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化学と生物 Vol. 55, No. 8, 2017
スピノシン A の全合成
新たなスピノシン系殺虫剤の創製に向けて
スピノシンA(図1)は放線菌の一種である より単離・構造決定された化合物で ある(1).その生物活性として昆虫の神経伝達系における ニコチン性アセチルコリン受容体およびGABA受容体 に作用することが知られており,昆虫を異常興奮状態に 陥れ,死に至らしめる効果をもつ(2).一方,ヒトへの毒 性は低く,かつ光によって分解を受ける特性がある(3). このことから,スピノシンAおよび類縁化合物である スピノシンDの混合物は,マクロライド系殺虫剤「スピ ノサド」として本邦でも用いられている.しかしなが ら,近年になって交差耐性が確認され,次世代のスピノ シン系殺虫剤の開発が期待されている(4).
新規スピノシン系殺虫剤の開発のために,多様な類縁 体の合成を可能にする柔軟かつ簡便な化学合成法の確立 は有望な手段となる.これまでにスピノシンAは,3例
の全合成(5〜9)と1例の化学反応と酵素反応を組み合わせ
た合成(10)が報告されている.しかしながら,これまで の合成は工程数が長く簡便さに欠け,類縁体合成に不向 きであった.スピノシンAは,三環性の炭素骨格(5‒
6‒5縮環構造)に12員環マクロラクトン環が縮環した中 心骨格をもち,2種の糖とそれぞれグリコシド結合でつ ながっている.合成においては,この中心骨格をいかに 効 率 的 に 組 み 上 げ る か が 鍵 と な る.今 回Daiら は,
Heck反応,カルボニル化反応,マクロラクトン化反応 を一挙に行うタンデム反応を鍵反応として用いてこの中 心骨格を効率的に構築し,これまでの合成に比べてより 短工程かつ収束性の高いスピノシンAの全合成を達成 したので紹介する(11).
彼らはまず,単純な基質である1を用いて,タンデム 反応を含む中心骨格の構築に関する初期検討を行った
(図2). -ヨードコハク酸イミド(NIS)存在下,一価 の金触媒と銀触媒を作用させることで,プロパルギルエ ステルの転位とヨウ素化を行い,目的とするヨードエノ ン2を61%の収率で得ることに成功した(12).つづいて鍵 となるタンデム反応の検討を一酸化炭素雰囲気下,酢酸 パラジウムを作用させることで行った.その結果,新た に5員環および12員環マクロラクトン環の形成を行うこ とに成功し,目的とする化合物3を58%の収率で得た.
この反応は,まず反応系中にて還元され0価となった Pd種に対し,炭素‒ヨウ素結合が酸化的付加した後,近 傍のオレフィンおよび一酸化炭素が順次挿入し,最後に 分子内の水酸基と反応しラクトンを形成することで進行 している.彼らはこの結果をもとにスピノシンAの全 合成研究を開始した.
各々数段階にてジブロモアルケン4とアルデヒド6を 合成した(図3).これらのユニットの連結には,Co- rey‒Fuchsアルキン合成が用いられた.ジブロモアルケ ン4よりアセチリド5が生じ,アルデヒド6と反応する ことでプロパルギルアルコキシド7が生成する.その 後,このアルコキシドイオンを無水酢酸で捕捉すること で,プロパルギルエステル8を合成した.次にセレニド のセレノキシドへの酸化を経る脱離反応により末端オレ フィンを形成し(8→9),プロパルギルエステルの転位 反応を試みた.しかしながら,近傍にある末端オレフィ ンが反応へと関与し,初期検討では見られなかったシク ロプロパン環の形成が進行してしまい(9→10),目的と するヨードエノン11はほとんど得られなかった.そこ で末端オレフィン形成の前段階において,プロパルギル エステルの転位反応を行うこととした.
プロパルギルエステル8を基質として用いた膨大な検 討の結果,同一反応系内で,プロパルギルエステルの転 位反応に付随して,セレニドの酸化を経由する脱離反応 と脱TBS化をも行う反応条件の確立に成功し,目的と するヨードエノン11を58%の収率で得た.この成功の 鍵となったのは銀塩とNISの当量比である.銀塩の当量 がNISよりも少ないと反応系が複雑化し,目的の転位成 績体はほとんど得られないようである.つづくヨードエ
図1■スピノシンAおよびDの構造
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524 化学と生物 Vol. 55, No. 8, 2017 図2■単純な基質を用いた中心骨格構築の初期検討
図3■スピノシンAの合成
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ノン11を用いたタンデム反応は,酢酸パラジウム存在
下,リガンドとして(2-furyl)3Pを,一酸化炭素を3気 圧で作用させることにより進行し(11→12),スピノシ ンAの中心骨格の構築に成功した.
最後に,保護された2つの水酸基に対して,それぞれ 脱保護およびグリコシル化を適用することで,糖ユニッ トの導入を行った.
α
-トリ- -メチル-ラムノースの導入 にはSchmidt法を用い(12→13),つづいてβ
-D-ホロサ ミンの導入には,近年Yuらによって開発された手法(13) を用いて行った.これにより,スピノシンAの合成に 成功した.今回Daiらは殺虫成分であるスピノシンAを,これま での合成と比較し最も短工程にて全合成を達成した.短 工程化を可能としたのは,鍵となるHeck反応,カルボ ニル化反応,そしてマクロラクトン化反応を一挙に行う タンデム反応の成功にほかならない.さらに本合成は,
二環性のアルデヒドとジブロモアルケンの2つのユニッ トから僅か3工程にて中心骨格の構築を行い,その後2 つの糖ユニットを選択的に導入するのみでスピノシンA へと至ることができ,収束性が非常に高い.つまりあら かじめ多様なユニットを合成しておけば,それらを組み 合わせることで簡便に構造類縁体の創製を行えるだろ う.本合成が,交差耐性の問題を解決する新規スピノシ ン系殺虫剤開発の基盤となることを期待する.
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13) Y. Zhu & B. Yu: , 21, 8771 (2015).
(上田喬介,横島 聡,名古屋大学大学院創薬科学研究 科)
プロフィール
上田 喬介(Kyosuke UEDA)
<略歴>2014年明治薬科大学薬学部生命 創薬科学科卒業/2016年名古屋大学大学 院創薬科学研究科修士課程修了/同大大学 院創薬科学研究科博士後期課程進学,現在 に至る<研究テーマと抱負>大環状ジアミ ンアルカロイドの全合成研究<趣味>テニ ス,映画鑑賞
横 島 聡(Satoshi YOKOSHIMA)
<略歴>1997年東京大学薬学部製薬科学 科卒業/2002年同大学大学院薬学系研究 科博士課程修了/三菱ウェルファーマ株式 会社研究員/2004年東京大学大学院薬学 系研究科助手(2007年助教)/2008年同大 学院講師/2011年同大学院准教授/2012 年名古屋大学大学院創薬科学研究科准教 授/2017年 同 大 学 院 教 授,現 在 に 至 る
<研究テーマと抱負>有機合成化学,天然 物合成化学<趣味>音楽<所属研究室ホー ムページ>http://www.ps.nagoya-u.ac.jp/
lab̲pages/natural̲products/index.html
Copyright © 2017 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.55.523
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