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Firipin ni okeru tochi kaikaku jigyo no arubeki hoko : tochi shoyu keitai no hensen kara miru tochi kaikaku no hitsuyosei

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Academic year: 2021

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(1)Title Sub Title Author Publisher Publication year Jtitle Abstract. Notes Genre URL. Powered by TCPDF (www.tcpdf.org). フィリピンにおける土地改革事業のあるべき方向 : 土地所有形態の変遷からみる土地改革の必要性 児子, 健治(Nigo, Kenji) 慶應義塾大学湘南藤沢学会 1993 研究会優秀論文 本書は、東南アジアの中でも特に小作農の比率が高いフィリピンを取り上げ、フィリピンにおけ る植民地時代と独立後の各政権下での土地所有形態や、将来の土地改革事業について考察を行っ ている。フィリピンでは農民の大部分を小作農が占めているが、農民達が大土地所有者から解放 されるには土地改革が必須である。本書では今後の土地改革の方向性をこれまでの変遷を踏まえ つつ明らかにしようとしている。 Technical Report http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=0302-0000-0491.

(2) 「フィリピンにおける土地改革事業のあるべき方向」 ∼ 土 地 所 有 形 態 の 変 遷 か らみ る土 地 改 革 の 必 要 性 ∼. 慶 鷹 義 塾 大 学 環 境 情 報 学 部4年 79054206 児子. 健治.

(3)

(4) 目 次 1:フ. ィ リ ピ ン農 業 の 現 状. 2. ・フ ィ リ ピ ン の 農 業 の 問 題 点. H:土. 3. 地 制 度 土 地 所 有 形 態 の 移 り変 わ り 1:植. 民 地 化 以 前 の 社 会 と土 地 所 有 形 態. 3. ・先 ス ペ イ ン 時 代 の 集 落 ・バ ラ ン ガ イ 社 会 と そ の 土 地 概 念 ・外 国 と の 接 触 と 植 民 地 化 n b. 2:植. 民 地下 に お け る土 地 所有 形態. ハ b. 1:ス. ペ イ ン支 配 下 に お け る土 地 所 有 形 態 ・自 給 自 足 経 済 の 崩 壊 ・エ ン コ ミ エ ン ダ 制 の 導 入. 2:ア. メ リカ 支 配 下 に お け る 土 地 所 有 形 態 ・2っ. 8. の土 地 政 策. ・現 地 地 主 と の 利 害 関 係 ・農 民 蜂 起 3:独. 11. 立 後 の 土 地 所有 形態 1:マ. 11. グサ イ サ イ政 権 下 ・フ ク 団 の 台 頭 ・マ グ サ イ サ イ の 土 地 政 策. 2:マ. カバ ガル 政 権 下. 13. ・マ カ バ ガ ル の 土 地 政 策 3:マ. 14. ル コス政 権 下 ・マ ル コ ス の 土 地 政 策1 ・マ ル コ ス の 土 地 政 策2 ・問 題 点. 皿:土. 地 改 革 の 必要 性. 17. ・現 在 進 行 中 の 土 地 改 革 事 業 ・農 業 生 産 力 の 向 上 ・経 済 発 展 に よ る 物 価 上 昇 ・ これ か らの 土 地 改 革 事 業. 19. 参考文献. 1一.

(5) 1フ. ィリピン農業の現状. フ ィ リ ピンの 農業 の問 題 点 フ ィ リ ピ ン は 東 南 ア ジ ア の 中 で も 、 小 作 農 の 比 率 が 高 く 、 ま た 土 地 な し労 働 者 が 農 村 内 に 数 多 くみ ら れ る 国 で あ る 。 こ う し た 現 状 は 大 土 地 所 有 者 が 存 在 す る こ と を 意 味 し て い る 。 こ の 土 地 所 有 の 集 中(大 大 ま か に 言 え ば 、 次 の4つ. 土 地 所 有 者 の 存 在)は. 歴 史 的 な 状 況 に 由 来 して お り 、 そ の 要 因 は. に ま と め る こ とが で き る。. ① ス ペ イ ン領 有 期 の 国 王 に よ る土 地 下 付. ②教 会 や教 団 へ の 土 地寄 進. ③ ア メ リカ領 有 期 の 商 品作 物 農 業 の た め の土 地 集 積. ④近 代 的 土 地 法 整 備 の過 程 で の払 い下 げ と兼 併. そ し て フ ィ リ ピ ン農 業 の 抱 え る も う 一 っ の 問 題 は 、 生 産 性 の 停 滞 が 著 し い こ と で あ る 。 例 え ば 、 稲 作 の 収 量 は 長 い 間 東 南 ア ジ ア 最 低 の 、1ヘ. ク タ ー ル 当 た り 籾1・2ト. ン とい う. 水 準 に あ っ た 。 こ れ ら二 っ の 問 題 、 小 作 農 家 率 の 高 さ と低 生 産 性 は 深 く関 わ っ て い る。 「小 作 農 は 高 率 の 小 作 料 に 加 え て 、 地 主 や 高 利 貸 し へ の 債 務 に 苦 し ん で お り 、 追 加 投 入 を 行 っ て 生 産 性 を あ げ て も、 小 作 料 と借 金 返 済 の た め 、 結 局 す べ て 地 主 に持 ち 去 られ て し ま う の で あ る 。 」(綾. 部 ・永 積 編,233-4頁). こ の 論 文 で は 、 こ う した 問 題 を 解 決 し、 フ ィ リ ピ ン の 農 民 の 大 部 分 を 占 め る小 作 農 を 、 真 の解 放 へ と導 くため の土地 改革 の あ るべ き方 向 を 、土 地 制 度 と土地 所 有 形 態 の現 在 に至 る まで の変 遷 を ふ まえ 、 明 らか に した い。. 一2一.

(6) 1[土 地制度と土地所有形態の移り変わり ll-1植. 民地化以前の社会と土地所有形態. 先 ス ペ イ ン時代 の集 落 ス ペ イ ン 入 植 以 前 の 社 会 単 位 は バ ラ ン ガ イ(barangay)で 語 で 船 を 意 味 す るbalangayに. 由 来 して い る 。 大 陸 部 か ら船 に 乗 っ て 移 り住 ん で き た と い う. 意 味 で あ る 。 バ ラ ン ガ イ は ダ ト(dato)と ん ど の 村 落 が30戸. あ った 。 バ ラ ン ガ イ は マ ラ イ. か ら100戸. 呼 ば れ た 首 長 を 中 心 と した 親 族 集 団 で あ り、 ほ と. く ら い 、 人 ロ に し て100人. か ら500人. 程 度 で構 成 さ. れて い た。 ス ペ イ ン人 が 出 会 っ た こ の バ ラ ン ガ イ 社 会 は 、 概 ね 自 給 自 足 的 な 農 業 制 度 を もっ 原 始 的 経 済 単 位 で あ った。 と い うの は 、 そ こで は生 活 に必 要 な もの が最 低 限 生 産 され て い た にす ぎ な か っ た か ら で あ る 。 そ の 証 拠 に 、 「レ ガ ス ピ(注1)は 、 入 植 当 時 、 十 分 な 食 料 が 得 ら れ な い と い う単 純 な 理 由 で セ ブ 島 か らパ ナ イ 島 へ 、 さ ら に は ル ソ ン島 へ と何 度 も主 要 陣 地 を 移 動 し な け れ ば な らな か っ た の で あ る 。 ほ ん の 数 百 人 の ス ペ イ ン人 植 民 者 が 加 わ っ た だ け で 、 原 住 民 社 会 の 物 資 の バ ラ ン ス が 崩 れ た の で あ る 。 」(レ 1,38-40頁)こ. ナ ト ・ コ ン ス タ ン テ ィ ー ノ,. こで 当 時 の バ ラ ン ガ イ 社 会 は 原 始 的 経 済 で あ り、 そ こ で は 生 産 は ほ. と ん ど生 産 者 み ず か らの 使 用 と親 族 に 対 す る 義 務 を 果 た す た め に 営 ま れ て い た 。 そ れ は 、 交 換 と 利 潤 を 目 的 と した 経 済 で は な か っ た 。 生 産 は 生 産 者 自 らの 直 接 的 消 費 を め ざ し、 余 剰 は集 団 の 構 成 員 の 問 で交 換 され た の で あ る。. バ ラ ンガ イ社 会 と その 土 地概 念 バ ラ ン ガ イ に お い て 、 構 成 員 の 多 く は 血 縁 も し くは 結 婚 に よ っ て 互 い に 親 族 関 係 に あ っ た 。 土 地 は 共 有 の も の で あ り 、 首 長 は そ れ を 管 理 して い る に す ぎ な か っ た 。 ダ トの 下 に は 、 テ ィ マ グ ワ と か マ ハ ル リカ と よ ば れ る 自 由 民 が い た 。 この 自 由 民 は 家 族 ご と に 土 地 の 分 与 を 受 け 、 自 給 自 足 的 農 耕 を 営 ん で い た 。 そ の 下 に 従 属 的 な 階 層 が あ り 、 ア リ ピ ン ・ナ マ マ ハ イ と 呼 ば れ て い た 。 彼 らは 家 族 を 持 ち 、 割 り 当 て られ た 土 地 の 耕 作 に 従 う が 、 主 人 に 収 穫 の 一 部 を お さ め る か 、 労 働 を 提 供 す る 義 務 を 負 っ て い た 。 最 下 層 の ア リ ピ ン ・サ ギ ギ リ ル は 主 人 の 家 に 住 ん で 家 内 労 働 な ど に 従 事 し て い た 。 そ して 、 売 買 の 対 象 に な る こ と も あ っ た 。 ア リ ピ ン ・ナ マ マ ハ イ 、 ア リ ピ ン ・サ ギ ギ リ ル は い わ ば 債 務 奴 隷(注2)で あ り 、 一 定 額 を 払 って 自由民 に戻 る ことが 認 め られ て い たが 、 高 率 の 利 子 の た め返 済 に は長 い期 間 を要 した 。 バ ラ ン ガ イ は そ の 成 立 過 程 で 、 村 の 代 表 で あ る ダ トが 選 出 さ れ 、 そ の 他 の 村 落 構 成 員 は す べ て 自 由 民 で あ っ た 。 し か し、 原 始 的 自 給 自 足 経 済 の 中 で は 、 不 作 な ど の 理 由 に よ り 、 自 ら の 自 給 自 足 の バ ラ ン ス を 崩 す 者 が あ っ た 。 そ の ほ か に 、 犯 罪 に よ っ て 罰 金 を 科 せ られ. 3.

(7) た 場 合 な ど 、 自 給 自 足 で 最 低 限 の 生 活 を して い る た め 十 分 な 蓄 え が な い 彼 ら は 、 借 金 を し な け れ ば な ら な か っ た 。 「貨 幣 は 使 用 さ れ て お ら ず 、 彼 ら が 貸 し 借 り を し た の は 米 で あ っ た 。 米 を 貸 す と い う こ と は 自 分 の 消 費 量 を 減 らす と 同 時 に 、 も しそ れ を 蒔 く こ と が で きて い た ら2倍. 以 上 の 量 の 米 を 生 産 で き た だ ろ う か ら 、 借 り 手 は 借 り た も の の2倍. れ 以 上 を 返 済 し な け れ ば な ら な か っ た 。 」(レ. 、 また は そ. ナ ト ・ コ ン ス タ ン テ ィ ー ノ,1,45項). 原 始 的 な 農 法 の た め に 十 分 な 収 穫 が 保 証 さ れ て い な か っ た 当 時 、 米 を 貸 す こ と は 危 険 と犠 牲 を 伴 い 、 従 っ て 利 子 は 高 率 と な り 、 期 限 内 に 返 済 で き ず に 債 務 奴 隷 と な る わ け で あ る。. 外 国 と の 接 触 と植 民 地 化 バ ラ ンガ イ で は 土 地 は 共 有 の も の で あ り 、 村 民 は 自 給 自 足 の 生 活 を 送 っ て い た 。 し か し 、 例 外 もあ っ た 。 土 地 な ど を 私 有 財 産 と して 持 っ こ と を 許 さ れ て い た バ ラ ン ガ イ が 、 存 在 し て い た の で あ る。 こ う した バ ラ ン ガ イ は 、 貿 易 商 人 が 近 づ き や す い 海 岸 沿 い に 位 置 して い た 。 そ こ で は 早 く か ら 貿 易 商 人 と の 取 り 引 き が 行 わ れ 、 そ れ は 中 国 や ア ラ ビ ア や イ ン ドの 文 明 と の 接 触 を 意 味 して い た 。 っ ま り、 こ れ らの 貿 易 商 人 に よ り、 個 人 所 有 の 概 念 が もた ら さ れ 、 次 第 に 一 般 化 し て い っ た の で あ る 。 「こ れ ま で の 共 有 と い う シ ス テ ム を 捨 て 、 個 人 所 有 を 認 め た 村 落 で は 、 私 的 所 有 物 で あ る 土 地 を 、 利 子 や 犯 罪 の 償 い と して 没 収 す る こ とが で き た し、 子 供 た ち が こ れ を 相 続 す る こ と も 、 ま た 結 婚 持 参 金 と して 使 用 す る こ と も で き た 。 」(レ. ナ ト ・ コ ン ス タ ン テ ィ ー ノ,1,51-52頁). 貿 易 商 人 の 扱 う品 物 は 、 ヨ ー ロ ッパ で 珍 重 さ れ て い た 香 辛 料 で あ り 、 こ の 利 益 に 目 を っ け た ス ペ イ ン は 、 バ ラ ン ガ イ 社 会 を 破 壊 し、 植 民 地 化 し た 。1565年(日 フ ラ ン シ ス コ ザ ビ エ ル が 鹿 児 島 に 来 た16年 400年. (注1)レ. 前)の. 本 史 で い え ば、. こ と だ っ た 。 そ して 、 これ を 契 機 に約. 間 の 植 民 地 の 歴 史(注3)が 始 ま る 。. ガ ス ピ(Legazpi)は. 、1565年. にセ ブ島 の 首長. トゥパ ス を 攻 撃 し、 敗 退 さ せ. た 。 そ して 、 彼 の 影 響 下 の 周 辺 各 地 の 首 長 を 含 め て 和 を 結 び 、 ス ペ イ ン の 主 権 と 居 留 を 承 認 さ せ た 。 後 に 、 フ ィ リ ピ ン諸 島 の 初 代 総 督 に な る 。. (注2)"自. 由 民 の 下 に は 奴 隷 が 存 在 し て い た"先. ス ペ イ ン期 に フ ィ リ ピ ン で は 奴 隷 制 度. が 存 在 して い た と 、 ス ペ イ ン人 た ち は 彼 ら ヨ ー ロ ッパ 人 の 経 験 に 照 ら して 記 録 し た が 、 こ れ は 間 違 い で あ る 。 ア ン トニ オ ・デ ・モ ル ガ 著 「フ ィ リ ピ ン 諸 島 誌 」 の 注 釈 な か で 、"主. 人 と 「奴 隷 」 は 同 じ テ ー ブ ル で 食 事 を し 、 「奴 隷 」 は 主 人 の 家. 族 の 成 員 と 結 婚 す る こ と が で き た"と. 述 べ ら れ て い る。 バ ラ ンガ イ の 階 層 は 固 定. 的 な も の で は な く、 首 長 が そ の 地 位 を 失 う こ と も あ れ ば 、 自 由 民 や 首 長 の 家 族 ま で もが 隷 属 民 に転 落 す る こ と も あ った 。 ま た 、 バ ラ ン ガ イ は 親 族 集 団 で あ っ た か ら、 隷 属 民 の 困 窮 は 多 く の 血 縁 関 係 に よ っ て 緩 和 さ れ た に違 い な い 。 本 文 中 に 述. 一4一.

(8) べ た よ う に"債. 務 奴 隷"い. う の が 妥 当 だ ろ う 。(レ. ナ ト ・コ ン ス タ ン テ ィ ー ノ 、. 1、45-47項). (注3)「. そ の 発 端 は と な っ た の は 、1521年 が 、 そ の 後 、1565年. に レ ガ ス ピの 率 い る 遠 征 隊 に よ っ て 、 植 民 地 化 が 開 始 さ. れ た 。 以 降 、 フ ィ リ ピ ン は300年 化 し 、 つ い で19世 と 化 し た 。 」(滝. の フ ェ ル ナ ン ド ・マ ゼ ラ ン の 発 見 で あ る. 以 上 にわ た るス ペイ ンの重 商主 義 的 植 民 地 と. 紀 末 の 米 西 戦 争 を 契 機 と して 、 ア メ リカ の 帝 国 主 義 的 植 民 地 川 勉 、58頁)第. 二 次 世 界 大 戦 中 に は 約3年. う 中 断 は あ っ た が 、 ア メ リ カ の 統 治 は 、1946年7月4日 至 る ま で40数. 年 に及 ん だ。. 一5一. 半 の 日本 占領 とい の フ ィ リ ピ ン独 立 に.

(9) II-2植. 民地下における土地所有形態. 皿一2-1ス. ペイン支配下における土地所有形態. ス ペ イ ン の 統 治 者 は 、 中 央 集 権 制 を 導 入 し、 布 教 と統 治 の た め に一 石 二 鳥 の 効 果 を あ げ る よ う に 、 あ ち ら こ ち らに 散 在 す るバ ラ ンガ イ を 強 制 的 に 一 か 所 に集 中 的 に 移 住 さ せ て 、 大 き な 村 落 、 バ リ オ(barrios)を. 形 成 さ せ た 。 ま た 、 こ れ に よ って よ り効 率 的 な 農 民 搾 取. も可 能 に な っ た 。. 自給 自足 騒 済 の 崩壊 ス ペ イ ンの 植 民 地 政 府 は 、 フ ィ リ ピ ン人 民 に 、 生 産 物 を 税 と して 政 府 に 売 る こ と を 強 要 し た が 、 実 際 の と こ ろ 、 これ は 政 府 に よ る 強 制 買 い 上 げ 制 度 で あ っ た 。 こ の や り方 を バ ン ダ ラ(bandala)と. い うが 、 これ を 確 立 す る た め 、 各 州 に 商 品 集 積 所 を 設 置 した 。 しか し、. 農 民 の 不 払 い が 多 く、 事 実 上 こ れ は 生 産 品 没 収 と い っ た 状 態 で あ っ た 。 こ う した 政 府 の 設 定 した 税 金 の 他 に 、 さ ら に 総 督 や 市 、 州 な ど 役 人 の 個 人 的 な 気 ま ぐれ に よ る税 の と り た て もあ っ た 。 税 が 支 払 え な い 場 合 に は 、 家 禽 、 家 畜 な ど の 没 収 も行 な っ た し、 ま た 教 会 の 鐘 を 作 る な ど と い って は 、 い ろ い ろ な 品 物 を 没 収 した 。 こ れ は 、 日本 の 江 戸 時 代 の 悪 徳 代 官 政 治 に 勝 る と も劣 ら な い 。 そ し て 、 こ う し て 集 め ら れ た 税 金 が 「民 衆 の 福 祉 の た め 」 と さ れ て い た の で あ る 。 実 際 は 、 一 部 の 支 配 者 の た め で しか な い これ ら の 税 金 は 、 そ の ほ と ん ど は 不 良 官 僚 の 手 に 入 っ た し、 ま た 民 衆 を 抑 圧 す る た め の 軍 隊 、 搾 取 した も の を 本 国 へ 送 る た め の 海 軍 、 そ して そ う い う 抑 圧 に 黙 っ て 耐 え よ う と さ と す 教 会 へ と 流 れ て い っ た 。 ま た 、 ポ リ ス タ ス(polista s)と い う 強 制 労 働 制 度 を 導 入 し 、16歳 ガ レ オ ン船(galleon;貿. か ら60歳. 易 に 使 わ れ た 帆 船)の. ま で の 成 年 男 子 が40日. 間、 橋 や教 会 、. 建 造 に 駆 り 出 さ れ た 。 他 に も、 海 岸 沿 い に. 位 置 す る バ リ オ で は 、 「イ ス ラ ム 教 徒 か ら の 侵 略 か ら 防 衛 し て や る 」 と の 理 由 で 、 新 た に 税 金 を 課 し た り し た 。(ア. マ ド ・ゲ レ ロ 、11-18)こ. う して 自 給 自 足 経 済 は 崩 壊 し、. 民 衆 は ス ペ イ ン人 植 民 者 の 意 の ま ま に な っ て い っ た 。. エ ン コ ミエ ン ダ 制 の 導 入 フ ィ リ ピ ン 人 民 が そ の 自 由 を 失 っ た い ま 一 つ の 制 度 に 、 エ ン コ ミエ ン ダ(encomienda)制 が あ る。 封 建 社 会 で は ど こ の 国 で も そ うだ が 、 論 功 行 賞 に 土 地 を 分 封 す る 。 フ ィ リ ピ ン に お け る 場 合 も 例 外 で は な か っ た 。 セ ブ 島 支 配 直 後 の1558年. に、 ス ペ イ ン王 は、 そ の勅. 令 で も って フ ィ リ ピ ンの 征 服 と植 民 に 手 柄 の あ っ た 者 に 、 土 地 を 分 配 し、 そ の 私 有 を 認 め た 。 しか し、 こ れ は あ くま で も ス ペ イ ン王 に よ っ て 与 え 授 け られ た 土 地 で あ り 、 彼 ら は 国 王 に 対 し 奉 公 を せ ね ば な ら な か っ た 。 こ れ を エ ン コ ミ エ ン ダ 制(1570年. 一6一. に 制 度 と して.

(10) 確 立)と. い い 、 そ の 所 有 者 は エ ン コ メ ン デ ロ ス(encomenderos)と. 呼 ば れ た。 彼 らは 自分 の. エ ン コ ミエ ン ダ 内 で は 絶 対 的 権 限 を 持 ち 、 租 税 、 貢 納 を 集 め る こ と か ら は じ ま っ て 、 あ り と あ らゆ る権 限 を 有 す る 点 で 一 国 の 城 主 と変 わ らぬ 力 を 持 っ て い た 。 エ ン コ ミ エ ン ダ 内 で は 、 キ リ ス ト教(注4)の 教 義 が 強 制 さ れ 、 ス ペ イ ン 人 に 都 合 の よ い あ り と あ ら ゆ る 種 類 の 法 律 が 課 せ られ た 。 賦 役 、 貢 納 な ど を 含 め 、 フ ィ リ ピ ン人 に は 、 そ の 人 間 的 な 自 由 さ え な か っ た こ と は 、 ヨ ー ロ ッパ 中 世 の 農 民 以 下 で あ っ た 。 一 方 、 ス ペ イ ン 人 に 言 わ せ れ ば 、 エ ン コ ミエ ン ダ 内 の フ ィ リ ピ ン 人 は 「外 部 か ら の 侵 略 そ の 他 か ら 守 っ て も らえ る と言 う点 で 、 安 全 。 」 な の で あ っ た 。 ス ペ イ ン 人 に よ っ て 課 せ ら れ た こ れ ら 諸 々 の 負 担 が 住 民 に ど れ ほ ど 大 き な 社 会 的 ・経 済 的 困 窮 を も た ら した か は 、 こ れ らの 負 担 が 、 労 働 と 生 産 の 余 剰 が ほ と ん ど な い 経 済 の な か で 課 せ られ た 、 と い う こ と を 思 い 起 こ して み る だ け で 十 分 理 解 で き る 。 自給 自足 農 業 に 大 き く依 存 し て い た 社 会 集 団 が 突 然 、 ま っ た く 労 働 を 行 な わ な い 集 団 を 養 う た め に 余 剰 生 産 、 無 償労 働 を 強制 され た のだ っ た。. (注4)布. 教 に あ た っ た の は カ ソ リ ッ ク 教 会 で あ る 。 こ れ は3世. 紀 末 に ロ ーマ を 中心 と し. て 形 成 さ れ た キ リ ス ト 教 会 で あ り 、 名 前 は ギ リ シ ャ 語 の カ ト リ コ ス(普 由 来 し 、 普 遍 的 な 世 界 教 会 の 意 で あ る 。4世. 遍 的)に. 紀末 、 東西 に分 裂 。 西 方 を ロ ーマ カ. ソ リ ッ ク 、 東 方 を ギ リ シ ャ カ ソ リ ッ ク と い っ た が 、 や が て 東 方 を ギ リ シ ャ正 教 会 と い う よ う に な っ た 。15世. 紀 以 降 、 ロ ーマ カ ソ リックは さ らに分裂 して英 独 北. 欧 に プ ロ テ ス タ ン ト教 会 諸 派 が 生 ま れ た 。 フ ィ リ ピ ン で は 、 こ の カ ソ リ ッ ク 教 会 領 の エ ン コ ミエ ンダ も 存 在 し 、 農 民 搾 取 に 関 与 した 。. 7一.

(11) 皿一2-2ア. メリカ支配下における土地所有形態. ア メ リカ との 自 由 貿 易 に よ る農 産 物 の 輸 出 は 、 フ ィ リ ピ ン農 業 に 大 き な 影 響 を 及 ぼ した 。 ス ペ イ ン統 治 時 代 か らの 大 土 地 所 有 制 は そ の ま ま 温 存 さ れ 、 さ らに そ の 土 地 で は 砂 糖 、 た ば こ、 麻 と い っ た 商 品 作 物 が 生 産 さ れ た 。 自 分 た ち の 生 活 と は 全 く関 係 の な い もの を 作 る こ と を 強 要 さ れ 、 そ して そ の 搾 取 の 度 合 は 一 一層 強 化 さ れ た の で あ る 。 商 品 作 物 の 生 産 は 効 率 が 最 優 先 さ れ 、 結 果 と し て 土 地 の 併 合 が 進 ん だ 。 自 営 農 や 小 作 農 は 、 全 くの 前 近 代 的 低 賃 金 季 節 労 働 者 へ と変 わ って い っ た 。 ア メ リカ 統 治 時 代 に お け る土 地 政 策 は 、 大 土 地 所 有 者 と 貧 農 と の 格 差 を ま す ま す 拡 大 した だ け に ほ か な ら な い 。. 2っ の 土 地 政 策 立 法 ・行 政 機 関 で あ る フ ィ リ ピ ン 委 員 会(注5)は 、 ト レ ン ス 土 地 登 記 法(注6)に よ り 、 土 地 の 所 有 権 を 確 定 す る 手 続 き を 定 め 、 個 人 、 法 人 の 農 地 取 得 方 法 を 簡 素 化 した 。 だ が 、 小 作 農 は、 そ の貧 困 と無 知 の故 に必 要 な登 記 が で きず 、 自分 の耕 作 地 の 所 有権 を得 る ことが で き な か っ た 。 こ れ に 対 して 地 主 た ち は 、 詐 欺 め い た 調 査 、 そ の 他 方 法 で 乗 っ取 っ た 土 地 に つ い て さ え も 、 ト レ ン ス 登 記 法 に よ っ て 所 有 権 を 法 的 に 確 定 で き た 。1902年. か ら10. 年 まで の 期 間 に 、土 地 登 記 裁 判 所 が与 え た登 記 件 数 の ほぼ す べ て が大 土 地 所 有 者 に よ る も のだ った 。 さ ら に ア メ リカ は 、 これ ま で 未 開 墾 の ま ま で あ っ た 土 地 の 耕 作 を 奨 励 し た い と 考 え た け れ ど も 、 こ の 考 え に よ って 出 さ れ た 自 作 農 創 設 計 画 は 成 功 しな か っ た 。 理 由 は 、 フ ィ リ ピ ン 人 は 慣 習 と し て 、 耕 す 土 地 に で は な く、 市 街 地 や 町 中 に 住 む と い う 事 実 を 考 慮 に 入 れ て な か っ た 。 ま た 、 政 府 の 組 織 的 支 援 が 欠 け て い た の で 、 貧 しい 小 作 人 に は 資 産 が な く、 自 作 農 創 設 の 制 度 を 利 用 で き な い と い う事 情 も あ っ た 。 仮 に 、 こ の 計 画 が 成 功 し、 多 く の 自 作 農 が 生 ま れ た と して も、 税 制 、 そ の 他 の 理 由 に よ り 、 そ の 土 地 は 必 然 的 に大 地 主 に 吸 収 さ れ て い っ た だ ろ う と い う こ と は 容 易 に 推 測 で き る。. 現 地地 主 との利 害 関 係 実 際 フ ィ リ ピ ン委 員 会 が 本 当 に 発 展 さ せ た か っ た の は 、 大 土 地 所 有 に よ る プ ラ ン テ ー シ ョ ン経 済 、 つ ま り 大 規 模 な 農 民 搾 取 か ら 得 ら れ る 利 益 で あ っ た 。 先 述 し た2つ. の 土 地 政 策 も、. そ の た め の 一 手 段 だ っ た 。 ア メ リカ に よ る植 民 地 政 策 は 、 す べ て が 地 主 に 有 利 に 働 い た 。 これ は 地主 を利 用 す る こと に よ りよ り、効 率 的 に植 民 地 支 配 を す るた めで あ った。 農 地 は 過 小 評 価 さ れ 、 課 税 額 も僅 少 で 、 そ の 徴 収 に い た っ て は 悪 名 を と ど ろ か せ た ほ ど ル ー ズ で あ っ た 。 輸 出 作 物 の 生 産 を 奨 励 す る た め に 、 農 産 物 は い か な る税 も免 除 さ れ た 。 ま た 、 地 主 の 遺 産 相 続 も非 課 税 で あ っ た 。 こ う し て 、 ア メ リカ 人 と そ れ 密 接 に 結 び つ い た 少 数 の 地 主(注7)が 、 政 治 経 済 を 牛 耳 り 、 さ ら な る 農 民 搾 取 を 行 っ て い た 。. 一8一.

(12) 農 民 蜂起 「フ ィ リ ピ ン 人 農 民 の 自 由 と 平 等 を 求 め る 闘 争 は 、 ス ペ イ ン の 侵 略 と 支 配 の と き か ら 始 ま っ て い る 。 エ ン コ ミ エ ン ダ と い う 大 土 地 所 有 制 の 中 で 、 農 民 は5割. 以 上 の もの年 貢 を 取. ら れ て 苦 しん だ 。 ア メ リカ の 支 配 下 に な っ て も 、 農 民 大 衆 は 土 地 を 持 っ こ と は な く、 大 土 地 所 有 者 の 前 で 働 か ざ る を 得 な い と い う 点 で は 、 一 向 に 変 わ り が な か っ た 。 」(守. 川 正 道,. 273頁) 1920年. 代 に は 農 民 に よ る デ モ や 集 会 が み られ は じめ る 。 も ち ろ ん 、 大 土 地 所 有 者 の. 利 害 を 守 ろ う と す る 為 政 者 に 、 こ の 種 の 請 願 や デ モ が 取 り上 げ られ る こ と は な か っ た 。 大 土 地 所 有 者 の 土 地 兼 併 と 、 農 民 が 土 地 を 守 ろ う とす る互 い の 抗 争 は 、 と くに 中 部 ル ソ ンの カ ビ デ 、 リサ ー ル 、 ラ グ ナ 、 パ ン パ ン ガ 地 方 な ど に 多 か っ た 。1923年 オ の 農 民 の 秘 密 結 社 で あ る コ ロ ラ ム ス(kolorllms)が し た の を は じ め 、1920年. か ら30年. 末 には ミンダ ナ. 、 土 地 問 題 を理 由 に武 器 を も って蜂 起. 初 め にか けて の世 界 的経 済 危機 は 、民 衆 の生 活 を. 圧 迫 し 、 彼 ら を 組 織 し、 団 体 行 動 に か り た て る 動 機 に な っ た の で あ る 。 農 民 に よ る 蜂 起 は 、 増 大 す る深 刻 な 経 済 搾 取 の 結 果 で あ っ た 。 ス ペ イ ン支 配 前 の フ ィ リ ピ ンで は 、 そ れ ぞ れ の バ ラ ン ガ イ は 、 食 物 に 関 す る か ぎ り 自 給 自 足 で あ っ た 。 一 人 一 人 が そ の 共 有 地 内 で 、 耕 作 地 を 保 証 さ れ て い た 。 ス ペ イ ン植 民 地 化 は 、 フ ィ リ ピ ン人 か ら先 祖 代 々 に伝 わ る土 地 を 奪 い 、 多 くの 人 々 を 小 作 人 や 借 地 人 の 地 位 を 引 き下 げ 、 地 主 に 搾 取 さ れ 酷 使 さ れ る こ と を 余 儀 な くさ れ た 。 そ して 、 ア メ リカ 領 有 期 に は 、 世 界 経 済 と 密 接 に っ な が る よ う に な っ て 、 フ ィ リ ピ ンで は 生 産 は 輸 出 作 物 に 集 中 す る よ う に な っ た 。 さ と う き び 、 コ コ ナ ッツ 、 た ば こ、 マ ニ ラ 麻 が 主 要 な 輸 出 農 産 物 と な り、 米 の 生 産 は 減 少 した 。 穀 類 は 、 毎 年 大 量 に 輸 入 せ ね ば な らず 、 こ う し た 転 換 は 、 主 食 を 自 ら生 産 しな くな っ た 農 民 を 実 に 苦 し め る 結 果 と な っ た 。. (注5)こ. の 委 員 会 の 任 務 は 、 「現 在 の 数 多 く の 村 落 の な か の 社 会 的 政 治 的 状 況 を 調 べ 」 、 か つ 、 「秩 序 と 平 和 と 公 衆 の 福 祉 を は か る た め に い か な る 政 治 的 機 構 を 設 立 す れ ば よ いか を 諮 問 す る」 こ とと され て い た。 1899年3月. 、 こ の フ ィ リ ピ ン委 員 会 は フ ィ リ ピ ン の 現 状 を 調 査 す る た め に 訪. 比 した と き に 出 さ れ た 宣 言 は っ ぎ の よ う な も の だ っ た 。 ① 合 衆 国 の 優 位 は 全 群 島 の あ ら ゆ る地 域 に 及 ば ね ば な らな い し、 これ に 反 対 す る も の に は 、 本 人 の 破 滅 以 外 の な に も の も残 さ れ て は な ら な い 。 ② 賢 明 で 正 し く 、 強 固 に して 効 果 的 な 政 治 を 理 解 で き 、 か っ 合 衆 国 の 主 権 と 国 際 的 権 利 及 び 義 務 と矛 盾 し な い よ う な 自 立 政 府 が 、 フ ィ リ ピ ン人 に 認 め られ る べ き で あ る。 ③ フ ィ リ ピ ン人 の 市 民 権 は 十 分 に 認 め られ 保 証 さ れ ね ば な らず 、 宗 教 的 自 由 も 承 認. 9一.

(13) さ れ、 かっ 全 人 民 は 法 の前 で 平 等 で あ る。 ④ 名 誉 と 正 義 と 友 情 を も っ て 遇 し 、 フ ィ リ ピ ン 人 や 群 島 が 搾 取 ・収 奪 の 目 的 や 手 段 で あ っ って は な らな い 。 合 衆 国 政 府 の 目的 は フ ィ リ ピ ン人 民 の 福 祉 と発 展 で あ る 。 (守 川 正 道,191-193) この 宣 言 は 、 あ く ま で もア メ リカ の 支 配 す る枠 内 で の 自 由 と 独 立 を 認 め た だ け に す ぎ ず 、 本 文 に あ る よ うな 植 民 地 政 策 が 行 わ れ て も、 そ れ に 反 対 す る も の は 、 "徹 底 的 弾 圧"を も って 望 む と い う こ とだ っ た 。 で あ る か ら、 ア メ リカ の 意 の ま ま に 支 配 は 進 み 、 農 民 搾 取 は 公 然 と行 わ れ て い っ た 。. (注6)ロ. バ ー ト ・ ト レ ン ス 卿 が 提 唱 し、 各 国 で 実 施 さ れ る よ う に な っ た 登 記 の 方 法 。 フ ィ リ ピ ン で は1902年. (注7)こ. に採用 され た。. の 地 主 は カ シ ケ 階 級(casique)と (takipan)と. よば れ るが 、彼 らに よ る搾取 は 、 タキ パ ン. い う 制 度 で は 、 農 民 は そ の 収 穫 の100%を. な ら な か っ た 。 ま た 、 タ リ ン ド ワ(talinduwa)と お さ め る もの と さ れ て い た 。. 10. 税 と して 収 め な け れ ば. い う 制 度 で は 、 収 穫 の50%を.

(14) ll-3独. 立後の土地所有形態. ll-3-1マ. グサイサイ政権下. フ ィ リ ピ ン 人 農 民 の 目 由 と 平 等 を 求 め る 闘 争 は 、 ス ペ イ ン の 侵 略 と 支 配 の と き か ら始 ま っ て い る 。 エ ン コ ミ エ ン ダ と い う 大 土 地 所 有 制 の 中 で 、 農 民 は5割. 以上 の もの年 貢 を 取 られ. て 苦 しん だ 。 そ の 後 の ア メ リ カ 支 配 下 に お い て も 、 農 民 大 衆 は 土 地 を 持 っ こ と は な く 、 大 土 地 所 有 者 の 前 で 働 か ざ るを 得 な い と い う 点 で は 、 い っ こ う に 変 わ りが な か っ た 。. フ ク団 の 台 頭 1941年. 末 の 太 平 洋 戦 争 開 始 と 日 本 軍 の 侵 攻 を 契 機 と して 、 フ ィ リ ピ ン 共 産 党 は 中 部. ル ソ ンの 小 作 農 、 貧 農 、 農 業 労 働 者 を 結 集 し て 抗 日 人 民 軍 一 フ ク バ ラ パ ッ プ(Hukbalahap) を 結 成 し、 日本 軍 に 対 して ゲ リラ 活 動 を 展 開 した 。 こ の フ ラ バ ラ パ ッ プ は 戦 後 人 民 開 放 軍 (HMB)と 40年. 改 称 し、 フ ィ リ ピ ン の 完 全 独 立 と 土 地 問 題 の 解 決 を 要 求 し て 政 府 に 対 立 し た 。. 代 末 に は 、 フ ィ リ ピ ン共 産 党 は 当 時 の 内 外 情 勢 の 判 断 か ら武 力 開 放 路 線 に 転 じ、 そ. の 軍 事 組 織 で あ る 人 民 開 放 軍(フ 50年. ク 団)は. 中 部 ル ソ ンを 中 心 と して 著 し く勢 力 を 拡 大 し、. 代 初 頭 に か け て 国 内 治 安 上 、 最 大 の 危 機 要 因 と な っ た 。 こ う した 深 刻 な 事 態 の 原 因. を 究 明 し 、 問 題 解 決 を 図 る た め 訪 比 し た ア メ リ カ の 調 査 団 は 、1950年10月 を 発 表 し 、5年. 間 に2億500万. 、報告書. ドル に お よ ぶ 援 助 と 引 き 換 え に 、 い く っ か の 内 政 改 革 を. フ ィ リ ピ ン 政 府 に 勧 告 し た 。 こ の う ち に は 農 地 改 革(大. 農 園 の 政 府 買 収 と 農 民 へ の 売 却). の 実 施 が含 まれ て い た。. マ グサ イ サ イ の 土地 政 策 1950年8月. に は ア メ リカ の 後 援 の 下 に マ グ サ イ サ イ が 国 防 長 官 に 就 任 し、 ア メ リカ. の 強 力 な 軍 事 的 援 助 と指 導 の 下 で フ ク 団 鎮 圧 に 乗 り 出 した 。 一 方 、 フ ク 団 側 は 致 命 的 な 経 験 不 足 と 共 産 党 指 導 部 内 の 戦 略 的 不 統 一 な ど の 要 因 か ら 、50年 勢 力 は 次 第 に 衰 え 、54年. 代 初 頭 を 頂 点 と して そ の. に は フ ク団 最 高 司 令 官 ル イ ス ・タ ル ク は 投 降 した 。 こ う して 数. 年 間 に わ た る フ ク 団 と の 内 戦 状 態 は よ う や く終 結 し、 農 村 に お け る 治 安 は 一 時 的 に 回 復 を した。 フ ク 団 鎮 圧 の 軍 事 的 功 績 に よ り 、 マ グ サ イ サ イ は 、1953年. に 大 統 領 選 挙 戦 に立 候 補. し て キ リ ノ 大 統 領 と 対 決 し 、 圧 倒 的 勝 利 を も っ て 大 統 領 に 就 任 し た 。(注8)マ グ サ イ サ イ の 政 策 の う ち で も っ と も注 目 さ れ る の は 、 農 地 改 革 と 農 村 開 発 計 画 で あ る 。 も っ と も これ は フ ィ リ ピ ンを 投 資 市 場 、 商 品 市 場 、 軍 事 基 地 と して 利 用 す る た め に 、 国 内 治 安 の 確 保 を 望 ん で い た ア メ リカ の 都 合 に よ る もの で あ っ た 。 こ う して マ グ サ イ サ イ 大 統 領 の 下 で 、 こ の 国 で は じ め て の 農 地 改 革 法(LandReformAct)が. 一11一. 成 立 し た 。 し か し、 こ の 法 案 は 地 主 層 と.

(15) そ れ に 支 え られ た 下 院 の 抵 抗 に よ って 、 そ の 重 要 部 分 を 骨 抜 き に さ れ た 。 つ ま り、 地 主 の 土 地 保 有 限 度 は300ヘ. ク タ ー ル と極 め て 大 き く、 ま た 法 律 実 施 の た め の 予 算 が 議 会 で 大. 幅 に削 減 さ れ る な ど の 妨 害 を 受 け 、 結 局 の と こ ろ 、 この 法 律 は ほ とん ど有 名 無 実 と な っ た 。. (注8)1953年11月. の 大 統 領 選 挙 で 得 票 率69%と. い う 高 さ で 当 選 し た 。 農 民 ・大. 衆 の 大 統 領 を モ ッ ト ー と す る マ グ サ イ サ イ の 登 場 は 、 そ れ ま で の エ リ ー ト型 政 治 や 選 挙 運 動 の 伝 統 を 変 え 、庶 民 志 向 、 改 革 主 義 の 市 民 意 識 の政 治 の 流 れ を 生 ん だ 。. 一12一.

(16) ll-3-2. マカバガル政権下. マ カバ ガル の土 地 政策 1961年. に 就 任 した マ カ バ ガ ル 大 統 領 は 、 農 業 部 門 の 停 滞 が 経 済 発 展 を 阻 害 して い る. こ と 、 ま た 農 村 部 の 所 得 水 準 の低 さが 国 内 市 場 の 拡 大 を 妨 げ て い る こ と な ど の 理 由 に よ り、 1963年8月. 、 フ ィ リ ピ ン 農 地 改 革 法(AgrecllltllralLandRefomCode)の. 制 定 を 断行. した。 しか し、 同 法 も ま た 、 国 会 の 審 議 過 程 に お い て 地 主 階 級 に 有 利 な 多 くの 修 正 が 行 わ れ た 。 す な わ ち 、 この 法 律 に よ れ ば 、 こ の 国 の 農 村 の 普 遍 的 な 刈 分 小 作 農 は 、 ま ず 第 一 段 階 と し て 定 額 借 地 農 に 転 換 さ れ 、 そ の 後 、 土 地 代 金 を 年 賦 償 還 して 自 作 農 に 転 換 さ れ る と い う よ う に、 改 革 が 二 段 階 に な っ て い た 。 これ は 改 革 を 遅 らせ る 意 図 が あ っ た た め で あ る 。 ま た 、 改 革 の 実 施 は 全 国 一 斉 に 行 わ れ る の で は な く、 一 定 の 地 域 、 主 に 中 部 ル ソ ン に か ぎ り 、 集 中 的 に 行 わ れ る よ う に な っ た こ と 。 更 に 、 こ う した 改 革 の 実 施 は ま ず 大 地 主 所 有 地 か ら着 手 さ れ 、 次 第 に 中 ・小 地 主 所 有 地 に 及 ぶ と い う よ う に 漸 進 主 義 を と っ た こ と 。 そ し て 、 そ の 際 の 地 主 の 土 地 保 有 限 度 は75ヘ. ク タ ー ル と か な り大 規 模 で あ っ た こ と 、 な ど が 挙 げ ら. れ る 。 さ ら に 、 マ カ バ ガ ル 大 統 領 の 在 任 期 間 中 に は 、 この 農 地 改 革 の 第 一 段 階 の 実 施 す ら 不 十 分 で あ った。. 13.

(17) 皿一3-3マ. ルコス政権下. マ ル コ ス の 土 地 政 策1 マ ル コ ス 大 統 領 は 、 マ カ バ ガ ル 前 政 権 の 制 定 した 農 地 改 革 の 実 施 を 継 続 した 。 そ の 効 果 は 農 地 改 革 区 の 選 定 ・布 告 の 増 加 と な っ て 現 わ れ た 。 す な わ ち 、 農 地 改 革 区 の 数 は 、 マ カ バ ガ ル 大 統 領 期 に は わ ず か12に に は120に. す ぎ な か っ た が 、 マ ル コ ス 政 権 前 期 の1969年6月. 末. 増 加 した 。 中 部 ル ソ ン の ム ニ シパ リテ ィ ー と い う町 の 過 半 数 が 農 地 改 革 の 実. 施 の 対 象 と さ れ た の で あ る。 こ う し た マ ル コ ス の 農 地 改 革 に た い す る積 極 的 姿 勢 は 、 もち ろ ん69年. の 大 統 領 選 挙 戦 を 意 識 した 政 治 的 な も の で あ っ た 。. こ の 農 地 改 革 の 実 施 に よ り 、 中 部 ル ソ ン に お け る 地 主 ・小 作 人 間 の 紛 争 は 急 激 に 発 生 し 、 拡 大 し て い っ た 。 地 主 の 小 作 人 に 対 す る 暴 行 ・恐 喝 事 件 が 各 地 で 発 生 し た が 、 大 地 主 は 私 兵 に よ っ て 解 決 し、 ま た 裁 判 所 ・軍 ・警 察 な ど の 国 家 権 力 機 関 を 最 大 限 に 利 用 し た 。 特 に 、 地 主 が 小 作 人 の 要 求 を 封 じ る た め に 用 い た 有 力 な 手 段 は 農 地 改 革 法 の 第36条. の利 用 で あ っ. た 。 こ の 条 項 は 一 般 に 地 主 の 「自 己 耕 作 規 定 」 と 呼 ば れ て い る が 、 地 主 な い し そ の 直 系 家 族 が小 作 地 を 自 己耕 作 す るか 、 な い しは それ を 住 宅地 、 工 場 敷 地 な ど、有 用 な非 農 業 目的 に 転 換 し よ う と す る 場 合 に は 、 合 法 的 に 小 作 地 を 引 き上 げ る こ と が で き た 。 こ れ は 地 主 の た め に抜 け道 を 用意 す る もの で あ った。 ま た1960年. 代 後 半 に は 中 部 ル ソ ン各 地 の 国 道 沿 い に 大 規 模 な 住 宅 団 地 予 定 地 や 霊 園. 予 定 地 が 多 数 出 現 して 人 目 を 引 い た 。 こ の よ う な 現 象 の 背 後 に は 、 小 作 農 の 土 地 か らの 追 放 と か れ らの 生 活 不 安 が 存 在 した こ と は い う ま で も な い 。 こ う し た 地 主 小 作 問 の 緊 張 ・対 立 が 高 ま り 、 そ れ を 背 景 に し て60年 (NPA)の. 代 末 、 新 人 民軍. 台 頭 が 見 られ た 。 こ う し た 情 勢 の 下 に マ ル コ ス 大 統 領 は 反 乱 の 危 機 が 迫 って. い る と し、1972年9月21日. 、 全 土 に 戒 厳 令 を 布 告 した 。. マ ル コ ス の 土 地 政 策2 戒 厳 令 布 告 直 後 の9月26日 し 、10月21日. に 、 法 令 第2号. に は 「小 作 農 解 放 令 」(大. に よ り全 土 を 農 地 改 革 地 域 と す る 宣 言 を 発 統 領 布 告 第27号)を. 発 して 農 地 改 革 の 基 本. 的 規 定 を 明 らか に した 。 現 在 に い た る ま で 、 政 府 は こ の 基 本 的 規 定 に 準 拠 し、 そ の 他 数 多 くの 法 令 、 指 示 、 覚 書 、 回 章 な ど を 矢 継 ぎ早 に 発 して 、 農 地 改 革 を 具 体 的 に 推 し進 め て き た 。 法 令 第27号. の 内 容 を 簡 単 に み る と 、 改 革 の 対 象 は 米 ・と う も ろ こ しを っ く る 小 作 農. 民 に 限 定 さ れ 、 彼 らを 解 放 して 自 作 農 化 す る と い うの で あ る が 、 他 方 、 そ の 農 民 た ち の 地 主 は 自 己 耕 作 を 条 件 と し て7ヘ. ク タ ール まで の 保 有 を認 め られ た。 不 耕 作 地 主 の 土地 保有. は 基 本 的 に 認 め ら れ て い な い 。 小 作 農 は 、 そ の 耕 作 地 の 地 価 を15年 よ っ て 有 償 で 買 い 取 る 方 式 を と る 。 そ の 結 果 と し て 、 法 令 第27号 は5ヘ. ク タ ー ル 、 灌 概 地 に つ い て は3ヘ. の均 等 年 賦 支払 いに は、 非 灌 概 地 にっ い て. ク タ ール の 家 族 規 模 農 場 の 創 設 を ね ら って い る が 、. 一14一.

(18) こ の 「家 族 農 場 」 の 確 立 こ そ が 農 村 に お け る 民 主 主 義 の 基 盤 に な る と 考 え て い る の で あ る 。 農 地 改 革 の 順 序 で あ る が 、 ま ず 第 一 段 階 と し て 地 主 ・小 作 の 確 認 作 業 が 行 な わ れ 、 そ れ が 終 わ る と小 作 農 に 土 地 移 転 証 書 が 手 渡 さ れ る 。 っ ぎ に 地 価 の 確 定 作 業 が 行 な わ れ 、 こ れ が 決 定 す れ ば 、 地 主 に 対 す る土 地 銀 行 の 補 償 支 払 い と小 作 農 の 土 地 銀 行 へ の 地 価 年 賦 償 還 が は じ ま り 、 農 地 改 革 の 前 段 が 終 了 す る 。 そ の 後 、 小 作 農 が15年. に わ た って 地 価 を 完 済. す れ ば 、 小 作 農 は 土 地 所 有 権 を 与 え ら れ て 自作 農 に 転 化 し、 こ こ に 農 地 改 革 の 全 過 程 が 終 了 す る。 と こ ろ で 、 こ の 農 地 改 革 の 実 施 過 程 に お い て 著 し い 後 退 が 生 じ た 。 そ れ は1975年7 月10日. に 通 達 に よ っ て 、 地 主 に 対 し て7ヘ. ク タ ール ま で の小 作 地 保 有 が 認 め られ た こと. で あ る 。 そ の 結 果 、 農 地 改 革 の 規 模 は 著 し く縮 小 し た 。 す な わ ち 、 通 達 の 結 果 と し て 、 小 作 農 耕 作 面 積 の47%、. 小 作 農 の57%、. 地 主 の90%が. 農 地 改 革 の 対 象 か ら除 外 さ れ た 。. この よ う に して 縮 小 さ れ た 農 地 改 革 で は あ るが 、 そ の 実 施 は 戒 厳 令 下 に もか か わ らず け っ し て 順 調 で は な か っ た 。1970年 万6千. 末 ま で に 小 作 農 に 手 渡 さ れ た 土 地 移 転 証 書 の 数 は34. で あ り 、 こ れ は 政 府 に よ る 目 標 数 の66%に. す ぎ な か っ た 。(注8). 問 題点 上 述 の 土 地 改 革 制 度 の も っ と も大 き な 困 難 の1っ. は 、 地 主 ・小 作 問 に お け る 地 価 の 確 定. 作 業 で あ るが 、 この 作 業 は と く に遅 れ が 目立 って い る 。 地 主 は 当 然 高 い 地 価 を 要 求 す る し、 一 方 小 作 農 は で き る だ け安 い 地 価 を 望 む た め に 妥 結 は 容 易 で は な い 地 価 が 決 定 さ れ て 土 地 銀 行 の 補 償 が 始 ま っ て い る 地 主 数 は6000程 数 の15%に. す ぎ な い 。 こ れ が 戒 厳 令 下 に お け る 農 地 改 革 実 施7年. 。1980年. 末 まで に. 度 で あ り、 対 象 地 主 目の成 果 で あ る。 だが 、. 決 定 を み た 地 価 は きわ め て 割 高 で あ り、 ほ とん ど 市 場 価 格 に 近 い もの で あ っ た 。 こ の 結 果 、 小 作 農 の 支 払 い 困 難 が も た ら さ れ 、 た と え ば ヌ エ バ ・エ シ バ 州 に お け る 小 作 農 の 地 価 償 還 率 は 最 近 で は10%程 難 の1つ. 度 に す ぎ な い と 言 わ れ て い る 。 これ は 現 行 農 地 改 革 の か か え る 諸 困. に す ぎ な い が 、 最 近 で は 小 作 農 の 農 地 改 革 に 対 す る 熱 意 も しだ い に 薄 れ 、 土 地 移. 転 証 書 の 受 領 を 望 ま な い小 作 農 す ら 出 て き て い る 。. 一15一.

(19) (注8)農. 地 移 転 事 業 計 画 目標. 小 作 農 耕 作面 積. 地主数. 小 作農 数. 規模 別 実数. 実数. %. %. 実数. %. (k"、. 100ha以. 上. 213,329. 28.11. 93,291. 23.69. 2,159. 5.46. 50∼99.99ha. 89,007. 11.33. 44,735. 11.36. 1,450. 3.67. 24∼49.99ha. 97,994. 12.91. 57,262. 14.54. 3,685. 9.32. 361,685. 47.65. 198,490. 50.41. 32,256. 81.56. 759,015. 100.00. 393,778. 100.00. 39,550. 100.00. 7.01∼23.99ha. 小 (7ha以. 計. (53.3). 上). 7ha以. 下. 合. 計. 663.97 1,422,988. (43.0). (9.6). 46.70. 521,136. 57.00. 371,129. 100.00. 914,914. 100.00. 410,679. MinistryofAgrarianRefom資. 一16一. 90.40 100.00. 料 に よ る 。.

(20) 皿 将来に向けての土地改革 現 在 進 行 中の 土 地 改革 事 業 現 在 、1972年. 小 作 農 解 放 令 に も と つ く土 地 改 革 事 業 が 進 行 中 で あ る 。 そ れ が も た ら. した もの を 次 の よ う に ま と め る こ と が で き る。 ① 中 部 ル ソ ン平 原 の よ う に 、 フ クバ ラ パ ッ プ や 新 人 民 軍 の 活 動 が 活 発 で あ っ た 地 域 に お い て は、土 地 改革事 業 は比較 的順 調 に実施 され 、大 地主 の所 有 地 の耕 作 農 民へ の移 譲 が 進 み、 創 設 自作 農 が 生 ま れ っ っ あ る 。 だ が 、 中 小 地 主 の 場 合 に は 、 解 放 令 布 告 以 前 に 土 地 の 分 割 相 続 が 行 わ れ て い た こ と に す る な ど 様 々 な 主 管 で 所 有 規 模 を7ヘ. ク タ ール以 下 に偽 装 す る. こ と で 、 所 有 地 を 守 ろ う とす る 例 も多 い 。 他 方 、 これ ま で 農 民 運 動 が 顕 著 に 展 開 して い な か った と こ ろで は土 地 改革 の 実 績 は名 目的 な もの に過 ぎな い ② 小 作 農 解 放令 とそれ に基 づ いて 派遣 さ れ た土 地 改 革 事 業 チ ーム の活 動 は、 旧小作 層 の耕 作 権 を 強 化 し、 農 法 の 技 術 革 新 の 成 果 と 相 ま っ て 、 彼 ら の 所 得 を 確 実 に 押 し上 げ る 役 割 を 果 た した 。 だ が 、 そ の 反 面 、 土 地 な し労 働 者 層 の 経 済 基 礎 の 落 ち こ み は 甚 だ し く、 村 落 内 の 経 済 的 社 会 的 格 差 が 強 ま っ て 、 新 た な 階 層 分 化 の 進 行 が み られ る 。. 農 業 生 産 力 の 向上 こ の 改 革 事 業 は 不 十 分 な 面 もあ るが 、 農 業 生 産 力 の 向 上 と い う観 点 か らみ れ ば 、 技 術 革 新 と の 相 乗 効 果 に よ り 成 果 を あ げ て い る 。 こ の 土 地 改 革 事 業 の 始 ま る 前 、 と く に1960 年 代 後 半 の 技 術 革 新 は 、 水 利 そ の 他 の 環 境 条 件 の よ い 地 域 に 限 ら れ る 傾 向 を もつ と は い え 、 収 量 の 大 幅 な 増 大(注9)を も た ら し た 。 例 え ば 、 「籾 の ヘ ク タ ー ル 当 た り の 収 量 は 、196 6年. こ ろ か ら 上 昇 し は じめ 、 改 革 の 始 ま っ た1970年. あ る 。1970年 上 、1977年. 代 に は2ト. ン の 水 準 に 達 した の で. 代 始 め の 米 価 の 上 昇 は 労 働 意 欲 を 喚 起 し、 米 に っ い て は 自 給 を 達 成 し た か ら は 余 剰 分 の 輸 出(注10)も. 行 わ れ て い る 。 」(綾. 部 ・永 積 編,235-. 236頁). 軽 済 発展 に よ る物 価 上 昇 こ う し て 軌 道 に 乗 り か け た 改 革 も 、1980年. 頃 よ り、政 府 の支 持 価 格 の 改訂 が不 十 分. で あ っ た こ と か ら、 農 民 の 間 に 不 満 が 高 じて い る 。 しか も、 肥 料 、 農 薬 、 農 機 具 の 価 格 は 上 昇 を 続 けて お り、 定額 借 地 農 や 創 設 自作 農 の 中 に は農 業 関 連 の業 者 へ の 負債 に あえ ぐ も のが 増 え て い る。. これ か らの土 地 改 革 事 業 現在 進 行 中 の土 地 改 革 事業 に は、 土 地 改 革 の 実 施地 域 が 部 分 的 で あ る点 、 旧小 作 層 と土 地 な し労 働 者 層 の 経 済 的 格 差 が 広 が っ た 点 な ど の 問 題 点 が あ る 。 こ う した 問 題 点 は 、 改 革. 一17一.

(21) が 十 分 で は な か っ た こ とを 示 して い る わ け で あ る か ら 、 行 政 は そ の 改 革 の 見 直 しを 早 急 に 行 うべ き で あ る 。 こ う した 改 革 の 見 直 し に は 、 ま ず 自作 農 を 増 や す と共 に 、 そ れ を 育 て る体 制 を と と の え る こ と が 望 ま れ る 。 そ の た め に 考 え ら れ る こ と は 、 国 の 政 治 ・経 済 体 制 を 安 定 さ せ 、 小 規 模 自 作 農 に 有 利 な 税 制 を 敷 く こ と で あ る。 これ に よ り全 国 の 小 規 模 土 地 所 有 者 が 、 経 済 的 な 理 由 で 土 地 を 手 放 す こ と が な くな る だ ろ う。 ま た 、 土 地 な し労 働 者 層 と の 経 済 格 差 に 関 し て は 、 さ ら に 、ODAな. ど に よ る 援 助 の 効 果 的 な 利 用 を 推 し進 め て 行 くべ き で あ る 。. フ ィ リ ピ ン の 植 民 地 下400年 (も ち ろ ん こ れ が 基 礎 に な る が)で. の 歴 史 を 考 え れ ば 、 大 土 地 所 有 を な くす た め の 土 地 改 革 は 不 十 分 で あ る。 これ ま で に 蓄 積 して き た 植 民 地 下 の. 悪 弊 を 取 り 除 く た め の 、 社 会 全 体 の 発 展 を も た ら す 改 革 を し て い くべ き だ と 考 え る 。 こ れ は 、 フ ィ リ ピ ンー 国 で 解 決 で き る 問 題 で は な く、 日本 を 含 め た 諸 外 国 の 助 言 や 協 力 が 必 要 で あ る。. (注9)世. 界 農 産 物 市 場 に お け る フ ィ リ ピ ン産 の 砂 糖 、 コ ブ ラ 、 マ ニ ラ 麻 の 占 有 率 は 高 く 、 1976年. に お いて は 、 コブ ラ は世 界 第 一 位 で あ り、砂 糖 、 マ ニ ラ麻 は五 指 の う. ち には い った。. (注10)1960年 は 、23万tの. 代 後 半 以 降 の. 「緑 の 革 命 」 の 進 行 に よ り 自 給 を 達 成 し 、 1980年. 輸 出 を お こな った。. 一18一. に.

(22) 参考文献. 1:ア. マ ド ・ ゲ レ ロ(北. 沢 正 雄 訳)『. 2:守. 川 正 道. 3:レ. ナ ト ・ コ ン ス タ ン テ ィ ー ノ(池. 『フ ィ リ ピ ン 史 』. フ ィ リ ピ ン社 会 と 革 命 』. 同 朋 舎 出 版1978年. 端 雪 浦 ・ 永 野 善 子 訳). 『フ ィ リ ピ ン 民 衆 の 歴 史1』. 4:レ. ナ ト ・ コ ン ス タ ン テ ィ ー ノ(鶴. 井 村 文 化 事 業 社1978年. 見 良 行 ・本 野 義 雄 ・ 山 鹿 順 子 ・吉 川 勇 一 訳). 『フ ィ リ ピ ン 民 衆 の 歴 史 皿 』. 5:レ. ナ ト ・ コ ン ス タ ン テ ィ ー ノ(鶴. 井 村 文 化 事 業 社1978年. 見 良 行 ・ 吉 川 勇 一 訳). 『フ ィ リ ピ ン 民 衆 の 歴 史lvj井. 村 文 化 事 業 社1980年. 6:滝. 川 勉 ほ か. 『東 南 ア ジ ア 現 代 史 』. 7:永. 積 昭 ・綾 部 恒 雄 編. 8:ア. ジ ア 太 平 洋 セ ンタ ー編. 9:高. 谷好 一 編. 『東 南 ア ジ ァ の 自 然 』. 弘 文 堂1990年. 10:坪. 内良 博 編. 『東 南 ア ジ ア の 社 会 』. 弘 文 堂1990年. 11:ピ. ー ス ボ ー ト99編. 12:鈴. 木 静 夫 ・早 瀬 普 三 編. 『フ ィ リ ピ ン の 事 典 」. 13:土. 生 長穂. 『ア ジ ア の 人 々 を 知 る 本 ① 』. ・小 島 延 夫 編. 亜 紀 書 房1977年. 有 斐 閣1982年. 『も っ と 知 り た い フ ィ リ ピ ン 』. 弘 文 堂1983年. 『フ ィ リ ピ ン は も っ と 近 い 』. 『フ ィ リ ピ ン は も っ と 変 る 』. 19一. 第 三 書 房1984年. 第 三 書 房1986年. 同 朋 舎 出 版1992年. 大 月 書 店1992年.

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(24) 慶應 義 塾 大 学. 湘 南藤 沢 学 会. KeioUniversityShonanFujisawaGakkai.

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Referensi

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