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反歴史捏造委員会」とロシアにおける

歴史観をめぐる闘争

寺山恭輔

はじめに

メドヴェージェフ大統領の大統領令により 2009 年 5 月 19 日に設置された

「反歴史捏造委員会」1は活動を始めてまだ 1 年も経過していない。前大統領 プーチン首相の圧倒的影響力のもとで大統領としての独自性発揮について疑 問符が付いて回るメドヴェージェフだが、最近の歴史問題に関する思い切っ た発言を聞くと、新境地を開く可能性もあるとの期待を抱かせる。本稿の題 目に「歴史観をめぐる闘争」と掲げたのは、第二次大戦についての歴史叙述 をめぐる近隣諸国との軋轢ばかりでなく、究極的には歴史観の違いが、安定 しているかにみえる現二頭体制の対立を導く可能性もあると考えるためでも ある。

(1)「反歴史捏造委員会」の設置、メンバー、課題

本委員会の構成は、委員長の大統領府長官セルゲイ・ナルィシキン、副委 員長の教育科学省次官イサーク・カリーナ、大統領府長官補佐官イーゴリ・

シロシ、責任書記のイヴァン・デミドフ(大統領府国内政策局課長)を含め 28 名からなる。大統領府のほかに、法務省、文化省、連邦教育局、連邦技術・

輸出統制局、対外諜報局、連邦科学・イノヴェーション局(教育科学省の下 部機関)、ロスアルヒーフ、ロスナウーカ、参謀本部、連邦会議、国家ドゥー マ(社会統一・地域組織問題委員会)、連邦青年問題局、ロスペチャチ、ロシ ア科学アカデミーロシア史研究所、同世界史研究所、ロシア連邦社会院、安 全保障会議、外務省、連邦保安局、地域発展省などからメンバーが選抜され た。いわゆるシラヴィキと呼ばれる武力官庁から多数の代表者が選出された ことについては、2010 年 2 月 17 日の筆者によるモスクワにおけるインタビ ューでコズロフ(Kozlov, Vladimir Petrovich 当初のメンバーだったが 2009 年 8 月に自らの意思でロスアルヒーフから辞任したため、自動的にこの委員 会からも退いた)は、例えば連邦保安局のフリストフォロフは博士論文の対

論者をつとめたこともある歴史家で不自然さはなく、しかもこの連邦保安局 の大量の文書なしには過去の弾圧政策を理解できないこと、連邦技術・輸出 統制局次長で、国家機密保護に関する省庁間委員会の責任書記を務めるデル ガチョフは史料館文書の機密解除も担当しているので、ロスアルヒーフの長 として毎週コンタクトを取っていたが、文書の機密解除という点で外せない こと、粛清者の名誉回復については内務省の協力なしには行えないことなど を挙げ、メンバーの人選に不自然さはなく、むしろ国家指導部が史料なしに 歴史はあり得ないことをやっとのことで理解してくれたことの表れであると 評価している2。エリツィンの権力獲得時に、歴史研究者が手にするであろう と想定されたあらゆる機関の一次史料へのアクセスに制限があるという構造 的問題が存続している以上、歴史研究者だけが集まって何らかの議論をして も何も始まらないというこの発言は傾聴に値しよう。一応本職の歴史家は 28 人中 3 人(コズロフ、チュバリャン3、サハロフ4)である。委員会には五点 の課題5が課せられ、それに応じて次の三つの権限が付与された。

①国家権力の連邦組織、ロシア連邦構成単位の国家権力機関、諸組織から 定められた決まりに従って必要な材料を問い合わせ、受領すること、

②委員会の権限に入っている諸問題に関するワーキンググループを、国家 組織、諸組織、学者、専門家の代表から形成すること、

③国家権力の連邦組織、ロシア連邦構成単位の国家権力機関、諸組織の代 表を定例会議に招くこと。(下線は筆者による)

規定の第 6 項で、年に少なくとも 2 回の会議開催を定め、会議の組織等を 教育・科学省に委ねた。

(2) 世論調査にみるロシア国民の歴史観

委員会の設置は諸外国におけるソ連、その法的継承国たるロシアに対する 批判への対応という側面もあるが、学校における歴史教育や現在のロシア国 民の歴史観、歴史に関する知識の現状とも深く関連している。委員会設置と も関連して、全ロシア世論調査センター(VTsIOM)がロシア国民の歴史認識 を問う世論調査を2009年には例年以上に実施している6。最初にその結果を実 施順に列挙しておくことにしたい。①「大祖国戦争」(2009年5月6日発表)に

関して、ソ連軍が東欧諸国をファシストの占領から解放し、それらに生活と 発展の可能性を与えたとみなしているのが77パーセントである7。委員会設置 直後に行われた、②「ロシア史の擁護の必要性」(2009年6月19日発表)に関 して、委員会について10パーセントがよく知っており、31パーセントが聞い たことがあると答えた。この委員会設置について78パーセントが時宜にかな った政策だと肯定的に評価した。中でも34パーセントが、大祖国戦争の捏造、

歪曲からロシア史を擁護すべきと答えており突出している8。③欧州安全保障 協力機構が、ナチズムとスターリニズムを同列に扱う決定をしたことに対応 して出された問い(2009年7月31日発表)には、53パーセントが否定的に、11 パーセントが肯定的に反応し、21パーセントが中立的立場をとった。59パー セントがこの決定を世界におけるロシアの権威を掘り崩し、ファシズムに対 する勝利におけるその貢献を貶めるために行われたとみなし、21パーセント があらゆる全体主義体制の犠牲者の記憶を正当に評価するためになされたと みなした9。④「第二次大戦」(2009年8月31日発表)に関して、22パーセント がその開始年を1939年と答え、58パーセントが1941年と答えた。第二次大戦 の原因については47パーセントが第一次大戦敗北の復讐を求めたドイツに帰 している。敵国として挙げたのがドイツ(82パーセント)、日本(30パーセン ト)、イタリア(22パーセント)等だった10。⑤「歴史をめぐる闘い」(2009 年10月21日発表)に関して、ロシアの歴史に関心を抱いている人は39パーセ ント(2007年)から62パーセントへとかなり増加し、逆に歴史に関心がない 人も減少している(52→38パーセント)。また60パーセントが歴史事象の評価 は唯一不変であるべきで、それを再解釈すべきでないと答えている(モスク ワ、ペテルブルグ住民68パーセント、高齢者66パーセントと高い)。一方で歴 史叙述は永遠のプロセスであり、各世代がその知識や気分から解釈するもの だと31パーセントが回答した。「民族史」については、61パーセントが容認で きず、歴史的真実は常に一つだと答えた。これに対して31パーセントが、同 じ歴史的事件は各民族の記憶の中で異なって解釈されているとみなしている。

歴史を科学、認識の道具と66パーセントがみなし、26パーセントは政治や政 治闘争の埒外で歴史は存在しえないと答えた。生徒の頭の中で混乱や不統一 が起きるのを防ぐべく、全生徒に単一の教科書があるべきだと79パーセント

がみなしている。教師が選べるよういくつかの教科書の存在を15パーセント が認めた11。⑥「政治弾圧」(2009年11月3日発表)に関する問いには、ここ 100年間で政治弾圧が行われた時代はスターリン(83パーセント)、レーニン

(47パーセント)、フルシチョフ(42パーセント)、ブレジネフ(44パーセン ト)、アンドロポフ(35パーセント)と答え、プーチン、メドヴェージェフ時 代については各2パーセントのみで、56パーセント、58パーセントが存在して いないと回答した。59パーセントがいかなる政治的弾圧も容認できないが、5 パーセントは全く許容しうる、26パーセントは非常事態の際には可能と回答 した。共産党、自民党、地方中小都市、僻地での許容度が上がっている。将 来の独裁体制、大規模な弾圧の可能性については、全くあり得ない(17パー セント)、ほとんどあり得ない(45パーセント)と62パーセントが否定的だが、

2006年と比べると14パーセント減少(それぞれ28、48パーセント)している12

⑦「スターリン」に関する問い(2009年12月18日発表)には、無関心28パー セント(2001年は13パーセント)、肯定的感情37パーセント(尊敬26パーセン ト、共感8パーセント、称賛3パーセント)、否定的感情24パーセントである。

世代間でも高齢者と若年層で評価が分かれる(それぞれ尊敬35パーセント、

22パーセント、共感11パーセント、4パーセント)。若年層は総じて無関心(38 パーセント)である。また半数以上が指導者としてのスターリンを評価して いる。個人的な資質については、残酷な独裁者で、数百万人の死滅に責任あ りとするもの35パーセント、一方で大祖国戦争の勝利に主要な役割を果たし たとするもの35パーセント、スターリンのすべての真実についていまだ知ら れていないとみなすのが26パーセントとなっている。1998年からの比較でみ ると、勇気ある指導者とみなすものが16パーセントから21パーセントへ、同 じく残酷な独裁者とみなすものも28パーセントから35パーセントへと増加し ている。ファシズムに対する戦勝においてスターリンが大きな役割を果たし たという考えも同じくポピュラー(31パーセントから35パーセント)になっ ている。もちろん現在では、スターリン型の指導者は必要ではないとの見方 が半分以上を占めている(1998年55パーセント、2005年52パーセント)13。 あくまでも調査の信憑性を前提にしての話だが、2009 年を通じて行われて きたこれらの調査を通じて、ロシア国民の現時点での歴史認識をかなりの程