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KSKQ第三種郵便物認可<サロン・あべの〉通巻5469号

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(1)

K SIく(J節 三種郵L弓物.i針一<サ ロン ・あべの>通巻r)Jti9tfjJiZ00 73F]17tl

(サロン・あべの)

2

月の出会いので'ご注

意ください)平成

19

2

17日(土)(サロン・あべ

の)

2

月の出会いは、映画「ジョ

ゼと虎と魚たち」の

D V D

鑑賞でした。(以降

に、

トーリーの結末まで記載しています

・ ス

トーリー大 学生の恒夫はアルバイト先の麻

雀屋である噂を耳にする。それは、近所に出没するひ

とりの婆

さんのこと。彼女は

いつも乳母車を押し

ているが、その中身

を知る者は誰もいな

いというのだ。ある

日'恒夫が麻雀屋の

マスターに頼まれて

、犬の散歩をさせて

いると'大きな悲鳴

が響き渡った。恒夫

が慌てて声の方向に駆

けつけると'何者

かに襲われた乳母車

と婆さんがおり、逃げていく

後姿があった。婆さんに言われて乳母車の中を覗くと'そこには包丁を振

(2)

K SK(J第 三種郵便物遜IiJ<サロン・あぺの>通巻.'46日号20O7年 317日

がある。その中から'恒夫が抜き

出した

1

冊が'フランソワ‑ズ・

サガンの「

1

年ののち」。いつも

そっけないジョゼが、その本の

続編を読みたいと強く言う。恒

夫は既に絶版となっていた続篇「すぼらしい雲」を古本屋で探し

出し'プレゼントする。

恒夫の計らいで国の補助金が

おり'ジョゼの家の改築工事が

始ま.った。完成が迫ったある日'

突然の香苗の見学に戸惑う恒夫。「彼女?恒夫くんが言っていた すごい元気な女の子」押入れの

中でふたりの会話を聞きながら

うつむくジョゼ。その日の夜、再

び恒夫はジョゼを訪ねる。ジョ

ゼは泣きながら本を投げつけ「帰れ‑・」と叫ぶ'恒夫は婆さん

にもう

2

度と来ないようにと釘

をさされる。

数カ月後'就職活動中の恒夫

は'ジョゼの家の改築工事をし

た会社の見学へ。工事で知り

合った現場主任から'ジョゼの

婆さんが急逝したことを知らさ

れ'呆然とする恒夫。

ロキャス ト

恒夫 (つねお)一妻夫木聡

ジ ョゼ (くみ子)一池脇千鶴

香苗 (かなえ)‑上野樹里

ジ ョゼの祖母 一新屋英子

ロスタッフ

原作 :田辺聖子 脚本 :渡辺 あや 監督 :犬童一心

恒夫はジョゼの家へ

と急ぐ。もう訪ねる

こともないと思って

いた懐かしい家。

ジョゼは静かに恒夫

を家に招きいれる。

お葬式から最近の暮

らしぶりまで'淡々

と語るジョゼだった

が'恒夫がジョゼの 行動に口をはさんだ途端、わめ

きながら恒夫の背中を殴り始め

る。その怒鳴り声はいつしか泣

き声に変わり'やがてふたりは

お互いの存在を確認しあうよう

にひとつになる。ジョゼにとっ

てははじめての経験だった。恒

夫とジョゼは一緒に暮らし始め

る。ジョゼの家に運び込まれる

恒夫の荷物。部屋が変わってい

くのを不思議そうに見回すジョ

ゼ。「ずっと一緒にいような」と恒

夫が言う。ジョゼはぼんやりと空

を見つめて微笑む。恒夫は'徐々

にジョゼのことを知っていく。

2

人は動物園に行って虎を見

る。ジョゼは虎の猛獣特有のし

ぐさを見、喧嘩を聞いて失神す

るほど怖かった。恒夫にすがっ

て「好きな男の人が出来たとき'

一番怖いもの、虎を見たいと

思ってたんや」

2

人で過ごすささやかな幸せ

は'いつしか終わりのときが やってくる・・・0

冷たい雨が降る中、この日お

集まりいただいたのは‑

邦。洋'メジャー・マイナー関係

なくとにかく映画であれば何で

も来いの映画通'

新屋英子といっしょに芝居をし

たことがあるという方'

若い頃から本の虫。今なお読書

大好き人間、

何といっても'田辺聖子の作品

がお好きという方が圧倒的でし

た。

見終わった'大学生の恒夫と、

脚の不自由なジョゼの、キュ

トでピュアなラブストーリーの

話から'今時の日本映画事情。池

脇千鶴が出演した朝のドラマ「ほんまもん」、今放送中の田辺

聖子原案の「芋たこなんきん」ま

で。楽しい話が広がった(サロ

ン・あべの)

2

月の出会いでし

た。(参加者10名山村貴司)

(2)

(3)

KSKQ第 三種郵便物認l,1<サ ロン ・あべの>通 巻 ;)169汚2OO73JJ1711

・ 邦子、 ・ ん歳の手習い。

高 垣んのさ 思い出 私の 夫は'

1

9 7 6

年 12交通事故で頚月に 椎 損傷の障害 者なた。それ夫がにまはりし

34

歳 の 時 でし た。

事故 から' 10カ月 後大阪に 社 会 事 業 短 期 大学の 教員て復職て'としし

9 1 9 9

年月に

1

亡く なるま でのほぼ 22年教間' 員とし て 働くこと が できた。大阪まし 社会事 業 短 期大 学は年大阪府立大学統にに

9 8 1 1

合さ れ、

4

年制の 社 会 福 祉 学部なたにまりし が' 夫 が 勤 務し た 22年の間に'人車イスの

3

の 障 害 者 学生が入学た。ましし 夫の 最 初

の 車イス障害者学生の出会いと は' 筋ジスト

ロフィーの障害をもつ故・高垣和則さんです 。当時、夕陽ケ丘の学舎は車イス障害者対応

の施設もなく、教員の研究室は

2

階にあり'階段を利用しなければならなかったので'夫

の復職に際して、中庭にプレハブの研究室がつくられ'

階の

つのトイレが障害者用に改造され、授業は

1

階の教室でするというように最小限の施設

の整備と配慮がされました。高垣さんは'

1 9 8 1

4

月に入学しましたが'入学に

際して障害者学生の休憩室が'夫の研究室の隣にできました。高垣さんはお父さんが短大

への送り迎えと介護をされていました。お父

さんは、和則さんが'高校に入学するまで'一生懸命に働き'入学と同時に仕事をやめ'和則さんの高校への送り迎えと介護をするこ

とを決めていたということでした。その理由の

つには、「もし'火事や災害の場合'自

分の息子のために他の生徒が逃げ遅れたりして

'迷惑をかけないため」にも'和則さんが大学を卒業するまでは、体力のある自分が介護

すると決めていたということでした。お父さんは、和則さんを教室に送っていき、授業の

問は、休憩室で待ち'授業が終わればすぐに迎えに行っていました。「依存による自立」をいっていた夫の考えとは少しかけ離れていますが、同じ障害者の家族である当時の私に

は'お父さんのお気持ちがよく理解でき、父親の愛情の深さを感じました。高垣さんの 入学を契機に障吾者への理解が学生の間に深

まっていきました。夫は当時'高垣さんのことを次のように語っています。「いつも父親がつきっきりだったのに'今では学生たち

が送り迎えし、授業中の介護もLt時には下

宿に泊めたりするようになっている。それと前後して週に

1

回だけだが'学生たちが僕の大学と自宅の送

迎も行うようになっている」高垣さんのボランティアは主に学友である数少ない男子

学生でした。しかし'お父さんが'手術で入院された間'送迎ボランティアは女子学生も含んだロ

テンションが組まれるようになり'他の学生との交流も深まっていきました。

高垣さんは'短大最後の卒業生でもあり'府

立大学社会福祉学部の第

1

期生とも重なるこ

ともあり'卒業後も高垣さんの友人であり'ボランティアであるとい

う学生さんも多くいました。高垣さんは卒業後、20歳半ばで亡くなられましたが'高

垣さんの生き方に影響を受け'卒業後'障害

者や福祉関係に進んだ学生さんも多く'高垣さんのことは今も心に焼き付いていることと思います。私の夫は'同じ障害者として'高垣さんへの思いは特に強かったですが、私も、高垣さんのいつも笑顔で話していた'前向きな姿が今も心に残っていま

(4)

KSIJ第 三種郵 便物 認可<サ ロン・あべの>通巻r)Jh9号 2OO73月 17Ll

小 さ な 子 ど も と 暮 ら し て い る と 、 日 々 成 長

し て い る の が わ か る 。

こ の あ い だ ま で 言 わ な か っ た こ と を 今 日 話

し 始 め た り ' 今 日 は で き な か っ た こ と も 明 日 に は で き た り す る 。 数 年 前 の 写 真 を み る と ' 別 の 子 ど も の よ う に さ え 見 え る こ と も あ る 。

成 人 し た あ と も 人 は 成 長 す る 。 社 会 人 に

な っ て 成 長 す る と

い う の は ' 心 身 の 成 長 を 言 う わ け で は な い 。

人 へ の 配 慮 が で き る よ う に な っ た り ' き ち ん

と 自 分 の 意 見 を 出 せ る よ う に な っ た り と い う

人 格 的 な ' 社 会 的 な 成 長 を 言 う の で あ る 。

そ う い う 成 長 も 老 年 に な れ ば 忘 れ ら れ る こ

と が 多 い 。 「八 十 歳 に な ら れ て ' さ す が に あ

の 人 は 成

長 さ れ た 」 と い う よ う な 台 詞 は ほ と ん ど 聞 い

た こ と が な い 。 そ れ も 老 年 に な れ ば ' 子 ど も

や 成 人 期 前 期 に 見 ら れ た よ う な 成 長 は 望 め な

い と い う 常 識 が 一 般 に は あ る か ら だ ろ う 。

し か し 「人 は 死 ぬ ま で 成 長 す る 」 と い う 説

も あ る そ う だ

。 体 力 も

気 力 衰 え が ち な 老 年 も の 日 々 に ど ん な 成 長 が 期 待 で き る の か と い う と' そ れ は 「 死 を 受 け 入 れ る

」 に 向 こ と か う 成 長 だ と い う。 あ わ て ず 恐 れ ず に 死 向 と

か い 合 そ れ い、 分 の て 抱 か か を 自 の き え も と し *好評のエッセイ* 岡 知史著 ( 4) る

こ と。

老 年 の 成 長 そ れ 標 て は を い る 目 と し と い う の で あ る。

生 が い よ い よ 勢 い を 増 て 印 象 い と い う し く が あ る 「 成 長

」 の 果 て に、

死 の 受 入 れ が け あ る と は 容 易 に 想 像 で き る こ と で は な

い。

生 き

た ど り

つ く

後 の 高 み が' 自

(5)

KSKQ第三種郵便物認 可<サ ロン ・あべの>通巻5469F32007iff317Fl

たことができるようになり'自分の世界が広

がっていく。それを実感するのが成長だとし

たら'死を受け入れることも成長と言えるの

か。自分の限界を知り、自分が消えてなくな

ることを覚えることが'喜びにつながるのだ

ろうか。

生きている人は死んだことがない人たちだ

が'死んだ人は生きたことがある人たちだ。

そういう意味で、死んだ人は生きた人よりも

世界が広い。二つの世界を経験しているから

である。死を受け入れるということは、死ん だ人の世界をも自分のものとすることであ

り'その限りにおいて世界は広がる。そう考

えれば'死を受け入れることは成長である。

また'死を受け入れるというとき、私たち

は今までとは違ったものに価値を置かなけれ

ばいけない。よく言われることだが'どんな

財産もあの世には持っていくことができな

い。名声や美貌も死んだあとでは意味がな

い。目に見えること、物として形あるものは

捨てられる。私たちは'いままで尊(とうと)

Lとしなかったことを尊(たっと)ぶことを 学ばなければならない。そう考えると'これ

も成長なのである。

子どものころの'何ができるようになっ

た'身体が大きくなったという成長は'社会

人になってから自分を抑えられるようになっ

た、他人に配慮できるようになったという成

長とは質が違う。同様に'老年になってから

の'死を受け入れるという成長は'これまで

の成長とは全く質が違う。もっとより深く大

きな成長が、私たちの人生の果てには期待さ

れているのだろう。

●● ●●

loo

⁚き き み み ず き ん .

昨年の秋 に右腕 を骨折 して入院。

日常動作 にいろいろな不便が生 じ ました。片手を固定 したので、松葉 杖が使えず車いす使用。介助 されな

ければ、室内も動 けないあ りさまで

した。それで右側のブ レーキを操作

で きれば足で けって動 ける と考 え ました。早速、リハ ビリの先生に話

をすると、右側のブ レーキにサ ラン

ラップの筒 をさしてそ の先 にク リ ニ ング屋の針金ハ ンガーで長 い 持 ち手 を取 り付 けて くだ さいま し た。これで左手で右のブレーキ操作

ができ、室内での動きが 自由にな り

ま した。 この車 いす のブ レーキ筒

は、半身マ ヒの人によ く使 うそ うで

すが、その筒先に針金の持ち手 を付

けたのは私が初めて とか。退院時 に

それを持ち帰 り、家での車 いす操作

にも重宝 しました。その他 にヘアブ

ラシやS字型 リーチヤー、軟膏用ヘ

ラな ど、私の手に合 う自助具を作 っ

ていただきました。この 自助具のお 陰で身の回 りの ことがで きて助か

っています。2月に入 りようや く右

手 も動かせ るよ うにはな りま した が、思 うようには動かず、スプー ン の先が 口に届かないあ りさま。リハ

ビリの先生に伝えた ところ、いいも のがある と見せて いただいたのが

ス プー ンの受 け口が

90

度 曲が っ

ているもので した。 「自助具専門店

では、値段 も高いが、これは

100

均で売っていた。そのよ うなお店 に

介護用のスプー ンやホー クが ある というのが うれ しい。それ も右用 ・ 左用があった」と言われ ました。私

の 自助具の部品 も

100

均で求 め

てきたと伺いました。外出できるよ

うになった ら、一度

「100

均」探

訪をしてみたいものです。 (け)

(5)

(6)

KSlくくJ種 郵 便 物 認rlJ<サロン ・あぺの>通巻r'46日lfj2OO7.'iJ117H

校・中学校と分かれてい

る の では なく、

一 貫 教 育 なにまり す。

英 語 教 育は、

だい た い

4

年生

( 1 0

歳 ) か ら で す。基礎 学 校を 卒業 すると、

就 職 すか'本る日 の よう な 高 校に 通う 場 合'仕 事に 直 結し た 専 門 学 校に 通う 場 合 など があ り ま す

。 最近高等教育は' を 受ける 学 生 が 非 常に 多

学生寮外観 (大学構内)

ヴエ ク ショー 大 学 少し

ス ウェー デのン 教 育 制 度を お 話たしい と 思いま す。ここ では、

主に 私 が 留 学し てい た ヴエ ク ショ

大 学 で のシ ス テ ム' 留 学生に 対 す る体話思サポ制なおたいいどをしとトー

ます。そ

(7)

KSlく(〕第 三穐 郵 便物 認nJ<サ ロン ・あべの>逆巻.)169rT3H OO7年3月 17H

ることができたと思います。

つの科目につ

いてtより深く考え'探究できるスウェ

ンのシステムは私には合っていたのだと思い

ます。

ヴエクショーは'デンマーク・コペンハ

ゲンから

2 5 0

B、首都ストックホルムから

ヴェクショー大学 (メインビルディングにて)

4 2 0 血

の 所に 位置てす。森いまとし 湖囲に ま れたと ても

環 境の良人く'口人

7 6 0 0 0

の 都 市 で す。

ヴエクショー 大 学は' 欧 州各 国と日 本'ア メリ カ' 韓国、中国、

南 米いとう 世界各国 ら か 留 学生を 受け入 れ ていま す。

9 7 7 1

年に ル大ンド 学 から 独 立し'

9 9 9 1

年によう や く「

U n i く e r

S

i

y

t

」なた歴史のとっ 新いし 大 学 で す。

現在'の学生人

4 0 0 0 1

が 在 籍し、

毎 年 約

6 5 0

人 の

留 学 生 がヴクエ ショー 大 学 で 学 ん でいま す。

ヴエクシ ます。大学

内のイン

タ ー ナ シ

ナ ル ・ オ

フィスの

スタッフ

達が、留学

生の生活面・勉強面もサ

ポ ー

ト し

お ヴェクシ ョー大学図書館外観 ヴ

ェクシ ョー大学構内 (メインビルデ ィン

グ内)ヨー 大 学 は' 国 際 的 な 大 学いと うこ で'と 留

(8)

KSKQ第 二三種郵便物認可<サ ロン ・あべの>通巻1)469巧2007317H

よくランチに呼んでくれたり'ヴエクショー

大学に到着早々に'「大学を案内してあげる」

と大学案内もしてくれたり'クリスマスに

は'クリスマス用にルシアパンを焼いてお茶

をしたり'いつも気にかけてくれていまし

た。私は'彼女が大好きでしたが'一緒に日

本食を作って食べられなかったことが残念で

す。

学生寮は'大学構内とダウンタウンに近い

寮とに分かれますが'すべて個室でシャワ

ー・トイレ付。キッチンとリビングは共同で

すが、みんなが集えるようになっており、快

適なのです。

授業は'留学生用のコ

スが設けられてい

るので、すべて英語で行われます。スウェ

デンで生活するのに困らないようにするため

に'簡単な日常的に使われるスウェーデン語

も学ぶことができますが、大学生活の中で

は、英語の方がスウェーデン語より重視され

ます。スウェーデン語は一切使わなくても英

語さえある程度使うことができれば、生活に

はほとんど困ることがありません。

ソ ー

シャルワ

クコ

スでは'私を含め、

6

人の日本人留学生と、ドイツ'イタリア' フランス'アイルランド、リトアニアからの

留学生が集まり'全員でut14人くらいで学

んでいました。グループ・ディスカッション'

施設訪問'実習、リトアニア大学とのテレビ

電話講義など'ただの受身の授業ではなく'

積極的に自分達が主体となって参加し'自分

の国とスウェーデンを比較して考えていく方

式でした。だからとても楽しくて'充実して

いましたが'うまく日本の現状を表現できな

くて悔しかったり'他の欧州諸国と比べて

も'日本の福祉のサポート体制が決して良い

状況でないので、未開の国のようで恥ずかし

かったり'毎日が刺激的でした。

ヴエクショー大学のサポート体制が整って

いたことは、留学生活をスムーズに送る上で

本当に良かったと思います。でも'それ以上

に良かったのは、様々な国の人と一緒に勉強

できたことだったと思います。留学で得たも

のは、私にとって多すぎて、今'少しずつ消

化しているという感じなのですが二番影響

力が大きかったのは、やはり様々な国から来

ている友人達。同じコ

スや寮の仲間、共に

学び、共に生活してきた仲間はかけがえのな カンパ'切手・ワイン・チ

ズ・ペット

ボトル茶・お茶の葉・お茶菓子の寄贈'また'サ

ロングッズのお買い上げなどありがとうござ

いました。

カスタネット'稲垣恵

(9)

1ト1くくJ :̲純郵便物.igtl・Jくサ ロン ・あべの>通Li.)169号ごり07年 :jH 1711

目時

‑3

27

日 (火)午後

6

〜8

場所‑住吉 人権文化セ ンター ・ホール

電話

06‑6674‑3731

交通 :南海高野線

「住吉東駅」徒歩

5

○講師‑井上泰 司氏

(大阪障害者セ ンター常務理事)

一内容‑

6 :00・・・開会挨拶

6:05

・・・区役所挨拶

6:15

‑講演 井上泰 司氏

フ‑マ

「障害者 自立支援法見直 しと今後の課題」

7:15

・・・各団体か らの問題提起 小規模作業所 ・地域活動セ ンタ一

・・社会福祉法人野菊の会 グループホーム ・

・NPO

法 人

WI NG

通所授産施設 ・・・社会福祉法 人熱 と光 居宅介護 ・・・・・社会福祉法 人ひよこ

7:45

‑講師か らの意見

8:00

‑閉会

参加費‑無料

駐車場‑な し

*手話 ・点字が必要な方は、現時点で ご用意で きるか どうか分か りませんので、 申し訳 あ り ませんが下記 まで ご連絡 ください。

連絡 先 ‑

社 会福祉法 人あいえ る協 会

自立生活セ ンター ・

MY‑DO〜

まい ど〜

担 当‑岸 田 ・赤松

558‑0002

大阪市住吉区長居 西

1 1911 2 キミハウス 1

T E I . 06‑660913133

Ⅰ弧

06‑6609‑3210

メール

c l トmydo @ j as mi ne. oc n. ne. j p

お知らせになりました。今年のテ

マは、やっぱり を毎年行ってきまし

障害者「すみよし」公開セミナーのたが、今年も左記のような内容で行うこと

「 こ ん な 」

自立生活センタ

ー・まいどでは、住吉

区内の社会福祉法人

などの

9

団体と連携

してタイムリーなテ

ーマで公開セミナー 障害者自立支援法についてです。昨年の

10

月から全面実施になり'その間題が障害者

の生活をおびやかしています。しかし'今

年の

4

月からは'早くも自己負担額の上限

4

分の1になるなど'その内容がころこ

ろ変わってきています。現時点での改正内

容と今後の課題を明らかにしていきたいと

思います。

1

人でも多くの皆さんのご参加

をお待ちしています。

(9)

(10)

KSlくQ第三種郵便物認可<サ ロン ・あぺの>通巻5169,[32007317r]

のはあ りませんで した。だか ら私 は孫 よ?」と、この時 ほ ど孫が憎 いと思 った こと

り子 供 の方がかわ いいのです。

□かわ いいのは ? こわ いのは ? ① 私 は この投書 を読んで 「私 は孫 よ り子供の

方がかわ いい。で

ももっと深 く考 えると孫や 私たち夫婦 に

は子供 も孫 もいな いので よ

く分か らないが、孫のお る人か ら 「本 当に孫

は 目に入れて も痛 く

な いほ どかわ いいです

と言 うことを耳

にす る。

そ んな中で先 日、新聞の投書欄 に

こんな 話が載 っていた。ある 日、同居 して

いる息子が寝 ころんで テ レビを見ていると、

孫が 「パパ、早 く起 き

て よ !

と息子の髪

の毛 を引っ張 るのです。

息子 は 「うん」と返

事 はす るのですが、なか なか起 きようとしませ

ん。す る と孫 は2度 も 3度 も髪の毛を引っ張

るので、つ いに息子 は 痛み に耐えかねて 「

痛たたた っ !

と顔 を し

か めなが ら起 き上

が ったのです 。2人の様

子 を見て いて私 は 「かわ いい息子 に何す る 子供よ りも自

分の方がかわいい」と、ある人 が言われて い

た ことをふ と思 い出 した。

「自分が一番かわ

いい」 と言えば、私 は こ の人 を思 い浮かべ る

ので ある。それ は歌舞伎 や浄瑠璃 にも取 り

上げられている安土桃 山時 代の盗賊だった石

川五右衛門親子が釜ゆでの 刑 に処せ られた ことで

ある。 (つづ く)

集 合 場 所と 時

間‑ 長 居 植物園正門 午 後時1 入 園 料‑ 小 中 学生・ 65害者歳以上障(要手・ 帳 )と 介 助 者は 無 料 雨降の時隣の然史自り‑ 博 物 館 や 花

と 緑と自 然 の 情 報 セタをンー 見

学申し込み締め切り‑4月1

5日申し込み・問い合わせ

先‑L06・6691・10 28(冨田慶子)口H容‑長居植物園 へ春を探しに所‑大阪市立長居植物園

LⅧ06‑6696.7117

最寄り駅=地下鉄御堂筋線「長居」

(11)

Kゝlく(J第 二種郵便物認IJJ<サ ロン ・あぺの>通 巻{)169号2()07.'117lj

㌢ ・ : 山 ■ i m

4 月はどこのサロ

ンの、どのテーマがお 気に入 りですか。いい

出会いしませんか。

「サ ロン

淀川」4月の出会 い 日 時

:4

15

日 (日)

午後

1

30

〜4

時 内 容 :子猫

と、 トランペ ッ ト吹き

‑様々な人 と出会 いそ して、子猫 との 会い‑ 出

ゲ ス ト :堀北純生

(は りきたすみお)氏

ジャズ トランペ ッター ・「福祉教育 を語 る

会 費 :な し 場 所 :淀川区民

セ ンター 「やす らぎ」 大阪市淀川 区三 国

本町

2‑14‑3

問 い合せ先 :淀川区社協 (

ボ ランテ ィア ・ビュー ロー)

℡ 06

‑6394‑2900 E‑ mai l: s or a j i i @i r i s .

e one t . nej p 義

「サ ロン ・に し

よ ど」4月の出会 い 日 時

:4

28

日 (土)時間未定 内 容 :

淀川で 「シジミ狩 り」 場

所 :集合場所等未定 問 い合わせ先 :西淀川区

在宅サー ビスセ ンター

℡ 06

‑6494‑0635

中本

℡ 090

‑9864‑9678

『サ ロン 「

アイ

」 4

月の出会 い 日 時

:4

1 4

日 (土)

午後

1

30

〜4

時 内 容 :おたっLや

サ ロン (出前サ ロン) パ ネラー :隅田耕

史 (すみだ こうじ)氏

NPO

フェ リスモ ンテ ・ボ ランテ ィアコー デ ィネー

ター 会 費 :な し

場 所 :「おかちや ま」2

階ボ ラ ンテ ィアルーム 大阪市生野 区

勝 山北

3‑13‑20

問 い合せ先 :生野 区社協 (

ボ ランテ ィア ・ビュー ロー)

℡ 06

‑6712‑3101

0

お知 らせ :サ ロン 「アイ

だ よ りの音訳テー プが 出来 ます。 ご希

望 の方 は、西浦 まで

℡ 06

‑6757‑8574

「サ ロン ・に し」4月の出会 い

日 時 内 容

場 所

会 費

4

1 4

(土)午後

2

〜4

時 か

るた遊び を楽 しもう ! 西 区在宅サー ビ

スセ ンター第1会議室 大阪市

西 区新町

4‑5‑14

℡ 06‑65

39‑8075

な し

問 い合せ 先 :関 口 雷

090

‑4281‑5641 1

《て くて く ・すみ

よ し》4月の出会 い 日

時 :4月 7日 (土) 集 合時

間 :午後阪急

12

30

梅 田駅車 いす改札 口前 午後1時

発河原町行 き特急 乗車 内 容 :八ツ 橋の焼 き子体験

一焼 き子の衣装 に着 替え、八

ツ橋の手焼 きを体験 一 場 所 :井

筒 八ツ橋京極一番 街店 (河

原町駅 か ら西へ5分) 参加料金 :

1000

円 (交通

費別 ・おみや げ付 き) 申 し込み締

め切 り :

3

31

日 申

し込み ・問 い合せ先 :山本篤江

℡ 06

‑6692‑8411

携帯

090

‑5168‑5977

「サ ロン ・つ

るみ」4月の出会 い 日 時

:4

1

日 (日)

午後

1

30

〜4

時 内 容 :大阪市の交通バ リ

アフ リー に関す る取 り 組み ‑みんなにや さ しいバ リアフ リーの

まちづ くりについて ‑ ゲ ス ト :福本 肇氏 (大阪

市計画調整局計画部交 通移動 円滑化施策担 当課

長) 会 費 :な し

場 所 :

鶴 見 区民セ ンター3階 大阪市鶴見

区横堤

5‑3‑ 15

問 い合せ 先 :鶴 見区社協 (ボ ラ

ンテ ィア ・ビュー ロ) 奥井

℡ 06

‑6913‑7070

「サ ロ

ン北」4月の出会 い

日 時

:4

21

日 (土)午後

2

〜4

3 0

分 内 容 :未定

場 所 :障害者福祉作業

セ ンター 「た けの こ」

大阪市北 区本庄東2‑6‑11宝来堂

1階 ピ 問い合せ先 :障

害者福祉作業セ ンター

「たけの こ」内

密 06

‑6372‑8074

「サ ロンいたみ」4月の出 会 い 日 時 :

未定 内 容 :未定

問合せ先 :安藤れ い子℡

0 72‑784

(12)

KSKQ第 三種郵便物認可<サ ロン ・あべの>通巻[)4692007317

「童 謡 ♪ 絵 は が き 」

・仰げば尊し

・春よ来い

・早春賦

・春が来た

・どこかで春が

一 ▲ ▲ ▲ ▲ 一 一 一 春 の う た の は じ ま り そ れ は も ど っ て き た ら 鳥 た ち が 雪 が と け て 冬 の 終 わ り 春 の う た

.九九一日‑二便認可(毎日発)

童謡♪絵 ■ 店 か書 ・春

5 校 1 組 ¥ 180

大阪弁でカ ラッと明るい語 り口で恒夫 と

2

人の

幸せな生活 を綴 って いるのに、どこか冷えた深海の水 を思わせ るジ

ョゼの感情が醒めて いて切ない。 ・・・恒夫はいつジ ョゼか ら去 る

か分か らないが、傍 にいる限 りは幸福で、それでいいとジ ョゼは思

う。そ してジ ョゼは 幸福 を考えるとき、それは死 と同義語 に思 える。

完全無欠な幸福は、

死その ものだった (本文 よ り)

ジ ョゼ と虎 と魚

たち

2 5

頁 くら

いの ごく短い話ですが、田辺作品のエ ッセ ンス

が凝縮 されたよ うな 感 じを受 ける非常 に濃い内容のチ ャー ミングな

作品です。 (石)

<サ ロン ・あべの

>VOL.249

発行 :平成

19 (2007)

3

17

日 定価¥

10

0

編隻人 :

Referensi

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