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発声指導に関する一考察 (その2)

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発声指導に関する一考察

(その2)

松  田 芳  子

9 声楽に於ける新しい分野の担い手として期待  ⇔   される発声指導者の位置.

呼吸法は発声のすべてであるといい得る.

 発声に関するその1に於ては,発声を誤謬に導 いている原因などをあげ,それを正しく指導する ためには,音声生理と声との直接の結び付きを聞 き分けることの出来る,正しい意味の発声指導者 こそ必要であることを説いた.又そのような観点 に立って発声の中核である呼吸法についてのべた が,長年の苦労の末に到達したものであるにも拘 わらず,如何にも当り前であり,しかも極く短か い文章の表現でしがなかった.

 しかし,このような当然すぎる考え方をあえて なそうとせず,自らを今日のように混乱せる状態 に陥し入れた発声指導の過失は,この事に気付い たものの手で,一日も早く恢復されなければなら ないものであると考える.

 音声学者には音声学者としての目的があり,声 楽家には声楽家としての目的があるように,この 二者を結び付けて考え,理解し,体験を通して指 導することは,発声指導者として,前者とは全く 異った目的と使命とを担うものであるということ ができる.

 さて,この稿を起すに当って思うことは,この 種の理論を体得することなしに云々することは,

百害あって一利もないと考えるので,知識や理論 のみに走ることなく,かといって声楽家のみにし か通用しないような特殊な物の考え方(それはし ばしば迷信であり信仰であったりして,非科学的 なものも多い.)を排除し,誰にでも通用する考 え方によって行い,発声法を体得しようと試みた 過程に於て経験した,重要な問題について考察を 加えて行きたいと思う.

 その1に於て述べた呼吸法は発声の中核をなす ものであり,発声法のすべてをいいつくしたこと にもなる.

 即ち呼吸法を体得することによって,始めて胸 の固さも取れ,喉頭懸垂筋の働きが自由になり,

呼吸器と喉頭懸垂機構との機能的協調が生れる.

又,舌や舌骨上の,歌声には用いてはならない筋 肉の力も取れ,声帯の調節も自由になる.

 声区の分裂については今昔を問わず,声楽研究 者の前に横たわる難関であるが,これすら,正し い呼吸法の会得によってその融合を見ることが出 来る.又このことはアンザッツの問題と結び付い て,その自由な選択をほしいままにすることが出 来るのである.

 この意味に於て,呼吸法こそは発声のすべてで あるといっても過言ではあるまい.

㊧ 話し声と歌声との相違について.

 私達は話し声については元来誰に教わったわけ でもない.ただ生れてから!今日迄の習慣によっ て,各人各様の方法を用いているのであって,そ

こには方式というようなものはない.つまり話す 時の呼吸法は斯くあらねばならぬとか,どこの筋 肉をどう使うべきだとかいうような指導を受けた わけではない.多少の声の良し悪しはあっても,

それによって目的を達せられないということはな い.しかし話し声というものは,その人の人柄や 心ばえ,あるいは生いたちまでも,包みかくすこ となく相手に伝えるものではなかろうかとさえ思 われる.話し手が,如何に音吐朗々たる声の持主 であり,而も立派そうに言葉をつくろっても,そ

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の背後にある心の傲慢さや,みにくさ,うつくし さ等は,常に声を通して相手に伝わるもののよう である.

 このように偽わりを知らぬ声が,歌声として芸 術に用いられ,秘められた真情を表現する道具と して用いられることは・話し声と歌声とのある意 味での共通点として非常に興味深いことではなか ろうか. (ただし芸術に用いられる声は最も美し い声でなければならないが…………)

 言語学の上では,考えるということ話すという ことが同じことであり,一つの事柄であるように いわれている.それは・考えるということが話を するということの,第一義的な,本質的な部分で あると考えられているためである.

 しかし,声を出すという能力がすべて同じであ ると考えられていることは誤りである.声楽発声 の場合は話し声のように簡単なわけにはいかな

い.

 それは,話し声と声楽発声とは全く異った機構 によって発せられるからである.

 声楽発声に於ても,話し声をそのまま歌声に持 って行くべきだと言うような意見を持つ人がいな いわけではない.これは自然発声と言われている 方法と関連があるように思われるが,私達はこの 発声法を高く評価するわけには行かない.

 話し声をそのまま歌声として用いる事は,素人 の歌や,初歩の学生にみられる歌い方であって,

決して高等なものではない.この方法は声が上昇 するにつれて非常な困難を伴うものである.もし 話し声をそのまま歌声として用いている人がいる とすれば,余程強靱な声帯の持主であるか,悪い 訓練によって苦痛を感じなくなったゆがめられた 状態でもある.このようにして出された声の質は 決して上等なものではなく・むしろ低劣な声とい

う事が出来よう.

 話し声に用いられる筋肉は,前筋・後筋・甲状 舌骨筋である.又声楽発声では用いてはならない 舌骨上方の様々な筋肉もこれに参加する.正しい 訓練を重ねない者が歌う時,このような使い馴れ た筋肉をのみ用いて歌うということになる.つま

り,正しい意味の声楽発声をしていないと言うこ とである.

 呼吸法についていえば,話し声の呼吸法は胸廓 運動が主となり,声楽発声の呼吸に於て最重要と されている横隔膜や腹壁の運動は従になってい

る.

 声楽発声は,このような浅薄な機構ではとうて い行うことが出来ない.

 声楽的に美しい発声のためには,普段使い馴 れ,すぐにも参加する不要な筋肉の働きをコント

ロールする他,喉頭懸垂筋や背筋,腹筋,智筋な ど一挙に動員して,声を出すという一つの目的に 向って結集協調しなくてはならない.

 これ等の筋肉は普段用いられない筋肉なので,

衰退していて用いようと試みても神経支配が行き 届かず,用いることが出来ないのが普通である.

たまに天然歌手といわれ,生れ付きこれらの支配 の行き届くものがいるが,長い間にはその特性を 失い,普通にもどる事が多い.これによって常に 正しい訓練を積む事が如何に大切かが分る.

 筋肉の訓練が大切であるならば,常にたくまし い訓練を心掛けている体育の教師にとっては容易 であろうか.決してそうではない.

 喉頭の機能と呼吸法との結び付きが如何に容易 ならざるものか,単なる訓練のみでは簡単に結合 しないということは,経験者のみの知る深い悩み でもあるわけである.

四 音声障害と音痴

 前に述べたような話し言葉の状態は声楽の楽器 としては不完全な状態であり,魅力ある声を出す ことが出来ないばかりでなく,下手をすると音程 すら思うに任せないこともあり得る.

 この状態は広い意味での音声障害であるから,

声楽家でない一般の人は,すべて音声障害である と言うことが出来る.一般素人の音痴と呼ばれて いる,病的でないものの多くは,このための音痴 である.この状態を例えて言えば,長わづらいの 病人が久し振りに立って歩こうとしても,筋肉の おとろえのために歩くことが出来ないのと同様で ある.訓練さえすれば歩けるのであるから,この ような音痴や音声障害は発声指導者の適切な指導 によって直すことの出来るものである.

 この意味ではすべての人々は歌手の能力がある と言う事が出来よう.

 この治療に当たって発声指導者は,個々人の声 によって筋肉の働き具合を察知し,衰頽した筋肉

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を働かせるための声出しをさせるという・はっき りした手法を以て当たらねばならない・

 声をきくことによって筋肉をきき分ける難事 は,正しい意味の発声指導者たらんと心掛ける者 にとって,重要な研究課題であるといわねばなら ない.       

㊨ リラックス発声につも)て.

 声楽発声に於ては,r喉頭の懸垂機構と呼吸法 との,あるさだめられ#結合が必要であり,更に 背筋・腹筋・啓筋の充実した協力が必要である」

と云うことは何度か強調した.このゆるぎない事 実は,ひと頃世界を風靡し,我が国も今尚傾倒し ているrリラックス発声」なるものを考え直すた めの重要な鍵となるものである.

 脱力するというのは,発声に直接間接に関係の ない部分の脱力を指すので,全身の脱力を意味す るものではない.必要欠くべからざる機構すら脱 力させ,支えのない弱声発声を行っているはき違 えた頭声発声は,小学校に於ける発声に於てしば しば見受けられるものである.しかのみならずこ の方法が専門家の発声指導に於ても行われている のを,芸大大学院の学生の歌唱等に於てもしばし ば見ることが出来るのである.この事実はrリラ ックス」のはきちがいが一般的な傾向であること を物語るものである.

 この反対に,当然リラックスすべき部分までも 緊張して声を出すこともまた適当な方法ではな い.例えば重い荷物を持ちあげるのに,口や眉に

まで力を入れて,口を曲げたり・まゆを釣り上げ たりするのと似ていて,あごの下がふるえたり・

首筋に青筋を立てたり胸や肩がコチコチになった り,次第に肩が前に出て来たりする状態はよく見 受けられることであるが,これ等は悪い状態とい

える,

 しかしここで注意しなければならないのは,よ く声の出る人というものは,どんな事をしても声 が出るということである.指導者はよく良否を見 極め(聞き極め)正しい方向を示指することが出 来なければならない.

㈹ 共鳴について.

 発声指導に於て共鳴の占める位置は大きい・教 師によっては呼吸法をないがしろにして共鳴に重 点を置いて教えている人も少なくない.しかし共 鳴もまた,呼吸法の正しい運行を忘れて正しい共 鳴はあり得ないのである.このことについては次 のような事によって理由付けがなされると思う・

 何等かの理由で,私達に何等かの感情が起った 場合,例えばその笑いとか慟哭とかは,先ず腹筋 を刺激し,続いて横隔膜を刺激してそれが喉頭に 伝わり.笑いになり慟哭になると考えられる・こ のことは,腹筋や横隔膜の働きが直ちに喉頭に影 響することを物語るものではなかろうか.この順 序を改めて見直おしたい.

 昨年から今年にかけて三回ばかり,咳の場面を 透視した録画を見て,咳が声帯に作用する有様を 非常にはっきり見る事が出来て面白かった.声も またあのようなのではあるまいか・勿論息の運び が違うから,声帯や喉頭懸垂機構の動きも全く違 うと考えられるが,結局は同様な原理であると考 えられる.つまり咳の場合と同様,自然な刺激に よって発声されなければならないのではあるまい か.したがって発声に於ても先ず心の感動が起き なければならない.そしてそれが歌おうとする心 まで発展する.例えば作りものであっても,その 心を呼び起さなければならない.そうすることに よって自然な刺激を腹筋や横隔膜にあたえること が必要だ.それに反応して喉頭懸垂筋がanchor されなければならない.もしこのような方法でな く,直接喉や顔面などで声作りをしょうとして も,決して満足する声を得ることは出来ない.前 者のやり方でこそ心の喜びも悲しみも表現し得る のであって,表面的な声出しによっては,優れた 表現は不可能であるという事が出来ると思う.

 又よくある事だが,舌が口腔を半分にしてしま ったり,すっかり声の道をふさいでしまい・その 結果声がだんごになったり,大きい声も小さくな ったり,しかも息もれを思わせる声が出たりす る.訓練の途上に於いて誰しもが経験する邪魔な 舌の始末を,ある人はスプーンで,ある人は割 箸で押えて,正しい位置に習慣付けようと努力す  る.ひどい教師になるとおかまいなしにだんご声

や,せまいキャーキャ一声を出させておく・処置

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の困難さにさじを投げ「どうしょうもない」とあ きらめてしまうためであろう.この舌も呼吸法と 関係があ弘加えて喉頭の懸垂とも深い関聯があ ることを知らねばならない.従ってこの舌はスプ ーンや割箸では矯正することが出来ないものであ り,正しい呼吸法と正しい喉頭のanchorによ ってのみ矯正が可能である.

 声出しと共鳴とは普通混同して考えられてい る.即ち,ある教師は声を頭頂から出すように教 え.ある教師は目と目の間から出せと教える.或 いは背中から出すよう教えるものもいる.このよ うな表現は声楽をしていない人にとっては恐らく 何の事かと不思議に思う事であろう,しかし教え ている当人,教わっている学生にとっては重大問 題であるので,朝に夕に声を背中から出し,目の 間から出しているかに感じているうち,客観的に 見て次第におかしいことをいうようになる.人か らは芸術家扱いにされ自分でもこのへんから曖昧 模糊としてくる.又声を額の空洞にひびかせる とか,固い歯にぶっつけるとか,硬口蓋にあてる とかいう考え方は,声楽家にとっては当り前な考 え方であるが決して理論的根拠のあるものでは ない.そしてこの何れもが.かおの中にある何か に声を当てれば共鳴が得られると,いう考え方で

ある.

 ピアノには共鳴板があり,この板の張り具合で 音が良くも悪くもなる.つまりハンマーが絃を叩 くことによって発声した音は,共鳴板によって良 い響きを作るということになる.

 声楽に於てもまた,呼気によって声帯を振動さ せ,発生した声が,そのような共鳴板に当たって 共鳴を得ると考えてよいのだろうか…….否.決 してそうではない.声楽家ならば理屈はともあ れ,美しい声を出して歌う事が目的なのだから,

その考えで声出しをしても差し支えないが,いや しくも発声指導者である場合は,この考え方の誤 りをあらためなくてはならない.

 発声体が喉の奥にあるのに,遠く離れた額の穴 や,胸に共鳴するはずはない.

 音声学者が共鳴と呼んでいる物理的な説明を借 りれば,声楽に於ける共鴨は共鳴板による共鳴で はなく,共鳴腔による共鳴であるということであ る・すなわち発声体である声帯の位置から上の,

声の通る道である咽頭,喉頭,口腔がそれであ

る.

 この三つの空間をつなぐと丁度ラッパのような 形になるのは面白い.

 声はこれ以外の道を持たない.わづかに鼻の方 に行く道があるが,鼻の共鳴腔は口腔にくらべれ ばごくせまいひだにすぎない.

 このような物理的な考え方をすることによって 共鳴の考え方を正しい方向に導くのに役立つ.即 ち声の道をはきちがえて,声を鼻に導き,行きつ

.まった鼻声を共鳴と考えたり,圧縮し圧迫した結 果生れる声を共鳴とはきちがえたりするのは,何 かに当って共鳴を得るという誤った概念が生みだ す共鳴のはきちがえである.

 このラッパの形をした共鳴腔は更に大きく広げ ることが出来る.即ち甲状軟骨を低い位置に設置 し,軟口蓋を更に高く上げたりする事によってな される.よくいわれる口を大きくあけなければな らないというのはこのことを指すので,口の先だ けがあいて,中が小さくなるようなやり方はよく ない.(先をあけたために奥が閉まる例は多い)

カルソーの!喉仏は胸骨に入ってしまったといわ れ,甲状軟骨の下方位置は良い声の条件とされて

来た.

 しかしこのような条件が全とうされても尚且つ 共鳴が得られない場合がある.

 それは共鳴というものがこの共鳴腔のみによっ て作られるものではないという事である.すなわ ち「声は共鳴腔によってのみ共鳴するのではな い」ということを確認しなければならない.私が この事を知ったのはごく最近であり,それをr大 変な事だ!」と感じて受けとめたのは更に最近で

あり,これと取り組んだのは,極く最近である.

 それは,何ヵ月か前の研究会でスフラーの弟子 であったK氏が独り言の様な調子でrフスラ一先

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生は共鳴は声帯そのもので作ると仰言った」とい われたことである.最初これがそれ程重大な意味 を持つものだと気付かなかった.だが次第にこの 言葉が大きくふくれ上り,どうにも持ちこたえら れないまでになった.スフラーの本を読めないな がらも字引片手に訳していた所,夏の研究会で須 永先生が明快な訳をもって説明をなされたのであ る.私はこれを私なりに受けとめ,練習の過程に 於て理解できる範囲で述べてみたい.

 共鳴は声帯そのもので作られるということは,

声帯の筋肉の一つ一つの働きが様々な声のひびき を作り出すということであると思われる.音色の ことではない.音色はいわゆる共鳴腔に於て作ら れるのであるから.

 このことは共鳴に対する考え方を根抵からゆる がせる重大な意味を持つものであると考えられ

る.

 しかしこれは従来の考え方からすれば非常に飛 躍的であり誤解をまねきやすいことばであり,理 解しがたいこ ニのように思われる。特に何の苦労

もなく声の出る人には分りにくいにちがいない。

私はこの事実を何人かの声楽家によってたしかめ た.しかし私のように自分の声出しに苦労し,ま た比較的あるいは非常に声のない生徒を扱うこと の多い立場にあって長年二を苦しんでいるものに は,はたと思いあたるたしかなものがある.

し,収縮する.又えんぺん筋,あるいは内筋の 部分的な振動あり,叉すべてが振動する場合もあ

る.

 この働きは非常にデリケートであり又傷つき易 い性質を持っているので,長時間の訓練はさけな ければならない.

       ヒ

 次の図は声帯が甲状軟骨の裏側から披裂軟骨に 向て走っていることを示した図である.甲状軟骨 の左側を切り取ってある.

やち

健     1

c

      存

..人

λ

 下の図は声帯の筋肉がタオルをしほったような 形になっていることを現わした図である.

 それでは声帯とはどのようなものであるかを簡 単に知っておきたい.

 声帯は唇のように一対の筋肉で出来ており,前 方は甲状軟骨の裏に二つくっついて付着し,後 方は左右の披裂軟骨に一つづつそれぞれ付着して      ヒいて,披裂軟骨の運動によって開いたり閉じたり する.披裂軟骨はまた,多くの筋肉や軟骨の支配 をうける.

 声帯が2傭足らずの筋肉の集合体であることは その1に於て述べた、呼気による声帯の振動によ って発声することも既に知られていることであ る.しかし次のようなことはフスラーによって始 めて明らかにされたものである。

 声帯の筋肉は丁度タオルをしぼったよう形に交 叉して複雑な走り方をしている.そして声によっ て微妙に変化する.即ち緊張し,弛緩し,伸展

 下の図は.声帯を上から見た筋肉の走り方を示

した図.

§

!遭

声帯は発声時には閉じ,呼吸時には開いている

(6)

といわれるが,発声時に於て肉眼では閉じている ように見える声帯も,実は目にみえない速さで互 に接触しては離れる運動を繰り返している.声帯 のまわりは薄い粘膜でおおわれ,それは恰も軟体 動物のようにうごめき,這い廻り,まつわる感じ で,ふれ合っては離れる.発声の最初に於て先ず この粘膜が少しづつ動き出し,次第に活溌になっ て来る.一見すると粘膜の接触によって発声され るのではないかと思われる程である.そのためで あろうか声は声帯によって発声されるのではな

く,粘膜によって発声されるという説もある.し かしそうではなく,やはり声帯筋によって発声さ れる,という事は次のようなことによって明らか

である.

 声帯が互に接触する面に縁辺筋があり,内部に は内筋がある.頭声は全く内筋は働らかず,いわ ゆる地声は内筋のみの働きによって作られる.

 これらの声帯筋肉の運動は,声帯をanchorす る数多い筋肉や軟骨によって支えられている.つ まり声帯の機能を発揮させるための足場として枠 組が組織されていると考えてよいと思う.

 次に声帯の働きをささえる枠組についてのべ

る.

       ヒ

 下図は声帯,披裂軟骨,輪状軟骨,甲状軟骨の 関係を示した図である.前筋が働らくと.,甲状軟         ヒ

骨が前に傾むき,披裂軟骨輪状軟骨は点線のよう に働いて他動的に声帯に引きのばされる.

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 この他後筋や側筋などがあって,声帯を開いた り閉じたり,引き伸したりする役目をしている.

       ヒ次の図は多く息を吸った時の声帯の状態と披裂

軟骨の働き方を示した図である.これは後筋であ る拡大筋の働きによるもので,がに股のような具 合である.

 次に示す図は声帯を閉じた所.閉鎖筋である側 筋が働いている.しかし側筋のみによる閉鎖は完 全でなく図のように声帯の中央に間隙が出来,息 もれする.披裂軟骨の働きは矢印の様に働き,披 裂軟骨の間に三角のすきまが出来る.

 次の図は横筋が働いて完全に声帯が閉鎖した所 である.披裂軟骨の三角のすきまがなくなる.

 披裂軟骨,後筋及び横筋が動員して矢印の方向 に働き,声帯縁辺筋が緊張し,交叉した,内筋が 矢印の方向に働いて,ピッタリと声帯を閉じた図

である.

(7)

 次の図は,横,筋側節,後筋の働く方向を示し た図である.

側節 後筋 横筋

 この他に普段は用いないが,声楽発声時に於て は是非必要とする筋肉があり1これは間接的に声 帯と結び付いてその働きを助ける.

(1)甲状舌骨筋.

 甲状軟骨と舌骨とを結ぶ筋肉.これが働くと甲 状軟骨が上る.又この前筋を用いたファルセット は,子供にも男声にも是非必要なファルセットで あり,支えのあるファルセットとして声楽発声に 用いられる.又この筋肉の働かないファルセット は支えのないファルセットであり声楽発声には用

いない.

(2)後引上げ筋.

 これは甲状軟骨の後上のつのを上に引っ張る役 目をする.これはよくいわれるあくびの状態とし て指導されるものだが,中途半端な引っ張り方で は駄目で,あくびもクライマックスの状態でなけ ればならない.これは高い声を出す時に用いられ る.具体的には4のアンザッツ6のアンザッツの 時に用いる.

(3)前引き下げ筋(胸骨甲状筋) ・

 この筋肉は甲状軟骨と胸骨とを結ぶ筋肉でこの 筋肉を用いることによって甲状軟骨を下げる事が できる.頭声をだす時後引上げ筋と相呼応して用

いる.

         ゼ.

(4)後筋.

 喉を更に後に拡げたい時に用いられるが,実際 には背骨に邪魔されて,下におろす形になる.

(5)舌骨肩甲骨筋.

(舌骨と肩甲骨を結ぶ筋肉)これは甲状胸骨筋と 同様にデプレッサーする筋肉で,その力を更に強 める時に用いる. (6のアンザッツに用いる)

 以上のべた種々の筋肉が一度に動員され有効に 使われた時,デッケンされた声が生れる.以上の 軟骨及筋肉は声帯の足場枠組であって,これ等は 声出しの瞬間に腹筋や留筋と共に用意され,楽器 としての構成がすみやかになされなければならな

い.

 さてこれ等の足場枠組と実際の声出しとはどの ような関係にあるのであろうか.出された声から これら足場枠組の働きを判定しなければならない ので,このことについて考えてみたい.

 これから用いるr声が当る」と言う言葉は前に 述べたように理論的には誤りであるが,従来声の 指導に当たって用いられて来た言葉であり,親し み易く分り易いので,この言葉を用いる.実際に

(8)

は決して声が当たるというようなものではない.

フィクションとして用いるので了解を得たい.

 下図はフスラー先生の六つのアンザッツを示し た絵であり,発声指導上重要な手揚りとなるもの である.一見して,現在まで行われていたものと 同様であると思ってはならない.現在まで私達が 持っていたものはこの中のどれかであり,総合的 なものでは;なく,そのためにむしろマイナスな 面,建設的より破壊的な効果をあげて来た.フス ラーのいうそれはそれではない.安直に考えて失 敗してはならない.

 次に6つのアンザッツによる声の特徴及び足場 枠組の働き,声帯の状態などについてのべる.

3

2 5

  ノ 一

9

(1)のアンザッツは上下の歯の先に当てる.

 この声の音色は俗にいう白い声で,ペチャンコ で厚みのない声で素人の歌に多い.口の中はせま く軟口蓋が上り,鼻腔は後方で遮られる.のども せまい.甲状胸骨筋,胸骨舌骨筋口蓋喉頭筋が働 いていない.声は前に出る.フラメンコ等の発声 にみられる.声が奥に引っ込んでいる時矯正する ため用いるとよい.

(2)のアンザッツ.

 胸骨の上端に声を当てる.

 音色としては明るく生き生きとしていて平たく ない音色を持つ.この声は声門閉鎖の基本的な形

である.甲状胸骨筋によってデ甲状軟骨をデプレ ッサーするのがその特徴であって,このことによ って喉仏が下に下がり,喉頭の上方への強直固定 するのを防ぐ.声帯の閉りの悪いのを矯正するの に一時用いるとよい.

(3A)のアンザッツ.

 これは声を鼻の付根にあてる.俗にrマスクの 中に歌う」といわれる声である.

 音色としては充実した感じの声が出る.この声 は声帯が全幅振動して出される.注意しなければ ならない.いくつかの危険を孚む方法である.呼 吸法を誤ると,品のない鼻にかかった狭い感じの 声になり,やり過ぎるとのどがせまくなって,胸 っぽい感じの声や,過度に金属的な声になる.つ まり筋肉が過度に強調され,伸展筋の働きが除外 され,懸垂機構が崩壊してしまう.その結果最高 音域が不能になる.この例は実際に何度となくみ て来た. (私の学校では校外の先生に師事するこ とを許しているので,よい参考資料になる)

3Bのアンザッツ.

 声を上顎・硬口蓋にあてる.イタリア流のmezza voceの音色.声帯縁辺筋の働きが著しく声門は 完全に閉鎖され,声帯の縁だけの限られた部分だ けの振動が可能になる.この機能は発声指導の出 発点の一つとして重要である.

 3B,3Aのアンザッツは,声帯筋の最高限度 の自発的活動性をあたえるためのアンザッツとし て重要であり,この練習によって声帯の自発的振 動への道を開くことが出きる.(注,自発的振動と は,息によって振動するという感じでなく,息が 当たらなくとも振動(発声)するという感じ.)

 4のア.ンザッツ.

 軟口蓋の上方,頭頂部にあてる感じ.

 音色は純粋の頭声であり,デッケンされた声.

ふくらみはあるが芯のない声.低音域ではやや気 息的な性質をおびる.

 この声は後方引上げ筋と前下方引下げ筋の対応 的協力で喉頭をピント張って低く保つ.このこと は声帯の伸展を助けて強くし,喉頭の上の空間を 広くする.前引き上げ筋は働らかない.声帯の内 筋は全く働らかない.声帯の間の裂隙は全長にわ たって残在する.鼻腔との交通もある.この声は 2のアンザッツと対照的で,声門閉鎖の働きは弱 まる.2にくらべるとはるかにむずかしいテクニ

ックである.

(9)

 シュヴァルツコッフなどにその完全な姿を見る ことができる.

 5のアンザッツ.

 この声は前頭部にあてる感じで発声されて生れ た声のひびきである.よく前頭部空洞に共鳴させ ると指導されているが理論的に誤りである.

 音色は支えのあるファルセットで,純粋な頭声 にくらべるとふくらみはないが芯があり,開いた 印象をあたえる.

 この声は,声帯内筋は全く関与しないか,極く わづかしか関与しない.声帯は伸展状態にある.

上方引上筋が積極的に参加して,喉頭はいく分高 くなる.喉頭引き下げ筋は殆ど関与しないで,声 帯の伸展は専ら前筋だけで行なう.声門は閉じる が,中央部に楕円形の小裂隙を残す.

通り,量は豊かで高音域は自由になり且つ無限と なる.但しこればかりやり過ぎると声帯内筋の脱 落したのど声となるので注意しなければならな

い.

 以上のべた6つのアンザッツは交互に片寄るこ となく練習しなければならない.それによって全 筋肉の活力と神経支配を健全に保つものであるか

ら,どれか一つが絶対であるというものはない.

あるアンザッツだけ片寄って練習することは,弱 声のみで練習することが悪いように,声の破滅へ の近道となるので,はっきり記憶しておきたい.

 6のアンザッツ.

 うなじに当てる感じ出す.

 後下方引下筋の働きで,喉頭は食道上端に繋留 される.前下方引下筋も間接筋の働きが加わって 補強され,後上方引上筋もそれに対応して強力に 働く.声帯の伸展は最大限に達して最も強く張ら れ,のどの開きも最も広くなる.声帯は全幅振動 が可能になり,強声でも,声門は全長に亘って少 し裂隙を持つ.声は充実した頭声で美しく,よく

 参考書Singing;The physical nature of the v{x組organ

 発声指導研究会に於ける須永義雄氏訳による同 書の講義.

 久留米大学の実験による映写..

 大熊文子氏に長年師事研究したもの,及び教え ることによって得たもの.

 以上総合し,試みた上で納得の出来る範囲で文 章にまとめたものである.

A study of the Teaching of V㏄alization(No.2)

       Yoshiko Matsuda

1.The position of the voice且ainers who are expected to suppo丘the new fie1(i of v㏄al  mUSIC.

2.Resph識tion t㏄hniqueαm be said as ever】匹hing in v㏄a1㎞tion.

3.The d廷ference between the ordinary voice in talking and the voice for singing.

4.Impediments in voice and tone deafness.

5.On resonance.

Referensi

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