【解説】
正常および病態の網羅的マイクロアレイ解析やプロテオーム 解 析 が 進 み,多 数 の 疾 患 関 連 遺 伝 子 や タ ン パ ク 質 が 抽 出 さ れ,その細胞内機能や病態との関連が遺伝子改変マウスなど を用い盛んに研究されようとしている.しかし,その網羅的 解析によって抽出される遺伝子・タンパク質の数は膨大であ り,創薬・診断研究の現場では,動物個体を使用した前臨床 研究におけるコストと時間のパフォーマンスの増大のため,
リード化合物のスクリーニングやその副作用・作用機序研究 における 「細胞アッセイ」 の重要性はますます増大してきて いる.しかし,現行の細胞アッセイの多くは「正常細胞」を 使用したものであり,「病態環境」における細胞機能のかく 乱 の 分 子 解 析 や,病 態 状 態 を 示 す 細 胞 を 利 用 し た 創 薬 ス ク リーニングを実践することが難しいのが現状である.本総説 では,この 「病態環境」 を再現した細胞アッセイ系として, セミインタクト細胞リシール法を用いて作製した 「病態モデ ル細胞」 とその利用法を紹介するとともに,この誕生したば かりのツールの利点と,その克服すべき問題点と今後の展望 について概説する.
セミインタクト細胞アッセイの発展系としてのリ シール法について
セミインタクト細胞とは,連鎖球菌の酵素感受性毒素 ストレプトリシン O (SLO) を形質膜に作用させること により,形質膜を部分的に透過性にした細胞である(図
1
).この細胞系では,オルガネラや細胞骨格の構造や機
能およびそれらの相対的空間配置はほぼインタクトに保 持したまま,元の細胞質を流出させて他の細胞や臓器か ら調製した細胞質と「交換」することができるため,細 胞を1個の試験管に見立てて,添加した細胞質(+ATP再生系)に依存的な細胞内のイベントを光学顕微 鏡下で分析的に再構成し解析することができる.例え ば,セミインタクト正常細胞に病態細胞・組織より調製 した「病態細胞質」を導入することにより,セミインタ クト細胞内を病態環境にして,その中で生起する 「病態 環境でのタンパク質・脂質・遺伝子(mRNAも)の動 態」 を解析できる.われわれはこれまでにこのセミイン タクト細胞技術とGFP可視化技術をカップルさせた 様々な可視化アッセイを構築して,光学顕微鏡下の 「単 一細胞内」 で生起する小胞輸送過程や細胞周期依存的な 小胞体,ゴルジ体などのオルガネラ形態変化に関わる制
セミインタクト細胞リシール法を用いた
「病態モデル細胞」作製とその疾患研究への応用
村田昌之,加納ふみ
Establishment of “Disease Model Cells” Based on Semi-intact Cell-resealing Technique and Its Application for Analyzing Pathogenic Intracellular Events
Masayuki MURATA, Fumi KANO, 東京大学大学院総合文化研究 科・生命環境科学系
御 因 子 の 同 定 と そ の 機 能 解 析 を 行 っ て き た(加 納 ら(1〜8))
.
このセミインタクト細胞アッセイには多くの特長があ る.たとえば,セミインタクト細胞アッセイ法では,特 定の時間や状態の細胞から細胞質を調製し,セミインタ クト細胞内に導入して生理反応を「同期して」解析でき るため, / 比の高い状態で生理現象の時空間動態解析 を達成できる.また,光学顕微鏡下での単一細胞レベル で生命現象の可視化解析が可能となるため,協奏的に起 こる生命反応を,形態的にいくつかの素過程に分割しな がら,それぞれの素過程に必要な因子を生化学的手法で 同定できる.つまり,協奏的に起こる細胞内反応を形態 的に,生化学的に素過程に分割して解析し理解できる.
また,添加する細胞質とともに膜不透過性の低分子化合 物や抗体・恒常的活性化(不活化)機能をもったリコン ビナントタンパク質を導入することによって,導入した 化合物・抗体・タンパク質因子の生命反応への効果を解 析することはもちろん,反対に,特定のタンパク質に対 する抗体を用いてから特定のタンパク質だけを免疫除去 した細胞質を調製し,それを添加することにより免疫除 去タンパク質の効果を解析することも可能である.
しかし,このセミインタクト細胞アッセイ系にはその 構築原理に基づく大きな弱点があった.それは,形質膜 上のSLOが作る孔のため,形質膜上の各種膜受容体を 介した細胞外情報伝達分子(EGFなど)の細胞質・核 内への情報伝達系の解析や,形質膜付近で繰り広げられ る膜輸送(エンドサイトーシス,膜のリサイクリングな
ど)過程の解析に不安が残る点などである.
本総説で紹介するリシール法(再封入法)は,セミイ ンタクト細胞にした際に生じる形質膜上の孔を再封入す る(閉じる)ことにより上記のセミインタクト細胞アッ セイの弱点を補う方法として開発されたものである(図 1)
.さらに,セミインタクト細胞に,病態モデル個体や
ヒト患部から採取した病態細胞質を導入した後,リシー ルすることにより,「病態環境」をミミックした病態モ デル細胞を構築できる.そして,今までセミインタクト 細胞アッセイで再現が困難であった様々なタンパク質動 態やそれを制御するタンパク質ネットワーク解析が可能 になると期待できるばかりか,導入した細胞質により核 内における遺伝子のエピジェネティクスや転写制御機能 の改変を誘起させられれば新規の細胞形質転換法にもな りうる可能性がある.リシール細胞作製の最適条件について
まず,「病態モデル細胞」 作製のための,様々な細胞 のリシール条件の最適化を行った.最適化の指標の一つ は,より高いリシール効率(80 〜 90%以上)とした.
その結果,セミインタクト細胞作製時の形質膜のダメー ジの大きさ,細胞骨格の正常性がリシール細胞作製効率 に大きく影響することがわかった.また,リシール時の カルシウムイオンやリシール時に添加する細胞質濃度に も強く依存した.SLOによる穿孔のリシールは,SLO でできた穴のendocytosisよる形質膜からの除去(Idone 図1■セミインタクト細胞リシール法を利用した「病態モデル細胞」創製の概念図
ら(9))
,あるいはectocytosisによるSLOを含むブレブの
細胞外への脱落(Keyelら(10))によることが報告されて いる.これらendocytosisやectocytosisの膜動過程には アクチンフィラメントや微小管とそれに結合するモー タータンパク質の制御が必要不可欠と考えられることか ら,リシール効率を高めるためには,セミインタクト細 胞作製時の微小管やアクチンフィラメントのintegrity の保持方法が重要な決め手であると考えられる.ちなみ に,このような考慮の元に最適化されたリシール条件 は,HeLa細胞では,>0.1 mg/mL細胞質と1 mm CaCl2存在下で32˚C,5分間インキュベーションすることで あった.
また,蛍光標識した生体分子やデキストランを用いた セミインタクト細胞への導入分子の大きさの解析やリ シール後の導入物質の保持状態の解析から,カルシウム によるリシールが少なくとも3分以内の非常に短時間で 完了すること,推定されているSLOの孔の直径からは 推定できないほど大きな分子(2,000 kDaの蛍光標識デ キストランなど)が通過でき,かつ,リシール後にそれ ら分子が不可逆的にリシール細胞に保持されること,な どもわかった.
リシール細胞の細胞内構造・ストレス負荷状態・機 能の検定
リシール操作は,短時間ではあるが0.5 〜1.0 mmのカ ルシウムイオンにセミインタクト細胞がさらされること や形質膜の穿孔が伴うため,様々な細胞内情報伝達ネッ トワーク,オルガネラ形態や細胞のストレス状態に影響 を与えると予想される.そこで,リシール細胞のストレ ス負荷状態を調べた.細胞ストレス負荷により,細胞内 ではストレスの種類依存的なキナーゼが活性化され,翻 訳制御因子eIF2のリン酸化を介したタンパク質新生の 阻害やストレスグラニュールなどを介した翻訳阻害,同 時にストレス応答タンパク質群の転写などが誘起され る.本研究では,ストレス応答の初期応答キナーゼの活 性化を解析することにより,リシール操作自体によるス トレス負荷状態を解析した.対象としては,病態細胞で 特に注目されている酸化ストレス負荷時に上昇する JNK,p38キナーゼ(Kimら(11))の活性化状態を検討し た.その結果,JNKに対してはその活性上昇はほとん ど見られず,p38に関しては一過性の上昇は観察される が,リシール後30分のインキュベーションにより完全 ではないものの沈静化されることがわかった.この残留 するp38の活性化は,正常モデル細胞,病態モデル細胞 にともに観察される現象であり,このp38の活性化の完
全な抑制法を検討するとともに,この微弱なp38活性化 が検出する「正常」と「病態」モデル細胞の生命現象の
「差異」にどの程度影響するかは留意して実験結果を考 察する必要がある.
次にリシール細胞内の構造的・機能的安定性を調べ た.まず,ミトコンドリア(後述)を除く各種オルガネ ラや細胞骨格の形態はほぼ生細胞のそれと大きく変化が ないことを確認できた.次に,(正常)細胞質を導入し たリシール細胞において,解析対象となる生命現象が正 しく解析できるかどうかを検証することが必要である.
今までに,トランスフェリン/トランスフェリン受容体 複合体のリサイクリング過程,コレラ毒素のエンドソー ム→ゴルジ体間逆行輸送過程,EGF/EGF受容体複合体 のEGF依存的なリソソーム分解(受容体のダウンレ ギュレーション)など,をリシール細胞で再構成するこ とができている.興味深いことに,リシール操作を経て いるにもかかわらず,これらの膜輸送過程のキネティッ クスは生細胞のそれらとほとんど変わらず起こった.こ れらの初期エンドソームを介した膜動過程は,被覆小胞 やラフト構造を介した受容体媒介エンドサイトーシスの 基本素過程を全て含むため,その正常性を確認できたと いうことは,リシール細胞においてその膜動態関連制御 分子群の減少・活性低下や上記で問題にしていたリシー ル操作に伴う様々な細胞ストレスは,今後のそれら膜動 過程解析には大きな影響がないことを示唆している.
高脂血症病態モデル細胞の作製とその解析
次に,病態モデル細胞の作製とその解析を目的として 以下の実験例を紹介する.ここでは,病態としては高脂 血症病態を標的とした.まず,高脂血症モデルマウスと そのコントロール(正常)マウスとして,それぞれ ApoEノックアウトマウスおよびwild typeマウスを用 意し,それらの肝臓細胞質を調製しそれぞれApoE細胞 質とWT細胞質とした.ApoE (−/−) deficientマウス は,アルツハイマー病や高脂血症のモデルマウスとして その疾患研究に利用されている.それら細胞質を導入し たリシールHeLa細胞を,それぞれ「ApoEモデル細胞」
(病態モデル細胞)および「WTモデル細胞」(正常モデ ル細胞)とした.本病態モデル細胞の解析においても重 要なことは,「病態モデル細胞」 内で検出できる様々な 生命反応を,いつも 「正常モデル細胞」 のそれを対照と して,その差異を指標に解析を進める点にある(図
2
).
この方針で解析を進めることは,上記までの項目で議論 してきた 「リシール操作」 自身によって現れる様々な細胞のストレス応答,細胞内構造や機能の微妙な変化は,
「正常モデル細胞」 と 「病態モデル細胞」 における生命 反応の差異に注目する限りは相殺されるべきものであ り,逆にこの解析で得られる 「差異」 は,リシール細胞 に導入した正常と病態細胞質のコンポーネントまたはそ れらが作る細胞内環境の差異に起因するものである可能 性が高いと判断できるからである.
本研究ではWT細胞質とApoE細胞質の細胞内での振 る舞いの違いを検証することで,高脂血症病態細胞質依 存的に誘起される様々な細胞内現象の検出を行った.ま ず,細胞形質膜上の受容体型チロシンキナーゼである EGF受容体を介する細胞内シグナル伝達系に注目した.
EGF結合によるEGF受容体の活性化により,細胞質内 では様々なキナーゼカスケードが活性化されることが知 られている.そのうちの一つはRas-MAPK経路,もう 一つは,PI3K-Akt経路である(図
3
).それぞれの経路
の活性化を測定するため,Ras-MAPK経路の活性化に おいてはp42/p44 MAPKのリン酸化を,PI3K-Akt経路 の活性化はAktのリン酸化をそれぞれのリン酸化タン パク質を特異的に認識する抗体を用いた蛍光抗体法によ り検出した.この場合,リシール時に用いた細胞質には TRITC標識デキストランが混入してあるため,リシール細胞のみが赤色に染色され,その染色された細胞にお ける(リシール細胞における)p42/44 MAPKやAktの リン酸化状態を定量的に計測した.その結果,Ras- MAPK経路においては,EGFで刺激したWTリシール 細胞とApoEリシール細胞ともに,同じキネティックス をもった一過性のMAPKリン酸化が観察された(図 3A)
.しかし,PI3K-Akt経路に関しては,WTリシー
ル細胞では,刺激後10分という早い時間に生細胞と同 じキネティックスをもったAktのリン酸化が観察され たが,ApoEリシール細胞ではそれが観察されず,刺激 後30分たっても活性化はほとんど見られなかった(図 3B, C).この結果は,ApoE細胞質(高脂血症病態の細
胞質環境下)では,PI3K-Akt経路のシグナル伝達系が 選択的に撹乱されていることを示唆する.EGF刺激によるPI3K-Aktシグナル伝達経路の活性化 は,細胞増殖,移動,浸潤などの生命現象に深く関わっ ている.われわれは,特に,Aktの抗アポトーシス作用
(Frankeら(12))に注目した.実際,細胞内のAktのリ ン酸化(活性化)がアポトーシス誘導に対して阻害的に 働くという多くの報告がある.そこで,両リシール細胞 を用いて,UV照射と飢餓によるアポトーシス誘導を行 い,アポトーシスに対する脆弱性を比較した.図
4
で 図2■病態モデル細胞を用いた細胞機能(可視化)解析と病態改善・進行化合物(因子)のスクリーニングシステムは,リシール細胞が緑色蛍光(細胞質とともに導入され たFITCデキストランによる)
,アポトーシス細胞は
TUNEL染色による赤色蛍光が観察されている.その結 果,アポトーシス刺激後2時間では,ApoEリシール細胞ではWTリシール細胞に比べ約2倍の確率でアポトー シスが誘導されていることがわかった.これは,ApoE リシール細胞がアポトーシスに対して脆弱性をもつこと を強く示唆している.
図4■正常・病態モデル細胞のアポトーシス耐性の解析
HeLa細胞を用いて作製した正常モデル細胞(WTリシール細胞)と病態モデル細胞(ApoEリシール細胞)に対し,UV照射と飢餓による アポトーシスを誘導した.誘導直後 (0),誘導後1または2時間のサンプルに対してTUNEL染色法(左写真で赤色蛍光を発する細胞)に よりアポトーシス細胞の割合を計測した(右グラフ).その結果,アポトーシス誘導2時間後では,WTリシール細胞に比較して,ApoEリ シール細胞のアポトーシスの程度が約2倍となることがわかった.このことは,耐性が脆弱化していることを意味する.左写真の緑色蛍光 はFITCデキストランを細胞質とともに導入されたリシール細胞を示す.
図3■正常・病態モデル細胞を用い たEGF受容体下流のシグナル伝達 経路の解析
HeLa細胞を用いて作製した正常モデ ル細胞(WTリシール細胞)と病態 モデル細胞(ApoEリシール細胞)に おいて,EGF刺激後の2種類のシグ ナ ル 伝 達 経 路(Ras-MAPK経 路,
PI3K-Akt経路)の活性化状態を調べ た.その結果,ApoEリシール細胞で はPI3K-Aktシグナル経路が選択的に 阻害されていた.それぞれの経路の 活性化状態は,p42/p44 MAPKのリ ン 酸 化(Ras-MAPK経 路) とAktの リン酸化(PI3K-Akt経路)をそれぞ れの抗リン酸化抗体による蛍光抗体 法により調べた.
実際に,ApoE細胞質が細胞のミトコンドリアを介し たアポトーシス誘導に影響を及ぼすと予想される実験結 果が,同じく当研究室で構築した「リシール細胞を用い たミトコンドリア形態と機能アッセイ系」を用いて得ら れている.本アッセイ系は,ミトコンドリアの外膜タン パク質 (Tom5) のGFP融合タンパク質を恒常的に発現 するCHO細胞株(CHO-Tom5/GFP)を用いて行われ た.まず,長さ5 〜 7
μ
mという短めの長さが揃ったミ トコンドリアをもち,かつ,細胞質が広く薄く広がり細 胞質中のミトコンドリアが形態的に観察しやすいCHO- Tom5/GFPのクローンを選別し株化した.その細胞株 をセミインタクト細胞にした後,WT細胞質または ApoE細胞質を導入してリシールする.セミインタクト 細胞化またはリシールした直後,ミトコンドリアは丸く 膨潤するが30分間37℃のCO2インキュベーター内で培 養することで元の形状に復元する.WTおよびApoEリ シール細胞をさらに60分CO2インキュベーター内で培 養して,その後,ミトコンドリア形態が変化しない条件 で細胞を固定し,ミトコンドリア画像を多数取得する.取得した画像よりミトコンドリア長を計測しヒストグラ
ムを作成してWTおよびApoEリシール細胞のミトコン ドリア形態を比較した.図
5
に示すように,WTリシー ル細胞のミトコンドリア長やその細胞内分布状態は生細 胞のそれとほとんど変わらなかったが,ApoEリシール 細胞では明らかにミトコンドリア長の伸長と膨潤が観察 された(細胞内分布も若干核周縁への集積が見られた).
また,TMRMにより,ミトコンドリア膜電位を測定し たところ,WTリシール細胞に比べApoEリシール細胞 のそれは有意に低下していることがわかった.また,興 味深いことに,各種EGF受容体キナーゼの阻害剤,PI3Kの阻害剤,Aktの阻害剤を作用させたCHO-Tom5/
GFPでは,ApoEリシール細胞のミトコンドリアと酷似 した形態的特徴を示すこともわかった.また多くのコン トロール実験より,これらのミトコンドリア形態に関す る差は,導入した細胞質の差であることもわかった.以 上のことより,ApoE細胞質環境では,ミトコンドリア の形態やおそらく機能的にも何らかの撹乱が起こってい ること,それにはPI3K-Akt経路の撹乱が起因している ことが強く示唆された.
以上の結果より,ApoEリシール細胞におけるアポ 図5■正常・病態モデル細胞のミトコンドリアの形態変化
CHO-Tom5/GFP細胞を用いて作製した正常モデル細胞(WTリシール細胞)と病態モデル細胞(ApoEリシール細胞)において,ミトコ ンドリアの形態を共焦点レーザー顕微鏡により観察した.その結果,WTリシール細胞と比較して,ApoEリシール細胞のミトコンドリア 長は長く,膨潤していることが観察され(左はGFP蛍光写真,右はその長さのヒストグラム),膜電位も低下していた.
トーシス耐性の脆弱化は,細胞のアポトーシス活性発現 に中心的役割を担うミトコンドリア機能低下が一因と なっていることが予想された.最近,ミトコンドリアか らのアポトーシス誘導因子・チトクロム の細胞質への 遊離に関与する2種類のチャネル(PTPチャネルと Bax/Bak関連チャネル)が報告されており,それらが 間接的にではあるがAktのリン酸化によって制御され ていること(Rasolaら(13))などから,ApoEリシール細 胞では,ミトコンドリア依存的なアポトーシスに対する 脆弱性が誘起されており,それがApoE欠損マウスの作 る様々な病態に関わっている可能性を示す結果となっ た.さらに,これらの結果を基にWTとApoE細胞質を 生化学的に比較検討することで,Akt活性化の制御因子 候補を同定し現在その検証を行っている.この様に,セ ミインタクト細胞リシール法を用いる利点は,導入した 細胞質の差分を解析することで,ターゲットとしている 生命現象の制御因子を2次元電気泳動法によるタンパク 質発現変動情報,遺伝子発現変動情報,バイオインフォ マティックス技術などを駆使して絞り込み,そして同じ 実験系で検証することができることである.
今後の展望
最近,セミインタクト細胞リシール法を用いて様々な タンパク質(プローブ)を封入したリシール細胞が作成 され,in-cell NMRの手法を用い細胞内環境でのthymo- sin
β
4タンパク質のアセチル化の検出を行ったり(Ogi- noら(14)),ES細胞質の導入によるiPS細胞の作製技術
として使用されている(Changら(15), Tarangerら(16)).
とくに後者は,ゲノムインテグレーションがない安全な iPS細胞作成を目的としたたいへん興味深いリシール法 の応用の一つである.筆者らもリコンビナントタンパク 質や細胞質を組み合わせて,リシール細胞に導入するこ とで様々な形質転換細胞作製プロジェクトを精力的に進 めている.このように,今までのリシール細胞技術の利 用は,むしろ特定の物質を「細胞内に導入する」ことが 重要なタスクフォースであった.そのため,リシール操 作自体が与えるリシール細胞の生理状態の詳細な解析は 必ずしも十分になされていないのが現状である.筆者ら が目指す「病態モデル細胞」を用いた疾患研究には,む しろ,「正常や病態モデル細胞」 内で,病態発現に関わ る様々な生命現象を,導入した「細胞質依存的に(可視 化)再構成する」ことが必要になってくる.このような 分析的再構成には,導入した細胞質に依存的な多様な生 命現象の再構成技術はもとより,導入された細胞質の寿命,導入細胞質タンパク質がリシール細胞固有の核が作 る新生タンパク質に置換される割合やタイムコース,な どリシール細胞内の多様なタンパク質や遺伝子の発現変 動情報も必要である.しかも,これらの情報を,解析の 対象となる疾患や細胞質・細胞ごとに整備せねばならな い.そのためには,リシールした少数個の細胞を試料と したマイクロアレイ解析,プロテオーム解析,エピゲノ ム解析,メタボローム解析などの網羅的解析手法とその 膨大なデータを統合・解析し,病態モデル細胞を使った 再構成実験にフィードバックするための様々な周辺解析 技術が必要不可欠となってくると思われる.現在筆者ら は,様々な共同研究を通し,これらのリシール細胞の性 状解析のための基盤技術を整備しているところである.
一方,それと並行しながら,とにかく「正常」と「病 態」モデル細胞の「差異」を利用して病態進行・改善因 子をスクリーニングしようという試みも行われている.
それは,リシール細胞の大量作製とそのチップ化のため の自動化装置の開発である.性能の一定したこれらリ シール細胞がチップ化できれば,たとえば,ApoEリ シール細胞に様々な低分子ライブラリーを作用させ,そ のミトコンドリア形態の正常化(WTリシール細胞型へ の変化)やPI3K-Akt経路の正常化などを指標に,高脂 血症やアルツハイマー病などの細胞病態を改善するリー ド化合物や細胞外因子のハイスループットスクリーニン グにも十分応用可能となると思われる.
最後に,今までのリシール細胞研究を通して気づいた 重要な知見を述べておこうと思う.リシール細胞技術 は,セミインタクト細胞系の「発展型」と位置づけてき たが,実は,リシールによりセミインタクト細胞がまさ しく生きた細胞になることで,多様な細胞内シグナル伝 達系が急激に「再駆動」し始める.このため,リシール 細胞に導入された「細胞質」の効果が撹乱されてしま い,解析対象によっては「細胞型試験管である」(穿孔 状態のままの)セミインタクト細胞系のまま解析に用い ることが重宝な場合もある.細胞内ネットワーク解析 ツールとしての「セミインタクト細胞系」とその「リ シール細胞系」は,その利用法によって巧みに使い分け る「技巧」が重要であるらしい.
文献
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佐 藤 美 由 紀(Miyuki Sato) <略 歴> 1994年東京大学理学部卒業/ 1999年同大 学大学院理学系研究科生物科学専攻博士課 程修了(理博)/1999年理化学研究所基礎 科学特別研究員/ 2002年米国ラトガーズ 大学博士研究員/ 2005年日本学術振興会 特別研究員 (PD)/2008年群馬大学特任講 師などを経て,2010年同大学生体調節研 究所細胞構造分野助教,現在にいたる<研 究テーマと抱負>発生においてメンブレン トラッフィックが果たす生理的役割を解明 したい<趣味>子供と遊ぶこと
佐 藤 健(Ken Sato) <略歴>1992年 九州大学理学部卒業/ 1997年東京大学理 学系研究科生物科学専攻博士課程修了.博 士(理学)/1997年日本学術振興会特別研 究員 (PD)/1998年理化学研究所研究員/
2002年米ラトガーズ大学訪問研究員/
2004年群馬大学助教授などを経て2010年2 月より群馬大学生体調節研究所細胞構造分 野教授,現在にいたる<研究テーマと抱 負>受精,個体発生における細胞内物質輸 送の高次機能の解析.広い視野をもって新 たな生命現象の発見,解明をしたいと思っ
ています<趣味>子育て,スポーツ観戦,
読書.
柴 田 綾(Aya Shibata) <略 歴> 2002年岐阜大学工学部生命工学科卒業/
2007年岐阜大学工学研究科物質工学専攻 博士課程後期課程修了/ 2007年理化学研 究所協力研究員/ 2010年同基礎科学特別 研究員,現在にいたる<研究テーマと抱 負>有機化学を基礎とした核酸化学研究,
特に細胞内での核酸の挙動に興味を持って いる.<趣味>寺巡り
菖蒲池健夫(Takeo Shobuike) <略歴>
1991年東京大学薬学部製薬化学科卒業/
1996年同大学大学院薬学系研究科生命薬 学専攻博士課程修了(薬博),以後,同大 学医科学研究所,国立がんセンター研究所 を経て,2001年佐賀医科大学(現佐賀大 学医学部)助教,現在にいたる<研究テー マと抱負>マクロファージの分子生物学<
趣味>のんびりすごすこと
常 田 聡(Satoshi Tsuneda) <略歴>
1989年東京大学工学部化学工学科卒業/
1994年同大学大学院工学系研究科化学生 命工学専攻博士課程修了/1995年理化学 研究所基礎科学特別研究員/1996年早稲 田大学理工学部専任講師/1999年同助教 授/ 2007年同大学理工学術院教授,現在 にいたる<研究テーマと抱負>単一および 複合状態で発揮される微生物細胞や動物細 胞の機能を分子レベルで解明し,医療・環 境分野へ応用する実学的研究に取り組んで いる<趣味>読書,映画鑑賞,宴会 沼 田 倫 征(Tomoyuki Numata) <略 歴>2003年九州大学大学院生物資源環境 科学府博士課程修了/同年日本学術振興会 特別研究員PD/2004年東京工業大学大学 院生命理工学研究科博士研究員/2005年 同研究科特任助手/2006年科学技術振興 機構さきがけ研究員/2007年産業技術総 合研究所生物機能工学研究部門研究員/
2010年同研究所バイオメディカル研究部 門研究員,現在にいたる.<研究テーマと 抱負>生体高分子複合体の構造機能解析を 通して,RNAとタンパク質から成る分子 装置の作動原理を明らかにしたい.