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シリアの社会構造のプレ・モダンと「アラブの春」のポスト・モダン

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シリアの社会構造のプレ・モダンと「アラブの春」のポスト・モダン

森山央朗 同志社大学神学部准教授

様々な宗派や民族が混在するシリアの在地社会では、シャイフ(長老)やアアヤーン(貴顕)

などと呼ばれる名望家が強い影響力を持ってきた。彼ら在地名望家は、経済資本と文化資本を活 用することで、民衆からの敬意を集めて彼らに対するパトロンとして振る舞い、国家権力と在地 社会を仲介することで、円滑な統治に協力した。11世紀から19世紀に至るスンナ派イスラーム政 権の支配下においては、名望家の多くがスンナ派イスラームの宗教諸学に通じたウラマー(イス ラーム宗教知識人)であった。彼らは、イスラーム法学などの知識を活用して政権に協力する一 方で、政権の後ろ盾によって、在地社会における権威と影響力を維持拡張した。政権は、批判的 な名望家を排除し、協力的な名望家≒ウラマーを、利権の供与をとおして、庇護統制することで 支配の浸透をはかった。

19世紀から20世紀前半にかけて、前近代的スンナ派イスラーム政権であったオスマン朝

(1299-1922年)の統治が動揺し、フランスの委任統治下(1920-1946年)に置かれるに至って、

スンナ派イスラームを統治理念とする政権の支配は終わった。同時に、近代的・西欧的な知識・

技術を身につけた官僚や軍人という新たなエリートが出現したことで、文化資本としてのイスラ ーム宗教諸学の価値も低下した。スンナ派名望家の一部は、近代的・西欧的・世俗的な政治家や 官僚に転身して地位の維持を図ったものの、彼らが社会的権威を寡占する状況は崩れた。

社会的権威とそれを支える知識・理念の多様化の中で、ハーフィズ・アル=アサド前大統領(在 任1971-2000年)は、アラウィー派出身のアラブ社会主義者の軍人という新興エリートとして、軍 を基盤に権力を掌握した。しかし、旧来のスンナ派名望家を一律に排除したわけではない。政権 に協力的な、あるいは、協力させるべきと目したスンナ派名望家は、ポストと利権を配分するこ とで取り込んだ。一方、政権に批判的な、あるいは、政権の利権配分に与れなかったスンナ派名 望家は、反体制運動に参加し、アサド政権に対抗した。しかし、アサド政権の弾圧に直面して、

その多くが海外への逃亡を強いられ、在地社会と切り離されたことで、名望家としての影響力を 失った。

国民の国家への直接的な参加意識と制度に担保された非人格的統治を近代国家のモデルとす るならば、軍などの暴力装置を掌握する権力が、在地名望家の懐柔と排除によって統治を行うア サド政権の支配構造は、近代的というより、前近代のイスラーム政権の統治手法に類似する。2011

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年3月までのシリアは、名望家を懐柔/排除するアサド政権の権威主義的統治の下で、前近代的 な社会構造を温存してきたと言えるのである。

前近代的な性格を引きずるシリアの社会と名望家は、「アラブの春」というポスト・モダンな 状況に投げ込まれることとなった。「アラブの春」をポスト・モダンとする含意は、つとに指摘 されているとおり、ネットや携帯電話、国際衛星放送などをとおして、明確なイデオロギーや指 導者がいないまま進行する「革命」が、ロシア革命に代表される近代的な革命とは異なることと、

そうした「革命」が、近代的な国民国家の枠組みを超えて結びついていることである。

元来、在地名望家は、在地性によって影響力を発揮し、その影響力の基盤となる権威は、在地 社会の外部にある支配権力と繋がることで形成された。自ら強力な暴力装置や統治機構を持たな い名望家は、それらを持つ権力の後ろ盾があって社会的な影響力を行使し得たのである。したが って、政権によって排除され、在地社会と切り離された名望家は、もはや名望家として機能でき ないはずであった。ところが、ネットや携帯電話、国際衛星放送は、シリア国外から国内の社会 に影響を及ぼすことを可能にした。同時に、それらのメディアは、国際社会に訴え、国際世論の 後ろ盾を得ることを可能にした。

しかし、ヴァーチャルな回路を通して回復された名望家の影響力は中途半端であり、シリア国 内の現実を制御し、アサド政権のリアルな暴力に十分に対抗する力とはならなかった。そして、

シリア国内での暴力の応酬が甚大な被害をもたらし、「過激イスラーム主義」武装集団という別 のポスト・モダンな要素が参入したことで、反体制運動に参加する名望家が後ろ盾としてきた国 際世論のアサド政権非難も弱まりつつある。

こうした状況の推移に、多大な犠牲を強いられてきたシリア国内に暮らす普通の人々の意向が 十分に反映されてきたとは言い難い。フェイス・ブックなどには、シリア国内の様々な人々の様々 な声があげられているが、それらがまとまって「国民的」な意思とはなっていない。その原因の 一つは、アサド政権下で、大衆運動や大衆政党、実質的な自由選挙といった、「国民」なるもの の意思を代表する近代的で非人格的な装置が構成されてこなかったことに求められる。とはいえ、

アサド政権の軍・治安部隊と、在地の反体制武装勢力と、外来の「過激イスラーム主義」武装集 団が戦闘を繰り返す現状を打開し、権威主義体制の強化を防ぎつつ、シリア社会の安定を回復す るためには、実際にシリア国内で暮らしてきた人々の多くが納得できる枠組みでの合意が不可欠 である。この点において、名望家たちは、その影響力が中途半端で合意を阻む要素も併せ持つも のの、シリア各地の住民の意向をとりまとめ得る存在でもある。そのため、彼らの活動と影響力 の変化が、シリアの社会構造に与える影響を分析することは、シリアの「近代化」と「民主化」

が前進するのか、あるいは、敗北と蹉跌の歴史を繰り返すのかを見通す上で、重要な視座を提供 すると考えられるのである。

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