228 化学と生物 Vol. 54, No. 4, 2016
ヒドラジン類縁化合物の微生物代謝
明らかとなった新規分解機構
ヒドラジン(H2N‒NH2)とその誘導体は,有機合成 化学の分野において,還元剤や求核剤などとして利用さ れる工業的に重要な化合物群である.ヒドラジン誘導体 のうち,ヒドラジンがカルボン酸と脱水縮合した構造
(R1C(=O)‒N(R2)‒NR3R4)をもつものをヒドラジドと 呼び,反応性の高い未修飾の‒NH2基がカルボニル基と 反応し生成する化合物(R1R2C=N‒NR3R4)をヒドラゾ ンと呼ぶ.これらは,抗結核薬のイソニアジドや,植物 成長調整剤のマレイン酸ヒドラジドに代表されるよう に,医薬品,農薬,塗料,接着剤やその原料として,
人々の生活に密着した分野で利用されている.一方,自 然界には生物に由来する天然のヒドラジン類縁体も存在 する(1).たとえば,食用のマッシュルームである
は,アガリチンというヒドラジドを子実体 に蓄える.シャグマアミガサタケ(
)は,ギロミトリンというヒドラゾンを毒素として蓄 積しており,適切な調理方法を採らずに食べれば深刻な 食中毒を引き起こす.
産業的・学術的な重要性にかかわらず,ヒドラジン誘 導体の代謝経路はほとんど解明されていない.過去の文 献において, やブタ腎臓の
γ
-グルタミルトラ ンスフェラーゼがアガリチンの加水分解活性を有するこ とが示されているほか(2, 3),結核菌と近縁の病原菌が,イソニアジドを加水分解する酵 素(ヒドラジダーゼ)を産生するという報告がある(4). また,ブタ脳下垂体のぺプチジルグリシンヒドロキシ ラーゼや,ラット肝臓のグルタミントランスアミナーゼ
が,ある種のヒドラゾンに作用するとの報告がある
が(5, 6),これらの反応が生理的意義を有するとは考えに
くい.筆者らは最近,微生物によるC=N二重結合の形 成・分解機構の研究に取り組む過程で,いくつかのヒド ラジン類縁体の資化菌およびそれらが産生する新規分解 酵素を発見した.本稿では,これらの酵素に関する研究 成果について,概説したい.
当時,微生物のスクリーニングに適したヒドラゾン試 薬はほとんど流通していなかったため,いくつかの化合 物を自前で有機合成した.adipic acid (ethylidene hydrazide) (AEH) (図1A)を基質として,土壌からの ヒドラゾン資化菌の探索を行ったところ,本化合物を単
一炭素源として生育可能な酵母
図1■A. 本研究で基質として用いたヒドラジン類縁化合物.矢
印は酵素による切断部位を示す.B. Hdhとヒドラジダーゼに よる,ヒドラゾン/ヒドラジドの分解様式
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MK883が得られた(7).本菌からのAEH分解酵素の精製 と同定に取り組んだ結果,NAD(P)+依存的なヒドラゾ ンの酸化的加水分解(図1B)を触媒する新規酵素ヒド ラゾンデヒドロゲナーゼ(Hdh)を発見した.化学的に は,‒CH=N‒構造を有するヒドラゾンはヒドラジン(ま たはその誘導体)とアルデヒドに加水分解しうるが,生 物はより複雑な酸化的分解経路を利用する点は興味深 い.一般に,アルデヒドは細胞毒性が極めて高いことか ら,微生物はその生成を避けるような分解経路を利用す るのかもしれない.酵素のアミノ酸配列から,Hdhは アルデヒドデヒドロゲナーゼ(Aldh)スーパーファミ リーに属することが判明した.そこで,Hdhとパン酵 母 由来のAldh(Ald4p)の基 質特異性の検討を行った結果,驚くべきことに,Hdh がAldh反応と同様のアルデヒド酸化活性を示すこと,
および,Ald4pにもヒドラゾン分解活性があることが判 明した.これらの結果は,Aldhスーパーファミリーの Hdhとしての新規機能を明らかにするとともに,潜在 的に多くの糸状菌・酵母がヒドラゾンの分解経路を有す ることを意味している.
その後,筆者らは,細菌にも独自のヒドラゾン分解酵 素があることを突き止めた(8).緑膿菌
PAO1は,MK883株と同様,AEHを単一炭素 源として生育可能であり,細胞内にAEH分解酵素を産 生した.本酵素は,これまで機能がほとんど未解明で あったgroup X Aldhファミリーに属する新規なHdh
(HdhA) で あ る こ と が 明 ら か と な っ た.PAO1株 の Hdh活性は,培地へのAEHの添加により誘導され,グ ルコースの添加により抑制された.また, 遺伝子 の遺伝子破壊株は,AEHを単一炭素源とした培地での 生育が遅く,それは,同じくGroup X Aldhファミリー に属する を同時に破壊することでより顕著となっ た.これらのことから,HdhAとExaCがHdhとしての 生理的役割をもつことが明らかとなった.さらに,
, ,
などのほかの細菌のgroup X AldhにもHdh活 性が認められ,発見した機能の普遍性が示された.
ヒドラゾンの酸化的加水分解は,C=N結合の炭素原 子上の水素原子の引き抜きから始まると考えられる(7, 8). では,もし,本炭素原子上の水素が置換基に置き換えら れていた場合,微生物はどのようにヒドラゾンを分解・
利用するのだろうか? われわれは,新たに合成した基
質4-hydroxybenzoic acid 1-phenylethylidene hydrazide
(HBPH) (図1A)を資化する微生物のスクリーニングを 行い,HBPH資化菌 sp. HM58-2株を単 離することに成功した(9).本菌の無細胞抽出液から HBPH分解酵素を精製した結果,期待に反してヒドラゾ ン結合の分解酵素は得られず,代わりにHBPHが有す るヒドラジドの‒C(=O)‒NH‒結合の加水分解(図1B)
を触媒する新規酵素ヒドラジダーゼ(HydA)を発見し た.本酵素のアミノ酸配列はamidase signature (AS)
ファミリーとしての特徴を有しており,
由来のインドールアセトアミドヒドロ ラーゼと31%の一致を示した.分子系統解析の結果,
幅広い細菌に分布する一群の機能未知タンパク質が,
HydAと共にASファミリーの進化系統樹上に新規なク ラスターを形成することが示された.これらの結果は,
ASファミリーのヒドラジダーゼとしての新規機能を明 らかにするとともに,自然界におけるヒドラジド代謝経 路の幅広い分布を示唆している.
上述の一連の研究により,いくつかのヒドラジン類縁 化合物の代謝機構の存在が明らかとなった.もしかする と,自然界では,ヒドラジン類縁体はこれまで考えられ ていたよりもずっとありふれた存在であり,それらの代 謝経路は多様な微生物種に普遍的に分布しているのかも しれない.今後は,ヒドラジン類縁体の代謝にかかわる 新規酵素の探索を継続するとともに,発見した酵素を産 業廃水処理,食品加工,物質生産などに役立てる方法の 開発にも取り組んでいきたい.
1) L. M. Blair & J. Sperry: , 76, 794 (2013).
2) H. J. Gigliotti & B. Levenberg: , 239, 2274 (1964).
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4) I. Toida: , 85, 720 (1962).
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6) A. J. L. Cooper & A. Meister: , 248, 8489 (1973).
7) H. Itoh, T. Suzuta, T. Hoshino & N. Takaya:
, 283, 5790 (2008).
8) K. Taniyama, H. Itoh, A. Takuwa, Y. Sasaki, S. Yajima, M. Toyofuku, N. Nomura & N. Takaya: , 194, 1447 (2012).
9) K. Oinuma, A. Takuwa, K. Taniyama, Y. Doi & N.
Takaya: , 197, 1115 (2015).
(老沼研一,高谷直樹,筑波大学生命環境系)
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230 化学と生物 Vol. 54, No. 4, 2016 プロフィール
老沼 研一(Ken-Ichi OINUMA)
<略歴>2001年日本大学生物資源科学部応 用生物科学科卒業/2006年筑波大学大学院 生命環境科学研究科博士課程修了(最終年 度は日本学術振興会特別研究員(DC2))/
同年同大学にて日本学術振興会特別研究員
(PD)/2007年日本学術振興会海外特別研 究員(米国ワシントン大学微生物学部)/
2009年同大学博士研究員/2011年日本大 学生物資源科学部博士研究員/2012年筑波 大学生命環境系助教/2015年大阪市立大学 大学院医学研究科助教,現在に至る<研究 テーマと抱負>結核菌/非結核性抗酸菌の イソニアジド(INH)分解酵素の探索と解 析,およびINH耐性との関連性の検討.こ れまでに得た知識・経験を医学的研究に応 用したい<趣味>テニス(軟式・硬式)
高谷 直樹(Naoki TAKAYA)
<略歴>1996年東京大学大学院農学生命 科学研究科博士課程修了/同年筑波大学応 用生物化学系助手/2007年同大学大学院 生命環境科学研究科准教授/2011年同大 学生命環境系教授,現在に至る<研究テー マと抱負>糸状菌の新たな代謝,酵素,形 態<趣味>生け花,筋トレ
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.228
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