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PDF 一詩からの一考察一 - 福島大学

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(1)

『嵐  が  丘』

『嵐

丘』

一詩からの一考察一

田  村 忠  揮

(1)

 「嵐が丘」に関して多くの観点からいろいろの 解釈と批判が行われてきた。Herbert Readは、

...Wuther㎞g Heights...is one of the very few  6ccasions on which the novel has        りreached the dignity of cぬssical tragedy. と

述べて、この小説を大いに評価している。一方

Rossetti  は、 It  蛤  a  fiend of a  book.

The action is laid in he皿一〇nly it s㏄ms phces a皿d peo,1e have English names

   シth瓠6.と述べている。ここでは悪魔の書とよばれ ている。その他、Th6mas MdserのOvεr a 6面t晦a喜。 Emi1ヅBront6d飴matized w1血t       3)Freu4subseque血tly6aHed the id.という言葉

のような、精神分析からの観点などもある。今後 もとめ難解な小説r嵐が丘」に関して多くの研究 が行われるであろうし、そこからとの作品の本質 に関ずる論議が行われるであろう。私は、Emily BT面罷めいくづかめ詩と「嵐が丘」の叙述の比 較を通して、詩の中め情感と思想渉仁嵐が丘」と いう架空の琶界の中でいかなる姿で現われ、発展 せしめられて駆るかを考察してゆきたい。

 盃rh61d Kettle はThe cen{ef and coreσf the boδk (Wt丘hering Heights)is the stor童        ゆofCath◎rheand Heathcli飢と言っているが、

その言葉の通り、此の物語には多くの登場人物が レ・るが、物語の中心となり核となるのはキャサリ ンとピースタリフの二人である。此の小説の34章 の第16章でキャサリンの死が述べられるが、ヒー スタリフにとうては死んだ恋人キャサリンが、彼 の意識の中では実在として生き続け、彼の思考と 行動に対して彼が死に至るまで支配的なカを持ち 続ける。しかし、小説め構成としては、このキャ ササシとヒースグリフの鮮明なイメージが浮びあ

がるのは、それとコントラストをなす(エドガー とその妹イザベラに代表される)リントン家があ ってはじめて可能であり、このコントラストは作 者Emily Brontoの意図であったと解される。

こめ小説にはアンショー家、リントン家の人々、

召使、医者,弁護士、そして語り手などが登場す るが、この小論に於ては、先ず主としてキャサリ ン、ヒースクリス、そしてエドガー(ときにほイ ザベラを含める)の3人の人物にしぼって、ごれ

らの人物とEmilyの詩との関係を、次に作者の r嵐が丘」全体の意図を彼女の詩を通して考察し てゆきたい。

Emilyの詩に

(皿)

I gazed upon the clou(iless moon ノ㎞d loved her all the night

Till moming came and ardent noon,

Then I forgot her light一

No−not forgot−eternaHy

Remains its memory dear;

But could the day s㏄m dark to me B㏄ause the night was fair?

I wen may mo億n that only one Can light my fhture sky

Ev6n though by such a radiant sun My moon of life must die.

    5)

(Nα110)

 (下線ほ筆者の附したものである。以下同じ)

      ン

という詩がある。ゴンダル物語に於ける、新しい

(2)

68 福島大学教育学部論集第25号

恋人の出現によってヒロインであるオーガスタが 今までの恋人アルフレッドと訣別する心境をうた ったものである。ずうと愛でていた月ではある が、それに対して〔(下線部)夜が美しかったか らといって、昼が私にとって暗くありえようか

…… のように輝く日の光りでたとえ私のいのち の月が死なねばならないとしても〕とうたつてい る。この月がアルフレッドである。Mary Visick        の

女史が言うように、このアルフレッドからr嵐が 丘」のエドガー・リントンが発展したものと解さ れる。さて「嵐が丘」に、Whatever our souls are made ofシhis(Heathcliff s)and mine are the same,and Linton s is as different as a moon beam from lightning,...(Ch.D【)と、キ

ャサリンが石使いのネリーに言うところがある。

ここでエドガー・リントンの魂が稲妻に対する月 の光にたとえられている。これはキャサリンが結 婚前の恋人エドガーを評していう言葉であるが、

詩の中で月に譬えられたアルフレッドと同じよう に、エドガーも結婚後キャサリンに精神的には見 棄てられることになる。

 月の光に譬えられたエドガーの魂と、詩のなか で月に譬えられたアルフレッドとを結びつける と、キャサリンが夫エドガーを裏切らざるをえな くなった時の彼女の心の葛藤が、読者にははっき りと理解できる。次に太陽のイメージに関してで あるが、次のような詩がある。

Ah!why,because the dazzling sun Restored my earth to joy

Haveyoudeparted,everyOne,

And left a desert sky?

      (No.184)

〔(下線部)ああ、なんと、目もくらむ太陽が私 の大地を再びよろこびによみがえらせたから〕と うたつている。この詩は星に呼びかける詩である が、大地が太陽によって躍動する姿を述べる。こ の太陽のイメージを、Ratchfordがはっきりと、

「ゴンダル物語」のジュリアス・ブレンザイダ       の

王と解している。即ち,rゴンダル物語」でオー ガスタがアルフレッド王を見棄てて,この太陽に 譬えられているブレンザイダを愛するようになる のである。r嵐が丘」で、夫エドガーを拒否するま でにヒースタリフに惹かれる時、そのキャサリン

1973・司1

の心境は「ゴンダル物語」でアルフレッドを見棄 てて、ブレンザイダに走るヒロイン・オーガスタ の心境と同質のものであったと解される。作者の 心の中では、エドガーとヒースタリフの関係は、

詩にうたわれている月と太陽の関係に原型があっ たと考えられる。 r温和」と r活力」、r静」と r動」という点で、月と太陽のコントラストが有 効なイメージを生んでいる。しかし、太陽だけの イメージと、暗く、復讐のみに生きるヒースタリ フの姿とは全く似ても似つかぬものである。この 辺から、「ゴンダル物語」を消化し、それを超越

して、自分の詩的素材を「嵐が丘」という小説の 世界で肉づけした作者Emilyの心の展開を見て

ゆきたい。

 「嵐が丘」はEmilyの詩的世界が,彼女め郷 土、ヒースに蔽われた丘陵のヨークシャの一地方 で現実の姿をまとい、展開したものということが 出来よう。前述した太陽が象徴する「活力」とか r動」に関して、小説の中で描き出される荒野の 荒々しい活力の中に姿をかえた太陽と同質のもの を見出すことが出来る。荒野の自然、とくに雨、

風、嵐が、ヒースタリフ、キャサリンを描く時 に、生命活動の積極的要素となっている。その同 じ荒野の自然の営みが、エドガーに対しては生命 を抑圧する否定的要素となっている。さて、小説 の3章で嵐が丘の若主人ヒンドリーがお仕置きと して、キャサリンとヒースタリフを台所に押し込 める。その時の様子をキャサリンが次のよう述べ る。My companion〔HeathcHff〕..。proposes that we should apPropriate the dakyrvo㎜n s cloak,and have a scamper on the moors,

mderitsshelter.Apleasantsuggesdon...

we cannot be damper,or colder,in tke rain than we are here.(Ch.III)おもしろい考えだ  …雨に濡れたって、ここにいるよりもっとじめ じめしたり寒いなんていうことはある筈がない、

一日中雨の降り続いた外であっても、台所に居る より、雨に濡れ、寒さにふるえて荒野を走り廻る 方が楽しい、と言っているのであるがこの雨も寒

さも、この二人の少女と少年にとっては、生命を 躍動させるものであり、自由を意味するものにな っている。

 「嵐が丘」の語り手のひとりであるロックウッ ドに、窓辺にキャサリンの亡霊が現われたのも、

…sky and hills m血gled in one bitter w1血・1

(3)

『嵐  が  丘』 69

of wind and suff㏄ating snow.(Ch.m)とあ るように、渦巻く風と息もつまりそうな吹雪に閉 じ込められた晩であった。そのことを聞いたヒー スタリフが、狂ったように泣きながら窓辺で、

      のCome in!come in!...Cathy,do come. ...

と亡きキャサリンに呼びかける時、...the snow Imd wind whirled wildly血ough,even reach−

ing my station,and blowing out the light.

(Ch.皿)とあるように、吹雪は愈々激しく蟻蜴 の火を吹き消して仕舞う。また、召使いのジョー ゼフが、ヒースタリフの死後、ヒースタリフの部 屋の窓から二つの人影(亡霊)を見るのもきまっ て雨の降る夜である (Ch.XXIV)。更に、男の 子がネリーに、ヒースタリフと女の亡霊を見たこ とを告げるが、それも_a dark ev㎝ing,

threatening thmderとあるような、今にも雷 がやって来そうな晩である。(Emilyは死後の世 界、霊魂の問題に関して彼女独特の観念を抱いて いたと考えられるが、)小説の中の亡霊の出現は 荒野の雨、風、雪などの不滅のエネルギーの活動

と融け合っている。

 ヒースタリフが、自分が恋するキャサリンが自 分を棄ててエドガーと結婚する決心を語るのを物 陰で聞き、失意のあまり出奔する。その夜の嵐の 様が、_the stom came rattling over the Heights in full fury.There was a violent w血d,as weH as thunder,and either one of the other split a tree off at the comer of the building: a huge bough fell across the roof,and knocked down a portion.of the east chimney−stack,…(Ch.D【)と述べられ、

ここで屋敷の隅の木を引き裂き、大きな枝を屋根 に倒し、煙突の一部をたたきこわす狂ったような 嵐の様子が描写されている。その直ぐ後に、姿を 消したヒースタリフを捜しあぐねたキャサリンが 失意のあまり雨の中に立ちつくす姿が、 Cathy

...got throughly d∫enched fGr her obstinacy in refushlg to take shelter,and standing bonnet・1ess and shaw1・lesS to catch as much water as she could with her ha丘and clothes.

(Ch・皿)と述べられ、髪も服もびしょびしょに なって全身がずぶぬれの憔悴し切った姿として描 かれている。前の引用部分では、ヒースタリフが 唯ひとりの味方であり恋人であるキャサリンを失 った自暴自棄の心情、後の引用部分では、ヒース

タリフを失ってはじめて知ったキャサリンの悔恨 と悲嘆の情が、外の世界の荒れ狂う嵐と一体化し ている。後者では、その他にこの雨風の自然の営 みが、キャサリンの心の内の世界の激しさと共鳴 して、慰めと浄めとを与える働きをしてもいる。

キャサリンがリントン夫人になって3年して、ヒ ースタリフが姿を現し、ヒースタリフと夫エドガ ーと争い、そのためキャサリンが精神錯乱の状態 になる。それがやや静まったときに言う言葉は、

Do let me f㏄l it(the wind)一it comes straight down the moor−do let me have one breath!(Ch.Xn)である。一即ち、この言 葉は、結婚してリントン家の若奥様となり、今迄 は意識にのぼりはしなかったのだが、この神経の たかぶりのなかで、.今まで抑えていたキャサリン の心の内奥にあった荒野への憧れが、荒地を渡っ て来る風に触れること、その風を一息吸い込むこ とへの切望の言葉となって表われたことを意味す る。ここで、少しあけられたキャサリンの部屋の 窓から荒野の冷いた風がさっと吹きこんでくる情 景が描かれている。

 次にヒースタリフの死の場面をみてみょう。語 り手のネリーがその晩の様子をThe_evening was very wet:indeed it poured down ti皿 day−dawn;… と、ひどい雨で土砂降りであっ たことを述べている。更に続けて、_he se㎝ed to smile.I could not think him(1ead:but his face and伽roat were washed with min;

the bed clothes dripPed,and he was perfectly sti11...he was d(蛾d and s伽k!(CIL XXIV)

と、ネリーが語る。死んだヒースタリフの顔も喉 も雨ですっかり洗われている。このようにして、

自然の営みの中に融け込みながら、ヒースタリフ の生命は閉じられる。前述したように、ヒースタ リフの出奔を知って茫然と雨の中にたちつくすキ ャサリンに雨が慰めと浄めを与えたが、ここでも ヒースタリフの生前の罪を雨が洗い流すかのよう な印象を読者に与える。

 其の他r嵐が丘」の多くの場面に荒野の自然が 描かれているが、その多くの場面でキャサリンと ヒースタリフに対して、荒野の雨風があるいは影 響を与え、あるいは共鳴し、あるいは融合してい

る。そもそもヒースタリフが異常な執着を見せ、

キャサリンが生涯愛し懐しんだ嵐が丘という屋敷 そのものが、実は荒野の象徴だと言ってもよいで

(4)

70 福島大学教育学部論集第25号

あろう6第当章でウツクウッドが「嵐が丘(ワザ リシング・ハイヅ)」のrウザリング」の語を説

明して、 曽曲e醜西beingasig廊伽t 伽v㎞澁1経dj戯i鴨deま翁面ve6fthεat−

m醜fie t曲磁to舳恥髭S就a穏0血蛤ex−

pos6d in前6f㎞y鳶εa伽血(ChJ)と述べている。

更に続けで、.. 曲e舳yg臓eSsthepo漉f6f t漉f舳軸d blo暫血書6▼efthe ed喜e,by

th6獣6e69薩ve s㎞t of a fe醜 S馳血癒6d f㎞at

theendofth6h㎝s ;andbγafa轄e6f 9&㎝ttho毎Sallst覿面ngthe勧疏mb90麗

Way,as迂蕊avi討9江1ms O董th6釦n.(Ch.1)とレ、

うロックウシドの言葉がある。E血鑓ダほ、:荒野 の四季のそれぞれの景色の中でも、ここに播かれ ている嵐にさらざれる高台、縫め禾をいじけさ せ、茨をやせ細らぜる強い北風一』荒野のきびし い自然の営み一一の中に、最も多く、キャサリン やヒースタリフの人物像と同質のものを見出して いたように思われる。

 前に触れた詩に於ける月と太陽をコントラヌト した時の太陽のもつ「活力」とか、 (f静』に対 する) 「動」の意味を、小説「風が丘」において は、いままで論じてきた荒野の自然が一番よく引 き継ぎ、それを深めていると考えられる。そし て、それほ(土ドが昌に対する)キャサリンとヒ ースタリフのイメージに積極的な役割を演じてい るのである。

 このことに関しで一言加えるなiらぼ、そればこ め荒野の自然が、次の例で雨や寒きが、エドが畠

(リントン家) に対しでは否定的な要素となっ ていることである。恋人時代のキャザリンが、

Isabella a面E6gar Lintd血塊lked of cani血9 thiSa{temOon, ..Asit面h6,1hafdiyex剛 th6m;...(Ch、VIH)と述べるところがある。

尤もこの時は、リントン兄妹ほ嵐が丘を訪問し たのであるが、キャサリンは、雨がこの兄妹の訪 問を阻止するであろうと考えてV・る。吏に、キャ サリンの死後、エドガーは 自分とキャサリンの 問に出来た娘のキャシーと暮しているが、その部 分にOn h礫(Cath夕 S)§帥e虻ee孟益bir山面,

hε did 五6t 司sit{:h6 ch血dhアard,; it was raihi亘9ジ.、.(CILXXV〉 とある6即ち南降りで あるので妻の墓参りをやめたことが述べられてい

る。又、...距6ev6ni嬉ha幽nin誉t6be

δhiH and da直ゆナ吻 血aste歪 caug!it a b猷!

1973−11

c6殖,t五at sめttling obsゼnざte1ゾon his l血豆gs,

c6hfinεd hi血ind(廟s thfoug五〇ut the壷ho16 0ft赴e曾hlt6r,、..(CLxxn)と、ネリーめ語

るところもある。ここでは、寒さとしめっぽさ歩 エドガ を内へ内へと閉じ並めている。嵐が昼が 激しい荒野の風に勇ましく堪えてたう屋敷である のに対して、土ドガー達の住むスラヅシ土クロス の屋敷は谷で嵐を避ける屋敷である。このように 荒野の自然はキャサリン、ヒースタリフに対して は積極的開放的影響を与え、一方同じ自然の営み がエドガー(リントン家)には否定的 閉鎖的影 響を与えると言えるであろう.

(皿)

詩における太陽のイメージと小説における荒野 の自然がもつ意味の関連を見てきたのであるが、

ゴンダルのために書かれた詩の中に、荒野ですご した幸福だった昔を想う詩がある。

While the wind is whispering on1y,

F釦r一aCf(鵬the watもr b6m6,

正議 us i並th蛤s韮e血ce k》飯eljr Sit beneath the観血ci(血t th(血

W飢d theτoad,a血d rough a血d d畑fy;

Barre紐all the mdor㎞d∫o血d;

●  ・ 」 ・ ● ・ 

Did質eh観thεtemりest sbea舳9,

HOw1面g roロ1k1σ樋sかiガts ho皿e7 No;that tr㏄with brand葦es rive恥 Whi綱ing i亘t赴e曲irl of snow,

Asit.t幅edむgai血sttheh6aveh,

S㎞楚eredぬappy hear総b6kjw一」

(N6し80〉

〔(†線部)あの大あらしが私達の心のふるきと を打ちつけ、うなりを立てて吹きつけるのに心を とどめただろうかδ天に向かってゆれうごきなが ら、枝はさけ{吹雪で真白になったあの木は、幸 福な心を守っていた。〕これはジュリアスδブレ ンザイダがジェラルダィンに宛てだ歌であるづさ

(5)

r嵐  が 丘』

びレい荒野、大あらしのうなり、狂ったような吹 雪のなかでのふたりの幸福が想ひ出されている。

この心情寮、「嵐が丘」では主としてキャサリン の言葉の中に発展している。小説のなかでキャサ

リ〜が失われた子供時代を回想する時、きまって 嵐瀞丘の屋敷、ζ}スに蔽われた荒野とからみ合

って自分の子供の頃の姿が語られる。更に、薫野 のイメージとは質を異にするが、幼ななじみの恋 人ヒースタリフが、キャサリンの回想と結びつい ているρこのことは、「嵐が丘」の中心テーマに かかわることであ,るが、キャサリンの内的世界?

自我一の親近性という点からは、ヒ}スクリフは 荒野のイメージと同じレベルにあった、いやむし

ろヒースタリフは荒野の自然を象徴していたと解 される。詩においての荒野の自然と幸福の結びつ きのもつ意味が、r嵐が丘」では作者がヒースタ

リフを創〃出すことで、複雑な層の深いものに発 展せしめらねている。

 キャサリンはエドガーと結婚し若夷様と譲る。

3年後ヒ旨スタリフが再び貝の前に現われた時、

自分が社会駒地位やロマンティックな恋を求めて エドガーと結婚したことで失ったものに気がつ

く。夫エドガーと幼ななじみのヒースタリフの問 にあって、進むことも戻ることも出来ない自分の 立場一キャナリンのこの精神的葛藤のため彼女は 精神錯乱に陥る。実はこの精神の錯乱状態とその 前後の興奮状態で発する言葉に、キャサリンの抑 えられていた自我がはっきりと現われている。キ ャサリンがネリー7に、._I W三曲I wereρ砿of dPQr・1[w玲レI wβ∫eヨgirl ag…両,剛胆V琴ge a罫4・ha髭4y, apd角ree; ・_1 ㎎su813取}回d b唯皿ySCIf we『¢I ol gG a餌Qng thg坤th OP 地ose垣11s.(Gh.X∬)と語う.ここでは、野育 ちの元気で自由な小娘とか、ヒースの中での昔の 自分の姿≧いつ葬発想が述べられている。同じ章 の少し前の≧ころに、キャサリンの、 ...the

W㎏;9垣stsevepy興熔頭町降9τewa

勧鞠kl ・恥y荘義母ry aξρ零鋤尊卑‡鋤}輿pqごa,

頓ρn抽嘩H躰亟y埆⑳r4鰍4幡w晦me典具 耳饅頃。雌…恥もSμ騨靱榔Wゆgy興β o口1坤d㎏蓼wre噂che4fτ卿‡hc H朔恥,

apd eve鯉 eaぎ1y 棚‡ation, ai麺4H専y 皿h1

ψ,asHeathchffwasatthattime,anロbe即

◎nver¢d a御すs賛oke intO M】r昏1雌on,..,,am

劇e,興¢Q吹aβt,th即CC∫鱒h身fτρ珂what

hζdわ㏄n薄}y四ρrld,(Ch.X童1)という言葉が ある。この言葉からすると、キャサリンは自分に

とって7年間が空白であること,嵐が丘とヒース タリフから引き離され自分は自分の世界から追放 された流罪人である、と考えていることになる。

キャサリンの性質と同質のものとしての嵐が丘、

ヒースに蔽われた丘、ヒースタリフのことがどう して子供の時代の回想と結びつくかは凍の理由に よると考えられる。キャサリンは墨ドガーとの結 婚によって、自分の本性を裏切った。それに気が っき、現在の生活が空白であると感ずるようにな っても、夫を捨ててヒトスクリアに走ることは許 されない (「ゴンダル詩」ではヒロインは恋人か ら恋人へと移ってゆくことが出癖たが。)この窮地 にあむ.て、キャサリンは失ったものを、失われる 以前の子供の時代の回想に求めるはかなかったの である。そして、その失われたもの遣そ、キャサ リンの子供時代の國想にからみつく嵐が犀》荒野 の自然、(キャサリンにとっての)ヒースダリフに 象徴されるものと解される。Emilyが詩にうたう 逆境での生命の闘いの姿が、r嵐が丘」のこのセチ

ュエーションにおいて結晶していると思われる。

 このような状態が生れるのは、キャサリンがエ ドガーとは全く別な世界に属しているということ から生れる。キャサリンがエドガ,に、・..y㎝r cold blood cannot be worked into a fever:

yo眼r veins are full of iく℃ wa歓ぼ; but血 are boiling,and the sight of sucb ch皿hle8s makes them dm㏄.(Ch.XDと叫ぶところがあ る。夫エドガーの血管渉氷水でつまり、自分の血 管はたぎっている、とキャサリンが言う時、彼女 は夫が自分の世界とは関係のない人間であること を痛感している。常識的であり、ハンサムである こと、裕福であること、社会的地位が高いことに 惹かれてエドガーと結婚したキャサリンが、失っ たものに気がつき、それを回復しようとしたとき には、自弓破壊以外にに堺決の道捧残っていなか った。その回復への欲求は死奪もいとわない、ζ いうよりもむしろ死を憧れてさえいる。それは彼 女が、死も問逐いころにいう言葉、…t煙一、餌ηε

伽㌻敢smem磯瞬h玲晦‡tg唄P∫is卿,

aξter aIL I m tired of bei㎎β聡取綱舞e礁1 wCβryin3to es¢&pe i1}to th母gloriΩus world,

and止obealwaystぬere:,..(Ch.XV)の中に 表われている。語り手のネリーの叙述では、エド

(6)

福島大学教育学部論集第25号

ガーは神を深く信じ、愛情ゆたかな人物である。

その夫エドガーを、少なくとも精神的には見棄て ることになるキャサリンは、実はここで夫の世界 に属するものとは次元を異にするもの、彼女の言 うmy Heathcliff(Ch.XV)一彼女の原始的自 我といったもの一の回復を求めていたのである。

以上が彼女の子供の頃の回想のもつ意味の考察で あるが、加えてその部分の言葉のもつ激しい気迫 にふれたい。Emnyの詩に、

Ungoverned nature ma{11y spurned The law that bade it not defy.

O h the days of a■d㎝t youth I would have given my life for truth

For血th,fof right,for lib崎,

I would have gladly,fr㏄1y died:

(No.119)

〔(下線部)真理のためなら、権利のためなら、

自由のためなら、わたしは喜んで自由に死にもし たであろう。〕という詩がある。この詩にうたわ れているような心情が、前述したr嵐が丘」のヒ

ロイン、キャサリンが死を目の前にしてその心境 を述べた言葉に具現化していると考えられる。

r嵐が丘」を解釈するにあたって・このキャサリ ンの子供時代の回想の部分は、Emily.の詩魂が キャサリンに語らせる言葉として、重要な意味を もつものと解される。

(N)

 r嵐が丘」でキャサリンがエドガーと結婚する 前にネリーに次のように言う。1 ve no more business to marry Edgar Linton than I have to be in heaven.(Ch.】X)即ち、天国へ行っても

しようがないと同じようにエドガーと結婚しても 仕方がない、と言うのである。ここで、天国とエ

ドガーが同じレベルで考えられている。しかも何 れに対しても否定的である。更に、やはりキャサ

リンがネリーに、天国に行った夢を見た、と語る ところがある。ネリーに、そんな話はご免です、

と言われたのに対してキャサリンが、l was only

1973−11

going to say that heaven did not seem to be my home;and I broke my heart with w㏄pi㎎to come back to earth;.and the angels were so angry that they flmg me out into the middle of the heath on the toP of Wutheri㎎Heights;where I woke sob・

bingforjoy・(Ch・D【)と言うところがある・こ こに述べられているキャサリンにとっての天国は 安住の地ではないこと、天使にヒースの中に投げ られ、嬉し泣きする夢が、どのような意味をも つか、考えてみたい。作者Emilyは牧師を父と する家庭に育っているが、この天国と地上の問題 に関しては、かなり彼女独特の考えを持っていた と思われる。彼女の詩のなかに

Let me rαnember ha歴the w㏄

1 ve seen and heard and felt below And Heaven i鵬hl,so pure and b】est Could never give my spMt rest Sweet bnd of Hght!出y children fair Know nought akin to our despah ;

We would not leave our native home For碗y world beyond the Tom眠

(No.149)

〔(下線部)地上でわたしが見、聞き・感じてき た苦悩の半分もわたしに思い出させるなら、あの ように清らかで祝福された天そのものも、わたし の精神にやすらぎを与えることは出来ないだろ

う。……わたし達は墓の向うにあるどこかの世界 を求めてわたし達のふるさとを去ろうとは決して 思わない。〕という詩がある。詩人Em皿yは人間 の悲嘆と苦悩に充ちた内的世界と、天使のいる天 国との断絶を感じていた。そこでは、天国が地上 の狂気、涙、苦痛をわかりえないでどうして地上 の人間にやすらぎを与えることが出来ようかと考 えている。この詩の引用した部分の後半では、地 上以外に安住の地を求めないとして、死後も大地 の慰めをうけてこの地にとどまることを憧れてい る。前述の詩の下線をしなかった部分であるが、

光の国の美しい子供たちには地上の絶望などわか らない、といった意味のところに関して言うなら ば、r嵐が丘」のエドガーもイサベラも金髪で美

(7)

『嵐  が  丘』 73

くしあまりにも恵まれた人々で(尤もこのふたり の兄妹も後になって運命が変るが)、ヒースタリ フやキャサリンの苦悩、絶望など理解しえない人 々である。この点で詩と小説の符合が見い出され るように思われる。今引用した詩の他の部分でも

r大地」を讃め称えている。

・.・Ea曲would w蛤h no other sphere To taste her cロp of sufferings drear;

She tums from Heaven a careless eye And only moums that膨must die!

Indeed,no dazz1血91and above Can cheat thee of thy ch避dren s love。

We a11,in五fe s depardng shine,

Our last dear longings blen(i with th血e;

said mine would be drunk;I said,I should fall asleep in his;and he said he could丑ot breathe in mine,...(Ch.XXV)と。リントンは やすらきめ天国を、キャッシーは喜びに踊りはね

るような天国を、・前者は相手から見れば眠くなる ような天国を、後者は相手からすれば息もつまる よケな天国を憧れている。このキャッシーの言葉 は、単的に鮮明に二つの世界を描いている。必ず しもリントンの一天国とキャッシーの天国の;関係 が、前述したキ》ナリンの夢に出て来る天国と弐・

地の関係と並行するとは言い難いが、作者にとっ てキャサリンの「大地」とキャッシーのr天国」

とは同じ世界に属するものであったと思われる。

そしてまた、キャサリンの天国に対する「大地」

は、キャサリンにとってはスラッシュグロスに対 する嵐が丘であるとも解される。

(Nα149) (V)

〔(下線部) まぶしい天国もあなたの (大地の)

子供達への愛をだましとることは出来ない。わた したちはすべて、生命がこの世を去るときの輝き のなかで、わたしたちの望みをあなたの望みと融 合させる。〕これはまさしく地上礼讃の思想であ る。 r嵐が丘」でも、丁度、荒野の自然の営みの ように、きびしい悲哀と苦悩に耐え、勇しく生き 抜いたキャサリンもヒースタリフも、この世を去 る時・彼らは大地の慰めを信じ、大地の抱擁の中 で彼らの魂が調和し融合することを信じていたの である。.この詩は、1841年6月17日の日附になっ ているから、「嵐が丘」が書かれるより4、5年 前に作られたものであろう。

 前述の、キャサリンが天国の天使にヒースの真 中に投げ出される話は今論じてきた地上礼讃の思 想が、少女らしい美しい夢として描かれたと解さ れるが・この天国に関する叙述が物語りの中で形 を変えて他の場面に出て来るので一言触れたい。

今まで述べてきた登場人物の子供達の話である が、エドガーとキャサリンの子キャシーと、ヒー スタリフ■とイザベラの子リントンが言い争いをす る。キャシーがその様子をネリーに次のように言 う。 He(Linton)wanted all to lie in an ecstasy of peace; I wanted all to sparkle and dance in a glorious jubnee. I said玉is heaven would be oply half alive一; and he

 この私の小論に於て、ここまでは、主として

「嵐が丘」の主要な3人の登場人物だしぼ・6て考 察してきたのであるが、ここから物語全体の二、

三の問題点を考えてゆきたい。

 物語りの最後め章で、キャサリンやヒーヌ.タリ フの次の世代の子供達の話が語られている。。即 ち、ネリーの口を通してキャッシーとヘアトンが 元日に婚礼の式を挙げることが語られる。 キャッ

シーはキャサリンの娘であり、ヘアトンはキャサ リンの兄の息子である。r嵐が丘」というこの愛憎 の物語りは、苦悩、復讐、冷酷さめ場面が多く、

また登場人物のキャサリン、キャサリンの兄ヒン ドリー、イザベラ、エドガー、ヒースタリフの子 リントン、そしてヒースタリフと次々に死んでゆ く。その中で、罪もないのに悲惨な生活を送って一 来たこの二人、キャッシーとヘアトンが微笑まし い恋愛をし (最後の三章に描かれてある)、結婚 の日取りが決ったことが語られて、この物語りが 終るのである.読み終って本を閉じるとぎ』この 場面はきびしい冬も去り春の陽光が射す思ひを読 者に与えずにおかない。ロックウッドがこの若い 二人が嵐が丘の屋敷からスラッシュクロスゐ屋敷 に移り住むことに関して尋ねために対して、ネリ ーが答へるYes,_as soon as t五ey are mar.

ried,and that wi11be on New Year s day.と いう言葉は千鈞の重みがある。その話の庵りとり

(8)

74 福島大学教育学部論集第25号

があった後、ロックウソドは夜空の下、荒野に近 い斜面にある三つの墓石のところに行く。キャサ リン、エドガー、ヒースタリフの墓である。ここ でζの物語りはロックウッドの、 11ingered roqlndthem(head−tones),...watchedthe motl蛉 fluttering among the heath Imd h壁紬Hstened to the soft wind brea曲g 血ough the grass,a面 wond醐how any o理}cot漏ever hnag血eロnquiet slum㎞for the戯persiロthatq面破eaτth.(Ch.XXXIV)

の言葉で終る。愛憎の葛藤、絶望と復讐一それ らの中に生きた人々も今や静寂の中に融け込んで いる情景でこの悲劇の幕が降されている.二つの 世代のイメージがからみあって波乱にとんだ人々 の永遠のやすらぎが、次の世代の人々の春の芽ば えに連なっているように思われる。「嵐が丘」の 他のところでも喜びと悲しみが連なり、交わって いる。ここに見られるものは輪廻の思想と呼ぶべ きものである。Emilyに次の詩がある。

And Winter po騰its grief in snow

WhereAutmm sleavesarelying.

Yet they revive,and from舳fate Yo皿fate cannot be parted

Th㎝joumey onward,not date,

But 8〃群brokenrhearted.

      (No.122)

〔(下線部)秋の葉が散り横わるその雪に.冬は その悲しみをふり注ぐ。だがそれらはよみがえ る、そしてお前の運命がそれらの運命から、ひき はなされることはありえないのだ。〕散った秋の 葉のイメージ、冬、復活のイメージは大きな自然 の生命の調和を語っている。次に1845年4月10日 附のある次のようなEmilyの詩がある。

Sorrow passed a狙d plucked the gold◎ほ  b㎞皿⇒.

G面壮stτipped off the fo1㎏e in it3  Pづde;

But,wi曲its pπent,s kindly bosQm,

Flowed fo∫ever L迂e s restor血g tide軌

◎ ● o ● ● ● ● 一

St■娠e辻down,㎞t other boughs may

1973−11

 f㎞ish

Wherc that pe爵s㎞sapHng used to be;

     ゆ

(Nb,183)

〔(下線部) その大もとの情深いふところには、

永遠の生命の復活をもたらすうしおが流れてい た。…一 その枝を打ち落せ、あの打ち枯らされた 若木がかつてあったところに、他の枝が生い繁る ように。〕というのがある. 「悲哀」や「罪過」

あるいは「死」が樹木を破壊しようとも、この大 地の営みはやがてそこから生命を復活させる。こ の詩は、現実の樹木の生命を超え、宇宙の大きな 調和に連なる輪廻の思想である。小説r嵐溝丘」

においても、その根底にこの輪廻の思想が貫かれ

ている.

(w)

 最後に、「嵐が丘」のキャサリンとヒースタリ フのもつ精神的な意味を考察して、私の小論のま とめとした.い.

 確かにこの物語りに描かれているヒースタリフ の行動は、悪魔の所業と言えるであろう。しか し、キャサリンが、...he(Heathc嵐f)is more mysdf th2m I a舶.(C瓦D【)とか、...if all ek蛤perished,and ゐεrema血d,I should stiU

continロetobe;aPdifalldseremainedレ

a面he.Ψere annihilated,the晦vc贈would

tum tQ a 廊9虹ty stra㎎er: ...Neny,1 4 8 H¢athcliff!(Ch.】〔X)と言う時、少なくともキ

ャサリンにとってのヒースタリフは何か生命の本 質にかかわるものと考えられている.更に、キャ サリンが死の直前.自分の傍らにいるヒースタリ フを、 That(Hea血。雌)蛤not卿翠eath・

c慧f五1きhaUlove面neyet;aodtakeh面 withme:he sinmysou1.(CILXV)とネリ

ーに言う。この「私のヒースタリフ」は現実のヒ ース・タリフではなくて、精神的なもの一深層にあ る自我とも言えるもの一を意味していると思われ るっ次の詩はいま論じた「精神的なもの」に通ず る発想を示しでいる。

Tho㎎虹Ear口1and moo虹we3e gone

1㎞d suns aod 腹=感ve19es ceased to be

(9)

r嵐  が  丘』 鴨 And thou wert left a㎞e

EワeryExistencewouldexistinth㏄.

Th㎝oisnotroom50fDeath

Noratom that hi8miゆt could fender void Since d1㎝a丘Bcbg and Brea塩

㎞w蓋at thoロartmaynever be dcstτoyed.

〔(下線部) もしわれわれの胸の内に、冬の日々 を知らぬ太陽の一万のまじりあった光りで暖かい 輝かしい汚れを知らぬ空がありさえずれば、あた りに危険と悲嘆と暗闇があってもそれが何という ことがあろう。〕この詩人の心の中では、此の世 の苦悩や暗黒が精神の世界の中で解消しているよ うに思われる。又、次の詩

(No.191)

〔(下線部) 地球や月が消え失せ、太陽や宇宙が なくなり、あなたひとりになっても、あらゆる存 在はあなたのなかに存在ナる。……あなたは実在 であり生気であり、あなたというものは決して滅 ぼされることはないのだから。〕

 「嵐が丘」の登場人物は運命に翻弄され、ある 宥は運命と闘い、ある者は運命をのろい、ある者 は諦める。そしてやがてそれぞれの生き方をした 後に、全て静かに此の世を去る。特に罪のない子 供連が、親の生き方のからみあいからもたらされ る避け難い悲惨な運命に翻弄される姿はあまりに 悲惨である。作者の自虐症的傾向が去々される所 以であろう。ともかく、この人間の運命に関して Emryが一文を書いている。ブラッセル留学中 にr蝶」と題する随筆を書き、醜い毛虫を地上の 人間の行動の象徴と見なし、Why was man created〜He torments,he kills,he devours;

he suffers,die,is dcvoured−that,s h血3wh6上巳

 ユ うstory と述べている。ここでは、醜い毛虫と素 晴しい蝶を考えて、蝶に来るべき世界を見てい

る。この発想は彼女がうたう詩にも見られる。

Yes,as my swift days neaT theセgoal

,Tis all that I implo㏄一

Through I遜e and death,a chahless soul With c㎝rage to㎝dure!

(No.146)

So hopeless ig the world without,

The world within I doubly p伽;

価y wαrld where guile and hate and doubt And coid suspicion never r蛤e;

What ma債ers it that all aromd Danger and ghef and darkness lie

〔(下線部) 生と死を通じて、忍耐する勇気をも つ鎖のない魂を請うのみ!〕は、あのE C.

Gaske11の本に述べられているEmilyの臨終の       ロき

苦痛にじっと堪える情景を想わせるものであり、

作者Emnyのストイシズムをよく示している。

この思想は、錯綜し、いわば否定のポーズをとり ながら、キャサリンとヒースタリフの二人の人間 像に表われていると思われる。

 r嵐が丘」のヒースタリフは、悪業の数々にも拘 らず、その内面の世界ではキャサリンの精神を共 有し、勇敢に自分の運命と戦っている。Emilyに

The more unjust seems present fate The more my Sp㎡t springs elate Strong in thy strength,to anhcipate Rewalrd血g Desdny!

      (No.188)

If but within our bogom,s bound We hold a bright unsu皿ied sky,

Wam with ten thousand mingled rays Of suns that know no whter days7

(N砿174)

〔(下線部) 現在の運命が不当に思われれば思わ れるほど、わたしのたましいは意気さかんに強く 起ちあがる。〕という詩があるが、この心情がキ ャサリンにもヒースタリフにも共通している。こ の世の苦悩と絶望とに耐え、それと戦う時、この 物語りの登場人物の精神は高められ、浄められて いくように思われる。作者Emiiyは、キャサリ ンの自E中心の振舞やヒースタリフの悪業にも拘 らず、キャサリンとヒースタリフが象徴するもの が、紳士的エドガーが象徴するものより内面的に まさっていると信じ、r嵐が丘」の物語りのなか

(10)

。76 福島大学教育学部論集第25号 1973−11

でそれを展開したと解される。

(註)

1) Herbe丘 Read: R24soπ σ 4Ro 昭 . 莇。翻 (RusseU & Russell,reissued,1963)

p.184.

2)M面el Spark and Derek Sta㎡ord:

1弛鑓ソB 躍∫磁プ五珈σ 4恥盈(Peter Owen,1953)P.232より引用。

3)E.Th.M.van Laaτ:丁馳加 グSケ露。・

劫耀ヴ四π疏爾㎎∬晦肋(Mouton,1969)

p.10より引用。

4) Arnold Kettle: ノ1 1雑曲【04 如ま苑ε 鞠晒ゐハわ〃81(Hutchinson Univ.Lib.1961)

一vo1.I p.142.

5)C.W.Hatfield:丁加Oo溺漉加P糖価 ヴE翅砂面麗B鋤甜(Columbia Univ.

Press,1961)のナンバーによる。

6)ゴンダル物語はE:mily Brontεが妹Annと ともに創ったが、明白な原稿は残っていない。

今知られる物語はEmnyの詩を構成したもの

である。

7) Mary Visick:丁加Cθ惚s爵qヂ・研窮躍θr・

 ∫塑ゐ惚忽海S (HOng KOng UniV.PreSS,

 1958)p.23.

8) F.E.Ratchford:Co dσアs g%㎝(Texas  Univ.Press.1955)一Ch. V.

9)Cathy(キャッシー)はキャサリンの愛称  である。キャサリンの娘のキャッシーを意味す  るときは、この小論ではその都度娘であること  をことわってある。

10) この詩に関して、鳥海久義氏が輪廻観に言  及している(rエミリブロンテの詩の世界」、p.

 68)。また、この詩に関して註(2)の本では  C.R.Darwinの説が言及されている。更に、

 この詩と同じ思想をHerbertReadがTheTr㏄

 of Lifeと題する詩においてうたっていて興味  深い(」4 認s夢乃吻α7θπσεσ 4伽」㎝偲),

 p.108).

11)Robeft C.McKibben, The Image of

 the Book in 四露まみ8ガ㎎ 1窟怨毒まs , h1 /1

 防まh卯動座施怒物捻伽励oo為(Odyssey

 Ress,1961) p.235.

12) E.G.Gaske11: Tゐ8L肋qr Cみ砿頭。漉  Bレ。 躍(Oxford Uni肌Press,1961)p・・302二.

A Study of隔痂θガ㎎磁勧 s through the Author s P㏄ms

Tadaaki TAMuRA

 In t1五s paper an attempt is made to interpret駒漉εガ㎎撚8配s t㎞・ough the author s poems.四4訪郎∫㎎,砲渤海,esp㏄ially,is a poet s novel .・

 In四衡訪厩㎎撚回内Emily Bront己 s p㏄tic血aghlation is condensed into the figures of Catherine and Heathc1迂f.And what the two figures symbolize is made clear by the eff㏄t of contrast betw㏄n the dual ideas; the active and neg琴tive influences of weather,the chndhood and adu1Hife,the heaven an(i earth.It is the idea of transmigration of the soul and the longing for vitaHty,etc.found in the author s p㏄ms that makes the characters of the novel quite univefsal.

 hl the novel Emily goes beyond her poems to a more synthetic expression of her experience.It is found tlmt what Cathedne and Heathcliff stand for is the incama−

tion of Emily Brontε,s p㏄tic experience.

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