意味役割名と意味型名の区別による新しい概念分類の可能性
意味役割の一般理論はシソーラスを救う ?
Toward A New Classification of (Word) Concepts by Distinguishing Role Names from Object Names
A General Theory of Semantic Roles Saves Thesauri?
黒田 航 (Kow KURODA) 井佐原 均 (Hitoshi ISAHARA)
(独)情報通信研究機構 けいはんな情報通信融合研究センター NICT, Japan
2007/06/29改訂
概要
現行の多くの概念分類体系には不備がある.その一つが意味型の概念と意味役割の概念の区別の不在であ る.意味型は自然類をコードするが,意味役割はそうではない.意味役割は典型的には(利用者にとっての) 機能類をコードする.非自然類が疑似的に自然類として分類されると,分類に欠損や歪みが生じる.例えば日 本語語彙大系では「番犬」と「番人」の共通性[番をする者]が表現されていない.この種の表現力の不足を 補うための枠組みを,私たちは意味役割の一般理論の観点から素描する.
This paper outlines a new way of classifying (word) concepts based on “semantic roles” distinguished from
“semantic types.” While most thesauri are forced to sort out (word) concepts in terms of semantic types, trying to imitate natural classification of natural entities, they suffer from it in some noticeable ways. The classification scheme we propose is motivated from two observations: first, “type hierarchies” are virtually useless to capture
“conceptual dependencies” among a set of (word) concepts, say between PREDATOR and PREY, defined relative to a situation of PREDATION; and second, such dependency relationships can be effectively described by prop- erly characterizing (word) concepts as semantic roles, i.e., “integral parts” of a certain “semantic frame” (e.g., PREDATION) that serves as a schema for an (idealized) situation. Adopting this would add another classificatory dimension applicable to many definitions for (word) concepts in a thesaurus, and gives it more expressive power, we suggest.
Keyword:意味フレーム分析,意味役割と意味型の区別,概念化のパターン,シソーラス, conceptualization
patterns, distinction of semantic roles from semantic types, semantic frame analysis of concepts, thesaurus
1 はじめに
1)日本語語彙大系[19] (以下「語彙大系」)は次の
引用[19, p. 11]に示すように,意味素,意味素性,
1)こ の 論 文 は 第168回 自 然 言 語 処 理 学 会 で 発 表 予 定 の 同 名 の 論 文 の 増 補 改 訂 版 で あ る .そ れ と 同 時 に ,こ の 論 文 は「 意 味 フ レ ー ム の 理 論 は 意 味 役 割 の 理 論 で ある」(http://clsl.hi.h.kyoto-u.ac.jp/˜kkuroda/papers/theory- of-semantic-roles.pdf)という題で公開されていたオンライ ン論文の増補改訂版でもある.この論文の執筆,完成の ために李 在鎬(NICT)に一部のデータ加工を手伝っても らった.また,中本敬子(京都大学教育学研究科),野澤 元
(NICT)との議論も参考になった.この場を借りて彼らに
深く感謝したい.
意味標識を越えた概念の体系的記述を目指したもの だった(太字は筆者による強調):
(1) 従来,単語の意味を扱う方法として「意味素(semantic primitives)」,「意味素性(semantic feature)」,「意味標 識(semantic marker)」などの考えがある.「意味素」
や「意味素性」は「語義の概念はいくつかの要素に分 けられる」と考えるのに対して,「意味標識」は「単 語語義の表す概念は一定のまとまった対象である」
と考える点で立場は異なるが,どちらも言語処理の 規則の中に語彙レベルで意味的な制約条件を持ち込 もうとしたものである.[. . . ]ここでは,単語の意味 をその用法の違いによって識別することを考える.
概念化の過程と概念を単語に対応させる方法は,
対象とする実体の見方,捉え方に大きく依存し,同 一の対象でも見方,捉え方によって使用される単語 に違いが生じる.たとえば,妻が夫を表現するとき,
夫婦という関係で見れば「夫」と言い,家という関係 で見れば「主人」,恋人という関係で見れば「彼」,一 人の人間と見れば「山田太郎」などと言う.また逆 に,一つの単語を一つの語義で使ったとしても,その 表す概念はさまざまである.たとえば,単語「学校」
は「教育を受けるところ」という語義を持つが,現実 の表現で使われたときの用法はさまざまであり,「学 校」のどんな側面が取り上げられるかは場合によっ て異なる.「特定の場所」を示したり,「機関」や「組 織」と しての側面が取り上げられたりする.
このように話者が自分の認識に対応させて取り上 げた対象概念の持つさまざまな側面は,言い換えれ ば,対象の見方,捉え方であり,それに対応して使 用された単語から見れば,その単語の「意味的用法」
と言うことができる.[. . . ]
そこで,概念化された対象と単語との対応関係を,
対象の見方,捉え方に着目して分類する基準として,
「単語意味属性」を考える.「単語意味属性」は,対 象を概念化して取り上げる際,その対象のどのよう な側面を取り上げるかといった視点を示す.単語側 から見れば,その単語は意味的にどんな使われ方を するかという単語の「意味的用法」を整理し,体系 化したものが「単語意味属性」である.したがって,
単語がその語義を超えたさまざまな派生的な用法を 持つことを考えれば,単語は通常の辞書で定義され た語義の範囲を超える「単語意味属性」を持つこと になる.[19, p. 11]
ここで規定されている意味記述の姿勢は近年の認
知言語学[8, 9, 31]に通じるが,主導者である池原
[22]が自覚していたように,当時は異端的で,次の ような正当化を要した.
(2) なお,以上の議論では,言語の部分的表現の意味は 全体の表現の中で決まるのと同様,単語の語義につ いても部分には分けられないあるまとまった概念を 表すものと考えている.すなわち,語義で表される 概念は,認識の単位として一定のまとまりを持った 総体であり,意味素や意味素性のようには分解され ないとした.[. . . ]ある単語の語義で特定の概念が表 現されたとき,その語義の持つ概念のどの側面が取 り上げられたかは,その語の用法によって決まる.
逆に,語の用法が分かれば,その語がどの語義で使 用されたかも判断できる.[19, p. 12]
この立場の理論的な下地として,語彙大系は三浦つ とむの言語と認識の理論[17]に依拠している.
語彙大系の採った意味記述のアプローチは,私た ちが今日的な眼で見ても適切なものであり,今で
も妥当性を失っていないと思われる.ただ,その“
「意味的用法」を基準に「単語意味属性」を体系的 に記述する”という理念が十分に実践されていたか どうかとなると疑問が残る.それは意味的用法の認 識論的基盤,つまり意味的用法が何を特定している のかが十分に明確化されていないからである2).
一つ例を挙げて問題点を指摘しよう.仮に語彙大 系が語彙に反映されている概念化をうまく記述した ものであるならば,例えば「番犬」と「番人」に共 通するh何かの番をするものi ≈ h何かの見張りを するものiという役割概念が捉えられているべきで ある.ところが,以下の語彙大系の「番犬」「番人」
「番」の定義を見る限り,このような特徴は捉えら れていない:3)
(3) [/1名詞 /1000 抽象 /1235事 /1236 人間活動 /1237精神/1462見聞・読み書き/1464見/1476 見張り[名(転生)]/]監視 看視 警戒 自警 哨戒 立 ち番 立番 張り込み 張込み 張り番 張番番ピケ ピケット ピケットライン ピケライン 火の番 見 返店番見張 見張り瞠り 見守り モニタリング 物見 夜警 夜番 留守居 留守番 牢番 ワッチ//∼ 番
(4) [/1名詞/2具体/3主体/4人/223人h職業・地 位・役割i/224職業/ 298人(保安職) /302番人/]
衛視 衛兵 大番 隠亡 隠坊 御亡 ガードマン 看守 警手 警ら 警邏 下足番 玄関子 玄関番 護衛 獄卒 獄吏 防人 島守 守衛 関守 立ち番 立番 直衝 局門 番 典獄 燈台守 堂守 墓守 花守 張り番 張番 番太 番太郎番人ビーフイーター 不寝番 船守 棒振り ボディーガード 衞り見張 見張り瞠り 見回り 宮守 森番 門衛 門番 夜警山番 山守 夜番 夜回り 牢役人//∼守
(5) [/1名詞/2具体/533具体物/534生物/535動物 /536動物(個体) /537獣/]愛犬 愛馬. . . [. . . ]の ら犬 野良犬 のら猫 ノラ猫 野良猫. . . [. . . ]番犬 パンダ 輓馬 ビースト. . . //∼牛(うし)∼猿∼牛 (ぎゅう)∼熊∼犬∼鹿∼虎∼猫∼馬∼駒∼豚 欲を言うならば,(6)にあるようなことが「番(を する)」「見張り(をする)」の意味属性に記述されて
2)意味的用法の記述対象が認識のパターンであるというの は,定義を繰り返すだけの循環論である.どんな認識のパ ターンが,どれぐらいあるのかが独立に判っていなけれ ば,その定義の正しさは評価できない.
3)原則として,語彙大系からの引用はすべて抜粋である.
いて欲しいが,[N1がN2の番をする]の意味は用 言意味属性体系に記述されていない.
(6) hxが(xかzのために)yの{番;見張り}をす るiのは,
a. yが(xあるいはxの主人であるzにとっ て)何らかの意味でh価値のあるものiで,
b. h泥棒iによるh盗難iや,h敵iによって意 図的に,あるいはh部外者iによって非意 図的にyに加えられるh損傷iをh防止i, ないしはh予防するiためである
「番犬」の概念化が明示されていないことを理由 に語彙大系の不備を責めるのは,開発の労力を考え ると明らかに公平さに欠けるものである.その種の 批判は私たちの意図することではない.私たちが問 題にしたいのは,{番犬,番人}という意味クラスの 不在は些細な例外かどうかである.私たちが懸念す るのは,この種の概念化の明示化が体系的に欠けて いる可能性があるということである.
もちろん,この種の概念化の明示化の意識が語彙 大系に欠落していたわけではない.適切な扱いを受 けているものも幾つかある.代表例は,食用になる 動物類の分類である.例えば「ひらめ」は[/1名詞 /2具体/533具体物/534生物/535動物 /542魚介 /543魚]と[/1名詞/2具体/533具体物/706無生物 /760人工物/838食料/839食品/魚介類]の両方に 現われている.
ただ,適切な扱いを受けている例は場所名(「学 校」「会社」)や 動物名(「ひらめ」「鶏」)に限定され,
全体としては例外的であるという印象を受ける.更 に「ひらめ」の場合でもh食品i(≈h食材i)である ことが何であるかは明示されていない.実際,語彙 大系では個々の語彙/概念がどの概念化に帰属する かは,一般的には示されていない.これは概念化の パターンを捉えるという本来の目標を考えると中途 半端であるという評価を与えるのは避けがたい.
以上のことを考えると,次のように結論できると 私たちは考える: 語彙大系は,(1)の引用のように,
概念化を反映するような概念/語彙の体系分類を試 みたが,結果は十分ではなかった.
これはもちろん,次の引用[19, pp. 11–12]にある ように,自覚されていたことではある:
(7) なお,個々の意味属性を表す言葉については,それ を正確に表現する言葉の選択は困難であり,文章に よって定義するのが適切と考えられるが,ここでは 利用の簡便さを考えてなるべく名詞を使うなど,単
純な言葉で表現することとした.
だが,私たちは,意味的用法の明示化の困難が(7) で示唆されているように技術的なものだったとい うよりは理論的なものだったと考える.それは,意 味的用法の基盤にあり,それらを決定している概念 化のパターンの本質がどういうものであるか,十分 に明示化されていないからである.実際,この根幹 的な部分は,三浦の言語と認識の理論に委ねられて いる.
これは不十分だと私たちは考え,語彙大系が三浦 の理論に委ねた問題を意味フレームの理論[3, 28, 26]の応用としての意味役割の一般理論の観点から 検討し,修正案を提示する4).
以下,このような見地から概念の分類体系の見直 しを試みるが,体系の全体に見直しが及ぶわけでは ない.見直しが及ぶのは名詞類,特に主に「具体物」
と呼ばれる意味クラスである.ただ,一部の形容動 詞類には影響があるだろう.
なお,本研究は少なからず理論先行であり,実証 的な議論はまだ十分ではない.部分的な調査結果
は§3.2.1で報告するが,理論の実証のために必要な
データは追加してゆく予定である.
2 意味役割という説明概念の説明
2.1 意味役割と意味型の区別
2.1.1 「番犬」と「柴犬」に反映される概念化の
違い
「番犬」と「柴犬」の違いは何か?「番犬」は「番」
をする犬のこと,「柴犬」は犬種のことで,どちら も犬の一種だ—これは間違いではない.実際,こ れは最初で見たように語彙大系 [19]の概念分類 のための基準であり,EDR [29], IPAL [23, 21, 6],
WordNet [1]のようなシソーラスで想定されている
概念体系分類の基準である.だが,この分類の基準 はどれぐらい整合的か?
この分類は,今から定義する意味役割(semantic roles)と意味型(semantic types)を区別しておらず,
結果的に少なからず混乱している5).
4)オントロジー研究で行われている「ロール概念」の定式化
の試み[34, 18, 10]は,多くの点で私たちの取り組みと共
通している.
5)形式オントロジーの一派[5]では(discriminating) predi- catesをcategorial predicates (e.g.,event, physical object) とsub-categorialに分け,sub-categorial predicatesをsor- tal predicatesとnon-sortal predicatesに分け,sortal pred- icatesをsubstantial predicates (e.g.,apple, color, person)
番犬 柴犬 犬
番人 番{人,犬}
人
日本人 ペット
*番猫
猫 日本猫
料理人
遊び人 人以外
の動物
料理{人,*犬}
*料理犬
動物
警察犬 盲導犬
介護{人,犬}
介護人
??
弁護人
図1 分類ラティス(部分): *αは概念α の非在を表わす.実線は下位カテゴリー 化が可能であること,破線は可能でないこ とを表わす
どう混乱しているかは,図1 を見ればすぐにわ かる.「番犬」と「柴犬」の違いは,単に「犬」の
種類(kinds)の違いではなく,むしろ意味役割と意
味型との違いである.「柴犬」は自然分類(natural
taxnonomy)の基準で分類可能な意味型名であるが,
「番犬」は自然分類の基準では分類不可能な意味役 割名である.後者は特定の利用者から見た機能/用 途分類(functional(ity)/utility taxonomy)である.
2.1.2 意味役割分類と意味型分類
意味役割と意味型はどちらも意味分類の単位だ が,分類原理が異なる.意味型は簡単に言うと,対 象に固有な属性に基づく自然分類的カテゴリーであ る.これに対し,意味役割は対象に固有な属性に基 づく分類とは言いがたい.
意味型は,自然に存在する対象の属性(attributes) によって定まる.この意味で,意味型は自然分類の 産物であり,実際,自然物の分類に有効である.従
とnon-substantial predicates (e.g.,student, pedestrian)に 分け,non-sortal predicatesをmass-like predicates (e.g., wood, sand)とcharacterizing predicates (e.g.,red, studies) に分ける.typesはsubstantialと同一視され,rolesはnon-
substantialと同一視される.私たちがここで意味型と意
味役割と言っているのは,Guarinoのsortalsの下位区分
であるtypesとrolesの区別に対応していると考えてよい
ように思える.
来のシソーラスの多くはこれを概念分類の原理にし ている.
意味役割は自然に存在する対象の属性によっては 決まらない.それは意味役割が指示対象の物理的実 体性を前提にしていないからである.存在の自然分 類が意味型の体系の基盤となるのに対し,存在の機 能/用途分類6)が意味役割の体系の基盤となる.より 正確に言えば,これは(相互)作用分類(interactional
taxonomy)が意味役割の基盤となっているというこ
とである7).
この意味で意味役割は少なからず文化相対的なも のだが,恣意性の幅には一定の制約が課されている と考えられる.その制約の一部はアフォーダンス (affordances) [14, 30]から来るものであると思われ る.関連する事実を付録付録Aで紹介する.
後に見るように,h捕食者iにとってのh獲物i, h利用者iにとってのh宝石i,h宝i,hガラクタi, hクズiのような存在は,完全に人工的なものでは なく,特定の利用者から見た,特定の対象の特定の アフォーダンスや価値を表わしていることが多い.
実際,モノの機能性/用途性の一部はアフォーダン スに由来する.
意味役割を定義する名詞は,実際には数が多い.
人工物名は基本的にどれも意味役割名として使える と言えるほどである.詳細は完全に判明していない が,結果を部分的に§3.2.1に示す.
2.1.3 意味役割を意味型として分類することは不
可能
もっとも重要な点を始めに言っておきたい:意味 役割の分類は意味型の分類体系には収まり切らな い.意味役割と意味型は分類原理が異なり,従っ て,意味役割を意味型として分類することは不可能 だからである.だが,従来のシソーラス類は意味役 割を意味型から区別していないので,意味役割を無 理やり意味型として分類せざるを得なかった.これ が従来のシソーラスがそれほど有用でない原因の一 つである.
6)ほぼ同様の見通しが[13]で提案されている.
7)この理由は,意味役割が生物個体の世界に対する関心の あり方(interests)を反映した,視点(perspectives)に由来 するものだからであろう.同様の議論は,Lakoff [8]にも 見られる.
また,ここで言う自然分類,相互作用分類はC. Peirce のFirstness, Secondnessの概念[34]におのおの関連する ように思われる.
2.1.4 意味役割は意味型から分離不能
だからといって,意味役割が意味型と完全に無関 係だというわけでもない.厄介なことだが,これは
§3.2で説明するように,意味型と意味役割を完全に 分離することは一般には不可能であるように思われ る.これが概念分類を本質的に困難にしている原因 の一つであるように思われる.
2.1.5 意味役割ベースの分類の利点
「番人」「番犬」を一つにまとめた抽象的なレベル での概念を表わす語があるとすれば,それは「(yの) 番」である.「人」や「犬」が表わしているのは明ら かに意味型だが,「番」が表わしているのは意味型 ではなく,「(yの)番」はλx[xがyの{番;見張り} をする]によって定義される意味役割である.
実際,次のような事実を意味役割という説明概念 なしに説明するのは難しい.
(8) “番β”のβへの意味制限
a. h番犬iとh番人iいうカテゴリーが存在 し,h料理人i,h弁護人i,h遊び人iという カテゴリーが存在するのに,h*料理犬i,h* 弁護犬i,h*遊び犬iのようなカテゴリーは 存在しない.
b. h番犬iというカテゴリーが存在するのに 対し,h*番猫i,h*番蛇i,h*番熱帯魚iの ようなカテゴリーは存在しない.
シソーラスにはh番{犬,人} iのような概念は通 常は存在しないし,存在したとしても概念階層には 表現されていない情報が本質的に重要である.h(y の)番iの概念は,(6)に示したhxが(zのために) yの{番;見張り}をするiという状況レベルの意 味フレームがなければ定義不可能な意味役割であ る8).
2.1.6 概念化を有効に記述する枠組みの必要性
「柴犬」と「番犬」との意味の違いが(1)でも言 及されていた概念化の違いをするものであり,これ が意味型と意味役割の区別によって適切に扱えるこ とを理解するのは重要である.これらの概念化の違 いが明確に表わされてないならば,概念分類の体系 が概念化のパターンをうまく記述しているとは言え ず,この理由によって,語彙大系が概念化のパター ンの記述という目標を達成しているとは言いがた
8)これが社会的意味役割になった場合,職業としての番人 となる.
い9).
繰り返しになるが,(7)にもあったような,語彙 大系でも意識されていた概念化のパターンが問題な のである.だが,問題は別の形を採っている.問題 は詳細化され,どんな概念化が,どれぐらい存在す るのかということが問題になっている.これに見通 しが得られない限り,語の意味を概念化の違いを反 映するように記述するという試みは,いわば「絵に 描いた餅」である.
より明示的に言えば,概念化の一般理論は三浦の 言語と認識の理論で十分なのか?ということであ る.私たちはそれに疑いをもち,意味フレームの理
論[2, 3, 26, 27]を拠り所にしながら,より明示的な
枠組みを模索する.
3 意味役割の一般理論
3.1 意味役割の下位分類
意味型と意味役割と区別し,意味役割を更に(9) にあるように三つに区別すると,多くの意味属性を うまく分類できる:
(9) 意味役割の下位分類
a. 社会的役割(social roles) b. 状況的役割(situational roles) c. 構造的役割(structural roles)
図1で見たh番{人,犬} i,h介護{人,犬} iの ようなカテゴリーは状況役割,ないしは社会役割で ある.
表記に関する注意:hhRiiは,Rが社会的意味役割 であることを,hRiは,Rが状況的意味役割である ことを表わすとする.
3.1.1 部分/全体の関係の重要性
何かが(9b)の意味での状況的役割をもつとは,
それが状況という抽象的存在の部分(part)や部品
(component)であることである10).これに対し,何
かが(9c)の意味での構造的役割をもつとは,それが 具体的存在物の部分や部品であることである.
従って,(9b)と(9c)のちがいは,構成される全 体が状況という抽象的な実体か,何らかのモノと呼 べる具体的実体かのちがいとなる.もちろん,これ
9)「介護{人,犬}」「番{人,犬}」をはじめとして「α{人,
犬}」を満たすαは数多い.これは日本語に限らずヒトの
語彙の体系に繰り返し現われる語形成のパターンで,現 実世界の重要な側面を反映しているように思われる.
10)ただし,これらの場合も部分への還元が可能だとは考え ず,ゲシュタルト的性質は保存されるとする.
が有意義な一般化であるかどうかは,多くのデータ で検証する必要がある.
3.1.2 意味役割の素性分類
(9)の三分類は次の特徴で分類できるように思わ れる:
(10) 素性による意味役割の区別(暫定的) a. 社会的役割[+abstract,−temporal]
b. 状況的役割[+abstract,+temporal]
c. NONE [−abstract,+temporal]
d. 構造的役割[−abstract,−temporal]
[−abstract,+temporal]は役割の中に対応がない11).
3.1.3 幾つかの注意
(11) (9b)の状況的役割は[+temporal]で,(9a)の社 会的役割は比較的[−temporal]で,(9c)の構造 的役割は完全に[−temporal]である.
(12) 一般に役割と言われているのは,社会的役割で あるが,その概念を自然に拡張したものが状況 的役割,構造的役割である.
(13) 社会的役割を更に,家族的役割,共同体的役割 のようなものに下位分類することは可能だが,
煩雑になりすぎるので,それはここでは試み ない.
(14) 社会的役割と状況的役割の区別は厳密ではな い.実際,二つの違いは本質的に程度の問題 かも知れない.実際,状況役割の一時性が減れ ば,その分だけ社会的になるという傾向が認め られる.反対に,社会的役割が状況的役割に弱
められる(e.g.,「人生の教師」)という形の譬喩
は数多い.
(15) 社会的役割は,構造物の規模と具体性を無視 すれば,構造的役割の特種例だとも考えられる (「組織の歯車」のような譬喩はこの性質を表わ しているようにも思われる)し,反対に,構造 的役割の一般化が社会的役割の体系だとも考え られる.どちらが正しいかはデータから決まら
11)中本敬子から,道具の一時的な修理【ビューラーのh留め 具iが壊れたので,(h留め具iの)代わりに輪ゴムで留め た】のh留め具i一時的代替の場合がこれに相当するので はないかと示唆を受けた.そうかも知れない.問題は,○
○役割の○○に当てはまるうまい名称が見当たらないと いう点である.もう一つの可能性は,状況的役割の定義 を[?abstract,+temporal]のように拡張し,状況的役割の 一種と見なすことである.ただ,どちらが好ましい解決な のかは,決めかねる.この問題が解決されていないため,
暫定的に[−abstract,+temporal]の場合は未定義としてお く.
ないので不問にする.
(16) ありとあらゆることが意味役割という用語で 記述可能あるという主張は空虚である.意味役 割の概念を突き詰めると,それは結局,(相互) 作用分類の基本要素であるという結論に到達す る.従って,対象X が意味役割rを実現する,
あるいは概念cがrの名称であるとする特徴づ けには,rが定義されている関係が何であるか を明示するために有効な発見手順以上の意味は ない.
3.2 役割名と対象名
意味役割と意味型の区別に基づいて,役割名(role
names)と対象名(object names)を区別することが
できる.役割名は(意味)役割の名称であり,対象を 指示的に特定する必要はない(値解釈の場合,対象 を指示的に特定してもよい).役割名の例は「獲物」
「台」などである.これに対し,指示名は意味役割 の名称ではなく,対象を指示的に特定するための名 称である.例は「獣」「魚」「石」「木」「水」「土」な どである.
ここで注意しておきたいのは次の点である: (何 らかの意味役割を表わす)役割名であること,(何ら かの意味型を表わす)対象名であることは排他的な 性質ではない.これは後で例を取り上げて見ること だが,多くの名称が両者の性質を兼備している.こ れが概念分類を困難なものとしている理由の一つで ある.
3.2.1 対象名と役割名の区別の評価
“X” = “αY”のY が意味主要部(e.g., “犬”),αが 特定化要素(e.g., “柴-”, “番-”))になる名詞X を考 える.Xの役割性(か正確には機能性)の程度 f(X) を近似するために,(17)にある共起テストによる評 定を考える:
(17) Xを評価対象語(e.g., “柴犬”,“番犬”),Y をそ の上位語(e.g., “犬”)とし,
a. このY はX に向いて{いる;いない}. b. 彼は,あるY をXにした.
c. そのY は,この場ではXだ.
d. このY はXになる{恐れ;心配}がある.
e. このY はX になる{見込み; 見通し}が
ある.
(18)の評定値f(X)(最小0,最大1.0)が一定値Fupper 以上ならXを役割名と,一定の最高値Flower以下な ら対象名とする.今回の調査(n= 8)では経験的に
Fupper= 0.5,Flower= 0.2とした.
(18) X の用途/機能指示性の指標:
F(X) =(17a) + (17b) + (17c) +Max((17d),(17e)) (有効なTestの数×1)
3.2.2 調査結果
表1に示したのは“X” = “αY”という形式の対象 名と(抽象的な意味での)役割名との差がハッキリ している対12)である.
表1 対象名(ON)と役割名(RN)の差が明らかな場合
語彙大系 Y ON RN
537獣 犬 柴犬(0.08) 番犬(0.95)
538鳥 鳩 山鳩(0.06) 伝書鳩(0.83)
2346光 光 月光(0.19) 照明(0.84)
775石 石 隕石(0.09) 敷石(0.80)
773板 板 ベニヤ板(0.16) 床板(0.80)
775石材 石 石灰石(0.05) 墓石(0.77)
537獣 馬 白馬(0.20) 名馬(0.75)
816布 布 リンネル(0.11) フィルタ(0.70)
815糸 糸 絹糸(0.14) 横糸(0.72)
537獣 猫 シャム猫(0.08) 野良猫(0.56)
549昆虫 虫 カメムシ(0.06) 害虫(0.53)
481洞穴 洞穴 洞窟(0.13) 抜け穴(0.56)
ほら穴
537獣 犬 柴犬(0.08) 猛犬(0.50)
2372風 風 潮風(0.11) 追い風(0.47)
3.2.3 注意
生成辞書理論[12]的な説明をつけ加えるならば,
この共起テストで値が高い名詞は,特質構造の目的 役割(telic role)に明確な指定(e.g.,h番をするi,h伝 書するi,h照らすi,h床に敷くi)があるものだと言 える.
(17), (18)を用いた調査では,対象特定の効果と
機能特定の効果とが程度の違いであるかのように表 現されるが,これは正しくない.両者は独立の次元 だと考えられるが,それは共起テストの限界から正 しく表現されていない.このため,二つの効果が連 続であるかのように見えているが,これは必ずしも 事実ではないということは,お断りしておきたい,
表2に示したのは差がハッキリしていない対で ある.これらはFlowerが高く,対象名としての認定 が困難である.これは共起テストが不十分というよ り,対象名と役割名との分離が本質的に微妙である
12)語彙大系では「フィルター」は[816布]とは分類されて いない.
表2 対象名(ON)と役割名(RN)の差が明白でない場合 語彙大系 Y ON RN
049女 女性 美人(0.64) 保母(0.83)
770紙 紙 和紙(0.20) 型紙(0.78)
461土地 土地 砂地(0.39) 聖地(0.67)
ことを示唆し,その原因は意味役割の代表値/典型 値効果だと考えられる.
3.2.4 人工物と自然物の名称体系の比較
「家」「柱」「庭」「玄関」「階段」などはどれも意味 役割名であり,現実世界に存在するのは,意味役割 の具現化である.
ただ,注意が必要なのは,「家」が表わすのはヒ トがh住んiでh暮すiための空間で,h住むi,h暮 すiという状況でh住み家iという意味役割を実現 する.これに対し,「柱」「庭」「玄関」「階段」は,
h家iの実現体の構造的役割名である.従って,あ る家X に住んでいる人Y がその家の玄関X.p1や 庭X.p2に接するのは,Y がh住み家iに接すること の一部を構成する.
「池」「道」が表わしている概念が意味型を定義し ているのか,それとも意味役割を定義しているのか は曖昧である.h池iもh道iも自然にできる場合も 人工的に作られる場合もある.従って,これらは意 味型と意味役割の両者を表わしていると考えるのが 妥当であろう.すでに注意を促しておいたように,
意味役割と意味型の区別は必ずしも排他的なもので はない.対象名が役割名として機能することは普通 の現象である.
3.3 概念化は組織化されている
概念化は一般に組織化されている.これはh捕食 者iとh獲物iの概念化の関係を見ればすぐに解る ことである.それらは対になっていて互いに独立し ていない13).h獲物iが対象の自然属性を記述した ものでないのは,以下の事実から明白である.「ヒ ト」は「トラ」の獲物かも知れないが,絶対に「ク モ」の獲物ではありえないし「ジガバチ」の獲物で もありえない.h捕食者iが何であるかが判らなけ れば,ある対象X がそのh獲物iであるかどうかは わからない—巨大化したクモやジガバチのバケモノ の場合を考えない限りは.同様に「アリ」は「アリ
13)これは,認知言語学[8, 9, 31]の代表的枠組みの一つであ る認知意味論[8]の基本的な主張に一致する.このため,
認知言語学が概念化の一般理論のための下地を部分的に 提供すると考えることもできるだろう.
ジゴク」や「アリクイ」の獲物ではありえるが「ト ラ」や「ウミヘビ」の獲物ではありえない.別の言 い方をすれば,h獲物iはh捕食者iに対して相対的 に定まる.もし獲物が対象の絶対的属性によって決 まるなら,このようなことは起こらない.同一の存 在(例えばヒトやアリ)が,ある生物にとっては獲物
「である」のに,他の生物にとっては獲物「でない」
という事実は,存在物の絶対的属性によっては記述 不可能である.[h獲物iである(X)]という属性は,
あるh捕食者iY に対して相対的に定義される概念 [Y にとってh獲物iである(X)]だからである14)
これをもう少し一般化して言えば,一般に対象X の意味属性は,それと係わるものY の属性(の束) に対して相対化された属性(の束)として定義され る必要があるということである.
だが,このような概念間の依存的関係は,従来の シソーラスではうまく捉えられていない.シソー ラスは概念階層に現われる「縦の関係」を記述する のに適したもので,依存性という形の「横の関係」
を記述するのに適していない.実際,それは意味場
(semantic fields)の効果を捉えられないといった形
で,従来のシソーラスの問題点として繰り返し指摘 されてきた.
3.3.1 理想認知モデル,意味フレームの援用
概念の相互束縛をうまく捉える記述装置として 理想認知モデル(ICM) [8]や意味フレーム[2, 3]が ある.ICMは複数の概念の組織化だと定義される.
意味フレームはより限定的に複数の意味役割の組織 化であると定義される.意味フレームの理論の亜種 [28]は,後述のように他の属性(の束)に対して相 対化された属性(の束)のことを意味役割だと定義 する.これらを基礎として構築される意味役割の一 般理論は,この点でシソーラスの記述を救済する可 能性がある15).
3.3.2 意味フレームが意味役割を定義する
意味役割に定義を与えるのが意味フレームだと考 えることには,次のような利点がある:意味フレー ムは一般に,状況レベルの意味フレーム,個体レベ ル意味フレームなどに大別できる.個体レベルの意
14)これらはあたり前のことだと思う人もいるかも知れない.
だが,その「あたり前のこと」がしっかり書かれていない ことがシソーラス類の有用性が限定されている理由一つ である.
15)ICMと意味フレームは正確には同じではない.ICMは定 義が曖昧であり,意味フレームとの違いを明示化が困難 ということもあって,以下の議論では意味フレームの理 論がICMの理論を代替するものと考える.
味フレームは更に,抽象的,具体的なものに細分化 できる.これらの区別に基づいて,意味役割も細分 化できるだろうという見通しが得られる.実際,意 味フレームが意味役割の組織化であるとし,状況レ ベルの意味フレームを状況の理想化,あるいは状況 のスキーマだとすると16),状況を構成する要素とし ての意味役割をうまく定義できる.
3.4 「宝石」「鉱石」に反映される概念化の違い ある対象Xが「鉱石」と呼ばれているとしよう.
この際,Xは自然的な存在であり,Xが鉱石である という性質は,Xをヒトがどう見るかには依存しな い.それと同時に,X が岩石や鉱石であることは,
通常,それ自体では価値を表わさない.
「宝石」に関しては事情が異なる.ある対象Xが 宝石と見なされているとしよう.この際,対象X は自然的な存在である必要はない(模造品でもよい で).X が宝石であるという性質は,X をヒトがど うh見るiか,あるいはh評価iするかに強く依存 する.Xが宝石であることは,それ自体でX が(稀 少)価値をもつことを表わす.
このような違いは,次の表現の差にも反映して いる:
(19) ある人々は,それを{宝石; ?*鉱石}と見なす.
何らかの対象Xが鉱石であるのは,Xが鉱石「であ る」からであって,X を鉱石「であると見なす」か らではない.これに対し,何らかの対象X が宝石
「である」のは,多くの人がX を宝石「であると見 なす」からである.
これは日本語を話す話者の直観の一部であるけれ ど,この特徴は語彙大系にある「宝石」の定義には 反映されていない:
(20) /1名詞/ 2具体/ 533具体物/ 706無生物/ 707自然物/ 712物質(本体)/ 713固体/ ={ 723鉱物, 724鉱石, 725宝石, 726石炭, 727岩石, 728石・砂, 729石, 730 砂, 731土}
重要な点は,宝石の具体例(あるいは宝石という 意味役割の実現値)の多くは天然の石であり,自然 的な存在であり,鉱石の一種だということである.
これは,ある対象Xを岩石「だと認める」際の視点
16)意味フレームの概念と意味役割の概念には循環性がある.
実際,意味役割が意味フレームを定義するのか,意味フ レームが意味役割が定義するのか,両者が同時に定義さ れるのか,ハッキリしていない.これはゲシュタルト性に 起因するものであるが,意味役割の定義の不十分性は認 めざるを得ない.
とXを宝石「だと認める」視点とは—互いに矛盾 するわけではないが—別の視点だということであ る.従って,意味役割の認識は,単に対象知覚とい うより,視点の違いを反映する対象認識のレベルの 問題である17).
「宝石」の概念化の場合に特に興味深いのは,自 然物が内在的価値を認められることで,事実上は人 工物を同じように扱われているということである.
これはh獲物iやh食べ物iに関しても言えること で,意味役割名の典型的特徴である.
3.4.1 文化相対性
「宝石」の表わす概念がそうであるように,意味 役割は少なからず文化相対的なものである.この点 は第一のアフォーダンスの利用と矛盾するように見 えるが,そうではない.アフォーダンスが社会レベ ルに存在する場合,文化相対性が生じる.
3.4.2 アフォーダンスの潜在的言及
付録付録Aで説明することだが,役割名は必ず と言ってよいほどアフォーダンス[14, 30]への潜在 的な言及を行なう.例えば,h獲物iになる対象の アフォーダンスとは,それをh捕まえiて,h食べ られるiことである.h捕食者iとはそのようなア フォーダンスを利用している種である.実際,対象 の機能性の定義は,最終的にアフォーダンスに基づ かないと可能ではないだろう.
3.4.3 価値内在性
これから次のことが帰結する: 意味役割は,価値 を内在化している.実際,価値やアフォーダンス は,それを知覚し,認めるものにとってのみ生じる もので,そうしない,あるいはできないものには生 じない.「豚に真珠」や「猫に小判」は,価値を認め る能力の欠如を揶揄するための表現である.
ただし,意味役割は常に正の価値を表わすもので はない.これとは反対に,常に負の価値,すなわち 価値がないという性質を表わす概念もある.例え ば,hクズiやhガラクタiは価値のないことを表わ す意味役割概念である.このことは,「クズ(同然)」
17)多くの生態心理学者はアフォーダンスを知覚のみに結び つけ,認識には結びつけないという用語法に固執するが,
私たちはそれには従わない.何かが宝石であるの知るた めには,そのキメ,照り,肌触り,重み,モメントのよう な知覚的要素も本質的に重要だが,そればかりでなく専 門家による鑑定(の見込み)を必要とする.つまり,宝石 であることには社会的基盤がある.従って,私たちは何か が宝石であることは,純粋に知覚の次元で成立する特徴 ではないと考える.これは取り出し(pick up)できる,で きないという属性ではない.
「ガラクタ(同然)」が相対化できる概念であるとい う事実によっても示唆される:
(21) それは彼にとっては{クズ;ガラクタ}(同然) だった.
3.5 hh運転手iiとh運転者iの違い
社会的意味役割と状況的意味役割の違いは,hh運 転手iiとh運転者iとの概念の違いに明確に現われ る:ある人物が自家用車を運転しているとき,その 人はh運転者iという状況役割を担っている.これ に対し,ある人物がhh運転手iiなのは,その人が頻 繁にh運転者iであるばかりでなく,職業的にh運 転者iであることを意味している.これは社会的役 割である.
語彙大系の「運転手」の定義を見てみよう: (22) 292運転手[段10/親291/子孫-]アストロノート 宇
宙飛行士 運ちゃん 運転士運転手エアロノート オペ レーター 舵取 舵取り 担ぎ屋 楫取 機関士 機長 雲助 運転手 コスモノート 船頭 操縦士 操舵手 鳥人 テス トパイロット テスパイ ドライバー トラッカー バー ドマン パイロット 飛行士 船方 モータリスト ライ ダー 渡し守 渡守
「パイロット」はh飛行機の運転手iに,「船頭」は h船の運転手iに,「渡(し)守」がh渡し船の運転手i に相当する.だが,hh運転手iiの上位概念に状況的 にしか成立しないh運転者iという概念があって然 るべきである.これがないと次のような譬喩は理解 できない:
(23) この平和運動の{運転手; ?*運転者;舵取り; ???
船頭}は誰だ?
4 役割の理論と属性の理論との組み合 わせ
以上のことから意味役割の一般理論の構築が必要 であるのは明らかである.だが,それに着手するに は,次の問いの答えが明らかである必要がある: 役 割とは何だろうか?
この問題に答えを与える前に,少し頭の体操をし よう:次のような特徴をもった一人の男性Xがいる とする:
(24) Xの名前は佐々木小次郎と言い,一人っ子である.
父の名は,佐々木稔(63才),母の名は,佐々木倫子 (59才)である.この男性の年齢は現在,35歳で,大 阪府に住み,佐々木仮名子(33才で,旧姓黒須)とい
う女性と結婚しており,子供が一人いる.子供の名 前は佐々木武蔵(4才)と言う.この男性は,現在,
京都府にある○×研究所に勤めており,月給は30万 円である.と同時に,彼は南米産のトカゲの生態に 関するメーリングリストの世話人である.
あなたは,このヒトの個体X がどんな存在である かを記述して欲しいと言われた.どうするのが効果 的か?
4.1 属性還元アプローチ
典型的な手法は,この男性を抽象的にXとし,X の属性/属性値の対(attribute/value pairs)を列挙する というやり方である.X の時点tでの属性a(X,t) とその値vの対の集合を{a1(X,t):v1; . . . ;an(X,t):
vn}で表わすとすると,例えば,
(25) {名前(X,現在):「佐々木小次郎」;性別(X,現在):
男;年齢(X,現在): 35;職業(X,現在):「○×研究所 の研究員」;月収額(X,現在): 47万円;父親の数(X, 現在): 1;父親の名前(X,現在): 「佐々木稔」;父親 の年齢(X,現在): 63;母親の数(X,現在): 1;母親の 名前(X,現在): 「佐々木倫子」;母親の年齢(X,現 在): 59;兄弟の数(X,現在): 0;結婚している(X,現 在): TRUE;妻の数(X,現在): 1;妻の名前(X,現在):
「佐々木仮名子」;妻の結婚前の姓名(X,現在):「黒 須仮名子」;妻の年齢(X,現在): 33;子供の数(X,現 在): 1;子供の名前(X,現在):「佐々木武蔵」;子供の 年齢(X,現在): 4; f(x,現在):「南米産トカゲの生態 に関するメーリングリストの世話人」; . . .} ここにあるa/v対のリストは最適なものではな く,幾つか明らかに愚鈍な面がある.例えば,息子 の「佐々木武蔵」の氏名がなぜ「宮本武蔵」であっ てはいけないのか—そういうことに関する説明,
というか,そのような自由度を許さない制約が述べ られていない.このような「常識」を反映するよう に,もう少し「賢く」なるように改良することも可 能である.
例えば,「人」= [父親:i,母親: j,兄弟={. . .},時 点tでの姓名,時点tでの年齢,時点tでの職業, . . . ] というオブジェクトを作り,X を「人」オブジェク トのインスタンスとして表現するというOOPの技 法を使うのは効率的な解決の一つだろうし,「人(X) の時点tでの姓の値は,Xの父親である個体iの姓 (と母親である個体jの姓)の値と同じである」と制 約を追加し,属性値の自由度を減らし常識を反映さ せることも可能であろう.
だが,属性還元アプローチにはどうやっても克服 できない,本質的欠点が一つある: それは,有意味
な属性と無意味な属性の区別が恣意的であり,その 結果,属性の有意味性がうまく制約できないこと,
従って「属性とは何であるか」という問題に有意味 な規定を与えられないことである.例えば,この人 物xの属性の一つとしてλx[xは現在,南米産トカ ゲの生態に関するメーリングリストの世話人であ る]のと,λx[xに父親と母親が一人づついて,おの おのの氏名が「佐々木稔」と「佐々木倫子」である] という属性の有意味さの違いを非恣意的に決定する 原理を明示することは難しい.
この種の記述量の爆発の問題は知識表現で「フ レーム問題」と呼ばれる問題と同質である.意味役 割の理論は,どの属性がどの概念に帰属するかを制 約し,属性の自由度の過剰を制約するための強力な 実現手段となる可能性がある.
4.2 属性還元アプローチ再考
4.2.1 佐々木小次郎の特徴記述再び
(24)の佐々木小次郎という名の男性X の特徴記 述の例を,意味役割の観点から再び取り上げる.
Xの特徴記述は部分的に次によって構成されるこ とになる:
(26) 意味型,意味役割と属性との関係 a. Xの意味型: 男性日本人,霊長類,
b. X の社会的役割: [ の(一人)息子], [ の社員], [ の夫], [ の父親], [ の住人], . . .
c. X の状況的役割: [ の遊び相手], [ の調理者], [ の運転者], [ 飼い主], [
の世話人] . . .
d. Xの構造的役割: 該当せず18).
以上のことからわかるように,意味役割の概念で重 要なのは構造化,組織化の特徴の有無である.これ が意味フレームが意味役割の組織化であるとする理 由の一つである.
4.2.2 属性は部分的に役割基盤である
属性を意味役割の観点から見直すと次のことが明 らかになる.まず,おのおのの役割には固有の属性 が付随する.逆の言い方をすると,(25)にあるXの 属性の一部は,個体としてのXに帰属するものでは なく,Xが(たまたま)実現している役割に帰属する ものである.例えば,佐々木小次郎氏の月給47万
18)ただし,社会の歯車のような概念譬喩はこの読みを許す し,Xがお神輿に参加して,h担ぎ手iの一人だった場合,
お神輿の作動を保証する部品としての構造的役割も読み 取れる.
円は,hh○×研究所の社員iiという役割に支払われ ているもので,Xという個体の属性に支払われてい るわけではない.従って,この月収47万円という 特徴をXの属性と見なすことは—誤りではないか も知れないが—重要な特徴を見逃している.
4.2.3 存在様態の多元性
重要な点は,同一人物X が(26b)– (26d)にある ような役割をすべて,同時に実現していることに は,何の不思議も問題もないということである.E.
Goffman [4] の洞察にあるように,ヒトは多元的
(multi-dimensional)で,多機能的(multi-functional) な存在であるが,このことは実はヒトには限らな い.ヒトの生活に係わる多くのモノゴトが,この意 味で多元/多機能的である.
存在様態の多元性がフレーム問題の一つの現われ であることはまちがいなく,これに効果的に対処し ているかが言語資源の有用可能性を左右するのは 明らかである.語彙大系がこれを捉えることを開発 方針としていたことは(1)で明言されているが,そ れが結果物にどれほど反映されているかは疑問で ある.
5 「機能名」「属性名」「 ( 属性 ) 値名」と いう概念の追加
19)これまで,対象名と役割名の区別が必要だと論じ て来た.その後の調査で,この区別の他に次の区別 が必要であり,かつ有用であることが判明した: (27) a. 役割名と機能名は—連続性が認められる
が—同じでない.
b. 部分名(部品名,部位名を含む)は対象名だ が,機能名とも特徴を共有する.
c. 機能名とは独立に属性名(attribute names) も存在する.
d. 役割名,機能名,属性名とは別に値名(value
names)もある.
5.1 名称クラスの関係
現在わかっている限りで名称クラスとそれらの関 係はおおよそ次のようなものだと考えている.
(28) a. 個体名licenses 部分名=(個体の構成要素
名) licenses (個体の)属性名licenses (個体 の属性)値名,
b. 状況名=事態名licenses意味役割名(=状況/
19)この節は2007/06/29に追加された.
事態の構成要素名) licenses機能名(=状況/ 事態の属性名) licenses様態名= (状況/事態 の属性)値名
c. 対象名={個体名,部分名} d. 意味役割名={役割名,機能名} e. 属性名?={(個体の)属性名,機能名}
f. 値名?={(個体の)属性値名,様態名} これらは非常に暫定的なものである.
5.2 機能名の例
役割名とは区別して純粋に機能名と呼んだ方がよ い名詞がある.(29)の挙げた名称がそれに該当す る:20)
(29) フィルター,クーラー,ヒーター,(裁判所,波 止場)
ただし,役割名と機能名の区別はカテゴリカルな ものではなさそうだ.
5.3 属性名の例
純粋に属性名と呼んだ方がよい名詞がある.(30) の挙げた名称がそれに該当する.
(30) 高さ,長さ,排気量,搭載量,活力(指数),出 力(指数),
5.4 値名の例
名詞の中には特定の属性の(属性)値名と呼んだ 方がよい名詞がある.(31)の挙げた名称がそれに該 当する:21)
(31) a. 単位名: N 度,N回,N人,Ncc,Nメー トル,N馬力,
b. モード名: N気筒,X 式,X風,X 製,X 産,X状,
c. 属性値名:赤,白,黒,丸,四角,
(32) a. 天才,バカ(ヒトの知的能力の評価の値) b. のろま,ぐず(ヒトの運動能力の評価の値) c. きちがい(ヒトの(非)正常度の評価の値) (32)は確実とは言えないが,値名の可能性の高い ものである.
ここでX は個体 (か役割名)の名称 (=対象名), X.F は個体X の機能の名称(=機能名),X.Pi はX のID=iの部分の名称(=機能名),X.Pi.Aj はX の
20)ここで挙げた例の役割名との区別の議論は[20]で取り上 げられた事実の観察から発展したものである.
21)ここで挙げた例の議論は[24, 25]で取り上げられた事実 の観察から発展したものである.
IDがiの部分名のIDが j属性の名称(=属性名), X.Pi.Aj.V はXのIDがiの部分名のIDが j属性の 値の名称(=値名)であるとすると,例えば次のよう な解析が可能である:
(33) その[クルマ]Xは,
a. ([デザイン]X.P2.A1が) [おしゃれ]X.P2.A1.Vで b. ([UNNAMED]X.P2.A3 が) [丈 夫]X.P1.A3.V
{な, *の} [ボディー]X.P2 に,
a. [排気量]X.P1.A1が[4000cc]X.P1.A1.V で b. [駆動部?]X.P1.A2 が[12気筒]X.P1.A2.V で c. [出力]X.P1.A3が[1万馬力]X.P1.A3.V{?な,の} [エンジン]X.P1 を([推進器]X.P1.F1 として)搭載 している.
属性名,値名の他のタイプの名称からの判別のた めの試験はまだ開発されていない.
6 終わりに
これまで見てきたように,十分に明示的な意味フ レームの理論[2, 3, 27, 26]があった場合,それから 最大の恩恵を受けるのは動詞の意味論ではなくて,
実は名詞の意味論である.実際,意味フレームの理 論は,意味役割の理論だとすら言える.意味フレー ムが状況を記述する単位であることを考えると,こ の点は些か直観に反するかも知れないが,意味フ レームの理論の有効性を理解するためには非常に重 要な点である.
本稿で素描された意味役割の一般理論に基づく語 の意味記述の方法は,まだ萌芽的なものであり,明 らかにまだ不十分なものであるけれど,うまく行け ば,このような多元性,多面性の巧妙な記述を可能 にする可能性がある.
付録 A アフォーダンス理論は混迷した概 念分類の救いになるか ?
A.1 対象名と(潜在的)役割名=機能名の兼用 ヒトは対象X に言及する際,無意識に X のア フォーダンスに言及している.[(私は)Xが欲しい] と人が言うとき,その人が欲しがっているのは,ほ とんどの場合X それ自体ではない.その人が必要 としているのは,むしろX のアフォーダンスであ る.「{金づち;お金;彼女;彼(氏);土地;庭;お母さ ん;子供}が欲しい」は,いずれも多かれ少なかれ 実現されていないアフォーダンスに言及している.
対象名であると同時に機能名であるという二重の性 質をもつ例が多いのは,これ故であろう.
次のような会話が理解可能なのは,ヒトが無意 識に対象のアフォーダンスに言及しているからで ある:
(34) A.ウチワが欲しいな.— B.冷房じゃだめ? —
A.強力過ぎる(よ).
この対話が理解可能なのは,ヒトはN(X)という名 称をもつ対象物X に言及する際に,無意識にX の アフォーダンスに言及しているからである.実際,
最後の「強力過ぎる(よ)」という返答が言及してい るのが冷房機のh大気の冷却iのアフォーダンス= [涼しく感じさせる能力]であると理解できるのは,
そうでないならば不可能である.
A.2 具象物による意味役割の具現化
N(x)という名称をもつモノXに言及することで X のアフォーダンスに言及が可能なのは意味役割 が具象物によって具現化されるからである.誰かが (35)のように言ったとき,「机」「椅子」は,h台iと いう意味役割(が言及しているアフォーダンス)の 具現体だと見なすのがもっとも適当であろう.
(35) 何か台(になるもの)が欲しいな.机とか椅子で いいんだけど.
これが正しいとすれば,誰かが「椅子が欲しいな」
と言うとき,その人が欲しいと思っているのは椅子 そのものではなくて,h何か台になるものiなので ある.あなたが「椅子」の代わりに「踏み台」を渡 しても「それは違う」とは言われずに,「それでも いい」「そっちの方がいい」と言われるのは,その ためである.
A.2.1 用途内在性の判定テスト
語によって表わされている概念が意味役割を定義 するかどうかは,共起テストによって判定できるよ うに思われる.例えば,dが意味役割を定義する概 念であるならば,(36)か(37)を満足する適当なa, b,c,dの組が少なくとも一つ存在する:
(36) aが(bのために)cをdにする
(37) aが(bのために)cをdの代わりにする dが(37)のみを満足する場合,dは意味役割を定 義するが,cはその適切な具現化ではない.例えば,
(38) 彼はその日,本を枕 {に; の代わりに}して 寝た.