• Tidak ada hasil yang ditemukan

中学校道徳科授業の「学習評価」の指標

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2024

Membagikan "中学校道徳科授業の「学習評価」の指標"

Copied!
18
0
0

Teks penuh

(1)

中学校道徳科授業の「学習評価」の指標

─ 生徒記述文の質的分析をもとに ─

松 下 行 則

は じ め に

本稿では,小学校では2018(平成30)年度から,

中学校では2019(令和元)年度から実施される ようになった「特別の教科 道徳」(以下,道徳科)

の教育評価をめぐる問題の一端を解明することを 目的としている。

日の浅い道徳科の「学習状況等評価」(以下,「学 習評価」)については,評価の理念から具体的な 評価方法や学習評価の終着点である指導要録(あ るいは通知表)への実務的な記述の仕方まで,多 様な論点が提示されてきた。

本稿は,こうした道徳科の学習評価の現状と課 題を踏まえて,絶対評価としての道徳科の学習評 価のあり方を検討する。その一環として,中学生 自身が授業時に書き残したワークシート内容(以 下,「生徒記述文」)を,後述する質的分析方法で あるSCATを使って分析し,生徒記述文に表現さ れる記述内容から学習評価の指標を導き出す。こ こでいう学習評価の指標とは,道徳的価値の自分 事化や多面的・多角的な見方の育成の観点から,

生徒が授業中に示した「顕著な変化」を捉えるた めの視点のことである。

1SCATによる質的分析の前提

本章では,研究・分析形式について,少し長く なるが,2つの側面から論究しておきたい。1つは,

分析手法である質的研究・分析についてである。

私は,かつてKJ法を使って学生の不登校認識を 分析したことがあるが,近年,研究手法として確 立されている「質的研究・分析」を自覚的に研究 に適用したことはなく1,今回取り組むのが初め

てとなる。質的研究とは何か,質的分析とは何か を押さえておく。2つは,質的分析の対象になる 中学生の生徒記述文を分析することをめぐる問題 がある。「生徒記述文を分析する」と簡単に言っ てしまってよいかという問題である。その1つは,

文章量としても少ない生徒記述文が分析対象とし て適切かという問題である。その2つは,大人が 書いた文章ならば分析することに躊躇はないと思 われるが,発達途上の中学生が書いた文書を分析 できるとなぜ言ってよいかという問題。中学生は 分析対象者として適切か,有効かという問題であ る。

これらの研究・分析形式に関わる諸問題を最初 に提起するのは,これまで自覚的に分析の対象に してこなかったこれらの諸問題は,本稿を進める うえで,避けては通れない重要な課題となってい ると考えるからである。それはまた,分析内容で ある道徳科における学習評価を質的研究として成 立させるための前提として大きな意味を持ってい るとも言えるからである。

1-1 質的研究の哲学

研究手法である質的研究の前提となっているそ の哲学=現象学について考察しておく。そもそ も質的研究手法がどのように生成してきたかを考 察することが要請される。竹田は,「いま,とく に心理治療や福祉などの実践領域において『質的 研究』の重要性が言われ,その基礎方法として現 象学への注目が高まり,…哲学としての現象学」2 が要請されていることを指摘している。

後述する質的分析手法であるSCATの開発者で ある大谷3も,「また,筆者が博士課程でハイデッ

(2)

ガーを学んでいたことは,筆者の質的研究にとっ て重要な現象学的な背景となっていると考えられ る。…個人的には,自分のそれは,現象学的解釈 学のパラダイムに一番近いと考えている。」4と指 摘している。

質的研究とは何か。ここでは,現象学に基づく 研究方法であると捉えておく。その意味を竹田青 嗣ら(2020)5の『現象学とは何か 哲学と学問 を刷新する』を参考にして検討しよう。

竹田は,根強いフッサール現象学批判(その誤 解)に対して,「ヨーロッパ認識問題」(哲学上の 難問)をフッサール現象学が完全に解明している ことへの無理解・否認にあるとしている。「ヨー ロッパ認識問題」とは,竹田によれば,「そもそ も正しい世界認識(普遍的な認識)が可能かとい う問いである。」フッサール以前の回答は,「正し い認識はけっして存在しない」とされるように,

認識論の難問があった。それは,主観と客観は二 項対立しており,主観は客観を正しく認識できな い(主観と客観の不一致),また,認識のために 使用される言語は,認識を正しく表現できない(認 識と言語の不一致),とされた。その詳細につい ては,私には解釈できる力もないが,教育研究に 引き付けて考えると,以下のようになろう。

私たちは,教育世界(教育の現実)を正しく認 識することはできない,また,言語を通して行う 認識は,客観的世界(現実や事実)を正しく捉え ることができないとする考え方であると言えよ う。

では,フッサールはこの難問に対して,どのよ うな回答を提示したのだろうか。

竹田は,フッサールが解明した根本方法として

「現象学的還元」の概念とその核心をなす方法と しての「本質観取」の概念があることを指摘する と同時に,この「本質観取」概念は,普遍認識の 学としての哲学,つまり「本質学」としての哲学 の基礎理論となると喝破している。

 現象学的還元と本質観取

では,現象学的還元と本質観取とは何か。私た ちは,習慣的には,私たち自身を「世界内部の一

事実」,つまり,私たちを取り巻く世界がまずあっ て,その一部として私たちが存在していると捉え る意識がある。世界内存在としての私という意識 である。これが「自然的態度」と称される。しか しフッサールは,その見方を逆転させたという。

私たちの意識が客観的世界を想定するだけでな く,私たちの意識そのものが存在意味を形成する 絶対的な場であると考えた。つまり,私たちの意 識は,世界を捉える「純粋意識」であると規定し たのである。つまり,フッサールはこれまでの自 然的態度による見方を転換させたという。この概 念を「現象学的還元」と呼ぶ。現象学的還元とは,

「われわれのもつ普通の無反省的な世界の見方(自 然的態度)を中止し,反省的態度をとって,すべ てをいったん主観の「意識」(純粋意識)に還元 する」ことである。そして,竹田は,「これによっ て,客観的な世界とそのさまざまな意味のありよ うが「意識」のうちで形成(= 構成)され」,そ の形成される「ありようを観て取 る(観取する) こと」によって,世界を認識できるとする。これは,

「実証主義的科学の方法では把握できない,人間 世界のさまざまな「意味」形成を捉える方法とな る」6と指摘している。

しかし,竹田は,この解釈だけではフッサール 現象学の概念の核心が捉えられていないと言う。

1つは,現象学的還元が「認識問 題の 明」の めの 本方 法であること。2 つは,一切の事象 を「意識」に還元することの意味,つまりそれが,

べての 界認 識を 観内で 象の 「確信」

(不﹅ ﹅ ﹅可疑性)と﹅ ﹅ ﹅なすという根本的な視線変更を 意味することである7

こうした竹田の現象学理解にたって,質的研究 のよって立つ現象学の解釈を示せば,以下のよう になろう。

質的研究の哲学とは,

① 世界(言語化されたもの)を見る見方を,

世界が私たちの意識に映し出されるのではない。

つまり,受動的に世界が私たちに迫ってくるとい う見方ではない。

② 私たちの意識が世界存在(教育世界,研究

(3)

対象)に反省的に意味を付与するのであり,それ を通じて世界存在(研究対象)を「確信」するこ とである。

③ こうして世界存在(研究対象)が解釈され て,普遍的認識(その世界存在の本質認識)が獲 得されていく。しかし,この方法は,決して世界 を完全に認識する絶対的認識ではない。

つまり,質的研究とは,自然的態度から認識を 転換する操作を通じて,主観の側に世界存在の本 質を観取するための研究方法だと言うことができ よう。

1-2 質的分析の方法

現象学から導かれた質的研究を方法的に整序し たものが質的分析である。

ここでは,本稿で使用する大谷のSCATについ て提示しておく。SCATは,インタビュー内容や 文書などの質的データをセグメント化(切片化)

したうえで,

① テクストの中の注目すべき語句

② それを言いかえるためのテクスト外の語句

③ それを説明するようなテクスト外の概念

④ そこから浮かび上がるテーマ・構成概念 の順にコード化していく「4段階のコーディング と,そのテーマ・構成概念を紡いで階層化された 4つのコーディングを通して,ストーリーライン を記述し,そこから理論を記述する手続きとから なる分析手法である。」8そして,次のような特徴 を有すると大谷は言う。

・明示的で段階的な分析手続きを有する。

・比較的小規模のデータに適用可能である。

・初学者にもきわめて着手しやすい9

量的研究とのちがいとして,「データにキーワー ドのようなコード(code)を付していく。その際 には,量的研究で採用されるような,あらかじめ 決められたコード群から付すテンプレート・コー ディングではなく,テクストを読みながらコード を案出して付していくジェネラティブ・コーディ ングが採用される。」10また,「質的研究で用いら れるコーディングとは,言語記録を深く読み込ん

で潜在的な意味を見いだし,それを表すような新 たな概念を案出して,「新しいコトバ」としての 構成概念(construct)を作っていく作業である。」11

「質的研究は,主観あるいは主体的解釈を積極 的に用いるため,場合によってはきわめて恣意的 なもの…になってしまう危険性も有している。し かしSCATの表には,分析の過程が明示的に残る。

そのため,自分の分析の妥当性確認(validation)

のためのリフレクションを分析者に迫る機能も有 しているし,協同で行う分析にも適している。」

とされる。

つまり,この分析手続きは,主観の側で対象

(データ)の意味を確信が持てるまでコーディン グし,普遍的認識に高める作用をもっていると 言ってよいであろう。

1-3 分析資料について

次に,本稿では分析対象としての生徒記述文を 用いるので,感想文などの質的データを用いた近 年の研究が,どのように生徒の記述文の適切性に ついて考察しているかを検討しよう。

ここでは,他分野の感想文を用いた研究も対象 とする。感想文の適切性を論じた研究論文は少な い12が,松井(2014)13が参考になる。

松井は,中高生のボランティア活動に関する動 機や援助成果を感想文の内容分析を通して明らか にすることを提示はしているが,なぜ感想文が分 析資料として適切かは論じていない。松井が先行 研究として提示しているのは,質問紙調査や面接 調査からの分析であり,感想文に関する分析は提 示していない。しかし松井は,分析資料の感想文 については,「感想文は記入者の主観に基づいた ものであり,一定のバイアスが生じていると考え られるが,…動機や…気づきや学びが記述されて いる。そのため…探索的に把握するうえで有用な 資料であると考えられる。」と指摘している。

本稿は,松井の指摘に倣い,主観的なバイアス があるものの,学習の「動機」「気づき」「学び」

等を示す言語データとして有効であるとの立場で 論をすすめたい。

(4)

1-4 分析対象者としての中学生

本稿の分析対象者は中学生であるので,「中学 生は分析対象者として適切か」という問題を考察 しておく。

上谷(1992)14は,障害者との接触経験(ビデ オ視聴)後に,被験者の中学2年生70名に感想 文を書いてもらった上で,生徒個人毎に,それを 単文に分解し,カテゴリー分析した。被験者選定 の理由を,「青年期に入り情緒が成熟し,自分の 意識を十分に言語化できしかも自分の意識をスト レートに表現する中学生を選んだ」としている。

村田(2007)15は,実践研究の対象としての中 学生の適切性を論じてはいないが,中学校教諭と して,中学生の学年間の「言語表現力」の「大き な差」を問題にしている。2年生は,「自分の考 えた内容に対し表現を工夫したうまく表現できず つまってしまうという反応がよく見られた。1年 生は,表現の文が短かったり,資料中の表現を抜 き出して発言するものが多かったり,例を挙げた りして表現できるようになってきている」16

池永(2013)17は,パーソンズによる美的認知 の発達段階論を基に,授業で行った鑑賞について,

感想文を書かせ,中学2年生2人の事例分析を 行っている。分析対象者については,書記言語(書 き言葉)は,音声言語(話し言葉)とは「多分に 異なる性質をもっている。中学生の時期は概念的 思考が高まる時期であり,それは話し言葉よりも むしろ書き言葉によって発達する可能性をもつ。」

と分析対象者を発達段階論的見方からその適切性 を指摘している。

分析対象者が中学生であることは,その発達特 性上の理由から適切であるとしていることが読み 取れる。

本稿も,以上からの理由から,中学生を分析対 象者とすることは,研究上問題ないと見て,論を 進める。

2 学習評価に関する先行研究

本章では,第1章の研究・分析形式に関わる諸 問題に次いで,研究内容である学習評価に関わる

先行研究等を検討してみよう。

2-1 文科省の基本的な考え方 まず文科省の指針から考えよう。

赤堀が指摘するように,「道徳科における学習 状況や道徳性に係る成長の様子は,基本的に指導 要録に記述することになる」18から,指導要録に どのような記載が求められるかが,道徳科におけ る学習評価のあり方の最終段階になる。その点で 文科省の「道徳科における学習評価に関する基本 的な考え方」19が参考になる。

そこでは,学習指導要領や教育課程の改善答申 を集約して次の3点にまとめ,5つの配慮事項(i

〜v)を指摘している(以下,引用者による要約)。

① 学習状況等の継続的把握と指導への活用。

② 教員と児童生徒との人格的触れ合いによる 共感的理解をもとにして,児童生徒自身が成 長や意欲を喚起できる評価のあり方の追求。

③ 観点別評価ではなく個人内評価であり,記 述式であること(数値評価ではない)。

i 育むべき資質・能力を観点別に分節し,

学習状況を分析的に捉えることは妥当では ない(上記 ③ の一部の言い換え)。

ii 道徳科の目標に基づく具体的な取組状況 を,一定のまとまり(年間や学期)の中で,

児童生徒が学習の見通しをもって振り返る 場面を適切に設定し見取ること。

iii 他の児童生徒との比較による評価ではな く,個人内評価で記述式(③ の一部の言 い換え)。

iv 内容項目ごとの評価ではなく,大くくり なまとまりを踏まえた評価であること。

v 特に,道徳教育の質的転換の趣旨を踏ま えた多面的・多角的な見方と道徳的価値の 理解の自分事化の観点を重視すること。

これらの視点と配慮事項は,さまざまな論者に よってすでに要約されているが,ここでは,私な

(5)

りに評価観と評価方法に分けて整理しておく。

評価観としては,① 児童生徒自身が成長や意 欲を喚起でき,授業改善に生かす評価(授業改善 のための評価),② 他者との比較や数値による評 価ではなく個人内評価(絶対評価)の2点である。

評価方法(手続き)としては,① 一定のまと まり(年間や学期)の中で,児童生徒が学習の見 通しをもって振り返る場面を適切に設定し見取る こと,② 大くくりなまとまり(内容項目)を踏 まえた評価(総括的評価),③ 記述式,④ 多面的・

多角的な見方と道徳的価値の理解の自分事化の観 点20の重視,の4点である。

2-2 絶対評価としての道徳科の学習評価 教育評価をめぐる問題の核心は,相対評価と絶 対評価との相克であると言ってよいだろうが,先 行研究では道徳に関わる教科をどう位置付けてき たのだろうか。

相対評価と絶対評価

相対評価は,「集団に準拠した評価」であり,

集団のなかでの相対的位置を決める評価方法であ る。

では,絶対評価は,何に準拠した評価であると 言えるのだろうか。田中(2008)21は,絶対評価 の異なる3つの意味を指摘している。1つは,戦 前型の「絶対評価」(認定評価)であり,「評価を する者の絶対性を規準にするものであって,その 場合には往々にして評価者の主観的で恣意的な判 断が支配的になる」という。2つには,「個人内 評価」と同じ意味であり,「その子どもの持つ個 性を絶対視する」ことである。3つには,それは「目 標に準拠した評価」であるとされる。しかし,こ の3点にはある共通性が指摘できる。ある場合に は,「教師の判断」,ある場合には,「子どもの個性」,

ある場合には「教育目標」をというようにその絶 対性が異なるとしても,評価観点を絶対視すると いうことでは共通している。

道徳科は,絶対評価であると言ってよいが,ど のような絶対評価だろうか。明治以降,絶対評価 の嚆矢となった,戦前期の国民学校のそれと比較

することによって,その特徴を検討してみよう。

国民学校期の絶対評価

大津(1999)によれば,戦前期の国民学校時代

(1941年4月〜)だけが「絶対評価」であって,

明治以降,国民学校期までは,「小学校令施行規 則」(第10号表)の学籍簿(現在の「指導要録」

に相当する)には,「評価の方法」の規定はなかっ たし,実態としても相対評価だった。1938年「小 学校令施行規則改正」において,それまでの「優 良可」あるいは「10点法」の評価実態を「10点法」

に統一した。そして学校は,「学級の男女別に10 点から6点までの5段階相対評価」を実施してい た。修身科も教科として「知識」を問うことが重 視されたから相対評価だった22

しかしまた国民学校期においても,都道府県 は,それまでの相対評価を「絶対評価」に変更す ることができなかったようで,文部省は,「成績 評定ノ標語ノ割合ヲ都・道・府・県ニ於テ制定シ 居ルモノハ之ヲ廃するコト」(「国民学校ニ於ケル 学籍簿編製ニ関スル件」(通牒)1943年12月9日)

を発出した23

この時期に出された「絶対評価」は,「絶対評 価」としての実質を伴わない「理念としての絶対 評価」であったと言ってよい。その実質化を図る には,2015(平成27)年学習指導要領改訂まで 待たなければならなかったとみてよいであろう。

絶対評価としての道徳科学習評価

では,「国民学校ノ学齢簿及学籍簿ノ取扱方ニ 関スル件」(通牒,1941年7月4日:「1941学籍簿」

と略す)と「学習指導要領の一部改正に伴う小学 校,中学校及び特別支援学校小学部・中学部にお ける児童生徒の学習評価及指導要録の改善等につ いて(通知)」(平成28年7月29日:「2016指導 要録」と略す)とを比較してみよう。

まず,1941学籍簿である。道徳に関わる評価 項目として,学籍簿は,「国民科修身」,「教科概評」

「性行概評」等を配置している24。教科に関わる 部分のみを掲げておく(ゴシックは,引用者)。

① 児童の学習における「著シキ傾向」,学習

(6)

態度等「教育上特記ヲ要する」ものがあれば その大要を記入する。

② 成績は,「平素ノ状況」を通じて,「習得,

考察,処理,応用,技能,鑑賞,実践及学習 態度等」の観点から「総合判定」し,「優・良・

可」を記入する。

③ 教科概要は,「学習,行事,団体訓練,農 耕的戸外作業等」における「著シキ傾向」と その「事由」をなるべく具体的に記入する。

では,すでに紹介したように,2016指導要録 では,どのようになっているのであろうか。可能 な限り,1941学籍簿と対応するように順番をつ けて表してみよう。

① 「学習状況や道徳性に係る成長」を個人内 評価として児童生徒自身が成長や意欲を喚起 できる評価のあり方の追求。記述式である。

② 学習状況等の継続的把握と指導への活用が 必要。育むべき資質・能力を観点別に分節し,

学習状況を分析的に捉えることは妥当ではな い。

③ 内容項目ごとの評価ではなく,大くくりな まとまりを踏まえた評価である。

④ 道徳科の目標に基づく具体的な取組状況 を,一定のまとまり(年間や学期)の中で,

児童生徒が学習の見通しをもって振り返る場 面を適切に設定し見取る。

⑤ 特に,道徳教育の質的転換の趣旨を踏まえ た多面的・多角的な見方と道徳的価値の理解 の自分事化の観点を重視する。

① には,評価の基本的観点が示されており,

両者は,同様の観点に立っている。つまり,1941 学籍簿と2016指導要録は,「絶対評価」としての 理念を共有していると考えられる。

大津は,「国民学校の成績評価は絶対評価に立っ ていた」根拠を当時の実態も示しながら,3点指 摘している。

① 国民学校では,すべての子どもを「良」に

することが求められていた(児童の成長を導 くのだから,「不可」は使用しない)。

② 年度末評価は,「のびつつある現在の成績 を重視して,評定して」おり,3学期間の平 均ではない(第3学期の実力に中心をおいて 評価を考察する)。

③ 成績評価と日常の指導との結びつき,つま り「評価と指導法の改善」が強調されていた

(だが,それは,子どものためというよりは,

国家目的達成のため)。

大津の評価を基にすれば,1941年「国民科修身」

は,「絶対評価の端緒」として評価できる。しかし,

2016年「道徳科」と比較すれば,「端緒」ゆえに,

多くの「相対評価」的な観点に彩られていたこと も確かだろう。

その共通点を踏まえた上で,2016指導要録の

「絶対評価」の独自性を示せば,

① 育むべき資質・能力を観点別にしなかった こと。

② 児童生徒が学習の見通しをもって振り返る 場面を適切に設定し見取ること

③ 多面的・多角的な見方と道徳的価値の理解 の自分事化の観点を重視すること。

以上の3点となる。つまり,今般の道徳科の学 習評価は,資質・能力の観点から総合的に評価す ることであり,児童生徒の自己評価的観点を加味 しつつ,評価に当たっては,多面的・多角的な見 方への広がりと道徳的価値の自分事化を「特に」

重視する「絶対的評価」へと踏み出したと考えて よいだろう。同時にここには示されていないが,

「目標と(学習と)評価の一体化」の観点から言 えば,道徳科の絶対評価は,先に田中(2008)が 示した,「絶対評価」のすべての観点を含みこん でいることになる。道徳科の絶対評価とは何かを 整理すれば,「教育目標」と「教師の判断」と「子 どもの学習と成長」に準拠した絶対評価,つまり この3つを評価観点とした絶対評価であり,それ らの教育順序性からは,「教育目標」に基づき,「教 師の判断」により,「子どもの学習と成長」を評

(7)

価する絶対評価であると言うことができる。

つまり,道徳科の評価は,学習状況等の評価で あって,道徳性の評価ではない。これは卓見であ るといえる。

2-3 道徳科における学習評価の開発

では,実践的にどのような絶対評価の開発が試 みられているのであろうか。

絶対評価である限り,評価者・基準の絶対性が 発生し,教師の場合には,「主観的で恣意的な判 断」の可能性を否定できない。しかし,人権尊重 を旨とする現代の道徳科における学習評価の理念 においては,その「絶対性」のもとで,いかにし て,それらを低減させる評価指標と方法を開発す るかが指針となろう。

まず,評価方法について考察してみよう。

資質・能力の開発の観点から言えば,「真正の 評価」,「主体的・対話的で深い学び」の評価とし て,パフォーマンス評価やポートフォリオ評価等 が提案されている25。しかし,それが現実的に可 能かを問うことが問題となろう。

では,学習評価に関わる実践研究はどのように 行われて来たのだろうか。

学習評価の実践研究

2017年以後,多くの学習評価の実践研究が見 られるようになった。そのいくつかを紹介するが,

その前に,それ以前に提起された学習評価につい ても,簡単に紹介しておく。

露木(2006)26は,中学校教諭として,生徒の 授業前・中・後の自己評価シートを基にして,「道 徳的価値観の変化の検証」をしようとした。その シートは,授業中にも書き込めるワークシート形 式とし,「中学校学習指導要領解説の内容項目の 指導の観点を参考にして,道徳の時間におけるね らいとする価値を考えながら作成」されて,数項 目の選択式(考えた,考えなかった,その他など)

部分と記述式部分からなる。露木によると「道徳 性が発達したことを知るためには,客観的なもの さしが必要なため,短時間で実施でき,結果すな わち評価を生徒本人が見て判断できるように自己

評価シートを作成し,自己を客観視できるよう工 夫した。」という。今般の学習状況等の評価と異 なり,道徳性を評価しようとする意図があるが,

露木には,「短時間で実施できること」「生徒の自 己評価」への視点がある。

中学校教諭である富岡(2015)27は,教科化に 向けて,チェックリストによる評価法,パフォー マンス評価,面接による評価法,ポートフォリオ 評価を具体例として報告している。同時にそれら を「相互補完的に組み合わせることで,生徒の道 徳的価値の自覚を読み取ることが必要かつ重要で ある」28としている。しかし,それらを組み合わ せることは,教師の現実から言って,困難を伴お う。

林ら(2017)29は,「授業前の生活エピソード」

と「授業中のエピソード(短期エピソード)」(初 発の感想,終末で日常化を図るための発問(に対 する発言),学習活動への振り返りへの記述)と「授 業後の生活エピソード」を組み合わせるエピソー ド評価を推奨している。「道徳科におけるエピソー ド評価とは,児童生徒が道徳性を発達させていく 過程において児童生徒自身のエピソードを累積す ることにより行う評価方法である。」と定義づけ している。エピソードを組み合わせることは,一 つの見識だが,道徳性評価に道を開きかねない。

東風安生(2018)30は,教科書会社の「児童が 書き込めるノート」(「道徳ノート」)とワークシー トとICレコーダーによる記録を実践的に比較し,

道徳ノートが「保持性」(継続性)や児童の自己 評価活動においてメリットがあることを報告して いる。

半澤ら(2018)31は,「評価方法の妥当性や信頼 性,また客観性などに関する実践的な研究を進め ていくことが重要」として,「道徳授業の中でパ フォーマンス課題を設定しその課題でのルーブ リック評価の評価規準との関連で,自己評価が有 効な指標となるかを検証する。」こととした。

中学生1〜3年生,489名に対して,半澤が公 開講座での道徳の授業を行い,その後,生徒の学 習評価を分析した。分析においては,「KHcoder

(8)

を用いて,全生徒の文章テキストのうち,出現回 数の多い語句を抽出し,ルーブリック評価に活用 した。」「また,道徳的心情,道徳的判断力,道徳 的実践意欲と態度の3つの視点から」生徒に自己 評価させた。

濱保ら(2018)32は,生徒の自己評価による道 徳性チックシートの開発について報告している。

2-4 学習評価開発の学的弱点

こうした実践研究は,自らの実践に対する「確 信」に基づいた開発的実践研究であることが多い。

多様な評価方法の一つを実践的に探究した「個性 的なもの」という優位性はあるとしても,それは あくまで個人の実践に基づく研究であって,我田 引水的な側面は否めない。そこに学的研究として 位置づけようとする意図は皆無に近い。こうした 研究の弱点は,歴史的に位置づけたり,教育学的 に位置づけを与えたりする方法論がないことであ る。先に示したように,道徳に関わる教科には,「国 民科修身」の評価という歴史的試行がある。歴史 的視点があれば,今般の道徳科学習評価の独自性 が歴史的に見て,どこにあるのか,何を研究対象 にしなくてはならないのか,など,その点からの 探究が可能になる。2つに,評価に関わる教育学 的な論点が提示されていない。それは,相対評価 か絶対評価かという問題,学習評価か道徳性評価 かという問題に集約されている。これらは,児童 生徒を評価する議論をするときには避けて通れな い根本的問題である。この点に関する指摘がほと んどない。また同時に,分析に当たって,分析方 法の提示がないものが多い。

3 生徒記述文を用いた道徳科学習評価 以上で,研究の形式と内容に関わる先行研究を 一定程度終えたと考えて,本論に入ろう。

本章の目的は,道徳科授業における生徒記述 文33の質的分析を通じて,生徒記述文から浮かび 上がる学習評価の指標を抽出できるか検討してみ ることである。

3-1 学習評価の対象としての生徒記述文 生徒自身による記述文は,学習評価の対象とし てどのように位置づけられてきたのだろうか。松 下(2016)34は,アクティブラーニングの評価に おける「とりわけ人格的・情意的要素に関わるも の(たとえば,教科観・学習観・自己観や興味・

関心・意欲,思考の習慣など)については,質問 紙や感想文を用いた学習者自身の自己報告を併用 しなければ把握しにくい。」と言う。また,松下は,

評価が「直接か間接か」と「質的か量的か」で,

学習評価を4つにタイプ分けし,感想文等は「間 接×質的」評価(タイプI)であり,「学習者に よる自分の学びについての記述」であると整理し ている。タイプIV(直接×質的)がパフォーマ ンス評価やポートフォリオ評価であり,パフォー マンス評価には,「パフォーマンス課題について の生徒の感想は,教育評価にも活かされている。」

と言う。

西川(2016)35は,アクティブ・ラーニングと しての『学び合い』の観点から,汎用的能力を育 てるためには,「テストの成績」に子どもによる「自 己評価」を加味すべきことを提案している。評価 方法としては,「振り返りカード」(日付,内容(学 習タイトル),自由記述欄,自己評価(ABC))を 提案している。学習指導要領の目標をもとに,子 どもは,評価基準を作成できること,作成された 評価基準には教師による判断とそん色がなく,実 践的に妥当性があることをその根拠としている。

永田ら(2019)36は,小中学校教員200名のア ンケート結果を紹介し,「道徳科」の評価対象が,

順に「学習プリント」(63.3%)「学習の様子の観察」

(58.3%)「子どもの自己評価」(47.8%)「1冊の学 習ノート」(44.4%)「発言の記録」(40.0%)となっ ており,「『学習プリント』『学習ノート』等の記 述資料を活用することは,子どもの取り組みを見 逃さず記録できるという意味で有効な方法だと言 えます。」と指摘している。「また,子ども自身の『自 己評価』を活用している教員が多い点も注目でき ます。自己評価の方法として,多くの教員は「自 己評価シート」「振り返りカード」「振り返りアン

(9)

ケート」「振り返りプリント」など,子ども自身 が書き込むことのできる回答シートを作り,そこ に尺度によるチエックを含めるなどして,書かれ た内容を評価に活用しているようです。」と総括 している。

赤堀(2018)37は,「学習状況の把握」の方法と して,「授業の中での発問に対する発言,子ども 同士,子どもと教師などによる対話,役割演技の 様子,ワークシートへの記述」での「学びのよさ」

(補助簿への記録)や学びでの「顕著な状況」の 記載を大切にすることを推奨している。また,「道 徳性に係る成長の様子の把握」については,4つ の視点(① 道徳的価値の理解に関する成長,② 自己を見つめることに関する成長,③ 物事を多 面的・多角的に考えることに関する成長,④ 自 己の生き方についての考えを深めることに関する 成長)を提示し,その方法としては,「補助簿の 記録の蓄積をある程度の期間の中で比較,検討す ること」,ポートフォリオによる評価などよりも

「ワークシートあるいは道徳ノートといった記述 の蓄積が現実的で」それを考察すること,また,「教 師の振り返り」,さらに「子どもの自己評価」を 推奨している。

生徒記述文を評価対象とすることは,学習状況 の継続性や教師の評価実現性の観点から見ても妥 当性があるということができる。

3-2SCATによる生徒記述文の質的分析 では,生徒記述文の質的分析を試みる。

目的 

道徳授業中に中学生がワークシートに書いた授 業前半と授業後半の短い記述文を分析することを 通して,生徒の道徳的判断の記述文が学習評価の 指標となりうるかどうか,その可能性を検討する。

分析対象と実施日等

分析対象は,2016(平成28)年7月に,F県 D市T中学校での筆者の飛び込み授業で書かれ た生徒(1年生)の第一次判断と第二次判断での 記述文である。生徒数は32名である。以下は,

SCATによる再分析を試みたものである。

教材と授業方法

分析対象の前提となる授業の形式について述べ ておく。本授業は,「生徒主体の対話的・協働的 なコミュニケーション実践としての内実をもって いる」38と判断した『学び合い』道徳39に基づく 実践である。教材は,廣済堂あかつき「木箱の中 の鉛筆たち」(神津カンナ作)で,要約すると「一 人前のもの書きになるには才能がないと悩む筆者 に,音楽家の父は木箱の中にぎっしりつまった鉛 筆を見せた。父が使ってきた鉛筆はどれもちびて いた。「才能がある」とはよく言うが,「才能はつ くるもの」というのが父の言葉の核心であった。」40 というものである。

授業形式は,多くの『学び合い』の書籍で紹介 されている「非構成型」(授業の展開部分におい て,教師の発問を分節化して学習を進めるのでは なく,生徒に委ねる方法である)とし,自分の意 見や学び合ったクラスメートの意見をメモでき るワークシートを用いた。授業の展開部分では,

「主発問は1つ」41として,それを生徒同士が探究 することとした。主発問は,「あなたは,あるこ とで自分に才能がないと気づいたら,どうします か。」であった。その選択肢としてワークシート には,「ア.才能を作る,イ.あきらめる,ウ.

その他」を用意した。

授業全体の流れは,

⑴ 教師の語りと課題提示

① 道徳とは何か,学び合いの大切さについ て

② 副読本の範読

③ 主発問の提示と学び合いの指示 

④ 生徒による第一次判断とその理由の記入

⑵ 生徒同士での学び合い

 友達の考えや「なぜ」を教え合う,学び合う,

聞き合う(自分と同じ人,違う人と!)

・5人以上と。

・発言メモ

⑶ 第二次判断とその理由

⑷ 今日の学習を振り返って

・深く考えたことや感じたこと,心に残ったこ

(10)

とを17文字(五七五)で表そう。

分析方法

「1-2 質的分析の方法」で紹介したSCATを

使って質的分析を行った。「アンケートの自由記 述欄の記述のように,1〜2行程度のごく短い言 語データが多数ある場合には,福士・名郷(2011)

の開発したSCATの活用法が有効である」42と大 谷も指摘するように,福士ら(2011)43が用いた 分析方法を参考にした。分析方法としては,デー タ入力後に,「グループ化(データ毎に短冊状に 切り切片化し,似たもの同士の束に分類する)」

するところが本来のものと異なっている。

3-3 第1次判断記述文の分析結果

授業前半の生徒の「才能を作るかどうかについ て」の第一次判断について,カテゴリー化された グループと代表的なデータを表1に示した。

ストーリーライン

生徒の才能観は,3つのカテゴリーに分かれ,

「才能は努力してつくる」「自分らしい才能をつく る」「才能はつくられない」と考えられている。

第1カテゴリー「才能は努力してつくる」の中 には,「意識的努力による才能づくり」という第 1グループがある。才能なさの自覚(凡人の自覚)

をもとに,努力の無限性を頼りにして努力の意味

1 授業前半(第一次判断)の代表的なテキストデータとグループ

グループ 代表的なテクスト

才能は努力してつくる

意識的努力による才 能づくり

努力をすれば才能を作ることだって可能だから。努力しだいで才能が作れるか,作れないかが変 わる

才能を作らないとできることができないから。努力してやりたいから。自分でやりたいことがみ つからないから。あきらめられないから

たくさんやって努力すればプロになる可能性はまだあるから才能をがんばって作る

才能がないのは今の話でこれからも才能がないとはかぎらないし,努力をしたら才能ができるか もしれないから,あきらめるのではなく,才能を作る

才能がないからとそこであきらめたら,自分の今までの努力が意味のなかったことになってしま うから

まだ絶対にできないとは限らないから。ないものはつくればできていくものだから

自分が好きで,または決めてやり始めたことだから。後戻りしても,自分に他の居場所はないから。

才能はいつ開花するかわからないから

競争で作る才能

色々なことを見つけたり,探したりしたいから。ライバルに負けたくないから

才能がない人間なりに,才能のある人に負けないように努力する。(理由)才能を作るまでには いかないけど,あきらめるのもいやなので,才能がないならそれなりに努力して才能のある人に おいつく

才能づくりの有用性 才能を作るまで頑張れば,気力もつくし,後で役に立つと思うから 自分らしい才能をつくる

異能づくり

すぐにあきらめるより,また,次の才能を生みだしてどんどん才能を作り出していった方がいい と思ったから

もともと才能がないのなら無理に作る必要もない。もしその才能がほしくて,いろいろしても時 間がかかる。それだったら,もっと自分に合った才能・もともともっている才能を見つめた方が いい

才能がないと自分が見つけるまで自分と向き合ってやったことだからすぐあきらめるよりも,才 能がないと思ったことを取り入れてできることをやる

才能はつくられない ゼロ才能 才能がないから

(11)

づけを行い,強い意志と継続的な意志を持って可 能性の探究を行う。それは,努力による自信獲得 の過程であり,成就感獲得へと結びつくと判断し ている。努力は絶対視され,努力信仰を生みだし ている。しかし,こうした才能開花への期待と才 能なさとの葛藤もある。第2グループは,「競争 で作る才能」である。才能なさの自覚をもとに,「能 才」との相対比較を通じて,継続的な競争的努力 を行い,能才にキャッチアップしようとする意識 である。第3グループは,才能づくりの有用性(道 具性)である。才能のなさを自覚するゆえに,才 能づくりに挑戦することで将来の仕事を意識する 未来志向をもっている。

第2カテゴリーは,凡人であることを自覚した うえで,「非凡」(能才)とは異なる道を探索しよ うとする判断である。それは,「異能づくり」と 言える。才能批判を含みつつ,他者と比較せず,

自分の中にある別の代替才能(個性的才能)を見 つけたり,リフレクションに基づいた才能の多様 な探究を行ったりしようとする判断である。

最後の第3カテゴリーは,凡才の自覚による才 能への絶望感である。才能をゼロと見なしている。

理論記述

以上のストーリーラインから描ける理論記述 は,以下のとおりである。

・生徒の多くは,凡人であることを自覚しつつ,

努力信仰(努力の絶対性)に信頼を置き,才能は つくることができると信じている。

・凡人であることを自覚している一群は,才能 を探究するより,自己の中にある「代わりの才能」

を発見しようとしている。

・少数だが,才能に絶望する生徒がいる。

3-4 第2次判断記述文の分析結果

学び合いを通して,生徒の判断はどのような変 容を示したであろうか。

授業後半の生徒の「才能を作るかどうかについ て」の第二次判断について,第一次判断と同様に,

抽出されたグループと代表的なデータを表2に 示した。

ストーリーライン

才能観に関するストーリーラインは,「才能は 自分で努力してつくる」「自分らしい才能を見つ ける」「才能はつくられない」と3つのカテゴリー に分かれた。

第1カテゴリー「才能は自分で努力してつくる」

の中には,第1グループとして「才能づくりへの 努力」がある。才能のなさの自覚から生まれ,努 力による自己信頼をもとに努力への高い期待を示 している。それは,非凡の才はないが,中位者と しての自信の裏返しだったり,逃避を回避する潔 さだったりする。しかし努力そのものは,行先の ない指標でもあるので,中には目標設定による才 能づくりを目指すものや自己決定が生み出す才能 に期待をかける者,才能批判をしつつ,努力礼賛 する者がいる。また,才能づくりの有用性を指摘 する者もいる。第2グループとして,「競争的才 能づくり」がある。「才能づくりへの努力」と同 様に,才能のなさの自覚に基づいて,他者との比 較による才能づくりを目指している。それを支え ているのは,努力への自己信頼である。

第2のカテゴリーは,異能の追求である。才能 のなさの自覚をもとに,才能のダウンサイジング を行い,努力への自己信頼に基づき,才能もどき の探究へと向かわせ,多様な探究,個性的な探究 を企図している。

第3のカテゴリーは,少数だが,才能への絶望 感から才能ゼロを自覚した者もいる。

理論記述

以上のストーリーラインから描ける理論記述 は,以下のとおりである。

・生徒の多くが才能のなさを自覚し,才能づく りの方向性を指摘したり,才能に代わる見方・考 え方をもったりして,新たな見通しを示唆してい る。

・才能なさの自覚は絶望感を生む場合がある。

3-5 学習評価の指標

以上の第1次判断と第2次判断に基づく理論記 述を見ると,生徒の判断の変化が読み取れる。そ

(12)

れはどのような変化であるかを明らかにするため に,次に生徒別に第1次判断と第2次判断を比較 してみよう。

生徒別の第1次判断と第2次判断との比較 この比較は,次のような手順で行う。

① テクストを読み比べる。

② 〈4〉テーマ・構成概念が変化したかを見る。

③ グループ間の移動があるかどうかを見る。

④ カテゴリー間の移動があるかを見る。

⑤  再度,テクストを読み比べ,「顕著な変化」

を発見する。3段階の評価をする(◎〇△)。

この手順は,あくまでテクストとそれに基づい た4つのコーディングを往還しながら,そこに「顕 著な変化」が見られたかどうかを検討することで ある。ここで言う「顕著な変化」とは,「1941学 籍簿」で言う「児童の学習における「著シキ傾向」,

学習態度等「教育上特記ヲ要する」もの」や赤堀

(2018)の「顕著な状況」や,あるいは「『特別の 教科 道徳』の指導方法・評価等について」(平 成28年7月22日)で言われる「顕著と認められ る具体的な状況」44を言い換えたもので,今般の

「指導要録」に,生徒の学習状況を記入するとき

2 授業後半(第二次判断)の代表的なテキストデータとグループ

グループ 代表的なテクスト

才能は自分で努力してつくる

才能づくりへの努力

ぼくはやっぱり才能を作ります。理由はやっぱりあきらめるというのはぼくの考えでは,努力を してもできなかったなどと言いわけをしてにげていることだと思います

才能がないのは今の話でこれからもそうとはかぎらないし,あきらめたら何もはじまらないし,

練習すれば身に付いて才能をつくることができるから

もしも,才能がないと感じたものがあったら,その才能が無いと思うものに本気で才能を高める 努力をする。目標を決めるなどの工夫をする

才能がないと思ったら,あきらめるのではなく,練習や努力をして才能を作りだす。また,才能 が見つけられたら,自分中に閉じこめておくのではなく,外に出していくことが大切だと思う あきらめず才能を作り出す。なぜならいろいろな考えを教えてもらって自分で決めたことだから 才能を作りだしてあきらめないことが大切だと思ったから

自分があきらめずに努力してきたことは,才(能)ではなく自分の力であるから。そしてそこか らはいくらでもあきらめなければ成長できる

競争的才能づくり

なぜなら,人に負けるのは,イヤだし,努力した方が達成感が味わえるから。あと,才能がないと,

出来る事のはんいがせまくなってしまうから

やっぱりあきらめないで,才能なんてごく一部の人しかもっていないのだから,まず自分を自分 で信じてあげて向き合わないと相手に認められないと思う

才能づくりの有用性 才能は今はなくても,絶対に無理だとは限らないし,頑張れば気力もつくし,将来役に立つ可能性もあるから 自分らしい才能を見つける

異能の追求

才能がなくても,これから先もずっと才能がないとは限らないから。才能がないとすぐにあきら めるより,色々なことを見つけたり,探したりして,次の才能を生み出して,どんどん才能を作 り出していった方がいいから

あることをやるのをやめないで努力しながら,別のことを始めてみる。そうすれば,才能が出来 るかもしれないし,別のあることの才能が見つかるかも知れないから。あと,たくさんのことを 続けられるという才能が見つかる,作ることができるかも知れないから

自分には才能がないかもしれないけど,だからといって,すぐあきらめるのではなく,自分にあっ たその才能に近い才能を見つける→すこしぐらい近い才能があわなくてもそこは自信がつくまで 練習すれば,そこはカバーできるからがんばる

才能はつくられない 才能ゼロ 才能がないから

(13)

の参照事項となることを意味している。

ストーリーライン

「顕著な変化」を示す生徒たちは,授業前半では,

才能なさの自覚をしつつ,才能への葛藤をかかえ たり,才能批判をしたりしながら,強い意志と努 力信仰(努力の無限性),あるいは才能もどき(個 性的才能)を伸ばし,多様な探究や他者との競争 によって,才能は築かれると考えている。授業後 半では,同様に,才能なさの自覚をしつつも,才 能の多様性を理解して,才能に代わる努力という 努力への高い期待をもちつつ,自己決定を重視し たり,目標設定を組み込んだりしながら,才能も どきの探究に踏み出している。

理論記述

・授業前半の第1次判断での顕著さは,才能の

なさを自覚化しつつ,努力信仰のもと,個性的才 能や多様な探究を,他者との相対比較のもとに判 断する抽象的傾向性がある。

・授業後半の第2次判断での顕著さは,第一次 判断と同様に,才能のなさの自覚をもとに,努力 信仰のみの判断から,自己決定を重んじたり,才 能実現のための目標設定を行ったりするなどし て,より自己確信を深め,より具体的な問題解決 への視野を獲得している。

学習評価の具体的指標の抽出

生徒の才能観に関する「顕著な変化」は,どう なっているだろうか。

まず,表3のゴシック体で示したキーワード を分類し,変化を読み取ってみよう。

1つは,生徒1「練習すれば身に付いて」,生徒

3 生徒別第一次判断と第二次判断の「顕著な変化」

グループ テクスト

<4>テーマ・構 成概念(前後や 全体の文脈を

考慮して)

1

意識的努力によ る 才 能 づ く り

(G1)

才能がないのは今の話でこれからも才能がないとはかぎらないし,努力をし

たら才能ができるかもしれないから,あきらめるのではなく,才能を作る 才能なさの自覚,

強い意志 才能づくりへの

努力(G1) 才能がないのは今の話でこれからもそうとはかぎらないし,あきらめたら何

もはじまらないし,練習すれば身に付いて才能をつくることができるから 才能なさの自覚,

才 能 に 代 わ る 努 力,努力への高い 期待

2

意識的努力によ る 才 能 づ く り

(G1)

才能がなくても,たまには,喜んでくれるかもしれないじゃないですか。だ

から,僕は,あきらめずに「才能を作る」と思いました 才能なさの自覚,

努力信仰 才能づくりへの

努力(G1) あきらめても,絶対にできないっていうわけでもないのにあきらめてはだめ だ。なぜかと言うと僕ではあきらめては,「そこで終わりだ」って確信し,

それであきらめないように才能がなくてもがんばればできると思うから

才能なさの自覚,

才 能 に 代 わ る 努 力,努力への高い 期待

3

競争で作る才能

(G 3) 「人」に負けるのは,絶対イヤだから 他者との競争

才能づくりへの

努力(G1) もしも,才能がないと感じたものがあったら,その才能が無いと思うものに

本気で才能を高める努力をする。目標を決めるなどの工夫をする 才能なさの自覚,

目標設定

4

競争で作る才能

(G3) 色々なことを見つけたり,探したりしたいから。ライバルに負けたくないか

多様な探究,他者

との競争 異能の発見(G4) 才能がなくても,これから先もずっと才能がないとは限らないから。才能が

ないとすぐにあきらめるより,色々なことを見つけたり,探したりして,次 の才能を生み出して,どんどん才能を作り出していった方がいいから

才能なさの自覚,

才能の多様性

5 意識的努力によ る 才 能 づ く り

(G1)

神津さんの文章を読むとあきらめても才能が生みだせないので,努力すれば,

才能を作ることができる 努力信仰

(14)

4「目標を決めるなどの工夫」,生徒5「練習や努 力をして,外に出していく」,生徒9「自信がつ くまで練習すれば」に表現されているように,努 力を実現する問題解決的な視点である「練習」,「目 標」を設定していることである。学習前半(第1 次判断)では,抽象的・心情的(努力信仰)であっ たものが,生徒同士の交流を通じて,自己の視野 が広がり,学習後半(第2次判断)では,それが 才能を開花させる具体的方策まで視野が広がって いることである。

2つは,生徒2「あきらめては,「そこで終わり

だ」って確信」,生徒4「どんどん才能」,生徒6

「努力して努力して」・「次の才能をどんどん」,生

徒7「自分で決めたことだから」,生徒8「たくさ

んのことを続けられるという才能」という表現に 表れているように,自己確信が深まったことであ る。

グループ間・カテゴリー間の移動 

さて,この変化は,グループやカテゴリーの移 動をもたらしているだろうか。

生徒1,2,5,7,8,9のグループは変化して

いない。生徒3,4,6は,グループが変化してい

グループ テクスト

<4>テーマ・構 成概念(前後や 全体の文脈を

考慮して)

5 才能づくりへの

努力(G1) 才能がないと思ったら,あきらめるのではなく,練習や努力をして才能を作 りだす。また,才能が見つけられたら,自分中に閉じこめておくのではなく,

外に出していくことが大切だと思う

才 能 に 代 わ る 努 力,努力への高い 期待

6

意識的努力によ る 才 能 づ く り

(G1)

才能を作らないとできることができないから。努力してやりたいから。自分 でやりたいことがみつからないから。あきらめられないから 葛藤 異能の発見(G4) 確かに才能がないから,ムシャクシャしたりするし,あきらめたいし,いや

になってしまうけど,でも,それになりたいんだったら,努力して努力して がんばって才能をつくってなった方が,がんばった感があるし,それであき らめたらおわりだから,がんばりたい。そして,もっとその才能をのばした り,次の才能をどんどんつくれば,いいと思う

才能の多様性

7

意識的努力によ る 才 能 づ く り

(G1)

まだ絶対にできないとは限らないから。ないものはつくればできていくもの

だから 努力の無限性

才能づくりへの

努力(G1) あきらめず才能を作り出す。なぜならいろいろな考えを教えてもらって自分 で決めたことだから才能を作りだしてあきらめないことが大切だと思ったか

自己決定

8

異能づくり(G4) ちがう才能を見つける。あきらめるのは,努力していない気がするし,才能

を作るのは,難しそうだから 才能もどき

異能の発見(G4) あることをやるのをやめないで努力しながら,別のことを始めてみる。そう すれば,才能が出来るかもしれないし,別のあることの才能が見つかるかも 知れないから。あと,たくさんのことを続けられるという才能が見つかる,

作ることができるかも知れないから

才能なさの自覚,

才能の多様性

9

異能づくり(G4) もともと才能がないのなら無理に作る必要もない。もしその才能がほしくて,

いろいろしても時間がかかる。それだったら,もっと自分に合った才能・も ともともっている才能を見つめた方がいい

才能なさの自覚,

才能批判,個性的 才能

異能の発見(G4) 自分には才能がないかもしれないけど,だからといって,すぐあきらめるの ではなく,自分にあったその才能に近い才能を見つける→すこしぐらい近い 才能があわなくてもそこは自信がつくまで練習すれば,そこはカバーできる からがんばる

才能なさの自覚,

才能もどきの探究

  注1 Gのついた番号は,グループ間移動がわかるようにグループ名に仮に番号を付けたものである。

  注2 ゴシック体は,引用者による。

3 つづき

Referensi

Dokumen terkait

15 各教科の指導計画は生徒の実態や興味・関心などを踏まえ、小中 学校の指導内容や進路志望を考慮して作成している。 16 24 25 26 28 30 19 20 21 22 6 7 9 10 11 1 2 3 4 5 2015学校評価集計 学校 運営 清掃や整理整頓に努めさせている。 コースや系ごとの指導内容の重点化と生徒の立場に立った指導に

教員のあなた方への接し方は適切だったと思いますか。 Q10.意欲的に授業に参加しましたか。 Q11.グループワークでは、意見交換やまとめ等、協同できていまし たか。 Q12.あなたはこの授業をどれぐらい欠席しましたか。 Q13.この科目の授業時間以外での1週間あたりの学修時間(予習・ 復習)は平均何時間ですか。

2 入れる。 幼稚園には地域の子育ての基地、という役目もある。子育ての専門家としての知識と経験を活 かし、保護者に対しても大切なお子さんをお預かりしているという思いを忘れず相談には誠意 をもって応じる。 2 好きな遊びを見つけて遊ぶ もみじ幼稚園ではまずはこどもが夢中になって遊べることを目指す。

あった。多かった項目としては保護者からの意見としては、進 路についてもっと意識を持たせてほしい、もっと高いレベル でやってほしいと、教員によって差があるのではないかといっ た、授業や進路、教員に対しての意見と、バスについて日曜 日に出してほしいや、本数や運行上への意見があった。生 徒からは、バスについて、男女の乗車の仕方について様々

考察 「学校の支援体制」「共生社会を担う人材の育成」のいずれにおいても昨年度より教職員の評価は変わりな いが、保護者の評価が少し向上した。ステップルームやオンライン授業等の取り組みが定着したことでの成果と思 われる。今後も支援体制を更にアップデートしながら取り組みを広げ、強化していきたい。 考察

けに終わることのないようにする。」とある。 ただし、教科書のみを利用しての学習では、どうしても生徒は「まずは問題を解けるよ うに、公式を暗記しよう。」という考えになってしまう恐れがある。この考えは、普段の数 学の授業を通して作られたものであるから、その考えを変える必要もある。そのためには、

結果などのみに偏重した評価が行われているのではないかとの懸念が示されている。 観点別学習状況の評価を実施するに当たっては、目標の実現状況を捉えるための適 切な方法を用いて評価を行うことが重要である。 国語科においては、「指導と評価の計画」における評価方法の記載について、次の ように記載することが考えられる。 行動の観察

- R3情報(専門)3 - 4 観点別学習状況の評価についての実施上の留意点 ア 評価の計画を立てることの重要性 ア 学習指導のねらいが生徒の学習状況として実現されたかについて、評価規準に照 らして観察し、毎時間の授業で適宜指導を行うことは、育成を目指す資質・能力を 生徒に育むためには不可欠である。 イ