83
Ⅵ.子どもたちと学生の変化
1.子どもたちの成長
4月当初,子どもたちの姿を目にして,何とも言い難い違和感を感じた。荒々しく暴言を 吐く子ども・声をかけても言葉を発しない子ども・学生が注意をしてもふざけるだけで聞 く耳を持とうとしない子ども・・・。
ルールを守ろうとしない子どもに声をかけ注意をすると,「うるせ~」「おまえには関係 ねえだろう」「だまってろ,くそばば~!」。久しぶ
りに耳にする言葉であった。
心のバランスを崩し,もがき続けているその姿に 心が震えた。何が子どもたちをこのような姿にして しまっているのかと。
それからは,子どもに寄り添いながら子どもの
「困り感」を探った。すると,子どもの言動から,
大人への不信感や生活に対する不安感を感じるこ
とができた。子どもたちは,自分を認めてくれたり寄り添ってくれたりする大人を求めて いた。
その想いを学生スタッフや教員と共有しながら子どもたちに接していくと,子どもたち は少しずつ大人に対して心を開き始め,言葉でそれぞれの想いを伝え始めた。
ある時,学生の言うことを聞かずふざけ回っている子どもに,「ねえ,しかられてでも学 生に一緒にいて欲しかったの?」と聞くと,子どもらしい笑顔で「うん。そうだよ。」と答 えた。また,ある子どもは「俺さ,前の学校では弱虫だったんだよ。でもさ,転校してき た学校で弱虫のままでいたんでは,いじめられるでしょう。だから強くなることにしたん だ。」と胸の内を話し始めた。
学生スタッフや教員が子どもに寄り添い,子どもの言葉に耳を傾け続けることにより,
子どもとの間に信頼関係が構築され始めた。また,話を聞くだけでなく,子どもが困って いることを一緒に解決したり,解決できたことを賞賛 したりすることを意図的に,そして継続的に行うこと により,子どもたちの肯定感は少しずつ高まり,あり のままの自分らしさを表出することもできるように なり始めた。
すると,自分の思い通りに行かないと口をとがらせ て教室を飛び出したり,いじけて教室の隅に座り込ん だりしていた子どもたちも,その場から逃げ出すので
84
はなく,自分の気持ちを言葉で伝えるようになった。また,周りの子どもたちも,その子 どもの気持ちを理解しよう子ども同士が寄り添い始めたのである。
本来,素直で優しい気持ちを持った子どもたちである。しかし,東日本大震災により,
余儀なく避難を強いられ,状況をよく理解できないまま新たな環境に放り込まれ,不安感 や困り感でいっぱい。その想いを受け止めて欲しくて大人に伝えようとするけれど,大人 は子ども以上に不安で,子どもの声に耳を傾ける余
裕等なかった。大人の目を自分たちに向けてもらう ための術は,自分自身で見つけるしかなかったのだ ろう。それが,過剰な甘えであったり暴言であった り気持ちを伝えることをあきらめたり…。素直な気 持ちを伝えようとしても伝えきれない苦しさが,そ のような姿へと導いてしまっていたのだろう。
そのような状況が学生スタッフや教員に共有さ
れてからは,子どもの様子が目に見えて変化した。困っているお友だちがいれば,何人も が声をかけて活動に誘ったり,グループで活動しなければならない場面では,自分たちで 役割を決め,協力し合って活動したりすることができるようになった。決められたルール や時間も守り始めた。
1月に行われた「もちつき」では,順番を譲り合いながら,一列に並んで順序よく餅つき を楽しむことができた。また,そり遊びでは,学生スタッフの注意を聞き,けがをしない ようルールを守りながら活動することができた。いつの間にか,友だちと一緒に一台のそ りにまたがり,バランスをとりながらそりすべりを楽しんでいる子どもたちの姿がたくさ ん見られた。
この一年間の中での子どもたちの変容はとても大きい。学生スタッフが声をかけると反 抗的になって暴言を吐いていた子どもが,今では,満面の笑みで学生ボランティアに手を 振りながら帰っていくようにもなった。
避難前の素直な子どもの姿に戻してあげることができたこと,子どもたちが「ありのま まの自分」を取り戻すための支援を継続的に行うこと ができたこと,これは,「土曜子どもキャンパス」の 大きな成果である。思ったことや感じたことを素直に 言葉に表し,周りの人々に伝えることができるように なった子どもたち。これからは一人ひとりが自分の夢 を見つけ,その夢に向かって主体的に活動することが できるようになるはずである。これからの「土曜子ど もキャンパス」の目的は子どもたちの将来の夢が叶う ような支援を継続的に行うことなのかもしれない。
(本多 環)
85
2.学生の成長
(1)学生の「困り感」
本事業を実施していく中で,福島大学人間発達文化 学類及びうつくしまふくしま未来支援センターでは,
学生スタッフの育成および活用を積極的に行ってき た。
東日本大震災後,被災者が求めた支援とは「安全に,
そして安心して生きる」ために必要な物資の供給・準 備であった。身体を守る衣服・十分な食料・安心して 過ごすことができる居場所…。
ボランティア活動開始時には,そのような要求に応えることがボランティアの活動でも あった。被災者側から求められるものを「与える支援」。求められるものが明確であったこ ともあり,支援する側が困るということもほとんどなく支援活動を行うことができていた。
本事業における学生ボランティア活動も例外ではなかった。
開始当初は子どもたちが安心して過ごすことのできる居場所つくりをすることにより,
子どもたちは安心してその場所で過ごすことができるようになった。生きることに困って いる子どもたちに生きるための支援を積極的に行っていたのかもしれない。そのため,支 援する側である学生もあまり困ることなく活動することができていた。
時間が経過するにつれ,大人も子どもも生きるための物 資に困ることが少なくなり,最低限の生活は送ることがで きるようになってきた。
学生たちが大きな「困り感」を抱くようになったのはこ のあたりからである。被災者の生活の安定と反比例するか のように学生たちは悩みだしたのである。
「いったい私たちは,何のためにボランティア活動をし ているのだろう」「子どもたちにどのように関わっていけばよいのだろう」「このボランテ ィア活動はいったいどのような意味があるのだろう」ここからが,本当の意味での子ども 支援活動が始まったのかもしれない。子どもに向き合い,一人ひとりの子どもの「困り感」
に応じた支援活動が。
さらに,時期を同じくして,子どもたちの様相も変わり 始めた。少しずつ人間関係ができ始めた学生に対して,遠 慮なく気持ちをぶつけ始めたのである。
子どもたちにとって,学生は親でもなく,先生でもなく,
接しやすいお兄さん・お姉さんという立場である。そのた め,話しやすい・関わりやすいという長所がある反面,た
86
まりにたまったストレスや不安感をぶつけ始めた。ただ,その表出の仕方は様々で,素直 に言葉で伝えることができる子どももいる反面,暴力的にな
ったり暴言を吐いたりするという間違った方法で気持ちを ぶつけてくる子どもたちもいた。守ってほしい・かまっても らいたいという気持ちと裏腹に,「うるせーばばあ」「死んで しまえ」といった暴言を吐たり叩いたり蹴ったりする子ども もいて,「どのように子どもの関わればよいかわからない」
「もう嫌。心が折れそう」と悩む学生の数が増え続けた。子どもたちにうまく対応できな い自分を否定的にとらえ,自信を失ってしまう学生も数名見られた。
学生ボランティアの「困り感」がピークに達した時期であった。
(2)学生への支援
当初は学生スタッフから個別に相談を受けていたが,個別相談が増えてくるに従い,学 生全体への支援や研修が必要であると感じ,まずはリーダー同士の関係性の構築とこの事 業目的の確認のために,リーダー会を開催した。そこで発せられた言葉は「もうリーダー なんてやりたくない」「子どもたちに接することが怖い」「活動をやめたい」というもので あった。活動の中心となるリーダーたちでさえこんなに困っていることを知り,驚かされ た。
そこで,まずはリーダーの気持ちの立て直しが必要と感じ,それぞれ学生自身の「困り 感」の表出・共有を行った。これは大変効果的であった。「悩んでいるのは私だけではない」
「みんな同じ気持ちでいたんだ」という理解が安心感につながり,さらには人間関係を深 めるきっかけともなった。
ここからの学生の邁進力は素晴らしかった。子どもたちの姿から,今,子どもたちが抱 える「困り感」を感じ,自分たちにできることは何なのか・・・と,子どもの「困り感」を見 つめ直し、それらに寄り添った支援活動を目指し始めた。
「自分たちの目指すべき姿は子どもに寄り添うこと」,この想いを共有することができた ことにより,学生同士のつながりが深まり始めた。また,子どもたちの様子が変容しても,
その時その時の子どもの「困り感」を見取ることによって自分たちの活動目的・内容を見 直し,支援を充実させることができるようになり始めたのである。
もちろん,すべてがうまくいくわけではない。学生たちは今でもたくさん悩み,苦しみ,
困っている。しかし,子どもの「困り感」に寄り添うことで,子どもの気持ちを理解し,
子どもたちがよりよい成長を遂げることができるような支援を行うこともできつつある。
今後,さらに学生は成長していくだろう。
私たちセンター員や教員の役割は,学生の「困り感」に寄り添い,子どもたちのよりよ い成長のために,何ができるのかを学生と一緒に考えていくことであろう。それが学生一 人ひとりの大きな成長につながると考える。 (本多 環)
87
Ⅶ.地域における大学として
1.地域や小学校との関わり
(1)学校との連携
「この子どもたちは,転校先の学校でどのように学校生活を送っているんだろう。」この 想いが,学校との連携を図る出発点となった。
学生スタッフや教員が子どもたちに対して個別対応をしていても大変な状況の中,集団 教育を行わざるをえない学校教育現場で,いったい学校の先生方はこの子どもたちにどの ように指導していらっしゃるのだろう。また、子どもたちは、どのような姿を見せている のだろう。そのような想いから学校を訪問させていただくことにした。
すると,予想通り「困っている子どもたち」は,先生方にとって「困った子ども」であ り、「困っている」のは子どもたちを受け入れて下さっている先生方だった。
余儀なく避難を強いられた子どもが通っている学校には「兼務」の先生が加配されてお り,避難してきた子どもたちに対して学習だけでなく心理的な支援をも積極的に行って下 さっていた。しかし,それでも子どもたちの状況を理解することに難しい部分もあったよ うである。
そこで,「土曜子どもキャンパス」で感じていた子どもの様子や,子どもの言動を先生方 に伝えた。子どもたちは、「困った子ども」ではなく「困っている子ども」であることを理 解していただくことができた。
すると,校長先生自ら子どもに関わり子どもの心を受け止めて下さった。また,学校全 体で子どもの「困り感」に寄り添いながら支援にあたって下さった。子どもに関わる先生 方の子どもに対する認識が変わったことにより,先生方の支援方法が変わっていったので ある。
「土曜子どもキャンパス」に参加している子ど もたち全員の転校先に対してこのような連携が 図れているわけではない。「土曜子どもキャンパ ス」には参加することができているが,転校先の 学校には登校できていない子どももいる。そのよ うな子どもが通う学校との連携を図りながら積 極的に支援を行い、それによって少しでも登校し ぶりが改善されるとよいと想いながらもなかな か関わりきれないという現状である。
ただ,一年間の支援実践を通して感じたことは,子どもを真ん中に置きながら,子ども 支援に関わる人たちが互いにつながりあい,子どもに関わる情報を共有することができれ ば,より効果的な子ども支援が実現するということである。
88
子どもたちは自分を取り巻く環境や人によって自分の姿を変えることができる。とくに 震災後はそのような子どもたちが増えているように感じる。大人の様子や友だちの様子を 見たり感じたりしながら自分自身の表出の仕方を変化させている。だからこそ,それぞれ の支援者や指導者が目にする子どもの姿を共有しあいながら子どもに関わり続けていくこ とが大切であろう。
福島大学と学校が繋がり,子どもを真ん中に置きながらそれぞれの立場でできる支援を 続ける,そんな構造が当たり前のようにできる福島大学でありたい。 (本多 環)
(2)地域との連携
「学校から帰ってからの子どもたちの様子はどうなのだろう?」という想いから,放課 後の子どもの様子を見るために,仮設住宅にも足を運んだ。やはり子どもたちは,「土曜子 どもキャンパス」や転校先の学校で見せる表情とはまったく違った表情で過ごしていた。
仮設住宅には,福島大学だけでなく,多くの NPOが学習支援に入っている。その中でも,積 極的に学習支援を行って下さっている NPO の 方々とも情報交換をさせていただいた。
幸せなことに,私たちとは互いに違った立場 でありながらも,子ども支援の目的は共通する ところがあり,子どもの見取りについても共有 することができた。また,仮設での支援につい ては私たち以上に継続的に支援活動を行ってい
ることもあり,子どもとの関係性は私たち以上に構築されていた。そのため,子どもに関 わる情報はたくさん持っていて,私たちが学ぶことも数多くあった。さらに,支援活動に ついて,互いに検討し合ったり協力し合ったりすること もできた。
これらの連携により,その場その場で異なった支援が 行われるのではなく,場所は違っても同じ目的を持ちな がら子ども支援にあたることができた。
地域と大学が連携することに課題もある。しかし,前 述した学校との連携同様,子どもを真ん中にした効果的 支援が行われると考える。
今では,NPO と学校と大学の三者が互いに手を取り 合って子ども支援にあたることもできている。このよう な構図がさらに広がるよう努力していきたい。
(本多 環)
89
2.子ども支援活動へ期待すること
(1)学校の先生方より
以前公民館に勤務した時,「地域子ども教室推進事業」に携わりました。地域の大 人の協力を得て,学校や社会教育施設を子どもたちの「居場所」として確保し,放課後 や週末等における様々な体験活動や地域住民との交流活動等を支援するものです。
当初参加者が集まらないという問題を抱えていましたが,大学生をサポーターに迎え たところ口コミで話題が広がり,たくさんの小学生が集まり,学校や家庭ではできない 活動や体験,冒険を大学生と一緒にすることができました。しかし子どもたちにとって は「何かをする」ことよりも「大学生と会える」
という気持ちの方が大きかった気がします。
「土曜子どもキャンパス」に参加している子ど もたちもそんなことを期待して集まっている のではないでしょうか。今回は原発事故による 避難という悲しい現実を抱えているので,大学 生のみなさんに寄せる期待はこれまでにない ものであると思います。 子どもたちにたく さんの笑顔が見られます。
これはとりもなおさず大学生のみなさんの おかげであると確信しています。大学生のみな さんには親や教員の持っていない(「忘れてしまった」かな?)パワーを持っているの です。具体的に「何?」と問われると簡単に答えられないのですが…。これからも,魅 力あふれる「土曜子どもキャンパス」になることを楽しみにしています。
(浪江町立津島小学校教頭 平久井 淳)
福島大学人間発達文化学類及び未来支援センターでの避難児童への地域支援に対し て,学校サイドという立場から見て,三つの大きな成果を感じております。
まず一つ目は,子どもの学習面でのニーズに応えているということです。普段の授 業でつまずきがある内容や学校から出された宿題等の中で自力で解けない問題につい て,学生に丁寧に教えてもらっています。このことにより,特に知識・技能面での定着 が見られ,それが学習意欲の向上にもつながってきています。何より子ども自身が学習 に対する自信をつけてきてることが大きな成果と言えます。
二つ目は,社会性を身に付けられる場となっているということです。もちろん学校 は集団で生活し,生きる力としての豊かな人間性・社会性を身に付けることがねらいと なっています。しかし,子どもは家庭に帰ってからも友だちとの遊びを通して人とのか かわり方を身に付けます。仮設住宅に住み,なかなか友だちとかかわる環境を見いだせ
90
ない子どもたちにとっては,大学,あるいは仮設住宅で大学の先生方や大学生の企画の もと,そこに集う仲間と活動することで,様々なことを身に付け,学校生活や今後の人 生に生かすことができます。塾や習い事にも行けない子どもにとって,楽しみな日とな っています。
三つ目は,同郷の者同士が再会を喜び合う場となっているということです。避難を余 儀なくされた子どもにとって,本来,学校という場,地域という場で当たり前のように 過ごしてきた仲間は貴重な心のよりどころのはずです。現在,様々な場所に散らばった 仲間が一堂に会することで,これまでのつながりを懐かしみ,同じ境遇の者同士,互い に新たな一歩を踏み出していこうと確認できる場になっています。
これらの成果を踏まえると,福島大学での地域貢献の取り組みは,子ども本来が持っ ている力を引き出すことや,子ども1人ひとりが 今後生きていく上で必要な力を蓄えさせること を大切にしているということが言えます。これ は,子ども1人ひとりが夢や希望を抱きながら今 を精一杯生き,未来を切り拓いていくことにつな がっていることでしょう。今後の取り組みにます ます期待しております。
(二本松市立岳下小学校 羽染 聡)
91
(2)保護者より
震災により,自分の夢を見失ってしまい,
学校に行くこともできなくなってしまった 娘が,「土曜子どもキャンパス」で学生スタ ッフや教員の皆さんと出会えたことによって、
また学校に行き始めました。
大学に行くんだと張り切っています。
学校でいじめられ,笑顔を 見せなくなった娘が,また笑うよ うになりました。
「土曜子どもキャンパス」のみな
さんのおかげです。ありがとうご ざいます。
今でもなかなか学校に行くことができません。それでも,「土曜子ども
キャンパス」には参加したいと言っています。以前一緒に勉強していたお友達と会え ることが楽しみのようです。これで学校にも行けるようになると良いのですが…。
92
おわりに
本報告書が発行される頃は、東日本大震災から丸 2 年が過ぎています。月並みな言葉な がらアッという間の 2 年間でした。この間、災害・被災で受けた被害の復旧・復興はどれ ほど進んだのでしょうか。<未来のたね>は来年度も継続の予定です。このことは、未だ 復旧・復興への支援を必要としている人たちがいるということです。官民を挙げた支援の さらなる継続が求められています。
阪神淡路大震災での経験では、震災の 3 年後にこの震災に関わった人の自殺者数が増加 したという報告があります。たとえ、量的な支援が充分なされたとしても癒されない心の 問題があるのです。
私たちは、<未来のたね>で被災児童生徒の成長に関わってきました。この関わりの中 で分かってきたこと、理解してきたことがあります。彼らは、学校で、地域で、家庭でけ なげに生きてきているのです。それぞれの場所で活動する人たちはそれぞれの悩み・スト レスを抱えています。自分の抱える問題に対応することで精一杯という人もいます。子ど もたちは、その現実に合わせて生きています。周りの苦しんでいる人たちから発せられる 雰囲気の中、それに応じながら、あるいは、どうしていいか分からず生活しているのかも しれません。彼らこそ最大のストレス所持者なのです。
この報告書をお読みいただければ分かりますが、前年度に比べて子どもたちは大きくた くましく成長しています。
当初は、この<未来のたね>が、ストレスの固まりである彼らがその解消を図ることが できる唯一の場所だったのかもしれません。駄駄をこねて廊下にひっくり返る子ども。人 に手を挙げる子ども。ゲームに没頭する子ども。どんなに我が儘に振る舞おうとも、それ を受け入れてくれる学生スタッフがいました。その繰り返しが、子どもに落ち着きを取り 戻し、彼らと学生の信頼関係を生んでいきました。また、学生もミーティングを重ね、子 どもたちに守らせたいルールづくりとその遵守を図りました。第 4 期を終了して異口同音 にスタッフは話します。「子どもたちが成長したね」と。子どもたちが、自主的に自立・自 律している姿が見受けられるようになりました。
<未来のたね>は、過渡期にあると思います。「子どもたちのストレスを解消してやって いればいいのか」「子どもの成長にどのように関わっていけばいいのか」、学生も教員も悩 んでいます。
「この期が終了したときの子どもたちの姿が、どのようなものであればよいのか。」「そ のためにはどのような活動をどう行えばいいのか。」4 期までの反省生かし新たな活動を続 けて行くために、第 5 期に向けての学生・教員の話し合いも進んでいます。みなさまの引 き続きのご理解とご協力をお願いいたします。
93
最後になりましたが、私どもの活動に深いご理解をいただき、多大なご支援を下さった
「福島県教育委員会・福島市教育委員会・郡山市教育委員会・浪江町教育委員会」「国立大 学協会」「公益社団法人日本教育公務員弘済会福島支部」「福島大学人間発達文化学類後援 会」「NO法人ビーンズふくしま」「社団法人倫理研究所」「三菱UFJニコス」「株式会社ニ コン」「株式会社レイアップ」様をはじめ関係各位に感謝申し上げます。
(森 知高)