(2) ◎ 巻頭エッセイ◎ 朝鮮半島・分断体制の国際関係
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(2) ◎ 巻頭エッセイ◎ 朝鮮半島・分断体制の国際関係. 核兵器・ミサイル開発に注力し、大規模な武力挑発を試みなかったのである。 分断体制の強靭性 1990 年代の北朝鮮が深刻な体制危機に直面したことは間違いない。1991 年 12 月に 朝鮮人民軍最高司令官に就任した金正日は、1994 年 7 月に金日成主席を失い、さら に 1995 ― 96 年に水害、1997 年に旱魃という 3 年連続の自然災害に直面した。それに もかかわらず、数十万の民衆が餓死するなかで、 「苦難の行軍」を強行し、核兵器・ ミサイル開発を続行したのである。ソ連邦が消滅し、中国が韓国と国交を正常化す るなかで、北朝鮮は独自の抑止力を構築するしかなかったのだろう。言い換えれば、 核兵器・ミサイル開発の目的は体制維持(生き残り)にほかならなかった。 1998 年 9 月に憲法を改正して、国家の最高職責である国防委員長に就任したとき、 金正日総書記は最悪の時期を脱出することに成功した。その祝砲がテポドン 1 号の 発射だったのである。したがって、ブッシュ米政権が登場して北朝鮮を「悪の枢軸」 として非難し、米朝「枠組み」合意に基づく年間 50 万トンの重油提供を停止したと き、金正日はすでに多少の余裕をもっていたかもしれない。それを契機に、停止し ていた原子炉を再稼働させ、2006 年 10 月に最初の核実験を実施すると、ブッシュ政 権は中断していた六者会談を再開させ、北朝鮮に対する「テロ支援国家」指定を解 除したのである。 この間、多くの国内および対外的困難に直面した北朝鮮は、おそらく相互抑止機 能に確信をもてないまま、武力挑発を実行できなかったのだろう。しかし、最近の 数年間にクローズアップされたのは、①独自の抑止力として核兵器・ミサイル開発、 とりわけウラン濃縮型核兵器開発がある程度まで進展したことであり、②大国化す る中国が北朝鮮の地政学的擁護者として再登場したことである。これらの要因のた めに、北朝鮮をめぐる安全保障情勢が構造的に変化し、それが 2010 年 11 月の延坪島 砲撃を可能にしたのだろう。晩年の金正日は「体制維持」という最大の目標をつい に達成したのである。 金正日の死後、多くの人々が後継者である金正恩第一書記が直面する困難につい て語っている。しかし、胡錦濤国家主席を頭とする 9 名の中国共産党政治局員が 次々に北京の北朝鮮大使館を弔問し、北朝鮮メディア(『労働新聞』2011 年 12 月 28 日) が金正日の「最大の遺産は核と衛星」であると強調したことを見逃してはならない。 金正恩の最大の問題は対外的な困難であるよりも、むしろ自らのリーダーシップに ある。形式的な権力継承こそ完了したが、依然として、金正恩は新しいリーダーシ ップを確立し、国内的な団結を確保するために全力を注いでいる。 そのような金正恩が歩んでいるのは、伝統的な王朝体制と社会主義国一般にみら れる党国体制(党と国家が一体化した体制)の中間の道である。しかし、それは折衷. 国際問題 No. 614(2012 年 9 月)● 2.
(3) ◎ 巻頭エッセイ◎ 朝鮮半島・分断体制の国際関係. 的であるだけでなく、過渡的でもある。今後、金正恩政権が党機構を正常化し、労 働党の軍隊に対する指導を確立して、経済復興に努力する「普通の社会主義国」に 向かう可能性もあれば、金正日のように全体主義的な個人独裁に向かう可能性もあ る。遅かれ早かれ、金正恩はいずれかを選択せざるをえなくなるだろう。 しかし、党軍間や世代間に予想される権力闘争は、いずれも北朝鮮の既得権層内 の対立にすぎない。それはジャスミン革命のように社会変動の産物ではない。王朝 時代の官僚のように、北朝鮮の党・軍官僚は革命やクーデターによる権力奪取より も、既存体制内での利益拡大のために努力するだろう。北朝鮮の将来にとっての最 大の問題は、金正恩が自発的な体制変革、すなわち経済の開放改革に着手できるか どうかである。それは政治安定を脅かすが、それなしには北朝鮮の経済復興、すな わち「社会主義強盛国家」の建設は不可能であり、北朝鮮は「段階的な衰退」の道 を歩まざるをえないだろう。 「急激な崩壊」が考え難いのは、中国がそれを許さない からである。 日韓関係の体制危機? 金日成の北朝鮮がベトナム戦争をモデルに「反帝民族解放革命」を追求したのに 対して、朴正煕と全斗煥の韓国は日本の戦後復興をモデルに「輸出主導型工業化」 戦略を採用し、1980 年代後半までに重化学工業化を達成した。北朝鮮からの武力挑 発や転覆工作の脅威に国家総動員的な工業化戦略で対抗し、それに金永三や金大中 による政治の文民化と民主化が続いたのである。また、金正日が核兵器・ミサイル 開発に全力を傾ける間に、韓国では民主主義の定着と経済的自由化・グローバル化 が積極的に推進された。いまや、朝鮮半島の南北は民主と独裁、成長と停滞、開放 と閉鎖で明暗を分けている。 しかし、それにもかかわらず、分断体制を背景にして拡大した韓国政治の「二極 対立」が解消したわけではない。5 年間単任制の大統領の下で、それはむしろ「間断 なき対立」として日常化し、韓国を二分している。かつて軍隊に支えられた右派保 守勢力は、工業化勢力として経済成長を優先し、米韓安保関係を重視し、対北政策 では強硬姿勢に傾き、さらに農村地域と慶尚南北道を最大の支持基盤にする。他方、 開発独裁に反対する民主化勢力として成長した左派進歩勢力は、大企業に恩恵を与 える経済成長よりも分配の公正を重視し、地域的には大都市と全羅南北道を基盤に する。保守派よりも中国との関係を重視し、北朝鮮に対して宥和的である。 米国の民主党と共和党の間の政権交代と同じく、韓国の二大勢力が相互に牽制し、 政策を競うのは必ずしも悪いことではない。 「決定できない」日本政治に比べて、そ れはきわめてダイナミックである。しかし、政策的な一貫性や安定性が重要な分野 も存在する。北朝鮮政策で二大勢力が対立するのは決して好ましいことではない。. 国際問題 No. 614(2012 年 9 月)● 3.
(4) ◎ 巻頭エッセイ◎ 朝鮮半島・分断体制の国際関係. とりわけ微妙なのが中国政策である。北朝鮮に最も大きな影響力をもち、その地政 学的な擁護者である中国が、韓国の最大の貿易相手国であり、米国と激しく対立す るような状況は、韓国政府としてはいかにも悩ましい。北朝鮮政策と中国政策を融 合させるような新しいタイプの外交政策が開発されるべきである。 ところで、戦後の日韓関係の原点となり、その後、半世紀にわたって日韓関係を 支えてきた日韓条約体制に暗雲が立ち込めている。1965 年の日韓条約・諸協定の締 結当時、両国政府が解決できずに棚上げしたり、強引に処理したり、曖昧にしたり した問題が、当時の文脈から離れて再び問題化したり、司法的な判断の対象にされ たりしているのである。竹島問題は別にしても、韓国の憲法裁判所が慰安婦問題に ついて外交通商部の「不作為」を問題にしたり、最高裁判所が「請求権・経済協力 協定」の効力を一部否定して、韓国人徴用労働者に「個人請求権」を認定したりし ている。 日韓関係が体制危機に直面しているとの診断が正しければ、それを中途半端に解 決することは不可能だろう。当時の交換公文に従って第三者に「調停」を依頼する か、双方が傷つき疲れ果てるまで徹底的に論争するかである。韓国大統領選挙の争 点にならないことを願うが、日本にとってだけでなく、韓国で新しく発足する政権 にとっても、それは大きな外交的負担になるだろう。日韓条約が 50 周年を迎える 2015 年までに、双方が率先して日韓「和解委員会」を設置して、基本的な問題の解 決方法について合意できれば、それが最善の方法である。しかし、それが本当に可 能だろうか。 *本稿脱稿後の 8 月 10 日、韓国の李明博大統領が電撃的に竹島を訪問し、 「日韓関係が体制危 機に直面している」という指摘が不幸にして的中してしまった。東西冷戦の下で形成された 条約体制が「制度疲労」を起こしているが、新しい体制はまだ構築されていないというのが 日韓関係の現状である。. おこのぎ・まさお 九州大学特任教授 [email protected]. 国際問題 No. 614(2012 年 9 月)● 4.
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もって契約者保護をはかるというものである。これに対して、新しい制度設計理念は、自由 化によって生じる効率性と利便性を保険契約者に還元するというものである。保険業法の改 正とその後の「自由化」は、もはや「水の流れの方向」が元に戻ることがないということを 決定的に示すものである。 しかしながら、「水の流れの方向」が定まっていても、谷川から支流となり大河となるま