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サロン・あべの

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Academic year: 2024

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(1)

出会し−    ふれあレ、  助lナ合レ、  

サロン・あべの  

<サロン・あべの>NO.27   昭和63年 9月17日(土)発行  

残暑とは云え︑さわやかな風が吹  

き︑カーニバル日和りとなった昭和  

六三年八月二八日︵日︶午後三時よ  

り︑阿倍野区役所真にある市立工芸  

高校グランドに於て︑第一五回﹁あ  

がまぶしい青空に吸いこまれていく   べのカーニバル﹂が開催された︒   

トランペットのファンファーレー   

のを耳にしながケ 〃なんでも市〃  

参加のサロン・あべの店は︑多くの   ∧サロン・あぺの>八月の出会い  

あべのカーニバル   なんでも市 参加   お客様を迎え︑販売にてんてこまい   をしていた︒   

あべのカーニバル﹁なんでも市﹂  

参加は今年で三年目︒一昨年より昨  

年︑昨年より今年と︑皆様の厚意で  

輸がどんどん広がり︑物品を寄贈し  

てくたさる人︑備品を貸してくださ  

る人︑いろいろお手伝いをしてくだ  

さる人など︑ひと回り大きい善意の  

輸を広げてくたさったことは︑あり  

がたいの一言につきる︒   

空は澄み︑秋の色をしていたが︑  

きつい陽ざしはまだ真夏の顔そのも  

ので会場を見おろしている︒四八店  

が横丁を作る﹁なんでも市﹂は︑集  

りの縁日そのもの︒親子ずれ︑夫婦  

ずれ︑にぎわいの中︑あちらの店︑  

こちらの店とのぞいて歩き目当ての  

晶を捜し出す︒楽しい遊び︑企業ピ  

ーアール︑チャリティーバザール等  

と各店それぞれにおもむきがある︒   

サロン・あべの店は︑地域の方々  

との出会い・ふれあいを目的にサロ  

ン情動のピーアールと活動資金調達  

の為に出店し︑一同大いに張り切っ  

た︒   

三時の開会を待たないで︑サロン  

・あべの店は並べる時からお客様が  

入ってこられ大にぎわい︒自信を持  

って付けた値段であっても︑お客様  

によっては︑もっと安くならないか  

と云われる︒そんな時は︑まだ販売  

時聞ではないのでと︑お断りをして  

準備を進める︒善意でサロン・あべ  

のの為にご撞供くださった品々を大  

切に扱いたいと思う︒また︑中には︑  

おつりはカンパですと云ってくださ  

る方もおられる︒かと思うとカンパ  

箱は置いていないのと聞いてくださ  

る力もあった︒お買い上げの品物を  

渡す時︑太紙二六号も一緒に手渡し︑  

読んでいただくようにお願いをした︒   

障害者が地域参加を希う時︑そこ  

には温かく受け入れてくださる健常  

者の思いがなくては︑その希いは︑  

はたせない︒障害者を障害者として  

受け入れるのでなく︑共に生精して  

いる一住民︑隣人として︑ふれあっ  

ていただけるよう︑サロン・あべの  

は︑様々な角度から障害者を語って  

(1)   

(2)

いきたいと考えている︒   

﹁やぁ〜︑元気?﹂ ﹁ガンバッテ  

ヤ﹂お顔なじみが増えて︑笑顔が次  

々とのぞいてくださる︒又︑サロン  

紙を通しての知人は︑日曜日という  

こともあり︑遠くは和歌山市からも  

かけつけてくたさった︒   

舞台からの歌声に心が踊り︑各店  

のにぎわいに顔がはころぶあべのカ  

ーニバル︒販売に携わってくださっ  

た方々は︑大忙しで︑他を見てまわ  

るヒマもない有様︒そのおかげで夕  

日が沈む頃には︑八割方が売れ︑残  

りを一気に大安売り︒七時前には︑  

きれいにかたずいた︒   

ナイターの明りの中︑ほっと一息  

入れてポッポッ片ずけられていく〃  

なんでも市〃を見渡す︒﹁あ1︑会  

場は広いな︑今年も見てまわれなか  

ったなぁ〜﹂と︒   

好天に恵まれ︑人出に恵まれ︑多  

くの掘供品に恵まれ︑多くの協力者  

に恵まれ︑サロン・あぺの店は昨年  

を上まわる収益を上げることが出来  

た︒  

(2)   

(3)

ご協力感謝  

ご協力いただいた方々のお名前  

︵五十音順・敬称喝︶  

旭 純子︑安達尚子︑石田 律二元・惣︑  

石田花子︑伊勢村和子︑大岩和昌男︑大島  

功︑大塚一枝︑柿同 線..角方︵文の里手  

話グループ︶︑金岡千恵子︑河合恵子︑北  

原喜久︑斉藤孝文︑阪口悦子︑里山通子︑  

皿谷千秋︑鹿野敬一︑大丸昭典 田上 稔︑  

竹下秀樹︑田中マサエ︑辻本輝子︑津村孝  

子︑出口正敏︑冨田慶子・十一・御喜代・  

実幸︑永井美智子︑中原友香︑中西利香︑  

原田 仁︑蛭子フサユ︑毎川雅子︑前田博  

子︑松井悦子︑美千由会︵木寺ちよこ︶︑  

町野旬子︑松森美智子︑丸山寿美子︑森田  

ゆきえ︑水戸春子︑水野千鶴︑柳生幸子︑  

山本敏子︑山木ハツエ︑力武晴代︒   

その他匿名の方五名︒  

あべのカーニバル〃なんでも市〃での  

∧サロン・あべの∨ バザー売り上げは︑  

金八八九九〇円でした︒   

ありがとうこざいました︒  

∧サロン︒あべの∨会計  

(3)   

(4)

車イス常用者住宅を訪ねて  

富 田 慶 子   

七月のサロンに出席された方から︑車イ  

ス住宅についての話を伺いましたが︑話だ  

けではものたりず︑物見高い気持も手伝っ  

て﹁百聞は一見にしかず﹂と︑住吉区長居  

にある府営住宅の車イス常用者世帯向き住  

宅に住んでおられるS氏をお訪ねしました︒   

ここは︑JR阪和線の鶴ヶ丘願よつ西へ  

十分足らずの位置に有り︑昔は庭付き木造  

平家の府営住宅があった場所で︑昭和五九  

年より鉄筋五階建ての団地として新しく建  

替えが行われました︒この団地の九〜十一  

棟の一階両袖︑もしくは︑片側に車イス常  

用者住宅があり︑八世帯が住んでいます︒   

その一軒にS氏が昭和五九年より入居さ  

れています︒団地の門を入って南向きの端  

にその住いがあり︑草木の咲ききそうベラ  

ンダの前を通り︑一般住宅への階段下の奥  

に車イス住宅が向かい合ってありました︒   

幅広い引戸を開けて入ると内玄関のタタ  

キ︑それに続くフロアーは段差がなく奥へ  

と伸びています︒このフロアーを中心にし  

て︑居間・台所・寝室・サニタリー墓・子   偏重と時計まわりに位置しています︒   

先月のサロンの話しあいの中でも一番関  

心を持たれ︑必要とされたのがトイレと風  

呂場の改造でしたので︑まず︑サニタリー  

ゾーンを拝見しました︒目に止ったのが出  

入ロの幅が広いこと︵これは車イス使用者  

用としては必要な広さなのでしょう︶︑水  

まわりが必要な部屋なのに段差が全く無く  

出入口幅いっぱいに騰が造られてあり︑目  

の細かい構ブタがされていました︒ここで  

一気に水を排水出来るようです︒しかし湯  

気は︑後もどりしてくるので湿気は多いと  

のことでした︒入口の右側に洋式便座が両  

側に手すりを備え付けて位置していました︒  

左側の少しくぼんた所は︑洗濯機置場︒こ  

車イス常用老世帯向住宅   

この排水は入口の排水口の中にホースさし  

こみロがあり︑そこへさしこまれていまし  

た︒洗濯機置場と洗面所の間に寝室への引  

戸があり︑直接出入が出来るようになって  

います︒︵フロアーに出なくてもいいとい  

うこと︶ 洗面台の両側にも太い手すりが  

付いています︒洗面台の高さは入居前に使  

用する太人に合わせて調節し︑取り付けて  

もらえるそうです︒台所の流しやガスム臼も  

この特別便用仕立で調節し︑付けてもらっ  

ているそうです︒住宅に当選してから訓練  

に行くそうです︒サニタリーゾーンの床は  

すべり止めのあるタイル張りです︒正面奥  

が風呂場になっており︑その境目にも細長  

い溝ブタがありました︒大きな水の流れは︑  

(4)  

(5)

ここで排水されるのでしょう︒洗い場や  

車イスと同じ高さになっており︑タイル張  

り床下は幸イスの前輪が入るように深く切  

りこんでいました︒洗い場正面に二太の手  

すりが付いており︑これを支えに移動︒正  

面の壁には︑L字型の手すりが付いている︒  

左側は揚舟︑洗い場から滑り込める︒愚舟  

の左側に手すりが一本付いている︒これは  

S氏が任意で出入がしよいように付けられ  

たそうです︒湯舟の人の介護がしやすいよ  

うにか︑湯舟の手前が人一人入れる空間が  

あります︒洗い場に上がりこまなくても︑  

立ったまま両方の介護が共に出来ると思え  

ました︒しかし︑足の曲がらない人には︑  

洗い場手前に付いている手すりは邪魔にな  

るたろうなと感じました︒両足がマヒされ  

た人には︑必要かもしれませんが必要でな  い人にとっては︑あの頑丈な手すりを取り  

はずすのは大変だろうなと思えました︒洗  

面所の水道の栓は︑レバー式でしたが︑私  

には固くてちょっと動きませんでした︒  

一二カ所給湯で︑風呂と洗面所・台所に湯  

が出るそうです︒   

サニタリーゾーンの向かい側が台所・居  

間の人口︒台所は南向きで大きなガラス戸   がベランダいっぱいに開いて︑とても明る  く陽当りが良い︒台所の流し台とガス台は  使用者の高さに合わせて付けてもらってい  るとのこと︒この台の下も幸イスの前輪が  入れ易いように空いている︒ここの水道の  栓もレバー式であったが︑蛇口の所に給水  調節が出来る器具が任意で取りつけられて  いました︒冷蔵庫に水屋︑中央にテーブル  が置かれた部屋は広く見えていても︑車イ  スでの移動は窮屈だそうです︒このリビン  グに和室の居間が続いています︒和室の段  差は四五センチ位︒車イスの座席の高さに  合わせてあるそうです︒一間半の押し入れ  が付いている︒窓は南向き︑物が取りやす  いように手近なところに置いてしまうので  つい︑乱雑になってしまうとのことでした   

リビングからベランダヘ出るのも引戸︵  

アミ戸︶で段差もなく出やすくなっていま  

す︒四〜五畳の広さがあるので洗濯物やふ  

とん干しが気持よく出来そうです︒ベラン  

ダの外は︑団地の道になっているので︑玄  

関を使用せずベランダから出入をしている  

と云われるS氏の言葉になる程と思いまし  

た︒洋室の六畳は︑S氏のプライベートル  

ーム︒北側にべランダがあり︑外へ出られ   るスロープも付いていましたが︑非常用位.  にしか考えていないので︑使っていないと  のことでした.パソコン・ワープロ・無線  機・ステレオ等︑それにワイヤレス電話と  活動的なS氏の原動力をも拝見しました︒   

この部屋は︑フロアーとサニタリーゾー  

ンヘと二つの出入口がある為か︑押し入れ  

が無いのが不便とのことでした︒その代わ  

りというのでしょうか︑フロアーに物入れ  

がありました︒最後に玄関横の三畳の洋間  

をちょっと拝見︒ここは︑物置きになって  

いるとのことでしたが︑北側いっぱいに窓  

があり︑半間の押入れが付いていました︒  

一見広そうに感じられた聞取りも︑車イ  

スで動きまわることを考えますと狭さが感  

じられ︑家具類等は極力置かないようにし  

ているとのことでした︒   

ここは︑立地条件がよく︑近くにスーパ  

ーもあり︑住みやすい︒長居の身障者スポ  

ーツセンターヘも行きやすいし︑阿倍野へ  

出るにも出やすい等々とのことでした︒   

おうかゞいした時は︑気がつきませんで  

したが︑玄関フロアーで思いがけないリー  

ン・リーンと捺しげな鈴虫の音色におくら  

れておいとましました︒  

(5)   

(6)

地獄を想う心   

地獄という言葉があるが︑それは想像を  

絶するほどの辛さ︑酷さを人に与える環境  

をいうのだと思う︒   

私が地獄という言糞をきいて︑まっさき  

に思いうかぺるのは︑数年前ある児童相談  

所の所長から闘いた性的児童虐待のケース  

である︒   

それは︑いまここに書くのも辛くなるよ  

うな話だ︒父と母と娘二人の四人家族で︑  

父親が長女に性関係を強いている︒長女は  

まだ小芋六年生だった︒父親が求めると︑  長女ほ自分の身体を引き裂くほど︑激しく  

鋭い声で泣き叫び︑もがいて︑鑑抗するの  

だが︑父親の続けざまの殴打と腕力に負け  

てしまうのである︒   

に入ってしまい︑娘の悲痛な叫び声が耳に   母親ほただただ震えながら押し入れの中   

入ってくるのを恐れるように両耳を強く押  

さえてうずくまっている︒次女の方は︑父  

が離れたあと独り泣き伏している姉を︑な  

にか汚いものでも見るように避けているの  

だが︑自分の身体の成長につれて︑いつか   自分も姉のよ︑つになるのではないかという  不安をもっているのであった︒   

ああ︑それが毎夜のように続くのだとし  

たら︑そ丸を地獄と言わないで何と亭える  

のか︒こ′の長女の胸には︑少女らしい初恋  

のときめきや︑読書の楽しみ︑友達との語  

らいの期待があろのだろうか︒自分でも正  体のつかめないほどの恐怖や憎しみ︑罪悪  

感や絶望感が︑もはやこれ以上何も受けい  

れることができないほどに披女の心をお  

おっているのではないだろうか︒   

この少女にとって安らぎの場はどこにあ  

るのか︒父親は自分の身体を欲望の対家と  

し︑母親は逃げ︑妹は避けている︒彼女ほ  

誰にも決して言︑つことができない忌まわし  

い思い出を︑このまま一生独りで背負って  

生きていかなければならないのだろうか︒  

これは地獄のひとつの例である︒このよ  うな地獄はまだまだあると思う︒地獄を体  

験した人は︑たいてい地獄に押しっぶされ  

る︒地獄によって自暴自棄になったり︑自  

分の心に無感覚になったりする︒そこから  

逃れることができても︑ひたすら︑その忌  

まわしい過去から逃げようとする︒思い出   すまいと努める︒地獄とほそういうもので  ある︒地獄の力はそれほど強いのである︒   

だから︑この社会から地獄をできるだけ  

少なくすることができるのは︑地獄を体験  

した人であるというよりは︑むしろ未だ地  獄を体験していない人であろう︒それは  

﹃地獄を想う人﹄である︒﹃地獄を想うh  

とは︑地獄はどんなにか酷いものであろう  

かと想像することである︒   

地獄を想像することは︑それだけても不  

快なことであろう︒しかし︑地獄において  

人ほどのように苦しみ恐れているかを想像  

することは大切なことだ︒それこそは人類  

を救う想いであろうと思う︒いや︑それど  

ころか︑地獄を想うことを知らない心は︑  

たとえ悪意のない梯子を装っても︑ひどく  

罪深いものではないだろうか︒  

やや唐突だが︑札は先週︑韓国に旅行し  

ていた︒そこであるユースホステルで同軍  

になった日本の青年が﹃ここでは一晩二†  

円で︵女が︶買えるんですよ﹄と︑何か嬉  

しい発見でもしたかのように言ったことを  

思いだす︒彼ほ︑そうして皆を誘っている  

のだが︑その青年の悪気のない人なつっこ  

い笑顔のなかに︑地獄を想︑つことの知らな  

い罪深さを私は感じたのである︒   

国連の報告によれば︑女性が売春をする  

最大の契機ほ︑近親相姦を含む性犯罪の坂  

寄を受けたことだとい︑つ︒地獄を体験した  

人ほ︑地獄を想うことの知らない人によっ  

て︑ますます陽つけられ︑苦しみ︑生きて  

いくのだろうか︒   

(7)

父親が自分の身体を貧り食い︑母親が恐  

れて押し入れの中で震えているのを見た少  

女は︑この世の一切を憎むようになるかも  

しれない︒私ほそこにより恐ろしい地獄を  

見るのてある︒   

その少女が女となり︑支えてくれる家族  もなく︑身も心もポロポロになって︑なお  

も生きつづけようとするとき︑彼女はどこ  に生きる場を見つけられるのだろうか︒そ  

こで彼女がたとえ︑自分の肉体を金で売る  

ことを承諾しても︑誰が彼女を責められる  

のか︒誰が彼女を軽蔑できるのか︒   そんな地獄を体験してきた女たちが︑  

きっとたくさんいるのだ︒そんな彼女たち  を﹃二千円で買える﹄と笑顔で言う青年に  

出会ったとき︑私はそこに地獄を支える罪  

を見たような気がした︒   

地獄はある︒地獄は確かに存在するの  だ︒しかし地獄にある人には出す声がな  

い︒また︑過去︑地獄にあった人ほ思い出  

すことさえ避けてしまうことが多い︒そし  

て地獄をまだ全く経験していない人ほ︑地  

獄を想︑つことのない心で︑地獄を支え続け  

ているのであるり   地獄をなくすのは︑地獄を想う心であ  る︒地獄はどんなにポいものであろうと想  

像する心である︒地獄を思うことには不快  

な感情がつきまとい︑そのような不快な感  情をあえて身に受けることは人間として不  

自然なことだと思われるかもしれない︒し  

かし︑地獄を想わないこじは地獄を支える  

ことだと知っているのである︒地獄を思う  

心とは︑未だ自分の気づかない罪をわびる  

心なのである︒  ︵知︶   

′′捌.搬.捌捌■仁J■脇■甜l棚ⅢlllJ〃ll =一一       一JJ川 仙     川川J〃〟.  

、  

﹁J適㌦をめぐる川適点 ︵二︶  

人板には﹁人板ろうあ会錆Lが昭和  

ハト.▲圧に周小Jt︑両や−ポの委託塞塵  

い車用りとして機能し︑ソリうあ者福祉  

.右京ヤ∽車ンクー的役刑を果たしている︒  

ここにu昭和ぺ−1−.作用什︑仁請適㌦  

︑隼講指通⁚∴Hが錮傍している︒  

こ iモ 

山片ね批は導⁚li﹂ が識⁝直さ出ていろ︒  

し小し︑適訳牛沼用談山∴−︑スは往々  

増加の一途をたど︺ていリリk両︑通謀  

パ︑牛溝指泊⁚‖の識罠釣u増‖さjL†︑  

ろうあ肯の要求に応しされないばかり  

小︑硯⁚Llの此用上山川適丑fが牛して   

′ヽソ○    レJ▲ヽ卜J適㌦持S別拍彬墟は非常勤  

痛点という不む﹂吏な川路小⁚シい﹀ ささ  

山﹁イ?っ篤行い㈹址指導⁚ゝl﹂ 山うら.  

名は週∴−...い外宮勅封tムィリ︒これ  

よ﹁ト誹適訳叫相澤車業要綱﹂申の 1‖  lし・  .回以仁Lという勅拍規1Lを克しては  

いり句が︑ろうあ止りの∴−ズがい﹁起こ  

ノくJSか﹂㌣測▼tさソ㌧はずもないことか・l︸  

しノ?よう︑  

も毀エの∴−スに対処〃常  

州にすへさ︹あろっと川心われる︒   

はた︑ろうあ甘の多はな二1.ズ︑そ  

ー︑.止︑土ゾ勺ず川拉的要ム小猫いが︑そ  

▲.一ヽ︶rヽ  ↓いりた∴−ズに応えJりため︑適訳り  

.γ牛溝指導=uト一山H術以外に幅広い  

知識︑柏拍を持ち.︑汁ヘムn源のilI‖は  

力や福帥的付目−り班長と‖謹ほ術ん∴す  

ること小必要であろとキえら山り勺が︑  

亮腔に㍑トJ持胸板ホのな用が多く︑  

晶址的勃起や日誌ほ術もけたないま詫︑  

1緑騒い〜拍ソつ﹂という・細山がみ︑りれる︒  

そ′二王空目ほの再故人‖や刷はか必要と  

なり■J′\リ1J小適誹レ¶︑牛清m湧⁚▲い沌  

封離の下山か・り︑ウース対応に虻机圧さ  

4Lて叫糊的余浴がないという情況にム  

る︒それ故︑∴1スに応じた対応が出  

来ノ句上・つ︑植∽川は機槻とり控撲を凍  

にすることか必要となり■.しくソ1Jが︑人  

似uJ場︵︑川ほ識掩槻がぺうあヘム梢や  

.Ii業の〃在†︑り川・l︶ない場人もあリリと  

いうのが現状であゾ悠  

(7)   

(8)

私だけではないと思います︒考えてみた  

ら︑増力の弱い人達は不自由することがた  

くさんあります︒例えば︑ノブを回しなが  

ら開閉するドア︑回しながら開ける瓶など  

の蓋︑爪切りもそうです︒タオルを絞る時  

にも自分では︑力を入れているのになかな  

か思うようにできません︒   

もっと困ることがあります︒ワンタッチ  

傘です︒開く時には片手が荷物でふさがっ  

ていても︑握力不足でも︑ボタンひと押し  

パシャツと開きます︒その名の通りワンタ  

ッチでOk︑至極簡単便利なのがワンタッ  

チ傘︒ここまで考えるなら窄める時もワン  

タッチ︑ボタンひと押しでできるようにし    ●○● 

㌧● 

●■■○  

窄める時もワンタ  

●   ●  

ツ/′  

縮   

。   

て欲しい︒   

なかには︑窄める暗もバネの力でワンタ  

ッチ式の傘はあるのですが︑腕の力がない  

とできません︒   

ワンタッチの傘はバネの力で広げている  

サロンの皆様の心あたたまる文章を読ま  

せていただき︑ものすごく感激しています︒   

私みたいな老に︑ここまで応援していた  

だき︑嬉しいやら︑責任重大やらで︑今更  

ながら選ばれたことの重たさを︑ひしひし  

と感じている今日この頃です︒  

.泣いても笑っても︑後ニケ月もないので  

すが︑先日︑自分の不注意で発熱してしま  

いました︒ヤッパリ︑年です︒体力がない  

のかなー︑なーんて情け無くなりました︒   

そして︑みんなの期待に応えられるかな  

ー︑そんなことを考えていました︒その時  

調度︑糀谷さんの﹁篤ちゃんガンバレ!﹂  

山 本 篤 江  

私の京都国体︵3︶   を読み︑どれだけ励まされたか分かりませ  んり ﹁仲間っていいな﹂柄にもなく︑オセ  ンチになってしまいました︒   

気持ち新たに︑十月に向けてがんばるつ  

もりです︒これからも︑見捨てないでくだ  

さい︒私の顔︑忘れないでください︒  

字岩魚琵小鳩吊鞋毒草れ  

﹃あっちゃん︑がんばれ!﹄  

ニッティング・サロン・去  

川 嶋 雅 恵   

山太篤江さんが︑電動車椅子の種目で国  

体に出られると聞いて︑ホッと安心したの  

は私たけでしょうか︒   

手編みの講師として︑彼女がニッティン  

グ・サロン・友という編物教室を一緒にや  

ってし 五年位になりますが︑私は彼女のた  

めにおちこむ事が多々ありました︒例えば︑  

教室内では机や他の車椅子が置いてあるた   ので︑窄める時は従来の傘よりもっと握力 が 

いるのですひ一生懸命窄めようとしても  

なかなか窄まりません︒傘の水滴はかかる  

し︑シクハックしてしまいます︒  

・・ ・・なんとかなりませんか︒  

(8)   

(9)

め︑通路は迷路の様になります︒生徒さん  

の﹁先生︑ここが分りません︒﹂と呼ぶ声  

にもスイスイと︑いとも簡単にその道を通  

り抜けて行く彼女です︒私などは︑あちら  

にぶつかり﹁あっ︑ごめん︒﹂と言い︑こ  

ちらで﹁そこの椅子 どけて!﹂と叫び︑  

生徒さん達を右往左往させ︑ドンガラガチ  

ャンと大きな書をたて︑賑やかこの上なし  

ですぐ又︑生徒さんの中には電動車椅子を  

利用しておられる方も沢山いますので︑私  

の様にあまりうまく操縦できない老がいる  

と︑交通渋滞を起してしまいます︒山本さ  

んは︑優しいので手伝って交垂理をして  

くれるのですが︑私にすれば︑どうして   こんなにうまく乗りこなせないのかと︑自  分に瓶が立つ始末︒だから︑彼女が国体へ  の出場が決った時︑彼女のために嬉しかっ  たのは勿論の事︑実を言うと私のためにも  嬉しかったのであります︒これで︑自分が  下手でも 山本さんは大阪中で選ばれた腕  前を持っているのだものと︑言訳が立つと  いうものです︒   聞くところに寄りますと︑とりわけ今度  の国体は重度障害者のための種目を初めて  取り入れたものだそうです︒今まで私達重  度障害者は︑社会からスポーツなんて関係  ないと言う感じで考えられて来た様ですが︑  どんな人でもいろんな楽しみを持ちたいの  

は︑当り前の事です︒私達でも出来るスポ   ーツの枠を広げる第一歩としても電動車椅  子使用者の代表としての山本さんに︑括躍  を期待していますぅ   

練習は辛いだろうけど︑持前のファイト  

と︑いつも皆に接する時のあの細やかな心  

使いを持って︑がんばって欲しいと思いま  

す︒出場が決ってから︑毎日の様に試合の  

練習のため︑長居のスポーツ・センターに  

通う彼女は摘楚なお嬢様から︑すっかり小  

麦色の肌のスポーツ・ギャルに変身しまし  

た︒又︑前と違った魅刀を身に着けた様で  

す︒人が何かに打込んでいる姿は美しいと  

思います︒私も来年春には︑グループホー  

ムを自分達の手で作り自立したいと考えて  

います︒そのために今年一年が私にとって  

も重要な時期なのです︒形は違っても山本  

さんに負けずに頑張りたいと思います︒   

あっちゃん︑できたら日太⊥になって私  

の言訳の種をもっと殖やして下さい︒   

当日は︑のぼりを立てて教室の皆で応援  

に行こうかと言っています︒但し本人は恥  

ずかしいから︑のぼりだけは やめてと言  

っていますが⁝︒   

あらためて心よりのエールを送ります︒   

フレー︑フレー︑あっちゃんー;・  

(9)   

(10)

﹁長居公園へでかけようー⊥  

糞H場所 揚ひこ厳か現地  

バス送迎︵リフトHき︶西田辺  

長居公園間往復︒  

会 幾 実費︵昼食代として三〇〇円︶  

申込み期日 十月一五日迄  

サロン・あべの関係の申込み先  

mOの−六九一−一〇二八富田迄  

*詳しいご袈内は︑お申込みの方々  

に再度お知らせしますひ  

ハ咽l】   公園で散策を楽しみたいと思います︒    を受講されている力々と.こ一紙に秋の長居   ヒユーロー王催のボランティア・スクール   卜月のサロンは︑あべのボランティア・  

多くの人達との出会いのqIから︑温かい  

ふれあいか生れます︒   

皆様のご参加をお待ちしていますー  

−■こ−  

日々のよろこび抹えて ≡  <サ︒ン.あの∨に 

﹁て⁝⁝⁝  

●;≡ ̄●二●  

八  お し ︸hノ せ  

峠 十月二九日︵土︶十一時〜二時  所 長居公園  容 みんなで集う交流会  

jJ■ヽ盲Jj    月のカンパ合計六〇〇〇円  

ありがとうございました︒  

「障 害 者 は 今・・・」  

日 時;10月2日(日)  

受 付;午後ユ時より   日  

開 会;午後1時30分  

場 所;大阪市立中央青年七 場  

ンター4F.   内  

TEL.06−943− 5021  

体操フェスティバル    88 0SAKA    時;10月15〜16日  

Pm.12:30・、   

所;大阪府立体育会館   

容;エアロビクス   

(中西利春さんが出場  

編 集 後 記   

物品を寄贈してくれはる人。準備を手伝   ってくれはる人。売りに来てくれはる人。  

をお願いしたところ、心よくご協力いたゞ   きました。お陰様で大成功でした。   

過去2回以上に、りっばな「バザー」に   なったひとつには、輸のひろがりがあると  

思います。ひろがった輪の中に、期せずし   て、同級生の名を見つけ、ウン十年振りに  

旧交を温めた話。会場で手渡された本紙を   みて「やっぱりあんたか!前号に載って   たンは」と話しかけられたのが、ごくごく   近所の人だった話。サロン・あべのの輸は   着実にひろがっています。   (石)   

あべのカーニバルの斬りに、伊勢村さん・  

丸山さんより差し入れをいただきました。  

又、小西さんからは、切手をいただきまし   た。ありがとうございました。  

交 通;JR又は地下鉄森の   宮駅西徒歩10分  

主 催;走ろう歌おう大運動会  

されます。ぜひご乗   場下さい。)  

前売券;1000円   後 揺;青年教室   当日券;1500円  

問い合わせ先;乾 淳一   mO727−7Z−1505  

<サロン・あべの>第27号  

発行日  昭和63年 9月17日(土)  

発行・編集<サロン・あべの>運営委員会  

[大阪市阿倍野区阪南町6−3−26   電話(06)691−1028冨田慶子]  

印 刷  セルフ社 電話(06)652−0337  

[阿倍野区阿倍野脇4−18−19]  

定 価  ¥60.  

(10)   

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