はじめに
ロシア連邦の地下資源法は、1992年2月21日付で成立し、その後、幾度とな く改正されてきた。本稿の目的は、地下資源法に関連する規制が、いかなる 政策決定過程を経て制定されるに至ったかを論じることにある。特に、2002 年以降は地下資源利用権の入札や競売に関わる問題、利用権を認可により供 与するか契約を締結するかに関する問題、戦略的地下資源鉱区における外国 投資制限に関する問題が、政府や議会において活発に議論されてきた。この ため、本稿もこの時期を中心に論じることにする。
本稿の構成は以下の通りである。1においては、新しい地下資源法案の議 会への提出および政府による法案の取り下げをめぐる動きについて述べる。
2においては、法案取り下げ後、現行の地下資源法の改正がなされた過程に ついて論じる。3では、2008年4月29日付で成立した改正地下資源法の内容を 概観する。最後に、本稿のまとめを論じる。
1.新しい地下資源法制定をめぐる動き
2002年4月、中央および地方間権限分割委員会(委員長はドミートリー・コ ーザク(Dmitrii Kozak)大統領府副長官)は、石油、ガスなどの天然資源は、
連邦の所有とされるべきであるという原則を採択した1。2002年7月、同委員 会は、採掘された地下資源は、連邦の所有とすることを定めた地下資源法改 正案を政府に提出した2。この資源の実質国有化を定めた地下資源法改正案は 大きな批判を受け、コーザクは別の改正案を政府に提出し直した。これによ ると、採掘された資源の所有者は、現状通り資源利用者とする一方、資源利 用認可を、資源利用契約に変更する条文が法案に盛り込まれた3。なお、認可 制度の下では官僚が恣意的に認可を出したり取り消したりする余地があるが、
契約制度の下では認可の取り消しは、重大な違反がない限り裁判を通じて行 われることになる。
これとは別に、2002年5月、ミハイル・カシヤノフ(Mikhail Kas’ianov)
首相は、制定から長い年月が経っていることから、地下資源法の改正ではな く、新しい地下資源法を作成するよう、ビタリー・アルチュホフ(Vitalii Artiukhov)天然資源大臣に命じた。約1年かけて作成された法案には、旧来 の資源利用に関する認可制度が残されていた。すなわち、政府が恣意的に認 可を出したり取り消したりできる制度であった。このため、カシヤノフ首相 はゲルマン・グレフ(German Gref)経済発展商務大臣に、新法の作成責任を 委ねることになった。
しかし、2004年2月24日にカシヤノフ首相を含む全閣僚が解任され、同年3 月5日にミハイル・フラトコフ(Mikhail Fradkov)が首相に任命された。フ ラトコフ首相は、新地下資源法案の作成を、新たに就任したユーリー・トル トネフ(Iurii Trutnev)天然資源大臣に委ねた4。
トルトネフ天然資源大臣は、新法とは別に、いわゆる「二重鍵原則」の撤 廃を定めた現行法の改正案の作成に取り掛かった5。新法作成には時間を要す るため、現行法の改正という形で「二重鍵原則」の問題を解決しようとした ことが、その理由である6。政府が提出した法案に対し、2004年6月に下院の 天然資源委員会が下した結論は、天然資源省による二重鍵原則撤廃の提案は 資源管理システムから地方を完全に除外するものであり、また憲法と民法に 反するため支持できないというものであった。しかし、暫く後に同委員会は 結論を変更し、下院に改正地下資源法案を採択するよう提言した7。結局、同 改正案は2004年8月に成立した8。
2004年11月に、天然資源省が作成している新地下資源法案の概要が、新聞で 報じられた。これによると、2002年に経済発展商務省が提案していた、資源利 用権の認可から契約への変更が法案に盛り込まれた。ただし、資源利用の契約 への変更は直ちにすべての認可に適用されるものではなく、契約は新しい鉱区 にのみ適用され、競売の落札者と契約を結ぶこととされた。この法案に対し、
連邦反独占庁長官のイーゴリ・アルテミエフ(Igor'Artem'ev)は、地下資源 利用における契約関係の発展は採掘会社間の競争を促進するとして、法案を支 持する考えを示した。産業エネルギー大臣のビクトル・フリスチェンコ(Viktor Khristenko)は、この法案により資源採掘業者は法廷で争うことが可能になり、
今のように行政の圧力に苦しむ必要がなくなると述べた9。
2005年3月5日に、天然資源省は新地下資源法を政府に提出した10。2005年3 月17日、フラトコフ首相は、閣議で、天然資源省が作成した新地下資源法案 を支持した11。法案には、地下資源は連邦と地方の共同所有ではなく連邦の 所有とすること、資源利用権は認可ではなく契約に基づいて行われ、競売で のみ資源利用権の供与が行われること、外国企業の資源利用は禁止されるが、
ロシアに現地子会社を設立することで競売に参加できることが定められた。
ただし、戦略的鉱区においては、外国資本の出資比率は50パーセントを超え ないこととされた12(本法案には戦略的鉱区の定義は示されていなかった13)。
上院議長のセルゲイ・ミローノフ(Sergei Mironov)は、天然資源省は新地 下資源法案を見直し、地下資源は連邦と地方の共同所有とするべきであると 述べている14。
なお、天然資源省が入札を廃止し、競売でのみ資源利用権を供与しようと する理由は、入札が腐敗の温床となっていると、幾度となく批判されてきた ことにある15。最も大きなスキャンダルは2001年3月に行われたバル・ガンブ ルツェバ(Val Gamburtseva)鉱区の利用権入札である。ルクオイル、スルグ ートネフチェガス、シブネフチはそれぞれ1億~1.4億ドルの提示をしたにも か か わ ら ず 落 札 で き ず 、 700万 ド ル の 提 示 を し た 、 ア ン ド レ イ ・ バ ビ ロ フ
(Andrei Vavilov)が保有する会社、北方石油(Severnaia neft')が落札者 となったのである。この結果は、裁判においても覆らなかった16。
地下資源法案は、2005年6月17日に下院に提出された。しかし、11月2日の 第一読会採択予定日に、政府により法案は取り下げられた17。ベドモスチ紙 は、戦略的鉱区の基準を盛り込むために、政府は法案を取り下げたと報じて いる18。トルトネフ天然資源大臣は、『プロフィール』誌のインタビューで以 下のように述べている。当初の地下資源法案には戦略的鉱区の基準が示され ておらず、具体的な鉱区の制限は、防衛および安全保障分野における特別全 権機関により決定されることになっていた。このことが、あまりにも多くの 鉱区が戦略的リストに含まれるのではないかという不安を呼び起こした19。 他方、トルトネフ天然資源大臣は2007年8月のインタビューにおいて、地下資 源利用の認可制度の契約制度への移行が法案に盛り込まれていたために、新
地下資源法が成立しなかったとも述べている20。
2.現行の地下資源法の改正をめぐる動き
天然資源省は、取り下げた法案に修正を加えるのに2週間を要するとしてい たが、11月24日に予定されていた戦略的鉱区に関する政府会議は、実施され なかった21。なお、天然資源省は、当初、戦略的鉱区の決定基準として、石 油は1.5億トン以上、ガスは1兆立米以上、金は700トン以上、銅は1万トン以 上を想定していた22。
2005年11月30日、大統領補佐官のイーゴリ・シュバーロフ(Igor' Shuvalov)
は、「この法律は急がないほうがよい」と発言した。またフラトコフ首相は、
春の段階では法案に賛成していたにもかかわらず、この時点では反対を表明 していた。新地下資源法案に賛成していたのは、ドミートリー・メドベージ ェフ(Dmiitrii Medvedev)副首相、ゲルマン・グレフ経済発展商務大臣、ビ ク ト ル ・ フ リ ス チ ェ ン コ 産 業 エ ネ ル ギ ー 大 臣 、 ア レ ク セ イ ・ ク ー ド リ ン
(Aleksei Kudrin)財務大臣であった23。
2005年12月はじめにシュバーロフ大統領補佐官とトルトネフ天然資源大臣 との会合が行われたが、結局、トルトネフ大臣はシュバーロフ大統領補佐官 を説得することができなかった24。
法案が2005年11月2日に取り下げられてから8ヶ月が経過した段階で、裁判 を経ることなく資源利用者から鉱区の権利を剥奪することを官僚に認めるこ と、入札の実施も可能となる条項が復活したこと、および戦略的鉱区の基準 が厳格化されたことが、ベドモスチ紙2006年7月6日号により報じられた。こ れらのことはすべて2006年5月5日にプーチン大統領のもとで開催された審議 会で決定されたとのことである。
具体的には、資源利用権の供与に際しては、契約のみならず、認可で行う ことも可能であるとされた。また政府の決定により、例外的な場合には、競 売ではなく入札により資源利用権の供与を行うことも可能である。もし企業 が期限内に鉱区の採掘に取り掛からなかったり、地下資源の利用に対する支 払いを行わなかったりした場合には、裁判を経ることなく、契約を破棄でき る。なお、ガスプロムとロスネフチの代表は、契約への移行を少し遅らせ、