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古代小型箱型炉操業について

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古代小型箱型炉操業について

谷 山 雅 彦

― 論 文 要 旨 ―

 昭和60年代以降の大規模開発事業の推進に伴い,岡山県においても新たに多くの遺跡が確認され 発掘調査が実施され,その中には製鉄遺跡も多く含まれていた。県北では製鉄遺跡が確認されてい たが,森林資源を多く費やす製鉄には県南は不利であり存在しても少ないと思われていた。また遺 跡の立地が今まで人が立ち入ることが困難な丘陵斜面に製鉄遺跡が存在していたことも発見を妨げ ていた。しかし,総社市など県南においても製鉄遺跡が多く確認され発掘調査が実施された。

 通常製鉄遺跡で確認できるのは,操業に伴い廃棄された鉄滓・炉壁・原料及び炉の基礎部分で あった。基礎部分しか残さない製鉄炉の操業実態は不明な部分が多い。多くの製鉄炉復元操業では 炉内温度を上げるため直接炉に固定送風装置をつなげる方法が主流である。しかし古代のなかでも 7世紀を中心とする小型箱型炉の発掘調査においては,炉壁の残存状況が悪く,僅かに残った炉壁 にも送風装置をつなげた痕跡は認められていない。このため炉の構造・操業の検討は進んでいな い。今回簡易炉を用いて固定送風装置を使用しない操業を試み炉内での様子を観察した。簡易炉の 構造や原料の配合を整えていくことで鉄をつくることも可能であることを確認した。

キーワード:製鉄遺跡,7世紀,小型箱型炉,製鉄炉復元操業

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1.はじめに

 日本列島でいつから製鉄が始まったのかはまだ定まっ ていない。しかし西日本でまとまって製鉄が操業され始 めたのは6世紀後半になってからと考えられている。

 今回とりあげる古代小型箱型炉は岡山県内の発掘調査 で明らかになった6世紀後半から7世紀にかけてのもの を対象としている。特に総社市西部の西団地内遺跡群で は製鉄炉62基,東部の奥坂遺跡群では20基とまとまって いる。これらの状況をみるとこの時期の製鉄炉は一定の 作業場内で繰り返し操業を行っており,炉の地下構造が 少しずつ小型化する変化が明らかになっている。

 第1図は7世紀を中心とした製鉄炉の変化を先の二遺 跡を中心に示したもので,操業初期の炉が右上部円で囲 まれた位置にある。報告書遺構図から土壙規模を千引カ ナクロ谷4号炉は204cm×135cm深さ58cm,猿喰池5号 炉は220cm×175cm深さ56cmとした。

 二遺跡ともに小型化していくが,西団地内遺跡群のほ うが正方形を意識しているように思える。

 第2図に示した比較図は,岡山県内初期の製鉄炉と韓 国製鉄炉の地下構造の比較でいくつかの共通点がある。

地下の土壙の一辺が120cm以上あり,土壙内に1~2段 の石積がある。韓国の沙村遺跡は出土遺物から6世紀前 半から7世紀前半の操業とされる。2号炉は円形土壙が 径148cm・炉の内径100cm・深さ70cmで排滓用土壙の長 さ208cmを測る。沙村遺跡ではこの石積は上部に築かれ る炉の基礎部分になる(角田2006)。

 猿喰池遺跡では沙村遺跡同様に炉壁に木舞の痕跡も見

られる。しかし地下構造である土壙内の石積みも県内の 製鉄炉では一部しかなく不完全に思える。形状も大きく 異なるが,沙村遺跡との決定的な相違は送風管が出土し ないことである。一部の要素のみが初期の製鉄炉に取り 入れられた可能性がある。

 しかし韓国のような送風装置や生成物の取り出しに必 要な土壙なしの大型炉操業では期待した結果は得られな かったことが製鉄炉の小型化を進める要因の一つであっ たと考える。むしろ通風に限界がある7世紀の段階では 一辺1m以下の正方形に近い小型炉が製鉄に適していた のではないだろうか。製鉄炉の構造に違いはあるが,両 国ともに磁鉄鉱を原料として使用している。地下構造以 外では現在までに出土した多くの製鉄関連遺物の科学調 査で炉内生成物の知見も増加し,磁鉄鉱の焙焼や低温で の操業をうかがわせるなどのようすもわかってきた(大 澤1998)。

 残された遺構は製鉄炉の地下構造が主になり,製鉄炉 そのものの構造は不明な部分が多い。炉壁の残りが良い 遺跡では復元案が示されているが具体的な操業も含め た検討までにはいたっていない。その最大の理由は炉内 への送風がどのように行われていたかが不明であるため である。原料が鉄鉱石から砂鉄に変更されるようになる と,より強力な送風が必要になり後の「たたら製鉄」の 技術が完成していく。一般的に鉄づくりの難易度が高い のは砂鉄,磁鉄鉱,赤鉄鉱の順といわれ砂鉄は種類に よっては特に還元が困難なものがある(天田2004)。

 まず,今回対象とする製鉄炉の実態を遺跡の状況から 整理したい。またこれまでに行われてきた多くの製鉄炉 復元実験の成果を踏まえ,簡易な実験を行い操業の一端 を明らかにしようとするものである。今回の予備実験は 実際の炉とは形状など相違する点も多いことから,可能 性の一つとして検討し,今後の研究の一助としたい。

2.古代製鉄炉(7世紀)

 今回の対象とする古代製鉄炉は先に第1図に示した岡 山県内の遺跡で調査された7世紀を中心としたものであ 第1図 古代製鉄炉規模変化図(単位はcm)

第2図 製鉄炉比較図

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る。正確には6世紀後半から8世紀初頭に該当する。

 岡山県内で調査された7世紀の製鉄炉は何れも長方形 箱型炉であるが,時代が下がると正方形に近くなる。こ こでは小型箱型炉と呼ぶ。

 小型箱型炉はほぼ共通する作業場に築炉されている。

基本的に低丘陵の斜面をL字型に造作し作業場とし,炉 の基礎部分に方形の土壙を掘り,焼成し炭を内部に多く 含むものもある(以後 方形土壙と呼ぶ)。

 この方形土壙は当初は深いがしだいに浅くなる傾向が ある。形状が長方形のものは尾根筋方向が長く(以後  長辺と呼ぶ),尾根に直交する方向は短い(以後 短辺 と呼ぶ)。

 作業場には原料である鉄鉱石などの置き場があるもの もある。また谷側からみて右短辺には溝が,左短辺側に は土壙を設置するものもある。この土壙は炉内生成物を 水冷するための水溜が用途と考えられる。

 一つの作業場で炉が移動を繰り返すことから炉を構築 する数には限界があったと考えられる。このため作業場 も同じ丘陵斜面で位置をずらし,新たに造成拡張してい る。

 製鉄遺跡は尾根斜面を利用し,谷部に面する。製鉄炉 には水分があると温度が上がらず大敵であるが,一方で 水は生成物の冷却などに必要なものとなる。谷風も炉の 温度を上げるために必要とされている。また意外な事例 も知られている。それは操業時に製鉄炉内に適度な湿気 を含んだ空気が入るほうが旨くいくといくものである。

 砂鉄の還元が炭による一酸化炭酸ガスや固体還元のみ ではなく水素還元も重要な要素と考えられることである

(天田2004,丸本2009)。これは尾根でも谷に近いところ で初期の製鉄炉が構築されていることと関係があるのか も知れない。効率良く炉内温度を上げることが可能に なってしだいに立地が斜面上部に移動した可能性も考え られる。

 以前は地下構造の方形土壙は防湿のためと考えられて いたが,現在は炉内生成物の保温や安定し成長するため

の支持炭層とされる(芹沢1983)。

 第4図は地下構造部分に炉内生成物が残されていた遺 構の炉壁範囲復元を試みたものである。西団地内遺跡群 や奥坂遺跡群などでは炉壁の出土が極めて少なかった ため復元を検討することが出来なかった。その後製鉄遺 跡の調査例も増加し,猿喰池製鉄遺跡では炉壁の幅が 約20cm,炉高は80cm以上など具体的な数値も明らかに なってきている。また炉壁に孔があいたものもあり,通 風孔と考えられた。通風孔は複数あいたものや形状・大 きさに差がある。通風孔の平均値は7~8cmである。

 試みにこの遺跡の炉壁幅で範囲を示してみた。方形土 壙と炉内残留物との関係が炉壁幅20cmでおおむね妥当 な範囲に収まることが確認できた。炉内からはみ出した 部分は生成物が炉壁を浸蝕した様子を示していると思わ れる。

 これらの製鉄炉の作業場では何れも短辺右側に排滓が 認められることから炉短辺右側から不純物を取り出そう としていたと考えられるが,Aでは左角へ,Bでは反対 側へ炉内生成物が成長している状況がうかがわれる。こ のことが炉内に生成物が残された理由の一つになったの ではないだろうか。つまり操業中に生成物が思うように 成長していないと判断できた可能性がある。もしそうで あれば,今後同じような炉内生成物が検出された時に炉 壁復元範囲を想定することで操業中止の理由を考える判 断材料になると考えられる。

 また炉内生成物が炭を充填された下部構造の方形土壙 内に沈み込んでいる状況が断面から分かる。深さはこの 程度で十分機能するため,土壙の深さが浅くなっていっ たと考えられる。また,Aでは方形土壙といっても短辺 側は窪まず逆に高くなるなど炉内生成物を取り出しやす くするようにしている。製鉄炉導入当初のような深く大 きな土壙は必要ないことがうかがわれる。しかし,炉底 から生成物が沈み込む炭層は最低限必要であるため,深 第3図 炉内生成物出土状況

第4図 炉壁復元範囲図

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さの違いはあるけれど方形土壙を設置しているものと考 えられる。

 これらのことから小型製鉄炉は整地した地山に平均 74cm×69cmの方形土壙を約20cm掘り下げ焼成し,炭を 充填する。その上に幅20cmの粘土塊を方形土壙に沿っ て高さ80cm以上積み上げる。炉底から10~20cm上に通 風孔を1~2穿孔する。ただ実際にはこれ以外の工夫も 施されていたと思われる。

3.小型製鉄実験炉の経緯

 古代の製鉄炉操業の技術や実態は途絶えてしまい,現 在復元されている製鉄技術は近世の「たたら製鉄」であ る。

 このため刀匠を中心として失われた古代末から中世に かけての製鉄を復元し,平安から鎌倉時期の鉄を再現す る試みが行われた。ここにおいても,我が国における 製鉄初期の製鉄炉の復元が対象となっていたわけではな い。

 古代の製鉄炉周辺からは多くの鉄滓が出土するが多く は炉内で生成し,炉外で破砕され廃棄されている。古代 の製鉄技術を知るためには,こうした鉄滓を生む操業 を復元する必要がある。現在教育機関等で行われている

「たたら製鉄」はいつの時代の操業を想定しているので あろうか。刀匠たちは明らかに古刀の再現を目指してい ることから古代(7世紀)の鉄ではない。

 こうした復元製鉄の歴史については,多くの報告があ るので,主なものを年代順に記す。

 1968年 欧州での実験紹介(長谷川)

 1969年 近世鑪製鉄復元(たたら製鉄復元計画委員会)

 1972年 「自家製鋼時代」(隅谷)

 1973年 鉄鋼短期大学

 1974年 東京都調布市立野川小学校(久津見)

 1976年 自然通風炉(長谷川)

 1977年 「日刀保たたら」

     岩手県釜石西中学校(中川)

 1979年 愛知県豊川工業高校(天野)

     東京工業大学工学部(永田)

 1980年 愛知県産業教育実技研修 高さ750mm,

     内幅250mm(加藤・天野)

 1982年 石油缶 高さ410mm,内幅240mm(大月)

 1983年 北海道大学教育大学釧路分校 高さ950mm      内幅210mm(高嶋)

 1987年 琉球大学教育学部(松田)

 1992年 仙台市立根白石中学校

 1999年 中標津町立中標津東小学校(堺)

 2000年 島根県立岩見西小学校 高さ1050mm,

     内幅260mm

 2008年 広島大学附属福山中・高等学校(丸本)

     ※名称は報告当時

 小型製鉄炉による実験実施事例はこれ以外にも多く存 在するため,時間軸でいくつかの復元炉の実施状況を見 たが個々の内容までは詳しく検討できていない。しか し,ほとんどの復元製鉄炉で送風管を使用して炉内温度 を確保している。遺跡において確実な送風管装着例は福 島県横大道遺跡などで8世紀前半からである。高チタン 克服のために導入した技術といわれている(門脇2015)。

こうした技術が周辺の地域に影響を与えたと思われ。小 型炉から大型炉への可能性を広げたと思われる。

4.自然通風炉実験事例から

 多くの復元実験炉に送風管が取り付けられているが,

長谷川らは自然送風による復元炉で実験を行った。これ は欧州での復元操業実験を研究し,我が国においても自 然送風法が製鉄炉操業の原点であるかを確かめる必要が あったためだった。しかし,実験結果から鞴の役割を重 要視したようである(長谷川ら1968・1978)。

 第5図は長谷川らの実験結果から作成した模式図でこ こでは炉内の位置(高さ)で生成物が砂鉄の相互付着か ら鉄の集塊までの分布が明らかになった。しかし遺跡か ら出土するような大型の滓の報告はないが,流動化生成 滓がこれに該当するかもしれない。炉内生成物をAから Sまでに分類している(長谷川ら1978)。

 この時の実験諸条件は以下のとおりである。

1.実験炉の内形は関東以北の遺跡を参考に竪型炉と し,近世たたら炉の寸法に準拠。炉底幅30cm,炉 胴部幅50cm。炉壁幅20~40cm。

2.通風孔は径60mm,羽口を使用せず直接炉壁に開孔。

3.溶解物の抽出孔は通風孔の下方,炉底面の高さに設 ける。

4.炉底地下に防湿のため木炭などを詰めた鉄箱を埋 設。

第5図 自然通風炉内生成物の範囲模式図

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5.砂鉄は島根県産真砂と千草(兵庫県)

  島根県産は事前に鉄板上で攪拌しつつ焙炒処理を行 う。

6.木炭は松炭を100~150mmに切断して使用。

7.築炉用材は山砂と粘土を3:7の割合で,切り藁と 水を加えて混練する。

5.簡易小型製鉄炉予備実験

 自然通風炉の実験において「自然通風炉遂行に対する 解釈は,その時代の技術水準と鉄の需要度を想定勘案 し,炉の原始性をどの程度認容するかによって多様化す るであろう。」とし「鞴が古くから使用されていたこと を認識し,単にその地勢にとらわれずに,炉内壁の浸蝕 状態,出土鉄滓の性状などを加味して検討すべき」とさ れた(長谷川ら1978)。このためか自然通風炉の実験は 進まず,送風管を用いた実験が主流になっている。これ は,製鉄で生成した鉄を作刀に利用する刀匠が先に自家 製鋼を完成していたこととも関連すると思われる。

 では今回対象とする7世紀段階では遺跡から鞴の使用 をうかがわせる状態はあるのかという問題である。少な くとも鞴につながる羽口の出土は現在まで無い。遺跡で 炉壁に羽口を装着した例は8世紀になってからである。

 また県内で出土する炉壁の多くが熱で赤く変色したも のが多く,内面が融けた状態のものが少ない。高温域が 極めて限られていたためと考えられる。

 7世紀段階では自然通風炉の検討が必要となる。対象 となる製鉄炉としては小型箱型炉と竪型炉の二種類が存 在する。本来なら土で構築した小型箱型炉で操業実験を 実施するべきであるが,構築した炉をその都度解体する 必要が生じる。現在行われている小型製鉄炉の実験方法 としては耐火煉瓦を使用するか石油缶,七輪などの選択 肢がある。今回は再利用が可能な練炭コンロを小型製鉄 炉として採用した。また練炭コンロには上部に孔があり 自然通風炉の通風孔として利用できると考えた。予備実 験としたのは操業条件が多数存在し,それら全てを短期 間に実施することは困難と考えたためである。例えば実 際の炉壁は20cmほどあり,保温効果が高いと思われる のに対し,コンロは幅3cmで熱が逃げ炉底の温度維持 が困難である。炉高も80cm以上必要であるが第6図の 簡易炉3でも半分の43cmである。こうしたことを加味 し砂鉄をどう処理するかなど本実験に向けての資料収集 が主な目的になるが目的の一つは炉壁に開けた穴の効果 であり,二つ目はこの炉でどのような炉内生成物ができ るかである。

 使用した砂鉄は市販の国産とされるもので第6図の形 状のもので,黒色光沢があり不揃いの粒径で真砂砂鉄と 思われる。産地は不明。

  使 用 し た 顕 微 鏡 はSWIFTSW150で 写 真 は す べ て40倍 で あ る。 炉 内 温 度 は 非 接 触 式 赤 外 線 温 度 計 INFRARED1500を使用して測定した。

 炭は岩手県産の楢炭を5cm程度に切ったものを使用 した。コンロの下にはコンクリートブロックを敷いた。

 使用したコンロは練炭コンロで上部に1cm径の穴が 8個あいたものである。コンロの外径が22cm,内径 13cmあり,内側の高さは20cmを測る。

 今回はこの穴をそのまま通風孔として利用した。径と 数を変更し実験することが必要であるが今回は購入時の ままとし,今後の課題としたい。これらの実験は2021年 8月から2022年1月まで自宅裏で行った。

 簡易炉1の一段のままで2回使用したが投入した砂鉄 は炉高が低いことからそのまま炉底に落ち大きな変化が なかった。このため炉高を上げるため簡易炉2のよう に底に穴を開けた七輪を上下逆さまにして乗せ二段とし た。この簡易炉2の状態のものを7回使用した。第7図 は使用した砂鉄と砂鉄から不純物がにじみ出て弱く結合 したものである。こうした状態は簡易炉1・2の炉で認 められ長谷川の「砂鉄粒が相互付着」した状態と考えら れる。こうした形状は簡易炉1の一段ではまとまりが大 きくならないが,簡易炉2の二段になると比較的大きな まとまりになったが,やはりそのまま炉底に落ちる。推 定炉高約80cmに比べ二段としても38.5cmのコンロでは 半分ほどに止まる。4回目からは砂鉄の降下時間を長く

第6図 簡易小型製鉄炉概略図

第7図 使用砂鉄・相互付着

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するための,砂鉄を糊で固めたものを使用した。また基 本的に投入する全砂鉄量を500gとしていたため,そこか ら得られる不純物の量が少ないと考えられた。そこで本 来炉壁から供給される造滓分を加えるために珪砂を混ぜ ることとした。

 7回目からはさらに炉底部分に炉底滓を想定した棚が できるように砂鉄を入れる前に珪砂を中心としたものを 投入した。これは「たたら製鉄」においておおよそ  「籠り」   1時間半 ノロが熱を籠らせる  「籠り次期」 14時間半 真砂砂鉄に籠り砂鉄4割  「上り期」  18時間  すべて真砂砂鉄

 「下り期」  20時間  ケラの成長 炉壁の浸蝕 と段階を踏んで鉄づくりが進んでいることからも炉底に 熱をためる必要があるためである。

 しかし珪砂の棚は投入位置や炎の状態で生成物が位置 を変え,想定どおりに均一な棚にはならず,鉄を含む生 成物は棚より下に沈み込んだ。七輪では内部に隙間が生 まれ,砂鉄が下るのが早いことなどから内容物が均等に なるよう内面に凹凸の無い同形状の練炭コンロを二段目 とした。今回は既存の穴は塞いでいない。これは実際の 炉では炉内温度を高める段階で,低温で溶融する成分が 炉底に溜まりこの溜まりが還元・浸炭された鉄粒の再酸 化を防ぎ鉄粒がまとまっていくことを助けていると言わ れているためである。できた珪砂の棚は大きな塊まで成 長していないので,保温効果は期待できないが,砂鉄が この上でとどまることはできると考えている。

 10回目は二段目を下段と同じ練炭コンロに変更した。

 これはいままでの操業で七輪コンロでは内部の構造上 隙。

 通常炭の燃焼では860℃から上昇することはないが,

孔の効果で1000℃以上の高温になっている。これは炉内 の温度と外気の温度差により上昇気流が起こる「煙突効 果」によるもので,想像以上に高温になる。孔から空気 が入る状況がよくわかる。

 炉内の状態を見ると低温で融ける不純物はかなり溶解 しているようだが,底に溜まるほどではない。回収した 生成物は長谷川の焼結状からガサガサした半溶融塊まで の状態のように見える。

 7回目から10回目までの生成物はほとんど同じで,表 面がガサガサし断面は黒色で,磁石に反応した。溶融し た低温不純物中に砂鉄が分布する状態が顕微鏡で観察で きた。この中に一点他と違う雰囲気の生成物があった。

第12図のもので二つの塊が溶融した形状のもので,表面 も溶融し滑らかになっている。

 第13図A・B・Cは第12図の生成物の断面を研磨した 顕微鏡写真である。

 Cの右側に薄く灰色に見えている円形部分がすべて 砂鉄と考えられる。その間の黒い部分に不純物であるSi などがある。C左側やAなどは砂鉄の周辺が白く見える 部分がFeになっている部分と考えられるが化学分析は 行っていない。(白く大きな部分は砥石粉が穴に詰まっ た状態)

第8図 7回目 操業状況

第9図 7回目 珪砂の棚(全体・部分)

第10図 10回目 操業状態(全体・吸気)

第11図 10回目 炉内の状態

第12図 10回目 炉内生成物(表面・断面)

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 Feと判断したのは,マイクロ波加熱で小鉄塊をつく る過程で砂鉄の凝集が起こることが確認されており,そ の凝集体の顕微鏡写真からである。

 マイクロ波加熱ではこの凝集体をさらに過熱すること で流動化が起こり,しだいに鉄と不純物が分離し鉄塊と なることが判明している。

 7回目から10回目の操業で不純物と砂鉄が集まった凝 集体までが出来たが,不純物との分離が出来ていない。

また表面がガサガサで遺跡から出るような表面が溶解し た雰囲気のものはほとんど無い。炉壁には溶解した不純 物が流れた状態で付着している。

 出来た炉内生成物の状態から炉内に投入する砂鉄量や 流動性が悪いことが考えられたので,一部資料を残して 7回目以降の炉内生成物を破砕し,再溶解することと し,炭酸カルシュウムを追加した。これらは2022年2・

3月に先の実験に追加して行った。こうしてできたのが 第15図の生成物である。

 この生成物の表面は滑らかで炭を噛むなど遺跡から出 土する鉄滓に酷似する。下部は溶融し垂れ下がってい る。

 最大幅14cm,厚さ8cm,重量800gを測る。コンロの 内径が13cmなのでやや傾いてほぼ炉内全体を覆ってい たことになる。最も炉内で温度が高くなるのは一段目の 通風孔部分で1100℃を超えるが炉底部分は温度が下がり 孔から10cm程度までが溶解できる範囲のようでそれ以 下で硬化し,炉底まで溶融した不純物が届いていない。

生成物は炉壁にしっかり溶着している。

 第16図は再溶融でできた生成物塊のなかで特に磁性の 強い部分を研磨し顕微鏡で観察してものである。

 10回目生成物よりも砂鉄粒がFeになっていると考え られるが,あくまで観察結果で化学分析はしていない。

6.結果

 7世紀になって我が国では製鉄が本格的に操業数を増 加やしている。しかし,どのような炉で操業し,どのよ うな鉄が生成されていたのかは明らかになっていない。

 失われた技術は残されたわずかな資料を謙虚に調べ,

第15図 再溶融生成物(左:上面,右:側面)

第16図 再溶融生成物顕微鏡写真

第14図 再溶融の状況

第13図 10回目 生成物断面顕微鏡写真

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丁寧に追及していくほかない。初期の製鉄炉の基礎構造 が韓国の製鉄炉を参考とし,いくつかの要素を取り入れ ながら開始したと考えた。しかし,送風管や製鉄炉に続 く土壙がないなど重要な部分が備わっていない。このこ とから関連を否定することもできるが初期の大型の製鉄 炉から正方形に近い小型炉への短期間での変更は,完成 した技術がそのまま伝わっていないことを示していると 考えている。下部構造が深いものから浅いものへの変化 も必要最小限度の深さになった結果なのかもしれない。

いずれにしても初期の段階から送風装置を欠如した操業 で行われていたため熱効率のよい小型炉への変更は必然 であったと考えられる。もちろん今後製鉄遺跡から送風 装置の存在をうかがわせる痕跡が出てくる可能性はあ る。

 しかし,現在までは無いので自然通風炉の検討を排除 することは出来ない。炉壁に孔があいたものがあるので この効果を今回確認した。長谷川の実験でも炉内温度は 十分上がっているので,鉄をつくることは可能で問題は 質・量のようである。

 炉内生成物は砂鉄相互付着から鉄になるまで様々な形 態で存在する。今回の実験においても相互付着から流動 化生成滓まではできていると思われる。

 炭で砂鉄を還元する「たたら」では砂鉄は,炉内を降 下しながら還元され,木炭と接触して直接炭素を吸収し 溶融銑鉄粒になる。羽口付近で再び酸素で表面が酸化 し,反応熱で表面温度が上がる。炉底に溜まった溶解物 に落ち取り込まれる。この中で凝集し大きくなるとされ る。

 一方マイクロ波加熱で生成された小鉄塊の形成過程を みると,砂鉄は一度凝集してから小鉄塊に変化すること が分かっている。凝集体内部には穴が多数存在しCOガ スやCO2ガスが内部を攪拌,また凝集体は不純物と鉄の 集合体で形態から融液となっていたと考えられている。

加熱が続くと凝集体内部にできた小粒状の鉄が凝集して 小鉄塊となった(新野邊2009)。

 似た状況がITmk3プロセスにおいても確認されてい る。

 製鉄炉内が高温に保たれると砂鉄が降下する段階で溶 融銑鉄粒になっているが,自然通風のような低温では凝 集体が生成され,この凝集体内部の不純物の融液を介し 吸炭が進む個体浸炭と液相浸炭が起こり鉄塊になる。こ のためには凝集体が高温域に長く停滞することが必要に なる。炉底部分に不純物の塊ができると,この上で加熱 が続き凝集体から鉄と不純物の分離が起こる可能性があ る。

 実験を実施する前に,今までに多くの実験例があるこ とが確認出来たが,全てを消化しきれていない。それほ ど多くの試みが行われている。

 今回の実験では鉄をつくるところまでは至っていない が自然通風炉の可能性を感じた。できる鉄は必ずしも安 定したものではないと考えられるが,それらを再溶解し 不純物を取り除く工程も含めて考えていきたい。鍛冶技 術は製鉄以前から我が国に定着しており,こうした技術 を前提に製鉄に着手したことは疑いのないことと思う。

 実験結果は一つの手がかりであり,これが全てではな いことは明らかである。少なくとも7世紀段階の製鉄を 考えるときに,今後も自然通風炉の選択肢を残してほし い。ここでできる鉄がどのようなものになるのか,将来 確認していきたい。

引用・参考文献

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図版出典

第1図 古代製鉄炉規模変化図 著者作成

第2図 製鉄炉比較図 参考文献をもとに再トレース後加筆

第3図 炉内生成物出土状況 「西団地内遺跡群」複写転載 第4図 炉壁復元範囲図 「西団地内遺跡群」再トレース後加筆 第5図 自然通風炉内生成物の範囲模式図 著者作成

第6図 簡易小型製鉄炉概略図 著者作成 第7図~第16図 著者撮影

【谷山雅彦:〒719-1123 総社市上林1252       総社吉備路文化館】

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