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Minyō gainen no juyō, henyō, tenkai: Taiwan no minyō undō o chūshin ni

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(1)

民謡概念の受容、変容、展開―台湾の民謡運動を中

心に―

著者

増田 周子

雑誌名

東アジア近代における概念と知の再編成

35

ページ

263-276

発行年

2010-03-25

その他のタイトル

Minyo gainen no juyo, henyo, tenkai: Taiwan no

minyo undo o chushin ni

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民 謡 概 念 の 受 容 、 変 容 、 展 開

一台湾 の民謡運動 を中心 に一

増 田

周 子(関

西大学)

は じ め に 「民 謡 」 と い う概 念 は 、 日本 で は 、 古 来 か ら存 在 した 。 品 田 悦 一 「民 族 の 原 郷 」1に よ る と,中 国 で は 梁 の 劉 孝 威 の 詩 「三 日侍 皇 太 子 宴 」 に 見 られ 、 日本 で は,『 三 代 実 録 』(880)年 に 見 られ る の が 最 も古 い 文 献 だ とい う。 そ の 後 も 日本 で 使 わ れ て い く が 、 余 り一 般 的 で は な か っ た 。 「民 謡 」 とい う言 葉 の 訳 語 を 日本 で 整 理 し、 定 着 させ て い っ た の は 、 上 田敏 ら 国 民 文 学 運 動 の 人 々 で あ っ た 。 国 民 文 学 運 動 と 「民 謡 」 概 念 の 変 遷 に つ い て は 、 先 行 研 究 と し て 品 田悦 一 「民 族 の 原 郷 」(『万 葉 集 の 発 明 』2001年)が あ り、 詳 細 に 説 明 され て い る 。 し か し、 近 代 日本 新 民 謡 運 動 の グ ロ ー バ ル な 流 れ に つ い て は 、 ま だ 十 分 に 研 究 され て い る と は い え な い 。 そ こ で 、 拙 論 「近 代 日本 民 謡 運 動 の 成 立 と展 開 一 「民 謡 」 概 念 の 変 遷 を め ぐ っ て 」2で は 、大 正後 期 以 降 の、 北原 白秋 、 野 口雨 情 、 西 條 八 十 、 山 田耕 筰 、 中 山 晋 平 ら が 担 っ た 近 代 日本 新 民 謡 運 動 の 成 立 と そ の 展 開 に よ っ て 、 ど の よ うな 文 化 的 な 流 れ が み られ た の か を 考 察 して い っ た 。 大 正 期 か ら昭 和 期 に か け て 日本 で 興 っ た 、 童 謡 運 動 、 新 音 楽 運 動 、 新 民 謡 運 動 な ど は 、 鉄 道 網 の 広 が り、 ラ ジ オ 放 送 な どに よ る伝 播 、 レ コ ー ド会 社 の 商 業 戦 略 な ど に よ り 、 急 速 に 日本 全 土 や 、 植 民 地 へ と広 が りを 見 せ て い っ た 。 そ して 、 古 来 か ら あ っ た 民 謡 概 念 は 、 新 民 謡 運 動 の 中 で は 、 創 作 の 意 味 合 い が 強 く 、 必 ず し も ナ シ ョ ナ リズ ム と は 関係 づ け られ な い こ と も 判 明 した 。しか し 、日本 の 植 民 地 政 策 の 中 で 、 日本 が 先 導 す る 形 で の 新 民 謡 ブ ー ム を 植 民 地 で も巻 き 起 こ す こ と に な り、 結 果 的 に ナ シ ョナ リズ ム に 取 り込 ま れ て い く こ と に もつ な が っ た 。 こ の よ うに 、 日本 で 広 が っ た 新 民 謡 運 動 の 展 開 は 、 非 常 に グ ロ ー バ ル な 意 味 を もつ 。 結 果 的 に 新 民 謡 運 動 を 経 た 後 は 、 「民 謡 」 の 概 念 も 変 貌 し、1936年 に柳 田 國 男 が 分 類 した 「民 謡 」 の 分 類 とは 異 な り、1960年 に は 、 町 田嘉 章 と 浅 野 建 二 が 分 類 す る よ う な 、 「民 謡 」 に 流 行 歌 を も含 め る よ うな 形3で 変 容 して い っ た の で あ っ た 。 今 回 の 発 表 で は 、 新 た な 問 題 点 と し て 、 新 民 謡 運 動 の 「創 作 」 の 問 題 と プ ロ レ タ リア 運 動 との 関 わ りに よ り、 「民 謡 」 が 、 どの よ うに 、 変 容 し、 展 開 して い っ た の 1品 田 悦 一 「民 族 の 原 郷 」(『万 葉 集 の 発 明 』2001年2.月21日,新 曜 社) 2鈴 木 貞 美 ・劉 建 輝 編 『東 ア ジ ア に お け る 知 的 シ ス テ ム の 近 代 的 再 編 を め ぐ っ て 北 京 大 学 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム,2007』(国 際 日本 文 化 研 究 セ ン タ ー 、2008年3,月) 3町 田 嘉 章 ・浅 野 建 二 「解 説 」(『 日本 民 謡 集 く岩 波 文 庫 〉』1960年9月5日 、 岩 波 書 店)

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増 田 周子 か を 考 察 し て い き た い と 思 う 。 1「 民 謡 」 の 日本 受 容 と定 着 「民 謡 」 と い う 概 念 が 日 本 で 定 着 し て い っ た の は,明 治 期 で あ っ た 。18世 紀 の 思 想 家 ヘ ル ダ ー の 造 語Volksliedの 訳 語 と し て 受 容 さ れ 、1892年 森 鴎 外 が 、 『し が ら み 草 紙 』4に 記 し た 「観 潮 楼 偶 記 」 の 「GustavMeyerと い ふ 人 希 臘 の 『民 謡 』 を 集 め て 公 に せ り 」 と い う も の が 明 治 期 の 最 初 で あ る と 指 摘 さ れ て い る 。5そ の 後, 上 田 敏 ら 『帝 国 文 学 』 の 人 々 を 中 心 と し て 、 志 田 義 秀 「日 本 民 謡 概 論 」(『帝 国 文 学 』 1906年)な ど に あ る よ う に 、 「民 謡 」 の 訳 語 は 整 理 さ れ,定 着 し て き た 。 こ こ で は 、 志 田 義 秀 「日 本 民 謡 概 論 」(『帝 国 文 学 』1906年)を 丁 寧 に 見 て い き た い 。 な お 、 「日 本 民 謡 概 論 」 は 、『帝 国 文 学 』 の 第12巻 第2号 、第12巻 第3号 で 、第12巻 第5号 、 第12巻 第9号 に 連 載 さ れ た も の で あ る 。 志 田 義 秀 は 、 『帝 国 文 学 』 第12巻 第2号 で 、 民 謡 は 「独 逸 語 のV61ksliedの 直 訳 」 で あ る が 、 「未 だ 一 般 に 邦 人 の 耳 に 親 し ま れ て 居 な い や う で あ る 」 と し 、 日本 で は 、 民 謡 に 当 た る 語 は 、 「俗 謡 」(俗 曲 、 技 巧 的 、 ク ン ス ト ポ エ ジ ー)で あ る が 、 「俚 歌 、 俚 謡 、 巷 歌 な ど い ふ 語 が 用 ゐ ら れ て ゐ る 」 と す る 。 ま た 、 「民 謡 は 一 種 の 抒 情 詩 で あ る 。 国 民 の 内 部 生 命 を 最 も 赤 裸 々 に 表 白 し た 叙 情 詩 、 国 民 性 の 天 真 を 最 も 率 直 に 吐 露 し た 抒 情 詩 曲 」 で あ り 、 「国 民 的 」 な も の で あ る と 記 す 。 そ し て 、 民 謡 研 究 の 必 要 性 を 主 張 し て い る 。 ま た 、 志 田 が 考 え る 民 謡 研 究 の 意 義 は 三 点 に 整 理 さ れ る 。 1. 2. 3. 国 詩 革 新 の 基 礎 と し て:ゲ ー テ 、 ウ ー ラ ン ト、 ハ イ ネ 国 語 改 良 の 基 礎 と し て 国 楽 改 良 の 基 礎 と し て → 樗 牛 「彼 の 『ロ ー レ ラ イ 』 の 如 く 、 『リ ー ベ ス 、 ブ リ ュ ー リ ン グ 』 の 如 く 、 高 尚 優 秀 に し て 、 且 つ 国 民 的 な る を 望 む の み ド'イツ 人 の よ う に 、 歴 史 的 民 謡 集(ヒ ス トー リ シ ュ 、 フ ォ ル ク ス リ ー デ ル)の 編 集 を 必 要 と す る と 主 張 し て い る 。 ま た 、 志 田 義 秀 は 、 ドイ ツ に お け る 民 謡 の 研 究 、 及 び 、 ドイ ツ 詩 人 と 民 謡 と の 関 係 を 続 け て 考 察 す る 。 民 謡 研 究 の 始 ま り は ヘ ル デ ル(ヘ ル ダ ー)と い う こ と に な る と 述 べ 、 ヘ ル ダ ー は 民 謡 に 「民 声 」StimmendesV61kerinLiedernを 聞 き 取 ろ う と し て い る 。 ヘ ル ダ ー の 感 化 を 受 け て 、 ゲ ー テ や ロ マ ン 派 の 詩 人 た ち が 民 謡 に 関 心 を も つ よ う に な っ た 。 ブ レ ン タ ー ノ 、 ア ル ニ ム 『少 年 の 魔 法 の 角 笛 』DesKnaben Wunderhornや 厂ロ ー レ ラ イ 」 で 有 名 な ハ イ ネ 、 さ ら に ソ ル タ ウ の 『百 の ドイ ツ 歴 史 4『 し が ら み 草 紙 』(1892年8月1日 、 第35号) 5品 田 悦 一 「民 族 の 原 郷 」(前 出 、191頁)

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民謡 概 念 の受 容 、 変 容 、 展 開 民 謡 』EineHundertDeutscheHistorischeV61kerlieder、 ヒ ル デ ブ ラ ン ト、 ウ ー ラ ン ト の 名 が あ げ ら れ て い る 。 さ ら に 、 ワ グ ネ ル(ワ ー グ ナ ー)な ど 「ロ マ ン テ ィ ッ ク 」(ロ マ ン 主 義)に お け る 民 謡 の 重 要 性 に 触 れ 、 「長 く 忘 れ ら れ た る 宝 を 掘 り 出 し た 結 果 、 独 逸 近 代 の 芸 能 は 、 俄 か に 百 花 歴 乱 の 光 景 を 呈 す る に 至 っ た 」 と 、 ドイ ツ 国 民 国 家 へ 向 か う 時 期 に お け る 「民 謡 」 が ドイ ツ の 現 代 文 学 の 隆 盛 を 招 い た と 分 析 し、 「我 邦 現 代 の 芸 苑 に 樹 つ て 、 所 謂 『長 く 忘 れ ら れ た る 宝 』 を 採 掘 し て 、 以 て 我 邦 の ヘ ル デ ル と な り 、 我 邦 の ゲ ー テ と な り 、 さ て は 我 邦 の ワ グ ネ ル と な る も の は 、 抑 も 誰 で あ ら う か 」 と 、 日 本 に お い て も ド イ ツ と 同 様 の 展 開 を 期 待 し て い る の で あ る 。 同 じ く 志 田 義 秀 は 『帝 国 文 学 』 第12巻 第3号 で は 、 日本 に 於 け る 民 謡 に つ い て 紹 介 し て い る 。 古 代 民 謡 で は 、 後 水 尾 帝 の 「諸 国 盆 踊 唱 歌 」、 鹿 持 雅 澄 の 「巷 謡 篇 」、 粟 田 先 生 の 「古 謡 集 」、 「同 佚 篇 」、 現 代 民 謡 は 、 大 和 田 氏 の 「日 本 歌 謡 類 従 」 下 巻 と し て い る 。 さ ら に ハ ー ン の 翻 訳 に お け る 童 児 唄 の 収 集 や 、 ドイ ツ 人 に よ る 日 本 民 謡 衆 主 と し て オ ッ トー ・フ ァ ウ ゼ ル の 『日 本 の 抒 情 詩 』DieJapanischeLyrikに も 言 及 し て い る 。 引 き 続 き 、 『帝 国 文 学 』 第12巻 第5号 で は 、 民 謡 の 起 源 が 取 り 上 げ ら れ て い る 。 「「民 謡 」 は 技 巧 ク ン ス ト を 用 ゐ な い も の 、 国 民 の 自 然 の 技 巧 に 一 任 し た 歌 謡 」 で あ り 、 「技 巧 歌 に 比 し て は 比 較 的 原 始 的 の も の 」 で あ る と し て い る 。 そ し て 、 「歌 謡 の 起 源 は 民 謡 の 起 源 と い ふ 事 に な る 」 と し て 、 「原 始 的 の 民 謡 に 、 更 に 詩 人 の 技 巧 を 加 え た も の が 、取 り も 直 さ ず 技 巧 詩 中 の 謡 ふ べ き 詩 、即 ち 技 巧 歌 で あ る 」 と し て い る 。 ま た 、 志 田 義 秀 が 師 事 し た 芳 賀(矢 一)の 詩 歌 の 起 源 の 説 が 紹 介 さ れ 、 民 謡 の 種 類 が 図 式 化 さ れ て い る 。 ま た 、 ハ ー ン の 分 類 に も 触 れ ら て い る 。 『帝 国 文 学 』 第12巻 第9号 で は 、 志 田 義 秀 は 、 民 謡 界 に 於 け る 形 式 の 変 遷 を 論 じ て い る 。 「民 謡 の 国 民 的 で あ る と い ふ 事 は 、即 ち 其 形 式 及 び 内 容 の 国 民 的 で あ る と い ふ と 同 義 で あ ら う 」 と し 、 「民 謡 」 が 「国 民 的 」 な 文 芸 ジ ャ ン ル で あ る こ と を 結 論 づ け て い る 。 ま た 、 桜 井 政 隆 は 、 『帝 国 文 学 』 第13巻 第3号 で 、 「近 来 文 壇 の 一 部 に 於 て 、 民 謡 研 究 の 声 の 頗 る 大 な る の 時 に 方 り ゲ エ テ が 民 謡 詩 に 就 き て 其 遡 源 研 究 を 試 む る も 必 ず し も 徒 労 に あ ら ざ る べ き を 信 ず 」 と 述 べ 、 所 謂 民 謡 詩 と は 、 「民 謡 其 物 と 民 謡 め き た る 詩 歌 と を 併 せ 包 む も の 也 」 と す る 。 ま た 、 「詩 歌 」 と は 、 「民 謡 の 分 子 を 混 じ た る も の を 云 」 う と 定 義 づ け た 。 一 方、 「民 謡 」 概 念 を 定 義 づ け る 背 景 に は 、1907頃 の 、 片 山 正 雄 や 桜 井 天 壇 ら が 紹 介 し た ドイ ツ の 郷 土 芸 術 論 の 流 れ も あ っ た 。 片 山 正 雄 「郷 土 詩 グ ス タ ー フ フ レ ン セ ン 」6は 、 「郷 土 と は 詩 人 の 郷 土 の 謂 ひ で 、 大 都 会Grosstadtの 反 対 で 有 る 。 各 詩 人 は 都 会 の 生 活 よ り も 、 各 自 の 郷 里 の 自 然 と 生 活 と を 詩 文 の 主 題 目 と せ よ と 要 求 す る の が 、 郷 土 芸 術 の 運 動 で 有 る 」 と 言 い 、 桜 井 政 隆 は 、 「最 近 の 独 逸 の 郷 土 文 学 」7で 、 厂郷 土 文 芸 は 描 写 の 上 よ り 見 れ ば 新 自 然 主 義 で 有 り 、 又 内 容 の 上 よ り 見 れ ば 問 題 解 6片 山 正 雄 「郷 土 詩 グ ス タ ー フ フ レ ン セ ン 」(『新 小 説 』1907年8月) 7桜 井 政 隆 は 、 厂最 近 の独 逸 の 郷 土 文 学 」(『帝 国 文 学 』1908年3月 、 第14巻 第3号)

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増 田 周子 決 文 学 で 有 る 」 な ど と い っ て 紹 介 し て き た 。 大 正 か ら 昭 和 に な る と 、 ドイ ツ で の 郷 土 文 学 は 民 族 的 な 意 味 合 い を 持 ち 始 め る が 、 日 本 で は 、 犬 田 卯 「農 民 文 藝 の 意 義 に つ い て 」8が 指 摘 す る よ う に 、 民 族 的 な 意 味 合 い は な く な り 、 「農 民 文 学 あ る い は 地 方 主 義 文 学 と 同 義 で 用 い ら れ る こ と 」9も 多 く な っ た 。 こ れ ら郷 土 芸 術 が 叫 ば れ 、 郷 土 に 関 心 が 集 ま る 中 、 前 田 林 外 編 『日 本 「民 謡 」 全 集 』(1907年)10、 童 謡 研 究 会 編 『日 本 民 謡 大 全 』(1909年)11な ど が 出 て 、 「民 謡 」 の 語 は 徐 々 に 普 及 す る よ う に な っ た 。 柳 田 國 男 ら も 、 郷 土 愛 に 導 か れ 、 「民 謡 」 を 「平 民 の み ず か ら 作 り 、 み ず か ら 歌 っ て い る 歌 」(「 民 謡 の 今 と 昔 」)12、 「作 者 の な い 歌 、 捜 し て も 作 者 の わ か る 筈 の 無 い 歌 」く 「民 謡 覚 書 」(一))13な ど と 規 定 し 、 歌 謡 の 歌 わ れ る 場 と 目 的 の 面 か ら 「民 謡 」 の 種 類 を 、 「民 謡 分 類 案 」(『 民 間 伝 承 』1936年3 ,月20日 ・4,月20日 、 民 間 伝 承 の 会 発 行)と し て 次 の よ う に 分 類 し た 。14 四 五 六 七 八 九 十 以 上 が 、 田 歌 畠 歌 を 此 中 に 入 れ る。 田 打 唄 、 田植 唄 、 草 取 唄 、 田刈 唄 な ど。 庭 歌 庭 即 ち 屋 敷 内 の 作 業 場 で の 仕 事 に伴 な ふ も の。稲 扱(い ね こ き)歌 、 麦 打 歌 、剰 搗 歌 、麦 搗 唄 、 臼 褶 唄 、粉 挽 唄 、糸 引 唄 、地 搗 唄 な ど 。 山 歌 山 林 原 野 に 出 て 歌 うも の 。 山 行 唄 、 草 刈 唄 、 木 お ろ し唄 、 杣 唄 、 茶 山 唄 な ど。 海 歌 水 上 の 生 活 に 伴 ふ も の 。水 産 一 般 の 作 業 に 伴 う歌 。船 卸 唄 、船 唄 、 潮 替 唄 、 網 起 し 唄 な ど。 ・ 業 歌 或 職 業 に携 わ る 人 だ け が 歌 う も の 。 大 工 唄 、 木 挽 唄 、 綿 打 唄 、 茶 師 唄 、 酒 屋 歌 道 歌 旅 唄 ・阪 迎 唄 な ど を含 め て 。馬 追 唄 、牛 唄 、木 遣 唄 、道 中 唄 な ど。 祝 歌 酒 宴 の 勧 酒 歌 も 是 に入 れ る。 座 敷 唄 、 嫁 入 唄 、 酒 盛 唄 、 物 吉 唄 な ど。 祭 歌 神 事 歌 の 中 に は 民 謡 とい へ ぬ も の が 交 つ て 居 る。 意 味 の 通 じ な い も の は 除 い て も よ い 。 宮 入 唄 、 神 迎 唄 、 神 送 唄 な ど。 遊 歌 専 ら民 間 の 儀 式 に 用 ゐ られ る も の 、 祭 歌 と の 分 堺 の 明 か で な い も の も あ る 。 田 遊 唄 、 鳥 追 唄 、 正 月 様 、 盆 唄 、 踊 唄 な ど。 童 歌 子 守 唄 、 手 鞠 唄 、 お 手 玉 唄 な ど 日本 に お け る 民 謡 概 念 の 明 治 期 か ら、 昭 和 期 に お け る 定 着 の 変 遷 で あ る 。 8犬 田卯 「農 民 文 藝 の 意 義 に つ い て 」(『農 民 文 芸 十 六 講 』1927年10月 、 春 陽 堂) 9高 橋 春 雄 「郷 土 文 学 」(日 本 近 代 文 学 館 『日本 近 代 文 学 大 事 典 』1977年11.月 、 講 談 社) 10前 田 林 外 編 『日本 「民 謡 」 全 集 』(1907年3月 、11月 、 本 郷 書 院) ll童 謡 研 究 会 編 『日本 民 謡 大 全 』(1909年9月 、 春…陽 堂) 12柳 田 國 男 『民 謡 の 今 と 昔 』(1915年6月 、 地 平 社 書 房) 13『 文 学 』(1935年4,月 、 岩 波 書 店) 14柳 田 国 男 の 分 類 に 基 づ き 、 便 宜 上 、 増 田 が 必 要 部 分 の み を ま と め て 抜 粋 した 。 な お 、 「民 謡 分 類 案 」 は 、 初 収 本 『民 謡 覚 書 』(1940年5月 、 創 元 社)に 収 録 す る 際 加 筆 修 正 さ れ た 。 引 用 は 『民 謡 覚 書 』 に 基 づ く。

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民 謡概 念 の 受 容 、 変 容 、 展 開 2民 謡 の 変 容 1章 で は 、 「民 謡 」概 念 の 由 来 を 跡 付 け 、 日本 で の 受 容 を み て き た が 、そ の 際 、 近 代 化 と の 関 連 で 特 に 「創 作 」 「技 巧 」の 問 題 が あ る こ と に気 付 く。志 田 が 言 う 「技 巧 」 と はKunst、 英 語 で はartで 、 「技 術 」 「芸 術 」 の 意 味 も あ る。 民 謡 は 、 素 朴 で 厂原 始 的 」 で あ り、 そ れ ゆ え 民 族 の 核 とみ な され 、 近 代 国 家 に お い て は 「国 民 」=「 民 族 」 とい う虚 構 を 支 え る た め の ひ とつ の 文 芸 ジ ャ ン ル 概 念 で あ る と して 利 用 され た 。 し か し、 厂民 謡 」 は 、そ の ま ま で は 利 用 で き な い 。 そ こ で 民 族 の 精 神 を 体 現 し て い る と され る 詩 人 た ち が 手 を加 え 、 洗 練 し た 表 現 技 法 で 「編 集 」 し直 す と い う操 作 が 加 え られ る 。 そ こ に は ま さ し く 厂近 代 」 の 痕 跡 が あ る の で は な い だ ろ うか 。 こ こで は 日本 近 代 に お い て こ う し た 「創 作 」「技 巧 」が 加 わ っ た も の と して 新 民 謡 運 動 を み て ゆ き 、 日本 近 代 に お け る 厂民 謡 」 概 念 の 変 容 を み て ゆ き た い 。 2-1新 民 謡 運 動 の 流 れ い わ ゆ る 、 日本 で 新 民 謡 運 動 と 呼 ば れ て い る運 動 は 、 どんな もので あ るの か。簡 単 に 記 し て み た い 。 「民 謡 」 の 変 遷 を 考 え る上 で 重 要 な の は 童 謡 運 動 で あ る。1920年 代 には 、国家統 制 の も とで 、 小 学 唱 歌 の 普 及 が み られ て い た が 、1918年 創 刊 の 『赤 い 鳥 』 は 、 そ れ に 対 抗 す る も の と し て 、「子 供 等 の た め に 純 麗 な 読 物 を授 け 、子 供 等 に 向 つ て 真 に 芸 術 的 な 謡 と音 楽 を 与 へ 」(「『赤 い 鳥 』 の 標 榜 語 」)15る た め に 童 謡 運 動 を 展 開 し て い っ た 。 北 原 白秋 、 鈴 木 三 重 吉 、 三 木 露 風 、 西 条 八 十 らの 童 謡 運 動 は 、 祖 国 愛 、 郷 土 愛 に 基 づ い た 創 作 童 謡 で あ っ た 。童 謡 に 曲 を つ け る こ と を 積 極 的 に 行 な っ た 中 山 晋 平 は 、 1930年 「童 謡 及 び 民 謡 の 作 曲 に 就 い て 」16で 「童 謡 の運 動 は 必 然 の 勢 で 民 謡 の 運 動 を促 し」 た とい う。 そ う して 、1917年 の 東 京 音 楽 学 校 の 助 教 授 を して い た 作 曲家 、本 居 長 世 氏 の 目黒 の 邸 に 集 ま っ た 作 曲 家 や 詩 人 そ の 他 の グ ル ー プ で は じま っ た 新 日本 音 楽 運 動 に お い て 、 地 方 民 謡 の 発 掘 に よ る新 音 楽 の 創 作 を 提 唱 し た 。 そ こ に は 作 曲 家 、 中 山 晋 平 、 詩 人 、 野 口雨 情 、 尺 八 演 奏 家 、 吉 田 晴 風 、 箏 曲 家 、 宮 城 道 雄 が 参 加 し た 。 そ して 、 大 正 八 年(1919年)に 、 野 口 雨 情 、 藤i沢衛 彦 、 藤 森 秀 夫 、 馬 場 孤 蝶 、 霜 田 史 光 等 の 諸 氏 、 詩 人 、 研 究 家 が 発 起 人 とな り、 民 謡 開 発 基 金 募 集 の た め 、 女 子 音 楽 学 校 で 民 謡 講 演 と演 奏 会 を 催 し 、新 た な 新 民 謡 運 動 の 口火 を切 っ た17の で あ っ た 。す な わ ち 、 北 原 白 秋 、 野 口雨 情 ら が 積 極 的 に 行 な っ た 創 作 色 の 強 い 民 謡 を 作 る運 動 を 、 新 民 謡 運 動 と 呼 ん で い る 。 創 作 の 色 が濃 か っ た の で 、 白 鳥 省 吾 ら に 批 判 され 、 論 争 を巻 き 15「 『赤 い 鳥 』 の 標 榜 語 」(『赤 い 鳥 』1919年8.月) 16中 山 晋 平 「童 謡 及 び 民 謡 の 作 曲 に 就 て 」(百 田 宗 治 編 『現 代 詩 講i座第7巻 』1930年 、 金 星 堂) 17『 日 本 民 謡 協 会 史 』(1980年6月 、 日本 民 謡 協 会)

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増 田 周 子 起 こす が 、 鉄 道 網 の 充 実 な ど に よ っ て 大 き く広 が っ て い く。18ま た 新 民 謡 運 動 や 地 方 民 謡 は 、 特 に1925年 の ラ ジ オ 放 送 の 出 現 で 、 急 速 に 広 が っ て い っ た 。 「ラ ジ オ 放 送 開 始 以 来 、ラ ジ オ の 普 及 は 速 く 、僅 か 一 ヶ年 間 で 聴 衆 者 は10万 に 達 し た と い わ れ 、 昭 和 元 年 は39万4千 、 昭 和3年 は50万 を 突 破 、 昭 和7年 は 百 万 を 超 え る と い う普 及 ぶ りで あ っ た 。 した が っ て ラ ジ オ 放 送 に よ る 民 謡 の 普 及 は 、一 段 と大 型 化 し」19て い く。 昭 和3年(1928年)2月 、 日本 民 謡 の蒐 集 研 究 と新 しい 民 謡 作 詩 、作 曲 の 目的 で 、 詩 人 、 音 楽 家 、 研 究 家 を 一 団 とす る 団 体 、 日本 民 謡 協 会 が 設 立 され 、 同 人 誌 『民 謡 詩 人 』 を 母 体 と して 活 動 を 開 始 す る と 、 ま す ま す 「民 謡 」 ブ ー ム が 加 速 して き た 。 1928年10月2日 、 日比 谷 新 音 楽 堂 に お い て 、 日本 民 謡 協 会 が 主 体 とな り、 東 京 市 主 催 形 式 の 第 一 回 民 謡 祭 が 開 か れ 、 詩 人 、 音 楽 家 達 が 新 し い 作 品 を 提 供 して 唄 い 、 舞 踊 家 達 が 踊 る と い う新 民 謡 作 品 発 表 の 場 をつ く っ た 。 以 後 東 京 市 の 年 中 行 事 と し て 毎 年 行 わ れ る よ うに な っ た とい う。20 こ の よ うに 、 詩 人 、 研 究 家 達 と新 日本 音 楽 運 動 、 新 日本 舞 踊 運 動 の 同 志 達 が 合 流 して 以 来 、 新 民 謡 発 展 に 向 か っ て 華 々 し く活 動 を 展 開 して い っ た の で あ っ た 。 こ こ で 重 要 な の は 、 こ の 新 しい 民 謡 運 動 に お い て 著 名 な詩 人 た ち が 積 極 的 な 役 割 を 演 じた こ とで あ る 。 彼 らの 介 在 に よ っ て 素 朴 な 民 の 民 謡 を 発 掘 す る と い う レベ ル を 超 え た 「創 作 」 「技 巧 」 的 な も の が 「民 謡 」 と称 され る こ と と な る 。 西 条 八 十 は 、「こ の 新 し い 郷 土 民 謡 の 製 作 に 率 先 し て 着 手 した 詩 人 は 、野 口雨 情 氏 と北 原 白秋 氏 で 、 そ の 次 が わ た しで あ つ た 。 わ た し と して は1931年 頃 か ら、1935 年 頃 へ か け て が い ち ば ん 各 地 を 旅 行 しつ つ 、製 作 した 時 代 だ っ た 。」21とい うが 、「コ ロ ム ビア レ コ ー ドで は 昭 和 七 年(1932)国 立 公 園 制 定 を 記 念 す る 国 立 公 園 観 光 地 の 新 民 謡 シ リー ズ レ コ ー ドを 製 作 し、 ま た ビ ク タ ー で も"新 民 謡 曲 に よ る全 国 代 表 民 謡"シ リー ズ を製 作 した り等 して 、 単 に 地 方 小 唄 の 域 に 止 め ず 、 地 元 を ス ポ ン サ ー と して レ コー ドの 売 行 を 広 め 、地 元 の 宣 伝 を 全 国 的 な も の に して 効 果 を あ げ た 」。22 こ の よ うに 、 「地 方 新 民 謡 の 競 作 ブ ー ム は 、長 野 県 須 坂 町 の須 坂 小 唄(詩 ・野 口雨 情 、 曲 ・中 山 晋 平)を 皮 切 りに 、 昭 和 十 年 代 を ピ ー ク とす る そ の 間 に 、 全 国各 地 に 数 百 曲 も の 新 民 謡 曲 が き そ っ て 創 作 され た 」23と い う。 た と え ば 次 の 如 く で あ る 。 大 正 十 二 年(一 九 二 二)須 坂 小 唄(長 野)詩 ・野 口 雨 情 、 曲 ・中 山 晋 平 大 正 十 四 年(一 九 二 四)三 朝 小 唄(鳥 取)詩 野 口雨 情 、 曲 ・中 山 晋 平 181922年 『詩 と音 楽 』 『日本 詩 人 』 誌 上 で 、 北 原 白 秋 と 白 鳥 省 吾 の 問 で 民 謡 を め ぐ っ て 繰 り 広 げ られ た も の 。 19『 日本 民 謡 協 会 史 』(前 出 、51頁) 20同 、54頁 21西 条 八 十 『大 衆 民 謡 の っ く り方 』(1947年11,月 、 全 音 楽 譜 出 版 社) 22『 日本 民 謡 協 会 史 』(同 上 、56頁) 23同 、56頁

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民 謡概 念 の 受容 、変 容 、展 開 昭 和 二 年(一 九 二 七)ち や っ き り節(静 ・岡)詩 北 原 白 秋 、 曲 ・町 田 佳 声 昭 和 四 年(一 九 二 九)さ っ て も 節(十 日 町 小 唄)(新 潟)詩 ・永 井 白 眉 、 曲 ・ 中 山 晋 平 ・竜 峡 小 唄(長 野)詩 ・ 白 鳥 省 吾 、 曲 ・中 山 晋 平,上 州 小 唄(群 馬) 詩 ・野 口 雨 情 、 曲 ・中 山 晋 平 昭 和 五 年(一 九 三 〇)祀 園 小 唄(京 都)詩 ・長 田 幹 彦 、 曲 ・佐 々 紅 華 、 草 津 小 唄(群 馬)詩 ・相 馬 御 風 、 曲 ・ 中 山 晋 平 昭 和 六 年(一 九 三 一)八 戸 小 唄(青 森)詩 ・法 師 浜 桜 白 、 曲 ・後 藤 桃 水 、 飯 坂 小 唄(福 島)詩 ・西 条 八 十 、 曲 ・中 山 晋 平 昭 和 八 年(一 九 三 三)磯 原 節(茨 城)詩 ・野 口 雨 情 、 曲 ・藤 井 清 水 、 天 竜 下 れ ば(長 野)詩 ・長 田 幹 彦 、 曲 ・中 山 晋 平 、 東 京 音 頭(東 京)詩 ・西 条 八 十 、 曲 ・中 山 晋 平 北 原 白秋 は 、 「序 」24で 、 「こ の 民 衆 と郷 土 と の 声 で あ っ た 日本 の 民 謡 も 明 治 以 来 多 く は そ の 地 方 色 と 野 調 と を 失 っ て 行 っ た 。(中 略)今 に し て 本 来 の 面 目 を保 つ 民 謡 の 正 調 は 極 め て 稀 な る 状 態 に あ る。こ こ に 私 た ち が 民 衆 の 一 人 と して の 自覚 に よ り ま た 民 謡 精 神 の 根 本 に 還 り 、 新 に 時 代 の 民 謡 作 家 と して 起 っ た の も 決 して 故 無 き こ と で は な い 。 しか も私 た ち は こ の 七 八 年 以 来 、 自覚 した 信 念 に よ り実 行 に よ り、 在 来 の 伝 統 あ る 日本 童 謡 を継 承 し 、 更 に 芸 術 と して の 新 童 謡 を創 成 し た 。 さ う し て 今 日 の 如 き 隆 盛 を 見 る に 至 っ た 。 新 民 謡 の 振 興 に 於 い て もす な わ ち 期 して 俟 つ べ き で あ る。 こ れ を 思 ふ と実 に 心 は 昂 る。 童 謡 も民 謡 の 一 部 だ か ら で あ る 。(中 略)ま た 考 へ る と 、或 る人 々 の新 民謡 或 は小 唄 の提 唱 と創 作 とは、新 童謡 の それ らに比 して、 早 く と も 遅 く は 無 か っ た 、 少 く と も そ の創 作 に於 て 真 に 本 然 の 形 を 成 し た の は 明 治 の 末 期 で あ っ た 。 た だ 運 動 と して の 契 機 が 著 し く 開 か れ た の は 童 謡 の そ れ に 大 い に 気 勢 を 得 て か らの こ と で あ っ た 。 し か も 愈 々 具 体 化 きれ て 来 つ 丶あ る。 全 く真 に 興 隆 す る の は こ れ か らだ と思 は れ る 」 と の べ 、 起 こ り、 発 展 しつ つ あ る 状 況 を 喜 ん で い る の で あ っ た 。 し か し、 こ こ で 白秋 は こ う した 民 謡 運 動 に よ っ て 明 治 以 来 失 わ れ つ つ あ っ た 民 謡 精 神 に 立 ち 返 り、 伝 統 を 継 承 し よ う と して い る。 白秋 等 は 、 小 学 唱 歌 に 対 抗 して 新 民 謡 運 動 を 起 こ した の で は あ る が 、 創 作 に よ っ て 「真 に 本 然 の 形 成 」 を お こ な っ た の が 「新 童 謡 」 で あ り、 「新 民 謡 」 だ っ た と述 べ て い る の で あ り、 「創 作 」 が失 われ つ つ あ る 民 族 性 を 保 証 す る も の と して 位 置 付 け て い る 点 は 注 目 に 値 す る。 野 口 雨 情 も 、 雑 誌 『民 謡 音 楽 』25を 創 刊 し 、 「民 謡 」 ブ ー ム に 拍 車 を か け た 。 日本 ビ ク タ ー の 当 時 の 社 長 岡 庄 五 「最 近 に お け る レ コ ー ド界 の 趨 勢 」 に よ る と、1928年 に 、 野 口 雨 情 作 ・中 山 晋 平 作 曲 で 発 売 した 「波 浮 の 港 」 は 、 大 島 を うた っ た 「民 謡 」 で あ る が 、爆 発 的 に売 れ 、続 い て 、 「出 船 の 港 」 と い う 「民 謡 」 を ア メ リカ で 吹 き 込 24北 原 白 秋 編(『 日 本 「民 謡 」 作 家 集 』1927年2月 、 大 日 本 雄 弁 会) 25『 民 謡 音 楽 』 は 、1929年4,月 か ら 続 い た 雑 誌 。

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増 田 周 子 み 、 原 盤 を 日 本 今 送 り 、発 売 し た が 、 こ れ も 大 流 行 し た と い う 。 そ の 後 菊 池 寛 の 「東 京 行 進 曲 」 を 映 画 化 す る に 当 た っ て 、 西 条 八 十 作 詞 、 中 山 晋 平 作 曲 の 「東 京 行 進 曲 」 を1929年 に 発 売 し 、25・6万 枚 を 売 り 上 げ た 。 そ の 後 満 州 事 変 が 起 こ り 、 戦 時 色 の 強 い 「満 州 行 進 曲 」 な ど も 出 来 る が 、 「島 の 娘 」 な ど の 恋 愛 を う た い 、哀 調 色 の 強 い レ コ ー ドが 大 ヒ ッ ト し た 。 す ぐ さ ま 、1933年 「東 京 音 頭 」 が50万 枚 を 売 り 上 げ た 。 こ れ が 受 け た こ と で 、 音 頭 時 代 と な り 、 ア メ リ カ ロ サ ン ゼ ル ス か ら も 依 頼 が き て 、 世 界 的 に 音 頭 が つ く られ る よ う に な っ た 。 一 方 、1933年 、 ポ リ ドー ル で 発 売 さ れ た 「赤 城 の 子 守 唄 」 も 大 ヒ ッ ト し 、 そ れ を 抜 く た め に 各 レ コ ー ド会 社 で 熾 烈 な 競 争 が 行 な わ れ て い く 。26行 進 曲 、 音 頭 、 創 作 子 守 唄 な ど の 流 行 歌 と い わ れ る も の 民 謡 に 含 ま れ て い く 。 レ コ ー ド会 社 の 競 争 に よ っ て 「民 謡 」 そ の も の の 概 念 が 変 容 し て い く の で あ っ た 。 志 田 十 三 「本 年 度 民 謡 詩 壇 回 顧 一 葦 の 髄 か ら の ぞ く 一 」27に は 、 「出 て は 消 え 、 出 て は 消 え る 泡 沫 の 如 き 民 謡 雑 誌 の そ の 中 で 兎 角 本 年 度 ま で 続 刊 さ れ て き た 雑 誌 と 、 そ れ に 依 つ て 仕 事 を し て き た 作 家 を 、 今 手 元 に あ る 雑 誌 の 中 か ら 拾 つ て み る 」 と 記 し 、『新 日本 詩 人 』、『歌 謡 詩 人 』、『芸 術 民 謡 』、『日 本 民 謡 』、『民 謡 読 本 』、『新 潟 民 謡 』、 『白 陽 』、 『民 謡 作 品 』、 『詩 謡 文 学 』、 『播 磨 灘 』、 『途 上 』、 『詩 人 時 代 』、 『民 謡 耕 地 』、 『日 本 文 藝 』 を あ げ 、 そ れ ぞ れ の 雑 誌 で 活 躍 中 の 人 名 を あ げ て い る 。 当 時 、 か な り 多 く の 民 謡 雑 誌 が 発 刊 さ れ て い た の で あ る 。 こ の よ う に し て 、 音 楽 方 面 か ら 「民 謡 」 研 究 に 生 涯 を 賭 け た 町 田 嘉 聲(か し よ う)(1888-1981)は 、芸 謡 を 俗 謡 と 呼 ん で 区 別 し て 、一 般 民 衆 の 歌 う 俚 謡 と 並 立 さ せ 、 さ ら に 「民 謡 」 全 体 を(1)郷 土 「民 謡 」、(2)わ ら べ 歌 、(3)流 行 歌 に 大 別 し た 。 さ ら に 昔 か ら 口 伝 え に 伝 承 さ れ て き た 〈自 然 〉 と 〈創 作 〉 が あ る と し て 次 の よ う に 分 類 し た 。 (1)(A)自 然 「民 謡 」 (B)創 作 「民 謡 」 (a)俚 謡 、(b)俗 謡 、(c)踊 歌 。 広 義 に は 一 定 の 地 方 に 限 ら れ な い 創 作 「民 謡 」。 狭 義 に は 一 定 の 土 地 を 対 象 と し て 創 作 さ れ た 「民 謡 」。 (2)(A)自 然 わ らべ 歌 (B)創 作 わ らべ 歌 (3)(A)自 然 流 行 歌 普 通 の 歌 謡 が 大 衆 の 支 持 を得 て 流 行 化 し た 歌 。 (B)創 作 流 行 歌 レ コ ー ド会 社 が 商 品 と して 製 作 し た 歌28 柳 田 國 男 の 分 類 した も の と違 い 、 「(B)創作 流 行 歌 レ コ ー ド会 社 が 商 品 と し て 製 作 26岡 庄 吾 『最 近 於 け る レ コー ド会 の 趨 勢 』(1936年9月 、 日本 文 化 協 会 出 版 部) 27志 田 十 三 「本 年 度 民 謡 詩 壇 回 顧 一 葦 の 髄 か ら の ぞ く 一 」(『民 謡 読 本 』1936年12月 、 トロ カ ロ 書 房) 28町 田 嘉 章 ・浅 野 建 二 編 『日本 民 謡 集 く岩 波 文 庫 〉』(前 出)

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民 謡 概 念 の受 容 、 変 容 、 展 開 し た 歌 」 が 含 ま れ て い る 。 こ の よ う に 、 新 民 謡 運 動 の 成 立 と 展 開 に よ っ て 、 「民 謡 」 の 概 念 は 変 容 し て い っ た の で あ っ た 。 2-2民 謡 概 念 の 分 裂 こ の よ う に 、 い わ ゆ る ク ン ス ト.リー ト(技 巧 詩)と して 厂民 謡 」 は 流 行 歌 も含 意 す る よ うに な っ た 。 ドイ ツ で も 、 ロ マ ン派 の 民 謡 集 は ク ン ス トリー トだ っ た1さ ら に 、 「赤 い 鳥 」、 白秋 の 「創 作 童 謡 」 が 祖 国 愛 に い きつ き 、 風 土 、 伝 統 へ 回 帰 し よ う と した が 、 こ の こ と 自体 が 極 め て 重 要 な の で あ る 。 い わ ゆ る 「伝 統 の 創 出 」 が 起 き て い る の で あ る。 白秋 らが 美 ・芸 術 に よ る 感 化 を 受 け て 、 「童 謡 」 「民 謡 」 の 意 義 を 強 調 す る と き 、 そ れ は 自ず とナ シ ョナ リズ ム に つ な が っ て い っ た とい う図 式 が 見 え て く る で あ ろ う。 白秋 、 八 十 、 雨 情 を 「民 謡 詩 人 」 と称 し た の も 、 詩 人 あ っ て の 民 謡 な の で あ り、 「創 作 」 「技 巧 」 が 伝 統 を 作 る と い う意 味 も読 み 取 れ る の で は な い だ ろ う か 。 民 の 素 朴 な 心 情 は そ の ま ま で は 伝 え られ ず 、 伝 え る た め に は 、 詩 人 が 介 在 す る必 要 が あ る と い う。 ま さ に 、 ドイ ツ ロ マ ン 派 の 詩 人 達 と 同 じ よ うな や り方 で あ っ た 。 さ ら に こ の 時 代 に お け る プ ロ レタ リ ア 運 動 との 関 連 も無 視 で き な い 。1922年 、 『詩 と音 楽 』 『日本 詩 人 』誌 上 で 、北 原 白秋 は 、 白鳥 省 吾 と 、民 謡 を 巡 っ て 論 争 を繰 り広 げ る。 白 鳥 省 吾 は 厂新 し き 民 謡 に つ い て 」 で 、 次 の 如 く に 述 べ る。 童 謡 が 盛 ん に な り民 謡 の価 値 が 認 め られ る や うに な つ て か ら、 た しか に 一 般 の 人 は詩 と い ふ も の に親 しみ を 持 ち 、 解 し易 く 作 り易 き も の とい ふ 考 を 持 つ や うに な っ た 。 し か し詩 人 の 或 者 は そ れ に 棹 さ し て ぞ ん ざい な 素 画 風 な 詩 を 民 謡 と 呼 び 童 謡 とー 称 し て 作 製 し て は居 な い か 。そ の 例 鐙 は な か な か 多 い 。(中 略)現 代 の 新 しい 民 謡 が ど うい ふ も の で あ る か を 見 る た め に 、 そ の 選 手 と して 北 原 白秋 、 野 口雨 情 の 二 氏 の 作 に 見 や う。 総 括 して 言 へ ば 二 人 と も に 、 日本 の 伝 統 と い ふ も の を狭 小 な 固形 した も の に 考 へ て 居 り、 著 し く 自 己 逸 楽 的 で 社 会 性 に 乏 しい 。 民 謡 の 本 質 に は 、 そ の 一 年 に 愛 慾 に 殉 す る 情 緒 が あ る と共 に 、 一 平 に社 会 的 な 怨 嗟 反 抗 歓 喜 が あ る も の で あ る 。 そ こ に 個 人 的 な 趣 味 で な し に 協 同 の 唄 が あ る の で あ る 。 然 る に こ の 二 人 の 民 謡 に は 消 極 的 な意 味 に 於 け る 日本 情 調 、 淡 い 哀 愁 とか 言 ふ も の は 流 れ て ゐ る が 、 一 般 の 生 彩 あ る 社 会 生 活 と は よ 妹 ど縁 遠 い も の とな つ て ゐ る。 さ うい ふ 消 極 的 な 傾 向 は 新 旧 い つ れ の 民 謡 に も属 せ ざ る も の で あ る 。29 白鳥 は 、 白秋 や 雨 情 が 行 っ た 「創 作 」 主 流 の 、新 民 謡 運 動 は 、 「日本 の 伝 統 とい ふ も の を 狭 小 な 固 形 した も の に 考 へ て 居 り、 著 し く 自己 逸 楽 的 で 社 会 性 に 乏 しい 」 と 29白 鳥 省 吾 「新 し き 民 謡 に つ い て 」(『 日本 詩 人 』1922年10月 、 第2巻10号)

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増 田 周子 して い る。新 民 謡 運 動 の 担 い 手 達 は 、創 作 を行 い 、日本 古 来 の伝 統 的 民 謡 を 発 掘 し、 収 集 す る の で は な く 、伝 統 を創 出 し て い る と言 うの で あ る 。 白鳥 は 、 あ く ま で 、 「民 謡 は 言 ふ ま で も な く民 衆 の 心 の 生 き た 表 現 で あ る。 換 言 す れ ば ブ ル ジ ョア の 文 学 に あ らず して プ ロ レ タ リア の 所 有 で あ る と こ ろ に 生 命 が あ る 」と 述 べ る 。 白鳥 は 、民 謡 =大 衆 の も の と位 置 づ け 、 白秋や 八十 、雨情 等 の よ うな ブル ジ ョア 的考 え では 、 民 謡 運 動 な ど担 え な い と批 判 す る の で あ る。 民 の 声 を 拾 い 上 げ よ う と した プ ロ レ タ リ ア 運 動 に対 して 、 白秋 は反 発 を感 じて い た 。 い わ ゆ る 「プ ロ レ タ リア 民 謡 」 な る も の も登 場 し た が 、 白秋 は こ う した 文 学 の 大 衆 化 の 動 き に美 的 な 面 で 反 感 を 抱 い て い た の で あ る。 白秋 は 、 「時 代 相 と民 謡 」(『詩 と音 楽 』1922年1月 号)の 中 で 、 白 鳥 の 「民 謡 に 対 す る 意 見 は 、 近 時 流 行 の 民 主 精 神 を 主 と し」、 「結 局 は 極 め て 当 世 向 き の プ ロ レタ リア の 所 論 で あ る 」 とす る。 こ の 反 発 が 「童 心 」=芸 術 性 を 唱 え る 芸 術 教 育 運 動 を も っ て 、 国 民 統 合 を 目指 す 「国 民 歌 謡 」 に 向 か わ せ た の で あ る。 新 民 謡 運 動 は 、 芸 術 至 上 主 義 的 な 詩 人 た ち が 、 国 家 統 制 を 主 と し た 小 学 唱 歌 に 対 抗 して 起 こ し た 、 芸 術 運 動 で あ っ た に も 関 わ らず 、 結 果 と し て 、 国 民 国 家 統 合 に積 極 的 に 加 担 して い く こ と に な っ た 原 因 の 一 つ は こ こ に あ る だ ろ う。 す な わ ち 、 ドイ ツ 語 の Volkの 意 味 の 二 義 性 、 厂民 族 」 と 「民 衆 」 の 意 味 を 持 つ こ とが 、 近 代 に お い て 「民 謡 」 概 念 を 、 分 裂 させ て い っ た と考 え られ る 。 3台 湾 に お け る 展 開 整 理 す る と、Volkの 二 面 性 か ら見 る と次 の よ う に 、 白秋 や 八 十 、 雨 情 が 起 こ し た 、 新 民 謡 運 動 の 近 代 的 芸 術 潮 流 は A.民 族 、 国 民 → ナ シ ョ ナ リ ズ ム 、 文 化 相 対 主 義__伝 統 の 創 出 へ B.民 衆 、 大 衆 → イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル 、 プ ロ レ タ リ ア 運 動 と い う よ う に 、 向 か っ て い っ た と 考 え ら れ る だ ろ う。 さ て 、 台 湾 で の 動 き は ど う で あ っ た の か 。 レ コ ー ド会 社 と タ イ ア ッ プ し た 、 新 民 謡 運 動 は 、 植 民 地 に も 広 が っ て い く 。 植 民 地 へ の 新 民 謡 運 動 の 広 が り の 例 と し て 、 台 湾 文 藝 雑 誌 『わ か く さ 』(創 刊 号1917年1月)に つ い て の み 、 簡 単 に 紹 介 し て み る 。 『わ か く さ 』 は 、 表 記 は 『若 草 』(第169年)、 『わ か 草 俚 謡 ・民 謡 ・童 謡 』(第191号)、 『わ か く さ 俚 謡 研 究 誌 』(第197号)な ど と 変 化 し て い く 。 台 北 市 発 行 さ れ た 日本 語 の 民 謡 ・俚 謡 雑 誌 で あ る 。 新 民 謡 運 動 の 隆 盛 に と も な い 発 刊 さ れ た 。1935年10月 、200号 で19年 間 続 い て い る こ と が 確 認 で き る 。 初 期 の 頃 は 、 『台 湾 日 日 新 報 』 の 支 援 を 受 け て 発 行 さ れ て い た 。 『台 湾 日 日新 報 』 が 「大 和 短 詩 欄 」 と い う も の を し 、 俚 謡 歌 の 登 竜 門 と 位 置

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民 謡 概 念 の 受 容 、 変 容 、 展 開 づ け ら れ て い た 。 そ れ が 発 展 し た の が 、 こ の 『わ か く さ 』 で あ る 。301934年7月2 日 、 は じ め て 訪 台 し た 北 原 を 『わ か く さ 』 が 中 心 と な り 、1934年7.月5日 の 夜 北 原 白 秋 歓 迎 会 を 行 っ た こ と な ど が 書 か れ て い る 。 第197号 に は 、 北 原 白 秋 の 「民 謡 私 論 」 を 再 掲(『 日 本 の 笛 』 に 掲 載)し た り も し て い る 。 『わ か く さ 』(第188号)に は 、 吉 鹿 優 芽 二 が 「雨 情 氏 と そ の 作 品 を 語 る 」 な ど も 書 か れ て い る 。 ま た 、 同 時 代 に は 、 「思 い 出 の 記 」 を1934年8 ,月14日 、18日 、20日 、21日 の4回 に わ た っ て 『台 湾 日 日新 報 』 に 掲 載(再 掲)し て い る 。 こ の 『わ か く さ 』 に は 、 西 条 八 十 作 詞 「台 湾 音 頭 」 を め ぐ っ て 騒 動 を 巻 き 起 こ し そ の こ と も 書 か れ て い る 。31こ の よ う に 、 新 民 謡 運 動 を 担 っ た 作 家 達 の 影 響 が 、 台 湾 全 土 に 散 見 さ れ る 。 植 民 地 台 湾 で も 、 新 民 謡 運 動 の 影 響 は か な り 強 か っ た の で あ っ た 。 い わ ゆ る 「民 謡 詩 人 」 と さ れ る 西 条 八 十 や 白 秋 が 台 湾 に 来 て 、 新 民 謡 を 促 し た 。 こ こ で も 台 湾 に お け る 「大 衆 」運 動 と 、 日 本 の 帝 国 主 義 統 合 の シ ン ボ ル と し て の 「民 族 」 の 微 妙 な 関 係 が 見 て 取 れ る の で は な い だ ろ う か 。 「民 謡 」 と 深 く か か わ る 郷 土 文 学 に つ い て は 、 ど の よ う な と ら え 方 が さ れ て い た の で あ ろ う か 。 台 湾 で は 、 山 口 守 「呉 濁 流 と 郷 土 文 学 」(山 口 守 編 『講 座 台 湾 文 学 』1997年11月 、 研 文 出 版)に よ る と 、 「郷 土 文 学 論 争 も し く は 郷 土 文 学 が 重 要 な 用 語 と な っ た 論 争 が 三 回 あ っ た と さ れ て い る 」 と あ る 。 「一 回 目 は 日本 統 治 時 代 の 一 九 三 〇 年 に 起 き て い る 」 と し 、 つ ぎ の 如 く に 記 さ れ て い る 。 一 九 二 〇 年 代 に大 陸 にお け る新 文 学 運 動 の 影 響 を 受 け て 、 台 湾 で も 白 話 文 に よ る 文 学 が 提 唱 され 、 日本 語 教 育 が 進 む 中 で も近 代 中 国 文 学 に 合 流 し よ う とす る 作 家 や 評 論 家 が 登 場 し て い た 。(中 略)台 湾 で も プ ロ レ タ リア 文 学 運 動 が 活 発 化 した 時 に 、 文 芸 大 衆 化 の 一 環 と して 郷 土 文 学 が 提 唱 され た の で あ る 。 続 け て 、1930年 に 、 黄 石 輝 『伍 人 報 』 で 、 厂文 学 の 土 着 化 、 大 衆 化 を 主 張 し」、 そ の た め に 、厂支 配 者 の 言 語 で あ る 日本 語 や 、一 部 の 知 識 人 の 言 語 に 過 ぎ な い 白話 文 に 代 わ っ て 、 民 衆 の 思 考 や 感 情 を表 現 す る 台 湾 語 に よ る文 学 創 作 を 訴 え た 」 こ とを 記 し 、 さ ら に1931年 に は 、 郭 秋 生 が 『台 湾 新 聞 』 で 、 「民 衆 言 語=台 湾 語 と い う考 え に 基 づ き 、 台 湾 語 に よ る 言 文 一 致 を 強 く 主 張 し た こ と で 、 台 湾 語 派 対 中 国 派 の 台 湾 語 文 論 争 に ま で 発 展 し た 」 と説 明 す る。 厂こ う した 論 争 の 中 で 、郷 土 文 学 派 ・台 湾 語 派 は 日本 支 配 下 の 台 湾 の 特 殊 性 を意 識 し な が らネ イ テ ィ ブ ィ ズ ム(Nativism)の 立 場 か ら郷 土 文 学 を 考 え て い た の に 対 して 、 そ れ に 反 対 す る グ ル ー プ は 、 言 文 一 致 を 30台 湾 国 家 図 書 館 所 蔵 の も の は 全 て 閲 覧 し た 。 しか し、 全 号 は 所 蔵 して お らず 、 現 在 探 索 中 で あ る 。 所 蔵 先 、 及 び 個 人 所 蔵 が あ れ ば 御 教 示 頂 き た い 。 31こ の 件 に 関 し て は 、拙 稿 「日本 新 民 謡 運 動 の 隆 盛 と植 民 地 台 湾 との 文 化 交 渉 一 西 条 八 十 作 『台 湾 音 頭 』」(1934年9月 、 ビ ク タ ー)を め ぐ る騒 動 を 例 と して 一 」(文 部 科 学 省GCOE 『東 ア ジ ア 文 化 交 渉 学 』 紀 要 創 刊 号 、2008年3,月)

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増 田 周子 原 則 とす る 近 代 言 語 と して 機 能 しな い 台 湾 語 で な く 、 中華 民 国 の 国 語 と して の 標 準 中 国 語 を普 及 させ る こ と で 、ナ シ ョナ リズ ム を 志 向 し て い た と 考 え る こ と が で き る。 こ う して 状 況 下 で 、 郷 土 文 学 は 故 郷 喪 失 や 田 園 回 帰 の 問 題 よ り、 大 小 の ナ シ ョナ リ ズ ム の 文 脈 で 捉 え られ て い た よ うに 見 え る」 と し て い る 。松 永 正 義 は 、 「郷 土 文 学 論 争(一 九 三 〇 一 三 二)に っ い て 」(『台 湾 文 学 の お も し ろ さ』2006年6月 、研 文 出 版) で 、「郷 土 文 学 論 争 に つ い て 、① 論 争 は 白話 文 運 動 に お け る民 族 の 契 機 と民 衆 の 契 機 の ふ た つ の 契 機 の 矛 盾 と し て と ら え る こ とが で き る の で は な い か 、 ② 論 争 に は 大 衆 化 の 方 向 と本 土 化 の 方 向 の ふ た つ の 方 向 が あ っ た の で は な い か 」と結 論 づ け て い る。 こ れ ら を 考 え る と、 「民 謡 」 の 起 こ り と密 接 に 関 連 す る 郷 土 文 学 運 動 は 、台 湾 で は 日 本 と 同 じ よ う に 、 ドイ ツ 語 のVolkの 意 味 の 二 義 性 、 「民 族 」 と 「民 衆 」 の 意 味 を 持 つ も の と し て 、 展 開 し て い く こ と が わ か る の で あ る 。 土 着 の 文 化 ・文 学 を 復 興 させ よ う と し て い た 台 湾 郷 ±:文学 運 動 に お い て も 、「民 族 」 と 「民 衆 」 の 二 面 性 が み られ る 。 こ う した 流 れ の 中 で 、台 湾 で は 、1930年 に は 、皇 民 化 運 動 が 激 化 す る 。た と え ば 、 漢 文 欄 の 廃 止 、 台 湾 語 の 使 用 制 限 な どの 言 論 、 文 化 活 動 の 弾 圧 が 行 わ れ 、 当 時 の 二 大 雑 誌 『台 湾 文 芸 』 は 、1936年8月 、 『台 湾 新 文 学 』 は1937年6,月 に廃 刊 さ れ る 。 し か し1940年 代 に は 、 弾 圧 も な く な り、 二 つ の 二 大 雑 誌 が 誕 生 す る 。1940年1月 に は 、 西 川 満 主 宰 の 『文 芸 台 湾 』 が 創 刊 され る。 し か し、『文 芸 台 湾 』 は 、西 川 満 の 「個 人 的 な趣 味 本 意 お ち す ぎ て い る」傾 向 が 見 られ た た め に 、『文 芸 台 湾 』 を 脱 退 し た メ ンバ ー 等 が 集 ま り、1940年5,月 に 『台 湾 文 学 』 を創 刊 す る 。 『台 湾 文 学 』 は 、 次 の よ う な傾 向 の 雑 誌 で あ っ た 。 そ の 方 向 性 を 明 確 に 示 し て い る の は 、 一 九 四 一 年 九 月 『台 湾 文 学 』 一 巻 二 号 に 掲 載 さ れ た 黄 得 時 の 評 論 「台 湾 文 壇 建 設 論 」 で あ る 。黄 は 同 評 論 の 中 で 、 「大 東 亜 共 栄 圏 の 確 立 と高 度 防 衛 国 家 の 建 設 」 の た め 「文 化 機 構 の 再 編 成 」 が 必 要 で あ り 、 そ の た め に は 地 方 文 化 を確 立 し な け れ ば な らな い 。 そ こで 「地 方 一 翼 で あ る台 湾 文 壇 の 新 しき 建 設 を 提 唱 した い 」 と して 、『台 湾 文 学 』に 集 合 す る こ と を 作 家 達 に 呼 び 掛 け て い る。 こ こで 黄 の 強 調 し て い る地 方 文 化 と して の 台 湾 性 の 強 調 は 、 そ の 後 も 「リア リズ ム 」 と表 現 を 変 え な が ら も 『台 湾 文 学 』 の 理 論 的 支 柱 と な っ て い く の だ が 、注 目す べ き は 、「地 方 文 化 」の 確 立 と は 一 九 四 〇 年 一 〇 月 発 足 の 大 政 翼 賛 会 の 方 針 で あ る こ とで あ る。32 っ ま り 、 郷 土 性 の 強 調 は 大 政 翼 賛 会 の 方 針 沿 う も の で あ っ た が 、 これ が 植 民 地 で 展 開 され る と き こ の 「郷 土 」 は 「ア ジ ア 」 に 拡 大 さ れ 、 結 果 的 に 日本 を 越 え た 「ア ジ ア 主 義 」 に行 き 着 い て し ま う。 32垂 水 千 恵 「1940年 代 の 台 湾 文 学 一 雑 誌 『文 芸 台 湾 』 と 『台 湾 文 学 』」(山 口守 編 『講 座 台 湾 文 学 』 前 出)よ り

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民 謡 概 念 の 受 容 、 変 容 、 展 開 台 湾 郷 土 運 動 台 湾 の 文 化 ・土 着 性 の 強 調 は 、 大 政 翼 賛 会 の 意 向 に も 沿 い な が ら 、 民 族 主 義 と 厂地 方 」 の 発 見 を 目指 し て い っ た 。 し か し、 植 民 地 の 皇 国 化 の 過 程 に お け る ア ジ ア 主 義 へ の 流 れ に の り な が ら、 そ れ を逆 手 に と っ て リ ア リ ズ ム 文 学(社 会 主 義 リ ア リズ ム 、 藝 術 大 衆 化)の 追 求 を 並 行 して お こ な っ て い た と考 え られ る。 そ の 際 、 文 芸 雑 誌 の 分 裂 に も こ の 二 面 性 は 見 られ る。 台 湾 文 芸 協 会 か らプ ロレ タ リ ア 文 学 系 の機 関 誌 と して ス タ ー ト した 『文 芸 台 湾 』 は 、 矢 野 峰 人 や 西 川 満 らが 中 心 だ っ た が 、 や が て 文 芸 家 協 会 を 離 れ て い き 、 大 政 翼 賛 会 の 傘 下 に 入 っ た 。 他 方 、 台 湾 人 作 家 達 を 中 心 に リア リズ ム を 追 及 す る 人 た ち を 束 ね て 『台 湾 文 学 』 は 台 湾 語 運 動 を促 進 し、『文 芸 台 湾 』 を批 判 した 。 『文 芸 台 湾 』 が 厂民 族 」 を 、 『台 湾 文 学 』 が 「大 衆 」 を 目指 した こ とを 明 ら か だ ろ う。 当 然 、 社 会 主 義 、 「大 衆 」 は 、イ ン タ ー ナ シ ョナ リズ ム 、プ ロ レタ リア 運 動 に 連 な る が 、 こ れ だ け 日本 か ら の影 響 が あ っ た か は 、 今 後 の 課 題 と した い 。 ち な み に 、黄 瑛 椿 「社 会 主 義 思 潮 の 影 響 下 に お け る 郷 土 文 学 論 争 と台 湾 話 文 運 動 」 (下 村 作 次 郎 他 編 『よ み が え る台 湾 文 学 日本 統 治 期 の 作 家 と作 品 』1995年10月 、 東 方 書 店)で は 、「社 会 主 義 思 潮 は 郷 土 文 学 の 意 味 内 容 を 変 容 させ て い っ た 。郷 土 文 学 は プ ロ レ タ リア 的 態 度 と 関 連 を持 つ よ うに な る 」 と し て い る 。 終 わ り に 以 上 、 日本 に お け る 民 謡 概 念 の 受 容 と変 容 、展 開 を 「創 作 」 「技 巧 」 の 問題 とプ ロ レ タ リア 運 動 と の 関 わ り を 中 心 に 見 て き た 。 ドイ ツ 経 由 の 、 新 しい 民 謡 概 念 の 受 容 は 、 近 代 化 以 前 の 伝 統 的 な 日本 の 民 謡 概 念 の 中 に 、 民 族 性 、 国 民 性 を ク ロ ー ズ ア ッ プ させ た 。 ドイ ツ と 同 じ く 、 都 市 文 明 化 の 中 で 、 日本 で も 土 着 の もの へ の 還 元 と い う風 潮 に お い て 、 民 族 の 核 と な る 文 芸 と し て 民 謡 は 注 目 され た の で あ る 。 し か し、 こ の 運 動 は 、 北 原 白 秋 、 西 条 八 十 を 中 心 と した 「新 民 謡 」 とい う、 近 代 的 文 芸 ジ ャ ン ル と して 変 容 を 遂 げ て い く。 そ こ で は 、 素 朴 な 「うた 」 と して で な く 、 民 の 声 を 代 表 す る エ リー ト詩 人 を 介 して は じ め て 発 言 す る 「声 」 と して 「創 作 」 の 意 味 合 い の 強 い 民 謡 と し て 位 置 づ け られ て い た 。 こ の 「創 作 詩 」 と し て 「新 民 謡 」 は 、 か た や 、 プ ロ レ タ リア の 大 衆 運 動 と は 、 鋭 く対 峙 し、 北 原 白秋 、 西 条 八 十 ら は 、 意 識 し な く て も 、 結 果 的 に 民 族 主 義 ・ナ シ ョナ リ ズ ム へ と加 担 して い っ た 。 ま た 、 一 方 で 、 プ ロ レ タ リア 運 動 で も 民 謡 は 注 目 され て い る 。 台 湾 の 文 芸 運 動 で も 、 日本 人 作 家 に よ る 民 族 主 義 に 対 して 、 大 衆=台 湾 人 の リア リズ ム運 動 と して 、 台 湾 語 に よ る 台 湾 文 化 の 発 掘 一 表 現 を め ざす プ ロ レ タ リ ア 民 族 主 義 運 動 の 中 で 、 民 謡 が 位 置 づ け られ た の で あ る。 今 回 の 発 表 で は 、 ま だ 十 分 に 資 料 の 発 掘 が な され て い な い 。今 後 台 湾 を 中 心 と し て 、東 ア ジ ア に お け る民 謡 を 詳 し く調 査 して い き た い 。

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増 田 周 子 こ の 図 式 に 基 づ い て 、 植 民 地 下 に あ っ た 台 湾 に お け る 「民 謡 」 の 展 開 を 見 て み た い 。 た だ し、 今 回 の 発 表 で は 十 分 な 資 料 的 発 掘 が で き て い な い の で 、 そ の 概 略 の み を 示 し、 今 後 の研 究 の 方 向性 を 示 す に と ど め た い 。 い わ ゆ る 「民 謡 詩 人 」 と され る 西 条 八 十 や 白秋 が 台 湾 に 来 て 、 新 民 謡 運 動 を 促 し た 。 こ こ で も 台 湾 に お け る 「大 衆 」 運 動 と 日本 の 帝 国 主 義 的 統 合 の シ ン ボ ル と し て の 「民 族 」 の微 妙 な 関係 が 見 て 取 れ る の で は な い だ ろ うか 。 土 着 の 文 化 ・文 学 を 復 興 させ よ う と し て 、 「民 謡 」運 動 もそ の 一 つ と して い た 台 湾 郷 土 文 学 運 動 に お い て 、 こ の 二 面 性 が み られ る 。 す な わ ち 、 郷 土 文 学 の 民 族 主 義 を 利 用 して 、 イ ン タ ー ナ シ ョナ ル は 社 会 主 義 ・プ ロ レ タ リア 運 動 的 態 度 を 保 持 し よ う と した!の で あ る。 っ ま り、 郷 土 性 の 強 調 は 大 政 翼 賛 会 の 方 針 に 沿 うも の で あ っ た が 、 これ が 植 民 地 で 展 開 され る と き こ の 「郷 土 」 は 「ア ジ ア 」 に 拡 大 され 、 結 果 的 に 日本 を越 え て 「ア ジ ア 主 義 」 に 行 き 着 い て し ま う。 台 湾 郷 土 運 動 台 湾 の 文 化 ・土 着 性 の 強 調 は 、 大 政 翼 賛 会 の 意 向 に も沿 い な が ら、 民 族 主 義 と 「地 方 」 の 発 見 を 目指 して い っ た 。 しか し、 植 民 地 の 皇 国 化 の 過 程 に お け る ア ジ ア 主 義 へ の 流 れ に の りな が ら 、 逆 手 に と っ て リア リズ ム 文 学(社 会 主 義 リ ア リズ ム?文 芸 大 衆 化)の 追 求 を 並 行 し て お こ な っ て い た と考 え られ る。(参 考 、垂 水 千 恵 厂1940年 代 の 台 湾 文 学 一 雑 誌 『文 芸 台 湾 』 と 『台 湾 文 学 』」(山 口守 編 『講 座 台 湾 文 学 』(国 書 刊 行 会 、2003年))そ の 際 、 文 芸 雑 誌 の 分 裂 に も こ の 二 面 性 は 見 ら れ る 。 台 湾 文 芸 協 会 か らプ ロ レ タ リア 文 学 系 の 機 関 誌 と して ス タ ー ト した 『文 芸 台 湾 』 は。 矢 野 峰 人 や 西 川 満 ら が 中 心 っ た が 、 や が て 文 芸 家 協 会 を離 れ て い き 、 大 政 翼 賛 会 の 傘 下 に 入 っ た 。 他 方 、 台 湾 人 作 家 た ち を 中 心 に リア リズ ム を 追 求 す る人 た ち を 束 ね た 『台 湾 文 学 』 は 台 湾 語 運 動 を促 進 し、 『文 芸 台 湾 』 を 批 判 した 。 『文 芸 台 湾 』 が 「民 族 」 を 、 『台 湾 文 学 』 が 「大 衆 」 を 目指 した こ と は 明 ら か だ ろ う。 当 然 、社 会 主 義 、 「大 衆 」 は 、イ ン タ ー ナ シ ョナ リズ ム 、 プ ロ レ タ リア 運 動 に 連 な る が 、 これ が どれ だ け 日本 か らの 影 響 が あ っ た か は 、 今 後 の 課 題 と した い 。 ち な み に 、黄 瑛 椿 「社 会 主 義 思 潮 の 影 響 下 に お け る 郷 土 文 学 論 争 と台 湾 話 文 運 動 」 (下 村 作 次 郎 他 編 『よ み が え る 台 湾 文 学 日本 統 治 期 の 作 家 と作 品 』(東方 書 店 、1995 年))で は 、社 会 主 義 思 潮 は 郷 土 文 学 の 意 味 内 容 を 変 容 させ て い っ た 。 郷 土 文 学 は プ ロ レタ リア 的 態 度 と関 連 を持 つ よ う に な る 。 と し て い る 。

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