はじめに
「人間の安全保障」は
2003年改正の「政府開発援助
(ODA)大綱」に基本方針のひとつと して掲げられ、日本のODA政策の中心的な概念とされてきた。日本は国際社会のなかで「人間の安全保障」を明確化し、深化・普及させることに貢献するのと並行して、この概念 を実践に適用し、具現化する努力を続けてきた。国際的な定義をめぐる論争は収斂しつつ ある一方で、現場での実践からは課題もみえてきている。
本稿では、「人間の安全保障」をめぐる議論を振り返り、日本政府と国際協力機構(JICA)
の取り組みを整理した後、JICAが現場での実践に取り組むなかで直面する課題を論じる。
特に、「国家の安全保障」と「人間の安全保障」が矛盾しかねない場合の対応、ダウンサイ ド・リスク(状況が悪化する危険性)に対応するレジリエンス(resilience、強靱性)を強化す るための方策を中心的に取り上げ、今後の「人間の安全保障」推進の取り組みにおいて重 要な課題を示したい。
1
「人間の安全保障」とは開発と安全保障をつなぐ概念として「人間の安全保障」が取り上げられたきっかけは、
国際連合開発計画(UNDP)『人間開発報告書
1994
年版』である。同報告書では「平和が確 保されていなければ開発は実現せず、逆に開発なくしては平和もまた成立しない」(1)という かたちで開発と安全保障の関係が整理され、経済、食糧、保健、環境、個人、地域社会、政治という7つの安全保障の課題が示された。
それ以来、人間の安全保障をめぐる議論が国際的に活性化し、カナダ、ノルウェー、ス イス、タイなどと並んで、日本もこの考えを取り入れて推進するようになった。日本政府 が全面的に支援し、緒方貞子氏とアマルティア・セン氏を共同議長として発足した「人間 の安全保障委員会」が報告書『安全保障の今日的課題(Human Security Now)』(以下「人間の 安全保障委員会報告書」)を発表したのは、2003年のことだった。人間の安全保障は
2005年
の国連創立60周年記念首脳会合の成果文書でも取り上げられ、2010
年には「人間の安全保 障に関する国連事務総長報告」が国連総会に提出された。この間、人間の安全保障の概念と定義をめぐってはさまざまな議論が交わされてきた。
人間の安全保障が重要と考える「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」という2つの自由
への力点の置き方によって、その定義、対象とする課題、解決のための手段等に大きな差 が現われるようになったのである。
UNDP
の『人間開発報告書1994年版』では、7つの課題が示されたように、「恐怖からの 自由」と「欠乏からの自由」の双方に力点が置かれている。この解釈では、貧困、自然災 害、環境劣化、気候変動、感染症、難民、ガバナンス等のさまざまな課題が対象とされ、解決のための手段も紛争予防から開発援助までさまざまな選択肢が想定される。日本、タ イ、メキシコ等は、このような解釈に立っている。
他方、1999年に「人間の安全保障ネットワーク」を設立したカナダやノルウェーを中心 とした国々は「恐怖からの自由」に力点を置き、内戦状態に置かれた人々の安全保障を中 心に考えていた。このような立場の人々は、幅広い課題を包含する日本などによる解釈で は、対象範囲が広すぎるし、具体的な活動にもつながらないという批判を展開した。しか し、「恐怖からの自由」を強調する解釈は、そのなかに内戦状態に置かれた人々を保護する 手段として武力行使を含めた人道的介入が容認されるとする見方を含んでいたので、従来 の国家主権を強調する国々からは警戒の目でみられていた(2)。
定義をめぐる議論はしばらく続いたが、武力行使を含めた介入の問題については、カナ ダ政府が中心となって
2001年に「介入と国家主権に関する独立国際委員会
(ICISS)」が設置 され、「保護する責任(R2P: Responsibility to Protect)」という考えの下で武力介入の条件等が整 理された(3)。一方、2003年には「人間の安全保障委員会報告書」が発表され、「恐怖からの 自由」と「欠乏からの自由」の双方を重視する解釈の精緻化が進み、さらなる議論を経て、安全保障の脅威として紛争・核兵器の拡散等だけでなく、経済、社会、環境、感染症等を 含むという理解が共有されるようになってきた(4)。
2005
年の国連総会首脳会合の成果文書では、人間の安全保障とは別に「保護する責任」に関する項目が設けられ、「ジェノサイド」、「戦争犯罪」、「民族浄化」および「人道に対す る罪」から人々を守る責任は各国政府にあるとしたうえで、国際社会が国連を通じて適切 な手段を講じる責任が明記された。このなかでは、国連安全保障理事会を通じて国連憲章 第7章に基づく手段(武力行使を含む)をとる場合があるとされ、武力介入への一定の基準 が示された。このようにして、人道的介入についての議論は、人間の安全保障とは区別さ れる「保護する責任」という議論に収斂されていったと言える。その後、2012年
9
月10日
の「人間の安全保障に関する国連総会決議」(5)でも、「人間の安全保障の概念は保護する責任 およびその履行とは異なる」と明記される結果となった。このように、定義をめぐる論争に収斂の兆しがみえてきたこともあり、人間の安全保障 への関心は、その実践(operationalization)に移りつつある。問われているのは、人間の安全 保障の視点を取り入れることにより、現実問題の解決にどのような付加価値を与えること ができるのか、ということである(6)。
国連も、1999年に設立された「人間の安全保障基金」を中心に、さまざまな専門機関が 人間の安全保障の適用や実践に取り組んできた。2010年の総会に提出された「人間の安全 保障に関する事務総長報告」においても、定義をめぐる議論等を紹介した後、①グローバ
ルな金融経済危機、②食糧価格の変動と食糧危機、③感染症の蔓延およびその他の保健上 の脅威、④気候変動と気候関連の災害、⑤紛争予防・平和維持・平和構築の
5分野で人間の
安全保障を実践する様子が紹介され、結論と提言のなかでも、人間の安全保障を実践に用 いることが国連の活動に対して付加価値をもたらすことが議論されている(7)。日本政府と
JICAが進めてきた取り組みも、
「人間の安全保障委員会報告書」に基づく概念 の整理を超えて、現場での実践が試される段階に至っていると言えるだろう。2
日本政府とJICA
の取り組み日本政府は早くから「人間の安全保障」に注目してきたが、最初にこの概念を取り上げ たのは
1998年 5
月の小渕恵三外務大臣(当時)のシンガポールでの演説と言われる。その後 総理大臣に就任した小渕氏は、同年12月に東京およびハノイ(ベトナム)で演説し、アジア 金融危機への対策の一環として、人間の安全保障に配慮した支援を実施すること、国連に「人間の安全保障基金」を設置することを表明した。
このように、日本政府が人間の安全保障の概念を打ち出したのは、アジア金融危機に際 して各国を支援するにあたり、貧困層、社会的弱者が金融危機の大きな被害を受けている なかで、国家の視点ではなく一人一人の人間の視点を重視することが重要だと考えたこと がきっかけであった。その後、地雷問題や難民支援への対応にもこの概念が有用と考えら れるようになり、人間の安全保障の概念を明確にし、国際社会に普及させる取り組みが進 められることになった。2000年には森喜朗総理大臣(当時)が国連総会で人間の安全保障を 日本の外交政策の柱に据えると宣言し、人間の安全保障の理念を深めるための有識者によ る国際委員会の設置を呼びかけ、これが「人間の安全保障委員会」の設置につながった(8)。
人間の安全保障の理念を実践する手段として重視されてきたのがODAだった。2003年に 改正されたODA大綱でも、5つの基本方針のひとつとして「『人間の安全保障』の視点」が 掲げられ、2005年の
ODA
中期政策では「人間の安全保障の視点」が中心的な方針として説 明されている。ODAの実施機関であるJICA
は、2003年10月の独立行政法人化と同時に、人間の安全保障
委員会の共同議長を務めていた緒方貞子氏が理事長に就任し、緒方理事長が就任の半年後 に発表した「JICA改革プラン」では、3
つの柱のひとつとして「人間の安全保障重視の事業」が掲げられた。旧国際協力銀行(JBIC)の円借款部門と統合した
2008
年10月の新JICA
のビ ジョンでも、「人間の安全保障の実現」が4つの使命のうちのひとつとされている。日本政府が主導してきたアフリカ開発会議(TICAD)のなかでも、2003年の
TICAD IIIの
成果文書「TICAD10周年宣言」で、TICADプロセスにおいて人間の安全保障を重視してい くことが明記された。2008年のTICAD IV「横浜宣言」でも、
「ミレニアム開発目標(MDGs)達成及び平和の定着・グッドガバナンスを含む人間の安全保障の確立」を目指すことが明 記されている。
日本のODAにおいても、当初は人間の安全保障について、平和構築の側面が強調されて 語られることが多かった。人間の安全保障が重視されるようになった時期が、平和構築が
注目を集めた時期と重なったためであろうと考えられる。例えば、1999年に国連に設置さ れた人間の安全保障基金では、当初日本によって約
5億円
(約463万ドル)
が拠出された直後 に、コソボ復興難民帰還および東ティモール復興支援への対応のため、約66億円(約5505
万ドル)が追加拠出されることになり、紛争後の平和構築支援の色彩が強まった。2003年のODA
大綱は、基本方針のひとつである「『人間の安全保障』の視点」について、「紛争・災 害や感染症など、人間に対する直接的な脅威に対処するためには」とか、「紛争時より復 興・開発に至るあらゆる段階において」といった言い方にみられるように、紛争を中心と した「恐怖からの自由」との関係を強調している。このODA大綱では、「平和の構築」が4 つの重点分野のひとつとして掲げられた。同年のJICA
の独立行政法人化にあたっても、JICA法の目的に「復興」が明記され、
「平和構築支援」はJICAの4つの改革方針のひとつに なった。それまでは「欠乏からの自由」への対処が中心であったODAの目的に、「恐怖からの自由」
が加わったため、平和構築の側面が目立つ結果になったのであろう。実際に、紛争影響国 への援助は増加しており、例えば2010年の日本政府の二国間援助のうち無償資金協力供与 先上位10ヵ国・地域にはアフガニスタン、パキスタン、スーダン、ハイチ、ネパール、パ レスチナ自治区、コンゴ民主共和国といった紛争影響国・地域が含まれている(9)。また、日 本のODA純支出額(債務救済を除く)のうち経済協力開発機構(OECD)が「脆弱国家」と している43ヵ国・地域への配分は、2003年の11.6%から2009年には24.4%へと拡大してい る(10)。
しかしながら、人間の安全保障への取り組みが定着するとともに、この概念がもつ包括 的な視点が再び注目されるようになっていく。2005年の
ODA中期政策では、
「人間の安全保 障の視点」が中心的な方針として説明されているが、ここでは「人々を中心に据え、人々 に確実に届く援助」が重視され、人間の安全保障の視点を踏まえながら「貧困削減」、「持続 的成長」、「地球的規模の問題への取り組み」、「平和の構築」という4つの重点課題への取り
組みを行なうことが明記された。人間の安全保障が、平和構築だけでなくすべての重点課 題を貫く理念として整理されているのである。また中期政策は、参考となる案件例として「セネガルにおける住民参加型の給水整備」および「カンボジアにおけるHIV/エイズ〔ヒ ト免疫不全ウイルス/後天性免疫不全症候群〕からの保護」を紹介し、多様な恐怖や欠乏 からの自由が人間の安全保障の対象課題であることを示した。現場での実践が進むなかで、
人間の安全保障の理念が
ODA全般を導く概念として定着していったと言えるだろう。
2004
年3
月に発表された「JICA改革プラン」のなかでは「人間の安全保障重視の事業」を柱のひとつに掲げ、「人間の安全保障委員会報告書」の議論を基に、JICA事業に人間の安 全保障の視点を反映するための方策を検討した。結果として2004年
6
月にまとめられたの が、以下に示す「『人間の安全保障』に関する7つの視点」である。
「7つの視点」は、後に「4つの実施方針と
4
つの重要なアプローチ」に整理され、現在に至っている(11)。JICAでは、こうした現場での実践のためのガイドラインをまとめ、セミナー等で対外的に発表するほ か、さまざまな研修を通じて関係者間での認知向上を試みてきた。
① 人々を中心に据え、人々に確実に届く援助
② 人々を援助の対象としてのみならず、将来の「開発の担い手」として捉え、人々の エンパワーメント(能力強化)を重視する援助
③ 弱い立場にある人々、生命、生活、尊厳が危機にさらされている人々、あるいは、
その可能性の高い人々に確実に届くことを目指す援助
④ 「欠乏からの自由」と「恐怖からの自由」の両方を視野に入れた援助(紛争直後の緊急 人道支援とその後の開発援助の間に生じがちな「ギャップ」を解消する努力を含む。)
⑤ 人々の抱える問題を中心に据え、問題の構造を分析したうえで、その問題の解決の ためにさまざまな専門的知見を組み合わせて総合的に取り組む援助
⑥ 政府(中央政府と地方政府)のレベルと地域社会や人々のレベルの双方にアプローチ し、相手国や地域社会の持続的発展に資する援助
⑦ 開発途上国におけるさまざまな活動主体や他の援助機関、非政府組織(NGO)などと 連携することを通じて、より大きなインパクトを目指す援助
実際に、JICAが人間の安全保障の視点に基づく支援の事例として紹介している案件(12)は、
貧困削減、農業、保健、環境、平和構築など、さまざまな分野にわたっている。「恐怖から の自由」に対処する事例としては平和構築のみならず、自然災害、感染症、環境汚染等の 恐怖が対象とされている。「欠乏からの自由」への対応は貧困削減を中心としているが、住 民参加を通した能力強化が強調されている事例や、貧困層、女性、少数民族、紛争被害者 等の社会的弱者への直接的な支援を意識したものが多い。貧困層等の社会的弱者ほど自然 災害の被害を受けやすい脆弱な状況に置かれていることに着目し、防災の推進と同時に生 計向上を目指すといった「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」の両面に同時に対応す るような事例も紹介されている。一方で、次節でも示すとおり、人間の安全保障を人間開 発と差別化する重要な要素である「ダウンサイド・リスクへの対応」については、個別事 業の効果を短期間で示すことの難しさに直面している。
次節では、このような実践の具体例を示し、現場での実践の現状とその課題をみること としたい。
3
「人間の安全保障」の実践と課題(1)「人間の安全保障」の包括性
「人間の安全保障」に、「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」の両面から寄与しよう とする援助は、非常に多様な課題に対処する必要があるため、包括的にならざるをえない。
また、そのアプローチに関しても、人々を中心に据え、社会的弱者やリスクに対して、政 府を中心にトップダウンで保護を提供すると同時に、人々自身のリスク対応能力を高める ボトムアップのアプローチも必要になる。人間の安全保障の実践は、課題の多様性とアプ ローチの両立という二重の意味で包括的な取り組みを必要とする。好例が、アフガニスタ ンでの「地方開発プロジェクト(IRDP)」である。
アフガニスタンでJICAが実施した
IRDP
では、政府の制度構築を通じたトップダウンでの保護と、住民参加型のコミュニティー開発評議会(CDC)設立を通じたボトムアップの能力 強化が同時に進められている。
2001年以降のアフガニスタンでは、公式な地方政府が州レベルまでしか存在せず、特に
地方への援助は、政府を通さずに直接コミュニティーに届けられるものが多く、持続性や 政府への信頼構築の観点からは問題があった。そこで世界銀行が進めた「国家連帯計画(NSP)」では、幾つかの村をひとつの単位として、住民参加型のCDCを設立し、インフラ整 備等の援助資金の使途についてコミュニティーとしての意思決定を行ない、また援助資金 を中央政府の農村復興開発省を通して
CDCに提供することで、中央政府とコミュニティー
のつながりの強化を図ってきた。さらにJICAの IRDP
では、カンダハル、バーミヤン、バル フの3州に限られていたとはいえ、3―6の CDC
を束ねたクラスターCDC
を設立し、より広 い地域の課題を統合することでコミュニティーと政府の距離を縮めることを試みた。これらの取り組みでは、保護を提供する能力が十分に備わっていない政府を強化すると 同時に、コミュニティーにCDCやクラスター
CDC
という住民が自ら参加する制度を整える ことで、保護と能力強化を同時に実現することを目指した。さらに、CDCが主体的にイン フラ整備にかかわることで、「欠乏からの自由」に対処するだけでなく、幾つかの村の人々 が共通の課題について話し合うことで、これまで争ってきた村同士でも問題解決を図る手 段が出来上がり、また、大きな災害等にも共同で対応できるので、「恐怖からの自由」への 対処にもつながっている。人間の安全保障の実践の取り組みは、包括的であるがゆえに、開発援助の現場で適用す るにあたって難しい選択を迫られる場合が多々みられる。特に、以下の2点は
JICA
のよう な開発援助機関にとって重大な課題となってきた。第1の課題は、「国家の安全保障」と「人間の安全保障」が相互補完的と認識されない場 合への対応である。「人間の安全保障委員会報告書」は、「『人間の安全保障』は『国家の安 全保障』に取って代わるものではなく、これを強化するものである」(13)としつつ、「われわ れの課題は(中略)『人間の安全保障』が『国家の安全保障』を補うにはどうするべきか、
という点である」(14)と、両者の関係を相互補完的にするためにある種の工夫が必要な場合が あることを示唆している。特に、ある政府が国民の一部に対して有害な政策をとったり、
人間の安全保障を進める政策に消極的な場合、人間の安全保障に貢献しようとする援助が 当該政府によって拒否される可能性がある。主権国家が自国民(の一部)を保護する責任を 果たさない場合、「保護する責任」論に基づいて国際社会が強制的に介入することが可能だ とする議論があることは前述したが、日本政府と
JICAは極端に介入的な政策はとらずに、
説得によって「国家の安全保障」と「人間の安全保障」を両立させる方策を探ってきた。
もうひとつの課題は、ダウンサイド・リスクへの対応である。「人間の安全保障委員会報 告書」は人間の安全保障の特徴として、人間中心であり、国家全体ではなく人間一人一人 に関心を払うことを挙げているが、特に「人間開発」との比較において、「危機下における 安全の確保」に焦点を当てていることを強調している(15)。ダウンサイド・リスクへの注目は、
人間の安全保障が、すでに脆弱な状況に置かれている人々だけでなく、脆弱な状況に陥る
リスクを抱える人々をも考慮していることを示している。このような潜在的な脆弱性に対 しては、保護を提供するだけでは不十分であり、人々の能力強化が不可欠となる。また、
そのようなリスクは多様なものであるため(紛争、貧困、自然災害、感染症等)、人間の安全 保障はさまざまな分野での能力強化を必要としている。このように概念は整理されている ものの、開発援助機関にとっては、ダウンサイド・リスクへの対応は難しい課題であった。
能力強化には時間がかかり、その効果を測定すること、すなわち人々のリスク対応能力を 測定することは難しいためである。
以下では、JICAが「国家の安全保障」と「人間の安全保障」の両立、ダウンサイド・リ スクへの対応、という2つの特に複雑な課題に対応した事例を分析してみたい。
(2)「国家の安全保障」と「人間の安全保障」との矛盾の克服
「人間の安全保障」の包括的な取り組みは、草の根の住民と政府との直接的・間接的な協 働を前提にしている。被援助国政府に、自国内の人々の人間の安全保障を確保する人的/
物理的資源が不足しており、ドナーによる支援が歓迎されている場合には、問題は生じな い。JICAは援助機関として、保健、教育、水、農業、コミュニティー・インフラ等を提供 する被援助国政府の能力強化を支援することによって、「国家の安全保障」と「人間の安全 保障」の双方に貢献することができる。
このような前提が崩れてしまうのは、自国民ないしその一部に対して安全を提供する被 援助国政府の意志が弱い場合である。政府と住民の協働がスムーズに進まない場合には、
原則として被援助国政府をカウンターパートとするJICAのような二国間援助の実施機関は 困難に直面することになる。
このような場合、JICAは相手国政府を非難することを避け、脆弱な地域や住民への支援 が政治的安定の回復に役立つことを訴えて政府を説得し、将来の相手国政府の関与を期待 しつつ住民への直接的な支援を先行して実施してきた。
① フィリピン・ミンダナオ紛争影響地域への支援
フィリピンの南部に位置するミンダナオでは、2003年のフィリピン政府とモロ・イスラ ム解放戦線(MILF: Moro Islamic Liberalization Front)の停戦合意後、日本政府は和平合意の成立 を待たずに、紛争影響地域への支援を強化してきた。この地域での復興と開発を進めるこ とが和平合意の進展にも前向きな影響を与え、復興と和平は相互補完的な役割を果たすと 考えたためで、この考えは、フィリピン政府とMILFの双方に受け入れられた。
ミンダナオ島の南西部は長年、フィリピン政府と、広範な自治権を求める反政府組織と の紛争が続き、貧困と紛争の悪循環が続く地域となっている。1996年には、フィリピン政府 とムスリム反政府組織であるモロ民族解放戦線(MNLF: Moro National Liberalization Front)との 和平合意が締結され、ムスリム・ミンダナオ自治区(ARMM)の知事にMNLF議長が就任し たが、MNLFから分離したMILFとの間では軍事衝突が続いてきた。現在も、ARMM政府が 統治権限を有するARMM地域と、MILFの影響が強い紛争影響地域がモザイク状に混在して いる。フィリピン政府とMILFは
2003
年に停戦に合意し、MILFの下で復興・開発・人道支 援を行なうバンサモロ開発庁(BDA)が結成されたが、和平合意の締結には至っていない(16)。そのような状況で、2006年にはオール・ジャパンの取り組みとして
J-BIRD
(Japan-Bangsamoro Initiatives for Reconstruction and Development)
が立ち上がり、多様なスキームを組み合 わせた包括的な支援を展開している。ARMM地域では、ARMM政府の人材育成と行政規定 の整備を支援して行政能力を強化すると同時に、有償資金協力「ムスリム・ミンダナオ自 治地域平和・開発社会基金事業」等をとおして、住民が計画段階から参加する住民主導型 の取り組みとして、学校、保健所、簡易給水施設、道路等のインフラを整備してきた。MILF
の影響の強い紛争影響地域でも、保健、教育、水供給等のコミュニティー開発を住民 主導型で実施し、そのプロセスを通じてBDAの人材育成と地域の特徴にあった仕組みづく りを支援している。こうした活動はMILFとの和平合意後をも見据え、新自治政府の一部になることも想定さ れるBDAの能力を強化し、地域の貧困を軽減することを目指している。同時に、BDAが地 方政府や住民と接する機会も増え、BDAと域内の地方自治体やその他機関との関係構築や 相互理解が促進されれば、復興支援が和平に向けた環境づくりにもなる。日本政府とJICA は和平交渉へのオブザーバー参加や国際監視団への人員派遣というかたちでも関与してお り、コミュニティーへの支援を通じて得られた信頼関係や情報は、和平実現に向けたフィ リピン政府、MILF、NGO等の対話の促進にもつながっている。
② 南北スーダンへのバランスのとれた支援
2011年 7
月に独立した南スーダンに対するJICAの本格的な支援は、2005年に南北包括和 平合意(CPA)が結ばれた直後から開始されたが、独立前の期間は、南部スーダンはスーダ ン国内の地域であり、支援の実施にあたっては、南北間のバランスに配慮する必要があっ た。南部スーダンに対しては、2007年にJICAがジュバ(独立後の首都)の河川港の修復を支援 し、ナイル川内陸水運の拠点が整備されたことで、経済的な復興を支えるとともに、南北 スーダンの経済関係強化にもつながった。このほかにも、職業訓練センターの能力強化や、
理数科教員の養成等の支援が独立前から実施された。
南部スーダンへの支援が急速に進む一方、JICAは北部スーダンにおいても、母子保健、
農業、給水、職業訓練等の分野で支援を継続した。特に東部紛争の影響が深刻ながら国際 社会の支援が不足していた東部地域や、西部にあるダルフール地方、南北スーダン境界に 位置する暫定統治3地域にも支援を提供した。2011年
3
月には、独立前に南北スーダンの税 関職員に対する合同研修も実施した。南スーダン独立後、南北スーダン間で武力衝突が発生するなど、不安定な状態が続いて いるが、両者間の平和の定着にとって、バランスのとれた支援や、双方の相互理解を促進 する支援は、重要な要素であり続けている。
③ ボスニア・ヘルツェゴビナでの民族共生と地域社会の再生に向けた支援
ボスニア・ヘルツェゴビナでは、多民族の共生に強い意志をもって取り組む政府機関が ないなかで、JICAが住民への直接支援を優先して実施し、その結果、住民の意識が変化し 始めたことが政府の対応の変化につながっている。
ボスニア・ヘルツェゴビナ東部のスレブレニツァは、1992―
95年のボスニア紛争中最大
の悲劇と言われる約8000人のムスリム虐殺の現場である。そのような歴史にもかかわらず、国際社会の支援によって2002年からムスリムの難民・避難民がスレブレニツァへ帰還した。
しかしながら、民族間の不信感は根強く、農業を中心とした生活も厳しい状態が続いてい た。
援助を実施する際に問題を複雑にしたのは、ボスニアの複雑な政治体制であった。中央 政府の権限は弱く、農業開発に責任をもつエンティティー政府(注:ボスニアの行政機構は 主要民族ごとに2つのエンティティーに分かれており、スレブレニツァ市はそのひとつであるセル ビア人共和国〔RS〕に属する)はセルビア人中心でムスリム帰還民への支援に熱心ではない。
スレブレニツァ市でも、市長はムスリム、市議会議長はセルビア人で、市議会でも民族間 対立が絶えなかった。ボスニアの政府内には、スレブレニツァの住民全体を支援する強い 意志をもつ機関がみつからず、JICAはやむをえず中央政府の人権難民省の合意の下で、ス レブレニツァ市内に農業専門家を派遣することになった。
支援開始からの数年間、農業専門家は地元NGOと協力して地元住民を直接支援すること になった。ラズベリー生産、温室野菜栽培、養蜂、草地再生等の支援が行なわれ、民族の 区別なく、社会的弱者を中心に支援を実施した結果、住民の生計向上のみならず、住民間 の協力関係が強化された。多民族NGOが結成されたり、多民族が協力して事業を実施する 事例も生まれている。そうした状況を前に、スレブレニツァ市政府の姿勢も変化し、JICA プロジェクトに対する協力的な姿勢がみられるようになっている。
(3) ダウンサイド・リスクへの対応能力強化のための支援
もうひとつの課題として、ダウンサイド・リスクへの対応が挙げられる。
「人間の安全保障」への批判のひとつに、貧困削減、人間開発、人権といった既存の概念 との差別化が難しいことが指摘されるが、「人間の安全保障委員会報告書」はこの点につい て、社会的な弱者への支援を重視すると述べると同時に、「人間開発」との対比として「ダ ウンサイド・リスクへの対応」を挙げている。このリスクの概念の導入によって、人間の 安全保障論は、すでに脆弱な層を支援するだけではなく、外部からのショックに対して潜 在的に脆弱な層に対しても支援する必要性を示唆している。日本政府が人間の安全保障を 重視し始めたきっかけとなったアジア金融危機も、経済危機というリスクへの対応の難し さを示した事象であった。人間の安全保障が、公的機関による住民の保護だけでなく、住 民自身の能力強化を重視しているのは、このようなショックが個々人に及び、とりわけ脆 弱な層を直撃することがあり、緊急時には住民自身やコミュニティーでの対応が求められ るためでもある。しかし、現場での実践においては、直接的な保護策とは異なり、コミュ ニティーや個人のリスク対応能力は、支援効果の測定が難しいという課題を抱えている。
① 災害対応力の構築を通じた防災への取り組み
自然災害によるリスクを抑制し、被害を軽減するために、JICAは防災分野でさまざまな 支援に取り組んでいる。
自然災害は人々の安全を直接脅かす「恐怖」であると同時に、開発を阻害し、人々に
「欠乏」をもたらす要素ともなる。地震等の自然現象(hazard)そのものは災害(disaster)で はなく、自然現象が人間社会に作用し、その力が社会のもつ災害対応力を上回るときに災 害となる。このため、予防段階では災害対応力(自然現象がもたらす被害を抑止・軽減するた めの措置を講じるとともに、自然災害が発生した場合に応急対応できる力)を高める必要がある。
こうした予防段階での災害対応力を構築するためには、災害に強い街づくりのための計 画策定やインフラ整備、災害の監視体制強化といった行政レベルの能力強化が重要である。
その一方で、災害の発生直後には政府の保護(公助)が隅々まで行き届かないこともあり、
住民一人一人の防災意識や対応力(自助)を高めるとともに、コミュニティーの対応能力
(共助)を強化することも必要である。
JICA
はこうした住民レベル、コミュニティー・レベルの災害対応力の強化のために、住 民参加によるハザード・マップ作成を通じたリスク認識の醸成、コミュニティー・レベル の防災計画策定とその定期的な見直しの仕組みづくり、防災訓練や学校での防災教育の実 施等、多方面からの支援を行なっている。このように、自然災害によるリスクを軽減する ために住民やコミュニティーがとるべき行動について理解を広めることが、一人一人の安 全につながっていく。また、貧困層が災害のリスクに脆弱な状況に置かれている場合も多く、ひとたび災害に 遭えばさらなる生活環境の悪化を招く。災害により「恐怖からの自由」と「欠乏からの自 由」が同時に脅かされることにならないよう、災害対応力の強化に際しては、村落開発の 視点を盛り込むことが必要になることもある(17)。
このような支援は、中米6ヵ国(コスタリカ、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス、
ニカラグア、パナマ)を対象にした「中米広域防災能力向上プロジェクト"BOSAI"」のほか、
ペルーでの低コスト耐震住宅技術普及、パキスタンでの地震対策、ベトナム中部での土砂 災害・洪水対策など、さまざまな地域・分野で行なわれている。
② ネパールでのコミュニティー紛争解決能力強化
ネパールでは、コミュニティー内で起きるさまざまな対立が将来の新たな紛争要因に発 展しないように、コミュニティー内で調停や紛争管理ができるよう能力強化の支援が行な われている。
10年以上の内戦が続いたネパールでは、2006
年5
月に政府とマオイスト(ネパール共産党 毛沢東主義派)との停戦が合意され、2008年4
月の制憲議会選挙を経て同年5月に王制から 連邦民主共和制に移行した。それでも依然として、富裕層と貧困層、民族やカースト間の 対立軸が存在しており、コミュニティー内の些細な係争が政党間の対立につながり、新た な紛争にまで発展するリスクが残されている。地方裁判所への訴訟件数は増えているが、裁判所の能力が追い付かず、処理しきれない状況にある。
JICA
では新しい国造りにあたって、制度・政策への助言、選挙支援、民法起草・立法化 の支援、メディア支援等を行なってきたが、こうした国家レベルの制度づくりにとどまら ず、コミュニティーでのリスク対応能力を向上させるため、2010年から「コミュニティー 内における調停能力強化プロジェクト」を通じてシンズリ郡とマホタリ郡でコミュニティーでの紛争管理の仕組みづくりを支援し始めた。コミュニティーでは、伝統的なリーダー が仲裁役を担っていることが多かったが、そうした人々が住民の信頼を失いつつあった地 域も多く、コミュニティー調停人の養成、調停の仕組みづくり、異なる民族・カーストに 配慮した調停人選定等を支援することで、少数民族を含む住民の司法機能へのアクセス改 善を図ってきた。公的な司法制度とコミュニティーでの調停制度が相互補完的な役割を果 たすことが意図されており、調停人は裁判所や警察とも連携している。
こうした取り組みを通じて、コミュニティーにおいて紛争の激化につながるリスクを低 減できると期待されている。ただし、その成果の有無や程度を測定することが容易ではな いという課題もある。JICAでは調停人の能力向上や住民のコミュニティー調停への信頼等 をアンケート調査などで測定し、またコミュニティー内の関係改善へのインパクトも測ろ うと考えているが、実際にどの程度の取り組みが、どのような紛争リスクに対応できるの かは、長期的に観察しなければ判断しづらいという困難を抱えている。
③ アフガニスタンのコミュニティーにおける能力強化
前述のアフガニスタンでの「地方開発プロジェクト(IRDP)」では、コミュニティー開発 評議会(CDC)を核とするコミュニティーの能力強化によって、旱魃などの自然災害や経済 的なショックに対応する能力が高まることが期待されている。
実際に、旱魃による水不足に備え、水をめぐって争いを繰り返してきた村同士が協力し、
クラスター
CDCとして溜め池をつくることによって、旱魃が起きても水を奪い合うリスク
を低減した例が報告されている。この村では溜め池の建設中に実際に水不足が起きたが、溜め池の完成が期待されていたため、水をめぐる争いは激化しなかったという。
このようなリスク対応能力は、コミュニティーの能力強化が成果を発揮したものと言え る。一方で、アフガニスタンの農村には多様なリスクが存在しており、それらに対して
CDCがどの程度効果的に対応できるのかを測定するのは容易ではない。
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「人間の安全保障」のための取り組みの将来「人間の安全保障」の概念は、冷戦が「終焉」したにもかかわらず、世界が経済危機、食 糧危機、自然災害、紛争・テロ等、従来型の国家安全保障問題とは別の危機にさらされて いることが明らかになった1990年代に登場した。日本は、この概念をいち早くODA政策の 理念に取り入れた国だった。
その後、国際的に続いた人間の安全保障の定義や概念整理の議論は、徐々に収斂に向か いつつあり、今日の課題は、実践を通した概念の具現化に移りつつある。本稿で触れた日 本政府と
JICA
の取り組みや、(本稿では紙数の都合で触れることができなかった)国連の「人 間の安全保障基金」の取り組みは、こうした現場での実践の蓄積に大きく寄与してきたと 言えるだろう。今後は、さらに現場での実践を積み重ね、実践において得られた課題や教 訓を整理することが、人間の安全保障の付加価値を高めることにつながると思われる。その際に、特に
2つの問題―「国家の安全保障」と「人間の安全保障」をいかに両立さ
せるか、そしてダウンサイド・リスクにいかに対応するか―に留意する必要がある。本稿で示した事例は、相手国政府の人間の安全保障に対するコミットメントが弱い場合 でも、JICAの実施する人間の安全保障を促進する支援が、長期的には国家の安全保障と相 互補完的な関係になるという点について、相手国政府を説得することは可能であることを 示している。実績を示すことができれば、徐々に相手国政府の理解も深まっていく。スー ダンの事例が示すように、常に説得によってすべての課題を解決できるわけではなく、さ らなる工夫を凝らすことで、
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つの安全保障の間の懸隔を縮めていくことが求められている。本稿で取り上げたダウンサイド・リスク対応事例では、トップダウンによる保護だけで はなく、コミュニティーの能力強化を重視する事例が多かった。このようなリスク対応能 力は「レジリエンス」と呼ばれるが、人間の安全保障の実現のためには欠かすことのでき ない要素である。しかし、いずれの事例でも、実際に危機に直面する前に能力強化やレジ リエンス向上を客観的に計測することが難しいという課題を抱えている。
にもかかわらず、政府の能力だけでなく、人々のリスク対応能力を高めておかずに、突 然の危機に有効に対処することはできないだろう。さらに、ダウンサイド・リスクへの対 応は、人間の安全保障と人間開発との差異を明確にし、その付加価値を高める要素であり、
長期的なレジリエンス構築への支援は今後ますます重要になるだろう。自然災害、紛争、
経済危機等への対応は重要な課題であり、保護と能力強化という人間の安全保障の視点を 生かした支援の強化が望まれている。
(1) UNDP, “New Dimensions of Human Security,” Human Development Report 1994, Oxford University Press, p. iii, 1994.
(2) 福島安紀子『人間の安全保障―グローバル化する多様な脅威と政策フレームワーク』、千倉書 房、2010年、34―43ページ。
(3) 同前、43―45ページ。
(4) 同前、49ページ。
(5) 国連総会決議A/RES/66/290 “Follow-up to paragraph 143 on human security of the 2005 World Summit Outcome”(2012年9月10日)。
(6) 福島、前掲書、48―49ページ。
(7) United Nations, Report of the Secretary-General on Human Security, A/64/701, March 8 2010.
(8) 福島、前掲書、87―91ページ。田瀬和夫・武見敬三「人間の安全保障と日本の役割」、東海大学 平和戦略国際研究所編『21世紀の人間の安全保障』、東海大学出版会、2005年、123―150ページ。
(9) 外務省編『2011年版政府開発援助(ODA)白書―日本の国際協力』、2012年、175ページ。
(10) OECD統計を基に筆者算出。
(11) 戸田隆夫「開発援助における『人間の安全保障』主流化プロセス―組織と理念を媒介とした 社会変容の可能性」、名古屋大学大学院博士論文、2009年。
(12) JICAが研修資料、ホームページ、パンフレット、広報誌等で取り上げている事例について筆者
が整理、分析したもの。
(13) 人間の安全保障委員会『安全保障の今日的課題―人間の安全保障委員会報告書』、朝日新聞社、
2003年、29ページ。
(14) 同前、30ページ。
(15) 同前、31―34ページ。
(16) フィリピン政府とMILFは2012年10月7日に和平に関する「枠組み合意」に達し、最終合意に向
けた交渉を続けている。
(17) 大井英臣・三牧純子・桑島京子「防災と人間の安全保障」、国際協力機構(JICA)著・絵所秀紀 監修『人間の安全保障―貧困削減の新しい視点』、国際協力出版会、2007年、183―206ページ。
■参考文献
Tsunekawa, Keiichi(2012)“Working for Human Security: JICA’s Experience,” conference paper for East Asian Human Security and Post-Conflict Development in Comparative Perspective, Ewha Women’s University.
[付記] 本稿の執筆に際しては、恒川惠市JICA研究所シニア・リサーチ・アドバイザーより多大なご 指導とご助言をいただいた。ここに記して感謝の意を表したい。また、JICA事業の内容について 情報整理にご協力いただいたJICA関係者各位にもお礼申し上げたい。本稿の内容は筆者個人の見 解であり、所属先の見解を代表するものではない。本稿における不備はすべて筆者に帰するもの である。
むろたに・りゅうたろう JICA研究所リサーチ・アソシエイト http://jica-ri.jica.go.jp/ja/about/murotani-ryutaro.html [email protected]