化学と生物 Vol. 50, No. 1, 2012
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今日の話題
母乳栄養乳児の腸管におけるビフィズスフローラ形成の謎
ヒトとビフィズス菌による腸内フローラ形成戦略
我々は出生すると同時に種々の細菌に 感染 する.
新生児の糞便には誕生から1日以内に細菌の存在が確認 されはじめ,最終的には1 gあたり100億以上の菌数が 検出されるようになる.ここ数年,腸内細菌叢(フロー ラ)と宿主との関係が注目を集めており,いわゆるイン パクトファクターの高い雑誌の紙面をにぎわせている.
それによると,腸内フローラは宿主の免疫応答(1)やエネ ルギーバランス(カロリー摂取や肥満)(2)の制御のみな らず,なんと脳の発達や個体の行動にまで影響を及ぼ す(3).もちろん,これらの実験結果はマウスやラットを 用いたものであり,その結果をヒトに当てはめるには注 意が必要であるが,宿主の行動にまで影響を及ぼすとい う報告を見ると,腸内フローラというものを共生として 捉えるべきなのか,感染として捉えるべきなのか判然と しなくなってくる(そういう意味も込めて冒頭に 感 染 という語句をあえて使った).
ヒトの腸内フローラは一生の間で少なからず変動する が,最も大きな変化が見られるのは,出生から離乳時に かけてである(4).母乳栄養乳児の腸管においては生後1 週間程度でビフィズス菌が速やかにかつ優勢に増殖す る.このビフィズスフローラは離乳とともに消失し,成 人型の腸内フローラが形成される.このことはつまり,
ヒトの母乳中にはビフィズス菌を選択的に増殖させる ビフィズス因子 が存在することを示唆している.ビ フィズス菌の産生する乳酸や酢酸は,腸内のpHを低下 させて有害菌の増殖を防ぐのみならず,これら有機酸は 腸管上皮細胞のGタンパク質共役型受容体を介して,上
述の腸管免疫やエネルギーバランスを調節する.また,
ビフィズス菌は腸管上皮細胞の増殖を で促進す ることも知られている(5).おそらくヒトは,その乳児期 にビフィズス菌と積極的に共生しようと(ビフィズス菌 に感染しようと)していると思われる.
では,母乳に含まれるビフィズス因子とは一体何であ ろうか.今から60年ほど前,マックスプランク研究所 のGauheらは,母乳に含まれるオリゴ糖(ラクトース を除く重合度3以上の糖;ヒトミルクオリゴ糖と総称さ れる)がビフィズス因子であり,そのオリゴ糖はフコー ス (Fuc)・ガラクトース (Gal)・ -アセチルグルコサミ ン (GlcNAc)・グルコース (Glc) から構成されると報告 した(6).以降の文章を読んでいただくとおわかりになる と思うが,この報告は非常に価値のあるものであったと 思う.しかし,当時,これら構成糖を単糖として与えて もビフィズス菌の 選択的な 増殖を説明することはで きず(たとえば大腸菌もこれら単糖を単一炭素源として 利用可能である),母乳に含まれるビフィズス因子の研 究は,いつしか過去のものとなっていった.
ヒ ト ミ ル ク オ リ ゴ 糖 (HMO : human milk oligosac- charide) は,人乳中でラクトースおよび脂質に次いで3 番目に多く含まれる固形成分である.13種のコア構造 からなり,多くの場合Fucやシアル酸による修飾を受け るため,きわめて多様な構造を呈する(7, 8).現在までに 100種類以上の構造が同定されているが,そのうち最も 主要なオリゴ糖が2′-フコシルラクトース (Fuc
α
1-2Galβ
1-4Glc),ラ ク ト- -テ ト ラ オ ー ス (Galβ
1-3GlcNAcβ
1-今日の話題
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3Gal
β
1-4Glc),ラクト- -フコペンタオースI (Fucα
1-2 Galβ
1-3GlcNAcβ
1-3Galβ
1-4Glc) およびラクト- -ジフコ ヘ キ サ オ ー スI (Fucα
1-2Galβ
1-3(Fucα
1-4)GlcNAcβ
1-3 Galβ
1-4Glc) である(図1)(非分泌型個体は除く)(8). 糖鎖構造においては1型(Galβ
1-3GlcNAc : ラクト- -ビ オースI)および2型(Galβ
1-4GlcNAc : -アセチルラク トサミン)という分類があり,HMOは1型糖鎖構造を 優先的に含むことが知られている.一方,他の哺乳動物 のミルクオリゴ糖では1型糖鎖が見られないか,あった としてもわずかで,ほとんどが2型糖鎖構造を有してい る(7).HMOは乳児自身の消化酵素には分解されず,そのままの形で腸管に到達する.HMOの構造の決定に伴 い,その機能として病原性微生物や毒素タンパク質から の感染防御が示された.すなわち,これらの病原体は,
腸管上皮細胞上の糖鎖構造を認識して結合するが,
HMOの中にはこれと同一の糖鎖構造を有するものがあ るため, おとり として機能する.最もよく知られて いるのは,深刻な下痢をひき起こす
の例であり,この細菌は糖鎖の非還元末端のFuc
α
1-2Gal構 造 を 認 識 し て 結 合 す る た め,図1の よ う な HMOは感染防御機能を発揮する(9).このような報告が 20年ほど前から徐々に増え始め,HMOの機能が再認識 図1■ビフィズス菌によるヒトミルクオリゴ糖の分解ヒトミルクオリゴ糖の主成分は,2′-フコシルラクトース,ラクト- -テトラオース,ラクト- -フコペンタオースIおよびラクト- -ジフコ ヘキサオースIである(7).乳幼児糞便から頻繁に単離されるビフィズス菌のうち, と subsp. は これらすべてのオリゴ糖を,また と subsp. はラクト- -テトラオースを炭素源として利用することができる.
ラクト- -ビオースIは,すべての菌種において炭素源となる(14).Fuc :l-フコース,Gal : ガラクトース,GlcNAc : -アセチルグルコサミ ン,Glc : グルコース,GltABC : ガラクト- -ビオース/ラクト- -ビオースIトランスポーター
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されはじめたのであるが,Gauheらの提唱したビフィズ ス因子としての機能に繋がるような発見はなかった.
さて,筆者は今から7年ほど前,京都大学大学院生命 科学研究科・山本憲二研究室で助手をしていた際に,ビ フィズス菌から1,2-
α
-l-フコシダーゼ(10)およびエンド-α
- -アセチルガラクトサミニダーゼ(11)を単離した.そ のビフィズス菌における存在意義を考えたときに思い付 いたのが,ヒトとの共生であった.これらの酵素は,消 化管に分泌発現されるムチン糖タンパク質糖鎖( -グ リカン)に作用する.それまでは,ビフィズス菌はヒト の食餌成分のうち難分解性オリゴ糖を利用して腸管内で 生息するとされていた.もちろんその要因も確かにある が,それ以外にも,ビフィズス菌はヒト自身が分泌発現 する糖質を利用して腸管内で生息しているのである.同 じ頃,食品総合研究所の北岡本光博士は,ビフィズス菌 よりガラクト- -ビオース/ラクト- -ビオースI加リン 酸分解酵素(ホスホリラーゼ)の遺伝子を単離した(12). ガラクト- -ビオースとは,上記のエンド-α
- -アセチル ガラクトサミニダーゼによって -グリカン(コア1)か ら切り出される2糖であり,もう一方のラクト- -ビ オースIというのは,前述した1型HMOを構成する2糖 である(図1).これらの発見が,ほぼ半世紀ぶりに,HMOとビフィズス菌の関連を再考するきっかけとなっ た.
その後,筆者らは,北岡本光博士や東京大学の伏信進 矢博士らとともに,ビフィズス菌の有するヒトミルクオ リゴ糖代謝関連酵素についての構造機能解析を行なっ た.その詳細に関しては成書を参考にしていただきたい が(13),特筆すべきは,1型HMOからラクト- -ビオー スIを菌体外で切り出す酵素ラクト- -ビオシダーゼ,
および菌体外から菌体内へ取り込むトランスポーター
(ガラクト- -ビオース/ラクト- -ビオースIトランス ポーター,GltABC)は,これまで解析された腸内細菌 のゲノム中でもビフィズス菌にしか存在しないことであ る.実際にラクト- -テトラオースを種々の腸内細菌と 作用させても,ある種のビフィズス菌を除いては,まっ たく分解されずに培養上清に残ったままとなる(このこ とは,ラクト- -ビオシダーゼのみならず
β
-1,3-ガラク トシダーゼも他の腸内細菌にはほとんど存在しないこと を意味している).ところで筆者らは,と subsp. というヒト乳幼児 の糞便から頻繁に単離されるビフィズス菌を対象として
上記の研究を行なっていたのであるが,2008年に,
subsp. のゲノムがカリフォルニア大学 デービス校のグループによって解読された(14). という名の通り,この菌種も乳児型のビフィズス菌であ る.ゲノム解析の結果,本菌はHMOの資化に関わると 推定される全長43 kbに及ぶ遺伝子クラスターを有して おり,これまで筆者らが同定してきた代謝経路とは違う 経路でHMOを資化することが示唆された.つまり,そ のクラスター内の遺伝子は細胞質への局在が予想される HMO分解酵素をコードするとともに,多数の未知トラ ンスポーターをコードしていたため,デービス校のグ ループは,本菌種はHMOをそのまま取り込んで(丸呑 みして),細胞内で分解するという経路を予想した.
筆者らは酵素を解析することでビフィズス菌のHMO 代謝を予測し,デービス校のグループはゲノムを解析す ることでビフィズス菌のHMO代謝を予測したわけであ る.最近,筆者らは帯広畜産大学の浦島匡博士らと共同 して,実際にこれら3つのビフィズス菌および
(本菌種も乳児糞便から高頻度に単離される)をHMO 含有培地で培養した際の培養上清における各HMOの変 化および分解産物の同定を行なった(15).得られたデー タの詳細は省くが,各ビフィズス菌における酵素活性や ゲノム情報から予想された通りの結果が得られた.興味 深いことに, の培養上清には,その増殖の初 期にもかかわらず,HMO分解産物であるラクト- -ビ オースIやラクトースが多量に蓄積していた.つまり本 菌は,HMOを分解消費しながら増殖するというより も,最初に分解しておいてから消費していくという手段 をとっているように見える.今回の結果は,それぞれの 菌を単独で培養した場合のものであるが,ビフィズス菌 どうしで共培養した場合どうなるか,つまり,
によって遊離したラクト- -ビオースIやラクトー スは,どの菌が消費するのか (ラクト- -ビオースI自体 にもビフィズス菌を特異的に増殖させる機能がある)(16)
に興味がもたれる.
ともかく,以上の研究によって,ある種のビフィズス 菌にはHMO(特に1型の)分解酵素や分解経路が特異 的に存在していること,また実際にその経路を使って HMOを資化していることが明らかとなった.マックス プランク研究所のGauheらによる HMO=ビフィズス 因子 という報告は間違っていなかったのだと思うが,
HMOを構成単糖に分けて取り扱ってしまったことがビ
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フィズス因子としての本来の機能を覆い隠してしまった のであろう.乳中で10 〜20 g/ にもなるHMOを合成す るために母親はかなりのエネルギー(糖ヌクレオチド)
を消費するため,その労力に見合うだけの機能があって しかるべきで,一つは病原性微生物の排除であり,もう 一つがビフィズス菌の選択的増殖であると考えられる.
ヒトは進化の過程で,その授乳期にある種のビフィズス 菌を積極的に乳児の腸管内に生息(感染)させようと し,その基盤となったのが1型HMOなのだと筆者らは 考えている.
1) K. M. Maslowski : , 461, 1282 (2009).
2) B. S. Samuel : , 105,
16767 (2008).
3) R. D. Heijtz : , 108, 3047
(2011).
4) 光岡知足: 腸内フローラと食餌 ,学会出版センター,
1993, p. 3.
5) S. Ishizuka : , 53, S62 (2009).
6) A. Gauhe : , 48, 214 (1954).
7) T. Urashima : “Oligosaccharides : Sources, Proper- ties and Applications”, Nova Science Publishers, 2011, p. 1.
8) A. Kobata : , 86, 731 (2010).
9) G. M. Ruiz-Palacios : , 278, 14112
(2003).
10) T. Katayama : , 186, 4885 (2004).
11) K. Fujita : , 45, 37415 (2005).
12) M. Kitaoka : , 71, 3158
(2005).
13) M. Kitaoka : “Lactic Acid Bacteria and Bifidobacte- ria”, Caister Academic Press, 2011, p. 53.
14) D. A. Sela : , 105, 18964
(2008).
15) S. Asakuma : , 286, 34583 (2011).
16) M. Kiyohara : , 73, 1175
(2009).
(片山高嶺,石川県立大学生物資源工学研究所)
細胞内 G タンパク質シグナルの仕分けが生体リズムのタイミングを決める
目覚まし遺伝子 Rgs16 の発見
私たちが毎朝,朝寝坊することなく決まった時間に起 きることができるのは,脳の中の視交叉上核(英名Su- prachiasmatic nucleus, 略してSCN)と呼ばれる神経核 において約1万のニューロン群がきわめて安定で強力な 24時間周期のリズムを毎日生み出しているからである.
驚くべきことに,SCNは脳内から取り出して生体外で 長期に培養しても正確な時を1年以上にわたって刻み続 けることができる.
では,なぜSCNはこれほど強力で安定なリズムを打 ち続けることができるのだろうか? 実は,リズムを生 み出す能力だけならSCN以外の全身のほとんどの末梢 組織にも備わっている.ところが,末梢組織では1個1 個の細胞のリズムは同期せず時間とともに乖離してゆく ため,全体としてのリズムは数サイクルのうちに減衰し てしまう(個々のリズムが無秩序でバラバラでは全体と して有効なリズムは生まれない).これに対し,SCNの ニューロン群は強固なニューロンネットワークを形成 し,整然とした時間順序で,強固に同期することによっ て,組織としてより大きく安定なサーカディアンリズム を生み出すことができる.このシンクロナイズドオシ レーションこそがSCNのSCNたる所以である.筆者ら がこの中枢時計の特殊な能力を発見し2003年に報告し
て以来(1),この特性を生み出す分子機構を明らかにする ことが生体リズムの本質に関わる重要な研究課題となっ ている(2).
注目すべきことに,SCNの細胞はどれも一様という わけではなく,個々の細胞ごとに位相の早い遅いがあ り,その順番は生まれつき細胞ごとに決まっている.図 1-Aに示すように,時計遺伝子 (時計の振り子の役 目を担う最も重要な時計遺伝子)の発現リズムを追跡す ると,いつも決まってSCNの「上側から下側へ」背内 側部の細胞から始まり腹側部へと向かって波のように広 がってゆく様子が認められ,SCNの細胞群がこのよう な独特の時空間パターンに則って同期していることがわ かる.しかし,なぜいつも背内側部の細胞が早いのか,
細胞間の同期や順位づけの機能はSCNにとって最も重 要な特質であるにもかかわらず,その分子機序や生理的 意義についてはこれまでまったく不明であった.
今回筆者らが着目したのは,SCNの背内側部の「先 頭集団」の細胞群において早朝 の発現とともに同 時に出現するRGS16 (Regulator of G-protein Signaling 16) と呼ばれるGタンパク質シグナル制御因子である(3)
(図1-B).SCNの謎の細胞間コミュニケーションの分子 機序に迫るべく,SCNに特異的に強く発現するGタン