はじめに
1995年から1998年にかけて行なわれた国際刑事裁判所(以下、ICC)設立のための条約草 案の検討会議に積極的に参加し、議論してきた日本にとって、1998年の条約草案の採択、
2002年の条約(ICCローマ規程)の発効を受けて、ICCに加盟することは大きな課題であっ
た。
ICCへの加盟実現のためには、国内法整備、分担金の負担の手当など、政府として新たな 措置を講じる必要のみならず、各国の対応なども見極めつつ、日本国内でICC加盟の意義、
必要性につき十分な理解を得る必要があった。
本年2月、政府として、国会に条約、関連法案を提出することとなり、国会における審議 により、それぞれ承認され、成立することとなれば、本年後半には、晴れて日本としてICC に正式に加盟することとなる。一刻も早くそのような日が訪れることを祈念しつつ、本稿 では、日本の加盟に向けての準備、国会に提出した関連法案の概要、そして、日本の加盟 の意義、今後の課題などについて述べることとしたい。なお、本稿で書く内容は、筆者の 個人的見解であり、日本政府を代表したものではないことをあらかじめお断りする。
1 日本の加盟までの検討
(1) 基本的な立場
日本は、国際社会全体が大きな関心を有する重大な犯罪を犯した者を各国が厳格に処罰 し、その結果このような犯罪を予防することはきわめて重要であると考える立場から、国 際社会のこのような取り組みに積極的に参画してきている。特に、ICCが対象としている集 団殺害犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪などに対しては、国際社会の平和と安 全を守る観点からも、各国が国際社会と協力して、厳格に対処していくことが重要である。
また、個人の罪を問うものではないが、国家レベルの紛争についても、司法機関を活用 して、平和的に解決すべきであるとして、国際司法裁判所(以下、ICJ)や国際海洋法裁判所
(以下、ITLOS)など国際的な司法制度を積極的に活用するとともに、これらの制度を強固に 支えていこうというのが日本の基本的な立場である。重大な犯罪を犯した個人を裁くICCに 日本が加盟のうえ協力し、ICCをより普遍的で実効性のあるものとしていくということは、
このような日本の基本的立場に則したものである。
(2) 検討と準備
このような基本的立場を踏まえ日本政府は、ICC規程草案採択後、早期の加盟を目指して、
政府部内で、いかなる法整備を行なえばICCに加盟することができるか、また、加盟後の予 算負担等はどうなるかを鋭意検討してきた。併せ、未だ加盟国ではないものの、締約国会 議にはオブザーバーとして参加し、実際にICCがどのように運用されているかについても緊 密にフォローしてきた。
(3)「ICC協力法案」の作成過程
ICCが対象としている集団殺害犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪の大部分は、現行の刑 法等で処罰可能であると思われるが、ICCは、各国がその対象犯罪について、まず自国の法 制によって罰することを基本としていることから、必要な国内法整備にあたって、実際に どの程度まで処罰が可能なのか、関係省庁間で慎重に検討を行なった。この過程では、ICC が対象とする犯罪類型について、ICC規程の規定ぶり、構成要件、立法経緯、各国の考え方 などを考慮しつつ、現行の刑法等に規定された犯罪類型のどのようなものに該当するのか、
その場合、法定刑がどうなるのか、その結果、ICC規程で規定された特定の犯罪類型を担保 したものであると考えることができるのか、ひとつひとつ慎重な検討を行なった。これは、
日本の刑法の専門家がICC規程という条約の規定を詳細に理解することであるとともに、逆 に言えば、条約の専門家が日本の刑法の規定の意味を詳細に理解することでもあり、膨大 かつ忍耐を要する作業であったが、副産物として両方の専門家の相互理解が大きく進むこ とになったものと考える。
併せ、ICCが対象とする「ICCにおける裁判を妨害する」という犯罪については、当然の ことながら、日本の刑法のなかには存在しないものであるので、新規立法するということ で新たな立法作業を行なった。加えて、ICCでは、国内では処罰できない場合には、ICCに 引き渡すこととなっており、引渡しのための手続規定というものも整備することが求めら れていた。
これらは、いずれも、国民の基本的権利に関する重要な問題であり、関係省庁の間で慎 重な検討が必要であった。その検討の結果、ICCが対象とする重大な犯罪については、ICC 規程で定められたほとんどの犯罪類型が、現行の刑法等で処罰されるとの結論に達した。
こうして新たに必要なICCの運営を害する罪のみを新設し、また、ICCに対する協力の実施 のために必要な規定を中心とした「ICC協力法案」を、2007年2月に政府として国会に提出 することとなった。同法案の中身については、後に詳述する。
このようにICC規程発効後、約5年に及ぶ作業となったが、その過程では、2004年に政府 の有事法制整備の一環として、戦争犯罪に深くかかわるジュネーヴ条約追加議定書および 関連の国内処罰法が国会で承認されたことも改めて想起したい。これは、武力紛争時の法 制整備の議論ではあったが、戦争犯罪について広く議論されることで、広い意味で国際人 道法一般の重要性について理解を深めるという意義もあったと考える。これは、国内およ び政府部内における前述のようなICCをめぐる議論の加速を大いに後押ししたものと言って よい。私自身、当時、同国内処罰法案の策定に関与したが、同法案が成立すれば、その次
の課題として日本がICCに加盟していくことは、日本の国際人道法遵守のレールの延長線上 にあり、早晩その日がくることは当然だろうと考えていた。たまさか、自分自身そのICC加 盟についても現在の立場で関与することとなったことは大変感慨深いところである。
(4) 加盟の意義および分担金の問題
もうひとつ大きな課題となったのは、財政上の負担である。ICCに加盟すれば、当然のこ とながら締約国には分担金を支払う必要が生じる。分担金の配分は、国際連合の分担金を めぐるルールなども考慮しつつ、加盟国のなかで決定されることとなっている。しかし、
ICCは国連の機関ではなく、また米国をはじめとして主要国で未だ加盟していない国がある。
したがって現在はドイツが最大の分担金拠出国であるが、日本が加盟することとなれば、
最大拠出国となることは間違いない。そこで問題は、ひとつには、そのような新規の拠出 に見合う加盟の意義があるのか、という点、そしてもうひとつには負担額が適正なもので あるか、という2点であり、それらにつき、国内の理解を得る必要がある。
第1番目の問題については、後に詳述するような日本のICC加盟の意義について、いかに 理解を得るかということである。この点については、政府部内のみならず、国会でも与党 内で外相、法相経験者複数を中心としたICC議員連盟が結成され、政府に早期の加盟を求め てきたこと、また野党内でも早期に加盟すべきであるという声が根強く、政治のほうから 大きな後押しがあった。また、メディアにおいても、政府によるキルシュICC所長の訪日招 待などを通じてICCの重要性についての理解がいっそう深まり、日本の早期加盟を求める動 きが多くみられた(1)。このように、かかる財政負担をしてでも加盟すべきであるという大き な流れがあったことが、国内での理解の促進に大きく寄与しているものと考える。
第2番目の問題については、より複雑かつ困難なものであり、政府としてかなりの努力を 傾注したところであるので、若干詳細に説明することとしたい。先ほど述べたように、ICC では、各国の分担金の割合は、国連における分担率算定のルールをもとに、各国の経済指 標などを参考に決定していくこととなる。ただし、ICC加盟国には米国のような国連最大の 分担率負担国が含まれないので、その分は他の加盟国が負担していくこととなる。日本と しては、加盟にあたり、現在ICCで行なわれている計算式を用いるとどのくらいの規模の負 担となるか試算を行なった。その試算の結果、2007年度分は約37億円となり、これは全体 の約28%で、ドイツ(日本が未加盟であれば約17.2%)を上回り最大の負担国となる。
財政事情逼迫の折、新規に義務的拠出を伴う国際機関に加盟し最大の拠出国となるにあ たっては、さまざまな検討を要したところである。その際焦点となったのは、国連であれ ば、現在の分担方式では負担の限度である天井(シーリング)というものが存在するのであ り、仮に先ほどの計算式の計算の結果、このシーリングを超える負担額になったとしても、
シーリング以上の負担を行なう義務は生じない。これが、国連における分担率計算のルー ルである。国連におけるシーリングは2006年現在22%であり、このシーリングが日本の加 盟に伴い適用されることとなれば、前述の試算による結果の28%に比べて大きな負担軽減 となる。また、これは今後の継続的な負担額にも大きな影響を及ぼす。したがって日本と しては、このようなシーリングの適用は、加盟にあたって確保したい点であった。
実際にICC規程のなかには、分担率については国連における計算のルールが適用されると いう規定が存在する(2)。この規定を文字どおり解釈すれば、この適用されるべき国連のルー ルのなかには、当然シーリングも含まれると考えるべきである。また、同じく米国が締約 国でないITLOSにおいても、負担にはシーリングが適用されているし、ICCのように国連の 機関ではない欧州エネルギー憲章でも、やはり国連のルールがシーリングを含めて適用さ れている。こういった他の国際機関の例は、日本の主張を裏付けるものである。
日本はこのような法律的根拠も用いつつ、締約国に対して、このような分担率の計算方 法の解釈の確認を求めた。多くの国が当然のことであるとしてこの点同意見であったが、
直ちに賛同しなかった国もあった。折しも、2006年は年末に向けて、国連分担率のルール そのものをめぐって見直しのための議論が行なわれていた。このなかでは当然シーリング についても議論が行なわれており、現在のシーリングそのものも見直して議論を行なうべ きであるとの立場をとる国もあった。これに対して日本は、「可能性はきわめて低いと思わ れるが、仮に国連分担率をめぐる議論のなかで、例えばシーリングの撤廃を含むような決 定が行なわれれば、そのような新しい国連の分担率をめぐるルールがICCにも適用されるこ とは当然である。日本はそこまで拒否するものではない。日本が求めているのは、国連の ルールの適用であり、それにシーリングが含まれているのであれば当然適用されるという ことである」旨の主張を再三行なった。
このような日本側の論理的な主張には、上記の反対国としても反論することはできなか ったが、政治的に国連分担率をめぐる議論が決着する前に、ICCへの国連のルール、なかん ずくシーリングの適用を明確にするべきではないという主張を行なった。しかし仮に、国 連分担率をめぐる議論が決着するまでICC分担率についての国連のルールの適用の有無を明 確にしないとすると、日本にとって手続的に非常に困った事態が生じることとなる。すな わち、2007年に日本としてICCに加盟しようとすれば、その年の冒頭の通常国会に関連条 約・法案とともに必要な予算案も計上しなくてはならない。政府部内の手続上、その期限 は2006年11月末であり、難航している国連分担率交渉が決着する見通しであった年末まで 待つことはできず、2007年中の加盟が予算を理由に難しくなる。
したがって、2006年11月に行なわれるICCの締約国会合でこの負担をめぐる解釈が明確 にされなければ、日本の2007年中の加盟に赤信号がともるおそれがあり、日本としては同 会合において、日本の懸念を払拭するような締約国会合の決議がなされることが必要であ った。そこで、「国連の通常予算に適用される最大拠出国の最大分担率がICC分担率にも適 用される」旨を確認する決議を締約国が採択することを求めて、関係国に精力的な働きか けを行なった。日本としては、ICCに2007年中に加盟したいと考えていること、そのために は、このシーリングの適用が確認できなければ加盟のための国内プロセスに大きな障害が 生じること、その結果加盟が不可能となれば、財政的負担への影響も含めて反対国にとっ てもプラスとは考えられないことなどを強く主張して理解を求めた。その結果、このよう な日本の立場を理解し、その加盟を何とか実現しようというカナダ、オーストラリア、ニ ュージーランドの協力もあり、何とか日本の希望に添った決議が採択された(3)。
また、日本の適正な財政負担という観点からは、このシーリングの問題のみならず、ICC の予算全体についても厳しいチェックが必要なことは言うまでもない。もちろん、ICCは捜 査機関や裁判機構を備えた組織であり、一定の予算がかかることは否めないが、無駄な部 分がないか厳しくチェックすることを怠るべきでなく、締約国が厳しく監査していくべき である。日本の加盟後はこのようなチェックを日本自ら率先して働きかけていくべきであ り、締約国会合でも、オブザーバー参加ではあったが、日本としてこのような方向での発 言をして関係国の協力を強く求めたところである。
なお、日本政府が実際に2007年度予算案に計上したのは1年分の分担額ではない。ICCに おける規則にしたがって、2007年後半から正式な締約国になることを想定した3ヵ月分であ ることを付言する。
2 ICC協力法案の内容
政府は、第1節で述べたような検討を経たうえで、2007年2月27日、ICC規程および「国 際刑事裁判所に対する協力等に関する法律」案(以下、ICC協力法案)を閣議決定して、国 会に提出した。同条約および法案が今通常国会で審議、承認され、成立すれば、必要な手 続を経たうえで、正式に日本はICCの加盟国となる。同条約については、ICCの機構と併せ 別稿で論じられることとなろうから、ここでは、政府が提出した法案の内容について説明 することとする。
同法案は、日本がICCに加盟するにあたって、国内法上の措置を整備するものである。前 節で説明したとおり、ICCが対象としている重大犯罪については、ほとんどのものが既存の 刑法等により処罰が可能であるので、同法案はICC規程の加盟国の義務に対処するため、
ICCによる事件の捜査等への協力およびICCの裁判の妨害行為の犯罪化を可能にするもので
ある。
以下、法案の内容について、具体的に述べることとする。なお、政府提出の同法案の条 文については外務省ホームページ(4)等でも入手できるので、必要があれば参照願いたい。
(1) 政府内におけるICCへの協力の体制
ICCからの協力の請求の受理、協議、証拠の送付等ICCとの関係事務は外務大臣が行なう。
また、その協力内容については法務大臣に伝達され、国内実施を行なうものとする(第3条
―第5条)。
(2) ICCに対する協力のための手続規定
(イ) 証拠の提供について、法務大臣が、一定の要件の下、取るべき措置(第6条―第13 条)、裁判上の証拠調べ、書類の送達に関する措置(第14条―第15条)、受刑者・証人等 の移送措置(第17条、第18条)を定めている。
(ロ) 犯罪人の引渡しに関する規定を定めている。引渡しを決定するまでの審査手続、仮 拘禁の手続などを定めている(第19条―第37条)。
(ハ) 没収などの刑の執行に関する協力について定めている。具体的には、法務大臣に命 じられ検察官が行なうが、その実施にあたっては裁判所(または裁判官)の審査を経な
くてはならない(第38条―第48条)。
(ニ) その他、外国の官憲等が行なうICCへの護送に関する手続、国際刑事警察機構(ICPO)
を通じた協力に関する規定(第49条―第52条)。
(3) ICCの運営を害する罪の新設
(イ) ICCが管轄権を有する事件に関する証拠隠滅、証人等の威迫、買収の罪を新設する
(第53条―第56条)。
(ロ) ICCにおける偽証等の処罰を定める(第57条)。
(ハ) ICCの職員の職務に関する贈収賄の処罰を定める(第58条―第63条)。
(ニ) ICCの職員に対する職務執行妨害および職務強要の処罰を定める(第64条)。
(ホ) これらの罪を国民の国外犯とする(第65条)。
*
このように本法案は、手続も含めてかなり詳細な規定ぶりの大部の法律案となっている。
これは犯罪人の引渡し、財産の没収、新たな罪の創設など、国民の基本的な権利にかかわ るものであるため、国内の刑法や刑事手続法などの規定も併せ斟酌のうえ、この点、問題 がないように細心の考慮を払って作成されたものである。
3 日本のICC加盟の意義
さて、政府の提出しているICC規程の締結が国会で承認され、ICC協力法が成立すれば、
必要な手続をとったうえで、早ければ本年10月には、日本は晴れてICCの正式な加盟国と なる。その意義は、計り知れないものと考えるが、ここで改めてこの点につき述べること としたい。
(1) 重大な犯罪を犯した者に対する国際的な包囲網への参加
言うまでもなく、ICCは、国際社会全体が大きな関心を有する最も重大な犯罪を犯した個 人を国際法に基づき裁き、処罰するための機関である。現在、139にも及ぶ国がICC規程に 署名しており、104ヵ国が締結している。米国、ロシア、中国などの主要国は未だ締結して いないが、中東、アジアを除いた地域では、加盟国の範囲は世界的な広がりをみせている。
また、ICCは発足後5年目を迎えて、現在アフリカの3つの事態(ウガンダ、コンゴ民主共 和国、スーダン・ダルフール)について捜査を行なうなど、常設の国際裁判所としてその活 動を本格化させている。また、ICCの大きな特徴のひとつは、別稿で論じられることと思う が、紛争が終了していなくても裁判が可能な点である。これは、現に生じている紛争のな かで重大な犯罪を犯した個人を裁判にかけ、処罰することが可能であることから、紛争中、
同様の犯罪が再発するのを抑止する効果が期待できる。
日本がICCに加盟することとなれば、このような裁判所の活動を内側から支えることとな るし、また、前述のとおり、一定の要件の下、犯罪人をICCに引き渡すなど、ICCに対して 協力していくこととなる。実際には、日本国民がこのような犯罪を犯すことはほとんど想 定されないし、仮にそのような事態が生じたとしても、ほとんどの場合、日本の刑法等で 処罰されることとなると思われる。なお、これもあまり想定されないかもしれないが、外
国でICCの対象犯罪を犯した外国人が日本に逃げ込んだ場合には、ICCから引渡請求があれ ば、今後はICCに引き渡すことが可能になる。この点が、目に見える最も大きな変化であろ う。すなわち、国際社会において一致団結して、ICCの対象犯罪を犯した個人を処罰し、同 様の犯罪を予防していこうという取り組みに、日本も加わることとなる。
また冒頭の、加盟までの政府部内での検討に関する部分でも述べたところであるが、日 本は、戦後、特に国際人道法の遵守を大いに重要視しており、ジュネーヴ諸条約、同追加 議定書等にも加入、締結してきた。その集大成とも言えるICCに今回日本が加盟することと なれば、このような道程のひとつの到達点と言えるだろう。
(2) 国際社会における「法の支配」の徹底
戦後、日本は一貫して、紛争の平和的解決、国際社会における「法の支配」を重要視し てきた。国連の主要な司法機関であるICJの強制管轄を受諾し、その活動を支えるとともに、
ITLOS、世界貿易機関(WTO)紛争解決制度等、さまざまな司法制度を積極的に活用するこ
とで、国際紛争の平和的な解決を目指している。
ICCは、国際法に基づき個人の刑事責任を追及する初の常設国際裁判所として、国際社会
において今後きわめて重要な機能を果たしていくであろう機関である。したがって、日本 がICCに今回加盟することは、国際社会における「法の支配」を重視する一貫した日本の姿 勢を、内外に明確に示すものとして大いに意義があるものである。
(3) 国際刑事裁判所の普遍性の実現
前述のとおり、ICC規程締約国は現在104ヵ国に及ぶが、地域的な広がりをみると、欧州、
アフリカについては、多くの国が加盟しているものの、中東、アジアは、まだまだ加盟国 が少なく、もっと多くの国々が加盟すべきでないかと考える。特にアジアは、中国、イン ドなどが加盟しておらず、日本の加盟が他の国に与えるインパクトは大きなものではない かと想像する。
アジアの多くの国が未だ加盟に消極的なのは、ICCに加盟することで自国民が無用にICC に引き渡されることはないか、自国の裁判権など主権が制限されるのではないかといった 懸念があるからでないかと思う。しかしながら、ICCには補完性の原則があり、自国でまず これらを処罰することができれば、犯罪者をICCに引き渡す義務はない。この点、まだまだ 多くの国々に誤解があると思われる。むしろ重要なのは、国際社会全体として犯罪の処罰、
防止に取り組むために、万一自国で罰することのできないようなケースは、ICCとの協力に よって目的を実現していこうということである。この点、前述のような日本の国内法整備 およびそのアプローチは、他のアジアの国々にも参考になるものと考える。
もうひとつ、米国については、当初はICCに署名したものの、その後署名を撤回する旨通 知し、ICCに警戒的な態度をとっていることは周知の事実である。これは、そもそもICCが、
政治的に運用されるのではないか、海外で活動する米兵が、締約国によりICCに引き渡され ることがあるのではないかという懸念が強いからではないかと思う。しかしながら、この ような米国の立場にも若干の変化がみられるように思われる(5)。これには、4年の実績を経 て、ICCの司法機関としての性格が確認されるようになってきたこと、また、国際社会にお
けるテロとの闘いという文脈で、ICCの意義付けが変化しつつあることが影響しているので はないかと思われる。ダルフール(スーダン西部)の事態が安保理の決定によりICCに付託 されたが、これに米国が拒否権を用いなかったことは、この変化のひとつの現われであろ う。ICCの幹部と話していても、米国のICCに対する立場、雰囲気が、良い方向に変化して いることは体感されているようである。日本がICCに入り、ICCが国際人道法の最も重要な 番人として、いっそう有意義な役割を果たすことによって、米国のICCに対する理解がより 深まることを期待したい。
(4) 国際刑事裁判所の活動・運営へのより積極的な参画
前述のICCの普遍性の確保とも関連するが、アジアを代表する国のひとつである日本が正 式な加盟国となることは、今後の裁判所の活動、運営に大きな影響を与えると考える。ICC は、現在、さまざまな意味で欧州諸国が最も大きな比重を占める組織であるということは否 定できないと考える。国際社会に対する重大な犯罪である集団殺害犯罪、人道に対する犯 罪、戦争犯罪については、国際社会全体として厳しく対処し、予防していくことが重要であ り、そのためには、ICCの活動や運営が、欧州のみならず、世界各地域の国々により広く支 えられることが不可欠である。今後、アジアからも日本がICCの活動を内側から支え、その 活動、運営に意見を述べ、参加していくことにより、ICCの活動、運営自体もより普遍的な ものとなり、その結果、多くの国が加盟していくことにつながれば、きわめて有益である。
4 今後の日本にとっての課題
今まで述べてきたように、日本がICCに加盟することの意義は計り知れないものがある。
しかし、これは、加盟により直ちに実現するようなものではない。むしろ加盟後、日本が、
ICCのなかにおいて積極的に活動を行ない、それが各国により受け入れられることで初めて 実現するものである。そのためには、加盟後、日本として取り組まなければならない課題 は数多いと考えるが、ここでは特に2つの点につき述べることとしたい。
(1) 日本人職員の採用
実際にICCの活動、運営に積極的に参画していくためには、加盟国としての活動に加えて、
ICCにより多くの日本人職員が採用されることも重要である。その最たるものは、まず、裁 判官である。直近の裁判官通常選挙は2007年末あるいは2009年にも行なわれることが予定 されているが、加盟後間もない選挙のなかで、ぜひ日本人の裁判官を立候補させて当選さ せることが大切である。そのためには、各国からも理解と支持を得られる能力のある人物 を候補者として擁立し、官民挙げての一体となった運動が必要となろう。加えて軽視でき ないのは、事務局職員の採用である。他の国際機関の例と同様、ICCにも、日本の貢献にふ さわしい数のポストと人員を確保することは、それだけの有資格者がいるかという点をは じめとして、簡単なことではない。もちろん、ICCが司法機関であるという性格からして、
ポストの多くは、法律的素養、なかんずく刑事法の素養が要求されるであろうし、語学能 力も必要であろう。しかし、他の国際機関と同様、組織の活動としてはいろいろな分野が あり、多彩な人材が必要とされると思われる。したがって政府としては、広く候補者を確
保していく必要があろう。そのためには、私は、まず若い人たちにICCの活動に広く興味を もってもらい、そこで働きたいという意欲をもってもらうことが大切であると考えている。
その意味で、この日本の加盟が実現することを契機に多くの若者がICCに関心を抱き、将来 そこで働きたいという夢をもって勉強してもらうことが、まず第一歩であろう。この点、
私を含めた関係者の広報に関する努力が必要とされている。
(2) 規程の見直し
ICC規程は、2009年に見直しが予定されている。その際、大きな焦点のひとつとなるのは、
未だ決着していない侵略犯罪の定義の策定である。本件については、すでに検討が締約国 を中心に行なわれており、日本もオブザーバーとしてこのような検討に参加している。そ の議論の行方は未だ大きな困難があろうが、日本の加盟後は、正式な締約国として本件の ような制度、規範をめぐる議論についても、より積極的に検討に貢献していくことが求め られている。
むすびに代えて
以上、日本のICC加盟実現に向けての検討、国内法整備、加盟の意義、今後の課題などに ついて述べてきたが、このICC加盟が、日本、アジア、国際社会全体にとって、いかに大き なインパクトがあるか、その一端でもご理解いただけたであろうか。
このように、本年、日本のICC加盟が実現すれば、その意味は計り知れないものがあり、
歴史的意義はきわめて高いと考える。ここまで辿り着けたことは、われわれの先輩方も含 めた多くの関係者の長年の努力と、内外の関係者の理解の結実であると言え、そのひとつ の到達点に当事者の一人として立ち会えるのは大変な栄誉であり、喜びである。これらの すべての方々の努力に改めて感謝するとともに、敬意を表したい。
また、最後の課題のなかでも述べたつもりであるが、日本の加盟の実現は、終わりでな く出発点にすぎない。加盟後、ICCのなかで、どのように日本としてその活動、運営に参画、
貢献していくかが鍵であり、内外より日本が加盟した意義は大きかったと将来評価される よう努力していかなくてはならない。これは、自分を含めて今後もICCに携わることとなる すべての関係者が肝に銘じることをお願いして、本稿を終えることとしたい。
(1) 一例として、『讀賣新聞』2006年9月3日、第2面;同、2006年9月6日、第15面;『日本経済新 聞』2007年1月16日(夕刊)、第1面;『公明新聞』2007年1月18日、第4面;『朝日新聞』2007年2 月16日、第3面。
(2) ICC規程第117条を参照。
(3) Assembly of State Parties to the Rome Statute of the International Criminal Court, Resolution ICC- ASP/5/Res.4(adopted on the 7th plenary meeting on 1 December 2006), p. 384.
(4) http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/icc/index.html
(5) その一例として、“International Criminal Court: Let the child live,” The Economist, 27 Jan. 2007―2 Feb.
2007, pp. 51―52.
まさき・やすし 外務省国際法局国際法課長