発声指導に関する一考察 (その1)
松 田 芳
子
はしがき
明治の初め,学校唱歌の名によって始められた今日に於ける日本の声楽は,三浦環のお蝶夫人等によ って広く世界にも知られる様になった。然し乍ら発声指導の面ではかなり遅れてをり,漸う昭和の初め
頃ドイツのMargarateNetokeL6we.少し遅れて昭和7,8年頃,同じくドイツのM面1hausen
Wucher Pfennig.Ria von Hessert.イタリーのDina Notargia−Como等の声楽家を雇教師と称し て東京音楽学校に招聘し,ドイツ式発声法並びにイタリー式発声法の指導が行われたが,これが発声指 導のさきがけであろう。一方同校の優秀な卒業生を文部省留学生としてドイツ及びイタリーに派遣して 声楽の研究に当せ,帰国後は母校の教官として学生の導指を任せたのである。然しその指導法は何れも 主観的,観念的にならざるを得ず,それによって起る弊害も亦少なくない有様であった。この様にして発達して来た明治以来の発声法は,人身自体が楽器であるという事によっても起るさま ざまな誤謬を重ね乍ら,尤らしい理由さえも添えられて,多様な方法を伝えながら今日に至ったと云っ ても過言ではないと思う。
然るに此の数年来今までにない優れた発声法を駆使した2,3の声楽家が現れ,我が国にもその演奏 が披歴されるに及んで,関係者はその発声の素晴らしさに驚き,現今までの発声法に.対して明らかな疑 問をいだくに至った。
昨年来心ある小数の声楽家並びに発声指導者,音声学者が一堂に集まり,その努力のうちに研究が進 められつつある事は.今こそ従来の発声法を見直し,イタリー式でもドイツ式でもないintemationa1
な発声法をうち建てるべき転換期にあると考えられる。私はここで誤謬を重ねなければならなかった原 因と思はれるものを取りあげ,それについて私なりの意見をのべながら究明してゆきたいと思う。
←1発声指導者の問題
自己錯誤に陥り易い発声法を正しく方向づけて行くためには,優れた発声指導者こそ要求されねばな
らないと、思う。
ドイツの有名な発声指導者であるFrederick Huslerは,その著書Singing:The Physical Nature of the Vocal Organ(1965年春出版。内容の新しさ,素晴しさが強い反響を呼んでいる。)
の中で,発声指導者としての条件を次の様に述べている。
1 発声指導者は,且って自分が発声訓練を受けた経験がなけれぽならない。
2 発声指導者は,声の響きに依って音声器管が目に浮ぶようでなければならない。
3 発声指導者は,声に対する鋭い良否判別の能力を具えていなければならない。
この中で特に2番目の,r発声指導者は声の響きによって発声器管の状態が目に浮ぶようでなければ ならない。」という項目は,我が国の声楽家・発声指導者にとっては思いがけない弱点を指摘されたも のとして注目しなけばならない問題である。
確かにHuslerの云うこのような観点に立って発声指導を行う事によって,今日まで行われて来た 莫然とした理論的根拠の薄い指導法に光明をもたらすだろう事は明らかである。よく云われるr理想 的な声のimageを持つ事。」が指導者にとって大切である事は間違いない。然し日本のように良い発 声に恵まれない国ではimageも歪められる恐れが多分にあり,誤りを招き易い事は火を見るよりも明 らかである。このためにも発声器管を知り音声生理に熟知する事は,我が国に於ては特に重要な事と云 わねばならない。声の響きで音声器管の状態が目に浮ぶようになって初めて発声の指導が行い得るので
あり,何等の音声生理の知識もなく正しい発声訓練を受けた経験もなくて,単に音程のみに拘った指導 をしたり主観的な声の指導をしたりする事は,余りにも無責任な結果を招き易くつつしまねばならない
ことである。
⇔発声指導上の困難な問題について
肉体を楽器としなければならない声楽に於ける発声の指導が,他の楽器の指導に比較してさまざまな 制約を受けなければならないのは宿命的なものであるが・特に至難と思われる点について二 三 述べ てみたい。
1 楽器が身体の内部にあって見る事もさわる事も出来ないこと。従って教えようとする相手にも発声 の時の楽器の状態を示す事が出来ない。
このような条件の中で,体内にある発声器管を正しい方法で操作する事を教えなければならない。即 ち外部から見る事も触れる事も出来ないところの,r声帯」というわづか2伽位の筋肉の集合体である 楽器を用いて,生徒の個々の異った状態に適応した声作りを中心に,声帯から発する原音を如何に大き
く共鳴させるか。叉,発声に関係ある器管が正しく運行されているかどうかを見定めて,どのような身 体の使い方をすればよいかを教え,過度に陥いれば直ぐにもその機能を失って了うdelicateな声帯の 限界を見極めて,労少なく而も最大の効果をあげ,長時間の使用に耐え得るにはどのような方法を以て すればよいか等,文字通り手を取り足を取って教え乍ら,教師の耳一つに多彩な一人一人の声の良否を 判別しなければならないのであるから,一般に考えられているように生易しい仕事ではないのである.
2 自分で歌って自分で聞いた声と,他人が同じ声を聞いた場合違った声にきこえるという事。
この事を裏返せば,世界中でたった独り歌っている本人だけがみんなと違う声を聞いていると云う事 である。即ち本人は直接内耳から聞く声と,他人と同じ条件で外耳から聞く声とを同時に受け入れてを り,他人はその一方である外耳からのみ空気の振動を通して聞いている。内耳から聞く時は共鳴腔のせ まい悪い出し方であっても,よく共鳴して聞こえる。この事は自己満足に陥いり易い結果となり,範唱 という危険な問題を伴って登場するのである。即ち上記のように内耳からきいた自分の声を良しと判断 し,他人も同じ条件できいているものと誤解して模範として歌われるわけである。このようにして次世 に伝えられる事にもなる。
3 喉をつめると,張のある強い声に聞こえる.
喉をつめたこの種の声を響きのある大きい声であると誤解し,喉をあけた共鳴のよいやわらかい声を 響きのない小さな声であると思い違いをする者がいる。この二者は大きい会場で聞くとき割合はっきり 判別する事が出来るが,正しい発声の経験のないものには声に対する余程の良心と細心の注意,それに 助言がなければ分りにくいであろう。
4 音色の美しさに惑わされるということ。
r良い声即ち良い発声」に通ずるが如き思い違いをする教師も少なくない。声のよしあしは生来のもの であり,発声のよしあしは多くは後天的なものである。教師が生徒に教え得ることはよい発声であり,
生来の声を取りかえることはできない。「良い発声,即ちよい声」であると教えたいものである。良い 声とよい発声とは別個のものである。よい声の順に,あるいは曲の大きさの順によい点数を付けるが如 きはnonsenseである,とすましてはいられないほどにしばしば見受けられる問題である。
5 強い声帯は仲々こわれないこと。
強い声帯の持ち主である場合,相当悪い出し方をしていても声帯が鳴り,普通の声帯の持ち主なら音 声障害の症状を訴える所を平気で乗りこえている。加えて美声であればrよい出し方である」と自分も 思い他人にもほめそやされ,良否判断のするどい教師の忠告を聞き入れない例もあるわけである。
以上挙げた例でも分るように,殆どの過失の原因は自分自身が発音体である事や楽器を確められない 事から来ている。これは他の楽器の習得にはみられない指導上,勉強上の欠陥であるから,以上のよう な事をよく知った上で,歌い且つ教える事が肝要である。
指導者にとってはこれを見極め指導する事が大切であるが,声楽家にとっては第三者を通じてのみ自 分の声を聞くわけであるから,常に良き発指声導者の助けを借りなければならない。世界的Operaの prlma donnaであるRenata Tebaldiは,その発声の完壁さに於て,r神の如し」と讃える人さえ
ある程であるが,発声に対する自信を失い,引退して発声の指導を受け,再び演奏を開始している。同 様の例を 昨年来日して胸もふるえるようなShumanの rFrauenliebe und Leben」を聞かせてく れた・Imgard Seefriedにも見る事が出来る。叉今は亡きWilhelm Furtwanglerの指揮による映 画「Don Giovanni」の中の主役であった優れた恥prano歌手Elsabeth G而mmerも,現在ドイ
ツで行われている発声の講習に,毎日欠かさず生徒として出席しているという事である。これ等の例は 発声の自己判断のむづかしさを物語るものであり,功成り名を遂げた声楽家であっても,常によき発声 指導者の援助が必要である事を教えるものである。日本の声楽家にこの様な発声に対する慎重さが見ら れないのは,よい発声指導者が稀であるということもあろうが,我が国の発声の正しい発達をさまたげ
ている一つの原因であると思われる。
以上正しい発声の発展を困難ならしめているいくつかの問題について述べたが,以下発声指導上の実 際的な問題に入りたい。実際的問題とは云っても発声指導に於ては他教科課と違って紙に書く事の出来 ない更に実際的な指導面もあり叉耳の鋭敏さや,音の判別能力等のたしかさを必要とする一層重要な分 野のある事を念頭におかなければならない。
臼発声指導上の実際的問題とその考察
私が発声指導をする時slogmとしていることはr発声の会得は発声に関係ある全身の筋肉を釣り合 いよく活用して出された声でなくてはならない」ということである。一部分の筋肉の使用にだけ拘った り,発声に有害な筋肉を用いたり,要らない力を不要の場所に用いたりしてはならない。発声の会得は 全身で感じ取るべきものである。
これを前提として部分的な説明に入りたい。ここでは主として発声に関係ある呼吸筋の働きを述べ,
二三の例を挙げるだけにとどめる。
O呼吸法
呼吸法は発声の中心をなすもので,誰しも認めている重要なpointとなるものである。従って呼吸 法については今迄にも色々と論じられ,問題にされて来たが,とりわけ吸気についての研究にはそれな
りにくわしい見解を持つ人も多い。
然し声出しに直接関係のあるのは呼気であり,吸気は間接的な意味を持つものでしかない。その意味 で,呼気こそ研究されねばならぬ問題として取りあげてみたい。
1 呼気の重要性と呼気が重要視されなければならない理由を挙げると
・ 呼気によって声帯は振動し,振動による開閉運動によって声が発せられる。
・ 声の持続は呼気の使い方如何によるもので,肺活量の大小に関係ない。
● 呼気の支えば 腹筋・横隔膜の運動と更に咽頭部,喉頭部のanchoringとの密接な関係にあり,
この三者の設立がないと完全な声作りは出来ない。
・ 呼気を乱暴に使う事によって声帯が酷使され,音声障害になる例が多い。
・ 呼気の使い方を誤ると訴えかけのない声になり,単なる声並べに終る。
以上の様に多くの問題をかかえてをり,発声上大切だと思われる大部分の事が呼気にかかっている。い わば呼気はバイオリンの弓の役目を果すものであり、絃である声帯の妙なる調べをかなでるためには。
弓である呼気の使い方一つにかかっているということが出来る。
2 横隔膜を使うということについて
横隔膜を使って歌を歌うのだろうという事は素人も何となく想像している処であるが,指導者はその 位置,働き等を明確に知る必要がある。声楽家自身横隔膜を使って歌っていながら芸術家らしいおおら かさからか・その位置 機能等をあえて知ろうとしないために誤った使い方や教え方をしている例が多
い事は残念な事と云わねばならない。叉自分の声に自信を持つ余り,r歌うためには理屈は邪魔だ。そ んな理屈は歌えない人のためにあるのだ。」という意見も何度か聞いたが,あながちそうばかりとも云え ない。邪魔になるという事も確かにある段階ではあるかも知れない。然し助けになる事も大いにある。
まして条件反射運動として出来るようになれば決して邪魔にはならない。総てを知って、しかも無意識 に出来るようにならなければならない。特に発声指導者の立場に立った場合には 演奏家とは違っては っきり知ってをく事が大切である。そして更に,声をきく事によって音声生理の状態を察知しなけれぽ ならない。このことはむしろ自分では一声も出さずに指導できる程でなければならない。
1図 2図 背柱 横隔膜は胸腔と腹腔とを分離する可動
性の隔壁で,半分は筋肉,半分は靱帯か !
ら出来ている。横隔膜の厚みは,1.8傭〜1 2㎝,位あり,周辺は体壁に固く付着して \ いる。漫画的な図だが右図を参考にされ
只
ノ
ノ ヤ ノ
、 ノ 血管 食道 たい横隔膜が収縮すると彎曲が少なくなり線点のようになる。吸息は横隔膜が収縮する時に起るもので あるであるが,歌う側から云えば吸息によって横隔膜が収縮して下に押し下げられる。この場合最も多 く押し下げられても平にはならず,図の様な形に彎曲している。(Grossmannの吸気の状態を示した 絵は反対側に膨脹しているので特に注意されたい)呼気に移ると収縮を止めて元の位置にもどるが,こ の場合は全く他動的で横隔膜自身能動的に動く事はでき ない。横隔膜は純然たる吸息筋である。
歌唱の際はこの横隔膜呼吸と同時に肋骨呼吸も行われる。肋骨呼吸は,肋骨を上げる事によって胸廓 を前後左右に拡げる運動であり,主として一図の矢印が示している方向に拡げられる。肺は海綿状の弾 性組識から出来ていて筋肉はなく,胸廓の内壁に肋膜を介して密着しているから,胸廓の容積が変化す れば肺の容積も変化する。随って胸拡をより拡げる事によって,より多くの息を取る事が出来る。肋骨 は12対あり,上から7対までは胸骨に付着しているから,この部分,つまり胸の上の方に息を吸っても 余り息が入らないばかりか,肩も上り,それによって喉頭部も上に上って,この状態で声を出す時は,
甲状軟骨の突き出た骨が咽頭を圧迫し,共鳴腔もせまくなって,よく素人の発声にみられる肩呼吸という いましめられている呼吸法の形となるのである。この形は横隔膜のささえも出来ない形でよくない。
肋骨の11,12番目の骨は胸骨から遊離しており,8,9,10番目の骨は7番目の骨の助けを借りて間接 に胸骨に付着しているので,この部分に吸息すれば肋骨も前後左右に拡
3区
背柱
\レ
→
/1\
4区 の
\1/
一
一 / \
背柱
がり,従って肺の容積も大きくなるから,多量の息を取る事が出来る。
この肋骨の下部は横隔膜が付着している所でもあり,この場所に吸息す る事によって一層横隔膜を緊張させ,大切な呼気に重要な意味をそえる ものである。この方法がいわゆる肋骨呼吸といわれるものである。
ドイツの有名な発声指導者Ferdinand Grossmann教授は,この肋 骨呼吸の吸気の状態を3図のような絵を以て示し教えている。
円は胸廓を示し,脊柱を中心にして平等の力が円周に向って加えられ ている。この力によって横隔膜が保たれ,呼気が支えられている様子が よく分るのであるが,実際には脊柱は中央にあるのではなく,前に示し た2図の様に背後にあり,横隔膜をより強く支えている腱が横及背後に あるので,私は4図の様な力の加え方をした方が一層効果的であるよう に思う。前方にはカを加えない。この理由は後で述べる.
この肋骨呼と肩呼吸の吸息量の比は甚:牙で,肋骨呼吸の方がはるか に有利であることが分る。吸気の量を多くとるという事よりむしろそれ によって横隔膜が支えられ,呼気につながりがあとるいう事を忘れては
ならない。即ち吸気が終ると同時に少しの間も置かずtimingよく呼気に移し,しかも前述の絵(1図 4図)で示した胸廓の状態を其のまま続ける。云いかえれば吸気の状態のまま呼気を続ける。吸気から 呼気に移るときは一時息をとめるように書いてある発声書が多いが,息を止めてはいけない。少しでも 余分な力が加わりそのために発声器管に悪い影響をあたえる事をさけるためである。
横隔膜を使うという事が最近素人の間にも普及する様になったのは一面結好な事のようにも考えられ るが,誤った使い方をしている例も多く見られるのは残念な事である。例えば歌っている最中,即ち呼 気の途中で突如として胃袋を凹ましたり突き出したりする運動をしているのを,小中高の合唱コγクー ル等に於て年々多く見られるようになった。又大学生の中にも何処からか覚えて来てしきりにこれをや るものがいる。
この運動は腹筋や胸廓によって保たれていた横隔膜の状態を突如として崩してしまい,それによって 保たれていた呼気を乱し,ひいては呼気の保持に重要な関係を保っている腹筋と,喉頭のandloring の関係を中断して了う結果になるので,この使い方はよくない。この指導者は,横隔膜の運動を他の筋 肉と何等関係のないものとして認識し,単に横隔膜を働かせる事が構隔膜運動と誤解しているためと思 はれる。横隔膜の支えが全身の釣合よい筋肉の働きによって保たれている事を知らなければならない。
又息もれを嫌って喉を閉める事によって調節するように教える人もいるが,喉で息を調節するという事 は喉頭,咽頭のanchoringを使わない事になり,ひいては横隔膜ないし腹筋での呼気のcontrolを断
った形になり,これも叉誤った考え方であのるは申すまでもない。
3 呼気の持続について
呼気の持続が腹筋や横隔膜の働きによるものである事は今までにも何度か述べて来たが,後に述べる 腹筋の力によって横隔膜が支えられなければならない事も忘れてはならない事である。呼気はこの腹筋 や胸廓等によって支えている横隔膜で支えられてをり,これ等が総合された上での呼気の使い方によっ てその持続時間がきまる。一般に考えられているように肺活量の大小によるものではない。
通常肺活活量は男女差個人差はあるけれども大体3500冠位とする。前に横隔膜が吸気によって押し下 げられる事を述べたが,これ以上吸う事が出来ない位に息を吸って約10傭下行する。横隔膜が1㎝下行 する事によって約350認の息が入る。世界中で最も長いphraseの長さは約20秒位のものであるが,
これを歌うためには約3伽の横隔膜の下降よって歌う事が出来,350認の3倍である1050認の息を必要 とするわけである。これはDietrichFischer−Dieshkau級の名人の呼気をもとにドイツ人によって研 究され発表されたものであるが,この事によって分る事は,肺活量に関係ある程の息を必要としないと いう事と,わずかな息でも呼気の扱いの如何によって長時間の呼吸の持続が得られるという事である。
但しこれは初歩者に当てはまる計算ではない。然らば初心者は一杯一杯に息を吸いfu11に横隔膜を下 げて息をしっかりと保ち乍ら呼息すればよいか。この方法は現在も大部分の人が行っている方法ではあ るが,未熟者も名人と同様吸息に拘ることなく呼息を調節する事をなすべきである。多量の吸息をする 事によって発声に直接関係のある上半身に発声に有害な力が入りよくない。上半身のカを抜くことは,
初歩者が先生を離れて勉強をする時の唯一のよい目安になるからである。
未熟者にとってphraseを一息に歌い得ない曲も多くあるわけであるが,このような時は例えば α)nc㎝e等のように言葉のついていない曲の場合は,切り易い場所で息を補うようにした方が,遮二 無二phraseを歌わせる方法よりはるかによい。歌詞のついている場合は歌詞の切れ目,意味を考えて
breathする。この様にして無理をさせず,呼気の運びを教え,全身の平均した正しい筋肉の使い方を 教えなければならない。反対に正しい呼気の方法も分らないものに大曲をあたえて演奏させ,上手そう にきこえさせて喝才を得よう等という考えも指導者として正しい考えではない。なるべく易しい曲を正 しい発声によって歌わせることが・将来のためにどんなによいか分らない。芸術大学の声楽科の課題曲 の如きも,六ケ月の間にさまざまな問題を含んだ10曲に余る曲を与える等は悪い一例である。イタリー 語もドイツ語も分らず・母音作りの意味さえ分らない人達に,短期間に多くの曲をこなす事が出来よう
はづがない。色々悪い習慣をつけて.声のよさだけをみせびらかす方法になるのは当然で,語感の表現 も発声も無視される。課題曲は一つで充分であろう。これは私の先生がよく仰言ることでもあるが,私 自身同じ曲を六ケ月も歌わされる身であってみれば共感せざるを得ない。
呼気の量が少くてすむということについてFer(iinand Grosman.教授は次のような例をあげている。
「恰もかぐわしい花の勾いをかぐように」息を取るのである。叉phraseとphraseの短い間に吸息 する例を「久しく逢わなかった恋人に偶然町角でバッタリ会い,ハッと息をのんだそのように」と云っ ている。こうしてわづかに吸った息を呼息に移すわけである。
ラッパを呼気の例にとり,出来る限り息を吸い込んで吹き当てるやり方は,声帯のdelicateな機能 を無視した呼気の陵い方でよくない。ラッパは呼気の全部を吹き当てなければ音にならないが,声帯 は極くさそいかけの息さえあれば音が鳴り出す。須永教授であったか,息が当る前に声帯が鳴り出すと いう事を云っておられたが,その様な感じで差し支えない。もしラッパのような乱暴な呼気の使い方を する時は遠からず音声障害になるであろう。 delicateな機能の声帯に対する呼気とラッパのそれとを 比喩するのは無理である。
4 腹筋について
理想的な呼気を行うには前述の横隔膜の働きの他に腹筋の力を借りねばならないことは前にものべ た。歌唱に必要な働きを司るあらゆる筋肉の運動は,すべて腹筋によってささえられ,関係づけられて 理想の声作りがなされる。
5図 6図 腹筋は主として直腹筋と斜腹筋から
成り,歌唱に用いられる筋肉はこれで 1矢印切,曲 ある。中央に直腹筋,その両側に斜腹 方向を肩 筋が脊中の方にまたがって上向と下向 1
に交叉している。 、t 漫画的な図だが図解する。
この筋肉は上は第五番目の肋骨のあたりから下は骨盤にいたるまで走っていて中央に向って収縮する 働きをもっている。理想的な呼気の方法はこの収縮の性質を利用して斜腹筋と直腹筋とを用い,内蔵を 上に絞り上げ乍ら呼気によって他動的に戻ろうとする横隔膜を支え,胸廓の状態を吸気の時の状態に保 ち乍ら静かに横隔膜を押し上げるようにする。これはチューブ入練はみがきの中味を底の方から絞り上 げてゆくように,肺の中の空気を底の方から押し出して行こうとするものである。六月の研究会であっ たか「常に新しい空気によって歌うべきだ」と云っていた人がいたがこの方法は肺の上部から吐き出す 方法と違ってその意味でも正しい。(但t肺の空気を全部はき出しても残気量として20%〜35%残る)
叉この運動を用い一層胸廓を拡げる事によって,曲のCrescendoや下図の様な上行の音符を美しく LegatOに歌いこなすことが出来る。
楽 譜 1
φ
この方法をもって行われないCresscen(10や上行音,partamentは.喉を用いて行われるので発声上 悪いばかりでなく魅力のある表現は得られない。叉腹筋を用いて胸廓や横隔膜を活用する事を無視して 楽譜2の様な形のmelodyを連続的にあたえ,何でも彼でも出る所まで絶叫させる発声の訓練法を用い
る等は,指導者として,特に生身のこわれ易い声帯を預かる者として,余りに思いやりのない無責任な 方法と云わねばならない。加えて喉のつまった範唱を加えるに至っては亦何をか云はんやである。
楽 譜 2 Q
叉前述の方法はC F以上の高音を使う時にも,良い胸廓の使い方に依って高音を得る事が出来る。即ち 理想の吸気の形を中音の時と同様にとり,そのまま上方に持ちあげるようにする。但しこの仕事は腹筋 が主役を演ずるという事を忘れてはならない。喉頭,肩,首筋等の上半身の脱力に気をつける。何時の 場合も発声に直接関係ある上半身の脱力を心掛けなくてはならない。よくみられるように両手を前に組 み,もみあげたり拝んだりゆすったり色々な運動を加えることもよくない。外来演奏家Fischer−
Dieskauや,Renata Tebaldi等の態度をみていると,長時間の演奏のうち手は殆ブラリと下げたま まであり,特別な感情表現以外には手を持ち上げる事がなかったが,これは発声気管に近い手,即ち肩 につながる手の運動が声に影響することを物語っているものであると考える。
前に述べた腹筋の絞りあげによる発声の外に,現在殆の人が用いている横隔膜の下方圧迫の発声があ る。この方法は胃袋を前方に突き出し,その力によって横隔膜を下方に押し下げ,その横隔膜の支えに よって呼気をささえる方法である。私が東京音楽学校に於いて涙ながらに努力して来た方法もこれであ
った。
この方法が何故悪いか,私に理解出来る範囲で述べる。
1 先づ横隔膜の支え方に無理がある。
横隔膜を邪魔物のない胃袋の方に突き出した方が合理的であるという考え方も,横隔膜の前述のような 構造や機能や位置を知る事によって更によいささえ方がある事は明瞭になった。自然な吸気によって横 隔膜を緊張させ,前述のような保ち方をすべきである。
2 横隔膜に下向きの力を加えると喉頭部分のAnchoringの働きを阻害し,高い声が出なくなる。
3 胃袋に力を入れると声が固くなり,声の表情を失う。 (但し悪い出し方でも一部分,表現のため用 いる事はある)
以上述べた事は互に関連し合って次の様な欠点をも見る事ができる。即ちテノールがバリトンになっ たり,Sopranoの美しい声が得られなかったりする。叉訴えかけのない声になる。
発声指導上のsloganの所でも述べたように全身の筋肉が釣り合いよく働かないような出し方はよく ない。私の聞き違いでなければFischer−DieskauやRenata Tebaldiは腹筋による絞りあげ発声を 用いている。この方法はきく人に切々たる真情を訴えかける何物かがある。
この二者の判別は紙を借りて順序立てて述べれば誰もが成程と理解できるが,実際の指導に当って生 徒自身の声によってこの違いをのみこませる事は,長い時間を必要とする仕事である。
最後にFerdinandGrossmann教授の呼吸法を参考にのべ,私の用いている発声法と比較検討してみ
たい。
発声指導の権威であるGrossmann教授は次の様な絵を以て呼吸法を指導している。
① 1 良い
髪
∠塑一…想の根
②
悪い
拶
一…息の根
③キャ』キャ一声 最も悪い
一一ァの根
1図は声出しの原動力が下の方になくてはならない事を示しているのであろう。それによって共鳴の
場が多くなると云っているが,この考え方は方便であると恩はれる。何故なら共鳴腔は声帯から上にあ るからである。即ち声出しの原動力を腹筋の絞りあげによって起せ。という前述の論と同様である考え
る。
2図は,声出しの原動力が胸であってはならない。という事を示した図であろうと解釈する。即ち前 述の,腹筋の力を借りずに横隔膜そのものの働きをじかに使おうとする考え方はよくない・ということ に匹敵すると思う。
3図は。声を喉から出してはいけない,ということを示した図であり・これにキャーキャ一声と付せ られているが,これは共鳴の不足から来ている音色を示した言葉であろう。この場合の共鳴の考え方は 理論づける事が出来る。つまり喉頭の上った状態によって声帯から咽頭までの共鳴腔がなくなり,甲状 軟骨の突き出た骨が舌骨を圧迫して声の出道をふさぎ,声の進行があらぬ方向に進んだ状態を示してい るものであると解訳する。声の進行方向は身体と直角に真すぐ前方でなければならない。この進行をさ またげる状態は排除しなければならない。
以上撞く簡単に,呼吸法の概略だけをのべた。
むすび
発声の根本ともなる呼吸法の良し悪しが,良い声作りのための全身の筋肉の働きに密接な関係を持つ 事を述べたが,このような理想的な呼吸法が行われない時は,練習によって単に声を大きくし,上手そ うに聞える素人の発声法に過ぎぬものとなり,人の心を感動させる声は生れない。そのような単なる声 並べが芸術である筈がない。一声一声が人の胸に語りかけ,訴えかける声こそ,芸術として価値のある 声と云うことが出来よう。
私が学生の頃は,今私が学生に教えているような事は教えてもらう事が出来なかった。当時私達は正 しい発声のimageを求めてさまよい,多くの人々が自らの声を犠牲にしてまで求め悩んだ。私も向うみ ずな長時間の練習を重ねて声の出し方を探しあぐねているうちに音声障害になり,すっかり声が出なく なって了つた一人である。卒業後も満たされなかったものを求めて,恵まれぬ環境で間遠な1esgonをう けながら,(発声の1ess{mは毎日受けるのが理想的である。)多くの生徒を教えることによって一つ 一つを確かめて来た。ここに書いたものはその長い間の,迷いと希望の交錯する体験の操り返えしの中か
ら,漸うにして掴み得た確信である。十年前思い切って前の先生から現在師事している大熊先生に教えを 仰ぐことになって以来次第にはっきり分り出した。卓越せる演奏能力と音声知識の所有者である先生は
(Husler以前に先生があったかと思はれる程だが)私の声出しの一つ一つの状態を図解し,音声生理と の結びつきを説明するという方法を取られた。叉毎年行なはれる崔楽コンクールに於て,審査員である 先生と共に多くの立派な声(若い人の美しい声の良否判別は非常にむづかしい)をきき,様々な声につ いてのdis㎝ssionを重ねた。先生は私が責任ある立場にあることを強調し,多くの歌を通じて声楽家と は異った立場で発声指導者としての訓練を心掛けて下さった。私はこのような恩師大熊文子先生の影響 を最も多く受けている。
この他発声指導研究会に於ける勉強会での須永義雄教授の音声学の講義,内田るり子氏のGrossma丘 の発声法。図書としては森於兎氏のr解剖」,林義雄氏のr声と言葉の科学」,内藤好氏文のrドイツ 語音声学序説」、Frederick HuslerのSinging:Physical Nature of the V㏄a10rgan等を参考に
した.
A Study of the Teaching of Vocalizafion
Yα菖hiko Matsuda
The study of v㏄alization in JapIm started at the begipning of the Meiii era in thefield
欲singip99・n即at曲・・Llna㎞ut1932鋤d1933we・f・rthefirsttime・㎝estlyintrか duced,、thr・ughf・reigntea血ers,b・ththeItdianandthe悦manmethdげv㏄di澱一
tion.And this trend has continued until how・
R㏄ently,however,a few of those singers who visited japan5howed us the existence of wonderful vocalization,and a s㎜11n血ber of Japanese singers・teadbers and phoneti−
cians have been studying it since last year・ This,I thi且k・is the birth of the inter−na tional way of vocalization・
Some of thecauses of those errorsmade by the traditional v㏄alization may be ascribed to
thef。11。wingh飢面ca鵬:theveryimt㎜entisinvisible・㎞useitiswithinthe圃y・
and besides the body itself.is the instrument・But their greater causes are found・I think・
in the fact that the traditional teadlinghas been given through the medium of subl㏄tive con㏄ptions,and that it has had no connection南th a definite theory・
The correct dir㏄tion of vocalization i丑future is sure to be given by th{鵬teadbers of v㏄alization who have not only experience and the ability to discriminate sounds曲arply
butquiteag・・dkn・wle嬉e・fthephysi・1㎎icalnat肛e・fh㎜anv・ic㏄aswelL
Frederick Husler s賦id the sa皿e thing in his book Singing:The Physical Nature of the Vocal Organπpubli6hed in1965・
My thesis treats mainly Respiration from that standpoint ab㎝・e mentioned.The
outline is as follo鴨:
Respiration
1)The importance of expiration in respiration・its roles・and its relation to the functions of the vocal chords.
2)The functions of the diaphragm,its roles・and its relation to respiratioロ・
3)The continu2mce of expiration・and its treatments・
4)The functions of the a㏄essory muscle,its roles,and its relation to respiration.
Voi㏄sh㎝ld be produced by the㎞oni㎝s use of the whole muscles relating to vocalization. The voi㏄ thus produced alone apPeal to people, and can be said to have the artistic vaLlue.