はじめに
2008年 8
月8日、平和の祭典オリンピックの開会式が北京で開催されている際に、グルジ
アが同国内の南オセチア自治州に進攻したことに呼応する形で、ロシアがグルジアに対す る攻撃を開始し、グルジアとロシアの戦争が始まった。戦闘そのものは5日間で終結し「5
日間戦争」とも言われるが、この戦争はグルジア、ロシア両国に大変な打撃を与えただけ でなく、近隣諸国、ひいては国際政治的にも大きな衝撃をもたらした。本来、争いが凍結 されるべきオリンピックの最中に紛争が勃発したこと、大国ロシアがかつてソ連を構成し ていたグルジアという小国を攻撃したこと、「凍結された紛争」(後述)が熱戦化したことな ど、異例の要素が多かっただけでなく、ロシアが自国の勢力圏に対する利益を守るために は武力行使を辞さないことが明らかになり、そのためには欧米との関係決裂もやむなしと いう強気の姿勢をみせたからである。特に、米国や北大西洋条約機構(NATO)、また世界貿 易機関(WTO)とロシアの関係は冷え切り、その結果、「新冷戦」が勃発したという議論も 生まれた。後述のように、筆者はグルジア紛争後の世界が「新冷戦」時代に入ったという議論には 賛同できないが、冷戦を想起させるようなさまざまな状況が生まれたことは事実である。
本稿では、グルジア紛争が勃発した背景を明らかにしたうえで、同紛争における米国の 役割を米大統領選挙の問題と絡めながら分析し、現状が「新冷戦」であるのか否かを論じ たうえで、今後の米ロ関係の展望について考えたい。
1
グルジア紛争勃発の背景(1)グルジア紛争は、決して突発的に起きたわけではなく、冷戦後の一連の流れのなかで、
起こるべくして起きたとも言える。また、グルジア紛争勃発の理由は単純ではなく、その 背景を正しく捉えるためには、①国内、②国家、③地域、④国際の4レベルからの分析が不 可欠である。以下では、この四つのレベルでグルジア紛争の背景を明らかにしていく(2)。
(1) 国内レベルの分析―グルジアの内政と未承認国家問題
第一の分析レベルは国内レベル、すなわちグルジアとグルジア国内の未承認国家の問題、
また、グルジアの内政問題である。
旧ソ連にはグルジアの南オセチア、アブハジア自治共和国、アゼルバイジャンのナゴル
ノ・カラバフ自治州、モルドヴァの沿ドニエストルという四つの未承認国家が存在してい る。未承認国家とは、独立を宣言し、国家の体裁を整え、本国の主権がまったく及ばない 状態を維持しているが、国際的な国家承認を求めるものの、国家承認が得られないため、
自称の国家にとどまっている地域である。未承認国家の問題は、それらが属する本国にと って常に最重要課題であり続けてきた(3)。
旧ソ連の未承認国家には多くの共通の性格がみられる。それらは、ソ連のペレストロイ カ期に分離・独立運動を開始し、やがてその運動が武力化し、本国(問題が表面化した当時 はソ連邦構成共和国)との激しい戦闘を経験している。戦闘はソ連解体後に特に激しくなり、
ナゴルノ・カラバフをめぐるアルメニアとアゼルバイジャンの戦いや、グルジアにおける 紛争では激しい民族浄化も行なわれた。また、すべての紛争において、ロシアが分離・独 立派を軍事的、政治的、経済的に支援したために、本国は軍事的に敗北したうえ、ロシア の仲介によって不利な条件を伴う停戦を受け入れることを強いられた。ロシアは停戦の条 件に、独立国家共同体(CIS)および
CIS
安全保障条約への加盟、本国へのロシア軍基地の 設置(アゼルバイジャンは拒否)、石油開発計画へのロシアの参入(アゼルバイジャンに対して のみ)などを提示し、本国に対する影響力の維持に未承認国家問題を利用し始めた。だが、このようなロシアの未承認国家問題への政策も背景となり、本国であるグルジア、
アゼルバイジャン、モルドヴァは反ロシア的な姿勢を強め、同様にロシアとの懸案事項が 多いウクライナと
1997年に「GUAM」
(加盟4
ヵ国の頭文字をとっている。一時、ウズベキスタ ンも加盟したが、のち脱退)を発足させた。「GUAM」は反ロシア的組織として知られ、米国 も熱心に支援をしてきた。そして、ロシアの未承認国家への支援は、濃淡はあるが今でも続いている。旧ソ連地域 への影響力を維持したいロシアにとって、未承認国家は非常に都合の良い「外交カード」
なのである。
そして、これらすべての未承認国家の問題が現在に至っても未解決となっている。名目 的には停戦が維持されているため、これらは「凍結された紛争」と呼ばれてきたが、未承 認国家と本国の関係は常に緊張し、停戦後も小競り合いが頻繁に生じており、多くの死傷 者を出してきた。また、グルジア紛争は「凍結された紛争」が、いかに不安定で脆弱であ るかということを如実に露呈することとなったのである。
それでは、未承認国家の問題はなぜ、解決されないのだろうか。その理由は多々あり、
本稿では詳細を割愛するが、二つの矛盾する国際原則があるために、国際社会がその問題 に白黒つけられないということを特筆したい。具体的には、本国は「領土保全」を、未承 認国家は「民族自決」を主張しているが、その両方が重要な国際原則である一方、両立し えないのである。実際のところ、国境の変更は地域の不安定化につながりやすいため、2度 の世界大戦後の植民地解放の時代や旧社会主義圏解体後に「民族自決」が優先された時期 を除き、原則的には「領土保全」が「民族自決」より優先されてきた。しかし、「民族自決」
の原則を無視することもできず、未承認国家問題は袋小路に陥る傾向がある。そのため、
旧ソ連のみならず、世界にはいくつかの未承認国家問題が残存しているのである。
しかし、その膠着状態に楔を打ち込んだのは、2008年2月に欧米を中心とした多くの諸国 がセルビア共和国のコソヴォの独立を承認したことであった。この事実は、未承認国家を 大きく刺激し、独立承認を求める動きが顕著になった。
他方、コソヴォの独立承認に強く反対していたロシアは、グルジア紛争を機に、欧米へ の報復の意味合いも込めて、南オセチアとアブハジアの独立を承認した。ロシアの両地域 に対する独立承認には激しい非難が寄せられたが、ロシアは欧米のコソヴォ独立承認が
「(未承認国家問題の)パンドラの箱を開けた」(4)のだとして、民族浄化の主犯としてグルジア のサアカシュヴィリ大統領をセルビアの故ミロシェヴィッチ元大統領になぞらえ、ロシア は民族浄化を阻止するために、欧米がセルビアを空爆したのと同じようにグルジアを攻撃 したのだとし、欧米の責任を追及し、自己正当化を図った。
このように未承認国家問題はきわめて複雑な問題であり、相互に影響しあうため、関係 者はもとより、国際社会も慎重に対応せざるをえない。
さて、現在のグルジア大統領、ミヘイル・サアカシュヴィリは、2003年の「バラ革命」
の中心人物で、その後の選挙で大統領に当選し、2008年1月の大統領選挙で再選されている が、彼にとっての最重要課題は、内政ではグルジア全土の奪還、外交では欧州連合(EU)
とNATOへの加盟を含む親欧米路線の追求であった。
そして、サアカシュヴィリは大統領就任直後の2004年に、未承認国家ではないが長年グ ルジアの主権が及んでいなかったアジャリア自治共和国の独裁者アスラン・アバシゼを軍 事力も用いて追放し、奪還に成功した。なお、ロシアのプーチン大統領(当時)の元顧問によ れば、ロシアはグルジアがアジャリア奪還に成功した際にグルジア攻撃を決意したという(5)。
これに勢いづいたサアカシュヴィリは、アブハジアの奪還は困難だが、南オセチアの奪 還は可能と判断して、南オセチアにも武力行使をするも失敗した。その後、しばらく停滞 が続いたが、2006年からはずっと険悪だったグルジアとロシアとの関係がさらに冷え込み
(バラ革命以前から、ロシアは電力供給の停止や、CIS諸国には免除されているはずの査証の強制 など、さまざまな懲罰的行為を行なっていた)、同時に未承認国家の問題も悪化していった。
2006年 4月には、ロシアはグルジアの主要な外貨収入源であるミネラルウォーターとワイ
ンの禁輸を決定(ワインの
70%
がロシアに輸出されていたため、打撃は大きかった)、同年9月
にはグルジアがロシア人スパイを逮捕したため、ロシアはすべての通商、運輸、通信を断 絶し、ロシアへの出稼ぎグルジア人を非人道的手段で強制送還するなど、きわめて厳しい 措置をとったのである。その間の7月に、グルジアがアブハジアに軍事進攻し、コドリ渓谷 などを奪還したこともロシアを刺激していた(本件では、グルジアも国際連合など国際社会か ら批判を受けた)。次いで、2007年
7月に、2014年冬季オリンピックがロシアのソチで開催されることが決定
される。黒海沿岸のリゾート地、ソチはアブハジアときわめて近く、ロシアはアブハジア を建築資材や食料品の調達など、オリンピックの後方支援地にするとして、工場建設や大 規模支援を表明した。そのことも、グルジアをさらに刺激した。そして、前述のように2008年
2
月にコソヴォの独立が多くの諸国に承認されたため、アブハジア、南オセチアは独立承認をさらに強く求めるようになり、同時に両地域へのロシア の関与も最大限にまで拡大し、プーチン大統領は「国家承認以外のすべてを承認する」と まで言ったのである(6)。
他方、後述のように同年4月にグルジアの
NATO
加盟が現実的になると、ロシアは対グル ジア戦の準備を本格的に始めた。グルジアの軍事状況を詳細に調べ、アブハジア、南オセ チアへの派兵も増強し、さらに北カフカスのロシア軍を再編成し、後述のように7月には大 規模な軍事演習も行なう用意周到さであったのである。ただし、戦闘の準備を進めていたのはグルジア側も同じである。
開戦の契機については謎が多く、グルジア、ロシア双方が激しくプロパガンダ合戦を繰 り広げ、EUなどが詳細な調査を進めてきたが、少なくとも、双方が戦闘の準備を進めてい たこと、グルジアが南オセチアに先に進攻したこと(7)、そしてロシアが過剰な応戦をしたこ とは間違いないと言えよう。
グルジアが進攻を急いだ背景には、米国の軍事的支援に過剰な期待をし、オリンピック 期間であればロシアの反撃も受けにくいと考えたサアカシュヴィリの誤った政策判断に加 え、グルジア国内の内政混乱があったと言える。
グルジアでは、2007年11月に大規模な反体制デモが発生し、政府は戒厳令の発令、メデ ィア統制、不当逮捕、大統領選挙の前倒しなどで混乱を収拾しようとした。2008年
1月に前
倒しされた大統領選挙ではサアカシュヴィリが再選されるも、その後も政敵の不審死やメ ディア統制の強化などが続き、内政の混乱は改善せず、国民の不満が高まっていたのであ る。「バラ革命」で生まれた民主主義国家のイメージは消えていた。しかし、戦争はナショナリズムを高揚させ、国民を統合する可能性が高く、さらに南オ セチアを奪還できれば、国民の支持も獲得できる。サアカシュヴィリはそのような期待も もって、南オセチア進攻を決断したと考えられる。実際、グルジア紛争勃発「直後」のみ であったが、反体制派も含め、反ロシアで国民が一時、一つにまとまった。このようなグ ルジアの内政的事情も本紛争の大きな要因と言えるだろう。
(2) 国家レベルの分析―ロシアの外交問題、国内要因
第二の分析レベルは、国家レベル、具体的にはグルジアとロシアの関係である。
グルジアは、真の独立国家を目指し、領土保全を確保しつつ、旧ソ連のくびきから脱し て欧米への接近を図ってきたが、そのことは「近い外国」(旧ソ連圏)への影響力を保持し 続けたいロシアを刺激してきた。それ故、既述のようにロシアは未承認国家を有力な外交 カードとし、その他のエネルギー、政治、経済のカードも絡めて、グルジアに対する懲罰 的行為を続けてきたのであるが、今回のグルジア攻撃からもロシアのグルジアに対する苛 立ちがみてとれる。
まず、今回のグルジア攻撃の最も直接的な原因は、グルジアのNATO加盟問題だと言える。
ロシアにとって、NATO拡大、特にその「近い外国」への拡大を阻止することは大変重要な 外交課題である。「近い外国」が欧米に吸収されれば、自国の勢力圏が侵害されるだけでな く、ロシアのきわめて近距離にNATOの基地や防衛システムなどが設置される可能性が高い
からだ。
他方、グルジアとウクライナは、かねてよりNATO加盟に向けて努力してきたが、2008年
4月の NATO
ブカレスト・サミットにおいて、NATO加盟の最終段階とも言える加盟行動計 画(MAP)が両国に適用される予定となっていた。しかし、ロシアが強硬に反対し、ドイツ、フランスがロシアに配慮して追従したため、結局、両国へのMAP適用は見送られ、12月の ブリュッセルでのNATO外相理事会で再検討されることとなった(8)。両国の
NATO加盟を一
時的に阻止できたとは言え、その可能性が現実的になったことで、ロシアはそれを阻止す べく、グルジア攻撃を決定したと言える。そしてロシアは、グルジア国家と米軍の訓練を 受けたグルジア軍を機能不全にし、グルジア国内にロシア軍基地を配備することを目指し たのである(9)。またロシアの国内事情の絡みもある。プーチン前大統領がチェチェンに対する強硬政策 で人気を勝ち得たように、2008年
5
月に発足したメドヴェージェフ政権を盤石なものとする ためにも、内外に強いロシアをアピールする必要があったはずだ。最近、チェチェン武装 派の活動が北カフカス全域に広がり、情勢が不安定化していたこともあり、近隣のグルジ アへの攻撃は国内の反体制派に対するみせしめにも効果的だと考えられたはずである。さ らに、ロシアのメドヴェージェフ大統領はグルジア紛争後に軍拡の必要性を強調し、大規 模な軍拡を始めた(10)。軍事費拡大の国内外に対する口実としてグルジア紛争が用いられた という見解も根強い。(3) 地域レベルの分析―ロシアの「近い外国」をめぐる動き
第三の分析レベルは、地域、具体的には、ロシアの「近い外国」政策と「近い外国」の 反ロシア的な動きとの相克である。ロシアは「近い外国」、すなわち旧ソ連圏に対する影響 力を維持し、エネルギー支配の強化も目指してきたが、ロシアの思惑に反発する動きも少 なくなかった。
まず、既述のGUAMなど、反ロシア的な諸国が存在する。GUAMのなかでもとりわけ反 ロシア的で親欧米的なグルジアとウクライナは、さらに
2005
年には民主的選択共同体(CDC)を設立し、またEUやNATOへの接近も顕著で、ロシアを常に刺激してきた。
また、米国などが「経済の論理」より「政治の論理」を優先する形でBTC(バクー、トビ リシ、ジェイハン)石油パイプラインをはじめとするロシアを迂回するエネルギー輸送路の 建設を進めてきたこと(11)、さらに
EU
がロシアを排除する形で中央アジアやカフカスとの輸 送、通商、エネルギーなどの回廊を構築しようとしてきたこともロシアの権益を侵害する ものとして捉えられてきた。そして、反ロシア的な諸々の動きに鬱積を募らせてきたロシアの堪忍袋が、グルジアと ウクライナのNATO加盟問題で完全に切れたと考えられるが、グルジア紛争は、ロシアの地 域政策に一定の利点をもたらしたと言える。
まず、グルジアのみならず、ウクライナのNATO加盟を阻害することに成功した。さらに、
グルジアをスケープゴートとしてGUAM諸国のような反ロシア的な諸国に対する牽制もで きた。たとえば、アゼルバイジャンはそれまで避けていたにもかかわらず、ロシア経由で
のエネルギー輸送を大幅増量しようとするなど、ロシアへの配慮と傾斜が目立つようにな った(12)。さらに、ロシアは「BTCパイプラインは死んだ」とし(13)、ロシアを経由しない欧 州方面へのガスパイプラインであるナブッコ・パイプラインの計画を潰す動きを強め、ナ ブッコ・パイプラインの計画も危ぶまれるようになるなど(14)、ロシアを排除する形で進め られてきた地域のエネルギー開発・輸送領域で巻き返しを図っている。
このように、総合的に欧米諸国の影響力が拡大していたロシアの周辺地域における覇権 の再確立という目的を多かれ少なかれ達成したと言えるだろう。
(4) 国際レベルの分析―欧米・ロの関係
第四の分析レベルは、国際レベル、具体的にはロシアと欧米の関係である。
冷戦終結後も、冷戦の遺産であるNATOが存続し、2001年の9・
11米同時多発テロ事件直
後の短い蜜月期間を除いては、ロシアと欧米、特に米国は常に緊張関係にあったと言って よい。ロシアは世界の多極化をかねてより目指してきたが、米国はロシアの利害に配慮せ ず、米国主導の一極的世界秩序の形成を進めてきた。さらに、近年、欧米諸国によるロシ アの「近い外国」への影響力拡大が顕著になっていた(15)。ロシアを刺激してきたのは、具体的には、以下のとおりである。
米国については、イラクやアフガニスタンへの侵攻を含むロシアの立場を無視した世界 戦略、ロシアを排除した形でのエネルギー開発と輸送路の建設、グルジア、ウクライナに 対する「色革命」(16)の支援に代表される旧ソ連地域に対する民主化支援、グルジア、ウクラ イナの加盟問題を含むNATO拡大路線、米軍によるルーマニアとブルガリアの軍事基地使用、
ミサイル防衛(MD)システムのポーランドとチェコへの設置問題、欧州通常戦力(CFE)問 題(17)、コソヴォの独立承認などがあった。
さらに、EUについては、旧共産地域の民主化・市場経済化政策、ロシアを迂回するエネ ルギー輸送路や通商路の推進と旧ソ連地域の振興の努力、ロシアの未承認国家政策への牽 制、さらにコソヴォ独立問題などが挙げられる。
そしてこれらの募った不満を爆発させる契機となったのが、グルジア、ウクライナの
NATO
加盟問題だったと言えるのだ。ただし、欧米は決して一枚岩ではない。グルジア紛争 後も、米国はロシアに対して軍事的応戦は避けたものの、厳しい姿勢を取り続けたのに対 し、欧米は後述のように、ロシアとの関係改善を早い時期から模索した。それでは、ロシアと米国の関係はどうだろうか。次節より分析していきたい。
2
米大統領選挙とグルジア紛争ロシアは紛争勃発当初から、グルジア紛争の背後には、「色革命」と総称される一連の旧 ソ連諸国における民主化革命、具体的には2003年のグルジアにおける「バラ革命」、ならび に2004年のウクライナにおける「オレンジ革命」と同様に、米国の姿があると強調していた。
そもそも、グルジアのミヘイル・サアカシュヴィリ大統領は、ウクライナのキエフ国立 大学国際法学部卒業後、渡米し、コロンビア大学ロースクールで法学修士号を取得し、ジ ョージ・ワシントン大学の博士課程で
1年ほど学んだ後、法律家としてニューヨークの法律
事務所で勤務したという経歴をもち(18)、強い親米感情をもっているだけでなく、米国に強い 人的ネットワークをもっている。そのため、「バラ革命」の際には、米国がサアカシュヴィ リを支援し、「革命」後の大統領選挙で国民の圧倒的支持を受けてサアカシュヴィリが大統 領に当選したという経緯がある。既述のように、当選後も、サアカシュヴィリは欧米との 関係強化を進めてきた。とりわけ、米国との関係は強く、グルジアの現政権は米国の傀儡 政権だと言われるほどである。
そのため、グルジア紛争でも、プーチン首相は米大統領選挙との関連を指摘し、ジョ ン・マケイン陣営、すなわちブッシュ政権および共和党が仕組んだと主張した(19)。その発 言に根拠はなく、米国サイドも否定しているが、紛争後にマケインの支持率が一時的に上 昇したのは事実である。
ロシア側が主張するグルジア紛争と米大統領選挙の関係については根拠がなく、また、
グルジアから事前に軍事進攻の通告を受けていた米国は、軍事衝突直前まで「ロシアと戦 争をしても勝ち目はない」と戦闘の自制を求めていたという(20)。
とはいえ、実質的には米国がグルジアを支援したと思わせる事実もある。グルジアには、
訓練を目的として米軍顧問が130人以上常駐しているが、グルジアが南オセチアに進攻する 直前の2008年
7
月15日には、1000
人規模の米軍がグルジアの首都トビリシ近郊のヴァジア ニでグルジアとの「即時対応(Immediate Response)2008」と呼ばれる共同軍事演習を行なっ
たのである。この演習には80億ドルが投じられ、600人のグルジア軍に加え、アルメニア、アゼルバイジャン、ウクライナからも50人ほどの軍人が参加していた(21)。
しかも、この訓練はロシアに対する牽制の意味合いを強くもっていたと考えられている。
既述のように、ロシアは2008年
4月から対グルジア戦の準備を進めていたとみられるが、そ
の仕上げとしての軍事演習を同じ7月15日に行なっていたのである。この演習は「コーカサ
ス・フロンティア(Caucasus Frontier)2008」と称され、第 58軍を筆頭に、北カフカス軍管区、
第4空軍、内務省軍、国境警備隊を含み、8000人の軍人と約
700
の戦闘車、30以上の軍機に よる大規模なものだった。この演習の目的は、公には連邦軍、内務省軍、国境警備隊、空 軍の連携強化を図るためだとされているが(22)、グルジア戦に向けて再編成した北カフカス の軍の実戦訓練であったという見方が圧倒的である。つまり、米ロ双方が、グルジアの南 オセチア進攻とロシアの参戦を想定していた可能性が高い。さらに、グルジアとロシアの戦闘が勃発した直後の8月
10
日には、米軍がイラクの平和 維持活動(PKO)に派兵されていた2000人のグルジア兵をグルジアに空輸し、ロシアの反発 を買った(23)。また、ロシア軍が米軍関係の物資を多数押収している。このことからも、米 国のグルジア支援はあったと考えられる。これらのことから、米国は口頭ではグルジアに南オセチア進攻をとどまらせようとした かもしれないが、少なくとも態度ではグルジアを戦闘に駆り立て、好戦的なサアカシュヴ ィリがそのような米国の姿勢を、ゴーサインのシグナルと受け止めた可能性は高いだろう(24)。
さらに、米国と関係が深いイスラエルもグルジア紛争に関与したことが疑われている。
そもそも、グルジアとイスラエルの関係は深く、紛争勃発当時のグルジア国防大臣、ダヴ
ィト・ケゼラシュヴィリ(25)と再統合相ティムール・ヤコバシュヴィリはユダヤ人であり、
サアカシュヴィリの夫人も出身はオランダであるがユダヤ人であるなど、深い人脈がある だけでなく、グルジアは大量の最新式兵器をイスラエルから購入していた。そして、紛争 勃発後にヤコバシュヴィリが、イスラエル軍がグルジア軍を訓練してくれたことを称賛し、
イスラエルは自国の軍事力に誇りをもつべきだとインタビューで述べていたのである(26)。イ スラエルもグルジア紛争への関与を否定しているが、グルジアを戦闘に駆り立てたのは、
米国ではなくイスラエルだとするストックホルム戦略研究センターの報告もあり(27)、米国同 様、疑いは晴れない。
しかし、サアカシュヴィリが決定的な失策を犯したことだけは間違いない。その結果、
グルジアはロシアに大敗し、紛争直後は国民も「反ロシア」で一つにまとまり、大統領を 支持していたが、次第にサアカシュヴィリの戦争責任を激しく問うようになっただけでな く、諸外国も当初はグルジアを擁護し、ロシアを批判する傾向が強かったが、謎が多いグ ルジアとロシアの紛争の直接の勃発理由がロシアのグルジア攻撃ではなく、既述のように サアカシュヴィリが南オセチアに先制攻撃したことを認めた後は、グルジアに対する批判 的な報道もするようになってきた(28)。
さらに米大統領選挙でのマケインの落選はサアカシュヴィリを落胆させた。サアカシュ ヴィリはマケインとは個人的に親しく、グルジア紛争の間も毎日電話で話していたほどで(29)、 サアカシュヴィリはロシアとは逆にマケインが大統領となってロシアに強硬政策を採るこ とを強く期待していたのである。
とはいえ、サアカシュヴィリは米大統領選挙後、すぐにオバマ支持を明確にし、グルジ ア紛争直後の8月半ばにトビリシを訪問していたバイデン副大統領との緊密な関係をも強調 し始めた。他方、当選後にオバマもロシアに対してはグルジア攻撃を批判した一方、サア カシュヴィリに電話をして関係強化について議論している(30)。
さらに、2009年
1
月9日には、ライス米国務長官がグリゴル・ワシャゼ = グルジア外相と ワシントンで会談し、両国関係の強化を掲げた「戦略パートナーシップ宣言」に署名した。同文書には、安全保障、経済、民主化、人的交流の4分野で、両国関係の強化に向けた基本 方針が盛り込まれているだけでなく、米国がグルジアのNATO加盟を支援するだけでなく、
NATO
軍と協働できるように、米国がグルジア軍の装備向上や訓練に協力することも明記さ れている(31)。このように、グルジア紛争における米国の役割については、不明瞭な部分も多いとはい え、ロシアがオバマ政権との関係改善の可能性に期待し、他方、グルジアも米国との新た な協力関係を築き始めたことで、米国のグルジアとロシアの間の立ち位置は、紛争後、あ る意味リセットされたと言えるだろう。
3
新冷戦、か?さて、それでは「グルジア後」の世界は「新冷戦」時代なのだろうか。筆者はその議論 には賛同できない。
確かに、冷戦を彷彿させるような出来事は、グルジア紛争後の世界で数多く起きている。
第一に、メドヴェージェフ大統領は、アブハジア、南オセチアの独立を承認する際に
「望まないが新冷戦も辞さない」と述べた事実がある。
第二に、ロシアと米国およびNATOとの関係は冷え切り、相互の激しい非難の応酬が続い た。米国はグルジア紛争の制裁措置として、予定されていたロシアとの海軍共同軍事演習 を取りやめ(32)、2008年5月に米ロ間で署名され、米議会の承認を得られれば発効する予定と なっていた原子力協力協定を凍結した。さらに、プーチン首相は加盟を目指していた
WTO
にも決別を表明した。ただし、ロシアにとってWTO加盟は長年の非常に重要な課題であっ たことを考えれば、ロシア首脳陣の国際社会で孤立することへの覚悟と強硬さがみてとれ るが、この決断はロシアの大国の意地によるものと思われる。つまり、ロシアにとって最 も重要な外交課題だからこそ、大国の威厳を維持するために、WTO側から加盟を拒否され る前に、自ら距離を置いたと考えられるのである。実際、すでにWTO加盟国であるグルジ アは、常々ロシアの加盟に強く反対してきたし、米国サイドもグルジア紛争後にロシアのWTO加盟について否定的なコメントを多々出すようになっていた
(33)。第三に、グルジアの人道支援目的で米国やドイツ、スペインの艦艇とポーランドのフリ ゲート艦が歴史的に「トルコとロシアの海」とされてきた黒海に入ってきたことで、ロシ アは「NATO諸国が人道支援を名目に海軍部隊を増強している」と不快感を表明した。さら に、以前から予定されていたものであったとはいえ、8月
21日から黒海で NATO
の軍事演習 が行なわれたこともロシアを苛立たせた(34)。その一方、まるでその報復をするかのように、ロシアは米国の御膝元である南米諸国、
とりわけニカラグアとの関係を深め、9月初旬にはニカラグアに軍艦を送り、カリブ海で海 軍の軍事演習を行なうことを決定し、軍事基地設置すら示唆した(35)。そして、11月末には、
メドヴェージェフ大統領がベネズエラ、ペルー、ブラジル、キューバを歴訪し、次いで12 月初旬に、冷戦後初めて米国の裏庭で「VenRus-2008」と呼ばれる軍事演習が行なわれたの である(36)。その後、ロシアの軍艦はキューバに向かった。さらに、12月にはアルゼンチン のフェルナンデス大統領とニカラグアのオルテガ大統領が、相次いでモスクワを訪問し、
共同宣言が出されたり、通商関係の発展などが議論されたりした。このように、軍事部門、
貿易部門を含むさまざまな協定が締結され、ロシアと南米諸国との間で多面的な協力関係 が深化している。なかでもニカラグアは、現在のところロシアに追従してアブハジア、南 オセチアを承認した世界で唯一の国となり、ロシアとの信頼関係を強化している。
第三に、あたかも米国に対抗するかのように中ロ関係が深化している。中国とロシアは 領土問題を解決するなど、両国間の懸案事項を解消した一方、上海協力機構における連帯 をはじめとして多面的な協力関係を強化している。中国はロシアのアブハジア、南オセチ アの独立承認には賛同しなかったものの、そのことが両国の関係に影響を与えることはほ とんどなかった。
2008年9
月からの世界規模の金融危機に際しても、ロシアと中国は連携し、米ドルのみを基軸通貨とする現状の打破に乗り出した。具体的には、10月に貿易代金の決 済にドルではなく、人民元とルーブルを用いることを決定したのである(37)。さらに、2008
年末には、2009年に反テロ共同軍事演習を行なうことも決定された(38)。
このように、ロシア側の「新冷戦」の宣戦布告ともとれる発言、そして、それに続いて 一連の「冷戦的」な状況が現実となっていった事実に鑑みれば、グルジア紛争後に「新冷 戦」が到来したという見方もできるかもしれない。とはいえ、現状はかつての冷戦とはま ったく異なっている。
まず、冷戦における最も根底にある対立であった「共産主義」対「資本主義・自由主義」
といったような政治的、経済的な「イデオロギー対立」は過去のものとなった。
第二に、かつてのように米ソを中心に世界を二分したような陣営ももはやない。バルト 三国を除く旧ソ連諸国から成るロシアを中心とした
CIS
(39)や、反米的色彩が指摘され、米国 と厳しい関係にあるイランもオブザーバー参加している上海協力機構の存在、またロシア が関係を強化している南米諸国との連帯を「陣営」とみる向きもあるであろうが、それら のロシアとの関係は陣営と言えるほど強固なものではない。それら諸国の対ロ政策はプラ グマティックであり、例外もあるが基本的にどの国も、国際政治のなかで微妙なバランス をとった外交を展開している。たとえば、CIS諸国も上海協力機構もロシアのアブハジア、南オセチアの独立承認には賛同しておらず、独立承認に追従した国は皆無だ。既述のとお り、独立承認に追従したのは世界でニカラグア一国なのである。
他方、米国サイドにも陣営と呼べるものはもはやないだろう。欧州は決して米国と一枚 岩ではなく、特に対ロ政策や金融政策では米国の方針と袂を分かっている。さらに、2008 年11月の20ヵ国グループ(G20)金融サミットでは、現行の経済システムを維持したい米国 の孤立が露呈された(40)。もはや日本しか米国を支持する国はいないのかもしれない。しか も、多くの中東諸国の対米感情はきわめて悪化している。
逆に、現在の世界の趨勢は「多極化」だと言える。それを裏付けているのは、ロシアが グルジア紛争でみせた一極支配への激しい反発だけではなく、もはや先進7ヵ国財務省・中 央銀行総裁会議(G7)だけでは世界の経済を動かすことはできず、世界の
90%
の富を握る20ヵ国による G20
金融サミットが不可避となったことからも明らかだ。このように、陣営がない以上、世界を二分する「冷戦」的状況は想定し難い。
第三に、欧州は新冷戦を望んでいない。EUはグルジア和平の仲介を買って出ただけでな く、バルト
3
国やポーランドなどの旧社会主義国を中心に、EUのなかにも、ロシアに対す る厳しい対応を求める国が少なからずあったにもかかわらず、結局はロシアに対する制裁 を手控え、2008年11
月には、紛争直後には一時的に棚上げになった「パートナーシップ協 力協定」の交渉再開も決定されただけでなく、金融政策でもEUとロシアは協力関係にある。この背景には、欧州諸国の対ロ・エネルギー依存率が高いことがある。ロシアとの関係悪 化が自国のエネルギー安全保障を脅かすことは避ける必要があるからだ。ロシアからのエ ネルギー供給の乱れが、欧州の混乱につながることは、ロシアの2度のウクライナに対する 天然ガス供給の停止や削減(2006年
1
月と2009年年明け直後から)
の影響をみれば自明である。さらに、「新冷戦を辞さない」などと強硬な発言をしたロシアですら、新冷戦を望んでい ないと考えられる。9月
11
日には、プーチン首相が外国のロシア専門家らと会談し、「イデオロギー対立がない今日、新たな冷戦が起きる素地はない」と述べ、グルジア紛争後の状 況は「新冷戦」ではないという認識を強調したのである(41)。また、ロシア首脳陣の好戦的な 発言がことさらに報道されるが、ロシア首脳陣はそのような発言の後にほぼ必ず国際社会 ないし米国との協力を続けていきたいとも発言していることにも留意すべきだろう。
また、ロシアにとっても「新冷戦」を避けねばならない事情がある。既述のとおり、欧 州諸国はロシアに天然ガスを依存しているが、そのことはロシアにとって実は外交カード にならないのだ。ロシアのほうが高値でガスを安定購入してくれる欧州諸国に経済的に依 存している面もあり、プーチン首相もそれを認めている。中国も大口の購入者であるが、
中国はまだ高値では購入してくれないし、ロシアも対中依存は避けたい。そのため、石油、
天然ガスで世界経済大国に急成長したロシアにとっては、欧州が生命線となっている側面 もあるのである。
第四に、現在の世界においてはグローバリゼーションのなかで、通信網、運輸網、エネ ルギー網などが世界中に網のように広がるとともに、相互依存状態がきわめて深まってい る。このようななかで世界が分断されるようなことが起きれば、大きな混乱が起こること は自明であり、多くの国がそのような状況を避けようとするはずだ。
最後に、「新冷戦」という言葉そのものへの違和感がある。「新冷戦」という言葉は、す でに何度も使われてきた言葉で、とりわけ、いわゆる米ソ冷戦時代のデタント(緊張緩和)
後の時代などに用いられてきた。そのため「新冷戦」という言葉を用いるのはミスリーデ ィングだろう。
これらのことから、筆者はグルジア紛争後に「新冷戦」が到来したとは考えておらず、
逆に、グルジア紛争は、冷戦後の国際関係の流れの一つの結果だと認識している。言いか えれば、グルジア紛争により、冷戦後の米国の政策の限界が露呈されたと考える。グルジ ア紛争は、長い間共有されてきた国際関係の秩序、すなわちウェストファリア体制の限界 を明らかにした。つまり、未承認国家を中心とした新たなアクターが国際的な争点となり、
これまでの「国家観」や「国家中心の国際政治」の限界が明らかになったと言えるだろう。
また、2008年の金融危機で世界の経済の多極化と戦後の世界経済を支えてきたブレトンウ ッズ体制の限界も露呈された。グルジア紛争は新しい世界像を考える必要性を突きつけた と考えられる。
結びに代えて―今後の展望
既述のように、筆者は「新冷戦」の到来という見解には賛同しないが、ロシアと米国の 今後の関係を規定する重要な要素が本稿で強調してきたグルジア問題と東欧へのMDシステ ム敷設問題であることは間違いない。このことは、2008年
11
月5
日に行なわれたロシア大 統領の年次教書演説によく表われている。その大統領教書は、予定より遅れて発表された が、その理由については、あまりに熟考されたからとも、米大統領選挙の報道と重ならな いことを狙ったからとも言われている。大統領教書は非常に長く、国内問題もかなりの度 合いを占めていたが、外交問題では米国に対する要求が数多く含まれていた(国内問題については本稿では触れない)。
まず、グルジア紛争を口実に黒海に
NATO
艦隊が派遣され、MDシステムが欧州に設置さ れようとしていることなど、米国のロシアの近隣諸国に対する対外政策を強く批判し、ロ シアは断固たる対抗措置をとることを表明した。また、南オセチア紛争の悲劇は、批判を 受け入れず、自己過信して覇権を拡大しようとする米政権の政策の結果であるとも指摘し た。さらに、世界的な金融危機の原因も米国にあるとし、ロシアはG20サミット参加国に新
たな経済秩序の創設を提案したと述べた。このように、米国のあらゆる政治経済政策を批 判し、MDシステムへの対抗措置として、西部カリーニングラード州において、射程280キ
ロの新型ミサイル「イスカンデルSS-26」を新たに配備し、MD計画を無力化するためにレ ーダーの妨害電波を出す電子無線施設も設置するという計画を表明した(ただし、2009年1
月28日のインターファックス通信は、本計画の停止を報じたが、真偽のほどは不明である)。さ らに、MDへの対抗措置として「海軍能力を駆使することも考慮する」とも述べ、2010年ま でに撤収が検討されていたモスクワ南西部に展開するミサイル大隊の駐留も続ける方針を 明らかにした(42)。また、ロシアが8月に独立を承認したグルジアの南オセチアやアブハジア
からの撤退もありえないと強気な姿勢を示した。しかし、「米国の新政権がロシアと価値あ る関係選択することを期待する」とも強調し、関係改善の意欲もみせた(43)。この年次教書からは、強いロシアをアピールし、ロシアの立場を尊重することを求めつ つも、米国との関係改善を図りたいという意向に加え、その可能性は米国新政権にかかっ ているのだというメッセージを伝えたいロシア首脳陣の心情が読みとれる。そして、ロシ アにとっては、グルジア紛争の主因でもある米国のMD政策、および旧ソ連諸国のNATOや
EUへの接近を含む親欧米化は断固として許容できない一線であるということがあらためて
明らかとなった。ロシアはMD政策については自国も参画する共同のMD
システム構築を望 ましいと考えており、また旧ソ連諸国への影響力は独占的に維持し続けたいのである。これらのことから、ロシアと米国の関係改善は可能であり、むしろ双方から望まれてい ると言える。だが、そのためには、オバマ政権は最低でも、核軍縮対話、MD計画の凍結、
WTO
にロシアを加盟させることによって商業関係を強化すること、ジャクソン-ヴァニック 修正条項の撤廃、NATOとロシアの協力関係の拡大、NATOの行動計画の透明化などを進め ることが必須である(44)。オバマ政権がどのようにロシアの利益に配慮した外交政策を練られ るかが今後の両国関係の帰趨を決める鍵となろう。(1) 本稿の第1節は、廣瀬陽子「グルジア紛争をどう捉えるか―旧ソ連地域における未承認国家の 問題」『外交フォーラム』第246号(2009年1月)、8―14ページをベースとし、加筆修正している。
(2) 本稿では、紙幅の制限から、グルジア紛争の前提となる南オセチア紛争やアブハジア紛争、そし てグルジア紛争そのものの流れについては割愛せざるをえないが、適宜、参考文献等を参照され たい。
(3) 未承認国家については、廣瀬陽子「未承認国家と地域の安定化の課題―ナゴルノ・カラバフ 紛争を事例に」(末尾参考文献4)を参照。
(4) コソヴォの独立承認が、カフカス(コーカサス)のパンドラの箱を開けることになるであろうと
いうことは、コソヴォが独立宣言する前から予測されていた(Alissa De Carbonnel, “Will Kosovo Independence Open Pandora’s Box in Caucasus?” Boloji Media, 30 January 2008[http://www.boloji.com/
analysis2/0308.htm])。ただし、両地域の承認後、ロシアでは自国内でも北カフカスを中心に独立を
目指すいくつかの動きが活発になり、自らも自国の「パンドラの箱を開けた」とも言える。
(5) “ВойнусГрузиейподготовилаРоссия,исамажеееначала,”НашаАбхазия,29/09/2008
(http://abkhazeti.info/news/1222739236.php).
(6) 廣瀬陽子「CIS諸国の新動向―大統領交代と国際情勢の影響に着目して」『ロシアNIS調査月 報』2008年6月号、1―13ページ。
(7) グルジアはこの事実をずっと否定していたが、2008年11月28日にはサアカシュヴィリが、グル ジア議会調査委員会で「われわれが軍事行動を始めたことは認める」と発言し、先制攻撃を認め た。ただし、「(ロシア軍の)干渉から領土を守り市民を救うため決断した」と攻撃の正当性を強調 した(“Georgia’s Saakashvili Defends South Ossetia Assault,” RFE/RL, 28 November, 2008[http://www.rferl.
org/content/Georgias_Saakashvili_Defends_South_Ossetia_Assault/1354233.html])。
(8) 結局、民主化や政治・軍事改革などのNATO加盟条件を満たしていないという認識で一致したた め、両国へのMAP適用は見送られ、各国とNATOとの直接協議の枠組みを強化して改革努力を支 援することを決めた。
(9) アブハジア紛争、南オセチア紛争の停戦の条件の一つとして、ロシアはグルジアに四つの軍基地 を設置していたが、1999年の欧州安全保障協力機構(OSC)イスタンブール・サミットで全基地の 閉鎖が決められ、最近すべての撤収が終わっていた。したがって、カフカス統制のために、アブ ハジア、南オセチアに確固たる軍基地を設置する必要に迫られていたとも考えられる。
(10) ВладимирКузьмин, “Нужнасовременная,эффективнаяармия,”Российскаягазета,12сентября 2008г.(http://www.rg.ru/2008/09/12/medvedev-armia.html).
(11) 詳細は、廣瀬陽子「BTCパイプラインがもたらす南コーカサス地域への政治・経済的影響」(参 考文献5)、「南コーカサス三国とロシア」(参考文献6)を参照されたい。
(12) Paul Goble, “Azerbaijan Hopes to Send More Oil through Russia, SOCAR Says”(http://azer.com/aiweb/
categories/caucasus_crisis/index/cc_articles/goble/goble_2008/goble_1008/goble_1002_socar.html).
(13) Steve Schippert, “Russia: BTC Pipeline is ‘Dead’,” Threats Watch, 15 August 2008(http://threatswatch.org/
rapidrecon/2008/08/russia-btc-pipeline-is-dead/).
(14) Alex Rodriguez, “Russia is working to control European markets through a network of strategically placed pipelines,” Chicago Tribune, 17 August 2008(http://archives.chicagotribune.com/2008/aug/17/nation/chi-russia- pipelines-rodriguez_1aug17).
(15) 廣瀬陽子「卓見異見:金融危機は世界の多極化促すか 米国凋落G20協調の時代」『日刊工業新 聞』2008年12月1日。
(16)「色革命」に2005年のキルギスにおける「チューリップ革命」を入れる場合もあるが、「チュー リップ」革命には他の二つの「革命」とは異なる性質が多々みられる。
(17) ちなみに、2007年4月に、当時のプーチン大統領は年次教書演説で、MDシステムの東欧配備へ の対抗措置の一つとしてCFE条約の削減義務履行を一時凍結することを提起し、実際に実行した。
(18) グルジア政府HP(http://www.president.gov.ge/?l=E&m=1&sm=3)による。
(19) “The West and Russia: Cold comfort,” The Economist, print edition, 4 September 2008.
(20) 2008年8月19日にブライザ米国務副次官補(欧州・ユーラシア担当)が記者会見で明らかにした
(『毎日新聞』2008年8月20日)。
(21) “Russia, U.S. Simultaneously Launched Exercises in Caucasus,” Kommersant, 15 July 2008(http://www.
kommersant.com/p-12843/r_500/Caucasus_exercises/).
(22) “Russia begins active stage of Caucasus 2008 military exercise,” Novosti, 15 July 2008(http://en.rian.ru/
world/20080715/114038236.html).
(23) Kim Gamel, “U.S. flying Georgian troops home from Iraq,” Air Force Times, 11 August 2008(http://www.
airforcetimes.com/news/2008/08/ap_georgia_flyinghome_081008/).
(24) Heather Maher, “Did the United States encourage Mikheil Saakashvili to try to reclaim Georgia’s breakaway provinces?” RFE/RL Caucasus Report, August 19, 2008(http://www.rferl.org/Content/Does_US_Share_Blame_
For_Russia_Georgia_Crisis/1192318.html).
(25) 後に解任。2008年秋以降、ロシアとの戦争を開始したサアカシュヴィリの責任が国内で厳しく 問われるようになると、サアカシュヴィリは 11 月に首相を、そして12月に外相、国防相、国家安 全保障会議書記、教育科学相など外交・安全保障部門を中心とした閣僚を相次いで解任し、自ら の責任を転嫁したためである。特に12月の解任劇は、1ヵ月ほど前の11月1日に内閣改造が行なわ れたばかりだったので、大きな波紋を呼んだ(Ia Antadze, “Another Round Of Georgian Musical Chairs,”
RFE Caucasus Report, 11 December 2008[http://www.rferl.org/Content/Another_Round_Of_Georgian_
Musical_Chairs/1358591.html])。さらに、11月に就任したムガロブリシュヴィリ首相も大統領との確
執があり、2009年1月30日に就任3ヵ月で自ら辞職した。
(26) “Jewish Georgian minister: Thanks to Israeli training, we’re fending off Russia,” Haaretz, 11 August 2008
(http://www.haaretz.com/hasen/spages/1010187.html).
(27) “Шведскиеаналитики:ВойнувОсетииспровоцировалИзраиль,”РусскаяЛиния,26.09.2008
(http://www.rusk.ru/newsdata.php?idar=178730).
(28) ただし、米国が、グルジアの先制攻撃よりも、ロシアがあまりに過剰な攻撃をグルジアに対して 行なったことにより大きな憤りを感じたことには留意すべきである。
(29) Daisy Sindelar, “Features With Obama Win, NATO Prospects For Ukraine, Georgia Appear To Shift John McCain was a strong ally of Georgia during its August war with Russia,” RFE/RL Caucasus Report, 14 November 2008(http://www.rferl.org/Content/With_Obama_Win_NATO_Prospects_For_Ukraine_Georgia_
Appear_To_Shift/1339534.html).
(30) “ОбамапозвонилвТбилиси,”НезависимаяГазета,2008―11―9(http://www.ng.ru/cis/2008-11-19/5_
obama.html?mthree=4).
(31) 米国国務省HP(http://www.state.gov/secretary/rm/2009/01/113740.htm)。
(32) “U.S. cancels Russia exercise over Georgia,” Reuters, 12 August 2008(http://uk.reuters.com/article/topNews/
idUKN1252079220080812).
(33) “Georgia fighting hurts Russia’s WTO bid,” Reuters, 13 August 2008(http://uk.reuters.com/article/email/
idUKLD1222720080813).
(34) “NATO ships enter Black Sea for exercises,” The Associated Press, 21 August 2008(http://www.iht.com/
articles/ap/2008/08/21/europe/EU-NATO-Black-Sea.php).
(35) Eli Lake, “Russia Sets War Games in Caribbean,” The Sun, 8 September 2008(http://www.nysun.com/
foreign/russia-sets-war-games-in-caribbean/85365/).
(36) “Russia, Venezuela conduct joint naval drills in Caribbean,” Novosti, 02/12/2008(http://en.rian.ru/russia/
20081202/118641309.html).
(37)「中国とロシア、人民元・ルーブル決済で合意」『朝鮮日報Online』2008/10/30(http://www.
chosunonline.com/article/20081030000033).
(38) “China, Russia to hold anti-terror exercise in 2009,” China Daily, 2008-12-10(http://www.chinadaily.com.cn/
china/2008-12/10/content_7292122.htm).
(39) グルジアは、2008年8月12日にCISからの脱退を表明し、2009年8月18日に脱退することが決ま っている。
(40) Lorna Thomas, “Russia and Europe want a multi-polar world,” Global Politician, 12/9/2008(http://www.
globalpolitician.com/25307-russia-europe-united-states-foreign-policy).
(41) “Putin warns West against starting arms race,” The Independent, 11 September 2008.
(42) 注16も再度参照されたい。
(43) “ПосланиеФедеральномуСобраниюРоссийскойФедерации,”5ноября2008года,Москва, БольшойКремлёвскийдворец(http://www.kremlin.ru/appears/2008/11/05/1349_type63372type63374 type63381type82634_208749.shtml).
(44) Steven Pifer, Reversing the Decline: An agenda for U.S.-Russian Relations in 2009, Foreign Policy at Brookings, Policy Paper No. 20, January 2009, pp. 11–20.
■参考文献
1. 廣瀬陽子『旧ソ連地域と紛争―石油、民族、テロをめぐる地政学』、慶應義塾大学出版会、2005年。
2. ― 『コーカサス 国際関係の十字路』、集英社新書、2008年。
3. 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』、明石書店、2006年。
4. 廣瀬陽子「未承認国家と地域の安定化の課題―ナゴルノ・カラバフ紛争を事例に」『国際法外交雑
誌』(国際法学会)第104巻第2号(2005年)、13―41ページ。
5. ―「BTCパイプラインがもたらす南コーカサス地域への政治・経済的影響」『国際開発研究フォ
ーラム』(名古屋大学国際協力研究科)第31号(2006年2月)、1―21ページ。
6. ―「南コーカサス三国とロシア」、田畑伸一郎編『石油・ガスとロシア経済』、北海道大学出版会、
2008年、219―250ページ。
ひろせ・ようこ 静岡県立大学准教授 http://db.u-shizuoka-ken.ac.jp/index.php/show/prof324.html