円を大きく上回る8000万円を売り 上げた。このヒットには自主MDならではの2つの要因がある。1つは全品買い取り仕入で 価格を安く設定出来たことである。2つ目は買い取り制であるがゆえに、販売員の「必ず売 り切ろう」という意識が他の売場とは比較にならないことである。解放区からはアナ・スイ を始め5つのブランドが独立した。伊勢丹は解放区で発掘したデザイナーのうち、特に反響 を呼んだデザイナーと日本での独占的流通およびライセンス契約を結ぶことに成功している。
次に自主企画商品であるが、伊勢丹には2つのプライベートブランド (以下PB)がある。
オンリー・アイとイセタン・クオリティ(IQ)である。オンリー・アイは1993年、新 宿本店進出60周年記念キャンペーンの一環としてスタートしたのが始まりである。アメリ カの大手百貨店ブルーミングデールのPB、オンリー・アット・ブルーミングデールをもじ ったのが名前の由来である。「お客さまのニーズがあるにもかかわらず、マーケットに無い商 品」を「伊勢丹だから出来る」、「伊勢丹にしかない」、「伊勢丹ならでは」の形で開発し、世に送 り出すというのが基本コンセプトである。イセタン・クオリティもコンセプトは同様である が、こちらはオンリー・アイよりも比較的低価格であり、コストパフォーマンスが重視され ている。どちらも顧客と従業員からのアンケートとウォントスリップを最重要視して開発さ れており、デザイン、色、ザイズ、機能性などの付加価値を盛り込むことで、客のニーズだ けでなくウォンツを先取りすることを目指している。オンリー・アイ商品は現在、衣料品か ら食品までおよそ7000アイテムある。その中でも代表的な商品はというと必ず名前が挙 がるのが、クォーターピッチパンプスである。サイズ展開が0.25センチ刻みで、左右別々 の大きさを選ぶことが出来るパンプスであり、オンリー・アイを代表するヒット作となった。
クォーターピッチパンプスも「0.5センチ刻みの一般的なサイズ展開ではどうしてもフィ ットしないお客さまがいる」、「左右の足の大きさが違うお客さまが意外と多い」という売場 の販売員達の声を反映して開発されたものである。
解放区とオンリー・アイはどちらも百貨店における海外買付商品とPBの草分け的な存在 である。伊勢丹以外の百貨店ももちろんPBの開発に力を入れており、その中には高島屋の
「イーブン」、小田急百貨店の「基本優品」などがある。しかし、オンリー・アイの売上高が伊 勢丹の全売上高の3%〜4%(キャンペーン中は8%〜10%)を占めるのに対し、高島屋の イーブンはわずか0.5%〜0.6%を占めるにすぎない。オンリー・アイはどちらかとい うと、利益を出すことよりも商品の個性化・差別化を狙っているのに対し、イーブンは価格 決定権を完全に高島屋が握ることによって差益を稼ぐことを狙っているにもかかわらずであ る。また伊勢丹の解放区は、百貨店がバイヤーの感性で差別化できること、買い取り仕入が 理想論ではないことを百貨店業界で初めて証明した取り組みであった。伊勢丹は自主MDに
おいて、解放区とオンリー・アイという2本柱を揺るぎ無いものに成長させ、ファッション の伊勢丹として、特に若い女性のマインドシェアを獲得することに成功した。伊勢丹の何が 優れているのだろうか。
バイヤーの感性か。販売員の顧客のニーズを読み取る能力か。それともこれらの人的資源を サポートするシステムなのか。
伊勢丹の商品管理システム
1、現在の百貨店におけるPOSシステムとクイックレスポンス
(財)流通システム開発センターが1999年1月に行った「流通情報システム化実態調査」
(調査方法は郵送配布、郵送回収によるアンケートで、調査対象は小売業のうちJAN型PO S利用の可能性があると考えられる業種および業態であり、店舗調査と企業調査の2種類を 行っている)によると、店舗調査でPOS導入済みの店舗数は全体の42%であり、百貨店は 有効回答店舗数44店舗のうち29店舗、つまり65.9%がPOS導入済みである。コン ビニエンスストア90.7%、食品スーパー89.2%、総合スーパー80.2%に次ぐ数 字である。また企業調査によるとPOS導入済みの店舗数は70.4%である。百貨店は有 効回答店舗数352店舗のうち96.6%に当たる340店舗がPOS導入済みであり、こ れは全業態の中でトップの導入率である。百貨店に続き、コンビニエンスストア95.4%、
生協92.9%となっている。この結果から百貨店には会社としてはPOS導入済みだが、
全店で導入出来ないでいる企業が多いと言うことになる。
百貨店のクイックレスポンス(以下QR)への取り組みは福岡の老舗百貨店岩田屋とワコー ルの間で「自動補充システム」として1980年代後半に始まったのが最初である。このシ ステムは岩田屋とワコール間では成功し、その後、百貨店のQR化の1つの目標にもなった が、急速な広がりは見られなかった。その理由の第1は百貨店側においてQRの基本理念で ある取引先とのパートナーシップに対する理解が薄かったことである。それまで百貨店では 取引先に売上データを知らせることなどもってのほかだと考えられていた。取引先が決めた 商品の補充量をそのまま信じたら過剰納品されるのではないかという疑いを捨てきれなかっ たためである。第2の問題は各百貨店のシステムのインフラの問題である。QR化には絶対 単品単位での発注・仕入・売上の仕組みが不可欠であるが、ほとんどの百貨店のPOSを中 心とするシステムにはそれらの機能が備わっていなかった。第3は標準化の問題である。岩 田屋とワコールを始め、個々の百貨店と納入業者の間では少しずつQR化が進んでいたもの の、それはその当事者間のみの約束ごとであり、広く一般に認められた標準ではなかった。
つまり百貨店のQRは当時、まだ点と点であり、どの百貨店と業者間でも応用出来るような 標準化された仕組みは確立されていなかったのである。近年の百貨店業界におけるQR化の 進展はこの3つの課題を少しずつ解決することが可能になったためである。現在では多数の 百貨店でQRがシステムとして確立され、確実に効果をあげている。
2、伊勢丹のQRへのアプローチ
伊勢丹は絶対単品管理をベースとしたマーチャンダイジングの情報システム化では百貨店 業界をリードしている。現状では基盤となるコンピュータシステムの対象範囲を自主編集売 場の買い取り品中心から、一般のアパレルメーカーの商品へと拡大させ始めている。伊勢丹 のQRは1989年から93年にかけて実施された中期経営5ヵ年計画のうちの「MD業務 改革」が背景になっている。このMD業務改革は自主MD強化という時代の潮流のなか、顧 客が欲しい商品を、欲しい時に、欲しい価格で、欲しい量だけ提供するということの重要性 が改めて認識されたことに端を発する。
MD業務改革による新しいMDシステム(つまりQR)はそれまでの商品管理システムの 問題点を踏まえ、その改善を考え方の基本に据えたものとなった。その問題点とは、システ ム自体の理解と活用が不十分で業務の効率化に役立っていない、主なコードを一元管理して
いないため個別の情報出力になってしまっている、シーズン計画の完成度が低く単品別発注 の精度が低いの3つである。それを踏まえた新MDシステムの内容は、ⅠMD業務の精度向 上、Ⅱ日常業務の機械化・効率化、Ⅲ利益志向の形成、ⅣMD力のある人材育成であり、以 上の実行によって正しい発注と売り切る販売の基盤を整備するというものである。伊勢丹の QRに対するアプローチは「全ては売場から、最初にMD戦略ありき」という点が最大の特徴 である。商品管理区分の詳細は省略するが、伊勢丹のQRは百貨店業態やお客さま第一とい う企業理念などを生かした内容にすることを前提条件としているため、一律的な管理区分を 全ての商品に適応させず、顧客の購買動機や商品の特性、取引条件の違いで管理区分を単品 別、アイテム別、ブランド別に使い分けており、それぞれに応じた管理体系の確立に取り組 んでいる。
伊勢丹の顧客管理システム 1、顧客分類の必要性
顧客が欲しい商品を、欲しい時に、欲しい価格で、欲しい量だけ提供するのが小売業の鉄 則だとしたら、百貨店におけるブランド・商品戦略も例外ではない。顧客の欲しい商品は何 なのか、欲しい時はいつなのかを分析するとき、その顧客とは誰なのかをまず考えなければ ならない。顧客の欲しい商品と売場に並ぶ商品の差を少しでも縮めることがマーチャンダイ ジングの本筋であるならば、マーチャンダイジングはターゲットとなる顧客像を明確にする ことから始めなければならないということである。そしてそれは百貨店の自主MDにそのま ま当てはまる。海外で商品を買い付けるにしても、自主企画商品を開発するにしても、顧客 の顔が見えていなければ意味の無い取り組みであり、商品面での個性化・差別化は期待でき ない。
ターゲットとなる顧客像の明確化を図る時、ある基軸に合わせて顧客を分類することが必 要になってくる。分類の基軸が多く、分類が細かくなればなるほど顧客像は明確になるが、
分類が細かくなりすぎると、その分商品展開の幅が広がりすぎ、結果的にロスが多くなる。
何を基軸にしてどこまで顧客を分類するのが適正なのか、小売業者は自らの特性を考慮した 上で顧客像を設定しなければならない。
2、伊勢丹の顧客分類
伊勢丹は1994年、「新顧客分類」を発表し、それに基づくマーチャンダイジングの再編 に着手した。ここに来て新たに顧客を分類し直す必要に迫られた背景には、伊勢丹の商業圏 の人口の高齢化、ヤング市場の細分化・複雑化、バブル経済の崩壊により顧客の価格に対す る意識が変化したことがある。この3つの市場環境の変化により従来の顧客分類では問題が 生じるようになった。従来では所得と情報力によって顧客を分類していたが、情報力は顧客 一人一人の感性の問題でもあり、共通認識が出来にくく、そのため顧客分類をマーチャンダ イジングに反映させにくいということである。この問題を解決し、顧客分類を作成するため に新たな条件が設定された。Ⅰ顧客分類を商品分類と明確に区別する、Ⅱマーチャンダイジ ングに落とし込める分類にする、Ⅲ時代の変化に合わせた分類にする、Ⅳ顧客情報システム と連動できる分類にするという4つである。以上のような試行錯誤によって出来たのが「新顧 客分類」である。新顧客分類での分類の基軸は所得、ライフステージ(年齢)、テイスト(ファッ ションの好み)の3つである。ライフステージは旧設定ではピュアヤングだったものをピュア ヤング1(高校生)とピュアヤング2(大学生)に、旧設定のヤングアダルト(25〜34才)をヤ ングアダルト(25〜29才)とトランスアダルト(30〜34才)に、シルバー(55才以上)を シニア(55〜64才)とシルバー(65才以上)に分割した。それぞれの市場の多様性に対応し た結果である。また所得に関しては、スタンダードとセミリッチとリッチに、テイストにつ いては、アドバンス(ファッションに敏感で斬新さを好む人達)、アップトゥデイト(常に今 日的な感覚のファッションを求めて、暮らしに新しさを取り入れる人達)、エスタブリッシュ
(安定したファッションを求める人達)にそれぞれ分類した。
3、アイカード戦略
会員制カードが担う最初の役割は、顧客の囲い込みである。個人消費の低迷が続くなか、
新規の顧客の獲得が困難になった百貨店は一斉に既存の顧客の囲い込みに走った。固定客作 りのために、カード利用額に応じた割引やキャッシュバックなどのサービスにしのぎを削り 始めたのである。伊勢丹も例外ではない。伊勢丹のハウスカードである「アイカード」の会員 数は現在145万人、口座数にすると127万口座である。年間利用額20万円未満は5%、
20万円以上100万円未満は7%、100万円以上は10%の優待サービスを行っている。
ちなみに高島屋の「タカシマヤカード」は会員数310万人で、購入額の7%をキャッシュバ ックするサービスを行っており、三越の「三越カード」は会員数100万人で、利用額の大小 に関わらず5%の優待である。しかし上得意客を増やし、顧客の固定化を図る上で一見有効 な手段であるカードサービスは、1歩間違うと、百貨店自身の首をしめるもろ刃の剣なので ある。なぜなら、伊勢丹の年間カード割引額は約60億円以上であり、これは伊勢丹の経常 利益の約半分にものぼる額なのである。年会費(2千円)を取る伊勢丹はまだしも、年会費無 料の高島屋は大盤振る舞いに近い。これだけの代償を百貨店は何に払っているのかというと、
会員制カードによって蓄積される顧客情報である。
小売業のマーチャンダイジングにおいてターゲットとなる顧客像を明確にするためのツー ルの核が会員制カードである。現在のPOSはクレジットカードの読み取り装置を内蔵して おり、カードの信用照会などが即時に出来る機能を有している。つまり顧客がカードで買い 物をすると、カードの信用照会と同時に、その顧客の買物情報がデータベースとして蓄積さ れるのである。このように蓄積された顧客の購買履歴のデータベースなしには、マーチャン ダイジングのための顧客分類を行い、顧客像を明確にすることは不可能である。
伊勢丹はカード戦略から得る顧客情報の活用には定評がある。それは伊勢丹がアイカード をあくまでも顧客とのコミュニケーション・ツールであると捉えているからである。クレジ ット機能はカードの付加価値の1つに過ぎないという認識である。96年の高島屋進出によ る新宿百貨店戦争に際し、伊勢丹は大規模な本店リニューアルを行ったが、その時、もとも と3階のみで展開していた「プラダ」のショップを1階と3階の2つに分けた。1階に移った のはナイロン製の鞄や財布など軽雑貨で、3階には衣料品や革製品などプラダのなかでも比 較的値段の高いものが残った。なぜこのような店舗展開になったかというと、高校生や20 代前半までの女性客はプラダに来店しても軽雑貨しか買わず、衣料品や高級靴を買う顧客と は全く層が異なるということがアイカードの購買データを分析した結果分り、それならばど ちらの顧客層も落ち着いて買物が出来るように、売場を分けたほうが良いのではないかとい う結論が出たからである。また、アイカードの顧客情報をうまく利用して売上を伸ばしたも う1つの例として、96年の本店リニューアルに伴うメンズの新館の改装がある。カードに よる顧客の購買情報では商品を買った時刻までは分らないが、買った順番にデータが蓄積さ れるので、どういう順番で商品を買ったかが分るのである。こういった顧客の購買行動に関 する情報を検証した結果、まずワイシャツを、次にネクタイを、最後にアンダーウエアを買 うというのが新館に来店する客の平均的な行動であるのに、商品をブランドごとに陳列する ことに集中しすぎたため、顧客の行動に添う売場配分に必ずしもなっていなかったという事 実が判明した。そこで改装に際して、ワイシャツ、ネクタイ、アンダーウエアの順に商品を 陳列し、買物を終えるとエスカレーターが目の前にあるという構造に変えたところ、改装後 の約半年間で前年同期と比較し、17%増という売上げの伸びを記録した。
結論
伊勢丹の商品管理システムと顧客管理システムが百貨店業界の最先端を走っていることは 周知の事実だった。この最先端とは何なのか。百貨店業界においてシステムの最先端とは何 を意味するのか。それを理解することによって、新宿百貨店戦争で伊勢丹が勝利を収めた理 由を考えた。
伊勢丹の商品管理システムと顧客管理システムに共通して言えることが1つある。それは どちらもマーチャンダイジングで最大限に効果を発揮するように設計されているということ である。伊勢丹は一般に言うQRをMDシステムと捉え、アイカードを決済は2の次の、マ ーチャンダイジングのための顧客とのコミュニケーションツールと捉えていることはすでに 述べた通りである。もっと大胆に言ってしまえば、伊勢丹は両システムを顧客の顔を見るた めの手段だと考えている。
伊勢丹は「ファッションの伊勢丹」である。どの百貨店でも主戦力は衣料品であり、核はフ ァッションであるが、その中でも伊勢丹は「ファッションの伊勢丹」である。ファッションは 差別化し易いだけに多様な分野である。アイテムが、テイストが、プライスが、その他関係 するもの全てが多様であるのがファッションである。
結局のところ、伊勢丹は筋道のたった行動を、企業としてとっただけなのではないだろう か。つまり、ファッションという分野で勝負することがどのような意味を持つか、はっきり と認識していたのである。ファッションで勝負するということは、ファッションの持つ多様 性に対応し、その多様性を逆に味方に付けるということである。それには顧客の顔を知らな ければならない。そのために前述のような商品管理システムと顧客管理システムを作った。
伊勢丹のシステムは最先端である。「ファッションの伊勢丹」にフィットしているという意味 で。
百貨店業界におけるシステムの良し悪しとは、それが企業としての方向性と合致している かどうかである。逆に言えば、企業としての方向性に合致しているシステムならば、それは 最先端なのであり、勝ち組の法則である。
完
【表1】 (単位:%)
年度
89 7.1
90 7.7
91 3.6
92 -3.3 93 -6.6 94 -2.6 95 -2.2
96 1.8
97 -1.9
98 -5
全国百貨店売上推移
全国百貨店売上推移
-8 -6 -4 -2 0 2 4 6 8 10
89 90 91 92 93 94 95 96 97 98
年度
系列1
粗利益率
【表3】< 大手百貨店>
阪急百貨店 27.80(%)
高島屋 27.45 伊勢丹 27.38 大丸 26.21 三越 26.17 東急百貨店 24.35 松坂屋 23.85 アメリカ 40以上 ヨーロッパ 32〜35 <大手総合スーパー>
ジャスコ 26.4 西友 25.2 ダイエー 24.7 イトーヨーカ堂 24.5
【表2】 全国小売業売上高と
それに占める百貨店売上高の割合
(売上高単位:百万円)
全国小売業 百貨店 シェア
年 売上高 売上高 (%)
1988 1,148,399 95,518 8.32 1989 − 105,165 − 1990 − 114,560 − 1991 1,422,911 120,851 8.49 1992 − 119,302 − 1993 − 112,635 − 1994 1,433,250 110,248 7.69 1995 − 108,248 − 1996 − 110,390 − 1997 1,477,541 111,091 7.51
【表4】 (百万円)
決算期 営業利益率(%) 売上高 営業利益 百貨店
丸井 98/1 伊勢丹 98/3 高島屋 98/2 東急 98/1 松坂屋 98/2 大丸 98/2 阪急 98/3 三越 98/2 そごう 98/2
5.9 2.3 2. 5 2. 3 2. 9 2. 8 2. 8 2. 6 0.2
508,817 432,028 1,087,734 315,784 421,986 504,773 308,649 733,982 163,384
30,092 10,043 16,690 4,347 3,733 4,011 2,485 4,141 338 総合量販店
イトー 98/2 ヨーカ堂
ユニー 98/2 ジャスコ 98/2 マイカル 98/2 イズミヤ 98/2 西友 98/2 ダイエー 98/2
2. 5 2.2 1.4 1.1 1.1 1.0 ――――
1,547,594 747,981 1,254,935 1,135,251 382,520 998,140 2,470,191
54,800 16,202 17,135 16,799 4,332 10,145 ▲16,937 専門店
青山商事 98/3 良品計画 98/2 しまむら 98/2 マツモト 98/3
キヨシ
10.8 9.2 4.9 4.7
161,931 73,047 154,468 149,186
17,524 6,729 7,560 6,946
食品スーパーマーケット ヤオコー 98/2 ラルズ 98/2 ユーストア 98/2 ヨーク 98/2
ベニマル
4.1 3.6 3.5 3.1
69,231 72,805 120,265 265,541
2,807 2,585 4,223 10,032
表1 消費生活満足度 全体 サラリーマン 主婦 満 足 計 39% 38% 39%
非常に満足 3% 3% 3%
どちらともいえない 35% 35% 36%
不 満 計 26% 27% 25%
表2 消費生活の質的向上に有効なのは
価格引き下げの方 59% 53% < 65%
品質向上の方 41% 47% > 35%
表3 質的向上に流通革命が貢献するのは
貢献すると思う 39% 35% < 43%
貢献するとは思わない 61% 65% > 57%
表4 流通革命への期待
品質のよいものを安く購入できる 86% 83% 88%
品質の向上に常に努力する 54% 49% < 59%
物販だけはなく 41% 42% 41%
ライフスタイルを提案する
自分の個性にあった品物を選べる 37% 36% 37%
品物を探す時間が短くてすむ 25% 25% 25%
経営理念に基づく生活提言をする 21% 21% 22%
常に革新的な新しい品物を提供する 18% 24% > 12%
購入を通じて新しい人間関係を築ける 12% 12% 11%
(ベース:全対象者)
【表6】 新宿における各店舗の
売場面積
(単位:㎡)
百貨店名 売場面積
京王百貨店 38,772 小田急百貨店 57,316 伊勢丹新宿店 62,511
̲島屋新宿店 51,913 三越新宿店 38,933 日本百貨店協会調べ
伊勢丹 高島屋 三越 京王 小田急
アンケート 〇 〇
アンタイトル 〇
イエナ 〇
エルメス 〇 〇
エンポリオ・アルマーニ 〇
グッチ 〇
ケートスペード
シマロン 〇 〇
シャネル 〇
ジル・シュチュアート 〇 〇
スピック・アンド・スパン 〇
ディーアンドジー 〇 〇 〇
トゥモローランド 〇
トッズ 〇
ナチュラルビューティーベーシック
ヌール 〇 〇
ノーリーズ 〇
バーバリーブルーレーベル 〇 〇
フェンディ 〇 〇
プラダ 〇
ポールアンドジョー
ボディ・ドレッシング 〇 〇 〇
マージナルグラマー
ミニマム 〇
ミュウ・ミュウ 〇
モルガン 〇 〇
ルイ・ヴィトン 〇 〇
レッセ・パッセ
ロペ 〇 〇
【表7】ブランド比較
参考文献
「インストア・マーチャンダイジング」 田島義博 ビジネス社 「サービス業のマーケティング」 浅井慶三郎/清水滋 同文館
「サービス業の戦略的マーケティング」 高橋秀雄 中央経済社
「次世代流通企業」 菅原正博/増田大三/吉田裕之 中央経済社
「新宿伊勢丹村」 菊地仁 オーエス出版
「最新 データベースマーケティング」 江尻弘 中央経済社
「事例分析 データベースマーケティング」 江尻弘 中央経済社
「ノードストローム・ウェイ」 R・スペクター/P・D・マッカーシー
「反攻する百貨店」 日経流通新聞 日経流通新聞社
「百貨店の役目は終わった」 溝上幸伸 エール出版社
「百貨店にお客がどんどん戻る日」 高畑杜夢 エール出版社
「マーケティングのためのカード戦略」 三石玲子 日本経済新聞社 エコノミスト 激流 国民経済誌 サンデー毎日 財界 実業界 週間朝日 週間ダイヤモンド 商業界 東洋経済 日経ビジネス 販促会議 プレジデント 流通とシステム 流通ネットワーキング 流通情報
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