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Kojin/shakai tono kankeisei o musubinaosu shibetsu no bungaku hyosho

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Academic year: 2021

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(1)Title Sub Title Author Publisher Publication year Jtitle Abstract Notes Genre URL. Powered by TCPDF (www.tcpdf.org). 故人/社会との関係性を結び直す死別の文学表象 小池, 貴彦(Koike Takahiko) 國枝, 孝弘(Kunieda, Takahiro) 慶應義塾大学湘南藤沢学会 2014-03 研究会優秀論文 國枝孝弘研究会2013年度秋学期 Technical Report http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=KO90003002-2013-0050001.

(2) SFC-SWP 2 0 1 3 - 0 0 5. 人/社会との関係性を結び直す 死別の文学表象 2 0 1 3 年 度 秋学期. 小池貴彦総合政策学部4年. 國枝孝弘研究会 慶應義塾大学湘南藤沢学会.

(3) 小池貴彦君の卒業論文によせて. 書 く と い う 行 為 自 体 は 、決 し て 作 家 の 特 権 的 行 為 で は な く 、私たちの日常に 根 ざ し た 行 為 で あ る が 、で は い っ た い ど の よ う な と き に 、私たちは書くという 行為に向かうのだろうか。 「 何 を 書 く か 」 の 前に、 「なぜ私たちは書こうとする のか」、 これが小池君の最初の問いであった。 また書く行為 が 日 常 的 で あ る な ら 、私 た ち が み な 体 験 す る 日 常 と は 何 か 。 小 池君が着目したのは「 喪」 である。 私 た ち は み な 、生 き て い く 途 上 で 、 かなら ず 近 親者の死を体験する。切実に 書 く と い う ことに私たちを向かわせる契機が 「 喪 」である。 書くことと喪については、大きく 2 つの立場がある。1 つが精神分折的立場で、 書かれたものは分析対象として、書く人間は治癒をすべき人間として扱ねれる。 も う 1 つの立場は文学的な立場である。 書かれたものはひとつの作品であり、 書く人間は小説家と呼ばれる。 この大別をつけたあとで、小 池 君 は 、研 究 対 象 を 小 説 家 、小説作 品 に 限 ら ず 、 広く一般人へと広げた。 そ れ は 上 に 述 べ た よ う に 、喪 に つ い て 書 く こ と は 、決 して小説家と呼ばれる人たちだけの特権的行為ではないからである。 もともと 小説があるわけではない。 私 た ち が 書 く と い う 行 為 を す る な か で 、 あるときか かれたものが、作 品 的 統 一 性をも つ の だ 。 そ の 統 一 性 を さ ら に ひ ろ く 、 この研 究では、 「 純文学的」表 象 、 「 エ ッ セ イ 的 」表 象 、 「 学術的」表 象 と 名 づ け 、 この 基準軸にそって、多くの作品が分析された。 具 体 的 に は 、そ れ ぞ れ の 表 象 を 時 間 ( 故 人 の 生 を ど の ような時間的パースぺ クティブでまとめるか)、登 場 人 物 化 ( 故人の特徴をどこまで統率的に描写する か)、他 者 と の 閨 係 ( 故 人 と の 関 係 が 、 どこまで総括的に表現されているか)、 客観性( 死 を め ぐ り 、 どこまで普遍的な考察が行われているか) という視点か まとめあげられている。 このように自ら基準軸を設定し 、喪 に ま つ わる表象を体系的に考察できた点 に、小池君の論文の独創性があり、優秀論文の評価を与えたい。. 2014年 2月 20日 総合政策学部 國枝孝弘.

(4) 卒業論文2 0 1 3 年度. 故人/社会との関係性を結び直す 死別の文学表象. 慶應義塾大学総合政策学部 小池貴彦.

(5) 4. はじめに. 第 一 童 治 瘠 行 為 と し て の ナ ラ テ イ ヴ _____________________________________________ 7 第一節行為の次元としてのナラテイヴ. 7. 第 二 節 ナ ラ テ イ ヴ •ア プ ロ ー チ に お け る 「 書 く 」 こと. 9. 第 三 節 若 林 一 美 編 『亡 き 子 へ -死 別 の 悲 し み を 超 え て 綴 る 命 へ の 証 言 』. 11. 第 二 章 故 人 を 書 く こ と の 多 層 性 ________________________________________________ 17 第一節フロイトの「 喪」 と ロ ラ ン •パ ル ト の 「 悲しみ」. 17. 第二節固有の存在としての故人の喪失. 18. 第 三 節 故 人 を 「 書 く 」 ことの多層性. 20. 第三童. 「 絨 文 学 的 作 品 I__________________________________________________________ 23. 第 一 節 三 木 卓 『K 』 の分析. 23. 第 一 項 『K 』の文体. 23. 第二項故人との関係性の再考. 26. 第 二 節 田 中 澄 江 『夫 の 始 末 』 の分析. 32. 第 一 項 『夫の始末』 における表象内容. 32. 第 二 項 『夫の始末』 における虚構性の高さ. 35. 第 三 節 幸 田 文 『父 - そ の 死 』 の分析. 39. 第 一 項 『父 -そ の 死 』 における物語世界. 39. 第二項克明な関係性の変化の表象. 42. 第四章. 「 エッセイ的作品丨________________________________________________________4 9. 第 一 節 江 藤 淳 『妻 と 私 』 の分析. 49. 第一項. 「日常的な時間」、 「 死の時間」、 「 生と死の時間」. 49. 第二項. 「 生と死の時間」 と文学表象. 55. 第二 節. ア ニ ー • ヱ ル ノ ー 『あ る 女 』 の分析. 57. 第 一 項 ア ニ ー •エ ル ノ ー に お け る 故 人 を 「 書く」 ということ. 58. 第 二 項 故 人の像を結びつける没入的叙述. 63. 第五章. 「 学術的考察丨____________________________________________________________ 69. 第 一 節 入 江 杏 『悲 し み を 生 き る 力 に —. 被 害 者 遺 族 か ら あ な た へ 』 の分析. 69.

(6) 第 二 節 『犠 牲 我 が 息 子 . 脳 死 の 1 1 日』 の分析. 74. 第 三 節 ヴ ィ ク ト ー ル . E •フ ラ ン ク ル 著 、池 田 香 代 子 訳 『夜 と 霧 』 の分析. 79. 終章_____________________________________________________________________________ 85 第一節各分類における語りの比較. 85. 第二節故人との関係性を結び直す死別の文学表象. 87. 第三節社会との関係性を結び直す死別表象. 90. おわりに_________________________________________________________________________ 94 謝辞______________________________________________________________________________95 参 考 文 献 _________________________________________________________________________ 96. 3.

(7) はじめに. 近親者の死は、残された者に対して大きな衝撃を与え、悲嘆、後悔、怒りといった様々な感情を呼び起こさ せる。 またそれは時に激情となって死別後の生活をままならなくさせ、場合によっては自死を選ばせもする。 死別がきっかけとなって生まれ、本来なら故人に対して向けるべきであったそうした感情は、故人の喪失によ ってもはや遣る瀬を失ってしまう。喪失体験者の苦悩を深める大きな要因の一つは、そのように感情を向ける べき宛先を失うことであるだろう。 遺恨についての弁明も、悲しみの深さの表明も、愛の言葉も、最も伝えたいと願う相手はもはや居ない。そ れにも関わらず、喪失体験者は相手を失ってなおそれらを訴えずにいられない。宛先を失ったからこそ次々と 思いが溢れてくるということもある。医師や臨床心理士をはじめとした専門家によるカウンセリングは、そう した訴えを受容する場の一つであるだろう。彼らカウンセラーは、喪失体験者が抱える遣る瀬ない感情を発露 させる手助けをしながら、その状態を看て、適当だと判断した治療を行っていく。 では、カウンセラーではない者は訴えに対してどのように耳を傾けるだろうか。親身になって聞く者、聞き ながら喪失体験者の悲嘆が薄れるよう適宜助言を与える者、嫌悪感を抱く者など、様々いるだろう。喪失体験 の有無や、聞き手と故人との関係性によっても異なるかも知れない。 しかし、死別を語る者の悲嘆があまりに 深いと感じられた時、ほとんどの者は、自分が話しを聞くよりもカウンセリングに罹るべきだという判断を下 すのではないだろうか。 医学知識を持った者、死別喪失に詳しい者にしかできない対応は多くあり、悲嘆に暮れる喪失体験者をそう したカウンセラーの元へ導くのは何ら間違いのない、適当な判断である。 しかしながら、喪失の悲嘆感情が深 ければ深いほどそうした適当な判断が下され、結果として話しに耳を傾ける者は、医師をはじめとしたカウン セラーなど少数の人々に限られていく。喪失体験者の悲しみを受けとめる者は少なくなっていくのである。 加えて先で触れた通り、カウンセリングは治療の場である。その場においては喪失体験者が激しい悲嘆感情 から回復していくことを目指され、対話や投薬による治療行為が行われていく。もちろん、偏にカウンセリン グといえど様々な学派、方法論があり、一括りにして語ることはできない。けれどもカウンセリングの最終目 標というのは、クライエントがカウンセラーの元に通わなくても済むことであるだろう。悲嘆を悲嘆のままに 受けとめるという立場のカウンセリングであっても、面接を重ねるなかで悲嘆感情が変化していくことを、力 ウンセラーは期待する。そして、もはや治療の必要がないとみなされたなら、カウンセリングは終わりを迎え、 悲嘆の聞き手がいなくなる。カウンセラーはまた別の悲嘆に苦しむクライエントに向かっていく。そのように、 カウンセリングという場の特徴によって、あるいはカウンセラーとクライエントという関係性によって、喪失 体験者の悲嘆はどこか目的地に迪り着くための一過程となってしまうのである。 これまで述べてきたような状況を考える時、喪失体験者にとって、悲嘆を悲嘆のままに表現し、それが受容 される場というのは非常に限られることになる。もちろん、悲しみを共にしてくれる身近な存在がいる場合も あるだろう。すべての喪失体験者がまったくの孤独な立場にあるのではない。しかし、様々な理由によって「 故 人のことを話題にするのが憚られる」 というような状況は、ほとんどの喪失体験者が経験し得る思いである。 喪失体験者が喪失体験者のままに受け入れられる場は、多いとは言えないだろう。 そのような疑問を踏まえながら、本 論 文 は 死 別 を 「 書く」ことについて論考していく。これまで述べてきた. 4.

(8) のは、それを聞く者がいることが前提の、死別を口述することについてであった。 口述の場合とは異なり、死 別を「 書く」その間とは、自分の他は誰もその言葉を認知することのない、ただ一人きりで過ごす時間である。 口述に際しては、悲しみが深ければ深いほどそれを受け入れる者はカウンセラーに限られるようになり、喪失 体験者の悲嘆は遣る瀬を失っていくが、少なくとも話している間喪失体験者は一人きりにならずにすむ。一方 で、「 書く」時には、綴った内容に相槌を打つ者も、同意や否定をする者もいない。一面的に見れぱ死別を「 書 く」 ことは、喪失体験者をより孤立へと向かわせる行為であるとも言えるだろう。 しかしながら、死 別 を 「 書く」ことは、必ずしも喪失体験者を孤立へと導くものではないのではないか、む しろ口述によって直接的に他者に悲嘆を吐露する場合とは異なった仕方で、喪失体験者を孤立から救い出すの ではないか。上で述べた面とは別の側面から「 書く」ことについて考えた時、死 別 を 「 書く」ことの意味を見 出すことができるのではないだろうか。本論文はそのような仮定をもとに、実際に死別を叙述した作品に対し て分析を行っていく。 死別を「 書く」 こ と の 「 他の側面」 とはなにか。第一章から詳述していくが、 口 述 には見出し難い「 書く」 ことの特徴の一つは、言葉を構成的に布置していくことにあると考える。 口述の場合、一度口にした言葉をな かったことにはできない。一方、叙述の場合は、一度書いた言葉を消去することができ、言葉を書き変えるこ とも、並び替えることもできる。話の順序から語尾などの細かな文体まで、書き手は推敲を重ねながら構成し ていくことができるのである。 そこには、相槌などによって他者の意図が反映されることのない、死別を口述した場合とは異なったかたち の、喪失体験者の悲嘆が表れ得るだろう。そしてそれは、どんなに痛ましいものであろうと、たしかに形に残 る。非専門家である周囲の人々が「 あまりに悲嘆が深い」としてまるっきりカウンセラーに任せきりにしてし まうならば、また、カウンセラーが悲嘆の軽減をのみ企図してしまうならば、喪失体験者の悲嘆は誰にも理解 されることはなくなり本当の意味で遣る瀬を失ってしまうが、死 別 を 「 書く」ことでその悲嘆は、言語という 形を持つことができる。誰かに理解される契機が生まれるのである。 それは、 「 書く」 ことのもつ最も根源的 な特性の、産物であると言えるだろう。 死別を「 書く」ことの一側面を述べた。以上を含め、本論ではこ の よ う に 死 別 を 「 書く」ことの可能性を一 つ一つ提示していく。そのためにまず第一章において、ナラテイヴ•アプローチという臨床治療についての言 及を通して、口述と叙述の違いをより詳しく述べていく。またその際、精神科医である森岡正芳、岸本寛史ら が指摘する「 書く」ことの危険性について言及する。それに対して第二章で行うのは、ナラテイヴ•アブロー チのような死別の悲嘆に対して精神分析的な視線を向ける立場に反意を示した、ロラン•バルトの述べる「 喪」 と 「 悲しみ」について言及である。それ故、第一章と第二章では、死別の悲嘆に対する異なった二つの立場を 概観することになるだろう。それらを踏まえて第三章、第四章、第五章では、死別を表象した具体的作品を「 純 文学的作品」、「 エッセイ的作品」、「 学術的考察」の三つに大別した。それぞれの分類において具体的作品を考 察し、それらを基に、作品の個別性を重んじながらまとめるのが終章の第一節となる。そして終章第二節•第 三節では結論として、死 別 を 「 書く」ことの危険性を踏まえた上で、そ れ で も 「 書く」ことには固有の意義が 見出せるのであると示すために、表 題 に も あ る 「 故人」、「 社会」それぞれとの閨係性を結び直すような叙述に ついて述べる。 先行研究として扱うナラテイヴ•アプローチは、 喪失体験者が死別後の日々を生きていくに大いに資し得る、. 5.

(9) 重要な研究である。本論の目的は、その重要性を贬 めることにはない。 しかし、一度そうした精神分析的な治 療に懐疑の視線を向けること、そして必ずしも治療行為に直結しない死別表象に対して考察を加えていくこと で、改めて喪失体験者にとって意義深いものとなり得るような死別の叙述について探究していく。. 6.

(10) 第一章治療行為としてのナラテイヴ. 第一節行為の次元としてのナラテイヴ. 今節においては臨床心理学やセラピーの場面で用いられる「 ナラテ イヴ」や 「 物語」についての精神科医の 森岡正芳の言及を迪っていく。臨床心理の場においてこれらの概念が導入されている背景として、森岡は以下 のように説明している。. 一つには、情報化社会の加速度的な進行にともない個人の生の輪郭がぼやけ、 関係の絆が希薄 になってきた現代社会の問題が背景にあろう。 グローバルな制度世界では抽象化されてしまう個人 の生を回復するための動きが九〇年代以降、医療福祉、心理教育の分野を中心に始まっている。人 は自分の身の回りの生活空間や時間を「 私とあなた、われわれ」 といういわば人称的世界のなか で意味づけている。 し か も 発 想 の 単 位 は 「もの」で な く 「こと」 ( 出来事) である。 ところが、従 来の科学的方法ではこのかんじんな「 私」 「 私とあなた」 「 われわれ」が感じ取っている意味がすく い取れないのである一人一人の行きている姿を大切にし、その人の生きていくプロセスに同行する 態度が臨床学の基本姿勢としてある。人とその生きている姿が私たちの対象領域であり、 しかも目 前の人は苦しみや困難をかかえ、その解決を求めて相談室に訪れる。 このような人称性をもった個 人史的な血を科学のなかに回復させることこそ、私たちの仕事の一つであろう。そしてこのときに 「 ナラテイヴ」 「 物語」 という視点や枠組みが有効となる1。. 現代社会において「 関係の袢が希薄になってきた」と一般的に言えるかどうかは検証が必要であるが、主に労 働の面において合理化や効率化が叫ばれ、それを実行する個々人の生に対する尊重が相対的に薄くなっている ことは、広く見受けられることであるだろう。 科学技術の発展と分かち難い医学分野においては、それは尚更のことであるのかも知れない。病理が解明さ れていくと共に、医学は病人を見ずして病をのみ注視するようになり、より多くの人を治療しなければならな いという事情と相まって、効率的に、機械的に必要な薬や処置を行おうとする傾向は強まる。森岡は、特定の 病気の治療の手段としてのみならず、そうした今日の社会の現状に対して「 人称I1 生をもった個人史的な血」を 回復させるために「 ナラテイヴ」、 「 物語」が重要であるのだと述べる。 そのように、 「 ナラテイヴ」 を一治療行為としてだけではなく、社会に向き合う態度のようなものとしても 捉え、幅 広 く 「 ナラテイヴ」を研究する森岡は、「 物語」の概念を大きく二つに分けている。 「 大きな物語」 と 「 小さな物語」である。 前者は、昔話や神話を含む、作品となって形をもち得るような物語である。また、それほど壮大なものでな. 1 森岡正芳.森岡正芳編.( 2 0 0 8 ) . 『ナラテイヴと心理療法』.金剛出版.pp.10-11.. 7.

(11) くとも、個人のそれぞれがもつ固有のライフストーリーもこの「 大きな物語」に含まれる。セラピーを通じて そうした「 大きな物語」を持つことで、患者は自らの病に対して意味付けを行い、長い人生の一部分として布 置できるようになるのだという。 一方で、そうした個人の来歴として示せるような「 大きな物語」ではない最小限のサイズのナラテイヴとし て、森 岡 は 「 小さな物語」 を示す。 それは、 「 出来事と別の出来事がつながりそこに意味を生む言語形式」 な のだと言う。「 大きな物語」は人生に文脈を与え、苦痛にも理由を与え得る。一方で、そ う し た 「 大きな物語」 がいまだ持てない、混 乱 し て い る 状 態 ( 森 岡 の 言 葉 を 借 り れ ば 「さまざまな感情やイメージが混在し、断片的 に並列している状態2」 )であったとしても、些細な出来事と他の出来事とが関連しているという認識、すなわ ち 「 小さな物語」が生まれる時、ひ と は 「 今ここでのこの私」 という生きている感覚が得られ、 「自分がはっ きりする」 ようになるのだと言う。 森岡は「 小さな物語」の生まれる例として、仕事を休職して一年になる三〇代の女性のクライエントの事例 を挙げている。 女性は、 「 今朝、窓を開けたら小鳥がいたんです。 ささやかなことだけれど、 うれしかった。 こんなことも小さな発見ですね3」 と述べたという。 「 小鳥がいる」こ と と 「うれしい」 ということとが結びつ く、 こうした些細な_ 連であったとしても、身の回りのすべてが渾沌として関連を持たないような不安から、. 一つずつ 「 小さな物語」 をもてるようになっていくことには意味があるのだという。 そして、森 岡 が 臨 床 心 理 に お い て 「 ナラテイヴ」を考える時、こ の 「 小さな物語」こそが重要視される。や がては「 大きな物語」をもつことで苦しみに意味を見出すことが望ましいと述べつつも、森 岡 は む し ろ 「 大き な物語」 を目指すが故に、 クライエントが語るのを急ぐことの危険に注意したいと言う。 「 ナラテイヴという 概念を作品化につなげてしまうと、語りの最終産物としての物語に目を奪われがち4」 になる傾向が見られる のだと森岡は述べる。森 岡 は 「 作品」に も 成 り 得 る よ う な 「 大きな物語」よりも、些細であってもたしかに意 味をもつ「 小さな物語」を、そ し て そ う し た 「 小さな物語」が 生 ま れ る 「 ナラテイヴの行為の次元」= 「メ タ • ナラテイヴ」 を重要視するのである5。森 岡 に お い て は 物 語 る 「 内容」 よりも、物 語 る 「 行為」そのものが重 要であるのだと言い換えることができるだろう。 また森岡は更に以下のように述べ、 「 素材としてのナラテイヴ」 と 「 行為としてのナラテイヴ」 とを分けて 考えるべきだとしている。. ナラテイヴは物語の内容素材と語る行為からなる。そして内容素材をつなぎ、語りの遂行を支える 筋、形式がある。ナラテイヴは素材を選び、編集するという言語行為である。セラピーに関わって、 内容素材だけでなく、ナラテイヴの行為から生まれてくるものが重要である6。. 2 3 4 5 6. 森岡 正 芳 .同 上. P .14. 森 岡 正 芳 .同 上 .p p l 6-17. 森岡正芳.同上.p .15. 森 岡 正 芳 .同 上 .p .18. 森岡正芳.同上.P .225..

(12) 森岡は医師として、クライエントの語りのみならず、クライエントの生活まるごとと向き合って、その治療を 目指す立場にある。それ故、 「 ナラテイヴ」の概念においても、ただ語られている内容のみではなく、それを 語るクライエントの語っている状況や口ぶり、沈黙などを意味深いものとして受けとめる。「 行為」と 「 素材」 とを分けた時、一見してはっきりと意味をもつ「 素材」 に目を向けるのではなく、 「 行為」が持ち得る意味を 探り、治療へとつなげる。 「 素材」に対して診断を下すこと以上に、「 行為」も含めて、その以後をどう治療し ていくか決定することが重要なのであるという。. 第二節ナラテイヴ■アプローチにおける「 書く」こと. 森岡と同じく精神科医である岸本寛史は『ナラテイヴと心理療法』 に お い て 「 N B M : 病を書く」 という章 を著している。森岡が重視した行為としてのナラテイヴでは、語られた内容以上に語っている間の様子や語っ ている状況に注視し、そこに医師をはじめとする支援者が関与することによって、 「 小さな物語」が生まれる のを助ける。そうして、や が て 「 大きな物語」を紡ぐのにつなげていくことを目指すものであった。 しかしナ ラテイヴを「 書く」という形で行おうとする時、そうした状況や行為の様子というものは、ロで語る場合と比 ベて他人からは見出し難いものとなる。 岸本は「 書く」ことのそうした特徴を、井 筒 俊 彦 の 語 を 借 り て 「 状況の脱落」 として説明する。ひとがなに かを話す時、その前提に話し相手の存在がある。 そして私たちはその相手の反応を見ながら発話をしている。 相手の喜ぶ顔、怪訝な顔、あるいは様々な相槌……それらの反応を見ながら、少なからぬ影響を受けつつ、わ たしたちは言葉を選び、また語調を変えていく。相手がどのようなひとか、どのような場所で会話しているの か。森岡が前提としていたように、 口 述 に は そ れ ら 「 状況」が影響を及ぼしている。 その一方で、な に か を 「 書く」時、わたしたちはいつも一人である。 もちろん周囲に人がいる状況でも文字 を 「 書く」 という行為は遂行しうる。けれども綴られる文章には、周囲の人間の相槌などの即時的な反応が含 まれることはなく、 口述と比べた時周囲の状況は脱落しているのだと言える7。 また「 書く」ことの特徴として岸本は更に、文字に置き換えられることによって綴った体験と現在の_ 分と の間に「 距離が置ける」ことを挙げる。 「 距離が置ける」 というのは比喩表現であるが、すなわち、「 書く」こ とによって書き手は自らの考えの読み手にもなるのである。 口述された言葉は発したその端から消えていき、 書かれた文字とは異なり即座に読み返すことはできない。しかし書き付けられた言葉は、筆 者 _ 身 が _ らの考 えを端から眺めるという契機を生む。そしてそのことは、多かれ少なかれ、書き手に対して自省の機会を与え るだろう。わたしはこんな風に考えていたのか、この考えは文字として読んでみるとこんな風に受けとること もできるのか、というように、自らの文章を読むことよって思考は膨らみ、更にはその内容を書き換えること さえできるのである8。. 7 岸本寛史.森岡正芳編.( 2 0 0 8 ) . 『ナラテイヴと心理療法』•金剛出版.pp.l 〇〇-l 〇l 8 岸本寛史•同上.pp.101-102.. 9.

(13) 岸本は「 N B M : 病を書く」において、「 状況の脱落」 と 「 距離が置ける」 と い う 「 書く」 ことの二つの特徴 を示した。 しかしながらその後の論旨は、 「 書く」 こ と の 特 徴 を も と に 「 書く」ナラテイヴ•アプローチを進 めようというものではなく、 「 書く」 という概念の再考、その拡張へと向かっていく。 それは、心 理 療 法 に お い て 「 書く」 こ と が ロ で 「 語る」 こ と よ り も 「 一段低い、副次的な意味しか持たな」 いと認識されている現状を鑑みてであった。岸本は、言 語 学 に お け る 「 書かれたコトパではなくて、しゃベら れたコトバ——. これこそ本当の意味での言語なのだ9」 といった認識が、最 近 に な っ て よ う や く 「 書く」 こと. の独自性が見出されるように変わってきたのだという井筒の説明を紹介している。言語学におけるそうした 「 書く」 ことの再考に倣って、心 理 療 法 に お い て も 「 書く」 ことの価値を見出そうと岸本は試みるのである。 しかしながら先で述べたように、岸本は上で紹介したような「 書く」ことの特徴をそのまま強調しようとし なかった。その代わりに、「 ペンも要らない。紙も要らない。文字など書かなくともいい。それでも、人 は 「 書 く」、現 に 「 書」いている」 というように、やはり井筒の言葉を引用しながら、「 書く」 という言葉の拡張解釈 を行っていくのである。その解釈とは、森岡の述べた、具 体 的 に 「 書く」必要のない、姿 勢 と し て の 「 物語」 と同様のものであると岸本は説明している。つまりここまで岸本は実際的な意味での「 書く」こととその特徴 について述べてきたが、論の結末部において唐突にも見える形で、抽 象 的 な 意 味 で の 「 書く」概念を強調する ようになったのである1〇。 岸本が最後まで実際的な意味での「 書く」ことの特徴を強調できなかったことには理由がある。それは、「 書 く」 ことによって書き手の認識が固められてしまうこと、また、書 か れ た も の が 他 者 に と っ て 「 勝手な解釈」 がし得るものとなってしまうことへの懸念である。書き手が過去の体験や現在の認識を「 書く」時、 「 距離が 置ける」ようになり自省の機会が生まれると述べた。 しかし一方で、距離が置かれて形をもった言葉が書き手 の認識を固定し、 「 その後の展開が縛られてしまう」 こともあると岸本は懸念する。 また、書 き 言 葉 の 「 状況の脱落」 という前提が、以 下 の よ う な 「 書く」ことのデメリットを生むのではない かと述べている。 「「 具体的シチュエーションから切り離され」、誰でもそれを自由に解釈できる。 この解釈の 自由は、解釈の創造性へとつながる可能性ももちろんあるが、悪 く す れ ば 「 勝手な解釈」にもなってしまう u 」 というものである。 この「 勝手な解釈」という点について岸本は、医師や他の支援者がクライアントの解釈を誤読してしまうと いう状況を想定していると考える。あくまで臨床の場において「 書く」ことを導入しようとする場合、クライ アントが書いたものを医師や他の支援者が読み、それを治療につなげようと試みることになる。その場合先で 述べたように、書き言葉は書き手とは距離をもった独立の文章として存在するため、書き手が思ってもいない 解釈を生み得るのである。即ち、話し言葉以上に、医師や他の支援者がクライエントを誤解してしまう可能性 が増える、 という懸念である。 これらの懸念が故に、岸 本 は 「 書く」ことの特徴を捉えながらも推し出すことができなかった。それは、臨 床に携わる医師としては自然な考え方であったと言えるかも知れない。精神科医の元を訪れるクライアントの 多くは、既に精神、あるいは身体に不調を感じて、その治療を求めている人々である。またナラテイヴ•アブ. 9 井筒俊彦.( 1 9 8 3 ) . 『コーランを読む』.岩波書店. 1〇岸本寛史.森岡正芳編.( 2 0 0 8 ) . 『ナラテイヴと心理療法』.金剛出版.p .107. 11岸本寛史.同上.p .104.. 10.

(14) ローチを試みようとする場合とは、精神的に不安定な症状をクライアントがもっている時であるだろう。それ を踏まえた時、確かにクライアントの認識が不用意に固定されることは、医師として避けるべきこととなる。 医師の管理のもと、ゆっくりと認識を形成していくことが望まれる。物語が必ずしもクライアントの回復を助 けるとは限らない。どこかで歪み、回復を妨げとなる場合を考えると、認識が固定されることは望ましくない のであろう。ま た 「 書く」こ と で 「 勝手な解釈」が生まれてしまうようであれば、やはり状況を共にして理解 し得る口述の方が治療の方が望ましいのだと岸本は感じたのである。 先述の通り、岸本は臨床心理においても「 書く」こ と と 「 語る」こととの関係を見直すべきだと感じている。 しかし、精神科医として、 「 書く」 ことの危険を捨象する訳にはいかない。 それらの間で逡巡した結果、岸本 は 「 書く」 ということの拡張解釈を行い、ナラテイヴそのものの可能性を広げようと試みたのである。. 第 三 節 若 林 一 美 編 『亡き子へ-死別の悲しみを超えて綴る命への証言』. 本論文で分析を行うのは、死別という状況に際した者の表象作品である。第一節、第二節では臨床心理にお けるナラテイヴの、主 に 「 書く」こ と と 「 語る」 ことについて述べたが、死別に関する場合、先述したような 「 書く」ことの危険性は、他の題材を扱う場合以上に増すと言えるかも知れない。森岡と岸本は精神科医の見 地からそうした危険性を軽視せず、 クライアントにナラテイヴを急がせないこと、 「 書く」場合においては、 その最終産物に囚われないことが大切であると強調した。 本論文の目的は、そうした臨床の立場に対して批判を行うことでは決してない。 また、 「 書く」 ことの危険 性を度外視する訳でもない。死 別 に つ い て 「 書く」 ということは、非常な苦痛を伴う行為である。精神に不調 をきたしているクライアントに対して、 「 書く」 ことを強いないことの大切さに対して、筆者は賛同を示す。 — 方で、「 はじめに」や本章の第二節で述べた通り「 書く」こ と に は ロ で 「 語る」ことにはない特徴がある。 それらは、岸本が挙げた二つに留まらないだろう。死 別 を 「 書く」ということは、どういった意味をもつのか。 また、書き手になにをもたらすのか。 あるいは、 「 書く」 ことの危険性とはいったいどのようなものか。その 危険性は、単に書き手を苦しめるような、一様に排除するべき危険であるのか。そうした問いの答えに近づい ていくために今節、第二章、第三章、第四章、第五章においては、具体的な死別の表象作品を分析し、書き手 それぞれにとっての「 書く」意味について考えていく。 今節においては、『亡き子へ-死別の悲しみを超えて綴る命への証言』 という著作について言及する。 この 著作は、大学教授であり、子を亡くした親の自助グループ「 ちいさな風の会」の代表でもある若林一美が、会 の文集に寄せられた一,ニ〇〇編以上のエッセイから八〇余編をまとめたものである。書 き 手 は み な 「 ちいさ な風の会」の一会員であり、ほとんどが文筆家や、書くことのプロフェッショナルではない。多くが死別を契 機に書くことに取り組みはじめた者である。彼らの綴るエッセイはどういつたものになっているのだろうか。 寄せられたエッセイについて若林一美が以下のように説明している。. 投稿にさいして枚数、内容ともに特別のきまりはなく、「 書きたいことを、書きたいままに綴り」. 11.

(15) —. その思いを受けとめる場が、文集となっている。送られてくる封筒を開くと原稿の順序 が 逆. で、書き終って読み直すことなく送ったことが感じられるものや、時によるとたたまれた原稿用紙 の間に、ボールペンがはさまっていることなどもあり、書き手の決意や痛みが、文章以外からも伝 わってくることがある。文集は原文そのままで手を加えてはいない。誤字脱字と思い訂正したとこ ろ、本人は意識的に選択したものであったりしたため、以後ほとんど原文のまま修正せずに掲載し ている。読む人に理解しやすいか否かではなく、 「_ 分の気持ちにかなうものを書く」場となって いる。そのため、客観的には意味が伝わりにくいかとも思うのだが、それだけに、心の奥底にある 深い思いが、率直に、直線的に読む人の心に届く。書き手のほとんどは、我が子の死を契機に、初 めてペンをとった人たちだ。装飾や技法など思いも寄らず、ただひたすら、思いのままを文字にお きかえていった12。. ここでは、「 原稿の順序が逆」「 ボールペンがはさまっている」というような編者である若林一美しか知り得な い原稿の状態についても説明されている。 これらは書かれた文章の内容そのものには関わりのない事実だが、 死別の喪失体験者にとっての「 書く」 ことの困難の一端を示していると言えるだろう。 書くこと、書き切るということは、ただそれだけで死別体験者にとって苦痛を伴い得る行為である。死別に ついてなにも語れない、語りたくない、ましてや書くことなんてできない……そう思う者も少なくない。実際、 読み返すことなく投稿したという者たちは、読み返さなかったというよりも、読み返すことができなかったの だろう。『亡き子へ-死別の悲しみを超えて綴る命への証言』 に寄せられたエッセイの内容は、書き手の悲し みの果てしなさが感じられる、その痛みがそのままに伝わってくるような、感情の吐露に近いものも多い。少 なからぬ人々が、そうした非常な苦痛を伴いながらも死別を綴り、それを投稿するのはいったい何故なのだろ うか。 「 ちいさな風の会」の中には、書くことによってなにかが変わったという体験をする者もいるという。若林 一 美 の 別 の 著 書 『死別の悲しみを超えて』では、実際に死別を書いた者が感じた思いを、若林が聞き取り、以 下のように本人に代って言葉にしている。. 「 書くこと」が、これほどつらいことであると思わなかった。話すのもつらく、. 涙ぐんで言葉. がでなくなることもある。 しかし聞き手がいるなかで話すことには、 ある意味では、 「こんなこと を話し手は、聞いている人がどう思うか」 といった聞き手に対する配慮や、 自分に対する言いわけ も用意できるが、書く行為は密室の中で自分と対峙することだ( 略)書き進めるためには、何度も 読み返さねばならず、そのたびに行間の思いまでも含めて、 もう一度、通り過ぎた感情にひきもど され、何 度 も 確 認 さ せ ら れ る ( 略) どういうきっかけで悲しかったかなど、あくまでも漠然とした. じ 若林一美編•( 2 0 0 1 ) . 『亡き子へ死別の悲しみを超えて綴るいのちへの証言』.岩波書店.p .6.. 12.

(16) つかみどころのないものでしかないと気づいた u. この引用は、死 別 の 悲 嘆 の 最 中 で 「 書く」 ことの苦しみの一つの側面を説明している一方で、 「 書く」 ことは 苦しみを与えるばかりでもないことも示している。若林が代弁するこの証言においては、悲 し み が 「 漠然とし たつかみどころのないもの」で あ る こ と が 「 書く」 うちに気が付かれたのだという。それは喪失体験者にとっ て、渾沌とした悲しみから抜け出すための一助となるだろう。苦痛を伴いながら叙述したなかでも、岸本が述 ベたように自省の機会が生まれていることがわかる。 「 ちいさな風の会」は 「 書く」ことの目的やルールを定めていない。また、書かれたものについて議論をし たり、カウンセリングの材料にしたりすることはない。もちろん、関わりのある者同士で互いのエッセイを読 み、それが間接的に両者の悲嘆の回復に資することはあったとしても、エッセイを書くか書かないかはそれぞ れの自由であるのだという。 しかし、それでもなお先で述べた通り数多くのエッセイが寄せられているのは、 悲しみが「 漠然としたつかみどころのないもの」だと気がつくというような「 書く」理由が見出されているか らだろう。以下で、収録されている八十余編の内のいくつかのエッセイを具体的に分析しながら、 「 ちいさな 風の会」 に お け る 「 書く」 ということについて考察していきたい。 若林は「 ちいさな風の会」の 文 集 を 「 読む人に理解しやすいか否かではなく、 「自分の気持ちにかなうもの を書く」場」であると述べた。そのようにして収められた一編に、川畑晴代さんという方の「 慰めに傷ついて」 がある。彼女は、知的障害のある長男を事故で亡くしたことを期に「 ちいさな風の会」に入会した。彼女自身 はこの文章を「 エッセイ」で は な く 「 手紙」 と呼んでいる。書き出しを以下に引用する。. 昨年の八月に長男を亡くし、七ヶ月が過ぎようとしています。 この手紙は七、 八回目の手紙で す。最後まで書き終えることができず、何度も破り捨ててしまっています。何をどう伝え、書いた らよいのか自分自身の気持ちがまとまらずいつも読み返しては、 これは本当の自分の気持ちではな い… …. と 手紙を書いてはみるものの、途中で書き続けることさえできなくなっていました。 この. 手紙は最後まで書き終え無事投函したいと思います。何もかも一度に書こうとしてしまい、 どうし てもうまくまとまらなくなってしまうので、先生へのお礼と亡くなった子のことを少し先生にも知 っていただきたくなりこの手紙を書き始めました*4。 1. この「 手紙」は、何度も試みてやっと書ききれたものなのだと述べられている。書くということそのものに苦 痛が感じられ、筆を進めることのできない姿が想像される。 「 思いのままに文字に置きかえていった」 と若林 は説明しているが、死別の悲嘆に暮れる者には、それさえも容易なことではないことがわかる。先述の通り、. I3 若林一美.( 2 0 0 0 ) . 『死別の悲しみを超えて』.岩波現代文庫.P .109. 1 4 川畑晴代.若林一美編.( 2 0 0 1 ) . 『亡き子へ死別の悲しみを超えて綴るいのちへの証言』.岩波書 店.pp .116-117.. 13.

(17) 書き手は自らの書いたものを、密室の中で見詰めなければならないのである その後の叙述を迪ると、長男が障害をもっていたために葬式などで周囲から悲しい言葉をかけられたことや、 長男が亡くなった時の状況について綴られている。自分が目を離している隙に風呂で溺れて亡くなってしまっ たこと、その日筆者は夏かぜを引いており、 集中力が散漫になってしまっていたこと。それらの事情を読む時、 彼女の後悔のほどを想像させられる。 しかしながら、こ の 短 い 「 手紙」においてそれらの叙述が示すのはあくまで著者の立たされた、簡潔な事情 に留まる。例えば、障害をもっていた亡き長男と、数年間をどのように共にしてきたのか、あるいは、故人の 愛らしい姿や筆者とどのような関係性を結んでいたのかという詳細については綴られていないのである。とは いえ七、八回目にようやく書き得たこの「 手紙」に至るまでに破り捨てた原稿用紙には、簡潔な事情には留ま らない、筆舌に尽くし難いほどの思いがあったはずである。 それらを考えた時、 こ の 「 慰めに傷ついて」 は、 筆者にとって本当の意味で「自分の気持ちにかなうもの」とはなっていないとのではないだろうか。死別の喪 失体験者の思いは、悲しみ、怒り、後悔などが渦巻く複雑なものである。例えその一端であろうとも、 「自分 の気持ち」 というものを言葉で表すことは困難なことなのである。 「 慰めに傷ついて」は、筆者の気持ちに十分にかなうものではないと考える。ただ、その一方で、 この七、 八回の失敗を経てこの「 手紙」 を書き得たことについて、筆者は以下のように述べていることに着目したい。. この手紙を書き、 この会に入会した自覚が持てたように感じています。 どのようにかかわってい つたらよいのかまだ自分でもよくわかりませんが、同じ悲しみを持つ人たちと一緒にしばらく歩い ていきたいと思っています。 どうぞよろしくお願いします'. 「 ちいさな風の会」には当然ながら特別な入会規則などない。「 手紙」を送らねばならないということもない。 それでも、 こ の 「 手紙」 を書いてはじめて自覚が持てたのは何故だろうか。一つに、 こ の 「 手紙」 によって、 苦悩をもたらしている様々なことの主幹について示し得たことが挙げられるだろう。先 ほ ど 「 慰めに傷ついて」 の叙述は、長年の思いを書き表すものではなく、事情に留まっているのだと述べた。 しかしながらそれを、事 情は書き得たのである、という視点で見ることもできる。未だすべてを書き表せてはいないという思いを抱え てはいても、最低限とも言える、それらの思いをもたらした発端、事情については綴り得ているのである。こ れから「 ちいさな風の会」に参加していくにあたってそれらの事情は、読んだ者に伝わっている。その後のや り取りによって、書き得なかった本当の思いが他者に伝わり得るための、その契機だけは保証することができ たのである。そうしたことの安心感が入会したことの自覚に関係しているのではないだろうか。 また、 「 同じ悲しみを持つ人たちと一緒にしばらく歩いていきたい」 と述べられている通り、 こ の 「 手紙」 は、悲しみを抱えながらも他者と協同して生きていこうという思いの下で綴られているものである。先述の通 り、 「 書く」 こ と は 「 密室」 のなかで自らの思いと向き合うことである。 しかしながら、 この筆者の叙述は、15. 1 5 川 畑 晴代.同上. P .119.. 14.

(18) ただ「 密室」のなかで悲しみに暮れ、どこまでも I 身の世界を閉じていこうとするものではない。その叙述の 果てに、 「 同じ悲しみを持つ人たち」 と共に歩こうという、孤独からの脱出が見据えられている。 それ故に、 この「 手紙」を書き終え、投函できたことによって脱出の一途がはじまった、と考えることができるのである。 もう一編、『亡き子へ-死別の悲しみを超えて綴る命への証言』 に収録されているエッセイについて言及し たい。 「 無念でならない」 と題して、西川昌子さんは次男•守を亡くした体験に ついて綴って いる。彼女は冒 頭付近に以下のように述べて いる。. もう七力月もたってしまったけれど、 こんなふうに書きたくない、まだ死んでしまったとは思い たくないというのが本当の気持ちです。 でも、現実を見つめなければ、 と思い、 自分の気持ちに鞭 打ってペンをとりました I6。. まだ息子の死を認められていないのだと筆者は自身で述べている。 それでもなお彼女にペンをとらせるのは、 怒りである。当時高校二年生であった故人は、柔道部の部長として、合宿での練習に励んでいた。 しかしなが ら、社 会 人 の 0 B を相手とした練習はあまりに苛酷で、ま た 監 督 か ら の 「 水を飲むな」 という指示を守ったが ために、脱水と筋肉疲労が端を発し急性腎不全で亡くなった。筆者は、生徒の健康管理に対する責任感のなさ、 スポーツ科学に裏付けされない古風な精神主義に対して怒りを抱き、 「 守が言えなかったことを私が言わなけ ればならない」 と思う。 このエッセイにおいても主に綴られているのは、死別の際の状況、事情である。またそれに伴って、先述し た怒りが書き表されていく。再三述べている通り、喪失体験者が死別後に抱える思いは、複雑なものである。 この筆者においても、部活の監督や0 B への怒りとともに、守ってやれなかった自分自身に対しても怒りを抱 いている。この文章の上には表れていない思いもあるに違いない。だが、この文章を綴る時点において筆者の 心を占めているのはやはり怒りという一つの感情である。筆者はエッセイを以下のように終えている。. 守との想い出は沢山あるけれど、まだ、それを書く気持ちにはなりません。 ただ、ただ今は無念 の思いでいっぱいです。守も、 どんなにか無念であったろうと思います I7。. 故人のことを思う時、共にした思い出の数々も一緒に思い浮かぶ。怒りの原因となっている悲惨な事故に至る 前の、幸福であった頃の思い出などである。 しかしながら、この時点において筆者はまだ、どのような想起を するにも怒りが先行してしまう。故人が部活で努力していた姿、あるいは、口にしていた夢などを思い出して. i e 西川昌子•若林一美編.( 2 0 0 1 ) • 『亡き子へ死別の悲しみを超えて綴るいのちへの証言』.岩波書店.p .119. 1 ? 西川昌子.同上. P.121.. 15.

(19) も、すべてが守ってやることのできなかった自分への、そして死の原因を生んだ監督らへの怒りへとつながっ てしまう。 一重に「 死別後」 といっても、その時々で心持ちは異なる。それぞれの心持ちに依って、綴りたいこと、綴 れることも異なってくるのだろう。この筆者は、怒りが先行する時点においてペンをとった。喪失体験者それ ぞれにペンをとる理由が考えられるが、この筆者にとっての叙述は、そうした怒りを動機にしてこれから監督 や 0 B らに訴えかけを行っていくための「 現実を見つめ」 る一助なのである。 今節では二つの作品を引用したが、一作目においては書いた前後において、前向きな変化が起きていること が確認できた。ニ作目においては必ずしも前向きな変化だとは捉えられないが、亡き息子の無念さ、そして監 督 や 0 B といった大人たちの責任について、書きながら改めて確認している様を、見てとることができる。そ れはまさに過ぎ去ろうとしている「 現実を見つめ」る過程であると言え、この後行われる責任の追究などに際 しての力になっていくだろう。 「 書く」ことが力を生みもすることを、具体的な叙述に見ることができた。ただ一方で、岸本らが述べてい たように、認 識 を 「 固めて」 もいるということも忘れてはならない。 「 書く」 ことにより認識が固定されてい って、 結果的にその認識が表象者を助けていくのか、あるいは苦しめるかはわからないのである。その意味で、 岸本らが懸念していた通り、 「 書く」 ことは危険も生むのであると留意しなければならない。 それでも、書き手にとって本当の意味で「 気持ちにかなう」ものが書き得たとしたならば、やはり上のニ作 品で見られたような、あるいはまた違う変化を書き手は得られるかも知れない。 その変化に、 「 書く」 ことの 危険さを踏まえてなお追究する意味があるかどうかは、やはりそれぞれの書き手の個別の作品を分析していく ことでしか定め得ないことであるだろう。この後、更に具体的作品に対して分析を行っていくが、そのための 一歩として、森岡や岸本といった精神科医の立場とは異なり、必ずしも死別の悲嘆からの回復を志向しなかっ たロラ ン •バ ル トについて、次章で言及していく。. 16.

(20) 第二章故人を書くことの多層性. 第一節フロイトの「 喪」とロラン■バルトの「 悲しみ」. 第一章では臨床の場におけるナラティヴと「 書く」ことについて触れ、そ の 後 『亡 き 子 へ 死 別 の 悲 し み を 超えて綴るいのちへの証言』におけるエッセイを通して死別を「 書く」ことについて述べた。第二章では、死 別の喪失体験者が抱える悲嘆について考察することで、死 別 を 「 書く」ということについての論考を更に深め ていきたい。今節においては、フロイトとロラン•バルト、それぞれの考える死別喪失について言及していく。 フロイトは『喪とメランコリー』において性的衝動の基となるエネルギーである「リビドー」という用語を 用いて、死別の喪失体験者が悲嘆と向き合う態度を、喪的なものと病的なものとに明確に分類している。その 分類において最も着目さ;^るのは、喪的な態度が保たれるのであれば、死別喪失の悲嘆はいつか終わるものだ と考えられている点である。 故 人 に 対 し て 向 け た 「リビドー」が解放されていく過程、すなわち、フ ロ イ ト の 考 え る 「 喪」のたどるべき 過程について、以下のような記述がある。 「 現実吟味によって、対象がもはや存在していないという判決が下 される。そして自我は、この対象の喪失と運命をともにするかどうかを決めることを迫られる。そして生にと どまることを求めるナルシズム的な欲望の満足を求める力が強いために、自我は喪われた対象への固着を解く ことを決めるのである18」 。 フロイトの述べる喪は、一時的な、いつか訪れるべき終わりに向けて迪られる一 過程なのである。「 喪に服す」とはしばしば用いられる言葉であるが、フロイトにおいては、そ の 「 喪に服す」 期 間 で 「リビドー」の解放が進められるべきであり、またいつか終わりが訪れて然るべきとされる。そしてそ うした過程を経ることができず、故人に向けたリビドーが解放できない時、また、それ故に複雑な葛藤を深め ていく時、そのひとは病的な態度にあるとみなされる。 そうした、喪に対する精神分析的な視点に対して異を唱えたひとりに、ロラン•バルトが挙げられる。彼は、 彼自身の喪の態度として以下のように述べた。. 喪の普通の——. そして精神分析的な——. 概念に抵抗しているのだ。喪は、時 間 の 作 用 を 受 け て 、. 弁証法的過程をたどり、弱まって、 「 好転してゆく」 ものだ、 という概念に。悲しみは、すぐには 何も奪い去ったりしない——. が、そ の か わ り に 「 弱まる」 こともない19。. バルトは実の母親を亡くした後ニ年近くにわたり、メモの形で自身の思いを日々書きとめていた。それらメモ が、彼の逝去から三十年を経てまとめられた『喪の日記』における一節である。喪 の 「 精神分析的な」概念と は、すなわち前述したフロイトにおける喪の態度と大きな差異はないものであると考えてよいだろう。 「 時間. i s フロイト著、 中山元訳.( 2 0 0 8 ) . 『人 は な ぜ 戦 争 を す る の か エ ロ ス と タ ナ ト ス 』.光文社古典新訳文 庫.p .126. 10 ロ ラ ン•バルト著、石川美子訳.( 2 0 0 9 ) . 『喪の日記』.みすず書房.p .73.. 17.

(21) の作用を受けて、弁証法的過程をたどり」 という記述には、時 が 経 つ に 従 っ て 「リビドー」が解放されていく というフロイトの説明したプロセスを当て嵌めることができる。そして、こ う し た 「 精神分析的な」概念はま た一学説に留まらず、 「 普通の」概念としてパルトの周囲をも取り巻いている。精神科医などではない周囲の 人間たちも、いつか終わりが訪れる喪的な悲嘆を、ノ《ノレトに対して期待しているのである。 しかしバルトは、それら概念に抵抗する。 よりはっきりとした記述として、次の言及がある。「「 喪」と言わ ないこと。 あまりにも精神分析的だから。 わたしは喪に服しているのではない。悲しんでいるのだ20」 。 いく つかの判断基準を用いてフロイトが設けた、喪失体験者における喪的態度と病的態度。それらに対して反意を 示すロラン•バルトの死別に対する態度に ついて、以下で詳しく言及していく。. 第二節固有の存在としての故人の喪失. 喪は抵抗すべき概念であり、悲しみにこそ取り組んでいるのだとバルトは述べた。その悲しみを考察するに おいて重要な言及が、彼 の 別 の 著 作 『明るい部屋 一 写真についての覚書』 においてなされている。. わたしが生涯を母とともに暮らしたから悲しみもいっそう大きいのだと、人 は か な ら ず 思 い た が る。 だがわたしの悲しみは、母があのようなひとであったことから来ているのだ。 あのようなひと であったからこそ、わたしは母とともに暮らしたのだ21。. ここで述べられているのは、母子関係という社会の上での閨係性と、バルトとその母親との間の固有の関係性 との区別である。人間は誰しも誰かの子であり、 母親との死別もまた誰もがいずれかの形で経験する。それ故、 その死別における悲嘆はしばしば他者によって「 生涯をともにしたから」、「 幼少期に生き別れ、記憶に残って いないから」 というような状況などに基づいて、お ぼ ろ な 分 類 ( 悲嘆感情の推し量り)が行われる。ノV レトの 周囲の人間もまた、 「 生涯を母とともに暮らした」故に大きな悲しみを抱いているのだと想像している。 それに対してバルトは「 悲しみは、母があのようなひとであったことから来ている」のだと訴える。それは 即ち、バルトの悲しみは、亡き母親という存在の固有性、そしてバルトと母親との間で結ばれていた固有の関 係性に由来しているということであるだろう。先述の通り、人間誰しも母親を持ち、母子関係を持つ。一方で、 人間はそれぞれが固有の存在であり、 「 母」 と 呼 ば れ る そ の ひ と は 「 母」である前に、他には存在し得ないた だひとりの人間なのである。 フ ロ イ ト が 『喪とメランコリー』 において、死別に対する病的な姿勢についてこのように説明している。. 2〇 ロ ラ ン •パ ル ト 著 、石川美子訳•同上.P .75. 2i ロ ラ ン •バ ル ト 著 、花輪光訳.( 1 9 9 7 ) . 『明るい部屋一写真についての覚書』.み す ず 書 房 .p .91.. 18.

(22) 何が失われたのかは明確には認識できない場合。患者はだれを喪ったかは分かっているのだが、 自 分が何を喪失したのかを理解していないことがある22. 例えばバルトの場合、社会関係上喪ったのは母親であるにちがいなく、そこに疑問の余地はない。しかしなが ら、固有の存在としての母を考えた時、 「 何を喪失したのか」 という問の答えを出すことは容易なことではな いだろう。 ひとは固有の他者との死別によって、何を喪失するのだろうか。その問いに対する答えは、枚挙にいとまが ないように思える。第一に、生前閨係をもっていた他者が喪われる時、遺された者は自分自身のアイデンティ ティをも喪い得る。例えば母親が子どもを亡くす時、母親として形成された g 分 I 身を喪うことになる。そし てその後の日々においては、その子の母親として形成してきた自分自身のアイデンティティを、また新たに形 成し直さなければならないという課題に直面するだろう。子どもの生活を中心として定まった習慣は、死別に よって途端に空虚なものとなり、遺された者はその空虚な時間を持て余すことになる。 また、故人を喪うということは、その故人と共にすごすことができたはずの未来をも喪うことを意味する。 再度母子を例とするならば、 母親は子を育てていくうちに、その子が大きくなった将来を想像することもある。 小学生になったら、中学生になったら、高校、大学と進学して、大人になったなら、この子はどんな人になる のか、 と。 しかし、死はその将来像をも奪っていく。想像が実現する可能性が全くもってなくなるのである。 そしてそうした未来の喪失は、他の家庭の子どもが成長するのを見るなどにつけ、何度でも実感される。誕生 日、入学式、卒業式……亡きあの子がまだ生きていたらどんな風にいまを過ごしていたのか。その想像は、時 に遺された者に心痛を与え得るだろう。更に、その心痛を与え得る契機は、式典などの大きな節目に限らない。 日常のどんな些細な出来事も、 「 あの子がいたら」 と想起するきっかけになり得るのである。 それらを考える時、死 別 に よ っ て 「 何を喪失したのか」という問いに答えきることは、ほとんど不可能であ るように考えられる。故人と共に迎えたはずの朝のまどろみの時間。共にすごしたはずの日中の笑い合う時間。 共にしたはずの晩ご飯。 それらも、死が奪っていくものの内に含まれる。 今節の冒頭で引用した通りに、ノべノレトは「 あのようなひとであったからこそ」の悲嘆に苦しむ。 「 あのよう なひと」を喪うということは、遺される者にとって決して埋め合わせることのできない喪失である。埋め合わ せようのない喪失感は、遺された者が生き続ける限り、ほとんど際限なく悲しみを与え得るのである。フロイ トとバルトとの根本的な差異は、この点であると考える。フロイトは、そうした際限ない悲しみの念から救わ れるために喪的な態度としての「リビドー」の解放を説明した。 しかしバルトはその態度に倣おうとせず、以 下のように述べている。. 2 2 フロイト著、中山元訳.( 2 0 0 8 ) . 『人 は な ぜ 戦 争 を す る の か エ ロ ス と タ ナ ト ス 』.光文社古典新訳文 庫 .P .105.. 19.

(23) 喪とは、愛 の 関 係 や 「 わたしたちが愛し合っていたこと」がさらに引き裂かれるときなのだ。 も っとも抽象的なものにおける、 もっとも焼きつく痛みをあたえるもの. 23. フロイトの述べる喪は、バ ル ト に と っ て は 「 愛の関係」を引き裂くための態度であるとも言えるだろう。一方 でバルトは、かけがえのない故人としての母と、死 別 を 経 て な お 「 愛の関係」を保つための悲しみを模索して いるのである。. 第三節故人を「 書く」ことの多層性. バルトはフロイトにおける喪的な態度を否定したと述べた。しかしながら、彼は病的な態度を支持した訳で も、死別の悲嘆において病的な態度などないのであると主張したわけでもない。バルトの、病についての言及 に以下のものがある。. …… この死が、わたしを完全に壊したりしないとよいのだが。 そ の こ と が 意 味 す る の は 、 つま り、わたしは狂ったように、狂おしく、生きていたい、 ということである。 したがって、わたし自 身の死の恐怖はつねに存在しており、すこしも転じられてはいない、 ということだ24。. 彼は、病的な態度を深めた先にある完全な崩壊を望んでいるわけではない。また、ただ悲しみを深めるばかり では、その崩壊に近づいてしまうということを理解している。悲嘆の末に死を望んでいるわけでもない。彼が 求めたのは、 「 狂おしく、生きていたい」 ということである。 狂おしく生きるということ。それこそが、バ ル ト の 求 め る 「 喪でない悲しみ」であると考える。それは、フ ロイトの述べる喪的な態度と、病的な態度との間で生きる態度であるだろう。喪的な態度の求めるように「 愛 の関係 J を引き裂くことはない。けれども、やがて死に迪り着くような病的な態度でもない。その間で、故人 を深く思い続けながら新たな生を歩む道。そうした理想を、バルトは悲しみに求めたのではないだろうか。パ ル ト は そ れ を 死 別喪失における「 新しい型25」なのであると述べている。. そしてバルトにとってその 「 型」の鍵となるのが、「 エクリチュール」である。『喪の日記』に お い て 「 ェク リチュール」は 「 書く」 という意味で用いられている。書 く ことへの言及に、以下のものがある。. 23 ロ ラ ン •バ ル ト 著 、石川美子訳.( 2 0 0 9 ) . 『喪の日記』•み す ず 書 房 .p .39. 24 ロ ラ ン .バ ル ト 著 、石川美子訳.同上.p .73. 25 ロ ラ ン •バ ル ト 著 、石川美子訳.同上.p .187.. 20.

(24) 悲しみの底にいながらエクリチュールにしがみつくことさえできなくなったそのときに、「 鬱病」 は始まるのだろう26. このように、「 書く」ことはバルトにとって、鬱病となって壊れてしまうことなく悲しみを深めていくための、 よすがである。 またそれは、 「 マムについてのテクストの執筆を妨げたり遠ざけたりするものを、ひるまずに — 掃すること27」 とも述べる通りに、バルトにとって最も重要な活動である。 では「 マムについてのテク スト」とはなにか。これまで引用してきた、『喪の日記』としてまとめられた数々 の断片的なカードがそれではないことから考えると、なんらかのまとまりある文章を想定していたことが想像 されるが、残念ながらバルトが母に ついて綴った著作は残っていない。 それ故に具体的な著作を分析することは叶わない。 しかし、バルトにとり書くということが、いったいどの ような意味を持っていたのかを考えることはできる。一つには、第一章で概観したナラティブ•アプローチに おける、 「 書ぐ」行為そのもののもたらす癒しも、ノ《 ノレトの深い悲しみの日々のなかで重要な意味を持ってい ただろう。対象はメモ帳であったが、ノべノレトにとって「 書く」ことで心情を吐露することができた。数多く遺 されたメモからは、メモを書き残すことそのものにバルトにとっての意味があったと考えられる。 また、 「 記念碑をつくる必要がある28」 として以下のようにも述べている。. 思い出すために書く?自分が思い出すためではなく、忘 却 が も た ら す 悲痛さと闘うためだ。 忘却 が、絶対的なものになるであろうかぎりは。——. やがては——. どこにも、だれの記憶にも、 「もは. やいかなる痕跡もなくなってしまう」 ということ29。. これは、バルト自身の悲しみに資するための「 書く」ことというよりも、まさに時とともに忘れられてゆく故 人のためにこそ、何かしらを遺さなければという目的意識である。 これまで述べてきた通り、 「 書く」 ことに よって悲嘆や故人への思い、また故人と過ごした出来事そのものを、言葉という形をもつものとして残すこと ができる。加えて、以下のような言及もある。. マムが亡くなったときから、 な に も 「 構 築 」 したくなくなっている--- エクリチュールはべつ だ。 なぜか? 文学とは、 「 高貴さ」の 唯 一 の 領 域だからである( マムがそうだったように)30. 26 ロ ラ ン •バ ル ト 著 、石川美子訳•同上.p .64. 27 ロ ラ ン .バ ル ト 著 、石川美子訳•同上.p .207. 28 ロ ラ ン •バ ル ト 著 、石川美子訳.同上.p .116. 29 ロ ラ ン •バ ル ト 著 、石川美子訳.同上.p .116. 3〇 ロ ラ ン .バ ル ト著、石川美子訳.同上! 229.. 21.

(25) この「 高貴さ」についての詳細な言及はなされていないため、バルトが この一節にこめた正確な意図は計りか ねる。 しかしながら、バルトは文学に対して特別な思いをもっていた。相:評において多くの仕事を成しながら も、小説を書きたいという願望を、彼はたえずもっていたのだという。 着目したいのは、バ ル ト が 「 マム」について、す な わ ち 故 人 に つ い て 「 書く」ことに対して考えていた、こ れら意味合いの多層性である。先 で 述 べ た よ う に 『喪の日記』 にまとめられたメモとしての断片であっても、 バルトにとって重要な意味を持ち得ていた。だが一方で、そ れ だ け で バ ル ト の 「 エクリチュール」の欲求は十 全に満たされなかった。 「 記念碑」 とする目的意識や、あ る い は 「 高貴さ」の 認 め ら れ る 「 文学」 を為すこと もまた希求していたのである。 「 書く」 ことのもたらす癒し、危険、あるいはそれにより生まれる「 記念碑」、完 成 し た 文 章 と し て の 「 文 学」 。それらはすべて、「 書く」 という一つの行為によって、時にそれぞれに、時に同時に遂行されていく。そ れを踏まえた時、 「 書く」 ことが安全か危険かということを、ひとまとめにして抽象的に語ることの困難を思 わされる。 第一章における、臨 床 の 場 に お い て の 「 ナラテイヴ」 を入り口に、『亡き子へ死 別 の 悲 し み を 超 え て 綴 る いのちへの証言』におけるエッセイ、そしてフロイトとバルトの述べる死別喪失に触れ、死 別 を 「 書く」 とい うことについての複雑さ、多層性を確認してきた。それらを踏まえながら、しかし一旦ここまでの議論と切り 離して、それぞれの書き手にとって固有の「 書く」意味合いを考えつつ、次章以降で具体的な作品の分析を行 つていく 0. 22.

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