224 化学と生物 Vol. 55, No. 4, 2017
ポスト抗体医薬
抗体様分子標的ペプチド「マイクロ抗体」の創出
21世紀に入るとともにヒトの遺伝子構造の全容が明 らかにされた.現在,ゲノムから翻訳されるタンパク質 の網羅的な解析が進められて,医薬品のターゲットとな るタンパク質の種類も数も劇的に増えている.このよう な急速なプロテオーム解析研究に伴って,分子標的医薬 の第一候補として注目されているのが抗体医薬である.
免疫システムのもつ抗体の多様性を利用すれば,標的タ ンパク質に特異的に結合する分子標的医薬を意のままに 作製することが可能になる.一方,抗体医薬の研究が進 むにつれ,その限界も明らかにされてきている.抗体医 薬には,以下のような問題点が指摘されている.(1)ヒ トに対する抗原性を下げるため,ヒト化などの遺伝子組 換えが必要である.(2)抗体は,多数のジスルフィド結 合を含む巨大タンパク質(約150 kDa)であるため,細 胞内に導入したり,細胞内で機能させたりすることがで きず,細胞内タンパク質をターゲットにできない.(3)
現在の抗体医薬はそのほとんどがモノクローナル抗体で あるために生産に膨大なコストを必要とする.さら に,(4)抗体医薬の開発や生産には,特許によるさまざ まな制限が複雑に絡み合っている.これらの問題点は,
抗体の基本構造に起因するものである.そこで,イムノ グロブリン構造を利用せず,目的の標的タンパク質に対 して特異的に結合する抗体様物質の開発研究が始まって いる(1).
1990年後半から,抗体以外のタンパク質を土台とし た人工抗体の研究に注目が集まるようになった.いずれ も天然タンパク質を土台分子として作製されており,比 較的小さな分子サイズ(7〜20 kDa)になっている(2〜4)
(図1).そこで,筆者らは,さらに小さな分子サイズの 土台分子としてヘリックス・ループ・ヘリックス構造
(HLH)をもつペプチド(約4 kDa)を分子設計した(5)
(図2).このペプチドは3つの領域(①14アミノ酸残基
図1■人工抗体の立体構造
(A) Affibody, (B) 10th human fibronectin type III domain (10Fn3) (C) Anticalinを示す.
それぞれ黒色で示した部分の特定のアミノ酸 残基がさまざまに置換されライブラリー化さ れている.
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からなる構造支持領域,②グリシン(Gly)7残基から なるループ,③同じく14アミノ酸残基からなるライブ ラリー領域)で構成される.そして2つのヘリックス は,内側に存在するロイシン(Leu)残基の疎水相互作 用 お よ び 側 面 の グ ル タ ミ ン 酸(Glu) 残 基 と リ ジ ン
(Lys)残基の静電相互作用により寄り添い,安定な HLH構造を形成する.一方,ヘリックス外側のアミノ 酸は立体構造構築にかかわっていない.したがって,外 側のアミノ酸残基(図2中のX24, X25, X28, X31, X32)をさ まざまなアミノ酸残基に置換することにより,HLH分 子ライブラリーを構築することができる.これを疾患関 連タンパク質に対してスクリーニングすると,分子標的 ペプチドが獲得できることになる.こうして得られたペ プチドは,強固な立体構造をもつため生体内の酵素分解 に対しても安定であり(半減期:15日),低分子量であ るにもかかわらず抗体と同等の高い結合活性( d値:
数nM)をもつことから「マイクロ抗体」と名づけた.
血管内皮細胞増殖因子(VEGF)は,脈管形成および 血管新生に関与する糖タンパクである.すでにVEGF に対する抗体医薬が開発され,抗がん剤(ベバシズマ ブ)として使用されている.そこで,マイクロ抗体の性 能を評価する目的で,HLH分子ライブラリーをVEGF に対してスクリーニングした.得られたペプチドの一つ M49は,
α
-ヘリックス構造をもち, VEGFに対して非常 に高い結合活性( d=0.87 nM)を示した.また,M49 の安定性を評価したところ,80 Cにおいてもα
-ヘリッ クス構造を保持し,タンパク質分解酵素(トリプシン)に対する抵抗性を示した.また,ヒト大腸がんを移植し たヌードマウスに対して腫瘍増殖阻害試験を行ったとこ ろ,10 mg/kgの投与で,抗VEGF抗体(ベバシズマブ)
と同等の腫瘍細胞増殖抑制作用をもつことが判明した.
先にも述べたように,抗体などのバイオ医薬の最も深 刻な問題は,細胞膜透過性がなく細胞内の疾患関連タン パク質を分子標的にできないことである.このようなな か,細胞内のタンパク質に作用する新しい創薬モダリ ティーが切望されている.そこで,マイクロ抗体を土台 分子として,細胞内タンパク質‒タンパク質相互作用
(PPI)の一つであるp53-HDM2相互作用に対して阻害 活性をもつ分子標的ペプチドの創出を試みた(6).がん抑 制遺伝子p53は,HDM2(ヒト二重微小染色体2)との 相互作用によりそのがん抑制作用が阻害される.また,
両者の複合体の構造がX線構造解析により明らかにさ れている.そこで,その情報をもとにして,重要なエピ トープである4つ疎水性アミノ酸側鎖(Phe19, Leu22, Trp23, Leu26)を,マイクロ抗体C末端側の
α
-へリック ス上にグラフティングした.さらに,細胞膜透過性を付 加するために,マイクロ抗体N末端側へリックスの溶媒 接触部位に6つアルギニン(Arg)残基をグラフティン グした.こうして設計されたペプチドは,α
-ヘリックス 構造を保持しており,HDM2に対して高い結合活性( d=10 nM)を示すことがわかった.また,細胞傷害 性試験により,本ペプチドは細胞内に浸透し,p53- HDM2相互作用を阻害することでp53が再活性化し,細 胞増殖を抑制していることが示唆された.
近年,低分子でも高分子でもない中分子サイズのペプ チドが,創薬の候補分子として注目されている.低分子 医薬品は経口投与が可能で免疫毒性が少ない反面,特異 性の低さから副作用が問題になることがある.一方,高 分子のタンパク質医薬品は,特異性が高く副作用が少な い反面,投与法などの適応範囲が狭く免疫毒性の問題が ある.両者の利点を併せ持つ可能性が,中分子医薬品
(約0.5〜5 kDa)に期待されている(7).また,分子標的医 薬品の代表である抗体医薬についても,その機能を損な わず分子量を小さくする方向での研究が行われており,
創薬研究においてパラダイムシフトが起きている.マイ クロ抗体が,中分子創薬の新しい土台分子として広く利 用され,タンパク質‒タンパク質相互作用の生物学的意義 の解明やリード化合物開発の一助になれば幸いである.
図2■マイクロ抗体の分子設計(ヘリックス・ループ・ヘリッ クス構造ペプチド;HLH)とライブラリー構築
(A)マイクロ抗体は35残基のアミノ酸からなり,基本構造として 安定なHLH構造を有する.(B) C末端側のヘリックスをライブラ リー領域として,特にXで示したアミノ酸残基をランダムに変異 させてライブラリーを構築する.
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今日の話題
226 化学と生物 Vol. 55, No. 4, 2017 1) H. K. Binz, P. Amstutz & A. Pluckthum: ,
23, 1257 (2005).
2) K. Nord, E. Gunneriusson, J. Ringdahl, S. Stahl, M. Uhlen
& P. A. Nygren: , 15, 772 (1997).
3) A. Koide, C. W. Bailey, X. Huang & S. Koide:
, 284, 1141 (1998).
4) A. Skerra: , 275, 2677 (2008).
5) D. Fujiwara & I. Fujii: , 5, 171
(2013).
6) D. Fujiwara, H. Kitada, M. Oguri, T. Nishihara, M. Michi- gami, K. Shiraishi, E. Yuba, I. Nakase, H. Im, S. Cho
: , 55, 10612 (2016).
7) R. Murali & M. I. Greene: , 5, 209 (2012).
(藤井郁雄,大阪府立大学大学院理学系研究科)
プロフィール
藤井 郁雄(Ikuo FUJII)
<略歴>1986年九州大学薬学部大学院博 士課程修了,同大学薬学部助手/1988年 ロックフェラー大学博士研究員/1989年 スクリプス研究所主任研究員/1991年蛋 白工学研究所主任研究員/1999年生物分 子工学研究所部門長/2003年大阪府立大 学先端科学研究所教授/2005年同大学大 学院理学系研究科教授,現在に至る<研究 テーマと抱負>進化分子工学を基盤とする 新規生体機能分子の設計と創出<趣味>ス キューバ−ダイビング
Copyright © 2017 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.55.224
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