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emason ni okeru ko no gainen : gendai shiso karano saihyoka o moto ni hakushi ronbun

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博士論文概要書

エマソンにおける「個」の概念

――現代思想からの再評価を基に――

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博士論文概要書 エマソンにおける「個」の概念 ――現代思想からの再評価を基に―― 苫野 一徳 一、本研究の目的、内容、および方法 (一)目的

教育思想の文脈において、エマソン(Ralph Waldo Emerson, 1803-1882)は、「個の尊 重」「児童尊重」を根本思想とした、いわゆる「新教育」「進歩主義教育」の思想的源流と されている。しかし彼の(教育)思想の本質は、残念なことに、とりわけわが国ではあま り知られていないばかりか、むしろ一般には、ある偏狭なイメージで受け取られているの が現状であるといってよい。すなわち、子どもの「神性」を論じ、それゆえに教育は「個」 を尊重しなければならないと唱えた、ある種素朴なロマン主義のイメージである。 確かにエマソンは、19世紀アメリカにおけるロマン主義の主唱者であった。彼の唱えた 「超越主義」(transcendentalism)が、「個」は「個」でありつつも、「普遍的な魂」「永 遠の一」といった一種の「神」的存在と合一しうる、あるいはしているのだとする汎神論 的ロマン主義であったことは、アメリカ思想史上の常識であるといってよい。 しかしこの「ロマン主義」的な「個」の概念こそが、とりわけ教育思想の文脈において エマソンが論じられる際、これまで最も厄介な、、、点であったといわねばならないのである。 エマソンをその大きな思想的源流とする、「児童中心主義」や「新教育」といわれるものに 対する批判の最大の論拠であったもの――そしてなおあり続けているもの――こそが、こ の「ロマン主義」への疑義であるからだ。 ロマン主義者はいう。「個」(子ども)はそもそも「神性」を備えた存在である、したが ってこの「神性」を損なうことなく、慈しみ育んでいかねばならないと。対して批判者た ちは次のようにいう。子どもの「神性」など、端的にいって確かめ不可能な一種の物語で ある、したがって、こうした物語に依拠して子どもたちの社会化や教化を過度にないがし ろにするロマン主義的教育は、むしろ有害でさえあると。 確かに、子どもの中に「神性」を見出そうとするロマン主義的教育思想は、それはそれ

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で確かに一つの美しい思想ではあるかも知れないが、同じ心性や信念を持った者同士にし か共有されない、すなわち確かめ不可能な、一種の物語であるといわねばならないだろう。 われわれは、「個」(子ども)が「神」と一体であるかどうかなど決して知り得ないし、「神 性」なるものが実体として備わっているかどうかもまた、決して分からないからである。 ポストモダン思想を経験した現代からしてみればなおのこと、教育における「個の尊重」 の論拠を、「個」は「神」と一体であるからという「大きな物語」に求めることは、今やほ とんど説得力を持ち得ない。 さて、しかし以上のように、エマソンの思想を素朴なロマン主義とする解釈は、実は極 めて一面的なものであるといわねばならないのである。というのも、エマソンの思想には、 単なる素朴なロマン主義におさまらない、そればかりか彼以降の様々な現代哲学者たちに も先駆けうるような、極めて原理的な哲学的思索の萌芽が見られるからである。それは確 かに、子どもの「神性」や「個の普遍性」といったロマン主義的な彼の表現に隠れて、明 瞭な形で取り出すことは難しい。しかしエマソンの思想には、そのまま打ち捨てておくに はもったいない、今日なお十分に熟視すべき洞察がある。 本研究における目的は、これまで多くの場合見過ごされてきたこのエマソンの哲学的洞 察を明らかにすることで、エマソンの思想の現代性および現代的意義を主張することにあ る。とりわけ、従来「普遍的な魂」(=神)と合一しているがゆえに「個」は「普遍」であ ると解されてきたエマソンにおける「個」の概念が、実は哲学的にも教育学的にも、今日 なお大きな可能性を秘めた洞察であったことを明らかにすることにある。そしてその上で、 エマソンはなぜ、またどのような意味において教育における「個の尊重」を訴えたのか、 その意味内実を、従来のロマン主義的解釈とは異なった仕方で明らかにすること、以上が 本研究の目的である。 (二)方法および先行研究における本研究の位置づけ

ホームズ(Oliver Wendell Holmes)やキャボット(James Elliot Cabot)ら、エマソン と同時代の研究者たちから、ウィッチャー(Stephen E. Whicher)、ジェルダード(Richard G. Geldard)、またわが国における酒本雅之らに至るまで、エマソンはいうまでもなく、 アメリカン・ルネッサンスの代表として、多くは文学の領域で論じられ続けてきた。この 150年近くにおよぶエマソン研究の蓄積は、文学者・思想家エマソンの素顔を、これまで 十分に明らかにしてきたといってよい。

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しかし他方でまたわれわれは、こうした豊富な研究蓄積が作り上げてきたエマソン像こ そが、まさに、アメリカにおけるいかにも超越的(transcendental)な、ロマン主義の主 唱者としてのエマソン像だったといわねばならない。文学研究の領域において、エマソン の思想を雄大なロマン主義として解釈することは、半ば常識的な伝統であり続けている。 しかしその一方で、1980年前後から、エマソンの思想には、哲学研究の領域からまた新 たな光が当てられるようになっている。むしろ今日では、文学研究の領域よりも哲学研究 の領域におけるエマソン研究の方が、主流になりつつあるとさえいってよい。そして現代 では、エマソンを単なるロマン主義的思想家と捉えるのではなく、むしろ現代哲学にも先 駆けうる洞察を持った思想家であったと解釈する研究が盛んに発表されるようになってい る。 とりわけ、90 年代、スタック(George Stack)をはじめとした研究者らによってエマ ソンとニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844-1900)の比較研究が盛んに行われ、 そしてその過程において、ニーチェがエマソンから絶大な影響を受けていたということが 実証的に明らかにされたのに伴って、エマソンは今日、ニーチェにも先駆けうる現代哲学 の予言者として注目を集めるようになっている(この成果は1997年のEmerson Society Quarterlyに結集した)。

以来、アメリカにおけるエマソン研究の多くは、ヤコブソン(David Jacobson)やカベ ル(Stanley Cavell)などのように、エマソンをフッサール(Edmund Husserl, 1859-1938) やハイデガー(Martin Heidegger, 1889-1976)、あるいはウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein, 1889-1951)といった現代哲学者たちと比較しながら、エマソンの思想の現 代的先駆性を明らかにするという方向へと進んできたように思われる。

さらに2000年代に至っては、ローテンフェルト(Hans von Rautenfeld)、ライセイカ ー(John T. Lysaker)、ガーリー(Jennifer Gurley)など、エマソンを現代政治哲学の領 域に援用する研究さえ多数見られるようになっている。周知のように、ロールズ(John Rawls, 1921-2002)が1971年に刊行した『正義論』(A Theory of Justice)以来、政治哲 学の領域においては「正義」をめぐる激しい論争が繰り広げられることになったが、今日 エマソンの思想は、この混迷を極める論争を解きほぐす可能性を持った、一つの重要な政 治思想として注目を集め始めているのである。

本研究の方法および内容は、こうした近年におけるエマソンの現代哲学的再解釈――認 識論的および政治哲学的再解釈――を踏まえながら、エマソンにおける「個」の概念を再

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解釈し、さらにその成果を踏まえて、彼における「個の尊重」の教育の意味内実を明らか にするものである。 ところで教育思想の領域におけるエマソン研究は、アメリカにおけるよりも、特に市村 尚久や齋藤直子の研究に見られるように、むしろ日本における研究の方が豊富に蓄積され てきた経緯がある。本研究も両者の研究に多くを負っているが、そのアプローチに関して は、両者が教育学的問題関心から直接的にエマソンの教育思想を論じるのに対して、本研 究は、上述したエマソンの現代哲学的再解釈を迂回して、より哲学的地平からエマソンの 教育思想を再解釈するものである。そのことによって、エマソンの教育思想をより深い次 元から支える理路を見出すことが本研究の方法におけるねらいである。 (三)構成 本論は七章から構成される。各章とその節の構成は、以下のとおりである。 序 章 1.本研究の目的 2.方法および先行研究における本研究の位置づけ (1)認識論的再解釈 (2)政治・倫理思想的再解釈 (3)教育思想的再解釈 3.本論文の構成 第1章 エマソンの思想形成に関する考察 1.「自己信頼」思想の萌芽 2.超越主義の誕生 3.転換 4.政治思想への発展 第2章 「自己信頼」の思想――「個の尊重」の教育思想とその問題―― 1.アジテーションとしての「自己信頼」 2.「自己信頼」思想の根拠――芸術の普遍性―― 3.永遠の「一」との合一 4.「個の尊重」の教育の論拠としての「自己信頼」

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5.「自己信頼」思想の問題 (1)検証不可能性と非現実性 (2)教育における自発性の問題 第3章 エマソン認識論に関する考察―「理性」「直観」「想像力」の関係から― 1.「理性」(Reason)と「直観」(Intuition)の関係 2.「直観」と「想像力」(imagination) 3.「想像力」の方法 4.エマソン超越主義の再解釈へ向けて 第4章 ニーチェによるエマソン的形而上学の克服 1.エマソンとニーチェの思想的類似性――生の肯定―― 2.エマソンとニーチェの思想的差異――ニーチェによる形而上学の克服―― 3.「力への意志」思想におけるエマソンの影響 4.「想像力」と「力への意志」 (1)解釈原理としての「力への意志」 (2)解釈されたものとしての「運命」 第5章 エマソン超越主義の現象学的再解釈 1.エマソン超越主義と現象学の親近性――方法的観念論―― 2.現象学の基本的方法――エマソン認識論の再解釈のために―― 3.エマソン「想像力」論の現象学的再解釈 第6章 エマソン「個」概念の認識論的再解釈――倫理・政治思想への接続―― 1.「個の普遍性」の検証不可能性の克服 2.「個の普遍性」の非現実性の克服 (1)倫理・政治思想への接続 (2)「心的自己信頼」と「行動的自己信頼――ケイティブのエマソン解釈批判―― (3)ヘーゲル哲学の受容――「普遍性」概念の展開―― 3.「個の尊重」の意味内実――二つの観点―― (1)教授法における「個の尊重」 (2)相互承認における「個の尊重」 第7章 「個の尊重」の教育の政治思想的再解釈 1.民主主義の問題――エマソン政治思想の問題圏――

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2.「解毒剤」としての「代表的人間」 3.現代政治理論におけるエマソン政治思想の位置づけ (1)現代政治哲学の問題圏――リベラリズム批判をめぐって―― (2)複数性担保の理念 4.「個の尊重」の教育の社会的意義 終章 二、本研究の内容 第1章 1832年9月、エマソンは、自らが牧師を務めるボストン第二教会において、 当時の会衆たちからすれば驚くべき、そして教会側にとっては一つの事件といってもよい 説教を行った。 「主の晩餐(聖餐式)」の儀式を撤廃せよ、というのが、その内容であった。 エマソンのねらいは、教会を支配するあらゆる形式的・制度的伝統を打ち壊すことにあ った。伝統、制度、儀式といったものに拘泥することは、人が一個の魂として神と向き合 おうとすることを妨げる。教会における制度や儀式といったものは、元来、キリストの教 えに従い、人間をより善良なものたらしめるために作り出されたものであったはずである。 それがいつしか、儀式それ自体を続けることが自己目的化し、キリスト教の精神もまた形 骸化していくことになってしまった。それは「個」の信仰や魂を、真に称揚するものでは ない。エマソンはそういって、教会のあらゆる儀式を批判した。 しかし教会がエマソンの願いを聞き入れることはなかった。説教の翌月、エマソンは自 ら牧師を辞した。それは自らの決意ではあったが、見方を変えれば教会から追われのだと いってもよく、世間の人々にとって、これは一種のスキャンダルであった。 代々牧師の家系であったエマソン家の伝統と教会を捨て、エマソンは一人放浪の身とな った。悪しき因習を投げ捨て、ただ己の信じるものにのみ従うこと。われわれはここに、 後にエマソン超越主義の中核思想となる、「自己信頼」思想の萌芽を見ることができるとい ってよい。 牧師を辞任したエマソンは、その年のクリスマス、九ヶ月余りに及ぶヨーロッパへの旅 に出た。そしてこの時、彼は自らの超越主義の確立に大きな影響を与える、二つの重要な 経験をすることになる。

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一つは、パリの植物園において、後に処女作『自然論』の命題となる、「自然は精神の象 徴である」という思想を直感したこと、もう一つはイギリスにおいて、コールリッジ (Samuel Taylor Coleridge, 1772-1834)やワーズワース(William Wordsworth, 1770-1850)、そしてとりわけ、生涯の友となるカーライル(Thomas Carlyle, 1795-1881) と親交を結んだことである。 これらヨーロッパ旅行での経験を通じて、エマソンは自らの超越主義を温め育む機会を 得た。そして帰国から三年後の1836 年、エマソンは超越主義の宣言の書とされる『自然 論』(Nature)を出版する。彼の周りには、その後、その大いなる人間精神礼賛の思想に 共鳴した、後に超越主義者と呼ばれることになる仲間たちが集まってくるようになった。 アメリカに生まれた、そしてアメリカ独自の超越主義は、まさに時代の思想となったので ある。

しかし1844年の『第二エッセイ集』(Essays, Second Series)において、エマソンは自 らの超越主義にまるで「挫折」したかのような、大きな思想的転換をみせることになる。 そして実際、これまでの伝統的なエマソン研究においては、多くの場合、中期以降のエマ ソンは初期のロマン主義的超越主義に挫折し、そしてそれ以降、思想家としてはほとんど 見るものがなくなったとさえ指摘されてきた。 それまで無限の人間精神を称揚していたはずのエマソンは、40歳を過ぎて以降、突如と してその限界を論じるようになったのである。エッセイ「運命」(“Fate”)においてエマソ ンはいう。「自然には思いのままに為し得る部分がある。が、どうにもならぬ部分も多い。 私たちには、環境と生命と、二つのものがある。かつて私たちは、積極的な力こそが全て だと考えていた。しかし今では、消極的な力、すなわち環境というものが、その一半をな していることを知った」。 先述したように、従来この言明は、エマソンの思想的挫折であるとして、どちらかとい えば否定的に受け取られることの方が多かった。しかし筆者の考えでは、エマソンはただ にロマン主義に挫折したのであったわけではない。むしろ、この挫折を乗り越え、徹底し た現実主義の道を歩み始めたというべきなのである。それゆえ筆者は、従来の解釈に反し てこの転換をエマソンの思想的発展と捉えるが、その内実についてはまた後述することに する。ここでは、エマソンがロマン主義から現実主義へと転換した、その最も重要な理由 と思われるものについて述べておこう。 それは、直接的には当時の政治・社会的情勢である。特にエマソン自身積極的にコミッ

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トした、奴隷制問題が決定的であったようである。また、1847年にヨーロッパを再訪した 際直接経験した、イギリスのチャーティスト運動、およびフランスにおける1848 年革命 もまた、エマソンに大きな影響を与えたようである。大きな時代のうねりの中で、エマソ ンは、抑圧された多くの人々を、すなわち自ら十全に「個」たりうることができない多く の人々の存在を目の当たりにした。それがエマソンをして、「個」は偉大な普遍的存在であ るとただただ「個」を称揚するにとどまるのではなく、むしろ、「個」が十全に「個」たり うる現実的条件 、、、、、 は何かという、そのような問いを真剣に考えさせるきっかけとなったので ある。 それゆえ中期以降のエマソンは、ロマン主義に挫折し、そのことによって思想家として の魅力を失ってしまったわけでは決してない。むしろ彼は、「個」はそもそもにおいて偉大 な普遍的存在であるとする素朴なロマン主義を乗り越え、「個」はいかなる条件において十 全に「個」たりうるかという、極めて現実的な思想を展開する思想家へと成長していった のである。以下の諸章における目的は、そのことを論証し、エマソンの思想を現代的意義 と先駆性を持ったものとして解釈し直すことにある。 第2章 本章では、とりわけ初期エマソンの中核思想であった「自己信頼」の思想に焦 点を合わせ、それが後にエマソンをして自ら超克していかざるを得なかった、ある問題を 抱えていたことを明らかにした。 初期のエッセイ「自己信頼」(“Self-Reliance”)において、エマソンはいう。「あなた自 身の考えを信じること、あなたの心が真実だと思うものは、万人にとっても真実であると 信じること――それが天才である」と。エマソンによれば、それは、「最も内的なもの(the inmost)は時至れば最も外的なもの(the outmost)となる」からである。つまり、いさ さかの偽りも迎合もなく、真に己自身たろう、真に己自身の信ずるものに忠実たろうとす るなら、それは「万人にとっても真実」になるからである。 エマソンがそのように主張できた理由は簡明である。彼によれば、「自己」「個」は「普 遍的な魂」=「永遠の“一”」(eternal One)=「神」とつながり合っており、それゆえそ れぞれ個別に存在してはいても、実は常に部分でありながら全体であるからである。つま り「個」は、そもそもにおいて「普遍的」な存在なのである。したがってわれわれは、自 己を信頼すればするほど、普遍的な存在となることができる。エマソンはそう主張するの である。

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以上のようなエマソンにおける「自己信頼」の思想は、従来、抑圧的な社会に対して「個」 の重要性を説いたアメリカ的個人主義の源流として高く評価されると共に、他方では、ア メリカ的エゴイズムの源流として、多くの論者から忌み嫌われ続けてもきた。しかしこの 批判は、上述したことを踏まえるならば、見当違いなものであることが理解されるはずで ある。 自己が「普遍的な魂」とつながりあっている以上、市村の言葉を借りれば、「自己の裡 に神性を直観することによって、我欲の自我は否定され」ることになるからである。エマ ソンの「自己信頼」思想は、素朴なエゴイズムなどでは決してなかった。むしろそれは、 「自己」と「他者」が共に「普遍的な魂」において一つであることを信じる思想であり、 それゆえ汎愛的な思想であったというべきなのである。 さて、しかしそうはいっても、このいわば汎神論的な「自己信頼」の思想には、後にエ マソンを「挫折」させざるを得ないような、二つの大きな問題があった。 一つは、「個」はそもそも「普遍的」であるとする「自己信頼」思想(「個の普遍性」の 思想)の、検証不可能性 、、、、、、 の問題である。つまり、「個」はそもそもにおいて「普遍的」であ るとする思想は、信じるか信じないかの問題であって、われわれはこの汎神論的存在論を 決して確かめることができないのである。それゆえこのエマソンの思想は、同じ信念・信 仰を持った者にしか受け入れられない、一種の物語だといわざるを得ない。 今一つの問題は、この思想の非現実性、、、、の問題である。ヘーゲル(G. W. F. Hegel, 1770-1831)が『精神現象学』において詳論したように、ロマン主義者たちは、自らの魂 に忠実であればそれは必ず普遍的たりうるはずだと信じているが、しかしそれはただそう 信じているだけであって、実際にはなんら現実性を持ち得ない。「個」が真に「普遍的」た りうるためには、われわれは何らかの現実的条件、、を必要とするはずなのである。 こうして本章では、初期エマソンの思想にこれら二つの解きがたい問題が孕まれていた ことを明らかにした。そしてまた、これら二つの問題こそが、これまでエマソンの教育思 想が、単なる素朴なロマン主義であるとしてあまり顧みられてこなかった大きな理由であ ったことを明らかにした。エマソンが唱えた教育における「個の尊重」の思想の根拠が、 「個」はそもそもにおいて「普遍的」であるがゆえに教育はこれを尊重しなければならな いのだと主張するものであったとすれば、その検証不可能性と非現実性のゆえに、今日わ れわれは、この思想に残念ながら十分な説得力を見出すことはできないからである。 しかしわれわれは、エマソンの思想の本質およびその到達点を、上に述べてきた単なる

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素朴なロマン主義的汎神論に見出すには及ばないのである。エマソンはその後の自らの思 想的展開を通して、まさにこれら二つの問題を、自ら乗り越えていくことになるからであ る。以下の諸章の目的は、そのことを明らかにすることにある。 第3章 本章から第6章まで、筆者は上述した「個の普遍性」の検証不可能性の問題を、 エマソンのとりわけ認識論の展開を辿ることで解消することを試みた。エマソンには確か に、「個」はそもそも「普遍的」であるとする汎神論的存在論の思想が、その信仰 、、 の次元お いては色濃くあった。しかしわれわれは彼の認識論の成果を見ることで、認識論の次元に おいては、実はこの検証不可能性の問題を克服し得ていたのだということを明らかにする ことができるのである。 そのために、まず本章では、エマソンの認識論における重要な三つの概念、すなわち、 「理性」「直観」「想像力」の内実について明らかにした。そして中でも、現代哲学に先駆 けうるエマソンの洞察を見出すという本研究の関心からすれば、彼における「想像力」論 こそが、最も重視されるべき洞察であったことを明らかにした。 エマソンにとって、まず「理性」(Reason)とは、一般的にいわれる認識能力であるよ りは、むしろ「神」それ自体を意味するものであった。エマソンは『自然論』においてこ れを「普遍的な魂」と同義の概念として論じ、「われわれは『理性』の従属物なのである」 とさえいっている。つまりエマソンは、われわれに宿る「理性」は、神すなわち「普遍的 な魂」の本性なのであって、それゆえわれわれは自らの理性によって、「神」の一部になる ことができると主張するのである。『自然論』においてエマソンはいう。「私は一個の透明 な眼球になる。私は無であり全てを見る、普遍的存在の流れが私の全身をめぐり、わたし は神の一部だ」と。 これは、初期エマソンの汎神論的ロマン主義を象徴的に表した一節であるといってよい。 初期におけるエマソンは、われわれはわれわれ自らの「理性」によって、「普遍的な魂」と つながり「全てを見る」ことができると考えたのである。 その際の具体的な認識能力としてエマソンが論じるのが、「直観」(Intuition)である。 エッセイ「自己信頼」において、エマソンはこれを「根源的な英知」と呼び、「分析の及ば ない究極の事実」、全てのものの「共通の起源」を見出す力として描き出している。先の引 用でいう、自ら「透明な眼球」になる認識の方法概念、これがエマソンのいう「直観」な のである。

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さて、しかしここでいう「理性」も「直観」も、われわれはあまりにロマン主義的にす ぎる概念であるといわざるを得ないだろう。このような「理性」や「直観」についての説 明は、第1章で論じたように、まさに検証不可能なものであるといわざるを得ないもので ある。それゆえ従来、エマソンの認識論は、自ら「透明な眼球」となって絶対的な世界と 合一するロマン主義的なものであると、長い間解されてきた。 しかしわれわれは、エマソンがすでに処女作『自然論』においても、この問題を超克し うるような認識論の端緒を論じており、そして中期以降においては、そうした認識論をよ り十全に展開しているのを見ることができるのである。

エッセイ「詩人」(“Poet”)や「詩と想像力」(“Poetry and Imagination”)等において 展開される、エマソンにおける「想像力」(imagination)論がそれである。 晩年のエッセイ「詩と想像力」において、エマソンは、「想像力」とは「象徴」(symbol) を読み解く象徴的認識のことであるという。ここでいう「象徴」とは、ロマン主義思想に よく見られる絶対的な神の世界の「象徴」という意味ではなく、むしろわれわれ人間精神 の象徴を意味する概念である。『自然論』における「自然は精神の象徴である」という有名 な命題は先にも挙げたが、エマソンはここに、「自然はいつも精神の色を帯びる」と付け加 えている。つまりエマソンは、われわれは自然を、カントの言葉でいう「物自体」として 認識することは決してできず、常に自らの精神に相関的なものとして認識するほかないと 論じたのである。 そもそもエマソンの超越主義は、彼自身認めているように、カントの超越論(先験)哲 学を独自に継承したものである。カントにおいて「物自体」の認識不可能性はその理論的 前提であったが、エマソンもまた、一方で、われわれは神と合一し「全てを見る」ことが できるのだと主張しながらも、他方ではこの「物自体」の認識不可能性を前提としていた。 『自然論』においてエマソンはいう。「自然が、外部の実質的な存在であったとしても、精 神の黙示であったとしても、それは私にとって、同じように有益であり、同じように尊敬 に値する。自然が何であるにせよ、私が自身の感覚の正確さを試すことができない以上、 自然は私にとって観念的である」。 中期以降、エマソンは、自らのロマン主義的認識論から、次第にこのカント的認識論へ と比重を移していくことになる。そして彼はその「想像力」論において、カントがわれわ れの認識は純粋悟性のカテゴリーにしたがっているのだといったところのものを、われわ れの認識は「人間自身の精神の法則」にしたがっているのだと論じたのである。

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ここには、初期エマソンにおける「理性」論や「直観」論からの、重大な転換がある。 つまり、「理性」がいわば絶対的な「物自体」であり、「直観」がその物自体を認識するも のとして論じられていたのに対して、「想像力」は、そうした物自体を認識することは決し てできず、むしろわれわれは世界(自然)を自らの精神に相関して認識するものと論じら れているからである。 このエマソンの「想像力」論こそ、エマソンの思想における検証不可能性の問題を克服 するために、われわれが着目すべき認識論的成果である。つまり中期以降におけるエマソ ンの認識論の観点からすれば、われわれはそもそも「普遍的な魂」と合一した普遍的な存 在であるかどうかは、決して分からないということがもはや前提となっているのである。 つまり認識論的にいえば、エマソンにとって、「個の普遍性」の検証不可能性は、証明しな ければならない難問ではなくむしろ前提であったのである。 以上見てきたエマソン認識論の本質を踏まえて、続く第4、5章においては、エマソン におけるこの認識論的成果が、ニーチェにどのような影響を与えその「認識論的転回」を もたらしたのか、そしてまた、現代哲学における現象学と比較してなお、どれほど先駆的 な洞察であったのかを明らかにした。 第4章 エマソンは、ニーチェが幼少の頃から生涯変わらず敬愛し続けた思想家であっ た。そしてそれは、スタックがいうように、「あらゆる作家や思想家に対して批判的であっ た哲学者にとって、異例のことであった」。 エマソンとニーチェの思想の比較研究は今日では数多く蓄積があるが、ニーチェにおけ るエマソンの影響が最も色濃く見られるのは、特に両者における「運命」の思想――ニー チェが「運命愛」として描き直したもの――である。 先述したように、中期以降のエマソンは、人間精神の絶対を称揚することをやめ、むし ろ人間にはいかんともしがたい「運命」についての考察を深めるようになった。しかしエ マソンは、ただに挫折の中にくずおれたのであったわけではない。エッセイ「運命」にお いて、エマソンはいう。「魂の中には、選択と行動の衝動が永遠に湧きあがって来るのだ。 知力は運命を無力化する。人間が思考する限り、彼は自由なのである」と。 ニーチェはこのエマソンにおける「運命」の思想に、深い感銘を受けた。ニーチェにと って、エマソンの思想は、人間にはいかんともしたがい「運命」を前にルサンチマンを抱 き、ありもしない彼岸を思い描くような脆弱な思想ではなかった。ニーチェがエマソンか

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ら受け取った運命愛の思想、それはニーチェの言葉でいうならば、「これもまた私たちの、、、、作 品!――私たちはこのことを誇ろう!」ということであった。 ニーチェがエマソンにも増してこの運命愛を唱えることができたことには、理由がある。 それはまさに、彼が現代思想における最も先鋭的な「認識論的転回」を成し遂げたからで ある。 周知のように、ニーチェにとっては「物自体」の概念さえ背理である。われわれに絶対 的真理が認識し得ない以上、そのような想定さえも背理なのである。ニーチェはいう。「ま さしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈、、のみ」なのである、と。すなわちニーチェ にとっては、「運命」でさえも、われわれの解釈内に置き入れられたものだったのである。 運命でさえもわれわれの解釈であるとする、この解釈の認識論は、一切の認識は精神の 象徴であるとした、エマソンにおける認識論のいわば徹底であるといってよい。エマソン は、われわれの認識の一切はわれわれ人間精神の象徴であることを明らかにした。つまり、 絶対的真理があるのではなく、われわれは一切をわれわれの精神に相関的に解釈・認識し ているのである。確かに先述したように、エマソンにおいては、どこまでも「普遍的な魂」 や「神」の項が消え去ることはなかった。その点において、ニーチェは最後の最後でエマ ソンからは袂を分かつ。しかしそれでもなお、エマソンは、ニーチェによる認識論的転回 に極めて重要な影響をもたらしたのである。 その影響は、「運命愛」の思想に続いて、ニーチェにおける「力への意志」の思想として 現れている。われわれの解釈としての認識の原理、それはニーチェによれば「力への意志」 である。われわれは一切を「それ自体」として認識することはなく、自らの「力への意志」 によって解釈し認識している。これがニーチェ認識論の本質である。そしてこの思想を、 ニーチェは実はエマソンから受け取っていたのだということが、多くの研究者によって主 張されている。実際、エマソンは「力」(“Power”)と題されたエッセイにおいて、それ自 体において「善」なるものはない、それはいつも、「創造的な力」によって「善」であると 解釈されるものであると述べているが、まさにエマソンは、ニーチェに先駆けさえするよ うな仕方で、「力」の認識論を論じていたのであった。 エマソンは確かに、ニーチェのように徹底的に形而上学を克服しようとはしなかった。 むしろ信仰の次元においては、彼は生涯、「個」は「普遍的な魂」と一体であることを信じ 続けたロマン主義的形而上学者であった。その意味において、ニーチェからすれば、エマ ソンの思想は最後の一歩においてニーチェの哲学には及ばなかった。しかしそれでもなお、

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われわれは、エマソンの思想(認識論)が、現代哲学における認識論的転回の立役者ニー チェに大きな影響を与えるほどに、その形而上学的思想を自ら乗り越え、現代哲学に先駆 けうる洞察を見せていたのだということも、はっきりと主張することができるはずである。 第5章 続いて本章では、エマソン認識論の現象学的先駆性について明らかにした。 エマソンと現象学の親近性については、ヤコブソンによるエマソンとフッサール現象学 との親近性についての研究、またカベルによるエマソンとハイデガー現象学との親近性に ついての研究などがあるが、いずれも、エマソンが現象学に先駆ける洞察を持っていたこ とを強く訴えるものである。そして筆者もまた、本章において、彼らの研究に多くを負い つつも、エマソンにおける現象学的先駆性を独自の観点から明らかにした。 着目すべきは、第3章で論じたエマソンにおける「想像力」論である。彼はその「想像 力」論において、われわれの認識は徹頭徹尾「精神の象徴」であることを明らかにした。 つまり、われわれに絶対的真理が知り得ない以上、われわれは一切を自らの精神の象徴と 捉えるほかないと、エマソンは考えたのである。 『自然論』においてエマソンはいう。「感覚と、生まれ変わることのない悟性が、自然の 絶対的存在に対する本能的信念を抱くのである」。しかし続けて彼はいう。この自然の絶対 的存在は、われわれが想像力について深く洞察した時に、もろくも崩れ去るのだと。自然 がわれわれの目に見えるままに存在しているかどうか、あるいは、自然それ自体が絶対的 に実在しているかどうかさえ、われわれには決して分からない。われわれに分かるのは、 われわれがわれわれ自らの精神の象徴として、世界を認識しているということのみである。 エマソンはそのように主張した。 これはまさに、現象学における自然的態度――客観的自然が実在しているとする態度― ―の「エポケー」(判断中止)であり、そしてまた、一切を超越論的主観性において立ち現 れた現象として捉える、現象学的(超越論的)還元と同等の発想であるといってよい。 もちろんエマソンには、エポケーや還元といった現象学的方法概念はなかった。しかし それでもなお、われわれはエマソンの「想像力」論を、現象学的発想に近い認識論として 解釈することができるはずである。ヤコブソンもいうように、「エマソンの思想の最も中心 にある考え、すなわち個が自然を現前させ、そして重要なことに、個によって現前させら れたもののほかに自然はないのだという考え」は、まさに「現象学的アプローチ」と呼ば れるにふさわしい認識論なのである。

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では、われわれに絶対的客観(真理)を認識することができないのであれば、われわれ はどのように世界を認識しているといえるのだろうか。『存在と時間』においてハイデガー は、この問いに、それは現存在の気分や関心に相関的にである、という答えを提示した。 そしてこのことが、われわれの認識のそれ以上遡り得ない根源であるのだと。われわれは、 われわれが自らの気分や関心において世界を認識しているということを自ら確かめること ができるが、しかしその気分や関心がなぜ沸き起こったのかという理由については、絶対 的に知ることは不可能であるからだ。 カベルは、このハイデガーにおける気分の認識論と同等の洞察を、エマソンも持ってい たといっている。その論拠はやや薄弱のようにも思えるが、しかしそれでもなお、われわ れは、エマソンと、ハイデガーやその師フッサールとの親近性を、次のように描き出すこ とはできるはずである。すなわち、フッサールが「志向相関」の認識論を提示し、ハイデ ガーが「気分・関心相関」の認識論を提示したとするなら、エマソンは「精神相関」の認 識論を提示したのであると。われわれに絶対的真理を認識し得ない以上、すなわち、絶対 的な客観をわれわれの主観において鏡に映すようにして認識することができない以上、わ れわれの認識は、それが志向性であれ気分であれ人間精神であれ、いずれにせよ、われわ れ自身の存在に「相関的」であるというほかないのである。 こうしてわれわれは、エマソンにおける、現象学にも先駆ける極めて現代的かつ原理的 な認識論を見出すことができるようになった。従来、エマソンの認識論は、ただに「普遍 的な魂」と合一するロマン主義的認識論として解されてきた。しかしわれわれは以上のよ うに、エマソンの認識論を、ニーチェや現象学の認識論にも先駆けうるものとして捉え直 すことができるのである。そしてそのことは、エマソンにおける「個」(の「普遍性」の思 想)は形而上学であるとしてきた従来の解釈をも、根底から覆す再解釈となるはずのもの である。このことを明らかにすることが、続く第6章の課題であった。 第6章 本章において、筆者は、これまでの考察を踏まえ、さらにここからエマソンの 倫理思想へと探究を接続しつつ、第2章において論じた初期エマソンにおける二つの問題、 すなわち「個の普遍性」の思想の検証不可能性と非現実性の問題を、エマソン自ら克服し 得ていたことを明らかにした。その要諦は以下のとおりである。 繰り返し述べてきたように、エマソンの「想像力」論のポイントは、人間の認識は絶対 客観との一致という絶対性を得ることは決してなく、いつでも「想像力」による人間精神

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の象徴であるほかない、という点にあった。この点を強調するならば、認識論的にいって、 もはやエマソンは、「神」と合一することで(より認識論的にいうならば「物自体」を手中 に収めることで)、「個の普遍性」を獲得しようとはしていない。「神」や「物自体」の世界 がどうであろうが、われわれは「想像力」による精神の象徴として世界を認識するほかな いからである。つまり先述したように、初期エマソンにみられた「個の普遍性」の検証不 可能性の問題は、エマソン認識論の成果からしてみれば、もはや問題ではなく前提 、、 なので ある。 ここには大きな転換および展開がある。すなわち、エマソンの認識論の観点からいって、 「個」は確かにそもそもにおいて「普遍的」であるとはいえないが、しかしそれでもなお われわれは、われわれの認識の始源にして最終基盤を、自らの個的な「想像力」、すなわち 象徴的認識に求めるほかないからである。「個」はそもそもにおいて「普遍的」であるわけ ではない。しかしそれでもなお、認識の最終基盤は「個」であるほかないのである。「個の 普遍性」の論理に代わる、「認識の最終基盤としての個」の概念。これが、認識論的に再解 釈されたエマソンにおける「個」の概念の本質である。 さて、しかし以上明らかにしたように、どれほど認識の最終基盤は「個」にあるほかな いといっても、エマソンにとって、それは単なる「独我論」を意味していたわけでは決し てない。すでにエマソン初期の講演「アメリカの学者」(“The American Scholar”)にお いても、エマソンは次のようにいっていた。「行動がなければ、思想は決して実を結んで真 理とはなりません。〔中略〕思想の準備となるものが行動であり、思想が無意識から意識へ と変わる推移が行動なのです」と。 自らの認識を確信たらしめるため、そして自らの思想を実現させるため、「個」は現実、、 的にいって、、、、、、たいていの場合、自らの認識(思想)を他者へと開いていかざるを得ない。 われわれの認識の最終基盤は確かに「個」であるほかないが、しかしわれわれはこの自ら の認識をより深く了解するため、あるいはより普遍的なものたらしめるため、これを他者 へと向かって投げかける必要があるのである。 ここに、エマソンの認識論的思想が、次第に倫理・政治思想へと展開していった内的理 由がある。『エマソンの倫理学』の著者クロムフォート(Gustaaf Van Cromphout)がい うように、エマソンの倫理学は、その発端を、自らの「象徴的認識」の確かさを互いに問 い合うことに持っていたのだといってよい。すなわちわれわれは、たいていの場合、認識 論的にいって――そしてまた現実的にいって――われわれの認識の確かさを確かめるため、

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他者をめがけざるを得ないのである。エマソンにとって、倫理とはこの確かめ合いの過程 における相互了解を通して結実していくものである。 ここにわれわれは、「個」はそもそもにおいて「普遍的」であるという、初期エマソンに おける「個」の概念、あるいは従来のエマソン研究の解釈を超えて、自らの認識や思想を 他者へと投げかけ問い合うことで「普遍」をめがける、新たな「個」の概念をみることが できるであろう。エッセイ「自己信頼」において、「最も内的なもの」は時至れば「最も外 的なもの」となると主張されていたところのものは、むしろ、「最も内的なもの」が「最も 外的なもの」たりうるために、われわれは現実的にどのような条件を必要とするかという、 そのような問いを問う思想へと展開していったのである。 これを筆者は、エマソンにおける「個の普遍性」に代わる、「個の普遍志向性」の概念と して提示することにしたいと思う。中期以降のエマソンにとって、「個」はそもそもにおい て「普遍的」な、非現実的なロマン主義的概念ではもはやない。それは他者との現実的な 関係を通して、自ら(の思想)を普遍的なものたらしめるよう、普遍を志向するものなの である。 クロムフォートや、またエマソンの浩瀚な伝記を著したリチャードソン(Robert D. Richardson Jr)らによると、エマソンにこうしたダイナミックな「自己現実化」の思想 を与えたのは、ヘーゲル哲学との出会いであった。第2章においてヘーゲルによるロマン 主義批判に触れたが、まさにエマソンは、ヘーゲルとの出会いによって、自らの非現実的 ロマン主義を、克服していく道筋を見出したのである。 ではその具体的な方途は何か。「個」が十全に自らの「普遍志向性」を開示していくこと のできる、その現実的な条件は何か。これが、中期以降のエマソンが、その政治思想にお いて取り組んだ課題であった。そしてまた、この政治思想こそが、エマソンの教育思想を 支える論拠でもあった。続く第7章の目的は、エマソンの政治思想の内実、およびこれが いかにして彼の教育思想へと接続されていったかを明らかにすることにある。 以上、これまでの考察を通して、筆者は、エマソンにおける「個」(の普遍性)の概念を、 「認識の最終基盤としての個」および「普遍志向性を備えたものとしての個」として再解 釈した。そして教育学的観点からすれば、これら二つの「個」の概念こそが、教育におい て尊重されるべき「個」の概念にもなりうるといってよいだろう。それはすなわち、まず 教授法の観点からいって、われわれは「認識の最終基盤としての個」を尊重せざるを得な いのだということ、そしてまた、多様な個々人の相互了解を教育が目的とするのである限

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り、われわれは「普遍志向性を備えたものとしての個」を尊重すべきであるということで ある。従来、エマソンにおける「個の尊重」の教育思想は、「個」は「普遍的な魂」と合一 した神的存在であるがゆえに尊重されなければならないと主張したものと解されてきたが、 これまでの考察を通して、われわれは、これをこのような検証可能かつ現実的な思想とし て編み直すことができるのではないか。 第7章 本章では、「個」はそもそもにおいて「普遍的」であるとする思想を和らげ、 むしろ、「個」はいかなる現実的条件のもとにおいてより「普遍的」たりうるかと問うよう になったエマソンの、その今日なお着目されるべき独自の回答を明らかにした。 先述したように、それは彼の政治思想となって結実している。 エマソンはその政治思想において、まず次のことを最大の問題として考えていた。すな わち、利害調整の政党政治を核とする限り、民主主義社会は多数派支配の危険性を抱えざ るを得ないという問題である。 まさに19世紀エマソンの時代において、ハーバーマス(Jürgen Habermas, 1929-)の 言葉を借りるなら、「敵対的利害関係は、和解されることなく、分裂した公論の中でそれぞ れの代表を調達し、そしてそのつどの支配的見解という形で公論を一種の強制権力に転化 させ」ていた。ハーバーマスはこの問題にいち早く気づいた思想家としてトクヴィル (Alexis de Tocqueville, 1805-1859)を挙げているが、エマソンはこのトクヴィルとも若 干の親交を持ち、そしてその問題意識に共鳴したようである。 エッセイ「政治について」(“Politics”)において、エマソンはいう。多数派支配は、多 様な「個」の抑圧以外の何ものでもない。「このような他者への立ち入りは、世界の支配形 態における大きな醜さとして現れている、大変な失策である」。多様な諸個人が、十全に自 らとして生きていける社会、すなわち「自己信頼」を現実的に得られる社会、それがエマ ソンの求めた社会のあり方であった。しかし現実の社会は、諸個人の多様性を抑圧する多 数派支配に陥ることで、本来あるべき民主主義社会の態をなしていない。 この問題をいかにして解決することができるだろうか。これが、エマソンがその政治思 想において問うた問いである。 エマソンがこの問いに対して見出した答え、それは、「解毒剤」としての「代表的人間」 という思想であった。「政治について」においてエマソンはいう。「この公式な『政府』の 濫用に対する解毒剤は、私的人格の影響、すなわち『個人』の成長にある」のだと。

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抑圧的統一に対して、人々の多様性を守ること。エマソンはその方途を、まさにそのた めの象徴的な(representative)「代表的人間」の輩出に求めた。彼らは、民主政治におけ る意見や生き方の抑圧的統一に対して、人々に、「このような生き方もあったのか」と、新 たな生の可能性を気づかせうるような存在であるからだ。それはひるがえって、社会に多 様性をもたらすものである。「代表的人間」の輩出をできるだけ可能にする条件を生み出す ことで、生き方の多様性へと人々を向かわせること。これが、多数派支配の抑圧的統一の 力学に対する、エマソンの提示した「解毒剤」としての思想だったのである。 ローテンフェルトによれば、それは具体的には、議会以外の空間において人々が自らの 声を響かせることのできる、「代表的公的領域」の創設であった。人民の代表だけでなく、 各人が各人として公的領域に現れることのできる、そのような「現れの空間」(space of appearance)の創設を訴えたのはアーレント(Hannah Arendt, 1906-1975)だが、ロー テンフェルトは、エマソンもまた、そのような「公的領域」の創出を訴えた思想家であっ たというのである。 このローテンフェルトの解釈は、エマソンのテクストを、やや強引に現代政治思想の文 脈に落とし込んでいるような印象も免れない。しかしまた同時に、公的空間における「代 表的人間」の輩出を訴えたエマソンにとって――エマソンよれば、われわれは皆潜在的に 「代表的人間」である――そのような「現れの空間」の創設は、少なくとも論理的帰結で あったということはできるであろう。実際アーレントは、『革命について』において、触れ る程度にではあるが、エマソンはその空間を郡区とその集会所に見出していたのだと―― しかしそれは今や消滅してしまったのではあるが、とアーレントはいう――自らと同じ問 題意識をエマソンに見出している。 さて、しかし筆者の考えでは、エマソンの政治思想は、ローテンフェルトがいうように 政治制度構想の方向へと展開したというよりは、むしろ、教育思想の方向へと展開したと いった方が適切である。確かに、エマソンの思想には政治制度的思索も多く見出せるには 違いない。しかし19世紀アメリカ国民の教師と呼ばれたエマソンは、やはり彼の教育思想 においてこそ、その思想の本質を常に展開し続けたのだというべきである。彼の生涯をか けた思想的使命、それは、人々をまさに「自己信頼」の人たらしめることにあったからで ある。その政治的条件を解明することが、上述してきたエマソン政治思想の課題であった とするなら、その教育的条件を解明することが、エマソン教育思想の本質であった。 多数派支配に陥りやすい社会において、それでもなお「個」が十全に「個」たりうる条

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件は何か。その政治的条件は、上述したように、「代表的人間」の輩出を可能にする、アー レント的にいうならば、各人が自らとして現れ出ることのできる「現れの空間」を創設す ることであった。ではその教育的条件は何か。エマソンによれば、それは、この「現れの 空間」において、自ら実質的に現れ出ることのできる「個」を育成することである。 晩年のエッセイ「教育論」(“Education”)において、エマソンはいう。「青年たちを果 敢に正義と英雄的な生へと鼓舞」せよと。この言葉を、われわれは今や、初期エマソンに 見られるようなロマン主義的「個」の讃歌としてのみ読むべきではないだろう。むしろわ れわれは、これを、より豊かな民主主義社会の実質化の方途として解釈するべきなのであ る。 「教育論」においてエマソンはさらにいう。「親や年長者が、若い魂にとってまったく不 適当な、自分の意見や考え方を押し付けている、そのよくある光景を見るたびに、私は心 苦しく思うのである。彼らを彼ら自身たらしめ、自らの生を享受させようとすることはで きないのか?あなたは彼らを、もう一人のあなた、、、に仕立て上げようとしているのだ。あな たは一人で十分であるはずなのに」。 政治も教育も、統一化の力学によって営まれるのであってはならない。それは多様性を 尊重し、多様な諸個人が、「現れの空間」において自ら現れ出ることができるような、その ようなものとして構想されなければならないのである。これが、エマソンの政治思想、お よびそこから接続された、教育思想の要諦である。 エマソンにおける「個の尊重」の教育思想、それは、ただに素朴なロマン主義的「個」 を尊重せよという要請ではなく、多様な諸個人が、社会の中にありつつもなお、自ら十全 に自らたりうるような、すなわち「自己信頼」を抱くことができるような、そのような存 在として生きられるためにという、極めて政治・社会的な射程をも持った思想だったので ある。 三、本研究の成果 最後に本研究の成果をまとめておこう。 初期エマソンの思想は、従来解されてきたように、確かに、「個」はそもそも「普遍的」 な存在であるという汎神論的一元論に基づいていた。その問題を筆者は、「個の普遍性」の 思想の検証不可能性と非現実性という二つの問題として指摘した。 しかし、カントを継承した彼の認識論(「想像力」論)は、われわれの認識は物自体に

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達することは決してなく、常にわれわれの「精神」に象徴的であるほかないとするもので あった。そこでこのエマソンの「想像力」論を吟味することで、われわれは、「個の普遍性」 の論理の検証不可能性という問題が、エマソン認識論においてはすでに前提であったこと を明らかにした。そしてこの論理を、「個」はそもそもにおいて「普遍的」であるというも のから、認識の最終基盤は「個」であるほかないという、検証可能な論理として編み直し た。ここにわれわれは、「認識の最終基盤としての個」という、エマソンにおける新たな「個」 の概念を獲得したのである。 このエマソンの認識論上の洞察は、半ば必然的に、彼の倫理思想へと接続されていくこ とになる。すなわち、われわれの認識の最終基盤は確かに「個」であるほかないが、しか しわれわれは、この自らの認識をより深く了解するためには、あるいはより普遍的なもの たらしめるためには、これを他者へと向かって投げかけざるを得ないのである。独我論的 「個」に拘泥するのではなく、己の認識や思想を他者の了解へと開示すること、そのよう な「行動」によってしか、自らの認識や思想は普遍的、、、たり得ない。これがエマソン倫理思 想の核心であった。ここにわれわれは、エマソンにおける「個の普遍性」に代わる「個の 普遍志向性」の概念、すなわち、「普遍志向性を備えたものとしての個」という新たな「個」 の概念を獲得した。 それでは、「個」はいかなる条件において、自らの「普遍志向性」を発揮し自己の十全 な現実化を達成することができるのであろうか。すなわち、「個」が社会にあってなお十全 に「個」たりうる社会とは、いったいどのような社会でありうるのだろうか。 それは、民主主義社会における多数派支配による統一化の力学に対して、多様な人々が 「代表的人間」として現れ出る可能性を対置することにある。そしてそのことによって、 「生き方の多様性」を守り広げることにある。これがエマソン政治思想の核心であった。 このことを教育思想の観点から解釈し直せば、われわれは、エマソンがなぜ、そしてど のような意味において「個の尊重」の教育を唱えたのかについても、より深く理解するこ とができるようになる。社会の中にありつつも、「個」がなお十全に「個」たりうる民主主 義社会、そのような社会をつくるためには、個々人の多様性が現出し合う「現れの空間」 を創設するだけでなく、そのような空間において、自ら実質的に現れ出ることのできる「個」 が育成されなければならないからである。エマソンにとって教育は、まさにそのような「個」 を育成することでより十全な民主主義社会をつくるという、極めて社会的な意義をも持つ ものだったのである。

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以上を通して、本研究の目的は達成されたといってよいだろう。とりわけ今日のわが国 において、エマソンの思想は、哲学的にも教育学的にもあまり顧みられることがなくなっ ていた。しかし本研究を通して、彼の思想が、認識論的にも政治思想的にも、すぐれて現 代的先駆性を持った思想であったことが明らかになったであろう。そしてまた、現代にお ける「個の尊重」の教育思想の一つの大きな源流とされるエマソンの教育思想は、ただに 素朴なロマン主義的「個」を尊重することを主張したのではなく、今なお極めて重要な、 教育が尊重すべき「個」の概念を提示していたのだということが、明らかになったはずで ある。 以上

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