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オランダ語研究史序説

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86

オランダ語研究史序説

一江戸時代に輸入された辞典と文法書一

1

語学の研究に辞書が必要なことは云うまでもないが,その研究の始まりが何れも単語集式のものに起 原していることはどの語学の場合でも当然のことで,蘭語学もこの例に洩れない.夙に長崎の通詞の間 ではその職業上の必要から

 {1)南蛮和語抄  ・写2  京都 新村 出博士蔵  (2)京詞誤解①  写1  故  山田孝雄博士蔵

 式の単語集があった.{1)は寛永以前のものらしく葡・羅・蘭対日のもの,蛮語は仮名書である.(2ウは 通詞の親が自分の子供に伝えたメモ,一種の虎の巻で,これも仮名書きで例えばメス二小刀,ドンタク 旨休日,お早うござる=グーテンモルゲン式に日常簡単な会話まで入っている.職業が世襲だった当時 の苦悩が偲ばれる.江戸でも蘭学開創者新井白石◎は

 (3)和蘭紀事  写2  (宮崎道生氏「白石研究」所収)

中にいかにも学者らしい態度で仮名書きながら300余の単語とその発音の研究をしており,続いてそ の後有名な青木昆陽は

 国 和蘭文字略考  写1  延享元(1744)

を著しその他にも「和蘭語訳」「和蘭文訳」等の著述によって近年宮崎教授の「白石研究」が出る迄本 邦蘭語研究の江戸における開祀になっていた.何れにしても上記2書も単語集の域を余り出てはいな い.その後刊本として劃期的な大槻玄沢の

 15}蘭学僧梯  刊2 ・天明8(1788)

が出て蘭語に対する知識認識を深めはしたが,これらの本をいくら読んでもオランダ書は読解出来な い.江戸であのターフル・アナトミアの訳業の始まった頃から漸く蘭学研究熱が昴まるが18世紀末に なると当時輸入されたマリン(Peter Marin)やハルマ(Frangois Halma)の蘭仏辞典を台本にして 蘭和辞典を作る企が始まる.勿論当時の人はフランス語を解さないからこの蘭仏辞典の措辞・配列を探

ったのみである.18世紀末大槻玄沢の友人石井恒右衛門に玄沢・玄随(宇田川)・甫説(岡田)から 先ずMarineから書き写した単語集が渡され,それを稲村三泊がもって玄沢から与えられた蘭学者番附

の諸家を歴訪して,順次訳語の書入れを貰って遂に通称  ⑥ 江戸ハルマ(東西韻会)  刊写  寛政8(1796)

が禺来た.この辞典は横書で蘭語が木版で印刷してあり,右端に1.2の訳語を筆録書込したもので,

従って不明の語は空白のままになっている.発行部数は僅か30部で現存するもの写本を併せて僅か数 点①という貴重な稀観本になっている.全書については異本の有無その他に関して先年84才で逝かれ

① 外国語辞典出陳目録 宮城県女子専門学校,昭13

② 池田哲郎「新井白石と蘭学」福島大学学芸学部論集11の1,昭35

③ (東大)・早大・佐倉一高・葵文庫・・C水戸 ・(勝俣氏)

(2)

池田:オランダ語研究史序説

るまで研究を続けられた故勝俣鐙吉郎氏④と現在刻明な考合をされている名古屋大学斎藤信教授qも結 論に達しておられないからi妓には触れないが,全書とマリンやハルマ原典との対照校合の仕事は困難で あってもどうしてもしなければならないと思うので私は原典の日本見在先のリストを作って今後の研究 を進める材料を提供しておきたいと、曽、う.見在するマリン及ハルマ辞典を一応順序不同に拉べる.

1 見在マリン辞典目録  Marin,Peter:

 ωNieuwe Fransche Gramatica,Leyden,1788(Miyagi)

 (2)Engelsdle en Nederduitsche Spraakkunst,Rott.,1792(Mi・)

 (3) Groot Nederduitsch en Fransch Woordenboek.L l L 2dln・Dord・en Rott・・

   1 770−73,Derde Druk.(Hukui)

 14) ibid.一8e Druk.一Dord.,1773(Hukui)

 15}Dictionaire complet Fmngois.?,1710(Hirado)

{6)Groot Nederduitsch en Fransch Woordenboek.Amst・・1752(Mito)

(7) ibid.一Vierde Druk.1782(2)

(8)ibid.2dln.1793(Mito)

(g)Dictionaire frangais et hollandois,¢ompose sur le Dictonaire de1 Academie   francaise.6de Druk.Amst.,1793(Aoi)

働Nederduitsche en Fransche Woordenboek,waarin de Aart der beide Talen,㎜

  de beste Schrijvers nauwkeurig in achεt is gen㏄men.6de Druk.Amst.,17g3   (Aoi)

(n}Fransche・Nederduitsche Woordenboek.(Nagasaki T.)

働¶Frangaise et Hollandois des Langues.Amst−1762(Aoi)

㈲ Gemeezame Leerwiize voor Degenen,die zich in de Fransche Taal beginnen te   oefenen,10e verb.Druk,laatstelijk Nagezien door D.Bomhoff Hz.Amhem,

  1857(Aoi)

㈹Nieuw Nederduits en Frans Woordenb㏄k。Amst・,1701,PP・1409(Nagano−S・)

㈲ Dictionnaire Frangois,et Hollandois comprenant tous les Mots de1 Usage avouez   de 1 Academie frango圭s autres d El ite,etc. 4Ed.㎞st.,1762 (Oka−U.)

飼Groot Nederduitschen FranschWoodenboek,vervattende de WoordenenSpreekwij−

  zen van den I㎎en,etc.4e Druk.Rott.,1788 (Oka・H.)

㈲Beredeneerd Nederduitsch Woordenb㏄k.Amst..183617/11cm。1836(Ema)

⑬Compleet Fransch en Necerduitsch Woordenb㏄k,2e Dmk.Dord・・1728Dord.

  en Amst.,25/20cm.(Takeo)

四 Gemeezame Leerwijze voor Degenen,die zich in de Fransche Taal beginnen te   oefenen.aanmerkelijk verb.en verm.door H.Scheerder,SchooIhouder te Amst.

  Derde verb.Druk,Amst.,1831,16.5/9.5cm.1−IV en5,PP.163(Ta㎞i・

  貞秀之印,横山氏朱印アリ(これは13の葵文庫本の旧版)

H 見在ハルマ辞典目録  Halma,Francois:

ωWoodenboek der Nederduitsch en Fransche Taalen。Utr・en Amst・・1653−22

④勝俣錘吉郎:「ハルマ辞書について」,蘭学研究報告32号(33年6月)

⑤ 斎藤  信;再び「波留麻和解」の異版について,金沢大学法文論集,文学,3(1955)

(3)

88 福島大学学芸学部論集第12号 1961−3

  PP.1 023 (Kikut i.Col.No.63) (0735−4)

(2) ibid.一PP.34/1023,20.5/26cm. (Tenri.一849・2)

(3)Het Groqt Fransch en Nederduitsch Woordenboek,3e Druk.Amst.,1717(Mito一   「御文庫御預27冊一箱」叉別に「華児璃七冊」と記す)

に, ibid. 一(Hirado)

{5}Tooneel der Vereenigde Nederlanden,en onderhorige Land3chappen,geopent in een   algemeen historisch,genealogisch,geographisch,en staatkundig Woordenboek.

  Leeuwaarden,1725 2dln.PP.470/408(S3ikado−JoSiwo)

{6)Woordenboek der Nederduitsche en Fransche Taalen.Amst.,1729(Hirado)

{7)Woordenboek der Fransche en Nederduitsche TaaIen.Amst.,1717(Hirado)

(8)

{9)

⑳l l切

=16)一ibid.Amst.en Dord.2de Druk.(Miyagi.en Aoi.一B.G.S.)

Le Grand Dictionnaire frangais et flamand.Hage,1731(Kokurituhakubutukan)

Woordenboek der N.en F.Taalen.4e Druk.1733(Miyagi・)

Woordenboek der Nederduitsch en Franshe Taalen,derde naauwerkurig overgezien,

verb.en op nieuw zeer veel verm.Druk.Leiden,1758(Katumata)

働Woordenboek der Nederduitsche en Taalen,2dIn.Amst.en Utr.,1758.1761

   (Tokyogaikokugo Univ.)

(均 Le Grand Dictionnaire frangois e flamand(Het Groot Fransch en Nederduitsch

  Woordenboek. Hage en Leiden,1781,PP.Vlll/89627/22.5cm.

   (Takami−Moriyama Genzijmon・一マ字署名,Nakamasa捺印)

@O Woordenboek der Nederduitsche en Fransche Taalen,uit het Gebruik,en uit de   beste Sehrijvers,met Behulp van voomaame Taalkmdigen opgesteld,verb.en   op nieuw zeer veel vermeerderd.!sHage en Leiden,1781,27.5/22.5cm.

  PP.Vl11/821(Takami・Moriyama Genzaijmon,金上)

個 ibid.(Oono,Miyagi一)

㈲ Le grand Dictionnaire frangais et flamand;tire de d●Usage meilleurs Auteurs,口ar   Frangois Halma〕het groot Fransch en Nederduitsch Woordenboek. Hage en

  Leiden,.1781(Oono,Miyagi一)

㈲ Het groot Fransch en Nederduitsch Woordenboek,zesde Druk.8dln. sGrav.en

  Leiden,1778−1781 PP.821/268/269・570/264/265−579/,/

   415・636(Hidi−17−1,1,2,3,4.5,6,7,8;.) (Hudi,Toko,Kodo,Ban,

  Syusi,Usa)

個Nieuw Woordenboek der Nederduitsche en Fransche Taalen.,sHage en Leiden,

   1781 (1£9τand Dictionnaire frangais en flan城nd par Frangois Hal㎜, zesde

  Druk)(=14=15=Matue,cf.一N−f.一1782,F−N−1781)PP.821 28/2    1cm.(=Hukui=Tenri−Ueno−B.Nu−87,993.1,=Takeo2dln.

 19世紀初頭に豊前中津藩主奥平目高が天文植物等の辞句を伊呂波分けにして

(7)蘭語訳撰  1刊  京都大学蔵  文化7(1810)

を出版している.この書(天理図書蝋)俗に中津辞書というが別に5冊本のもある.全じ頃に京都で藤林普 山は三伯の「ハルマ和解」を抄略して今度は百部を活版に附し附録として和蘭の字体音韻表数字等を記 したものを添えて

(8)訳  鍵◎ 2附1刊  文化7(1810)

⑥斎藤信 「蘭日辞典の発達J鳥取大学学芸学部研究報告3巻(昭27.12)

(4)

池田:オランダ語研究史序説

を刊行し世の需要に応えた。全書の附録は後に単行して蘭語独習書にするため「蘭学運」として出され たが,その中にハルマ和解編纂の経過が記されている.以上の他に初期に江戸で出された字類(典)に 次の2点がある.

 {9)桂川忠良  蛮語箋    71葉1冊刊  寛政10(1798)

 ㈲ 大江春塘  新版オランダ語字典⑦ 2刊  文政 5(1822)

(9)は初め「紅毛語訳」といい後上記のように改めたが青木の流れをくむ単語集で附録に万国地名箋8葉 を附けた.㈲は(7)の継続事業とも看倣すべきものであるがBastaardt Woordenboek(V−5参照)

から語彙を抜いて中津候自ら編集したもので,馬場の解らない単語も候が解決して解った分を収めたそ うで(馬場佐十郎序文)その意気込みとその学力が窺われる.(7)を出したときもその扉に

Nieuw verzameld Japans en Hollandsche Woordenb㏄k door den Vorst van het Land−

schap Nakats Masataka.I Deel gedrukt by zijn Dienaar Kamiya Filoyosi.1810 (pp.5

/54/53/51/56/74;26.2㎝.) と謳った程であるが,この本もNieuwe−gedrkt Bastaardt Woordenb㏄k.(2dln.25.6cm.PP.1/2/,11/1391Voorrede−Minamoto

Masatake,Vorst van tLandschap Nakats)(新刻パスタールト辞典)と称したもので洵に奇篤な辞 書である.ただ内容は部門を多く19に分けてはいるが単語集式を踏襲し旧弊を脱しきれないでいる.

H

 一方長崎でも19世紀初頭に蘭館長ドゥーフ(Hendrik Doeff)◎は会λ長年金地に淹留することとな ったので蘭通詞達の助け を借りて蘭和辞典の編纂を思い立った.彼は1777(12.2)年アムスデル ダムに生れ,98年東印度会社に入り翌99年(7.18)日本商館書記として長崎に到着,その後欧 亜政局の激変裡に1817(12.10)(文政14)年長崎を去る迄実に18年間日本にいた.後年甲比 丹として江戸参社3回に及び,幾多の知己友人を得て知日家となった.彼はその日本在任中常に出島の 一角にオランダ国旗を翻し,あのオランダ本国が一時抹殺された時期にも終始出島を英・仏文配の外に おいたことと,この蘭和字典編纂事業の二つを自己の終生の誇りとしている.そして彼の後に来日した フィッセル(Fisscher von Overmeer)とSiebold(Philp Franz von)が後者をとって己が功と したことを大いに憤慨している(回想録)。彼が蘭和辞典編纂に着手したのは在任12年,貿易の断絶に より却って「年々商事に映掌せる他の甲比丹の決して享受せざりし」時間の余裕が生じたのを利用し,

当時「日本の通詞等は蘭語の会話甚だ拙劣にして訳語も往々全く意義を誤り」且つ自らこの大事業を担 当するに相応しく『日本語に相当熟達しているものと信じ」ていたからだという。彼はこの辞典編纂を 援助した日本人について,その序文中◎に小通詞中山将十郎が最も秀れ,謄写に従ったもの(l l名)の誤

りを校正させ,筆写の仕事には吉雄(権之助)の門下西儀十郎・石橋助十郎・名村八太郎・全八十郎・

猪俣伝次郎・西甚三郎・植村作十郎・志筑長三郎および三島松・太郎を充てたと記している.彼の蘭語序 文は彼自身の告白によると公用文体でなく日本式蘭交だそうであるが,彼はこの辞典の訳語の選択に当

って務めて実用・卑俗・方言(長崎)の採用に意を用いたと,述べている.この辞典は

 ⑳1蘭和対訳辞書(道訳法児馬)  写8  文政13(1816)

に成り,その原本は長崎通詞詰所に残しその写しと他に2部(幕府と桂川家)のみよりなかったがその 後いっか諸大名家は写本をとらせたと見え今でも時折散見する.戦前仙台藩旧蔵のもの他2点ばかり見 たが何れも筆跡の相当達者な点から蘭学者の高級なアルバイトとしてかかれたものと思われた。後年桂 川甫周はこの長崎「ハルマ』を台本にして「和蘭辞彙」を上梓した.その際内容は殆どそのまま残して原序

⑦ 有馬成甫 「中津侯編纂の蘭和辞典に就て」蘭学資料研究会報告第15号(1956.l l)

⑧ 斎藤阿具 「ヅーフ日本回想録」奥川書房 昭16

⑨ 道訳ハルマ序文,原書以外には大槻文彦「復軒雑纂」(明36)212〜216頁に転載されている.

(5)

go 福島大学学芸学部論集第12号 1961−3

凡例を削った.但し校正には幕末流行の Weiland}を参考にしたという.長崎で脱稿してから40年余 幕府の秘蔵他見を許さなかったこの辞典が漸く陽の目を見て江戸山城屋佐兵衛から

 (11)桂川甫周知門人校  和蘭字彙  5刊  安政2−5(1858)

となって刊行されたのはPerry来航後の蘭学ブームに際して周甫が蘭学者の請を代表して幕府に再三 嘆願した結果という.校正を担当したのは甫周門人金田八郎兵衛・柳川春三・石井久吉・湊三郎等が助 けている.甫周の本書上木苦心の経緯⑭はかなり詳細な史料を子孫に当られる今泉源吉氏(鎌倉市大町 961)が立派に保存されておられるので私も先年拝見し一部影写させて戴いたこともあるので別に詳 しく発表する心算である.この和蘭辞彙と殆ど全じ頃江戸ハルマ系の次の辞典が刊行された.

 ㈱ 広田憲寛  改正増補訳鍵  刊2  安政2(1855)

全書は文化版藤林の辞書を改訂したもので当時「人只字書の少きを悲しむ.難然高価の書は貧生の徒価 ふに難しく学者の憂をなす只安直にして便利の書を欲す」⑪として大野藩の広田憲寛が校訂して刊行し たものである.当時大野には既にヅーフ法留馬も入っていたと思われるが,その蘭学の盛行はこの福井 山中の小都に遙凌江戸から游学する者があったと云われた程で,英語文法書の出版も全藩が先鞭をつけ てをり洵に:奇特な藩である.,

 以上で幕末の蘭辞典の邦刊のものは一段落を告げる.これ以後は上記(nl㈱の辞典で間に合わすか,も っと上級のものは原書を使用した.殊に幕末に最も流行したものは往年のマリン・ハルマに代ってウェ イランド(Weiland.P、)とクラーメル(Kramers,J.Jz.)である.今度は最早蘭・仏辞典から単語 を抜書する式のものでなく蘭々辞典であるから語学の勉強法としては最も正道を行ったものである.畢 竟するに蘭語研究のための本邦蘭語辞典の刊行はその高頂期に桂川の「和蘭字彙」が出版されたのだ が,:金時にそれは蘭学凋落期〜英学移行の起点であったために:全辞典をそれ以上増補したり改訂したり する熱意が失われてしまったのであろう.このことは他方幕末に多くの蘭語辞典・参考書が輸入されて きたことと,初期と異り指導者としての教師に就けるようになったことも与って力がある.幕末代表の 贈の辞典は前述の通り Weiland とKramersであるがその驚くべき普及の反映は次の覆刻版の出 現となって現れた.

㈲ウェイラント 学芸辞典(オランダ語字典)  ドルドレヒト 1846年

本書は川越藩医秋山義方が自ら活字を鋳造して覆刻したもの本文795頁正誤表3頁刊年1858年原 書は次の通りである(秋山家旧蔵・佐倉一高蔵)

Wei1飢d・P・:Kunstw・・rden厩k,・fVerk1肛ingvanalier㎞devreemdeW。。rden,

脱㎜ingen・Gezegdenenspreekwijzen,dieuitver㏄heideneTalen。ntleend,.___.

Nieuwev・11eロigUi㎏・ド・一D・rd・,1846(N曙edrktd・・rAkiy㎜aY・sikatain1麗8)

皇0 ウェイランド  学芸辞典(金上)  金上  金上

原文は(B)と:全一であるがこの方は江戸で0・M・Fikosa㏄(彦造)が覆刻したもの刊年はこの方も 安政5年(1858年)である.この他に和紙の薄葉で覆刻した Weiland が佐倉一高に現存するが 刻者不明である.以上の他に Kramas の覆刻本に

㈲ 遠西葛拉黙児私署.蕃語象青  1854年原刊  弘前佐々木元俊(弘前大学文理学部蔵)

がある・この本は2冊で上(A−K)・下(L−Z)で計454葉である.原典は次のKramers書目中

の(2)である.

 Kramers,J.JZ.:

  {i)Geographischおtatistish−Historisch Handboek.Gouda,1850

  (2)Woordentolk,Verkort.Gouda,1854pp.272

  (3)Geographisch Woordenboek der geheel Aarde.Gouda,1855

⑩ 今泉みね 「名ごりのゆめ」長崎書店 昭16

⑪ 「改正増補訳鍵J広田憲序文

(6)

池田:オランダ語研究史序説 91

 この原著者は何が専門の人か知らないが(1)も(3)も可成流布して見在する.却而(2)の原本が覆刻本とも に余り見当らないのはどう七たものだろうか.

皿 見在ウェイランド辞典目録  WeiIand,P.:

 (1)Nederduitsch Taalkmdig Woordenboek.6dln.A−D,E−L,M.0,P−S,T−V,W.Zl.

   Amst・,1790(Miyagi一,N一,Nagasaki E.一,Koan一,Takeo;.)

 (2)ibid・一11dln.Amst・,1799−1811(Sakura,Matue,Oono,T.一Gaigo,Aoi−B.G.

   SS. 1,a−4;Oono_3dln.

 (3)Kunstwoordenboek・ sGrav・,1824PP.49821/24cm.(Koan−B.,Takeo)

 (41SupPlement op de塑.Rott.,1832PP.41121/14cm.(Takeo),Oono,

   Okamura)

 {5}Handwoordenboek voor de Spelling van Nederlandsche TaaI.Den Haa区,1812    pp.356(Koan−B.,洪庵文庫)

 (6)Beknopt Nederduitsch Taalkundige Woordenbooek,5dln.Dord.,1286.1830    PPJ唾A−D482,II−E・K544,III−L・Q556,IV−R−U514,V.V−Z571

   (Koan−B嶋Hukui,Hukui,Sakura,Sakura,Nagano,Aoi,Aoi,Oono,Ema,pp.

   482/554/533/514/567),U.一B.a−4−1185−89……)

 (7)Kunstwoorednboek,2dln.PP.496/498Dord.,1834−32(Hukui,Koanl.)

 (8)Kunstwoordenboek.Dord.,1846PP.795 23/14cm.(U.一B.a−2,a−6,2,

   32……14;Koan,Aoi,Ema・Aoi,Nagano.1)

 (9)ibid・,Dord.,1848PP.795(Tokyo−G.一2東京外国語大学蔵,2部全一本有)

 ㈲ ibid.,Verkort,6de op nieuw aanzienlijk verm.en verb.Druk.Gouda,1854    pp・272(Todai−K.一M東大史料菊地.箕作家旧蔵本)

 (切 ibid、,3e Druk.Dord.,1588PP.791,23/14cm.(U.一K.,675)

㈱Groot Nederduitsch Taalkundig Woordenboek.Dord.,1859PP.87225/16

   cm.(U.一Y.F.K.82……l Numadu−B.沼津学校旧蔵本)

 (均 覆刻本三種アリ(前出)

WeHand7も初期の Marin , Halma と金棟に本邦では前後一世紀百年に亘って行われたが盛期 は後者が19世紀前半であったのに対してこの方は後半の幕末期である.そして全じ著者の文典も可成 流布していたことは文典の覆刻版が出ていることでも判る.

 初期の蘭学訳家はその語義を究めるに際し主として個々の語義の探索に急で,未だ体系のある文法を 習得していなかった.前野蘭化の「仁言私説」⑫や「和蘭訳笙」㊧を見ると彼は語彙のprefix,saffix,

declension(接頭.接尾語.語尾変化)の存在を知っていたらしいが文法的には冠詞も前置詞も代名詞 も混同しておりその間整理がなされていない.大槻(玄沢)時代の蘭学(語)修業の方法は品詞や変化の 如何に係りなりなく一旦単語に何らかの訳語をつけ,それを全体として前後脈略をつけて成文にもって ゆく方式であった.当時有名な入門書といわれた「蘭学階梯」でもin,het,de,zal,is,en,om,

zo,alsは一括して助語(リットルウオールド)として成語の中に含み「前後文章ノ応接二随ッテ真意 転スルヲ以テ一定ノ義得難シコ⑪など放言している.妓にも救い難い混同があり品詞の観念がない.

⑫岩崎克己「前野蘭化」昭13全氏私家版

⑬ 大槻玄沢 「蘭学階梯」

(7)

92 福島大学学芸学部論集第12号 1961−3

 オランダ文典の学問的研究の端緒は長崎の中野柳圃(志筑忠雄郎)に始まる.彼は安永5(1776)年 一度通詞となったが学究肌の人で忽ち致仕隠居してその後閉居20年蘭学研究に没頭した。その間天文 に関し「暦象新書」の訳書と蘭文典に関し

 (i)中野柳圃  和蘭詞品考  写l  l O数葉

を著した.会友玄沢の子大槻玄幹(磐理)が享和3(1803)年長埼游掌中柳圃の門をた玉きその教 を受けた.全問に通詞吉堆権之助(如淵),全僚馬場佐十郎もいたという.玄幹は帰府後

 (2)大槻玄幹  蘭学凡  刊         和蘭接詞考    写

等を著し江戸蘭学での文典研究の端緒を開いた.次いで長崎から羽栗洋斎(吉雄の甥)・馬場佐十郎も 上府し各々

 (3)羽栗洋斎  六格新篇  上中下3  文1化11(1814)

 倒馬場佐十郎訂正蘭語九品集金

を著した.上記3著は何れも中野の系統を引き長崎蘭学を江戸に移した観がある.叉これより先前述の

「訳鍵」の著者は

 (5)藤林普山  和蘭語法解(医門須知) 文化9(1812) 大阪河内屋茂兵衛刊

を著した.全書は「彼邦百乙(Ypey)及数家の「斯普羅加公斯多(蘇目語典)〔Spraakkanst〕を引類 挙例且加自得之説」とあり原書文典による移入が窺われる.かくてこれらの人のカで漸く今日所謂8品 詞といわれるものが知られてきた.しかし当時は必ずしもこうした品詞の称呼が定まっていたわけでは なく申文珍妙な訳語が見える.例えば「九品集」では発声詞(冠詞),治定性言(定冠詞),陽詞・隠詞

(男性・女性),静詞(名詞),虚辞詞(形容詞),所在詞(前置詞),歓忌詞(間投詞)の称呼があり

(但動詞・代名詞・直接法・現在・過去・未来は現行通り),又「語法解」では助動詞を助言,副詞を添 言と称し何れも当時の語訳造語苦心の様が偲ばれる.これらの称呼はその後蘭学,洋学者により多少変 改されたが大方踏襲されたのみならず.国文典にもその方式が移される.⑭玄幹・如淵・穀里等柳圃の 学統を引くものの著述は何れも写本で藤林の「語法解」より2年遅れていながらそれに言及していない のは不思議であるが何れにしても彼等によって蘭語研究は一新生面を開いたことは確かである.玄幹が

r蘭学凡」の序文⑭で「……従前,蘭学者僅カニ配字学ヲ得テ直に、翻訳ヲ為サントスルハ檜山に入テ林 伐リ棟梁棲鱒ノ択ビナク規矩準縄ヲ捨テ・直二家屋ヲ造ラントスルが如シ量二能ク成ル者アランヤ…」

ト述べているのは当にその通りでその頃の蘭語学習振りが想像出来る.

 この間蘭学はSieboldの渡来で医学のみならず各部門共に躍進を遂げるが,蘭文典では前記の3者に 続いて当時和蘭の代表的教科書出版会社である.De MaatschapPij tot Nat vun tAlgemeen社から 出版の文典(Grammtica,of Nedrduitsche SPraakkunt)を諫刻したものが二種ある

 15)和蘭文典  前編  熊坂健⑭   天保l l(1840)  東都披雲館蔵梓          前編         天保13(1842)

 (6}和蘭文典  後編  箕作氏蔵板  嘉永元(1848)  作州版

熊坂版は箕作版より2年早いが箕作版の大量製産(5000部という当時としては破天荒)に押されて 蔭がうすれ現在でも中々見付からない.箕作版の方は時恰もPerry来朝期の蘭学ブームに際会して,

前記「訳鍵」と共に蘭学修業学生必備の本となって,幕末の江戸大阪の蘭学塾は勿論各藩校洋学部必備 のtextとして流行したから昨今でも藩が書生に教科書として全書を貸与したところでは数(十)部ま

とまって残っているところがある.全書をtextとして使用した方法の一例として大阪の緒方塾で試み た実際を福沢諭吉は次の如く叙している.

  「塾で修業する其の時の仕方は如何云ふ塩梅であったかと申すと,先づ始めて塾に入門した者は何も知らぬ.何

⑭鶴峯戊申の天保4年に著した語学書にこの方式が採用された(村岡典嗣続日本思想史研究)

⑮大槻磐里蘭学凡

⑯ 勝俣鈴吉郎 英語青年 大12.4.5月号参照。

(8)

池田:オランダ語研究史序説 93

  も知ら頃者に如何して教へるかと云ふと,その時江戸で翻刻になって居る和蘭の文典が二冊ある.一をガラン   マチカと云ひ,一をセインタキスと云ふ.初学の者には先づガラソマチカを教へ素読を授る傍に講釈をもして   聞かせる.之を一冊読了ると,セインタキスを又其通りにして教へる.如何やら斯うやら二冊の文典が解るよ   うになった所で会読させる一一」(福翁自伝1岩波文庫版111〜2頁)

 この箕作版文典が当時の best−selIer であった有様は全書の異版⑰が出たことと・叉その 虎の 巻 ⑱とも云うべき解釈書類が盛に流布したことからも判る,箕作 文典 は往昔の蘭学階梯や単語集式 辞典とは違い内容がしっかりしており,その内容は字類,韻字,配韻字,連合,綴字,通辞(実・性・

陪数・代・活・副・冒・接間辞)各類に分けて詳細な説明を施し,性・数・格の変化から法,時制の詳 説に及んでいる.殊に原文で文典を読むことは全時に読解力をもつけることを可能にしたわけだがこの direct method式方法は当時の入門者にかなり困難だったらしいことが想像できる.私の経験からも 確かにこの2書を完全に読みこなした者なら進んで専門書の講読に進むことが可能だったと想像できる

が恐らく大部分の人が中途で挫折して投げてしまったのではなかったろうか・

 幕末蘭学盛行期には蘭語研究が軌道にのると原書の輸入も盛に行われ,安政3〜文久2年(1856

〜1861)の5年間に輸入された蘭書の数は移しい.従ってその期の語学書も洵に百花繚乱の概があ る.鼓に参考のため一例として輸入文法書目を掲げる.

IV 見在輸入蘭文典目録

 (1)Lauts,M.:ElemensdelaLangueHollandoise,Bruxelles,1826(Mi・)

(2)Weiland,D.:Nederduitsche SPraakkunst ten Dienst der Scholen,Dord・・1854

   (Mi,Sakra−1839,29;Nagasaki−1846,丁扱keo−ibid,U−1806,U−1806・

   Matusiro−1820,U.一32,その他全国に多し,別掲Weiland辞典目参照)

 (3) Ansl ijn,N.z.:Aanleiding tot de Nederduitsche Spraakkunst, voor Eerstbeginn−

   enden,Leyden,1825(Mito)

 ㈲Siegenbeek,M.:Woordenb㏄k voor de Nederduitsche Spelling,Amst・,1805    (Sakura, Oono−1817)

(5}Weiland,P.en Landre,G.N.:Woordenboek der Nederduitsche Synonimen,

    sGrav.,1825(Sakura他二1821一版アリ)3dln.,

 16)Roorda,T.:Over de Deelen der Rede en Rede−Ontleiding,of Logische Analyse

   der Taa1.Leeuwarden,1855

 (7)Kuijper,G.Hz.:Beginselen der Nederduitsche voor Schoolgebruik.Utr.,1856  (8)Maas,1.P.:Nederduitsche SPraakkunsしAmst.(Nagasaki E・)1855

19)Weiland,P.:Nederduitsche Spraakkunst.(Gedrukt te)Nagasaki,1859

 ㈲ Sandwyk,G.van:Beknopte Nederduitsche SPraakunst。Purmerende・1855(U。)

 {切 ・…………・・:Eerste Beginselen{1er Nederduitsdle Spraakkunst ter Dienst der Scholen

⑰麻蘭文典は前篇天保13年,後篇嘉永元年刊の他再版が安政4年7月江都山城屋佐兵衛等から串ている.

  その他全一原書の複刻異版に次の如きものがある.

  和蘭洵乙蘭士文範 初篇,57葉,安政3 木村海蔵刊   蘭交軌範 40葉 安政3 山路楊圃刊

  麻蘭語学原始 24葉 安政3 越前国技蔵版 刊   訓点府蘭交典 安政4 総摂館蔵版刊

⑱ 叉注釈本の方も中々盛である.

  和蘭文典訳語笙 2 遠田昌庵訳 和泉屋善兵衛刊   和蘭文典読法 1 竹内宗覧訳 安政3

  訓点和蘭文典 1 安政4 総摂館

  訳和和蘭文語 5 大庭雪斎 安政3〜4 須原屋

(9)

94 福島大学学芸学部論集第工2号 1961−3

   in Nederduitsche Oost−Indie,Samarang,1844(Gedrukt te Edo)

 {切WeiIand・P・:Handwoordenb㏄k voor de SPelling der Hallandsche Taa1,Haag,18

   12(U−1830,1857)

V補遺TAALKUNDE−WOORDENBOEK EN SPRAAKKUNST(VOORTZETTEN)

 (1)Buys,Egbert:Nieuw en volkomen Woordenboek van Kunsten en Wetenscahppen.2

   dIn・Amsterdam・1769−70.21/13cm.(ibid.一1765−78−10dln.)

   (U.他13個所有)

 (2)Chome1・M・Noe1:Huishoudelijk Woordenboek.2dln.Amst.,1743(ibid.一7    dln・en Vervolgen gdln.一1778−93)(U.他13点有)

(3}J.S.:Nieuw Samensgeteld Woordenboekje om in korten Tyd te Ieeren Lesen.

  Amst.,170714/8.5㎝(Koan)

 ㈲Hubner:AIgemeene Kunstwoorden−Boek der Wetenschappen,Ll l.2dln.Leyden,

   1732−34(Miyagi)

{5}Meijers,L.:Woordenschat verdeelt in I.Bastaardt−W.2.Konst−W.3.Verhou−

  derde Woorden.Amst.,1745(Hirado)

 (6)Terwen・J・L:Etymologisch Handwoordenboek der Nederlandsche Taa1.Gouda,

   1844(Mito,Aoi)

 {7)Bomhoff,D.Hz.:Nieuw Handwoordenboek voor de Spelling der Nederduitsdle

  Taa1・2dln・Zalt−Bommel.1846PP.240,14/12cm.(U.Aoi)

 {81Bomhoff・C・Hz・:ibid。一4de Druk−Nijmegen,1851 17/12cm.(Mito,U.Aoi.)

   (ibid・一1852en1854−Zutphen,PP.88 19/i2cm.) (Aoi.U.)

(g)Bomhoff,D.Hz.:Nieuw groot Woordenboek der Nederlandsche Taal.Leyden,18

   58,PP、1210 23/14cm.(U,Todai,Nagano−S.,Kano,Oono)

 働 Bomhoff,D.Hz.:Nieuw volledig Zakwoordenboek der Nederlandgche Taa1.

  Nijmegen,1850pp.642 17/12cm.(U.)

{切Heyse,DrJ.W、A.:Kunstwoordentolk,tweede Druk.KH.)

{均Hoeve11,J,D.van:Classisch Woordenboek van Kunsten en Wetenschappen,naar   Dr。Friedrich Lubkeres Reallexicon des Classischen Alterthumus,vertaald en

  bewerkt.Dord.,1853(Sakura.Aoi)

㈲Winkel,LA.:De Grondbeginselen der Nederlansche SPelIing.Leiden,1865

  Pp.251,23/14cm.(U.)

 ㈹ Curtis,J・H.Donker:Proeve eener Japanshe Spr謝【kunt.Leyden,1857 (Keio)

 ここには辞典之部で書き洩らしたものを掲げた.上記の内(1×2)(5)は18世紀中に輸入され可成り後迄 使用された.又(7)〜㈲の著者Bomhoffの辞典は全じ著者の蘭英字典と共に幕末にかなり流布してい

る.

 以上江戸時代蘭語学研究史を辿ると結論として次のようなことが云えると思う.先ず辞典は大凡の処  単語集一㍊ζ一和蘭字彙一跨狂ζド(原書蘭辞典)一仏・英・独逸学

と展開し文典の研究も

 単語集一(語法解・蘭学凡)九品集→課刻(箕作)文典一各国原書文典

と大体全一の逕路を辿っていることが解る.結局本邦蘭語研究発達史の鍵となる問題の柱をたてると  {i)マリン・ハルマとその和解  (2ウ蘭々辞典  (3)覆刻版蘭文典  ㈲ 其他

に今後の研究すべき点が残されていると見てよいと思う.そしてそれらを中心としてもっとつっこんだ

(10)

池田:オランダ語研究史序説 95

語学的解明がなされなければならないであろう.江戸末期に蘭学が科学の各部門の研究に果した役割を 想起するにつけても,その蘭学という万有学の土台である語学研究め足跡を辿ることを重要な問題と考 えてこの素描を試み今後の研究に資するために日本見在蘭語学書目を志料として提供した.今後これら 輸入原書と邦刊書との関連が一層分明になる日を念願して止まない次第である(6L2、16)

略字解  Miyagi=mi  Hu㎞i  Hirado  Mito  Aoi

 Nagasak型

 Koan

=宮城県図書館

=福井市図書館(現在不明)

=平戸松浦家集古館

=永戸彰考館(戦災焼失の由)

=静置葵文庫

=長崎図書館

昌奈良・橿原市洪庵文庫 Oka=Okamura富岡村千曳氏蔵

Nagano    =長野市県立図書館 Matue    =松江図書館 KH     =国立東京博物館 Todai    =東大史料編纂所

Nagano−S

Ema

TakeO Taka皿i Ueno=U.

Oono

=長野市岸北館 富江馬彰氏礒

=武雄高等学校 冨鷹見久太郎氏蔵

=国立上野図書館

=旧大野中・小学校 Nagasaki−Eぎ長喉語学校 Sakロra    ==佐倉第一高轍

U.B    冨上野図書館蔵書中ノ蕃書調所印記 a−3−1053 =安政三年印記番号は全館の検索番号 Kano   =東北大学狩野文庫

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