障害はその状態もニーズも多様です 障害の多様性に対応しうる
質の高いインクルーシブ教育を確立することは 教育の大きな課題です
名越 斉子
埼玉大学准教授PROFILE
名越 斉子(なごし なおこ)
埼玉大学准教授
教育学部 特別支援教育講座担当
教育出版発行小・中学校教科書 特別支援教育監修者
すべての児童生徒を念頭においた教育のユニバーサルデザイン
特別支援教育特集
臨時増刊号平成十八年、国連総会において「障害者の権利に関する条約」が採択されました。障害者権利条約は、すべての障害者によるあらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保護し、および確保すること並びに障害者の固有の尊厳の尊重を促進することを目的とし、「合理的配慮」や「インクルーシブ教育システム」などの理念を提唱しています。インクルーシブ教育とは、障害のある人が、障害のない人と平等に一般の教育制度の中で学ぶシステムです。「平等」や「一般の教育制度」の捉え方はまだ議論の途中ですが、単なる場の共有ではなく、障害のある人の発達を最大限に保障し、必要な合理的配慮が提供されるものでなく てはなりません。なお、合理的配慮とは、障害のある人の人権や基本的自由を保障する上で必要かつ適当な特定の場合に必要とされ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものです。たとえば、車いすを使う生徒のためにエレベーターを設置することは無理だとしても、教室を一階にすることはできます。本条約発効から五年余二十六年一月、ついに日本の批准が実現しました。批准に向けて、障害のある児童生徒の教育に関しても様々な取り組みがなされてきました。平成十八年の教育基本法改正においては、「共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」(第四条第二項)と規定し、平成十九年の学校教育法改障害のある児童生徒の教育に関する基本的な考え方について、特別な場で教育を行う「特殊教育」から一人一人のニーズに応じた適切な指導及び必要な支援を行う「特別支援教育」へ転換されました。平成二十三年の障害者基本法改正においても、「国及び地方公共者がその年齢及び能力に応じ、かつ、その特性を踏まえた十分な教育が受けられ
1 インクルーシブ教育の実現に向けて
特別支援教育特集
仕組みや基準が異なりますので単純に比較できませんが、アメリカでは約一〇%の児童生徒が特別支援教育の対象であり、後述するLD(学習障害)の割合が半数を占めています。日本で特別支援教育を受けているのは、義務教育段階の全児童生徒の三%弱です。その内訳は、特別支援学校在籍〇・六%、特別支援学級在籍一・六%、通常学級に在籍し、通級による指導を受けている〇・七%であり、特別支援学級や特別支援学校などのより専門性の高い教育環境で、広範囲に渡って多くの支援を必要とする児童生徒が多いと言えます。しかし、平成二十四年の文部科学省の報告によれば、通常の学級には、発達障害のある可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒が、六・五%(十五~十六人に一人)います(小学校七・七%、中学校四・〇%)。しかも、この数値は、通常の学級で特別な教育的支援を必要とする児童生徒の割合を示すものではありません。調査上の「著しい困難を示す」という基準には達 るようにするため、可能な限り障害者である児童及び生徒が障害者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮しつつ、教育の内容及び方法の改善及び充実を図る等必要な施策を講じなければならない。」(第十六条第一項)、「国及び地方公共団体は,前項の目的を達成するため、障害者である児童及び生徒並びにその保護者に対し十分な情報の提供を行うとともに、可能な限りその意向を尊重しなければならない。」(第十六条第二項)等の規定が整備されました。これと並行して、中央教育審議会において、今後の特別支援教育の在り方等についての議論が進められ、平成二十四年七月に「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」がまとめらました。「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(平成二十八年四月一日施行予定)では、行政機関(国と自治体や公立学校、福祉施設など)に対し、障害のある本人や家族から要請された合理的配慮の実施が法的に義務化されました。障害はその状態もニーズも多様です。障害の多様性に対応しうる質の高いインクルーシブ教育を確立することは、教育の大きな課題です。特別支援教育は、障害のある児童生徒にとってなくてはならないものですが、連続線上の特性を示す 児童生徒達も多くの恩恵を受けると思われます。そして、障害の有無にかかわらず、誰もが人格と個性を尊重し支え合い、 多様な在り方を認め合えるような、全員参加型の共生社会の基礎を作るでしょう。
しないものの、大きな困難を示す児童生徒や、知的障害や不登校などを理由に調査対象から外された児童生徒もいます。以下に、通常の学級で出会う特別な教育的ニーズのある児童生徒を紹介します。⑴発達障害LD(学習障害)とは、全般的な知的能力に遅れはないにもかかわらず、学習に必要な基礎的な能力のうち、一つないし複数の能力を習得したり、発揮したりすることが難しいために、学習上、様々な困難に直面している状態で、中枢神経系の機能不全によって起きると考えられています。支援としては、つまずきの状態を把握し、できるところからスモールステップで積み上げるという一般的な対応に加え、専門知識のある教員や機関と連携し、認知特性に合わせた指導を行ったり、読みあげソフトやPC、デジタルカメラでの板書撮影、計算機などの様々な補助ないし代替手段も活用したりします。ADHD(注意欠陥/多動性障害)とは、注意力に問題があり、衝動的で落ち着き
2 通常の学級に在籍する特別な教育的ニーズのある児童生徒
動により、学校や家庭などにお々な困難を示す状態です。就学徴が現れ、中枢神経系の機能不ものだとされます。対応に際し示物の整理、気が散りにくい座席、示など、集中が続きやすい環境す。視覚的な援助(文字、実物、)は注意を向けさせ、集中を高有効です。また、努力や小さな逃さずに誉めるようにします。とは、社会性やコミュニケー
のにこだわることを特徴とし、
な知的発達が緩やかな児童生徒
コミュニケーション、身辺、 比べて、明らかに低い状態です。常に介助が必要な状態から、生活に即した指示や学習の理解は比較的スムーズで、身の回りのことに支障はない状態まで、程度は様々です。比較的軽い知的障害の児童生徒たちは、通常の学級に在籍することが多いのですが、徐々に学年相応の学習や仲間関係に適応することが難しくなり、自信や意欲も下がりがちです。対応の基本は、本人の理解力やペースに合わせ、具体的な体験や事柄と関連付けたり、具体的で簡潔な指示を出したりして教えることです。なお、知的な能力の発達のレベルがやや低いものの、はっきりとした遅れはなく、LDのような認知の偏りも見られず、ゆっくりと学ぶスローラーナーの児童生徒もいます。⑶ギフテッドの児童生徒知的な能力やそれ以外のある能力が極めて優れているギフテッドの児童生徒も、アメリカや韓国では特別支援教育の対象とされています。ギフテッドの児童生徒は学習進度が早く、授業の中で知的好奇心を満たされる経験が少なく、意欲が低下しがちです。教員は扱いにくさを感じ、児童生徒も心理的な不適応状態に陥りやすくなります。対応に際しては、習熟度別グループ編成を行ったり、進度別の課題を与えたりして高い力に対応するとともに、基礎的な課題は考え方を説 明させるなど、他の児童生徒との学び合いや活躍の場を設けるようにします。ギフテッドの児童生徒は発達障害を併せ持つことも珍しくありませんが、その児童の中では明らかな弱さだとしても、周りと比べて平均的であったり、その児童なりの方略で補っていたりするため、注意深く評価し、必要な対応を確実に行うことが大事です。⑷不登校や日本語指導が必要な児童生徒一般的には、登校しない、あるいはしたくともできない状況にあるために年間三十日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由によるものを除いた者を不登校と定義します。背景は多様ですが、何らかの障害が不登校状態に関わっていると疑われる場合には、それぞれの障害への対応を参考にします。枠組みが明確になると適応的に行動でき、登校できる児童生徒もいます。親子関係や家庭の事情、虐待との関連が疑われるならば、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー、福祉などの関連機関との連携を心がけます。国際化の進展等による海外帰国者や日系人等の増加に伴い、外国人集住都市のみならず、全国の公立小中学校等において、日本語指導が必要な児童生徒が増えています。日本語が困難な場合には、具体的なことばを使って指示する、視覚的
特別支援教育特集 な援助を活用する、手本となる児童が見える座席にする等、発達障害や知的 障害のある児童生徒への対応が応用できます。 習課題や展開や時間、ルールなどが分かりやすくします。構造化された授業であれば、曖昧なことの理解が苦手で、見通しを持ちにくい高機能自閉症の児童生徒や、日本語の指示についていくことのできない外国籍の児童生徒も安心して取り組めます。集中し続けることが苦手なADHDの児童生徒も、終わりが見えていると頑張ろうとします。構造化は授業の外的な構造を整え、分かりやすさを高めるだけでなく、児童生徒たちの安心や意欲といった学習への取り組みを支える内面的な構造にもプラスに作用するのです。⑵
しなくてもよいことを区別します。色の うなど、注目してほしいポイントと注目 さや色は見やすくし、一定のルールで使 のチョークで濃く書く、文字の書体や太 カード化する、きれいな黒板に目立つ色 る工夫が必要です。たとえば、ことばを ばよいのではなく、ポイントを目立たせ 化は有用です。しかし、単に視覚化すれ ルートで取り入れますので、情報の視覚 ではない人もまた、情報の八割を視覚 な情報が入りやすい傾向があり、自閉症 す。自閉症の人は、ことばよりも視覚的 情報が多く活用されるようになっていま 電子黒板などの機器が整備され、視覚 ①視覚化 提示する 理解や思考を促す情報を分かりやすく
3 教育のユニバーサルデザイン
ここまで通常の学級にいる様々な教育的ニーズを持つ児童生徒たちの特性と基本的な対応について述べてきましたが、異なる個性を持つ児童生徒達の集まりである通常の学級で、一人一人に対応することは容易ではありません。すべての児童生徒の学びを保障するにはどうすればよいのでしょうか。バリアフリーとは、障害のある人や高齢の人が生活する上での障壁を取り除こうとする考え方で、車いすで乗り越えにくく、高齢の人がつまずきやすい階段にスロープを設けることがその一例です。これに対し、障害のある人や高齢の人に限定せず、すべての人を想定し、年齢や性別、身体状況、国籍、言語、知識、経験などの違いにかかわらず、誰でも使うことのできるデザインを目指すのが、ユニバーサルデザインの考え方です。たとえば、シャンプーとリンスは、ボトルの側面とポンプの頭部にギザギザがついていて、視力が弱くても、泡だらけで目を開けられなくても、触るだけで区別がつくように作られています。公共施設には、 日本語が読めない海外からの旅行者や文字を読むことが難しい幼児やLDのある人にも分かりやすいように、文字の代わりに絵文字を使って表示されています。障害者の権利に関する条約の第二条は、ユニバーサルデザインを製品、環境、計画及びサービスの基本設計として位置づけており、教育も例外ではありません。確かな学力と豊かな人格形成を保障する教育が求められている今日、障害のある児童生徒を含む、すべての児童生徒たちを念頭においた、ユニバーサルデザインは、「特別」に引っ掛かりを感じる通常の教育に携わる先生にも受け入れられやすいことでしょう。ここでは、児童生徒たちの理解に働きかける工夫に絞って、ユニバーサルデザインを取り入れた教育の例を紹介します。⑴授業を構造化するこれは児童生徒たちが見通しを持つための工夫です。たとえば、学習のめあてを明確に示す、何をどのような順序と方法で行い、どのように終わるのかを示す、板書のスタイルが決まっているなど、学
場面を劇化したり、擬態語や擬作化したりする方法は、従来か践されてきましたが、外国籍、、自閉症、あるタイプのLDなど、
的です。中学校に上がるころに
ADHDの生徒ですが、長く集ることの苦手さは変わらずにることがよくあります。一般的とは少し異なりますが、音読す生徒と話す、プリントを後ろにき出しから色鉛筆を出す、丸付けど、何らかの動きを伴う活動も中が苦手な児童生徒たちの取りくします。結果的に学級全体がので、動作化をうまく取り入れ級全体の学習の質が高まります。 せん。中学校の学びは小学校よりも抽象的な内容になりますし、言語的・論理的に考え、自分なりの言葉で表現することが、生徒にはより一層求められるようになります。いかに児童生徒たちの注意と関心を惹きつけ、理解しやすい指示や説明を提示できるかは、ユニバーサルデザインを取り入れた授業においても重要です。一文一指示、短く、明確な表現を用いる、不安を高めるような否定表現をしない(×勉強しなければ成績が下がります、○勉強すれば成績が上がります)などがポイントです。また、視覚化の重要性を述べましたが、視覚情報よりも聴覚情報(話しことば)の方が入りやすい児童生徒がおり、その子たちの学習を保障することも忘れてはなりません。多様なルートを通じて、児童生徒たちに情報を伝える指導技術を磨くことが大切でしょう。
ユニバーサルデザインの手法は、授業の難易度を下げ、考える力の伸びや力の高い児童生徒の意欲にマイナスの影響を及ぼすのではないかという声を耳にすることがあります。各手法の意図をよく理解せずに使えばそうなるかもしれませんが、たとえば、児童生徒が見通しをもてるように構造化を高めるには、授業のねらいが何で、授業の山場をどこに起き、そこに向けてどう授業を組み立てていく のかについて、教師は、すべての児童生徒を念頭において考え抜く必要があります。それが易しいだけの授業であるはずはありません。物によっては完全なユニバーサルデザインは難しく、いくつかのデザインを併存させることがあります。たとえば、エスカレーターは便利ですが、急いでいる人には階段、大きな荷物がある人にはエレベーターが適しているでしょう。教育でもこの視点は欠かせません。ユニバーサルデザインはすべての児童生徒の学びを高めるものとして、欧米でも注目され、児童生徒たちがそれぞれに違うニーズを持っていることを前提に計画するという発想に基づく実践が数多くなされています。また、教育心理学や発達心理学では、異なるモダリティ(視覚と聴覚など)の情報をどのような特性の児童生徒に対して、どのように組み合わせて提示すると理解が促進されるのかといった研究も行われています。今後は、実践と研究が手を携え、科学的根拠に基づく教育を作り上げていくことになるでしょう。ユニバーサルデザインの真の理念に基づく教育が広がり、児童生徒が参加しやすい授業から、理解できる授業、主体的に学ぶ授業へと変わる中で、インクルーシブ教育が実現されていくことが期待されます。